マスター・ツートンの仁義ある添乗員ブログ

自称天使の添乗員マスター・ツートンの体験記。旅先の様々な経験、人間模様などを書いていきます。

こんにちは。海外添乗員のマスター・ツートンです。天使の添乗員です。

長年している海外添乗員という仕事の中で、経験したことを、ドキュメント小説風にシリーズとして書き上げていきます。

海外旅行好きの方、旅行や添乗のお仕事に興味のある方は、ぜひお立ち寄りください。時には、旅の情報も載せますよ。

コメントはお気軽に。返信は必ずします。ただし、誹謗中傷や内容に関係ないものは、ただちに削除いたします。

※黄色いベスト運動

20181117日(土)から断続的に行われているフランス政府に対する抗議運動。燃料税と自動車税の引き下げ、最低賃金の引上げ、農村部の行政サービスの改善、緊縮財政政策の中止、マクロン政権の退陣などが目的とされている。抗議としてのデモパレード、バリケードの設置、暴動、速度違反自動取締装置の無力化などが、運動手段として挙げられるが、僕ら旅行者にとって一番の被害は、交通の遮断と妨害だった。高速道路の出入り口や料金所、一般道のロータリーに陣取って、移動の妨げになった。なお、運動名については、参加者が黄色のベストを着用していたことからそう呼ばれている。

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ロータリーで渋滞の原因になっていた黄色いベスト軍団。このツアー中に撮影した。 

 

黄色いベスト軍団について、アルルからポン・デュ・ガールへの移動までは、ガイドさんのアドバイスによるルートで、最低限の被害で済んでいた。だが、アビニョンに向かうまでのルートでは避けようがなく、あちこちで捕まってしまった。田舎の、観光客以外ろくに通らないような道路のロータリーごとに

多くの人が集まって、いちいち車を止めて気が済んだら通すという、こう言ってはなんだが、子供遊びの「とおせんぼ」レベルの悪戯のようなことを繰り返していた。思い出してもイライラする。

 

「ポン・デュ・ガールに立ち寄ったら、アビニョン到着は、予定の1時間遅れくらいじゃ済まないかもしれませんよ。デモの初日ですから、参加する人たちも気合入ってるでしょうし。それでもいいですか?」

 

と、現地手配会社の担当者からは言われていた。そこは僕も考えて回答した。

 

「かまいません。入れてください。」

 

この日、元々予定されていた観光で、最も面白いのがアルルの観光だった。市内観光にローマの円形闘技場の入場観光を加えて、さらに内容を充実させた。アビニョンも素晴らしい街だが、どこの入場観光も含まれておらず、街歩きだけの観光予定だった。それだと、面白さという点ではアルルには及ばない。だから、代替観光を利用して、巨大な水道橋ポン・デュ・ガールを入れることで、この日の観光に対するお客様の満足感は満たそうとした。アビニョンの観光は、仮に暗くなってからでも、ライトアップされている旧法王庁などの周辺を軽く散策すれば問題ない。・・・と踏んでいた。

 

その読み自体は間違っていなかった。が、これだけデモによる妨害に遭うとも想像できなかった。手配会社の助言は、単なる脅しではなかったというわけだ。ポン・デュ・ガールには多くの観光バスがやってきていた。ロータリーがある度に、5、6台のバスの渋滞ができる。一台につき、2、3分から10分くらいの足止めされてから通過していく。ポン・デュ・ガールから幹線までは、いくつかロータリーがあったから、その数の分だけ渋滞が発生した。

そのうち、前後のバスに比べて僕らのバスに対するデモ参加者の接し方が優しいというか、甘いことに気づいた。

「みなさんのドライバーさんは、素晴らしい方ですね。相手のテンションに合わせて、うまい具合にデモ参加者たちをかわしてます。とても上手。しかもイタリア人ですね。このバスもイタリアナンバー。こういう時は、自国のナンバーに比べると外国ナンバーのほうが甘くしてもらえます。だから、前後のバスに比べると拘束が緩いんですよ。フランス人のドライバーだったら『なんでお前はこっちに参加しないんだ!』とか言われちゃって大変なんですよ。」

 

「ガイドさんナイス!」と、僕は、心の中でつぶやいた。

こんな時に、フランスで仕事をしなければいけない外国人ドライバーにとって、きっと励みになる言葉が含まれていた。僕は、彼女が日本語で言っていることを、マッシモに英語で伝えた。お客さんも周辺を見ながら「ふーん」という顔をしていた。車内が和やかな雰囲気になった。

 

とは言っても、一瞬の話だ。いいかげん、いつになっても消えない黄色いベスト軍団に辟易してきた。日が暮れて寒くなってくると、ロータリーの真ん中で焚火などしていて、さらに雰囲気が悪くなってきたような気がした。そんな中、ようやくアビニョンに到着できたのは、予定よりも1時間半遅れの5時だった。パンフレットに書いてある通りの散策観光をこなして、モノプリ周辺で短い自由行動をとった。最後の日用品チェック、また、この日は、夕食が含まれていなかったので、部屋食用に食物をを購入された方もいらした。

 

一度ホテルに入ったのが6時半。ホテルは、旧市街の入り口にあり、しかも警察署までは歩いて2分の好立地だった。すぐにロビーに集合して警察に向かう。観光とデモでお疲れの様子のお客様だが、どなたも文句ひとつおっしゃらずに集まっていただけた。

 

今度こそ・・・今度こそ書類を発行してもらって前進しよう。今度は、ガイドさんがいるし言葉の問題もないはずだ。期待感を持って署の入り口の前に立った。ところが、警察の受付には人が見当たらない。勝手に中に入ることもできない。焦って呼び鈴を何度か鳴らすと、ようやく若い男性警官が出て来て、中に入れてもらえた。お客さんには、ロビーの長椅子にかけてお待ちいただいた。

 

僕とガイドさんだけ応接に通してもらって、事情を説明した。彼は、無表情で何度か頷いた後、僕らに告げた。

「今日は書類の発行はできません。」

翌日、どんよりとした曇り空が、少し明るくなった7時半に僕らはホテルを出た。

カルカッソンヌでは、なぜか夕食と宿泊だけの手配だった。世界遺産にもなっている城塞の中にある旧市街を、少しは見せてあげたいと、少々の葛藤を感じながら、僕は街を後にした。

出発して30分もしないうちに、空が青くなってきた。ずっと曇天続きだったから、この晴天は嬉しかった。やがてバスは、最初の道路料金所に差し掛かった。

「あ・・・これのことか。」

そこには、黄色いベストを羽織った数十人の人々が、通過しようとする車を止めて、言葉をかけていた。マッシモも窓を開けて二言、三言会話を交わして通り過ぎた。

「あの程度?それで一時間も早く出なきゃいけなかったの?」

「一か所だけ見れば、あんなもんさ。でも、一日中、それも国中であれをやるんだ。この時間(朝の八時前)は車の数が少ないから、今みたいにすぐに通れるけど・・・まあ、夕方になればわかるよ。一時間早く出発した意味が。・・・でも、ポン・デュ・ガール(ローマ時代の水道橋)にいかないといけないんだよな。」

マッシモは、最後にぼやき、ため息をついた。

 

前日の夜、東京の担当者への報告の中では、ほぼすべて、僕のリクエストが受け入れられた。警察書類の入手から帰国までの段取り、そして残りの旅行を少しでも楽しんでご満足いただくための手段をラインでまとめて、さらにそれに必要な事柄を添えて送付した。

送信時間が、土曜日の日本時間朝5時だったにも関わらず、担当者の反応は素早かった。上層部の許可が必要な金銭面以外のものは、すべて問題なしと判断してくださり、「おそらく、今ツートンさんが仰ってる以上のものをご用意できると思います。とにかくお客様に不便がないように。」という助言までいただけた。おかげで、僕は現地で思い切って、いろいろ行動できた。

 

まだ、なにも解決していない状況ではあったが、ある意味ついていた。担当者が、なにもかも上に確認するタイプではなく、「この辺りまでは、自分の判断で許可を出して事後報告でも問題ない」という決断力を持っていたこと、急に手配延長を依頼したガイドのスケジュールが空いていたことと、彼女の人柄、そして辛抱強いドライバー。車上荒らしに遭ったのは最悪であったが、どんな最悪の中にも「良」的要素はあるものだ。それらを生かして、「最悪の中の最良」を目指した。

 

前の晩に連絡を取ったガイドさんには状況を説明しておいた。アルルの街の入口で待ち合わせてから、最初でのあいさつの中で、丁寧なお見舞いの言葉をいただき、「荷物を盗られて、日用品が必要な方は、この街(アルル)のショッピングセンターと、アビニョンのモノプリで買うことができるからご安心ください。」などのお客さんの心配事を和らげてくれる案内をしてくれたので、とても助かった。

観光エリアから少し離れたレストランでランチを終えて、短い距離を、ドライブしながら、少し遠回りをして警察の前を過ぎた。

「やはりデモ対策で、署内に人がいませんね。警察書類の作成はアビニョンにしましょう。」

ガイドさんは、少し残念そうに言った。彼女の家はアルル市内だ。もし、書類をここで仕上げることができたら、当初の予定通り、アルルの市内観光だけで仕事を終えることができた。本来なら昼食後に待ち合わせのところを、昼前に待ち合わせたのも、警察に立ち寄る段取りをしたかったのだろう。

観光は、スムーズに楽しく進んだ。アルルは偉大な画家ゴッホ所縁の場所は多いし、美しい教会はあるし、闘技場をはじめとした立派なローマ遺跡もある。元々の手配では、アルルの闘技場の入場観光は、含まれていなかったが、ここを代替観光のひとつに加えて入場した。

 

いやらしい言い方に聞こえるかもしれないが、追加手配で加えた部分、特に予算を使ったところでは、きちんとそれがお客さんに伝わるようにご案内する。前日の「ペルピニャンの代替観光として」ということも、きちんとご理解いただかないといけない。この後訪れるポン・デュ・ガールについてもそうだ。

元々予定されていたペルピニャンの観光は、旧市街散策と教会の外観だけの見学で、支出なしの予定だった。トラブルがあっての代替観光とはいえ、二か所の有料入場観光を含めたことは、それが小さな金額であっても、旅行会社の誠意だ(当時の料金と為替レートで、両方合わせて一人当たり1,500円くらい)。誠意は伝えなくていけない。もちろん、その場でのお客さんの反応は、それほどでもない。寧ろ「これくらい当たり前」のような雰囲気だ。

大切なのは、今ではない。数日経ってからだ。今日、警察書類が揃ったら、大半のお客様は気持ちを切り替えて、旅行に集中できるようになるだろう。心に傷を残しながらも、気持ちが良い方向に向き始めた時、お客様はいろいろ思い出し始める。その時、特別に手配された二か所の入場観光のことも、きっと思い出される。「結局、闘技場に入れたし、ローマ時代の大きな水道橋も見られたね!」とういう具合に。些細なことでも、挽回はこういうことの積み重ねだ。当然、旅行そのものが、この後うまくいくことが必要最低条件である。

 

このツアーに限っては、思ったよりもお客さんの反応がよく、闘技場と水道橋(ポン・デュ・ガール)の観光は、とても喜んでくださった。その場だけの気持ちの切り替えの方も多かったと思うが、少しでも気持ちを前向きに明るくしたいという、案内する側の気持ちは届いたようだった。また、アルルのショッピングセンターで、化粧品や下着類、髭剃りなどの日用品を今度こそ揃えられて、ストレスも軽減されていた。とりあえず、この時点までの丁寧な対応は実りつつあったと言えるだろう。

 

アルルの観光を無事に終えて、ポン・デュ・ガールの水道橋の圧倒的な迫力に感動して、いよいよアビニョンへ向かう。ふだんなら3040分の道のりだ。だが、そこに水を差したのが、黄色いベスト軍団だった。

いつかこんなとこを、きっとまた案内する。ハルダンゲルフィヨルドで見られた見事な映り込み。
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今日は、とある旅行会社のオンライン・イベントのリハーサルだった。

旅行会社が主催するイベントを手伝いに行ったことは、何度もあるが、リハーサルなんて初めてだった。コロナ禍で実用が広まったズームを使ったものなのだけど、行ってみて納得。確かにリハーサルは必要だった。パソコンやスマートフォンでの映り方の違い、画像の見え方、動画の鮮度などチェックするべき点が多い。一時間程度の時間に収めるために、トーク内容にも様々な調整を加えなければいけない。

逆の言い方をすれば、通常の旅行イベントに比べて準備に手間をかけている分、参加される方も効率的にいろいろ学べるかもしれない。

 

22日に開催されるが、ネットとはいえ定員制でほぼ満席。欧州は、コロナの第二波の影響を受けていて、この日のテーマの北欧もそれは同様。現時点で、とても旅行できる状態ではない。それでも、旅行会社は、アピールする。「いつその時が来ても準備ができています!」と。

ただし、やみくもに旅行を勧めるだけではない。きちんと、現地の感染状況を伝えながらのアピールだ。

 

この前、国内添乗をするための研修を受けたが、実際にギャラが発生する仕事としては、3月に最後のツアーから帰国して以来、今日のリハーサルが初めてだった。北欧の画像や地図を見ながらの解説にはワクワクしたなあ。自分の居場所は、やはり海外添乗の現場なのだと、心から思った。実感した。

 

きっとその日はやってくる!

 

そんな思いをこめて本番を頑張ろう!
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クローデレン湖の空の映り込み。スマホの人は、逆さにしてみると面白い。違和感なくてびっくりです。
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ネーロイフィヨルドで見られた滝。風を受けて、天女の羽衣がなびいているように見える。
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フィヨルドエリアからオスロに向かう時に立ち寄るヴォーリングの滝。落差180mを轟音を立てて水が落ちていく。大迫力。

カルカッソンヌへ移動を始めた。11月中旬の欧州は、夕方5時を過ぎると一気に暗くなってくる。走り出して30分もすると、景色が見えなくなってきた。その代わりに、これから自分のすべき事と、その順番が見えてきた。僕も、だんだん冷静さを取り戻しつつあった。

 

めげてる暇はない。しっかりと頭の中が整理できたところでご案内だ。

「先ほど、警察署でお待ちいただいている間に、みなさんには盗られた物のリストを作っていただきました。それを今一度見直してください。カバンを丸ごと盗られた方などは、思い出せるものだけでけっこうです。帰国後に思い付いたものでも、保険手続きする前なら、リストに追加できます。まずは大きなものから思い出してください。だいたいでけっこうですから、金額も書いてください。」

「大きなもの・・・。」

「そうです。例えば、私もキャリーバッグを丸ごと盗られました。私物は、2万円の眼鏡、書籍が約8千円分、音楽CDが1万円くらい、それとキャリーバッグそのものが1万5千円くらい。合計で約5万円です。最終的な審査は保険会社が行いますから。なんとなくでけっこうです。ご夫婦で保険証書が別になっている場合は、証書ごとにおまとめください。書き終えたら、一度私にお預けください。会社への報告に使わせていただきます。」

案内の途中から、お客さんの雰囲気が変わった。僕の話を聞きながら、リストを見直す時に、皆さんは読書灯をつけていたので、暗いバスの中でも、なんとなく表情が分かった。僕は近くのお客様に問いかけた。

「あの、私の話の中になにかありましたか?」

「いや・・・あんたも、そんなにやられたのかってびっくりしたんですよ。」

「ああ・・・難しいですね。基本的には、現金、パスポート、クレジットカードや高価なカメラなどが貴重品として扱われますが、実際に盗られてみると、貴重でないものなどありませんね。」

ほぼ全員のお客様が頷いていた。

「会社への報告後ですが、その後なにかしらのフォローはあるのですか?」

パスポートを盗られた方のうちのお一人が、やや厳しい口調で問いかけてきた。

「おたくの会社の手配で、これだけの被害が出たのですから、保険の手続きなど、参加者の手を煩わせずに補償してくれてもいいんじゃないですかね。皆さんそう思ってますよ。」

バス全体に聞こえるほどではないが、ある程度大きな声での発言に、一部の方は肯定的な表情で頷いた。ちょっと嫌な感じだな・・・と思ったところで、すぐに別の男性客が反応した。

「私は、そこまで求めてませんよ。」

また周辺の空気が少し変わった。

「私はパスポートや現金などの貴重品は失ってませんし、基本的な保険ですべてカバーできます。警察での書類がいただければ、それ以上は必要ありません。過度なフォローはけっこうです。」

その言葉に対しても、先ほどとは違う方々がたくさん頷いていた。前回も書いたが、被害を共有していても、被害者意識に関しては、共通したものを共有しているわけではないということを、僕はこの時点で確信した。こうなって怖いのが、意見の違いによるグループ内での対立だ。

 

「皆さん、いろいろなご意見とご協力ありがとうございます。会社がどのように動くかは、この場では申し上げられません。貴重品の案内についても、書面とツアーの最初、そして今朝出発する時には申し上げましたが、昼食の時は、確かに申し上げませんでした。不要なものは車内に置いていっていいともご案内いたしました。ただ、今は、その検証ではなくて、警察発行の書類を手に入れて、旅行に必要なものを購入して、少しでも、旅行が楽しめるような環境を取り戻すことが第一です。今回は、全員が被害者ですから、『自分のためだけに皆さんを巻き込んでしまう』ということもありません。今の時点では、この件で私が申し上げることは、すべてのお客様に当てはまりますから、どうかお耳を傾けてください。当然、会社から対応がある場合は、被害の大きさによって個別対応になると思います。それは、もう少し具体的になったからの話ですから、どうか今は、私が申し上げることに対してご協力お願いします。」

 

とりあえず、この案内で全員収まってくれた。

 

ホテルに着いた。立地には優れており、世界遺産であるカルカッソンヌの城塞すぐそばのホテルだった。予定通りの観光ができなかったお見舞いに、城塞のライトアップを楽しめる散策に案内しようと思った。

「ホテルそばの橋は歩行者専用でいい散歩道です。時代は忘れてしまいましたが、城塞とある程度の期間、歴史を歩んでいる石橋ですから、きっと思い出に残りますよ。向こう側に見える車が走っている橋まで行きますと、城塞のパノラマをご覧いただけます。すぐ近くですから、ご自身でいらしても問題ありませんが、よかったらご案内します。ご一緒しましょう。」

「行ってみようかな」という雰囲気が大半を占めていた。

「こういう言い方はなんですが、まさかそれが代替観光ですか?」

「そういうつもりは全くありません。この立地ですから、トラブルなど関係なしにご案内したいと思います。」

 

なかなか質問が厳しい。それでも、案内はしてみるものだ。嬉しいことに、20人中12人がいらしてくれた。先ほど、バスの中で間接的に対立した2人もいらした。参加されなかった8人も、それぞれ、僕の情報通りに散策したらしい。カルカッソンヌ城塞のライトアップは、美しいのだ。きっと、イライラしているお客様の心を、癒してくれるに違いないと思っていた。そして、やはり皆さん、それなりに愛でている。いくら旅慣れていても、美しいものには感動するものだ。

車内で、補償を求めてきた男性客とその奥様に声をかけた。

「今晩は、案内に乗っていただいてありがとうございます。」

「いえいえ。ああいうお薦めには乗るようにしてるんですよ。私らだけではここまで歩こうだなんて思いませんし。きれいな物を見せていただいてありがとうございます。ま、これとトラブルは別ですから。最後までよろしくお願いします。」

この方は、面白くないことがあったら、なんでもかんでも否定するのではなく、きちんと意識を頭の中で分ける方のようだ。癇癪を起すことはなさそうだが、完全にご納得いただくのも大変そうだと思った。

 

部屋に帰った僕は、すぐに具体的な被害状況と、事件に流れを、日本の担当者と手配会社に説明して、現場にいる者としてリクエストを出した。

「明日の観光は、アルルにガイドがついていますが、それをアビニョンまで延長してください。警察書類の発行は、アビニョンになると思います。その際、また英語が通じなかったら、大変なことになります。それと、代替観光は、元々の行程に含まれていなかったアルルの闘技場の入場と、近郊にあるローマ時代の水道橋ポン・デュ・ガールを入れてください。」

 

自分の中では、そこさえなんとかしてくれれば、ツアーを形にできると確信できる、大切なリクエストだった。

警官が来てくれないとなると・・・。


パスポートを失った方がいるということは、大使館で再発行などの手続き上、警察発行の書類が必要になるから、絶対にこちらから出向かなければいけない。他の方で、被害額の小さい方は、僕が作成する現認書だけでもなんとかなるかな・・・。

いや、甘い判断はやめよう。20人全員が被害者なのだ。ここは、しっかりと段取りを組まないと、後々大変だ。パスポートの問題を除けば、本格的な手続きは帰国後になる。その際、保険会社からなにか書類を求められて、お客様の手元にそれがなかったら、仮に審査を通るとしても多大な時間を要することになる。

「後回しにしないほうがいいい。今すぐ警察に行こう。」

マッシモが提案した。

「私も、いますぐ行ったほうがいいと思います。後になるほどデモの対策で忙しくなるはずですから。」

レストランのスタッフもそう言ったので、従うことにした。レストランの駐車場で起こったことなので、店の危機管理も問いたいところだが、この場で片付く話ではないので、ここでは深入りしない。

「アドバイスありがとうございます。後で現地手配会社から連絡ありましたら、対応と報告をお願いします。」

と、含みを持たせた挨拶をして、僕はレストランを後にした。とりあえず、出すべきものを出してもらって、早く観光に戻らねば。パスポートを盗られた方は別にして、それ以外の方は、早い対応ができれば、お客様の気持ちを早く旅行に戻すことができるはずだ。少しだけでも心の傷口をふさぎたい。

 

ところが、こんな時ほど物事はうまくいかない。まず、警察では散々待たされた。マッシモに列に並んでもらって、その間に僕は、お客様全員を近くのショッピングセンターにご案内した。中には、日本からスーツケースを持参せず、車内に持ち込んだカバンやキャリーバッグが全てという方もいらした。そのような方には、最低限の着替えだけでもお求めいただかないといけない。

「明日のアルルや、アビニョンでもお店はあります。無理して購入せず、最低限必要なものだけをお求めください。なお、保険申請用にレシートは絶対に紛失しないでください。丁寧な領収書でなくても問題ありません。」

 

そうこうしながら警察に戻り、到着後1時間半経ってから、ようやく僕らの順番が回ってきた。よし、ここから・・・というところだったが、ここで言葉の問題が発生した。警官に英語を話せる人間が一人もいなかったのだ。僕も、イタリア人のマッシモもフランス語を全く話せない。マッシモと警官が、お互いのスマートフォンに入っていた翻訳アプリでやりとりを始めたが、どう見てもなにも進んでいない。

僕は、現地手配会社の日本人スタッフに連絡をして、通訳を頼んだ。添乗員としては、恥ずかしい依頼だったが、背に腹は代えられない。最近は、フランスでもよく英語が通じるようになったが、観光地であっても田舎の警察では、まだまだそういう環境にはなっていなかった。マッシモも、ドライバーとしては申し分ないが、地元のドライバーでないと、こんな時に不利が生じてしまうのかと、後々嘆いていた。

「警官の方がおっしゃるには、電話で通訳をしながらの書類作成は、時間がかかり過ぎて、今日は難しいそうです。他にも待ってる人がたくさんいるから、別の警察署でやってくれないかと言われております。」

手配会社の方が言うように、確かにやたら問い合わせの列が長い。明日、デモが始まったら、さらに対応してもらえなくなるということで混雑しているらしかった。それほど問題の多い街なのだろうか?

 

冷たくも、警官から完全に作業を拒否されて、僕らは警察を後にした。2時間もいて、なにも進んでいなかった。だいぶ遅れてしまったが、せめて観光だけは済ませないといけない。そう思ってバスに向かって歩いている時、マッシモが言った

「ツートン。もう時間が遅い。この街(ペルピニャン)の観光を飛ばそう。」

「え?だめだよ。観光は、お客様との契約だ。観光を飛ばしたら、僕らは違約金を払わないといけない。」

「そういう日本の法律は聞いたことがある。でも、緊急の場合は、代替観光で済ませることもできるんだろう?日本の添乗員から教えてもらった。」

「飛ばす理由はなんなんだ?まだ、そこまで時間的に追い込まれてはいないよ。」

「明日、俺たちの予定表では、ホテルを8時半に出発することになっている。それを7時半に出たいんだ。」

「なぜ?」

「大規模デモだ。君は欧州のデモをよく知らないかもしれないが、フランスは特にすごいんだ。高速道路の出入り口、一般道のロータリーをふさいで、何もかも巻き込む。明日は、一時間早く出ないと、大変なことになる。」

「手配会社に電話して確認する。」

「俺を信じろよ。何度もデモでひどい目に合ってる。それで、今、ペルピニャンの観光をしてからカルカッソンヌに移動して、ディナー。それからホテルチェックインとなると、到着が夜の9時半を過ぎる可能性がある。そうなったら、労働時間法の問題で、少なくとも8時半まではホテルを出られない。下手したら9時出発になる。」

「・・・そうなると・・・明日の目的地アビニョン到着も遅くなるのか。」

「そうだ。スケジュール的に警察で手続き書類を出してもらうとしたら、明日のアビニョンだ。明日の渋滞は本当に読めない。遅くなったら、アビニョンでも書類をだしてもらえなくなるかもしれないんだぞ。」

そうアドバイスされているうちに、手配会社から電話がかかってきた。

「実は、ドライバーさんと同じことを申し上げようと思ってまして・・・。」

まったく同じ内容を、まったく同じ言い方で説明されたで、断腸の思いで、僕は助言を受け入れた。

 

ペルピニャン自体は、歴史ある素晴らしいところだが、それほど華のある街ではない。だが、旅慣れた方々にとって、スペインとフランスの国境近くにある田舎町は、影の目玉というか、隠し味というか、このツアーでしか訪れることができない、興味のある訪問地に違いなかった。実際にこのことを告げると、ため息や「あー・・・」という落胆の声が聞こえてきた。

 

結果論といえば結果論だ。でも、先に観光をすべきだったと思う気持ちが、僅かにしないでもなかった。僅かだ。ほんの少しだ。「観光という契約を守る正義感」はあったが、警察での手続きができないのであれば、こんなトラブルが起きてしまった街など、早く離れたいという気持のほうが強かったかもしれない。「どこかの代替観光で取り返そう」と、僕は、何度も自分に言い聞かせた。

 

事件が起きて、4時間。不安を少しでも解消するどころか、この時点では、不満をひとつ増やしてしまった。最悪の中でも最悪の状態だった。

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