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(これまでの登場人物は、こちらでご覧ください。)
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震災直後、ツアーを全て取り上げられた時は、旅行会社への怒りに燃えた。同時に、しばらくの間自分に仕事は来ないと思った時、怒りを超える絶望感に襲われた。
あの時、自分は添乗員という仕事にしがみつくことなく、安定した生活を選んだ。それに悔いはないはずだった。
「添乗員を辞めてはいけないって・・・私もうドルフィンにいないもん。」
「今なら戻れるんじゃない?ね?」
珠理は、元子に視線を向けた。
「杏奈ちゃん、ひょっとして本当に戻りたいの?」
「今さら戻れないよ。」
元子の慎重な問いかけに杏奈はぴしゃりと言い返した。
「未練があるくせに。」
態度が少し攻撃的になってきた珠理に、元子は「抑えて」という視線を送ったが意に介さない。
「未練なんてないよ。」
「あるよ。」
「決めつけないでよ。なんなの!?」
「じゃあ聞くけどね。あんた辞めて三か月くらいたつでしょ?どうして添乗員の資料を未だに大切に持ってるのよ。」
「え?そこ?それって関係あるの?」
言い返したのは、杏奈でなく元子だった。
「あるに決まってるでしょ!私はドルフィンのオフィスに寄付したり、個人的にあげたりして、それ以外の資料は全部捨てた。好きな国の地球の歩き方とるるぶくらいはとっておいてあるけどさ。」
「え?マジで?よく捨てられるね。」
「は?辞めたのによくとっておいていられるね。さっき、私の話聞いてた?」
信じられないという表情で珠理を非難する態度で指摘した杏奈に対し、その十倍くらいの強い語気と迫力で珠理は言い返した。
「やっと解放されたんだもの。添乗のことなんて二度と思い出したくない。思い出して楽しいことなんてひとつもないし!今の仕事でもまったく必要ないし!」
沈黙の中に緊張した空気が張り詰めた。二人はにらみ合っていたが、大橋が「少し落ち着きましょう」と言うと、ようやく一触即発の空気が緩んだ。
落ち着くと周りが見えてくる。言い合っている自分たちの様子を気にしている他のお客さんたちの視線を感じてきて、杏奈も珠理も、少し恥ずかしくなって下を向いた。見ている人たちに、声に出ない「すみません」を三回ほど繰り返した元子を横目に、珠理が言った。
「添乗の資料なんて、添乗の仕事をしなくなったら邪魔なだけじゃない。場所だって取るし。自然と捨てたり人にあげたりするものよ。手元に残したり、貸しっぱなしにしたりしないのは、あんたがそれをまだ必要としいるからじゃないの?」
「確かに!」と、心の中で思いながら元子は杏奈を見た。ドルフィンのオフィスには、添乗で使える手作り資料や書籍がたくさんある、その大半は、会社で買い上げたものではなく、添乗員を辞した人たちが置いていったものだ。個人的な譲渡もある。元子も親しい先輩から譲り受けた書籍を三冊持っている。
しかし、杏奈が会社に寄付したという資料や書籍については、見たことも聞いたこともない。それどころか、今度行くフランスのアルザス地方の資料も、「使わないならちょうだい。買いとってもいいよ。」と言ったのに、「絶版になって入手できないからコピーを取って返して。」と断られてしまった。
珠理は、ドルフィンを辞める時に、仲間に置き土産の資料をばら撒きながら、杏奈が一切手持ちの資料を手離そうとしない話を聞いていたのだった。
「杏奈ちゃん。今なら戻れるよ。添乗員なんて派遣登録するだけだもん。三か月だけのブランクなら、ライセンスもすぐに発行してもらえるよ。」
一瞬、チラッと元子のほうを見た後、杏奈はマッコリが入ったグラスに視線を落とした。
アルザス地方の中心地ストラスブールの街並み
ストラスブール近郊にあるリックビールの街並み
コールマールで運河ミニクルーズを楽しむ観光客
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