http://mastertwotone2020.livedoor.blog/archives/14390127.html

(これまでの登場人物は、こちらでご覧ください。)

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-201144日 日本 東京-

「ただいま帰りました。」

震災を終えてすぐ。317日に成田から関空に移動してからイタリアツアーに出発した和泉愛は、17日間に渡る長丁場のツアーを終えて帰国した。翌日の月曜日、無事に旅行会社GTSへの報告を終えて、半年ぶりにドルフィンのオフィスを訪れた。

http://mastertwotone2020.livedoor.blog/archives/14942999.html

(和泉愛の震災直後の出発エピソードは、上URLから入り㉗~㉝まで)

「おー!おかえり!今回のアラスカはどうだった?」

社長の本城が、ずいぶんと勘違いなあいさつをした。

「アラスカから帰ってきて、その後イタリアに行って帰ってきたところです。」

愛は愛で、わざわざ紛らわしい言い方で返し、悪戯っぽく笑っている。

「え?」

「社長、和泉はアラスカのガイド期間が終わって先月に帰国しています。ほら、シアトルからのデルタ航空便が成田に着陸できないで横田基地に入ったでしょう。あの時です。」

「あー!そうだった。悪い悪い。」

苦笑しながら説明する杉戸の言葉に、本城はバツが悪そうな照れ笑いを浮かべた。

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(和泉愛の横田基地でのエピソードはここから入りまで)

「すみません。あの時は、イタリア添乗準備と余震の激しさで外に出られなかったから。こちらに挨拶にも伺えませんでした。」

今度は、素直な物言いで礼儀正しくお辞儀もした。

「いやいや。思い出したよ。大変だったな今回の出発は。現地に着いてどうだった。大阪からのお客さんたちは大丈夫だったか?」

「ええ!ばっちりでした。皆さん優しかったー。」

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あの日、成田に飛んでくるはずのアムステルダムからの便が関空に行き先を変えてしまったため、必然的にツアーの出発も関空からとなってしまった。

そのため、成田発着予定だった客たちは、航空会社が用意してくれたシャトルバスで移動して、関空へ移動することを余儀なくされた。

「帰国時も関空に到着する可能性がある」など、提示されたその後の条件があまりに悪いため、最終的に旅行会社のGTSは、「当日キャンセルをしてもチャージはいただかない方針」を参加客に示した。

その結果、全員がキャンセルしてしまった。愛は単身で関空に向かい、先にイタリアに向かった関空発着の客六人を案内するために飛び立った。

予定よりも半日以上遅れて、翌朝の八時半頃にフィレンツェに着いた。現地の空港では、ガイドとツアー客六人に出迎えられるという、添乗員としては、おそらく二度とないであろう珍しい経験をすることになった。

「おお!よう来たなあ。」

「今日は、ガイドさんが日本人やから、あんたはなにもせんでええで。明日から頑張ってな。」

などと、次々と優しい言葉をかけられた。彼らには、成田発着の客たちが、全員当日キャンセルしたことは知らされていなかったようで、そのことを伝えると、

「気の毒だわあ・・・。」と、心底同情していた。

バスに乗ると、六人の客たちは全員後方に席を取っていた。

「え・・・どうして皆さんそんなに後ろにおかけなんですか?」

ガイドに尋ねたが、笑っているだけだ。

「前のほうのいい席は、関東組に譲ってやろうと話し合ったんよ。かなりしんどい思いをしているはずやから。」

客の一人が声をあげた。成田組が厳しいスケジュールで到着することを考慮してのことだったようだ。

想像していなかった彼らの優しさに、愛は胸を打たれた。

「一人もも連れて来ることができずに、申し訳ありません・・・。」

目を潤ませた愛に向かって、狭いバスの通路を歩いて三人が歩み寄ってきた。

「あんたが悪いんやないで。」

「そうや。あんただけでもよく来てくれはった!これで安心して旅できるわ。」

「今日はもう、私らの人数数えるだけで、ほんまに何もせんでええで。このツアー長いからなあ。無理して倒れたら大変や。頑張るのは明日からにしてや。」

いろいろな声を聞いて、「来て良かったなあ。」と愛は思った。

このモテモテぶりが爆発したのは、この日のディナーの時だ。地震が起こった当時のことを、散々同情された。関西組の客たちは全員、阪神・淡路大震災を経験していた。その被害は、神戸とその周辺ばかりに目が行くが、大阪の人たちも激しい揺れを味わっており、彼らにとって東日本大震災は、他人事ではなかった。

だが、帰国後に余震しか体験していない愛は、そのあたり話を合わせられなかったので、正直に言った。

「私、添乗員の仕事だけでなく、アラスカでガイド活動をしております。あの日は、シーズンを終えてちょうど帰国する時でして・・・実は飛行機の上にいました。地震発生時のことは知らないんです。」

「おお、そうか。それはよかったなあ。もし、成田に着いていたら怖かったと思うで。あれ?でも、その時なら成田には着陸でけへんかったやろ。その時も関空に来たんか。」

「いえ、横田基地に着陸して一泊しました。」

「横田!」

客全員がハモるように声をあげた。

「それはまたすごいなあ!」

話題は、一気に横田基地でのことに傾き、一週間ほど前にした体験を、写真を見せながら説明した。添乗員の珍しい体験は客の心を掴む。横田基地ネタは、それにもってこいだった。これをきっかけに、「横田基地を知る女」、「隊長」、「軍曹」などと時々呼ばれて愛されながら、たった六人で大型バスを利用する贅沢ツアーは、完璧と言う言葉では足りないくらい完璧に終えたのだった。

帰国時、愛は成田空港行きの便で帰って来た。関空発着のグループは、添乗員とは乗り継ぎ地のアムステルダムで合流して、帰りはアムステルダムで別れるという契約だから問題なかった。GTSの顧客にとってはいつものことだった。

成田行きは、放射能騒ぎのおかげで日本人ツアー客しかおらず、愛は一人で真ん中四つの席をとり、肘掛けを上げて寝て帰って来ることができた。結果的には、とても恵まれた環境での仕事になった。

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「お前、それ楽し過ぎだろ。俺たちの心配はなんだったんだ。」

一部始終を聞いた本城は、いかにも取り越し苦労な気分であるかのように言ったが、

「すみません。でも、社長は心配なんてしてないでしょ?私がアラスカから帰ってきたと思っていたじゃありませんか。」

と、愛が気の利いた突っ込みを入れると、オフィスには笑いが起こった。

「でも、初日の成田での苦労を考えると・・・終わる時には同じツアーでの仕事とは思えませんでしたよ。ほんと、なにか不安になっている時って、無事にツアーって終わりますね。」

しみじみと言う愛の言葉にゆっくり頷く者がいて、愛と目が合った。

「あれ?元子ちゃん?」

「和泉さん、お久しぶりです。」

「有事のレギュラー」から外された雪輪元子だった。

※文中、適当な関西弁についてはご容赦ください。

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ミケランジェロ広場から眺めたフィレンツェ旧市街とドゥオーモ。
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