マスター・ツートンのちょっと天使な添乗員の話

自称天使の添乗員マスター・ツートンの体験記。旅先の様々な経験、人間模様などを書いていきます。

May 2020

登場人物

 

毎回同じのを載せるのもなんだから、こちらをご参照ください。

http://mastertwotone2020.livedoor.blog/archives/6155172.html

 

 

香港へのフライトは、思ったよりも混んでいた。僕の隣は空席だったが、全体では9割方埋まっていたのではないか。お客様が利用されたビジネスクラスも、ほぼ埋まっていたという。コロナ事情で減便されていたため、乗客がそこに集中していたのかもしれない。

 

夕方に羽田を出発して、夜に香港に到着した。

いつもなら不夜城のようににぎやかな香港の空港は、静かだった。これにはコロナの影響だけでなく、ずっと続いていた大規模なデモのせいでもあった。乗り継ぎのセキュリティーでは、かなり高性能に見えるマスクを係員がつけており、手荷物検査の前に検温している。きちんとウィルス感染対策に関するお知らせも提示されていた。

 

「リラックスしてください。」

 

と、笑わないが優しい言葉をかけてくるセキュリティーのお兄さんの検温を無事に通過して、出発エリアに入った。ラウンジ前に着いたところで、僕はお客さんたちにお願いした。

 

「今日は、私も中にご一緒させてください。外にいても問題はないと思いますが、ラウンジ内のほうが、人と接する可能性がより低いので、念のため、安全確保ということで。」

 

「もちろん。そうしていただいたほうが、我々も心強い。」

 

E男さんがそう仰ると、D夫妻もうなずいた。こんなことは稀だが、今回は特別だ。やはり、コロナに対する緊張感はあった。検温も形式的な感じはあったが、誰もが口にする「万が一」や「念のため」という言葉の響きには、いつも以上の重みを感じられた。

 

少し座って、冷たい飲み物で一息ついてから、お客さんに声をかけた。

 

「ワンタンメン食べに行きませんか?」

 

「え?機内食出るのに?」

 

「夜中ですよ。ラウンジ内にヌードルバーがありまして、けっこう美味しいらしいのです。飛行機の中では、寝るだけでいいではありませんか。」

 

キャセイパシフィックのラウンジの軽食は、美味しいという話は聞いたことがあった。夜の9時頃。ちょうど小腹が空いてくる時間。ラウンジ内の食事は、一品ずつの量が軽く、気楽に食べられる。

 

「おー!いけますねえ!」

 

僕を含めた4人でワンタンメンとジャスミン茶を楽しみ、その後会話がはずんだ。温かい食べ物が、気分をリラックスさせてくれたのだろう。

 

E男さんは、南部アフリカは二度目だそうだ。ビクトリアの滝と南アフリカは二度目。ナミビアに来たことがなかったのと、ビクトリアの滝の遊覧飛行を経験していないので、このツアーにいらしたということだった。

 

D夫妻は、奥様は、最初乗り気でなかったらしい。ところが、何人かの添乗員からアフリカの魅力を聞かされて(覚えてないのだが、僕もイギリス旅行中にアフリカの魅力をかなり熱く語ったらしい)、その気になったご主人が「B社だったら大丈夫!」と奥様を説得したのだった。

 

「それは心配ありませんよ、奥様。アフリカは、空気乾燥してるし宿泊施設もよくてねえ!・・・」

 

E男さんが、D夫さんの援護とばかりにD妻さんにアフリカの魅力を語りだした。

お客様同士での会話が盛り上がる。しかもそれが旅の話だったら最高だ。変に添乗員が気をまわして会話に入ることもない。D妻さんは、途中から少しうんざりして話を聞いていた。

 

「みなさん、いろいろなところに行ってるなあ。」

 

と、僕は感心しながら、こっそりとワンタンメンをおかわりした。そして、それをD妻さんに見つかり「食べ過ぎよ」と、注意されたのだった。

 

そこからは、順調なフライトでヨハネスブルクに到着した。ところで、香港からのフライトも9割方埋まっていた。驚いたのが、僕らのほかにそこそこの人数の日本人グループが、3つもあったことだ。この記憶は、キャンセルされる方が増えている一方で、2月下旬はまだ、ツアーが普通に出発していることを物語っている。

 

ヨハネスブルクに到着して、手荷物検査場を過ぎた。ここでも

 

「二週間以内に中国に行きましたか?」

 

と聞かれたが、軽く「ノー」と答えて通過。その後、乗り継ぎゲートでC子さんと、無事に待ち合わせ。そして、最初の宿泊地、ボツワナへ向かったのだった。

 

カサネという小さな国際空港に到着して、入国カードと、普段は存在しない問診票を記入した。記載されている問診内容の一番最初が、

 

「二週間以内に中国にいきましたか?」

 

だった。日本を出発して、香港、ヨハネスブルクと、ずっとまとわりついてくるコロナ関係の質問や書類。コロナの影。出発直前まで、いくつもの心のハードルを越えてきた4名様は逞しかった。こんなことがあって当たり前くらいに、かるーく手続きを無事に済ませ、いよいよアフリカの旅が始まる。僕も、久々のアフリカを満喫した。

 

だが、一方で、日本から次々に入ってくる微妙な情報に動揺する日々でもあったのだ。

2/21の夕方、僕は羽田空港にいた。いよいよ南部アフリカツアーへ出発するためだ。

 

このアフリカの旅の部分は、少し時間をかけて書いていきたい。日本で起こっている旅行業界の急な変化、チェックが厳しくなってきたアフリカ各地の空港、それらとはまったく無縁でのんびりしたアフリカ各地の空港の外側。それぞれの対照的な時間の流れを描きたいのだ。

 

わかりやすいように、登場人物を紹介しよう。

 

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ツートン

このブログの作者で海外添乗員。旅行会社に勤めたサラリーマン時代を含めると添乗歴は24年。訪問国は85か国。添乗のモットーは、「常に天使であれ!」。実践するため、お客様の前では、「天使のツートン」と自ら名乗ることもある。けっこうなお調子者。

 

C子さん

女性の一人参加客。夫婦で参加されることもあるが、今回は一人で参加された。ちなみに訳があって、羽田からは帯同せず、ヨハネスブルクでグループに合流した。そこまでは完全一人旅。つまり、実は自分でなんでも出来る人。でも、出しゃばらない、優しい、いつも感謝の言葉があって、そのうえ明るい。年間素敵なお客さん大賞!を差し上げたいくらい。しかもきれい。ツアー中、贔屓心が出ないようにするのが大変だった。首都圏からご参加。

 


D
夫妻

いつも夫婦でB社利用で海外旅行されている仲良し夫婦。奥様曰く、ご主人は亭主関白とのことだが、この旅行中はそうでもなかったように思う。家のことをなにもやらないだけなのではないか?なにか意見がぶつかると、必ずご主人は奥様に譲っていた。世界平和を守るコツは心得ている。譲ってもらった奥様は、その後しばらくご主人に優しい。二人でこんなふ
うに歳をとっていけるって素敵だと傍で見てほほ笑んでいた。生意気ですみません。ちなみに筆者とご一緒するのは2度目。前回はイギリスだった。その時に由来して、ご主人は僕のことを「天使のツートンさん」と盛んに呼んでくれるが、奥様は「いい添乗員とは思ったけど、そこまで天使かな?」と、なかなか手厳しい。このツアーが終わるまでは、なんとか天使と呼んでもらおう!北陸からご参加。

 

 

E男さん

静かによくお話する。分析好き。笑顔でクールなジェントルマン。知的で学術的で話がとても面白かった。今後の添乗でネタになるようなお話をたくさんしていただいた。話声は控えめで小さい。ちょっと周りが騒がしいと、途端に話が聞き取りにくくなる。あまり聞き返すのは申し訳ないので、何度か話が聞こえないのに相槌を打ったというのは内緒。一度だけ、聞こえないで頷いた後、隣のC子さんに「今、なんて仰ったのですか?」とこっそり訊いてみたら、「え?聞こえなかった。私もツートンさんに訊こうと思ったの・・・」と言われてしまったのは、絶対に秘密。関西からご参加。

 

以上、4名様のツアーとなった。

 

最初に空港の集合場所にいらしたのは、E男さんだった。このツアーの催行を心から喜こばれていた一方で、電話でお話してからの3日間の報道で、多少不安が出てきたようだ。いざ、伊丹や羽田に来てみると、空港職員が全員マスクをしていたのも、不安を増殖の原因のようだ。

 

「大丈夫ですよね?」

 

「いや、私に聞かれましても・・・。無事に旅行していただけると思いますが。・・・それに、ここまで来てそういう心配をされなくても・・・。」

 

「まあ・・・それはそうだ。そうですよね。」

 

E男さんは、静かに言って苦笑した。

 

「いや、妻にね。『どうしても行くの?』なんて言われながら出てきたからさ。なんか心配になってきちゃって。でも、そうですね。ここまで来てそれ言っちゃいけませんね。」

 

と、自分に言い聞かせるように話して出国審査場へ向かった。

 

ほどなくして、D夫妻がおこしになった。以前、イギリスの旅をご案内したことがある。それ以来、2年ぶりにお会いした。相変わらず陽気だ。担当からは、奥様が旅行の心配をされているということだったが、実は、不安がられていたのはご主人で、「そんなに心配なら問い合わせてみよう」ということで、奥様が会社に電話したらしい。

 

行きたい気持ちはとても強くて、結局空港までいらしているのだが、「行っても大丈夫」という、なにか心の支えが必要なようだった。とはいえ、急にそんな言葉は浮かんでこない。

 

「まずは、ラウンジにでもいらして寛いでださい。キャセイパシフィックだけでなく、JALのラウンジも使えますよ。JALラウンジのビーフカレーは最高です。」

 

と、出国審査場へ送り出した。

 

『さてと・・・・・・・・。』

 

お客様が気持ちを切り替えられる、気の利いた言葉を僕は考え始めた。

出国審査を終えて、免税店エリアを歩いていた、1月下旬に出発したイタリア、この前のドイツ&オーストリア。それから比べると、出発時のこの緊張感はなんなのだろう。2/21時点では、まだそこまで深刻な状況には思われなかった。先に帰ってきた添乗員は、快適な旅ができたと報告してきている。

 

久しぶりにラウンジに向かった。添乗員の役得のひとつとして、マイルがよく貯まるというのがある。それを貯めることで、ラウンジを利用できるグレードのカードを取得していた。

普段はラウンジに入ることはない。それどころか、たいていの旅行会社は禁止している。僕も、そこはわきまえるべきだと思うから、入らないようにしている。(入ってるのもいるけど、内緒にしておく)

 

でも、今回は空いてるだろうし、お客様も全員ビジネスクラスだから「自分ばかり」ということにはならないし、少しくらいなら・・・

 

案の定、ガラガラのラウンジ。こんな時だし、JALのビーフカレーを食べよう。スープが美味しい。ビーフが大きくてやわらかくて美味だった。

 

「ん———・・・」

 

途端に心が軽くなった。そうだ。こんな時、気持ちを切り替えるのは軽いなにかだ。

 

搭乗口に向かった僕は、お客様をお待ちした。ふだんならそれぞれに搭乗していただくが、今日は三人お揃いになるまで搭乗を待っていただき、揃ったところで挨拶をした。

 

「このような時に旅行にご参加いただき、誠にありがとうございます。私も、現地で力を尽くしてまいります。皆さんも、ここに来ていろいろ思うところがあると思いますが・・・」

 

あえて間をおいた。

 

「現地に着いてしまえばね、絶対に楽しいって!そう思うでしょ?()

 

カレーを食べ終わった時に思いついた、めいいっぱい気を利かせた、渾身の軽い一言だった。

 

三人とも笑顔で溢れた。

 

「そうなんだよね。それを分かってて参加したのに、つい忘れてたよ。」

 

ようやく旅行前の笑顔になり、皆様は機内に向かわれたのだった。

 

この日、日本国内のコロナ感染者が100人を超えて、それが夕方に報道された(初感染者が1/162/13には国内初の死者が出た)。関西、北陸からいらした三人は、早く自宅を出ただろうから知らなかったかもしれない。あえて言わずにおいた。やっと心からの笑顔になったことだしね。

B社に出発前の打ち合わせに訪れると、いつもよりも緊張した空気が漂っていた。

僕は担当者に、

 

「こちらへどうぞ。まずは書類に目を通してください。」

 

と、落ち着かない様子で案内された。明らかにこれまでとは違う。先に書類に目を通してみた。B社では、出発の1か月前と直前に2回打合せがある。1か月前には10名いらしたお客様が6名まで減っていた。やはり、コロナの影響だろうか。

 

やがて、担当者がやってきた。

 

「見た通り、コロナの事情でお客様が4名様キャンセルされまして・・・そのほかに、まだ揉めてる方がいらっしゃるんですよ。お客様への電話ですが、こちらの4名様からかけてください。」

 

打合時の内容は、どこの旅行会社も似たようなもので、お客様情報の確認、お渡ししてある日程表の内容と添乗員用の英文日程表の内容がずれていないかの確認。そして、お客様への挨拶電話で終わる。ツアー定員の少ないB社なら一時間かそこらの作業だ。

 

先に電話をかけた4名様のうち、女性の一人参加の方は、なにも問題なくすんなり電話を終えた。男性の一人参加の方も、今回のコロナ騒動の中での出発について多少の質問はあったが、僕の回答と旅行会社の回答にきちんと一貫性があり(担当者と打合せをしているのだから当たり前。違ってたら大変)、それに安心して電話を切られた。

 

時間がかかったのが最後のご夫婦だった。この日以前に、ツアー催行についていろいろ問い合わせがあったらしいが、最終的には参加を決めていただけたとの情報を、担当者から聞いていた。

 

ところが、最終的なお話をしても、電話の向こうでの反応が今一つだ。おかしいと思い、「どうかされましたか?」と伺うと、素直な言葉が返ってきた。

 

「いや、催行中止の電話が来たと思ったんですよ。行けるのですか?」

 

時勢の問題もあったが、それだけなら出発ぎりぎりになって、これだけお客様が揉めることはない。問題は、利用する航空会社にあった。アフリカ南部ツアーには、キャセイ・パシフィック航空、シンガポール航空、マレーシア航空などが利用される(南アフリカ航空は、アジア方面のフライトがなくなってしまった)。今回は、その中でキャセイ・パシフィックを利用した。南アに行くには一番便利なのだが、この頃の中国は、ご存じのとおり、もはや危険地帯扱いで、湖北省と浙江省からの日本入国が禁止された直後でもあり、悪い意味でインパクトが強かった。ツアー申込者の皆様は、香港経由の旅行というものにストレスを感じていたのだった。なお、この当時、アフリカ方面ではまだ感染者がほとんど出ていない。特に、南部アフリカでは、まだ発生さえしていなかった。

 

僕は、担当から指示されたとおり、

 

「香港に入国するわけではないから、今回は問題ないと思います。それに中国人の大半は香港から出られないから、空港は空いていますよ。むしろゆったりお過ごしいただけます。」

 

とお伝えした。適当な回答ではなく、先に帰国した添乗員の報告に基づいた回答だった。こんな時、出発を迷われてるお客様の心理状態には2種類ある。「行きたいのだけどコロナが心配で、どちらかというと行かないほうに心が傾いてる方」、そして、「危ないような気がするのだけど、どうせなら行きたいという方」だ。ご夫婦は、後者のパターンだった。また、二年前のイギリスツアーでもご一緒して、ある程度僕のことを信頼してくださってたから、結局出発に踏み切ってくださったのだった。

 

『ツートンさん、電話を待っていただいてた残りの2名様ですが、結局キャンセルになりました。残念ですが・・・。』

 

B社のよいところは、微妙なお客様への電話は、絶対に社員がすることだ。添乗員の仕事はあくまで現場。内勤処理に関わるような仕事は、一切させない(ちなみにA社も)。2名様のお客様の場合、キャンセルされた場合にキャンセル料などの説明が必要だから、直接スタッフが電話をかけたというわけだ。

 

こんな時にキャンセル料をとるのか?と思われるかもしれないが、ここは説明させて欲しい。

確かにこんな時ではあったが、「こんな時」という言葉は非常に曖昧だ。人によって基準が違う。そこで旅行会社は、外務省が出している海外安全情報を基準にしている。危険度が0~4まであり、以下のようになっている。なお、カッコ内は僕の解釈だ。

 

1.       十分注意してください。(まあ、問題ないと思うけど気を付けてね)

2.       不要不急の渡航はやめてください。(え?行くの?用事があるなら仕方ないけど、できればやめてほしいなあ・・・)

3.       渡航は止めてください。渡航中止勧告。(絶対に行っちゃだめ。死にたいの?)

4.       退避してください。渡航はやめてください。(問題外だよお前さん。え?もうそこにいる?えー!?早く逃げてきて!)

 

とまあ、カッコ内は多少大げさに表現されているが、だいたいこんな感じである。1の国は、わりとたくさんある。イスラム圏でツアーに組み込まれている国々の多くが、ここに含まれている。それらの国内の場所によっては2になってるところもあるし、旅行中に段階が引き上げられてしまうところもあるから、個人旅行する際は注意が必要だ。いつか、日本人がイランで誘拐されて騒がれたことがあった(無事だったけどね)が、このパターンである。そういう意味では、ツアーはきちんと考えてつくってるし、なにかあったらすぐに情報が入るから安心だ。

 

なお、段階2になったら、基本的にツアーは中止になる。それが外務省の指示でもある。たとえ出発前日でもだ。基本的にというのは、最近見なくなったけど『え?行っちゃうの?』という旅行会社を見たことがあったので、絶対ではないのかもしれない。どこだかは書かないけど。

 

この旅行では、2以上に当てはまる地域がないのだから、催行中止にはならなかったし、キャンセル料免除にはならなかったわけである。こういう線引きをせず、一部の方々が仰ってるような顧客の心情のみを基準にすると、とんでもないことになる。心情というのは、この場合、感情の言い換えであり、それを基準にすることなどできない。

 

参考までに言うと、出発直前に突発的なことで、催行中止やキャンセル料免除になった例はある。アラブの春に巻き込まれた時のアラブ諸国のツアー、テロがおこった後のチュニジアツアー、パリでテロが起こった直後のみのフランスのツアーや、東日本大震災の影響で空港にたどり着けなかった方々などが、それに該当した。

 

今回のコロナも、ウィルス騒ぎだから・・・と思う方もいらっしゃるかもしれない。

ただ、この時期のそれは、個人的には難しかったと思う。このシリーズの冒頭で申し上げたように、SARSや新型インフルも、メディアではいろいろ騒がれたが、旅行の現場では殆ど影響なく乗り切った。その経験から、今回もこの後これほどの状態になるとは想像し難かったと思う。

この頃の日本では、その影響が心配され始めながらも、各地でマラソン大会やサッカー、ラグビーなどのスポーツイベント、コンサートが盛大に行われていた。コロナを多少脅威に感じていても、マスクをするくらいで、本格的な対処を考えていた方は、まだ多くなかった。

 

みなさんも思ったはずだ。いろいろなことが報道され始めながらも、そのたびに

 

「これ以上は悪くならないであろう。」

 

と。日本がこういう状態で、外務省が赤信号を出していないのだから、キャンセル料免除という処置は、判断の選択肢にあがることさえなかった。

そんな中、最初に環境が激変した場所のひとつが、旅行会社のオフィスだった。この日だけでなく、そしてB社だけでなく日本の旅行会社すべてが、毎日のようにこのような対応に追われるようになった。

 

現場で添乗員が苦労するのは、もう少し後の話である。

 

なにはともあれ、僕は2/21から南部アフリカツアーへ出発した。

2/15に帰国。素晴らしいお客様たちと笑顔で分かれ、晴れやかな気持ちで帰宅した。だが、その気分が続いたのは、帰宅してテレビのスイッチを入れるまでだった。メディアでのコロナの扱いが、騒ぎ方が、たった一週間でがらりと変わっていた。欧州での感染者もじわじわ増え始めていた。

 

8日に出発した時、すでにダイヤモンドプリンセス号がかなり問題となっていた。また、その影響でツアー客のキャンセルがかなり増えてきていた。戦災やテロ、またはSARSなどの疫病などの発生が原因で、旅行のキャンセルが出るのはよくあることだが、一週間前と違うのは、けっこうな金額のキャンセル料が発生するようになってからも、それを惜しむことなくキャンセルされる方が増えたことだ。今考えると、いよいよ旅行業界が揺らぎ始めていた。

 

誠に順調であったドイツ&オーストリアの報告を終えて、僕は、次の仕事の打ち合わせのため、別の旅行会社に向かった。

 

僕は、現在二つの旅行会社で仕事をいただいている。A社とB社で、基本的には、それぞれ顧客層が被らないところで仕事をしている。A社は格安ツアーのトップ企業で、添乗員にとっては、いい意味でシステマチックで仕事をしやすい。格安なのに、ホテルも食事もそれなりのレベルを維持している。スタッフも有能な人が多く、対応が早い。最近は、かなりコストパフォーマンスに優れた高額商品を出して、そのツアーも時々やらせてもらえることがあるが、これもまた品質が高い。

 

B社はある大手旅行会社の高額商品ブランドのひとつ。ホテルもよいが、特に食事に力を入れている。また、定員が10名と少ない。その分、緻密なサービスが求められるが、仕事としては、とてもやりがいがある。

 

僕は、取引先に間違いなく恵まれている。言い換えれば、この二社は、僕にとって相性抜群だ。向こうがどう思ってるかはわからないけど。

 

さて、このシリーズの中で、これまで登場したツアーはすべてA社のものだったが、今度の南部アフリカはB社のものだった。

 

ちょっとだけ旅行業界の、ここ最近のヒストリーを語りたい。20世紀最後の10年から21世紀初頭の旅行会社のツアー品質を引き上げてきたのは、中小の旅行会社だ。高齢者向けのゆったり日程と連泊中心という発想、世界遺産へのこだわり、ちょっと変わった訪問地などをコンセプトとしたツアーは、数々の中小企業である旅行会社が、しのぎを削って開発し磨いたものだ。今ではメジャーな観光地となったギリシャのメテオラ、イタリアのドロミテ街道、イギリスやフランスの田舎町巡り、アフリカや中東の秘境系ツアーなどは、大手の会社でなく、いくつかある優れた中小の旅行会社がツアーに組み入れて知られるようになった。それらを大手が、自分のところに合わせてリメイクして人気商品となったものは、案外多い。

 

旅行商品の内容など簡単に盗める。パンフレットに情報がすべて載ってるのだから。料理のように隠し味がなにか見破る手間はないし、精密機械のように分解して仕組みを調べる必要もない。あとは組み合わせのセンスと、仕入れの力だ。だから、あっという間に大手のツアーは中小に追いついてきた。

 

「アイディアそのものは、どの業界でも中小企業が最初に出してることが多いのです。でも、それを発展させて自分のものにするのは、大手企業がうまいですね。発展どころか看板商品になってしまうものもありますよ。」

 

大学時代に受けた授業での話だ。教授は、授業の最後にそういった商品を見つけ出して、翌週までにレポートを出すように求めた。僕は、モスバーガーが開発したのに、マクドナルドでも看板商品となった「てりやきバーガー」について書いた。後で知ったのだが、てりやきバーガーは、この手の例としてよく挙がるらしい。この時の教授は、あえてそれを言わなかったのかな。だとしたら優しかったな。

 

旅行会社のツアーには、とてもたくさんの「てりやきバーガー」がある。

 

ちょっと話がずれてしまったが、B社の社員たちは、そこに移ったことで、アイディアを絞り出しながら、それを発展させることができる働き場所を手に入れたわけだ。つまり、最強のプロフェッショナル軍団になった。このB社の特徴は、ストーリーの都合上、あったほうがわかりやすいので、念のため構成に含めた。

 

この次の南部アフリカツアーで、僕は、このプロフェッショナル軍団に、ツアーの終盤助けられることになるのだが、それはまた次回から。

 

今日はもう一本話を書きますからよろしく。てりやきバーガーの話を書いたら、食べたくなったので、買ってこよう。マックでなく、モスバーガーで。

ハルシュタットからウィーンに入った。天気にも恵まれて、お客様は華やかな旅のフィナーレを飾ることができたのだが、ウィーンという都会に来ると、さすがにこれまでの田舎と違って、普通ではない部分が見えてきた。ガイドさんが歩きながら、

 

「日本は、だんだんコロナ騒ぎが大変になってきてますね。クルーズ船(ダイヤモンドプリンセス号)のこともありますし・・・。」

 

春が確実に近づいてきていることを感じさせる、2月にしては暖かったケルントナー通りを歩きながら、そこには到底ふさわしくないトークを彼女は始めた。連日、CNNBBCのクルーズ船報道をホテルのテレビで眺めていて、その内容に不満を感じていた僕は、正直イラッとした。原因は、時々聞こえる日本政府の対応に対する悪口だ。自分たち日本人が言うのは構わないが、外国人に言われるとなんか腹が立った。特に、CNNリポーターのワイドショー的なあのハイテンションはなんなのだ(ちなみに、米国政府が日本に早期下船帰国はさせずに船内にとどめて検査するよう求めていたことが、このツアー帰国後に明らかになった)。だからガイドさんのトークは、僕のイライラを一瞬助長させた。

 

だが、そのあとすぐに彼女の本質が、親切心が見えてきた。

 

「それが原因でマスクが品薄なんでしょ?今、自由行動でマスクをお求めになりたいお客様が、けっこういらっしゃるんです。日本と違って、きちんとした薬局に行かないと売ってないので気をつけてくださいね。こちらが、その薬局です。」

 

「この国では、テロ防止のために、マスクは原則禁止なんです。はい。法律で。サングラスはいいのです。目は隠してもかまわないけど、それ以外を隠すマスクはだめなんです。普段なら、外国人でも見逃してもらえないくらいなんですが・・・こちらでもコロナは話題になってましてね。外国人のマスクに関しては、寛容になってるような気がしますね。マスクは、病気を防ぐものではなくて、他人に伝染さないようにするために着用するというのがこの国での認識なんです。だから、伝染すくらいならマスクしてくれってことなんですかねえ・・・。」

 

「あー、なるほどね。コロナ騒ぎも大変だなあ。」と思った。お客さんもそう感じたかもしれない。でも、この時点ではまだ他人事だった。クルーズ船のことは深刻ではあったが、日本を出てしまうとその印象も薄れてしまっていた。CNNBBCの報道にもイライラはしていたが、「遠い日本」での出来事だったのだ。旅行を満喫されているお客様の中で、真に自分たちのこととして考えていた人は、まだいなかったと思う。今となっては不謹慎この上ないが、

 

「どこも空いててよかったですね。キャンセルした方には悪いけど、得したツアーだったなあ。ある意味コロナに感謝ですね。」

 

などというお客さんがいらしたし、他の参加者の誰もそれを批判せず、むしろ同意した。僕も、早く一般人が落ち着いてほしいくらいに思っていたし、

 

「帰国したら、まわりの人たちに安心して旅行できたということをお伝えください。」

 

と、この時期に、今となっては考えれないお話をしている。帰りのフライトが異常に空いていても、まだそう思っていた。

 

そして帰国後、たった一週間ですべてが変わっていたのに驚くことになる。

余談だが、ウィーンの薬局で買い物があるというお客様を手伝いに同行して入店したら店員さんに

「マスクをお探しですか?」

と、本当に訊かれたのだった。

みなさんこんばんは。マスター・ツートンニュースの時間です。

緊急事態宣言が解除され、新しい生活に入るため、東京都ではロードマップが示されました。現時点でステップ3まで提示されています。

私たちが、こよなく愛する海外旅行はそこには含まれていません。実は、心の目をよーく凝らしますと、皆さんの胸の中にステップ4があり、そこに海外旅行が含まれています。

これだけは、日本政府が「どうぞ行ってください!」と言ってくれても、「日本人?どうぞ来てください!」と相手国が言ってくれないとできませんし、なんと言っても私たちの心の問題があります。

『最初に中国人が持ち込み、次に欧米からの帰国者がウィルスを持ち込んだ』

などと言われている欧米に、すぐに旅行したい!という気持ちに切り替えられるか?また、日本よりも確実に衛生管理が劣るアジアやアフリカに、旅行したいと思えるようになるか?

飛行機のエコノミークラスなどは、今で言う密の状態になります。ちょっと前までは、満席のエコノミークラスに乗るのが当たり前だったのに、今は躊躇してしまうという方は多いのではないでしょうか。世界がコロナを克服しても乗る気になれますか?航空会社も、いろいろ考えてくれていると思います。また、機内の換気は、実は頻繁に行われており、非常に優れていることもわかっています。しかし、理屈で分かっていても、三密をひたすら努力して避け続けていた皆さんにとって、間違いなくストレスになります。


そして、次の問題として立ちはだかるのが、皆さんの家族、親類です。ひょっとしたら、これが一番やっかいかもしれません。

「え?行くの?まだ早いんじゃない?」

とか、

「まだどこかにウィルスいるよ。やめたほうがいいよ。」

と、根拠もないのに、感覚でやめさせようとする人たちがたくさんいます。この場合、お止めになる方々は、本当に、真剣に皆さんのことを心配してくださってますから、無下にすることができないですね。いや、本当に大変です。

最後の最後には感覚に頼る部分もあるのでしょうが、今回のコロナに関して、ニュースを見て情報と思考を整理して、止めてくださる方のある意味感情の入り混じった感覚を抑えられる何かを用意しておきましょう。でないと、強い感情のこもった感覚理論に流されてしまいます。

今回は、一日も早く旅行をしたいと思われている方への「心のワクチン」のつもりで書きました。海外旅行を再開するには、様々な障害が生まれてくることでしょう。少なくともこれまで挙げたようなことは、必ず精神的にも、或いは目に見えて生じてきます。

だから、前もって、今から心の準備をしておくこと、心のリハビリの準備をしておくことが大切です。コロナについて、感染症について、ある程度正しい意識を持ち、政府や自治体の決定に耳を傾ける。そうすれば、様々な障害にも対処できるはず。それが心のワクチンです。ワクチンは、肉体だけでなく心にも必要だと思います。

ウィルスに打ち勝つために、その後の生活のことを考えると、さらに前向きになれますよ。

そのステージ4のことを考えながら、まずはステージ1を、必死にクリアましょう!

というところで、今日のマスター・ツートンニュースを終わりにいたします。


引き続き気を引き締めるのは当然。それはそれとして、緊急事態宣言解除に乾杯!


香港で途中下船した乗客に感染が発覚してしまったため、横浜に到着してからも全乗客乗員が下船を許されなかった大型クルーズ船、ダイヤモンドプリンセス号のニュースは、2月のメディアを席巻した。日本人が、少なくとも僕が、初めてコロナというものに真剣に向き合ったのは、この時だった。

すぐに下船させてもらえないというのは当然だと思った。だが、そのあと検査に要する長い時間とその間の乗客のストレス、増えていく感染確認者数。コロナという暗い影が、だんだん自分の心の中で大きくなっていくのがわかった。
すでに、日本でも感染者は出ていた。初めて確認されたのが1/16。続いて24、25、26日と連続した。いずれも武漢への渡航者だった。その後も、ちらほら増えている。だが、マスクの品薄や海外ツアー客のキャンセルが微増するなどの変化はあったものの、イタリアでの様子を考えると、日本人はそれほどナーバスになっていなかったと思う。それまでの国内のコロナ情報に比べて、ダイヤモンドプリンセスの報道は圧倒的なインパクトだった。

帰国翌日、僕はイタリアツアーの報告と次のドイツ&オーストリアツアーの打合せのために、取引先に向かった。「コースも食事も文句なし。おまけに添乗員も大好評でした(←本当に言った)」というかなり調子に乗った報告をしたあと、次ツアー打合せのための資料を取りに行った。

人数は15人。二週間前に確認した時は21人だった。

「減りましたね。あっち(欧州)にいたほうが安心なような気がするけど。」

「うーん。やっぱり空港が怖い人が多いみたいですね。あと、本人が行きたいと思ってても家族に止められることが多いみたい。大学生とか。」

なるほど。しかし、今考えてみると、「欧州のほうが安全」という考え方は、現在タブー視されているコロナ疎開と同じだ。都会の人が離島に行ってほっとしている一方で、地元の人が迷惑そうな顔をしていたのを思い出す。そう考えると生活のためとはいえ、申し訳なかったな。せめてもう少し遠慮した態度で旅行してればよかったかな・・・。今考えてみるとだが。

ところで、イタリアと比べるとドイツ、オーストリアでの外国人観光客への警戒度はかなり緩かった。いろいろ聞かれたのは最初の空港くらいだ。1/25に中国では、すべての海外団体ツアーが禁止された。その当時旅行中だった中国人グループは、このドイツ・オーストリアツアーが出発した頃にはほぼすべて帰国しており、欧州の観光地で中国人を見かけることはなくなっていた。その影響があったかもしれない。

2/8に出発したツアーは、最終宿泊地のウィーンの前にハルシュタットという湖畔の美しい街に立ち寄った。街の散策をお楽しみいただいて、頃合いを見て自由行動をおとりした。その時間を利用して、僕は、たまに立ち寄る土産屋つきのカフェに入った。最近は、冬でも観光客が多いハルシュタットだが、この日は、とても空いている。

「今日は人が少ないですね。」

「ここ最近は、いつもこんな感じよ。NO CHINA, NO BUISINESSね。」

女性スタッフの方はそうこたえた後、力なく笑った。「騒がしい中国人グループは大嫌い!」とよく言っていたのだが、実際に来なくなってみると、静けさの有難みよりもビジネスの打撃のほうが、はるかに大きかったようだ。

一瞬凍り付いた僕たち。

募金をされたお客様に、なんて声をかければいいのだろう。すぐに適当な言葉をみつけられずに、とりあえずフォローするため彼女のそばに歩み寄ろうとしたとき、雷鳴のような怒鳴り声が凍った空気を引き裂いた。そばを歩いていた人たちの大半が振り向くほどの怒鳴り声の主は、少女たちの募金活動を見守っていた(おそらく)保護者の一人だった。

 

その後、少女たちに短い説教(だったと思う。顔からして。イタリア語はまったく理解できないので、詳しい内容はわからない)をした後、僕らのほうに歩み寄ってきて、

 

Sorry, Ah——・・・virus, terrible, ・・・sorry. No English for me !

 

と、無茶苦茶な英語であったが、十分に誠意のこもった謝罪をしてくださった。女の子たちも、その方に促されて謝ってきた。ほっとした。もし、保護者の方が気づかずに見過ごされていたら、僕もお客さんも傷ついたに違いない。いや、この時も傷つきはしたのだが、かすり傷で済んだ。

 

「テレビかしら?学校でなにか言われたのかしらね?まあ、子供のやったことだから。」

 

そう。保護者の雷鳴と謝罪があったから、「子供のやったこと」と自分たちに言い聞かせることができた。

 

それはそれとして、現地での警戒心が高まっているという空気を感じたのは確かだった。誤解してほしくないのだが、いわゆる「コロナ差別」について語ろうとしているわけではない。

 

この日の自由行動後、夕食時にはお客様からいろいろな話を聞いた。

 

「日本語を話せる中国人とお昼に話したよ。『え?日本人は来れるのですか?中国人は、来れないのに。ずるいなあ。不公平だなあ』なんて言われちゃったよ。最近は、旅行者ではなく、在住者って言わないと、カフェなんかで冷たくされるって言ってたな。」

 

「私、イタリア10回以上来てるんだけどね、お昼に入ったピッツェリアで、初めて手をアルコール消毒されるように言われたの。東洋系の人だけが言われているのかと思ったら、入ってくる人全員がやらされてたから不満じゃないけど、びっくり。イタリアなのに。まあ、清潔感を感じられてよかったけどね。」

 

他愛もない夕食時の会話だが、後になって、ひとつひとつ拾い上げてみると、現地で危機感が高まってきていることを感じ取れる。会話している時は、言うほうも言われるほうも、それほど深くは考えていなかったけれど。

 

ツアーそのものは、順調にうまくいき、お客様は南イタリアを堪能して帰国の途についた。

帰りのフライトのチェックイン時、ナポリでの搭乗時、ミュンヘンでのシェンゲン出国時、ミュンヘンでの搭乗時、

 

2週間以内に中国を訪問しましたか?」

 

と、少なくとも4回は訊かれたが、ここまでくると慣れっこになっており、ユニークなお客さんが、「『中国に行ってません』って、なにかに書いて胸に貼っておいたら?」というくらいだった。まだ危機感はない。心の奥底にあったとしても、イタリアでの美しい旅の思い出にかき消されていた。

 

無事に羽田に到着して、笑顔でみなさんとさよならしたのが2/4

 

帰宅して、夕方のニュースを見るためにテレビをつけた。なにやら派手は報道をしていた。この日は、あのダイヤモンド・プリンセス号が横浜に帰港した翌日だった。
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2週間以内に中国を訪問されましたか?」

 

羽田からミュンヘン乗り継ぎでナポリに向かう際、ミュンヘンでのシェンゲン入国で係官から質問された。今考えてみると、僕が初めて直面したコロナ現場(ひじょうに小さなことだけど)だった。

 

1/28。僕は12名のお客様と、イタリア南部ツアーに旅立った。

この頃になると、コロナに対して強く警戒する人が増えてきていたと思う。ただし、恐れ方が今とは違う。記憶をたどってみると、僕らのコロナへの恐れ方には変化がある。

 

この日、僕はフェイスブックに、羽田空港のドラッグストアでマスクをまとめ買いしている中国人ファミリーを目撃したことを記している。それも段ボール二箱。「大変だなあ。僕らも気を付けないと。」と、コメントはまだ他人事だ。

羽田空港で働いてる人たちは、みんなマスクをしていた。様々な会社が入っている空港であるが、どこも着用を義務付けていたそうだ。空港で働いている人たち全員がマスクをしていることに気づいたのは、この日が初めてだった。

 

航空機内では空席が目立ち始めていた。前回のクロアチアツアーで利用したルフトハンザ航空でも空席が目立ったが、この日のANAは、さらにそれが顕著だった。冬場は観光客が少なく、空席が目立つフライトが時々あるが、どの添乗員仲間に聞いてもこのような状況が続いており、海外渡航者が減少していることは明らかだった。

 

このツアー出発前から、コロナを理由としたお客様のキャンセルが目立ち始めていたが、空港や機内で、その影響を目の当たりにしたわけである。ただ、この頃にキャンセルされた方々の理由は、渡航先が怖かったからではなく、空港を恐れていたためだ。空港でマスクを買い占める中国人の話を先述したが、多くの中国人が集まる国際線ターミナルが一番の恐怖だったのである。海外に関してはというと、

 

「日本よりも欧米やアフリカのほうが安全な気がする。」

 

という認識だった。僕自身もそうだった。相談された人たちには、

 

「空港では、マスクして注意してれば大丈夫だと思うよ。あとは、トイレ行ったときの手洗いを念入りに。インフルエンザの予防法と変わらないよ。SARSの時だって新型インフルの時だって、あれだけ騒がれてもみんな大丈夫だったろ?この程度で怖がっていると、どこにも行けないよ。」

 

と、こたえていた。能天気で無責任に聞こえるかもしれないが、これでも一応経験に基づいたアドバイスだった。流行り病に対して、旅行業界人は比較的敏感だ。僕らには2003年のSARS2009年の新型インフルエンザの教訓があった。この時も、一時的に旅行者数は減ったものの、結果的には大きな影響を受けずに乗り切った。当然、SARSの時は中国ツアーを片っ端から潰し(現在と違い、当時の中国は超人気エリア)、新型インフルエンザの時は、一部米国や、死者の多かったメキシコのツアーを、被害が少ない地域や訪問地など関係なくすべて潰した。

 

そうすることで、問題なく旅程をこなして帰国できる。そういうツアーに参加された旅仲間から快適な旅の情報を得て、一時的に旅行を我慢していた人たちは、すぐに顧客として海外ツアーに戻ってきた。

 

「問題なのは感染地域だけ。そこを外せば旅行は問題ない。」

 

そのような認識だった。今回、一番問題なのは中国。そこを外しているのだから問題ない。・・・と思っていた。この後、すぐにみんな気づくのだが(いや、実は内心気づいていたのかもしれない)、同じ中国発祥でも、SARSの時代と今とでは、世界を往来する中国人の数が全然違っていた。おまけにコロナの潜伏期間が長い。それまでの感染症と同じレベルの注意深さでなんとかなるものではなかったのだが、まだこの時点では大半の人がそこまで言及していない。というよりも、コロナに対してほとんど知識がなかった。

 

この時の取引先の対応は、とてもよかった。お客様に対して、一人二枚のマスク用意してくれていた。この当時、既にマスクは品薄状態だったから、空港での受付時に参加者にお渡しすると、みんな喜んだ。密室での感染を怖がらないよう、配布を決めたという。当時、非常に手に入りにくくなっていたマスクが、なぜ大量にあるかは疑問だったが、社員のために災害用に備蓄してあったものを使ったそうだ。全般的に用意周到な取引先なのだが、この時は本当に恐れ入った。大量のツアーが控えていたから、マスクの在庫がどこまで持ったかは知らない。ひょっとしたら、尽きる前にツアーがなくなったかもしれない。

 

さて、ツアーの動きに戻ろう。ミュンヘン乗り継ぎでナポリに到着したのは、夜の10時近くだった。シェンゲン入国をミュンヘンで済ませていたから、ナポリでは、ほぼ無人の税関を通り過ぎるだけのはずなのだが、ここでも係員に質問された。

 

「添乗員の方ですか?何名様のグループですか?行程は?」

 

そして最後に、

 

「過去二週間の間に中国を訪問された方はいらっしゃいませんか?」

 

この時点でイタリア政府がコロナ関係で、なにかしらの指針を示していたかどうかは記憶にないが、事前に添乗員に何も知らされなかったということは、一般レベルに対する告知については、特になにもなかったのだろう。

このツアーでの行程は、最初にソレントで2泊、続いてマテーラとアルベロベッロで1泊ずつした後、最後にナポリで2泊するという、田舎を周遊してから最後に都会に泊まるという、オーソドックスなものだった。

 

田舎巡りらしく、天気にも恵まれて順調にツアーは進んだ。ナポリに到着するまで、空港でわずかな緊張感が生じたが、そんなことはすっかり忘れていた。

ところが、4泊目の1/31。アルベロベッロのホテルに到着してチェックインした時、

 

「二週間以内に中国を訪問されましたか?」

 

と、再び問われた。

 

「いえ・・・。あの、なにかあったんですか?」

 

「昨日、中国人観光客で、肺炎の感染者が出たんです。それで確認させていただいております。」

 

「私たちは、日本人のグループですが。」

 

「はい。存じております。ただ、日本は中国に近いですから。二週間以内の訪問も考えられますから。念のため伺っております。」

 

「わかりました。すでに、お客様には確認しております。どなたも該当しません。それで、仮に訪問していたら?」

 

「もちろんご宿泊いただけます。念のため、お伺いしているだけです。」

 

今ならわかる。万が一のために、なにかあった時にはルートを追えるようにしていたのだろう。ちなみに、1/30に感染確認された二人の中国人旅行者は、イタリア国内で確認された初めての感染者だった。とうとうコロナが入ってきた。ということで、一気に警戒心が高まっていたのだろう。テレビでその報道を見ると、ホテルスタッフの対応は納得できた。単純な質問だけで、それ以上のことはなにもなかったし。

 

2/1にアルベロベッロからポンペイに移動して、遺跡を観光し、その後ナポリのホテルにチェックイン。翌日、ナポリでは終日自由行動だったのだが、さすがに都会に来ると空気が変わっていた。なんとなく、時々アジア系の僕らを気にしている地元の人たちがいたように思う。この日は土曜日で、旧市街は賑わいを見せており、朝から僕と一緒に行動していた一部のお客様は、旧市街の街並みと、祭りのように盛り上がるナポリを満喫していた。

 

そんな時、小学生高学年くらいの女の子たちが、保護者に見守られながら、お揃いの白いハイネックのシャツを着て募金活動をしているのを見つけた。協力したいと思ったのだろう。女性客の一人が、1ユーロコインを募金箱に入れた。心からの好意だった。

 

ところがである。お客様の顔を確認したとたん、募金箱を持った少女は、ハイネックの部分で鼻と口を隠した。それを見て、何かに気づいたようにそばにいた三人も同じようにしたのだった。マスクでウィルスを避けるかのように。

 

僕らは、その場で一瞬凍り付いた。
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日曜美術館を観た。

本日のテーマは、行き慣れたルーブル美術館。見慣れた作品が、劇的に次々と紹介された。

添乗に出ている頃は、なんとなく見ていた番組だが、こういった情勢だと近いはずのルーブルが遠く思えて・・・、なんか感慨深かった。

テレビには、とても感謝している。海外旅行やクルーズを扱った番組を、「日常の一部」であるかのように扱いながら放送を続けてくれている。旅行関係の仕事をしているものとして、どれだけ救われていることか。「いつか行ける日が来るんだよ」と、励まされている気持ちだった。

最近の午前中は、コロナ関係のニュースばかり見ていたから、余計新鮮に感じたかもしれない。

たぶん、この気分には、緊急事態宣言の解除が見えてきたことも影響している。海外旅行の再開までは、まだまだ遠そうだけど、間違いなく一歩進んだという実感があるのだろう。第二波などの心配事は絶えないが、最初のここをクリアしないと次の問題に立ち向かうことさえできないのだから。

久々に、前を向いた気分です。

前を向いたずーっとその先には、こんな風景が待っているに違いない。大好きなサントリーニ島のイアより。
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