マスター・ツートンの仁義ある添乗員ブログ

自称天使の添乗員マスター・ツートンの体験記。旅先の様々な経験、人間模様などを書いていきます。

こんにちは。海外添乗員のマスター・ツートンです。天使の添乗員です。

長年している海外添乗員という仕事の中で、経験したことを、ドキュメント小説風にシリーズとして書き上げていきます。

海外旅行好きの方、旅行や添乗のお仕事に興味のある方は、ぜひお立ち寄りください。時には、旅の情報も載せますよ。

コメントはお気軽に。返信は必ずします。ただし、誹謗中傷や内容に関係ないものは、ただちに削除いたします。

一度隠した指先を、再びゆっくりと出しながら、M田さんは話を続けた。

「ペルーのすべての場所が危ないわけではないです。でも、このリマでの外出は、我慢してください。時々、『汚いかっこうをしていれば大丈夫だろう?』と仰る方もいらっしゃいますが、それもだめです。スリや強盗は、身なりでターゲットを決めるのではなくて、ホテルから出てくるところを狙っています。被害者にとって事件は突然起こるものですが、犯人は、計画的なんです。出口でずっと見張っていて、出て来てからついて歩く。人目につかないところで、1人のところを狙われます。」

キリッと、きっぱりと注意を促した。静まったところで、さらに付け加えた。

「私の被害も、彼らにとっては計画的だったと思います。危険な通りだから人が少ない。信号で待っていても、他に人がいないのです。赤信号でタクシーが止まる。乗客は非力な女性。絶好のチャンスだと思われたに違いありません。おかしな言い方ですが、スリや引ったくりは、本当のプロなんですよ。」

ペルーに来るお客さんは、ある程度旅慣れている方が多い。「旅人」として、しっかりとしたプライドをお持ちの方もいて、時々扱いにくい時もある。でも、この時のM田さんの実体験に基づいた案内は、かなり効果的だった。

「あなたはペルーに来て何年目ですか?」

不意に、年配の女性客がたずねた。

11年目です。」

「(驚いて)その若さで!?」

「はい。・・・・いろいろありました。それはまたあとでお話します。」

ホテルに入って、夕食時間を案内をして、お客様にはお部屋にお入りいただいた。このホテルには、日本人女性がいた。いわゆる移民だった。最初は従業員かと思ったが、

「私は支配人です。創業したのは父ですが、今では私が全てを任されています。」

へー・・・。僕は、ほとんど旅行の現場しか知らないが、ペルーでは、ガイドや旅行会社以外でも活躍している日本人は多いと聞いた。

「現地事情を心得ている日本の方ですから、防犯管理もしっかりしてますよ。」

M田さんが太鼓判を押した。

「M田さん、治安のことは言ってくれた?」

支配人が尋ねた。

「はい、もちろん。」

M田さんがこたえると、支配人は僕にホテルの防犯について教えてくれた。

「こんな静かなところでも、観光客が狙われることはあります。今日はみなさん、おつかれでしょうから出歩かないとは思いますが、くれぐれも気を付けるように、ディナーの時にもう一度仰ってください。」

「わかりました。」

「それと、このホテルは、外側の鉄柵に常時鍵をかけていますが、日没後は、内側からも合鍵がないと開きませんからご注意ください。つまり、お客様は、敷地外には勝手に出られません。防犯の一環です。」

リマは、本当に治安が悪いらしい。いつも宿泊する度に、似たようなことを言われていた気がする。

 

この日の仕事は終了のM田さんは、これでご帰宅だ。

「今日は、いろいろありがとうございます。本当に勉強になりました。」

僕は、素直に、心からお礼を言った。彼女はニヤリと笑って、

「これですか?」

と言って、右手の人差し指の傷を見せた。

目の前に持ってくると、本当に痛々しい。M田さんの手は、指が細く、長く、美しかったから、余計にそう感じた。

「いや・・・別にそれだけじゃなくて・・・。でも、確かにあの案内は効果的でした。『危ない、危ない』と言うだけでなく、実体験で、しかもその証拠が体に残っていて、見せられたら、とても説得力がありました。タイミング的にもよかったです。今日の観光中は、そういう心配がないところばかりだったから、『スリとひったくりに気を付けて』と言うだけ。心配なホテルチェックイン後の単独行動に備えて注意喚起。あれなら、お客様が、いつ本当に注意すべきか分かりやすい。完璧です。」

「ありがとうございます。でも、一番この傷にビビッていたのはツートンさんですよ。」

「・・・嘘!?」

「本当ですよ。一番心配ない人が一番ビビってるんだもん。笑いそうになりましたよ。」

「一番間近で見ていたからですよ。」

「あははは。そういうことにしておきましょう。」

「あの、失礼ですけど、・・・さっきのタクシーの強盗事件とその傷の話は、本当のことですよね?」

「もちろん!どうしてそんなことを聞くんですか?」

「添乗員でも、はったりで、人の経験を自分の経験のように言う人っているから。」

「あ、なるほどね。私の場合は本当です。」

「ふーん・・・そんな怖い思いをした話をよくできるなあ、とも思ったんです。」

女性は、恐怖体験をすると、そのトラウマが男性よりも遥かに深く記憶に刻み込まれるという話を、どこかで聞いたことがある。実際に、日常会話でもそう感じることはある。

「確かに怖かったですよ。しばらくの間は、思い出すのも嫌でした。でも、言わざるを得ない時があったのです。」

「どういうことですか?」

「今は、マチュピチュブームで、初めての海外旅行がペルーだという人も出てきましたが、ちょっと前までは、ずいぶんと旅慣れたお客さんばかりだったんです。私が何言っても舐められたんです。今日も、私がこちらに住んで何年か聞いてきたお客さんがいたでしょう?」

「いましたね。明らかに何かを探る聞き方でした。」

「私くらいの見た目だと(若造という意味で)、何年住んでいるとかが、お客さんにとっては、一種の「当たり外れ」になるらしいです。『その程度の居住期間なら、大してこの国のことを知らないだろ?』ってことをはっきり言われたことがあります。添乗員さんでも、そんなことってあるでしょう?」

「まあね。」

「そんな私が、どんな注意喚起をしても、誰も真面目に聞いてくれなかったんです。『そんなこと、お前よりも俺たちのほうが知っているよ』みたいな感じで。その時に、この傷のことを話したら、とてもみなさんが真面目に話を聞いてくれて。それ以来、必ず治安の話をする時は、これを見せています。」

ガイドさんも、信頼を得るまでは本当に大変なんだな、とつくづく感じた。「若い頃は、一部のお客様から舐められたり小馬鹿にされたと」という女性添乗員の話は、この頃はよく聞いた。

「この傷の話で、みなさんが気を付けてくださるなら、全然問題ありません。今日、一番ビビってたのはツートンさんですけど。」

「だからそれは・・・」

「いやー、あんなじーっと見られたら、また傷口が開くと思って隠してしまいました。すいません。あ、でも、私の案内は、傷の話で終わりではありませんよ。他にもいろいろ経験してるから、楽しみにしててください。自分の経験以外でも、ネタはたくさんありますから!」

確かに、彼女にはいろいろあった。それを聞けるのは、アンデスから帰って、もう少し、僕らが打ち解け

てからのことである。


2021年1月16日。コロナ感染者が日本で初めて確認されてから、一年が経ったそうだ。

僕は、2020年の1月15日にクロアチア&スロベニアのツアーに出発していた。国内初患者については、記憶にない。このブログ内でも、触れられていなかった。

 

僕も、世間も気にしていたのは、中国の動向だった。ただ、この時のクロアチアツアーが、コロナを全く気にしないで楽しめた最後のツアーだったことは覚えている。多少コロナのことを気にしはしていたが、脅威ではなかった。

 

自分にとってのコロナ禍は3月からだったが、実際の脅威は、この時既に始まっていたことは間違いない。なかなかその姿を見せないコロナ。

初感染者が見つけられた時、果たして既にどれくらいの人が感染していたのだろう。

 

1年経って思う。まさか、今も世界中がこんなに苦しんでいるなんて・・・。これを予想できた人物っているのだろうか。

次になにを書こうかと考えながら、過去に別のところで書いたものを眺めていた。南米は、ツアー割り当ての事情もあり、2014年の訪問が最後になっている。正直、アメリカ大陸との大きな時差は苦手なので、助かってはいるのだが(それが遠ざかっている理由ではない)、過去に書いたものを読んでみた時、実に良い体験をさせていただいていることに気付いた。特に、ガイドさんたちには恵まれていた。

ストーリーがいくつもあり膨大な量なので、ここでは、そのガイドさんたちにスポットを当てて、現地の様子を紹介していきたい。この「ペルー紀行」は、中断を挟みながらしばらく続けていく。

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M田さんとお会いしたのは、2010年の7月。10日間のペルーのみの中身の濃いツアーだった。比較的無理のないスケジュールのツアーだったのだが、ひとつ問題があった。2日目の朝、リマに到着するのが朝の7時。それから終日観光して、ホテルに入るというものだった。

なにが大変かって、想像してみよう。東京駅に、新大阪駅に、名古屋駅に駅に朝7時に到着する。さあ、バスに乗ってどこが観光できる?

「現地でガイドが考えてくれてますよ。大丈夫。今回のガイドはは当たりです。」

出発前の打ち合わせでは、そう言われていた。

日本からの長いフライトと、朝早くの到着で、意識も体もしゃっきりしない状態で、リマ空港の税関を通ると彼女が僕らを待ってくれていた。

 

浅黒い肌。豊かで背中を半分隠すほどの長い黒髪。長身でスリムな体型。凛とした雰囲気。ものすごい美人ではなかったけど、男性からすると、目を引かれずにはいられない女性だった。俗っぽく言えば「いい女」だ。年齢はちょうど30くらいか。ガイドしては若いと聞いていたが、その通りだった。

後から聞いたのだが、彼女も僕を見た瞬間は、「当たりだ。」と思ったそうだ。残念ながら、見た目のことではない。

「最近、ツアーが多いせいか、若くて何もわかっていない、話が全然通じない子が来ることが多くて・・・。たまに年齢がいってる人が来たと思ったら、不慣れな人だったり・・・。そういう添乗員さんに限って、ちょっとうまくいかないと、ガイドへの文句がすごくて。ツートンさんを見た時は、慣れてる人が来てよかったなあと思ったんですよ。」

仕事相手としては、相思相愛だったが、最初の10分くらいは、僕の彼女への印象は、あまりよくなかった。後から「ベテランが来たと思ってほっとした」と聞くと、そういうことだったのかと理解できるが、初対面での挨拶が、あまりにフランク過ぎるたと、朝7時からの都市部の観光という、イレギュラーなものの段取りを、全てこちらに押し付けてくるような話し方には違和感を覚えた。そのため、僕は、話を始めて間もなく、ややきつめに一言返した。

「日本から来た僕よりも、そちらが情報持ってるに決まってるでしょう。段取りの提案は、まずそちらからしていただくのが筋じゃありませんか。」

「あれ?」という表情を見せたM田さんは、すぐに何かを切り替えたように、

「そうですね。まずは、みなさんをバスにご案内しましょう。」

と、言って行動を開始した。リマの空港は、出発の準備が全て整ってから、ドライバーが空港駐車場の料金を払いに行く。それからでないとバスを出せない。その間、僕はM田さんと打合せをした。

「僕自身、ペルーは二度目なんです。はっきり言ってよく知りません(お客様には、はったりで5度目と言っていた)。これまでのレポートでも、この時間に到着するフライトを使ったツアーはなくて、いろいろ調べたけれど、正直、無策です。基本的に動き方はお任せします。周り方だけ事前に教えてください。もちろん、なにかあったら、責任はこちらでお取りします。」

「わかりました。」

当然、彼女はプランを用意しており、スラスラと説明を始めた。

「海岸線をドライブするのはいいけど、このお土産屋さんは市街地から遠すぎませんか?」

「通勤ラッシュのために、かなり渋滞しますが、じゅうぶんに時間がありますから大丈夫ですよ。それに、この時間の到着ですから、みなさんも眠いですよ。ドライブは、よく眠れるいい休憩時間です。お土産屋さんも、こういう日ならいい休憩場所ですよ。」

という具合に、こちらの不安を解消するアドバイスもすぐにくれた。お客様にも、

「今日ほど、お買い物の時間を取れることはないですよ。ここは、現地の本当の名物が揃っていますから、しっかり時間をお取りします。」

と、余り過ぎている時間を、上手な物の言い方で有意義な時間に変えていた。調子のよい言葉を、お客様に簡単に受け入れてもらえたのは、彼女の話し方と頼り甲斐のある見た目が、かなり影響していたと思う。

 

お客さんの質問にもきちんと答えていた。たとえ、それがどんなに馬鹿げていた質問でもだ。

「M田さん・・・私ね、高山病かしら・・・。なんだか気分が悪いの。」

と、いうトンチンカンな物言いに対しては、

「あら、大丈夫ですか?でも、リマは標高はほとんど0mですから、高山病の心配はありませんよ。日本との時差や、長旅のお疲れだと思いますよ。慌てないでくださいね。」

と、とても優しくこたえて周辺を笑わせた。
「リマってこんな天気になるんだねえ・・・山のほうは・・・マチュピチュは晴れるのかなあ・・・」

という心配には、丁寧な説明でお客さんを安心させた。

 

ペルーは、海沿いのコスタ(リマやナスカはここに含まれる)、シェラ(ガイドブックではアンデスと紹介されていることもあり。この中でさらに細かい地域に分けられる。クスコやマチュピチュは、ここに含まれる)、そしてセルバ(アマゾン川流域のエリア)の3つの地域に分けられる。分かりやすいように、これからは、シェラをアンデス、セルバをアマゾンと書こうと思う。

日本からのツアーが訪れるのは、だいたいコスタとアンデスだ。アマゾンに関しては、行かないどころかペルーにアマゾン地域が存在することさえ知らない人が多い。実は、国土では一番広い面積(60%)を占めるている。日本人の訪問客が少ない一方で、地元民や米国からの観光客には、なかなか人気があるらしい、

この3地域は、面白いことにコスタ、アマゾンの二地域とアンデスで季節が真逆なのである。真逆と言っても、言い方が微妙に違う。現地の言葉に倣っていえば、コスタには夏と冬がある。四季もあるらしいが、ガイドさんは夏と冬で分ける人が多い。

夏は晴天続きだが、冬はフンボルト海流(寒流)が流れ入るおかげで、海上の温かい空気が飽和状態になり、霧が発生して、どんよりとした天気が続く。ただし、雨はほとんど降らない。そのおかげで、大昔に描かれた「ナスカの地上絵」が残っている。雨が降らないので、雨季、乾季とは言わない。

これに対して、アマゾンとアンデスの季節訳は、雨季と乾季である。

アマゾンでは、2つの季節の間、沼や川の水位が場所によっては4~5mも変わることがあるそうだ。

それほど極端ではないが、アンデスの季節も雨季と乾季である。ただし、標高3000mを超えるクスコをはじめとする本格的な高地と2000mほどのマチュピチュでは、はっきりとした違いがある。クスコは完全な高山性の気候だが、マチュピチュは、亜熱帯性の気候だ。生息している植物の種類も数も、同じアンデスにありながら、両者はまったく違う。

このシリーズで訪れた7月は、アンデスが乾季、コスタが冬であった。

「だから、マチュピチュもクスコも、きっと天気はいいですよ!」

M田さんが、自信を持って、みなさんを励ましていた。

 

コスタの冬は、少々やっかいな時がある。たとえば、ナスカでは雨は降らないが、毎朝、霧が発生する。ナスカ地上絵を観るセスナ機は、有視界飛行だから霧が出たら絶対に飛ばない。第一、飛んでも地上絵は見えない。霧はすぐに晴れる時もあれば、午前中いっぱい続くこともある。冬にナスカを訪れるツアーで、遊覧飛行をあきらめて帰ってくるツアーは、決して少なくないので要注意だ。

そういった意味では、このツアーは、ナスカで2泊取っており、慎重につくってあった。

同じ地球の上とは言え、日本からすれば完全な地球の裏側。たどり着くには多大な時間を要する。ようやくやってきたペルー。ナスカ、マチュピチュ、クスコ・・・お客さんの希望が膨らむ一方で、「もし見られなかったら・・・」という不安も膨らむ。そんなすべての思いを、彼女があたたかく包みこんで、時には盛り上げ、時には和らげていた。

昼食をゆっくりとって、時計は午後1時半。すべての観光は終えている。でも、まだホテルにチェックインできる時間ではない。

「私がいつも行っているスーパーにみなさんをご案内しましょう!」

この時代、現地のスーパーやデパートへの案内が流行りだしていた。特に女性客には大人気だった。しかも、ペルーの食材の種類の多さは半端ではない。総菜は、ツアーには食事がついているから、お求めになっていないが、気になる果物や飲み物などは購入されていた。

「このスーパーでは、ジャガイモは全部で4種類あって、お肉の付け合わせ、シチュー・・・料理によって使い分けるんですよ。このトマトはね・・・。」

パワフルに、そして楽しく説明しているうちに、あっと言う間に時間が過ぎた。やがて、中心部から、少し離れた中型のホテルにチェックインした。ここで、お客さんからあらためて質問がきた。これまで訪れた観光地、お土産屋さん、レストラン、そしてホテルも、周りを有刺鉄線のついた塀で囲まれており、頑丈な鉄の扉があり、その中に建物があった。そのことについてだ。

「残念ながら、リマは治安が悪いのです。安全を確保するのには、これくらいは必要なんです。」

一瞬、シンとするお客さんたち。

「脅しではありません。私も、このペルーに来る前に、いろいろなところに行きましたけど、住んでみて、リマの怖さを知りました。」

 

急に落ち着いた口調で、話し始めた。

「去年、危険な通りを夜にタクシーで通ったんです。車の中だからと安心していました。そうしたら、信号待ちしている時に、いきなり窓ガラスを割られたんです。ハンドバッグを取られそうになったので、必死に抵抗しました。・・・結局取られてしまいましたが・・・・少し落ち着いてから、右手の人差指に激痛を感じたので確かめてみたら、指の第一関節が、ありえない方向に曲がっていたんです。いや、曲がっていたように見えたんですね。」

人差し指を上げて、自分の近くにいるお客様たちに見せながら続けた。

「折られたのではなく、切られていたんです。おそらくナイフでスパっと。繋がっていたので、曲がったように見えていたですね・・・病院に行って繋げることはできたのですが・・・これはその時の傷なんです。」

 

ざわめくお客さんたち。僕もかなり驚いて、じっと見つめていたのだろう。視線に気づいたM田さんは、みなさんに見せていた右手の人差指の先を左手で隠した。

2021年1月12日。僕にとっては、大衝撃的なニュースがメディアを駆け巡った。

「年内に一定水準の人口免疫や集団免疫を達成できないと予想する」

2020年大晦日に初の千人超え、その後間もなく二千人超え、首都圏に始まり、次々と拡大されていく緊急事態宣言。まったくいいことがない。その中でも、このWHOの発言は、特に衝撃的だった。

 

まだ1月だ。それも、半分も過ぎていない。あと1年、この状態が続く可能性が強いと思った時、僕の心の一部に、ヒビが入る音が聞こえた。WHOは組織の性質上、純粋に感染に関することだけコメントして、それに影響される政治や文化活動などについては、触れないことが多い。

しかし、これを扱うテレビニュースやネットのコメントでは、オリンピックの開催について上記のニュースを結びつけるものが多かった。

 

オリンピック開催については、困難だと思いながら、僕の中には願望がある。いや、あったというべきか。

開催されるということは、日本と諸外国の間で、人の往来が発生するということだ。「そんなところにまで到達できるのか?」と懐疑的ではあったが、それが可能になれば、海外添乗再開の道筋が見えるような気がした。だが、選手を含めた関係者のワクチン接種優先くらいの策しか表に出てこない。それでも願望が消えないのだ。心の中では、それ以上の絶望感を感じている自覚があるのに、自分をだましている。

「夢を見るのもいいかげんにしろ」と思う方もいるだろう。しかし、愛すべき本業を失い、いつ再開されるかもわからずに時を過ごしていると、僅かなものにでも大きな希望をかけてしまうものだ。これまで似たような状況の人を見て、「現実を見ていない愚か者」と、心の中で蔑んだことがあったが、今ならわかる。どうしても、気持ち的に捨てられないものがある。

 

しかし、このまま2022年になるまでは待てない。これまでは、国からの支援金をいただきながら、いつ海外旅行が再開されてもいいように、短期的に収入を得られるものを見つけてきた。これからは、ある程度長期にわたって収入を得られる仕事を見つけなければいけない。添乗の仕事に戻ると決めているとはいえ、常に懐が気になる状態では、気分的にも滅入ってしまう。見つかるかなあ・・・。それでも生き残らないといけない。

 

コロナを気にし過ぎなのか、最近、変なことが多い。

ある朝起きて、倦怠感を感じるような気がして熱を計ったら、実際は平熱よりも低かった。「逆コロナかよ!」と、自分で突っ込んでしまった。

ある時、自分がコロナだったらどうしようと、カフェでコーヒーをいただいきながら心配していたら、「うわー、今日はコーヒーの香りがよく感じるなあ、美味しいなあ。ん?美味しいってことは、コロナじゃないか。」と、自分で突っ込んでしまった。

ある日、味も香りもなにも感じず、「やばい・・・やばい、やばいやばい!」と焦ったら夢だった。動揺して目覚めた自分に「夢かよー!」と突っ込んでしまった。

 

ちゃんと対策はしている。接触している人間は限られており、彼らの中にも発熱などの体調異変を訴えている人はいない。検査も受けた。今のところ、コロナでない確率は高い。

 

体だけでなく、自分の心も管理しなければ。「心のコロナ」にも気を付けよう。

お客様の耳のことは、お友達も気づいていなかったようだ。

「あなた、何を聞いてたの?ちょっと変な時あるわよ。ツートンさんが、一生懸命話しているのにトンチンカンなこと言ったり怒鳴ったり。」

「マスクを外してお話したら聞こえますか?」

と、僕が尋ねると、ようやくお友達も気づいた。

「そういうこと?・・・あれ?でも、私と部屋で話している時は、マスクしてても普通にお話できるのに。」

「え?」

僕は、お客様を見つめた。二人は、ふだん同居でしているわけではないので、お部屋でもマスクを外さずに会話をしているとのことだった。

「部屋の中では、まわりの音がないから聞こえるのよ。それと、女の人の声のほうが聞きやすいの。あなたの話は、バスに乗ってる時も聞き取れる。」

「ああ・・・そういえば、今までの添乗員さんは、みんな女性だったわね。」

「周りの雑音ばかりが耳に入って、肝心なものを聞き取れない」、「男性の太い声は割れて聞きにくい。女性の声のほうが聞き取りやすい」という声は、ご年配のお客様から時々聞こえてくる。そういうたいていの方は、「いろいろ聞き返してしまうかもしれないけど、よろしくね。」とお断りを入れてくる。

 

「私も、なにか食べるものを取ってくるわ。」

その場から離れたかったのか、お客様は席を立ってフードカウンターに向かった。

「長い付き合いだから、耳が良くないのは知っていたけど・・・でも、会話に困ったことはなかったのよ。男性の声だって、前は問題なく聞き取っていたと思うわ。」

「お友達様は、僕の話を聞けているでしょう?レストランはどうしてお間違えになったのですか?」

「あれね・・・ツートンさんが、ホテルに入ってレストランの方向を教えてくださったでしょ?その時、私トイレを我慢できなくて、彼女に案内を聞くのをまかせてしまったの。たぶん、あなたの話が聞き取れなくて、身振り手振りだけ見て、適当に判断しちゃったんだわ。」

「なるほど。・・・でも、ホテルに入る前にお渡しした案内には、レストランの名前を記載しておきましたよ?」

「そうなのよ。私も、それを見ていたの。レストランの名前も覚えておいたのよ。ロビーで、分かれ道があったでしょ?そこで『夕食のレストランの名前はこっちに書いてあるわよ』って言ったのよ。でも、彼女が『見間違いじゃない?ツートンさんは、こっちだって言ってたわよ。』って。そう言われたら、私もそうかなあって。」

「案内を見直せばよかったのに。」

「お部屋に置いてきちゃったのよ。」

「レストランの人は、入る時に『ここでいいか』確認したって言ってましたが。」

「そこは彼女が話して、『ここでいいはずだ』ってことになっちゃって。予約は入っていないけど、席は空いてるから入れてもらえちゃったのね。」

「予約されていたレストランの名前はおっしゃらなかったのですか?」

「恥ずかしいことに・・・ここに歩いてくるまでに忘れちゃったの・・・。」

「あの方は・・・あれだけ『カニ、蟹!』って騒がれていたのに、その時はカニについては何も仰らなかったんですか?」

「仰らなかったのよ。その時に限って。・・・私は、カニにだわりないし、別にここでも良いのだけど。飲み放題ならなおさらね。」

僕は、深く呼吸しながら苦笑いした。「間違いが起こる時には、止めようもなくこうして起こる」という典型的な例だった。迎える側が、どんなに注意確認しても、悪い意味ですり抜けていってしまうことはある。

 

お客様が戻ってきた。

「マスクを外してもらっただけで、こんなに聞き取りやすいものなのね。口の動きが見えるだけで、全然違う。」

いつか、海外ツアーの仕事で、聴覚障害のお客様が読唇術を心得ていたことを思い出した。障害の有無に関わらず、案外、ふだんの僕らも会話時には、無意識に口の動きを見ているのかもしれない。

「でもお客様、聞き取れない時は、ちゃんとご確認くださいね。」

お客様の状態に、なぜここまで気付かなかったのか、よく考えて申し上げた。普通、聞こえない方は、納得いくまで何度も聞き返してくる。ところが、この方は、これまでただの一度も聞き返しがなかったため、この方なりに理解していたと、僕は思い込んでいた。聞こえないように見えなかったのだ。

自分勝手な思い込みと捉えていたものも、「聞こえてきたものをつなげて、一生懸命理解しようとした」と思ったら、少しは怒りがおさまってきた。お友達は、

「そうよ。聞こえてないのに、あんなにツートンさんを怒鳴ったり叱責したりするのはよくないわ。あなた、みんなから嫌われてるわよ。『話を聞かない、我儘おばさん』だって。今のままだとブラックリストになっちゃうわよ。」

ブラックリストは大袈裟だが、要注意人物としてレポートをあげようとは思っていた。何も知らなければ、それまでの彼女の物言いは、クレーマー以外なにものでもなかった。

この手のお客様は、なかなか謝らないものだ。

「いつもいただいてる案内を、もう少し細かく書いてくれたらありがたいわ。」

照れくさそうに下を向きながら、ぶっきらぼうにそう言った。

「案内はちゃんと読まなきゃだめよ。いつも私しか読んでないんだから。それと、添乗員さんを叱りつけるのは絶対だめ。わかった?」

「分かった。もうしない。案内は、これからはちゃんと読む。・・・ねえ、ツートンさん、カニはもうダメ?」

「当たり前でしょ。」

僕よりもお友達が早くこたえた。カニにこだわりはないと言っていたのに、「あなたのせいで、カニを食べ損ねた」と、嫌味な冗談まで言っていた。

 

次の日の出発前、前日の誓いを破って、お客様は激しい口調で、僕に話しかけてきた。癖はなかなかなおらない。だが、この時は、傍から見たら横柄にしか見えないこの方に、一組のご夫婦の奥様が怒った。

「ツートンさんは、そんな案内はしていません!」

「あなたは、話を聞いていないだけ!」

攻撃的な物言いをする女性も、ツアー仲間から責められると、さすがにこたえるらしく、黙り込んだ。厳しい言葉をほんの一瞬浴びせられた後、僕はすぐに間に入り、奥様に前日のことを話して、これ以上責めないように頼んだ。

「そういうことなの?」

奥様は、グループの中でも僕のことを贔屓にしてくださっていたので、落ち着いて話を聞いてくださった。

「聞こえないそぶりを見せないから分からなかったわ。」

話し方には、多少の同情が見えたが、彼女を見つめる目は厳しかった。

「ツートンさんがそう言うなら、それでけっこうです。でも、それなら彼女の、あの物言いをなんとかしてください。ご存知でしょう?本当にみんな不愉快な思いをしてるのよ。」

確かにその通りだった。僕は、お客様に近づいて、前日のうちに書いて用意していた、この日の流れや注意事項をお渡しした。

「バスの中でお話する案内の内容です。これさえ手元にあれば、今日は不自由しません。どこの案内か分からなかったら、その場その場で聞いてください。それと、さっきみたいな怒鳴り口調はもうだめですよ。皆さん、びっくりしますから。」

彼女は、頷きもせず、無言でそれを受け取った。「よく聞こえないこと」を他の方に教えるのは、ある意味個人情報保護の点で問題と思われる方もいらっしゃるかもしれないが、この場合は、個人情報よりも、その方のツアーにおける立場を守るほうが優先だった。

 

その日は、ツアー最終日だったが、珍しく怒号が飛ばずに一日を終えて、千歳から帰りの便に乗るに至った。問題児だったお客様は、最後まで一言も僕に謝りはしなかったが、お友達も含めて、周りに誰もいない時に一言だけ言った。

 

「最後の日のメモはありがとう。助かりました。」

そして、前日に食べられなかったカニを空港でお求めになったのだった。

 

正直、最後までムカつくお客様ではあったが、最後のお礼は、その後の仕事でのヒントとなった。

マスク着用で口頭案内するようになってから、確かにお客様からの聞き返しの多さが気にはなっていた。よくよく考えてみると、マスク着用中は、口の動きが見えないだけではない。口を大きく開けるとマスクがずれるから、大声を出せず、口も開けずに話しているのだろう。マイクを使ったバスの案内も含めて、話し手の想像以上に、聞き手にとっては聞き取りにくいのかもしれない。

僕は、字が極端に下手でコンプレックスがあるので、海外添乗中の書面案内は、パソコンで打つようにしていた。しかし、国内の添乗は準備に忙しく時間がないため、最低限の案内だけをメモにして、大半のことは口頭で案内していた。

その結果、聞き返しが多いという状態をつくってしまっていたが、「字が下手でも、聞こえなければ読んでくれるだろう。聞き返しは、聞いてくるほうにとっては意外にストレスかもしれない。」と考えを改めて、情報を、ことごとく文字にするようにした。

実は、僕の国内添乗におけるお客様の評価は、海外時に比べて著しく低かった。だが、この作業をやり始めてから、現時点まで2本ツアーをこなしたが、それまでとは違う高評価になっている。3回目以降は、コロナ禍が悪化してしまったため、まだ試せていない。

コロナ禍における、より分かりやすい案内は、口頭よりも書面であることを見つけた出来事だった。

 

これは、海外が再開してからもそうなっている可能性が高いから、より分かりやすい書面案内を研究しておこう。

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