マスター・ツートンの仁義ある添乗員ブログ

自称天使の添乗員マスター・ツートンの体験記。旅先の様々な経験、人間模様などを書いていきます。

July 2020

登場人物

 

マスター・ツートン

春代さんの回復を、心底喜んだ熱血旅行会社員。将来の自称天使の添乗員

 

春代さん

旅先で、くも膜下出血で倒れるが、ジュネーブの病院に入院後、劇的な回復を見せる。

 

貴志さん

春代さんの次男。重症な母親のため、日本から駆け付けた。

 

ノイマン先生

丁寧な治療とアドバイスで、僕らの絶対的な信頼を勝ち取る医師。貴志さんが男性でよかった。女性なら、間違いなく恋に落ちている。というくらいのイケメン。

 

 

小野さんは、思った通り朝6時1分に電話をかけてきた。僕は前の日の晩は、レポートを早めに仕上げて東京に送り、10時前には就寝したから、かなり疲れが取れており、結果的にいいモーニングコールだった。

 

「おお!ツートン!よかったなあ。」

 

彼は、僕のレポートを読んだうえで電話をくれていた。春代さんの回復は、部署内で共有されていたようで、雰囲気も明るかったらしい。一方で、医療通訳の手配に保険会社がとまどってることについては、

 

「まあ、バカンスシーズンは、日本のお盆みたいなものだから。」

 

と、僕と同意見であると同時に、

 

「一番観光客が多い時に、みんながバカンスってのもおかしな話だよな。」

 

と、不満を言った。なにはともあれ、「お客様第一」ということで、貴志さんが「もういい」と仰らない限り、医療通訳が派遣されるまではご一緒するようにという指示を受けた。

 

この日は、ジュネーブ滞在の3日目の火曜日。春代さんは、さらに回復した。貴志さんの手を握り返す様子が、傍から見ていても力強くなっているのが分かる。

 

「もう心配ない。」

 

誰もがそう思った夕方にはうっすら目を開けた。そして、なにか小さな声で呟いた。ノイマン先生が、何を言ったのか気にしている。

 

「どうしたの、母さん!頭が痛いって言ったの?そうだったら手を二回握って。」

 

春代さんは二回、貴志さんの手を握った。

 

「母さん、頷ける?」

 

これは、医師の許可を得ていない貴志さんのアドリブだった。でも、ノイマン先生は止めない。むしろ、できるかどうかを確かめるように、身をぐっと乗り出した。

 

春代さんは、小さく頷いた。そして小さなあくびをした。

 

ただのあくびだ。でも、それがどんなにその場にいた人たちの心を、ほぐしたことだろう。

 

ノイマンさんは、拍手で祝福した。

 

「春代さんは素晴らしい!よし!!明日、集中治療室から一般病棟に移しましょう。」

 

貴志さんは、破顔一笑でノイマンさんの方を見た後、春代さんの手を両手で握ったまま、祈るような仕草を取り、しばらくそのままでいた。きっと母の無事を、心から感謝していた。

 

周りの人間が静かに見守る中、貴志さんは手を離して立ち上がった。時計は午後の5時を回っている。

 

「今日はもう終わりですね。ツートンさん、帰って乾杯しましょう!紹介したい友人がいるんです。」

 

貴志さんには、ジュネーブ在住の友人がいた。高校と大学を通しての親友だそうだ。日系の企業の人かと思いきや、有名な国際機関のひとつだった。国連機関を含めて、ジュネーブには15以上の国際機関があるが、その中の有名どころのひとつだった。

 

「それほど大切なお友達とお会いになる時に、僕がご一緒したら邪魔なのでは?」

 

「いや、向こうも会いたがってるんですよ。そんな親切な旅行会社の人だったらいろいろ話を聞いてみたいって。」

 

忘れていたが、貴志さんたちは、首都圏でも有名な進学校を経て、一流国立大学を卒業したエリートだった。役人や国際機関の職員などが、当たり前のようにOBにいらっしゃる人たちの集まりだ。そう考えると興味がわいてきた。日本にいたら住む世界が違う人たちだったから。

 

果たしてご一緒させていただいた時間は楽しかった。テレビドラマや映画で見るエリートは、えらそうな人が、えらそうに、えらそうな会話を皮肉たっぷりに話す。

 

本物のエリートは(少なくとも彼らに限って言えば)、えらそうな話を、いい意味で普通に話す。会話のテンションで言えば、普通のサラリーマンが「あそこの部長はいい人だけど、課長はムカつくよな。一番よかったのは、受付の女の子だよな。かわいかったなあ。あ、帰りに一杯いかない?うまい焼き鳥屋みつけたんだよ。」というテンションで国際政治について話す。

 

勉強したことを、力をこめて話すのではなく、自然に話す。つまり、とても聞きやすい。僕は、必死に彼らの話を記憶した。間違いなく自分の仕事に役立つと思ったからだ。少なくとも、当時の自分の勉強ではたどり着けない内容だったから余計に楽しかった。

 

お二人が話した後は、僕にも喋らせる。話し上手な二人は、聞き上手でもあった。スイスの観光事情や周り方、そのほかの国々の観光地について、そして、なにより添乗員の仕事に興味を示した。訊かれたことには全てを話したあと、

 

「面白いですか?」

 

「面白いですねえ。現場に立ってる人の話って興味深いです。でも、やはり・・・仕事ですね。華やかで楽しそうに見えても。」

 

「そりゃそうですよ。」

 

「いや、それでも、いろいろなところに行けていいなあ・・・とは思ってしまいますね。我々一般人は。でも、あれですね。隣の芝生は青いですね。」

 

「そうですね。僕から見たら、役人や国際機関の職員なんて、やりがいの塊のような仕事で、うらやましいけど。でも、これを言ったら、『隣の芝生が青い』って言われますね()

 

「そりゃそうだ()

 

この会話の中の「隣の芝生は青い」には、「そんなに甘くない」や「そんないいことばかりではない」、という意味合いだけでなく、お互い自分たちの仕事に対して「やりがい」が含まれていたと思う。例えば、添乗員を含む旅行の仕事のやりがいは、必ずしも「いろいろなところに行ける。様々なものを見られる」というとろにとどまらない。そこだけを見られると、確かに「隣の芝生は青い」で終わる。僕らの仕事の真の面白さは、その先にある。

 

楽しい夜だった。貴志さんには、現地の友人を紹介していただけたことで、間違いなく信頼していただいてると確信した。

 

部屋に帰った僕は、日本にレポートを書いた。

 

春代さんの劇的な回復具合。次の日からは、いよいよ医療通訳が派遣されるといった報告のほか、そろそろ僕の役割が終えてきているのではないか?などの意見も添えた。

 

そして、朝六時まで寝ることを、最後に太字で書いて送信した。

 

友人と貴志さんを交えた三人の会話内容は、ここでは細かく書かない。自分の言葉に変えて、スイスのツアー時に、バスの中でのネタに使わせていただいているから、その時にでもお話ししよう。非日常の苦労で手に入れた知識なので、安売りはしたくない。

 

僕の案内でスイスを旅されたら、必ず聞ける話なので、それまでのお楽しみということで。

 

あと二話。このシリーズは続きます。

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ウェンゲンという街の同じ場所から異なる時間に撮影したユングフラウ。一枚目は夜。左上に見える光は月。iPhoneで撮影すると、実際よりも明るく写る。
二枚目は、日の出直後に赤く染まったもの。

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標高が高いスイスにもブドウ畑がある。上がレマン湖畔。下がヴァリス州。ツェルマットからローヌ谷に出て、フランス方面に進んでいくと見える。




登場人物

 

マスター・ツートン

母親を救うべく、日本から駆け付けた家族を全力でサポートしている熱血旅行会社員。後に天使の添乗員となる・・・予定。

 

春代さん

モンブランを眺める展望台で倒れる。後にくも膜下出血であることが確認され、ジュネーブの病院に搬送された。現在、集中治療室で24時間体制で療養中。

 

貴志さん

春代さんの次男。母親のピンチに日本から駆け付ける。

 

ノイマン先生

常に適格な助言をくださる医師。年齢は30台半ばくらいか。背が高く、やや細身。「お医者様」や「先生」というよりも、「ドクター」という呼び方が似合うような気がする。ここでは、今さら直すのが大変なので、ノイマン先生と呼ぶことにした。

 

 

「お母さん!聞こえる!貴志だよ!」

 

必死に貴志さんは、呼びかけを始めた。何度か呼びかけた後、一度、ノイマンさんは、貴志さんを止めた。

 

「反応は?春代さんの手に力がはいったりしてますか?」

 

「はい。握り返してきている感触が、わずかですがあります。」

 

「よし、今度は『聞こえていたら二回手を握って』と言ってみてください。」

 

貴志さんが、そうやって呼びかけた。果たして反応は・・・?病室が緊張感に包まれた。

 

「ノイマンさん、二回握りました!」

 

貴志さんは、自分で英語で答えた。ノイマン先生は、深くうなずき、「GOOD!」とつぶやいた。それからは、休み休み声をかけた。その度に反応を確かめ、ノイマンさんと貴志さんは、コミュニケーションを取った。

 

僕は、その反応をいちいちノートに書きとめていた。

 

9:08 最初のよびかけ。反応あり

9:10 医師の指示で、2回握り返すように呼び掛けて、その通りに反応あり」

 

と、いったように。

 

個人情報にうるさい現在では奇妙に感じるかもしれないが(この案件は、個人情報保護法施行の前)、このケースでは、こういった状況を会社に報告する必要があった。付き添いで社員が同行しているのに、日本にいる社員の誰も実態を把握していないのは不自然だ。

 

それに、時差などの関係で、日本の家族がスイスと連絡を取りにくい時は、会社に現地の様子を家族が問い合わせてくる。病室での滞在中、携帯電話の通話はスイスでも禁止されており、電源を切らなくてはいけなかったから、日中はこちらから連絡しない限り、日本側が僕らとコミュニケーションを取るのは難しかった。しかし、このレポートを日本に送って、部署の人間が内容を把握しておけば、日本のご家族も貴志さんの連絡を待たずに春代さんの容態を聞くことができたわけだ。

 

ランチの時間になって、一度休憩だ。病院のカフェで、僕と貴志さんは、食事を取った。

 

「母は、きっと大丈夫です。」

 

独り言のように彼は言った。そして、まずいサンドイッチを頬張り、コーヒーでそれを流し込んだ。なかなか豪快な食べ方だ。母親は、絶対に自分が助けるという、強い意志が体中にみなぎっているように見えた。

 

「時間だ。行きましょう、ツートンさん!」

 

足早に病室に向かう貴志さん。いい家族だな。彼の後姿を見ながらそう思った。

 

午後一番、病室に入ってノイマン先生の指示待ち。その時、一瞬焦る出来事があった。なんだか心電図の様子がおかしいのだ。あれ?と思って見ていると、心拍数がどんどん落ちて、止まりそうになってきている。

 

「!!!!」

 

僕は、すぐに病室の緊急ボタンを押した。男性看護師の一人がすぐに飛んできた。

 

「どうかしましたか!?」

 

「心電図と心拍数の様子が・・・」

 

説明すると、すぐに看護師は春代さんのそばに駆け寄り、軽く胸をたたきながら、

 

「マダム!マダーム!!」

 

と強く呼びかけた。するとみるみる数値が元に戻ってゆく・・・。

 

「ノイマン先生がおっしゃったのは、こういうことです。春代さんは、順調に回復していますが、ご高齢だし、何があるか分からない。だからすぐに何にでも対応できるようにここ(集中治療室)にいます。びっくりしたでしょうけど、容態が安定するまでは、たまにあることです。心配いりません。」

 

説明が終わると同時に、ノイマン先生が帰ってきた。看護師から報告を受けて、「念のため」と、僕らに言い聞かせてから一通りの数値の確認、瞳孔の様子などを見て、問題ないとしたうえで、再度、貴志さんに呼びかけをするように指示した。

 

気を取り直した貴志さんは、午前と同じように呼びかけを繰り返した。わずかだが、確実にこたえる春代さん。休み休み間隔をあけながら、何度も何度も繰り返す。ノイマン先生は、精神面も含めて貴志さんが呼びかけに慣れてくると、常時その場にいることはなくなった。

 

午後4時ちょっと前、30分ほど席を外したノイマン先生が帰ってきた。呼びかけを繰り返す貴志さんを、僕らは二人で見守った。僕は、相変わらず二人の様子をメモにとりながら、ノイマン先生に小声で質問した。

 

「手を握り返してくるというのは、春代さんには意識があるということですか?あれくらいの動きしかできなくても?」

 

「そうですね。貴志さんの言うことが聞こえてるから、言われた通りの動きができるのです。いい傾向ですよ。」

 

「へー・・・。では、目を開けて会話できるようになった時、このことを覚えてるのですか?」

 

「それはまた別の話ですね。覚えてるという人もたまにいるようですが、覚えていないのが普通です。意識があるから記憶される、というものでもないから。」

 

「お酒を飲みながら話したことを、覚えてないのと同じですか?」

 

冗談めかして訊くと、「え?」という顔をした後、ノイマン先生はクスクス笑い始めた。

 

「ちょっと違うけど・・・脳の記憶を管理する部分が、働いてないって意味では同じかな。」

 

そんな会話をしているうちに、貴志さんはこちらに顔を向けた。

 

「どうしましたか?」

 

「あの・・・母の反応がまったくなくなりました。」

 

「そうですか。」

 

午後5時手前になっていた。4時過ぎくらいから反応が鈍くなってきたという。ノイマンさんは、再び数値や瞳孔を確認した。

 

「眠っています。」

 

と、貴志さんを安心させるように言った。

 

「貴志さん、疲れたでしょう?お母さんも同じくらい疲れたんですよ。今日はもう、休ませてあげましょう。」

 

貴志さんは、大きく息をした。ため息ではない。とてもほっとしたような、前向きな呼吸だった。

 

 

僕らは、帰り道にホテル近くで、簡単な夕食を済ませようとカフェレストランに入った。

オーダーするものが来る前、お預かりしていた保険証書を手元に置いて、保険会社に電話した。せっかく同行しているのだから、貴志さんには、春代さんの看病に集中していただき、諸々の手続きは、なるべく僕が行うようにしようと、今朝決めていた。

 

気になることがひとつあった。このように、病院での治療や入院が必要なほど重症になった場合、保険で医療通訳を雇うことができる。今回も依頼していたのだが、それに対しての返答がまったくなかった。

 

「申し訳ありません。今、バカンスシーズンで稼働している通訳の数が少なくて・・・派遣できるのは2日後になります。」

 

「2日後?依頼してから4日後ですか?こちらは集中治療室に入った重症患者ですよ。」

 

「いや、本当にいないのです。旅行会社の方ですか?今回付き添いでいらっしゃってるんですよね?私たちも助かってます。」

 

「・・・・・もし、僕が帰ればサービスの提供が早まるのですか?」

 

「いや、そういうわけではありませんが・・・。」

 

いろいろ伺ってみたが、どうやら2日後には、確実に来てくれるようだ。「バカンスシーズン」というのは、日本語でいうところの「お盆」みたいなものだから、本当に人がいないのだろう。僕は、それを貴志さんに告げた。すると、

 

「うん。分かりました。2日後に来てくれるならいいでしょう。今は問題ないし。」

 

と、すぐに理解してくれた。

 

「問題ないですか?」

 

「ないですよ。今は。それにしても・・・いやあ、ツートンさんに来ていただいてよかった。」

 

「お役に立ててますか?」

 

僕は、本気で伺った。一応通訳しているが、貴志さんは医師の英語を、おそらく大半聞き取っていた。そういう状況に置かれれば、彼は自分で事を進めていける能力を持っていたと思う。

 

「英語は勉強しましたけど、今の職場では必要ないんです。そうい環境にしばらくいたことないんですよ。久しぶりの実戦が、重症患者の医療現場というのは、大変ですよ。最初のほうは、母の様子ばかりが気になって、ノイマン先生の言葉が全然耳に入ってきませんでしたし。」

 

なるほど。それは確かにそうだろう。大変な思いをされてる貴志さんには申し訳ないが、自分が役に立ててると思うと、少し嬉しかった。お互いに疲れていたので、さっさと夕食を済ませて部屋に向かった。まだ夜の8時にもなっていない。7月のスイスだから、空はまだ明るく青い。それでも眠かった。

 

「ツートンさん、明日、今日よりもよくなってたら乾杯に付き合ってください。そんな気がするんです。」

 

「ええ。もちろん!」

 

二人ともそれぞれ部屋に戻り、僕は会社あてにレポートを作成した。昼間書いた殴り書きのようなメモを清書して、医療通訳の派遣が2日後ということを添えた。順調に回復というニュアンスの文書に仕上げて、最後に太字で「明日は、朝6時まで寝ます。」と付け加えた。

 

所属長の小野さんは、なにか気になったら時差もなにもおかまいなしに電話してくる人だった。待てないのだ。以前、現地でトラブルがあった時、何度夜中に起こされたことか。つまり、僕は安眠するための予防線を張ったのだ。

 

果たして、その効果はあった。あの、待てない小野さんが翌朝電話をかけてきたのは、朝6時1分だったのだから。


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サンモリッツ近郊にあるディアボレッツァ展望台から眺めたベルニナ・アルプス。マッターホルンやユングフラウのような超有名な山はありませんが、間近に左右に広がる大パノラマを見られます。
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面白いのは、この二枚目と三枚目。展望台にはレストランあります。窓の向こうにアルプスが見えるが、実は窓に映ったもの。これは、実物よりも、写真に撮ったほうがはるかに面白い。

登場人物

 

マスター・ツートン

このブログの筆者。今回は、スイスで倒れたお客様のため、そのご家族のお供でジュネーブに来ている。天使の添乗員になる前、熱血旅行会社員時代のお話。

 

春代さん

フランスのシャモニーで倒れて、ジュネーブの病院に搬送されてきた。くも膜下出血ということが分かり、手術後は集中治療室に入った。

 

貴志さん

春代さんの次男。春代さんが重症のため、急遽日本からスイスに飛んだ。

 

小林さん

現地手配会社のスタッフ。

 

ノイマン先生

春代さんを担当したお医者様。

 

 

「手術は成功です。」

 

ノイマンさんは、話し始めた。ただし、笑顔はない。まだ手放しでは喜べない。成功したというよりも、失敗しなかったというニュアンスのように聞こえた。

 

「発見が遅れたために、かなりの手術時間を要しました。そのうえ、ご年配です。このまま回復されるとは思いますが、今の時点では、まだなんとも言えません。」

 

僕を介して貴志さんが聞いた。

 

「助かる可能性と助からない可能性はどちらが高いのですか?」

 

「全力を尽くします・・・!」

 

静かに、でも力強くノイマンさんは答えた。ここでは、たぶん大丈夫だよ、というニュアンスに聞こえた。母と、少し二人でいたいと貴志さんが言うので、僕とノイマンさんは外に出た。

 

集中治療室の外に出ると、ノイマンさんが不思議そうに尋ねてきた。

 

「あなたは、家族ではないのでしょう?」

 

「はい。私は、旅行会社の者です。浅倉さんに依頼されて来たのです。」

 

ますます不思議そうな顔をしている。うーん・・・という顔をしているので、どうかしたかと逆に尋ねてみた。

 

「いや、先ほど代理人と仰ってましたが・・・日本ではどうか知りませんが、スイスでは、このような場合家族以外の方が、病室に入ることはないんです。私たちには、患者に対して守秘義務というのがあって、病名や症状などは、一切口外してはならないのです。」

 

日本でも似たようなもんじゃないかな、と思いながら、僕が来ることになったいきさつを説明した。僕だって、来たくて来たわけじゃない。

 

やがて、貴志さんが病室から出てきた。

 

「ツートンさん、先生にちょっと聞いていただけませんか?」

 

クールに言いながら彼は質問を始めた。

 

「発見が遅れたのはなぜですか?」

 

「一番の理由は、シャモニーの病院に検査設備が整っていなかったということです。患者さんは、昏睡状態に入る前には、普通に動いていたそうです。昏睡状態に入って、すぐに検査できる状態にあったら、もう少し早く処置できたかもしれませんが、その間に搬送という作業が生じてしまった。」

 

「シャモニーの医師と・・・その、ツアーの添乗員の処置は適切だったのででしょうか?」

 

一瞬だけ、チラッと貴志さんの視線がこちらに向いた。それは僕の目よりも胸にグサッときた。単なる質問だったのだろうが、矛先がこちらに向けられたような気がした。

 

「添乗員が、春代さんをすぐに病院に連れていったから、シャモニーの医師は、異変に気付けたのです。添乗員は、お客さんのことを精一杯気遣ったと思います。シャモニーの医師も、異変を感じてからは、素早い処置をした。適切だったと思います。」

 

「母は、標高3800mの展望台で倒れたと聞いています。高山病で倒れて頭を打ったせいで、クモ膜下出血になったのですか?」

 

「その可能性もありますが、その逆に、突発的にクモ膜下出血を起こしたために、倒れたことも考えられます。今となっては、どちらか判断できません。」

 

「・・・分かりました。最後に、発見が遅れたというのは手遅れということですか?全力を尽くすというのは、助からないけれど、できることはする、という意味ですか?」

 

きわどい表現で、僕も正確に訳せたかどうか分からない。僕にとっても、ノイマンさんにとっても、英語は母国語ではないのだし・・・。ニュアンスを込めるのが難しいので、僕はそのままストレートな表現で訳した。お読みになっていてお分かりだと思うが、貴志さんの質問は、丁寧で細かい。そして、同じ内容の質問を、言葉を変えてしてくる。わずかなブレも見逃さないようにしているようだった。

 

・・・少々の沈黙が流れた。そして、ノイマンさんは、優しく頷いて、落ち着きなさいという素振りを見せた。

 

「手遅れではありません。発見が遅れたというのは、手術時間が長くなった理由のひとつとして考えてください。助かる可能性は十分にあります。今晩中に容態が急変しなければ、回復に向かうと思っています。ただ、かなりお歳を召してますから。何があるか分かりません。今夜は、交代で看護師が様子を見守ることになっています。あなたたちも、長旅で疲れたでしょう?今日は、もうホテルでお休みされたほうがよろしいですよ。」

 

最後のノイマンさんのこたえは、最初に彼が言った「回復すると思うが、まだなんとも言えない。でも、全力を尽くす」という言葉の意味を、十分に説明しているものだった。

 

納得した顔で、貴志さんが僕の方を見た。僕は頷いて、

 

「帰りましょう。何かあったら知らせてくれるはずです。貴志さんも休まないと。春代さんがよくなっても、貴志さんがお体を壊したらなんにもなりません。」

 

「そうですね・・・。ノイマン先生、よろしくお願いします。」

 

「お二人とも、明日は朝9時に来てください。ここからは、家族の方の協力が必要なんです。」

よく分からずに、はい、と返事をして僕らは病院の出口に向かった。

 

小林さんは、ずっと集中治療室の前で待っていた。僕らと出口に向かった彼女は、震えているように見えた。待たせてあったタクシーに乗ってホテルに向かった。チェックイン後、先に貴志さんには休んでもらい、僕は、小林さんと少し話をした。

 

「お疲れ様でした。案内をありがとうございます。助かりました。日本から電話した時は、いろいろキツイこと言ってすいません。もっと・・・そのベテランの声のように聞こえたもんだから・・・。」

 

「はい。声が低いせいで、電話ではよく30代に思われるんです。・・・本当に、気がきかなくてすいません。土曜日で、スタッフもあんまりオフィスにいなかったので・・・。本当にごめんなさい。ツートンさんは、何ひとつひどいこと言ってません。私が全部悪いんです。」

 

詳しく聞いてみると、彼女はまだ23歳だった。短大を卒業して、こちらへ旅行でやってきて、その時に知り合ったスイス人男性と仲良くなり、その後結婚してこちらに住んでいるのだそうだ。旅行の仕事は、まだ初めて1年経っていないという。

 

あの若さで1年経っていないとしたら、その仕事ぶりは立派なものだった。経験不足のせいで、要領が悪いのは仕方ないが、ガッツあふれる仕事ぶりだった。ずっと半泣きだった彼女もまた、今回のトラブルに振り回されながら、春代さんのために頑張ってきたのだと思うと、逆に感謝の気持ちがわいてきた。

 

「今日も遅くまで対応していただいてありがとうございます。今後もよろしくお願いいたします。」

 

こんな簡単なお礼と、深夜の割り増しチップくらいで、彼女がどれくらい報われたろうか。でも、その翌年にスイスに行ったときには、まだ彼女が同じ会社で働いていたことを知り、嬉しかったことを覚えている。

 

 

翌朝は、7時に起床。貴志さんとホテルで朝食を取って、市バスで病院に向かった。着くなり、春代さんのいる集中治療室へ向かうと、すでに、ノイマン先生と、看護師はスタンバイしていた。

 

「おはようございます。貴志さん、ツートンさん。お母さんは元気ですよ。脳波に異常なし、脈も呼吸も正常です。」

 

明るい声で、先生は言った。

 

「あとは、みんなで、お母さんをこっちに呼び戻してあげましょう。さあ、貴志さん、お母さんの手を握ってあげてください。」

 

貴志さんは、春代さんの手を優しく握った。するとノイマン先生は、もう少し強くてもいいと言った。

 

「さあ!お母さんに声をかけて、大きな声で、さあ!」

 

力強く、ノイマンさんが促した。

 

「呼びかけるって・・・文字通りの呼びかけですか?」

 

貴志さんが僕に確認してほしいと頼んできたので、僕は、ノイマン先生に確認した。

 

「そうみたいですよ。気絶してる人に声をかけて起こすようなニュアンスみたいです。」

 

「なるほど。そういうことですか。」

 

ノイマン先生が、その意図を説明したくださった。

 

「以前は、くも膜下出血などの手術後は、絶対安静がいいと言われていましたが、今の医学では違うのです。春代さんのように健康なら、話しかけて脳を活性化させるのが、回復への近道だと信じられています。さあ、声をかけましょう!」

 

「お母さん!聞こえる?お母さん!!貴志だよ!!」

 

春代さんを呼び戻すべく、貴志さんの必死の呼びかけが始まった。


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夏、冬。夜明け、昼間。ツェルマット、ゴルナーグラート。様々な季節、様々な時間帯と場所から眺めたマッターホルン特集。
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登場人物

 

マスター・ツートン

このブログの筆者。重症のお客さんが発生して、家族の依頼によりスイスに向かった。この頃は旅行会社の社員。

 

小野さん

ツートンが所属していた部署のトップ。

 

春代さん

スイスのツアー中、くも膜下出血で倒れた女性客。

 

貴志さん

春代さんの次男。

 

小林さん

現地手配会社のスタッフ。ジュネーブ滞在

 

 

夜中12時からの緊急出張の準備は多忙を極めたものだった。

 

出発本数が少なくても、秋のツアーの手配準備があるので、その作業の引き継ぎ。当時、一応主任職だった僕は、同じ部署の別の主任に、部下の作業の管理を頼んだ。

 

問題なのは、航空券だった。夜中の12時過ぎに朝出発の便が取れるのだろうか?心配されたが、そこは、担当者の高山さんの人脈がモノを言った。浅倉さんの次男は、当時関西在住だったで、お客様の負担を考えれば関空発が好ましかった。結局、午前10時関空出発のKLMオランダ航空を手配することができた。

 

関空を10時出発ということは・・・僕は羽田発7時の飛行機に乗って移動しなければいけない。また出発時間が早まった・・・。緊急連絡先となる国際携帯電話も会社に取りにいかなければいけなかった。当時、僕は東京の府中市に住んでいたが、さすがにそれは無理だった。会社近くに住んでいる同僚に頼んで取りに行ってもらい、モノレールに乗り換える浜松町で渡してもらうようにした。

 

何もかも緊急だった。総力戦だった。すべての人への連絡と引き継ぎが夜中の1時を過ぎてからだったが、土曜の夜だったにもかかわらず、連絡をつけるべき人たちには、すべて連絡がつけることができた。

 

朝、6時前だ。浜松町のモノレールの改札で、同僚の女性から国際携帯電話を受け取った。

 

「悪い!朝っぱらから大変だったね・・・。ほんとに悪い!」

 

「全然!そっちよりは全然ましよ!それより寝てないでしょう?目が真っ赤だよ。」

 

眠いなんて思う暇さえなかった。この緊急事態に協力してくれた、すべてのスタッフに感謝して、関空に到着。いよいよ浅倉さんの次男と対面だ。クモ膜下出血で倒れているのも浅倉さんなので、ここから先は、お母さんを春代さん、次男を貴志さんと呼ぶことにする。貴志さんは、40代半ばのエリート公務員だ。一流国立大学を出て順調にキャリアを積んでいるようだった。見た目に線は細かったが、日焼けしており、軟弱な感じはしなかった。僕の付添は、彼が希望したらしい。

 

「すいません。このような緊急だったので、いざとなったらどのように判断するかを相談できる人が、一人そばに欲しかったのです。」

 

かなり慎重な方だ。でも、傲慢な感じは一切ない。朝早くから東京から関空に飛んできたことを感謝してくれた。チェックインと、一通りの打ち合わせを済ませて一度解散。いい感じの人なのでホッとしていると、小野さんから電話が掛ってきた。

 

「やはりクモ膜下出血だってさ。検査が終わって、これから手術だそうだ。」

 

「これから?」

 

「うん。お前が飛行機に乗っている時に連絡があったから、もう始まっているかもしれない。いずれにしろ、ジュネーブに着く時は、もう終ってるだろう。それどころか、大勢も決まっているだろうな・・・。いいな、ツートン?ニュートラルな立場を忘れるな。希望的なことも悲観的なことも言うなよ。」

 

手術の件は、飛行機に乗る時に貴志さんに告げた。彼は、「後は祈るだけですね」と、あくまで冷静だった。嬉しいことに貴志さんの席は、ビジネスクラスにグレードアップされていた。どうやら、うちの会社からの根回しがあったようだ。僕の席はエコノミー。席に座ったら、途端に眠気が襲ってきた。なんか、心配している貴志さんには申し訳なかったが、こんな時は寝るのも仕事なのだ。

 

離陸には気づかなかった・・・。目が覚めたのは、飛んでから6時間経った後で、もうシベリアの上にいた。あー・・・機内食を食べ逃した。空腹な自分に気付く。簡単なスナックだけでももらえればと思いCAのところへ行ったら、席でお待ちくださいと言われてしまった。

 

しばらくすると、体の大きいオランダ人のおっさんが、温かい食事を持ってきた。名札を見たら、なんとチーフパーサーではないか。

 

「御社の社長から連絡がありまして。大変なことになっていると伺っております。急な出発だから、お客は航空券をノーマルチケットで買わなきゃいけない。せめてグレードアップできないかと言われまして。浅倉様の分はご準備できましたが、本日ビジネスクラスは満席となっておりまして、ツートン様の分は準備できませんでした。そこで、お隣の2席は、空けてご用意させていただきました。お疲れでしょう。先ほどはお休みでいらしたので、お食事は、取っておきました。和食は終わってしまいましたから、イタリアンしか残っておりませんが、よろしいでしょうか?」

 

僕のこの日の席は、窓側3列の通路側。言われてみれば、残りの2席は空いており、かなりゆったり座っていた。しかも、この時間に温かい食事を取れる。この親切な待遇は嬉しかった。社長からの直接の指示かどうかは分からないが、上の方々が、そんなふうに航空会社にかけあってくれたのは確かだろう。嬉しかった。

 

そして、「たまたま自分が会社の代表で来ているが、何かあったら、すぐに対応してくれるんだよな。」そう思うと前向きになれた。

 

アムステルダムでは5時間の待ち合わせだった。もっと早い飛行機もあったのだが、急な手配で席を確保できなかった。ジュネーブに着いたのは、夜の10時。手術の結果が気になる。気になってたまらない・・・。

 

税関を出て病院に向かおうとすると、オペレーターのスタッフが出迎えに来てくれていた。

 

「小林です。昨日は、いろいろ手際が悪くてすいません。」

 

僕は、びっくりした。電話の声は、大人っぽかったのに、実際に会うと、かなり若い女性だったのだ。20代前半に間違いなかった。疲れきった顔で、目を潤ませながら「アサクラ様」という看板を持って立っていた。この子が対応していたのか。電話では、その仕事ぶりを少々叱っているが、ある程度ベテランだと思っていたからこそ言った文句だった。こんな若い方なら、もう少し、細かい指示を出しながら、こちらの希望ももっと丁寧に伝えるべきだった。なにか罪悪感のようなものを感じた。

 

その後、3人でタクシーに乗って病院に向かった。彼女の話では、手術は、とりあえず終わったという。今は集中治療室にいるそうだ。この時間での面会の手筈は、小林さんが整えていてくれた。

 

夜の暗い病院。入口で担当医師のノイマンさんと待ち合わせた。本来、集中治療室には、家族しか入れないのであるが、貴志さんの希望で僕も入室することになった。

 

「ツートンさんは、家族の代理人と同じ扱いでお願いします。」

 

これ以降、病院は僕のことをそのように扱ってくれるようになった。

 

恐る恐る入室・・・。僕は一瞬凍りついた。ベッドに横になった春代さんの顔は、誰かに似ていた・・・。思いだした!・・・数年前に亡くなった僕の祖母の顔にそっくりだったのだ。生まれて初めて間近で見た、身内が亡くなった時の顔。生気のない顔ってこういうことを言うのだと、しみじみ感じたのを覚えている。

 

春代さんの顔は、生気がなかった。少なくとも僕には仏様の顔に見えた・・・。

 

でも、すぐそばにある心電図は動いている。確かに動いている。静かな病室では、ちいさな呼吸音も聞こえた。感じることができた。生きている・・・。春代さんは生きている!僕は、心からほっとした。なぜか、体に力が入るのを感じた。

 

横では、貴志さんが拳をぐっと握っているのが見えた。

 

「手術は成功です。」

 

医師のノイマンさんは、話し始めた。

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空中散歩。モンブラン観光の際、エギュ・ドゥ・ミディ展望台からイタリア側のエルブロンネルの展望台まで、水平に移動するロープウェーを楽しむことができる。ロープウェーに乗りながら、反対側のゴンドラを撮影した。

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ロープウェーからは、大きなクレバスやモンブラン山群を歩く人々も眺めることができる。

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こんな風に上から横からアルプスを眺められる機会もなかなかない。











20047月下旬某日。

その日は、当時勤めていた旅行会社で、私がいた部署のセクションの夏季納会があった。7月というと、夏本番でこれから旅行会社が忙しい季節と思われがちだが、旅行会社にもよる。

 

8月に出国する旅行者は、ハワイや東南アジアなどのリゾートに向かう個人客が多い。お盆をまたぐ時期を除くと、意外とパッケージツアーの本数は少ない。僕が勤務していたのは、パッケージツアー専門の旅行会社。しかも顧客の大半はご年配だったため、逆に7月中旬から8月に旅行する人はほとんどなく、夏は余裕があった。

 

だから皆、土日を使って最低9日間の休みを取って、海外旅行を楽しむ社員も多かった。僕に関して言えば、12日間の夏季休暇を取ったことがある。部署のメンバーが、交代で休みに入る前に、繁忙期を乗り切った労いをしようということで、夏の納会をすることになった。

 

一次会が無事終わり、二次会で盛り上がり、終電を逃した僕は、新橋の漫画喫茶に泊まった。個室でのんびりしていると、携帯電話が鳴った。番号を見ると、海外に行っている添乗員からだ。誰だろう・・・緊急だろうか。

 

「坂巻ですが・・・。」

 

坂巻は、当時入社3年目の男性社員だった。期待された若手で、語学堪能。また、大学卒業後は2年間、スイスでハイキングガイドをしていたという経歴を持っていた。この時、彼が最も得意とするスイスのツアーを添乗していた。スイスというよりもヨーロッパアルプスのツアーと言ったほうが正しい。最初の2泊は、フランスのシャモニー滞在で、モンブラン観光がメインだった。

 

「モンブランの展望台で、お客さんの一人が倒れたんです。自分で起き上がれたからなんともないとは思うのですが、病院に行きたいとか、もう帰りたいとか仰るんです・・・。」

 

「頭とか打ったの?なんで倒れたの?高度障害かな?」

 

「僕がいないところで倒れたんですよ。展望台のスタッフが知らせてくれたんです。なんかすごい音がしたっていうので・・・。」

 

「本人が言うなら、病院くらい連れていってやりなよ。保険入ってるんだろ?ホテルの近くに確か病院あったはずだしさ、診察受けて休んでもらえば、明日はよくなるかもよ。」

 

「そうですね。そのほうがお客さんも安心できますよね。」

 

坂巻が落ち着いてきたので電話を切った。倒れたとは言え、自分で起き上がって、その後は何事もなくグループと行動したお客さん。このときは、僕も、彼もなんの警戒もしていなかった。診察後、一応連絡はするようにとだけ指示し、電話を切った。久々にだらけた週末を過ごすことを、このときは何よりも楽しみにしていた。

 

翌朝、僕は自宅に帰って、ゆっくりと土曜日を過ごした。夕方はアパートの1階にある、お気に入りのイタリアンでパスタとワイン三昧♪近くの公園で楽しそうな音楽が聞こえてきたので行ってみると、夏祭りがやっていたので、ちゃっかり盆踊りに参加してしまった。一人で過ごす至福の時間。気持ちいい酔い加減。明日はどうしようか?

 

家に着いたのが夜9時頃。飲みなおそうかな・・・と思ったとき、家の電話が鳴った。

 

「坂巻です・・・。あの・・・」

 

「おおう♪どうした?元気?」

 

すっかり陽気になっていた僕は、コントで芸人がおちゃらけるノリで話していた。

 

「・・・・・・・・・・。」

 

無言の坂巻。僕は、前日の電話を思い出した。まさか昨日倒れたお客さんになにかあったんじゃ・・・。酔っていながらも、現地との時差を計算した。シャモニーは、もう昼の2時頃だった。ツアーはシャモニーを離れて、国境を越えてスイスに入っているはずだ。

 

「昨日のお客さんか?お前、もうスイスにいるんだろ?」

 

「はい・・・。結局、お客様の希望で病院に泊まったんです。今朝、ご挨拶にお伺いした時は、まだ大丈夫だったんです。それで・・・もう帰国したいとおっしゃったから・・・お客さんを残して出発して、高山さんとオペレーターに連絡して、手配を整えていたんです。」

 

高山さんは、東京本社の航空券手配部署のリーダーだ。オペレーターは、現地手配会社のことを業界用語でそう言う。

 

「それで、週末は無理だから月曜日の出発になるということで、病院に電話して、お客さんと話そうと思ったんです。そしたら・・・、その・・・眠って目を覚まさないって・・・医者が言うには、なんか・・・変な眠り方だって・・・。」

 

「病名は?けがとか?なんか聞いたのか?」

 

「教えてもらったんですが、日本語でなんて意味か分かりませんでした。」

 

「分かった。ここからはこっちでなんとかする。それから、作業の手順は間違ってないけどさ、お客さんを一人残してくるなら、必ず連絡しろ。高山さんよりも、むしろこっちが先だ。小野さん(部署のリーダー)には連絡してない?」

 

「すいません。してないです・・・。」

 

「分かった。僕からしておく。今は目の前のお客さんに集中して。このことは、引きずらないように。」

 

週末なので、オペレーターの緊急連絡先はコピーして家にあった。お客さんの名前と病院の連絡先だけ聞いて、電話を切った。ツアーの案内に支障が出たらいけないので、坂巻にはツアーの案内に集中してもらった。

 

まいった・・・大変なことになってしまった。僕は、念のため小野さんに電話して、指示を仰いだ。手順は、だいたい決まっているので、あとで報告のみすることになり、作業は僕が進めた。

 

まずは、病院に電話して、担当医師と話した。フランス人なので、英語がうまくないし、分かりにくかった。まあ、英語のひどさはお互い様だが。

 

医師の話だと、そのお客様が入っている保険会社に連絡して、たった今搬送先の病院が決まった。間もなく運ばれるという。病名を聞いたが、なんだか分からない。

 

「英語でおっしゃってますか?」

「いえ、フランス語です。」

 

「すいません。フランス語、全然だめなんです。英語でおっしゃっていただけませんか?」

 

少し待たされたが、調べてくれたようで、ようやく聞くことができた。それらしいスペルを辞書で探したらすぐに見つかった。

 

subarachnoid hemorrhage・・・・・・クモ膜下出血・・・クモ膜下出血なんですか!?」

 

「いえ、その可能性が強いのです。残念ながらシャモニーには、ここを含めてその検査をできる設備のある病院がないのです。ただ、どう見ても、普通に眠っているのとは違います。まずは検査をしないと・・・。」

 

納得した。それにしても、意識を失ってから5時間は経っており、ずいぶんと悠長に構えているようにも思えた。クモ膜下出血って、緊急を要する病気のような気がしたんだけど・・・。搬送先の病名を聞いて、一度僕は電話を切って、今度はオペレーターへ電話した。ところが、ここでは情報が交錯し、すっかり混乱していた。

 

「あ・・・すいません。ジュネーブの小林と申します。その・・・浅倉さん(お客さんの名前)のことですよね・・・。えっと・・・なんだか脊髄を痛めた可能性があるようで、今、ヘリでジュネーブに搬送されています。車の振動で、これ以上傷めないように車は避けたそうです。」

 

動揺している落ち着かない話し方で、彼女は言った。

 

は!?そんな話はまったく聞いていない。なにがどうしてそうなったんだろう?

 

「たった今、病院に電話したんですが、そんなこと一言も言ってませんでしたよ。ヘリでジュネーブのどこの病院に行くんですか?患者さんの名前はきちんと確かめたのですか?」

 

「すいません・・・。そこまでは・・・。」

 

「きちんと調べきってもいない情報で、混乱させないでください。しっかりしてください。」

 

僕は、怒って電話を切った。現地にはしっかりやってほしい。こっちは今、日本にいて情報を集めるには、そこからしかないのだ。。10分後くらいに電話があり、すでに患者は救急車に乗ってジュネーブに搬送されたということを知らされた。とりあえずほっとした。ふー・・・。今度は、こっちから病院に確認する手間が省けた。

 

とりあえず、ここで現地からの連絡待ちだ。シャモニーからジュネーブは、車で1時間半。それから検査だとすると、連絡が来るのはいつだろうか・・・。とりあえず仮眠を取ろうか。と思っていたその時だった。ふたたび電話が鳴った。ジュネーブのオペレーターからだった。シャモニーを出て、まだ30分も経っていない・・・。

 

電話の向こうで、小林さんは言いにくそうに言った。

 

「あの、検査をしてみなければなんとも言えないのですが、クモ膜下出血に、ほぼ間違いないそうです。それも、発見が遅れて危険な状態だということです。日本から家族を呼ぶようにと、救急車からジュネーブの病院に指示があり、今私どもに連絡がありました。」

 

急展開に動揺が走った。できるだけ詳しいことを聞いて、すぐに小野さんに連絡した。浅倉さんの家族には、彼が連絡することになった。

 

自分の担当ツアーで、人が亡くなるかもしれない。企画を担当するものとしては、これまで味わったことのない緊張感だった。

 

やがて、小野さんから電話があった。

 

「家族には電話した。明日から行けるのは、浅倉さんの次男だそうだ。それでな、こういう緊急事態だから、うちからも一人出して欲しいっていうんだ。自分たちだけだと不安だから・・・。費用はすべて浅倉さん持ちだ。それでな、ツートン・・・悪いけど明日、その方とジュネーブに行ってくれ。」

 

「あれ?でも、お客様は保険に入られてるでしょう?それなら必要ないんじゃ。」

 

「現地に着くまでが心配なんだろう。」

 

ちょうど日付が変わった時だった。酒がようやく抜けたかな・・・という感じだった。今から、早ければ9時間後に、ヨーロッパ方面行きの飛行機に乗れというのか。

 

「よく考えろよ、お前!こんなこと、急に指示できるやつなんて、社内に何人もいないだろ。しかもこのタイミングだ。お前には、いつかのモロッコでの経験もあるし。」

 

そうかもしれない。でも、あの時は最初から亡くなった人を迎えに行った。今度は、客の死を目前にするかもしれない仕事だった。でも、この緊急事態では、しかも、夜中のこのタイミングで現地に行けるのは、企画担当の自分しかいない・・・。

 

小野さんとの電話を切った僕は準備を始めた。酔いはすっかり醒めていた。


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エギュデュミディ展望台からのモンブラン山頂の眺め。このシリーズではアルプスの風景を紹介します。
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今回は、ツアー参加者が現地でお亡くなりになって、日本に搬送されるまでのレアなケースを描きました。一番のポイントは、亡くなったご本人が、この時に限り、海外旅行保険に加入しておらず、クレジットカードの旅行保険のみに頼られたことです。

 

現在は、だんだんとその内容が充実してきてはおりますが、クレジットカードの旅行保険の内容は、補償金額の設定が低く、本当の有事には十分でないことが多いです。

 

今回のモロッコの件は、2000年に起きた案件です。この当時のカードの補償内容は、現在よりもさらに弱く、、傷害の補償はある程度ついていましたが、疾病に関しては死亡、入院ともほぼ何もついていないというものでした。カードでない海外旅行保険なら、疾病でも十分な補償がつきます。

 

海外旅行保険の補償は、必ずしも出費のそれのみにとどまりません。

今回の遺体搬送の件でしたら、役所、裁判所、警察の書類手続きの代行、またはお手伝いなどもしてくれる葬儀屋を紹介してくれます。つまり、現地にたどり着いてしまえば、遺体の確認のみで、あとは殆ど全て手続きをまかせることができるのです。遺体を運ぶ航空便の手配までもす。プロの仕事ですから確実です。当然、僕がやってしまった、パリの空港での検疫を兼ねた荷物検査などの見逃しなどもなかったでしょう。契約内容にもよりますが、日本語通訳を雇える場合もあります。カード保険の場合は、金額のみの補償で、手続きは帰国後。それまでは自費でなんとかしなければならない、というものが多いので、注意が必要です。

 

また、亡くなった場合、受取人が指定されていない場合、法定相続人に死亡保険金が入ります。加入するとき、死亡保険金はオプションでなく、必ず組み込まれています。「もし死んでも、自分がもらえるわけではないから関係ない。」など、乱暴な物言いをされる方が、時々いらっしゃり驚くのですが、これが重要です。

 

このシリーズのことを思い出してみましょう。事が起こって上杉さんが現地に向かおうとしています。一人では不安なため、武田さんに同行してもらいました。彼女の場合、現地にたどり着くまでが心配だったわけですから、結局僕も行くことになりました。この三人の航空券だけで150万円くらいの出費になっています。さらに現地のホテル代などを含めたら、おそらく旅行代だけで200万円をこえています。

 

もし、死亡保険金が入ってくることになっていたら、安い契約内容でも1000万円入ってきます。つまり、そこですべて相殺できるから、家族に負担を一切かけずに済むわけです。また、救援者費用というものがついていれば、二人までなら家族、親族またはその代理人(二人まで)の旅費は出たのです。

 

え?死んでもわざわざ家族に来て欲しいと思わない?現地で適当に埋葬してくれればいい?

 

いやー、それはちょっと。でも、仮にそれができたとしても、埋葬にも費用は発生します。それは当然家族に請求がいきます。え?税金を払ってるんだから、それでなんとかしろ?払う必要ない?

本当にそういうことを、語気を強めておっしゃる方がいらっしゃるのですが・・・。

 

請求は必ず来ますから、そこは甘く見ないほうがよろしいです。

 

保険は、ご自身のためはもちろんですが、家族、親類に迷惑をかけないためでもあるのです。むしろ、死亡した場合は、その意味合いが強いと思います。

 

最近は、お国から「顧客の海外旅行保険加入を促進するように」と旅行会社が指導されているようです。本当は、もっとおすすめしたいんですけどね。そうすると、「じゃあ行かない」なんて言われてしまいそうで・・・。それはそれで会社にとって痛いのです。だから、強くは言えず、あくまでおすすめにとどまっています。

 

ここ数年、よく空港で添乗員に「保険入ってますか?」って訊かれるようになったと思いますが、あれは、「入ってない場合、できれば入ってね」という弱いお願いでもあります。(旅行先によっては、加入が義務付けられてる場合もあります。)

 

もう一度、申し上げます。

保険は、自分だけでなく、家族、親類のためでもあるのです。

 

掛け捨てではありますが、たった1~2万円程度の出費ですから、そこは安全をお金で買って欲しいのです。オプションなしで、死亡と怪我・疾病の治療だけでも入れますから、是非、今後はご検討ください。

 

なお、旅行会社の社員や添乗員に同行を依頼しても、まず断られます。今回の件は、この旅行会社特有のサービスとして捉えてください。また、旅行会社が費用を立て替えることも絶対にありません。

 

 

実は、似たようなケースでスイスにも行っているのです。ただし、その方は亡くならず、保険に入っていました。それでいったいなにが変わってくるのか、ご覧いただきたいと思います。

 

本日の夕方から新シリーズです。

登場人物

 

マスター・ツートン

お客様の言葉に感動しすぎて、詰めを誤った愚か者。でも、最後まで頑張ります。

 

北条さん

ツアー中、モロッコで亡くなった男性客。

 

千代さん

北条さんの奥様。旅行中にご主人を亡くされた。軽い認知症。

 

上杉さん

北条さんの実の娘。ご主人の遺体搬送手続きのため、日本からモロッコへ向かった。その際、同行者の手配を依頼して、そこに割り当てられたのが僕だった。

 

武田さん

上杉さんの義理の姉。単独渡航を不安がった上杉さんに日本から同行した。

 

上川さん

北条さんと千代さんの友人。北条さんが亡くなった後、認知症の千代さんのため、グループを離れてモロッコに残った優しい女性。

 

木田さん

旅行会社の社員。今回、上杉さんへの同行を僕に依頼した。

 

富永さん

木田さんの上司。北条さんが参加していたツアーの添乗員。冷静沈着。判断も的確。頼りになる。

 

 

「あ!お通夜!」

 

思い出した時に、つい声に出してしまった。通路を挟んで反対側の乗客が、振り向くくらいの声で。「すいません。」と会釈を返して行動に移そうとしたが、時既に遅し。フライトは離陸準備に入ったため、もう席は立てない。

 

「あー・・・やっちまった。」

 

上杉さんの優しさで胸と頭がいっぱいになり、通夜のことが飛んでしまっていた。こうなったら、水平飛行になるまで待つしかない。イライラしながら、シートベルトサインが消えるのを待った。お知らせ音とともに、すぐに立ち上がってビジネスクラス席に向かった。エコノミークラスからビジネスクラスに入ることは原則禁止だから、CAに断りを入れないといけない。事情が複雑だから日本人CAに話したうえで、チーフパーサーに掛け合ってもらった。

 

「それは大変だ。すぐにお話しください。」

 

と、気持ちよく通してくれた。

 

上杉さんの席につくと、彼女はテレビを観ていた。隣に座っていた千代さんは眠っていた。その後ろにおかけになっていた武田さんと上川さんもお休みになっている。

 

僕は、とんとんと、上杉さんの肩を叩いてお話を聞いていただこうとした。

 

「あの、先ほどのことなのですが・・・」

 

「ツートンさん。本当にもう大丈夫よ。」

 

「ありがとうございます。でも・・・」

 

「本当に気にしていないから。」

 

「いや、そうじゃなくて!」

 

先ほどのこともあり、今度は言い忘れてはいけないと思って、語気を強めた。

 

「上杉さん、お通夜です。」

 

「ええ。お通夜がどうかしたの?」

 

「いや、だから、北条さんが成田に着くのは私たち一日後なんです。」

 

「ええ。先ほどお伺いしました。」

 

上杉さんの反応を見て、ひょっとして僕が間違えてるのではないかと心配になってきた。

 

「あの・・・私の記憶では、上杉さんは、私たちの帰国日にお通夜をなさると仰っていました。でも、今のままだと、北条さんの到着は翌日だから、ご本人不在でお通夜をやることになってしまいます。」

 

「・・・・・・・・・・・・・あ!!!!!」

 

上杉さんの顔色が変わった。やっと話が通じたようだ。

 

「そういえばツートンさん、確かにお通夜のこと言いかけてわね。」

 

いつの間にか目を覚まされたのか、武田さんが会話に加わってきた。

 

「え?いつ言おうとしてた?」

 

思い出そうとするような仕草を見せながら上杉さんが武田さんに問いかけた。

 

「ツートンさんがお詫びされたときに、説明しようとしたのよ。そうしたらあなたが遮っちゃったの。」

 

「その場で言ってよ!」

 

本当だ。僕もそう思った。

 

「だって・・・。」

 

武田さんは、少しだけ涙ぐむように言った。

 

「みんな、一週間我慢して。ツートンさんはあんなに頑張ったのに、最後にあんなことになっちゃって・・・ほんと心配だったのよ。でも、けいこちゃん(上杉さんのこと・仮名)、素晴らしいわ。あんなふうにツートンさんを許すことができて。周りが許してほしいと思っても、なかなか当人になっちゃったら、そうはいかないわよ。あなたを見てたら、胸がいっぱいになっちゃって・・・。お通夜のことなんて忘れちゃったの。」

 

今度は、上杉さんがもらい泣きしそうになりながら、話し始めた。

 

「ツートンさん、本当はね、お話しを伺った時には、びっくりしたのよ。いろいろ聞きたいこともあったのよ。でも、そうしたら、私はあなたを怒ることになってしまうかもしれない。それだけはしたくなかったの。『この人を許さなくてはいけない。許さなくてはいけない』ってそればかり考えてたの。そうしたら、お通夜のことが飛んじゃったのね。でも、本当に感謝の気持ちでいっぱいよ。」

 

「わかるわ。」

 

武田さんが同意しながら慰めた。そうして、落ち着くと二人とも自分のシートに戻ろうとした。飛行機に乗る前と一緒だ。でも、僕だけは今度こそ冷静だった。本当に本当に本当に本当にありがたい話だった。でも、今は・・・

 

「いや、だからお通夜です。北条さんの到着が遅れることを日本にお知らせしないと。」

 

「あ、そうね。でも、ここ飛行機の上よ。どうやって知らせるの?」

 

「これです!」

 

僕は、上杉さんの席についているテレビのリモコンを取り出した。

 

「これ、裏側にすると電話になるんです。ここにクレジットカードの磁気を通して・・・」

 

当時は、こんな電話が機内に普及しはじめた頃だった。「便利ねえ。」と、感心しながら上杉さんは、日本に電話をかけた。

 

「あ、兄さん?私です。お通夜のことなんだけどね、お父さんが日本に着くのが、私たちの翌日なんだっって。明日のお通夜は無理ね。日にちをずらさないと。・・・・いえ、私の勘違いです。ツートンさんの説明を聞き違えたみたい。今、いただいた書類を見直して気づいたの。うん。ごめんね。」

 

僕のミスを被りながら説明していた。

 

「なにもそこまで・・・。」

 

「これが一番丸く収まるのよ。あなたの間違いだったら、みんな怒るわ()。でも、私にはね、兄弟たちは、現地に行かせた負い目があるから絶対に文句を言えないの。まかせて。」

 

上杉さんの人間の大きさには、本当に頭が上がらない。またもや感動してしまった。武田さんも感心している。上杉さんの隣では、いつの間にか千代さんが目を覚まして涙を流していた。

 

「本当に、本当に最後までお世話になりました。・・・鶴岡さん。」

 

「いえ・・・最後の不手際は申し訳ありません。・・・鶴岡さん?」

 

上杉さんが苦笑しながら説明してくれた。

 

「この旅行中、時々ツートンさんが鶴岡さんになってたの。母の知り合いなんだと思う。事情が事情だから許してあげて()

 

なにはともあれ、これでできることはすべてやった。

 

 

朝、成田に到着した。税関を出たら上杉さんの兄弟や親戚が待ってるらしい。新たな緊張感が流れる。

 

でも、4人は晴れ晴れとしていた。

 

「不謹慎かもしれないけど、今考えてみると、こんな経験滅多にできないし・・・それを考えると楽しかったかも。」

 

武田さんの言葉にみんなが頷いた。税関を出ると、親類のみなさんが、温かく上杉さんたちを迎えた。4人とも挨拶をしながら泣いている。その中の一番年長者の方だろうか。僕の傍にやってきて、

 

「若いのに、本当によくやってくださって、ありがとうございます。」

 

と、丁寧なお礼をしてくださった。僕には、本当になんのお咎めもない。

 

「検疫があって、パリで、お父さんは一泊しなきゃいけないって伝えるの忘れてたわ。私もあわてていたから・・・みなさん、ごめんなさい。」

 

「うん。パリでもう一泊してお父さんといっしょに帰ってこようかとも思ったんだけど、飛行機に空きがなかったの。お父さんも早く帰ってきたいんじゃないかと思ったし・・・。」

 

飛行機の中で考えていたのか、それともその場の機転か・・・上杉さんはすごい。見事なまでの完璧な“言い訳”だった。どれもすべて辻褄が合う。僕を、会社を完璧に守ってくれた・・・。本当に、なんて心の広い人なんだろう。

 

「あー・・・それにしても・・・やっと・・・やっと帰ってきたわ・・・」

 

そう言って、少し笑ったと思いきや、上杉さんは急に泣き崩れた。手続きそのものを自分では何もできず、もどかしいとは、旅の途中で何度か言っていた。心を許せる家族、親戚の前で、ようやく自分の感情を解放した瞬間だった。僕は、後を向いた。見ていられなかった。あんなになってでも、僕のことをかばい通してくれた彼女に、またもや感謝した。

 

「ツートン!おつかされさま!」

 

と声がする。富永さんだった。みなさんに最後のご挨拶を済ませて、僕は富永さんの車に乗った。

 

「とりあえず大丈夫だな。通夜のこと、親族のみなさんに機内から連絡したんだって?俺からも前もって遺族の方にお知らせしておいたんだが、上杉さんから連絡があったのはよかったな。そのことに関しては、どなたからも叱られなかったよ。それと、木田君にはちゃんと謝れよ。」

 

考えてみたら、木田さんと昨日話した時、日本は夜の8時半過ぎだ。本来なら、休日の土曜日。時間帯的に、ほっとすべきところで、最悪の知らせが来たのだから、怒るのも当たり前だ。「悪いことしたなあ」と、あらためて反省した。

 

会社に寄ると、木田さんがいた。僕は、木田さんに生意気な口をきいたことを謝罪した。彼も、自分の対応を反省していたらしく、お互いに気をつけようと言ってくれた。それ以上はなにも仰らずに、ただ労ってくれた。

 

夕方3時頃、アパートに着いた。忙しく出かけたので、部屋が散らかっていた。片付けて、掃除機をかけて、夕食をつくって食べた。なんか、釈然としない。胸のあたりになにかつかえているような・・・。バーへ飲みに行こうか・・・。いや、そんな気もしない。おいしく酒を飲めそうもない。疲れているし、まだ9時半だけど寝ようか。そう思って電気を消した。これくらいの時間だったろうか。ちょうど1週間前にモロッコ行きの話が降ってきたのだ。

 

ふ―――・・・っとため息をつくと、なぜか急に涙が出てきた。

 

“あれ・・・あれ・・・?”なんか知らないけど涙が溢れてきた。当時は、なぜ涙が出てくるのか分からなかったが、今は、なんとなくわかる。

 

現場でのストレス、宮川さんなしでは、おそらくなにもできなかった自分、最後の最後で犯してしまったミス。それを庇ってくれた上杉さん。庇うために上杉さんがしてくださった、いや、そのために僕がさせてしまったことと言ったほうがいいだろうか。とことん優しかった4人のお客様。北条さんに対する4人の愛。

 

様々なものが頭の中でうごめき、涙になったのだと思う。

 

この時は、ただただ夢中で仕事をこなしたが、考えてみたら、かなり貴重な体験だった。この仕事でしか得られなかったノウハウもたくさんある。あとでこうやって見直してみても、同じような経験は、その後していない。

 

あ、余談だが、この仕事のまったく同時期に結婚した元カノだが、式の数日後にエジプトへ新婚旅行に出かけたことが分かっている。僕らは、同じ時期に、ともに北アフリカにいたわけだ。

別れてから一年後、片や北アフリカの西の果てで遺体搬送に悪戦苦闘し、片や北アフリカの東の果てで新婚旅行という幸せを謳歌していた。

 

どこまでも対照的な運命だった()

 

と、心から笑えるようになったのは、この出来事からしばらくたってからの話である。

 

=終わり=

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モロッコ最後の写真は、マラケシュ。日本からのツアー最後は、だいたいここになります。にぎやかなフナ広場は、毎日夕方四時からお祭り騒ぎ。モロッコでは、比較的安心して自由行動をとれるところでもあり、お客様の印象に残る町のようです。
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登場人物

 

マスター・ツートン

自称天使の添乗員。と言いたいところだが、天使大失格のミスをしてしまい、対応に追われております。

 

北条さん

旅行中、モロッコで亡くなった男性客。

 

千代さん

北条さんの奥様。旅行中にご主人を亡くされた。軽い認知症。

 

上杉さん

北条さんの実の娘。ご主人の遺体搬送手続きのため、日本からモロッコへ向かった。その際、同行者の手配を依頼して、そこに割り当てられたのが僕だった。

 

武田さん

上杉さんの義理の姉。単独渡航を不安がった上杉さんに日本から同行した。

 

上川さん

北条さんと千代さんの友人。

 

木田さん

旅行会社の社員。今回、上杉さんへの同行を僕に依頼した。

 

富永さん

木田さんの上司。北条さんが参加していたツアーの添乗員。冷静沈着。判断も的確。頼りになる。

 

 

激しい動揺が少しおさまった後、遺体の日本到着が遅れることによって、起こり得ることを想像してみた。4人が怒るのは当然として、自分がすべき対応が必ずあるはずだ。

 

とりあえず真っ先に浮かんだのは、北条家のスケジュールだ。上杉さんは、遺体が届くその日に通夜を行うと言っていた。このままいくと、仏様なしでの通夜となってしまうが、さすがにそれははありえないだろう。この時のパリの時間が12:30。日本とパリの時差は8時間日本が進んでいるから、東京は現在夜の8:30。今、日本に連絡すれば、最悪の事態は避けられる。まずは、日本の木田さんに指示を仰ごう。

 

「単純なミスだ!」

 

まず、お説教がくるのは覚悟していた。当然だ。何を言われても仕方ない。だが、いつまでも説教ばかりが続いた。時計を見ると五分近く経っている。これは、緊急事態だった。僕のしでかしたことはともかく、今、一番必要としているのは指示なのだ。

 

「こんなことで、最後にクレームもらったらどうするんだよ!」

 

思ったよりもお買い物に時間をかけているお客様たちも、もうすぐ帰ってくる。その後は、搭乗も始まる。日本のご家族に電話するとして、残された時間はわずかだ。

 

僕は、自分が完全に悪いと心では思っていながら反発した。

 

「本当に申し訳ありません。でも、お言葉ですが!どうして検疫のことを前もって教えてくれなかったんですか!?エアー(飛行機)の予約の時に、検疫のことを考えてくださってもよかったじゃありませんか!?」

 

間違ってはいないが、ミスをした僕が言うべきことではない。だが、木田さんも、ある程度同じことを考えていたようで、言葉が止まった。

 

「お客様たちが戻ってくるから一度切ります。」

 

僕は、一度電話を切った。まだ、上杉さん達の姿は見えない。そのすきを見て、前日のうちに帰国しているはずの富永さんに電話してみた。あの人なら、なにか的確な指示をくれるかもしれない。

 

「富永さん、僕です。ツートンです。今、パリで・・・」

 

「あー・・・私です。いつもお世話になっております。今、たてこんでまして・・・ちょっと席を離れますから・・・。」

 

富永さんは演技した。会社にいるらしい。木田さんがそばにいるのだろう。少しすると話し始めた。

 

「木田君と喧嘩しちゃったろ?こっちはまかせておけ。」

 

さすがは富永さん。

 

「昨日、上杉さんの家族と連絡を取った。お前とマドリッドのガイドのことをよくやってくれていると、褒めてくれてたってさ。随分とお礼を言われたよ。それで、どんな感じで、どうするつもりだ。」

 

「通夜を上杉さんたちが、帰国されたその日にされるつもりらしいから、まずは日にちをずらすなり、それをなんとかしないと。僕の携帯ですぐに連絡します。今考えられる支障はそれくらいなんです。」

 

「そうだな。許されるミスではないが、ちゃんと説明して、通夜のことさえなんとかすれば大丈夫だ。まあ、検疫のことは、みんな見落としてたよ。エアフラ(エール・フランス航空のこと)の東京オフィスもな。あとからフォローはするから、そっちのお客様に集中しろ。」

 

「はい。ありがとうございます。」

 

「それと、木田君も、この一週間は本当に大変だったんだ。君の気持もわかるが、帰国してから、もう一度きちんと謝れ。」

 

そう言われて電話を切った。

 

4人が買い物を終えて帰ってきた。ニコニコ顔だ。上杉さんが近寄ってきた。

 

「はい!今回は、本当にいろいろありがとうございます。」

 

そう言ってワインを両手に持って差し出してくださった。それも、自分なら手が出ない銘柄の高級ワインだ。

 

「お店の人に一生懸命に片言英語で話してね、ようやく買えたのよ。」

 

当時の値段で1万円前後のものだ。ちょっとしたお礼にこれくらいのものを買えてしまうのが、この方たちの金銭感覚だった。経費を全部出すから、同行者をつけて欲しいというだけはある。こういった時、現金の謝礼を出す方もいらっしゃるけど、やはり物のほうが気持ちが伝わってくる。4人の笑顔のおかげで余計に感謝の気持ちが伝わってきた。いつもなら、一度お断りした後、丁寧にお礼を申し上げて受け取るところだ。

 

だが、今は違う。むしろ、お詫びを申し上げる前に先手を打たれてしまったことで、さらに罪悪感が増していく。上杉さんは、早く受け取ってとばかりにワインを僕に差し出している。

 

「あの・・・ご遺体の搬送のことなんですが・・・」

 

僕は正直にすべて話した。千代さんは、笑顔のままだ。よくわかっていない。3人の顔からは笑顔が消えた。家族でない上川さんは、他3人の顔色をうかがっている。武田さんも、しばらく固まった後、上杉さんを気にし始めた。

 

上杉さんは、じっと僕を見つめながら、何度かゆっくりと頷いて、

 

「わかりました。父が日本に着くのは1日後なんですね?」

 

「はい。そうです。・・・申し訳ありません。完全に私の確認ミスです。本当に申し訳ありません。」

 

短い沈黙の後、上杉さんが口を開いた。

 

「確かにミスなんでしょうけど、どうか気になさらないで。今までやっていただいたことを考えれば、大したことではありません。ここにきて、たった一日です。本当に気になさらないで。」

 

ヒステリックに怒られても仕方ない場面だ。まったく真逆の反応に、僕は面食らった。

 

「ありがとうございます。・・・申し訳ありません。しかし、受けたからには最後までしっかりやらないと・・・それに通夜・・・」

 

上杉さんは手をかざして僕を制した。

 

「ツートンさんは、私なら一人でできないことを、すべてやってくださったんです。感謝以外の気持ちはありません。本当よ。」

 

そして、一度下げたワインを僕の胸に押しつけた。

 

「これは、あなたのものです。どうか受け取って。」

 

信じられないくらい優しさに、僕の頭の中は、感動を飛び越してとんでもない状態になっていた。大クレームになってもおかしくはない案件だ。重ねてお礼とお詫びを申し上げようと思ったが、言葉がなかなか出ない。いや、出せなかった。なにか話したら、きっと涙声になってしまう。深々とお辞儀だけをした。

 

既に搭乗は始まり、ファイナルコールとなっていた。大半の乗客が乗り込んでおり、僕らも早く機内に入るよう促された。4人をビジネスクラスレーンに見送った後、僕は足早にエコノミークラスの席に進んだ。

 

まるで神様のような上杉さんの言葉に、感動で爆発寸前だった僕の頭の中も、だんだん思考が回復してきた。荷物を棚にあげて、シートに座り一息ついた。

 

・・・・・・・・・・・おかしい。なんか忘れている。なんだろう・・・・?

 

「あ!お通夜!」

 

思い出した僕は、実際に声をあげていた。

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次回、最終回!
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カスバ街道にて夕暮れと、その中で仕事あがりだろうか。労働者のシルエット。
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オアシスエリアのトドラ渓谷近く。女性たちが選択をしている。モロッコの田舎では、今でも川で洗濯をしているところがある。

ここから先は、モロッコでみかけた猫たち。IMG_5951
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あ、一匹犬がいた(笑)



















登場人物

 

マスター・ツートン

モロッコで亡くなったお客様のご遺体を日本へ持ち帰るための手続きを終えて、ほっとしている。

 

宮川さん

モロッコで、かなりお世話になったマドリッドのガイド。本当に本当に本当にありがとうございました。

上杉さん、千代さん、武田さん、上川さん

モロッコで亡くなったお客さんの遺族とその関係者

 

 

土曜日の朝、カサブランカの空港に着いた。チェックインをした後、葬儀屋さんの立ち合いで、遺体搬送の手続きも同時に行った。幸運なことに、上杉さんと武田さんの席は、ビジネスクラスにアップグレードされていた。木田さんが航空会社と交渉したのだろう。二人の航空券は、出発当日に購入された。ノーマルのエコノミークラス料金は、ツアーで販売されているビジネスクラス料金を上回る。なんだか矛盾を感じるが、航空券価格というものはそういうものなのだ。おそらく、そのあたりが考慮されて「ビジネスクラスの空席に、ノーマルのエコノミー価格を下回る格安枠の余りがあったら」ということだったと思う。念のため書くが、一般旅行客レベルで、この理屈で交渉をしても通常は相手にされないから、やめたほうがいい。ごねるのは自由だけど。

 

ちなみに、僕の席はエコノミーのままだった。後で聞いてみたら、一席分だけ足りなかったそうだ。ま、そういうものだ。千代さんと上川さんの席は、最初からビジネスクラスだった。

 

出国し、搭乗口に向かう。宮川さんとはこれでお別れだ。彼は、マドリッド行きの便に乗る。固い握手を交わし、今度はスペインで会おうと約束した。お客さんたちも、みんな、それぞれにお礼を言っていた。上杉さんの目は潤んでいた。もし、彼がいなかったら、この日に帰ることはできなかっただろう。慣れていないイスラム圏での交渉事など、様々なことを教えてもらった。英語が通じないところで彼がいなかったら、きちんとしたコミュニケーションがとれず、見落としていたものが、たくさんあっただろう。彼には、木田さんに連絡したうえで、かなりのチップをはずんだ。

 

カサブランカから離陸した。比較的すいていた飛行機で、僕は通路側から窓側に移動して外を眺めた。モロッコの大地も大西洋も感慨深かった。初めてのモロッコ訪問が、添乗でもなければ、プライベートの旅行でもなかったので余計に印象深かった。この訪問後、まだタンジェに訪れていない。また、この時ほどカサブランカで長い時間をツアーで過ごしたこともない。そういった意味でも、この時の滞在は、僕の中で貴重なものとなっている。仕事内容が内容なので、写真を一切撮っていないのが残念だ。

 

パリに着いた。2000年当時、まだ古くさいカサブランカ空港に比べて、パリのシャルル・ド・ゴール空港は既にに新しくなっていた。洗練され、かつ落ち着いた雰囲気。ここで約2時間半の乗継ぎ時間があった。

 

「ツートンさん、フランて今いくら?」

 

「確か22円くらいです。」

 

今なら携帯にWIFIをつなげて、インターネットでレートを確かめるが、この当時はまだそんなものはなかった。なんとなく覚えていたレートを、あとで文句を言われないように2円くらい高く案内した。その時代に添乗員経験のある方なら覚えがあるはずだ。

 

ところで、200011月は、まだフランスの通貨はフランだった。20011月からユーロが導入される直前だ。この時僕らは、まさに20世紀と21世紀の境目に生きていた。

 

華やかな雰囲気に心が躍ったのか、4人は、買い物に出かけた。お供しようかと声をかけたが、

 

「こんな時くらい、一人で休んでなさい。買い物は言葉が通じなくてもできるから。」

 

と、思いやりあるお言葉をいただいて、安心して一息ついていた。

 

カフェでコーヒー飲む。パリの空港で飲んでるだけで美味しい気がした。お上り気質がいつになっても抜けない自分に苦笑いする。でも、実は、お上り気質でいることが、旅を楽しむ有効手段のひとつであると思い始めたのもこの頃だ。よく言い換えれば、いつまでも、なんでも新鮮に感じるということでもある、

 

そんな都合のいい適当なことを考えていると、携帯電話が鳴った。日本からだ。電話を取ると、木田さんからだった。土曜日なのに出社している。

 

「おつかれさま。あと少しだね。ちょっと確認してほしいことがあるんだけど、遺体の搬送スケジュールのことなんだけど・・・君から送ってもらったファックスさ、遺体の到着日が君たちの帰国便と違うんだけど。薄くて見えにくいんだけどね。時間は同じに見えるんだけど。日にちはズレてるように見える。確認してくれない?」

 

「そんなことないと思いますよ。予約するときに、僕らのスケジュールを元にとってもらいましたし。一応確認します。」

 

次の瞬間、体中の血が凍りつくのを感じた。

 

確かに、遺体到着が一日遅いスケジュールになっている。なぜ?予約するときにあれほど同じ便でと言ったのに。店員もOKと言ったのに・・・。その時、予約した際に、店員が何か言おうとしていたのを思い出した。

 

「彼女が言いたかったのはこのことだったのか・・・。でも、なんでわざわざずらしたんだろう・・・。」

 

まずは、木田さんに伝えた。

 

「すいません。見落としていました。確かに、一日ずれています。おっしゃる通り時間だけ同じでした。」

 

「見落としていたじゃないよ!こっちが言わなかったら、帰国まで気づかなかっただろう?状況を確かめて、こっちに折り返し電話しろ!」

 

一度、電話を切った。完全に僕のミスだった。到着時間が同じなのを確認しただけで、日にちは確認したつもりだけだった。葬儀屋がなにか言いかけたとき、なぜ思いとどまらなかったのだろう。

 

僕は、同じ階のチケットカウンターに行った。そして、事の経緯を話し、遺体をこれから乗る飛行機に積みこめないか交渉しようと試みた。係員は、よく内容を確かめてから、

 

「申し訳ありませんが、対応いたしかねます。」

 

と、答えた。

 

「通常の荷物と違い、今回は遺体です。EUの外から運んできて、またその外に持ち出す場合、検疫の手続きで一日必要です。よって積み込みは、明日になります。」

 

!!!!!!!

 

そういうことか・・・。葬儀屋の手違いでも、航空機の倉庫のキャパの問題でもない。単純な僕の確認ミスだった。そうだ。確かに植物など一部のものを持ち帰るのには、途中で検疫が必要だ。もし、亡くなったのが一日遅れてスペインであれば、検疫はいらなかった。しかし、亡くなったのはモロッコだ。EUの外側だ・・・。そうなのだ。忘れていた。遺体というのは、手続き上は人間ではない。遺体という“物”なのだ。場合によっては、検疫が必要な“荷物”なのだ。

 

頭の中が真っ白になった。膝も震えていた。

 

「よかれと思ってやり始めたら、最後まで『よかった』と思われないと意味がない。」

 

出発前直前に、木田さんから投げかけられた言葉が、頭の中で響き渡り、胸を激しく突き刺した。

 

チケットカウンターから離れた僕は、頭が真っ白になり、しばし立ち尽くした。

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アルガンの木に登るヤギ
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登場人物

 

マスター・ツートン

全てを整えて、最後のお清め(という名の一人飲み)を楽しみたい、自称天使の添乗員

 

岩崎さん

一人飲みを楽しもうとしている天使の添乗員のところに避難してきた日本人女性添乗員

 

北条さん

モロッコでツアー中にお亡くなりになった男性客

 

千代さん

北条さんの奥様

 

上杉さん

北条さんの実の娘。遺体搬送手続きのため、日本からやってきた。

 

宮川さん

マドリッドから呼び寄せられて、遺体搬送の手続きを手伝ってくれた偉大なるガイドさん。

 

武田さん

上杉さんの義理の姉。上杉さんの同行者

 

上川さん

北条夫妻の友人

 

 

突然、声をかけてきた日本人女性。

聞いてみると、日本から来ているグループの添乗員だという。僕は、「いいですよ。」とこたえた。と、いうか嬉しかった。接客と仕事以外で日本語を話せる。しかも自分同じ歳くらいの女性だ。

 

しかし、最初は薄暗くて分からなかったが、けっこう酔っているようだ。グラスの中身はウィスキー?ブランデー?

 

会話を楽しんでいると、今度は英語で話しかけられた。フランス系モロッコ人の知り合いだった。彼が日本に出張に来た時、当時の上司に誘われて三人で食事をした。モロッコの旅行会社で、ガイドと手配の両方をこなすエリートだ。「久しぶり!」とがっちり握手を交わし、女性に紹介しようとしたが、女性はそっぽを向いている。

 

「ああ、彼女とは知り合いだよ。今はいっしょに仕事してるから。」

 

彼またも素っ気ない。また会おう!と挨拶だけして、彼はどこかに行ってしまった。

 

なんか、女性は変な感じだ。というよりも感じ悪かった。

 

「あの人とは知り合いなのかしら?」

 

「ええ、まあ。ガイドとしても優秀らしいし、手配のこともよくわかってるらしいし。」

 

「・・・・・・ふーん、仲良しなんですね。」

 

「別に親友ってわけではないけど、いい人だとは思うよ。」

 

「男同士ではそうかもね・・・。でもねぇ・・・女にはねぇ・・・。」

 

なんか急に様子が変わってきた。グラスを見るとほとんど空いている。

 

「ねえ、それくらいにしとけば?」

 

こちらの言葉には耳を傾けず、次の酒を注文した。ウェイターも酒を出す。こんな酔ってるのに、なぜオーダーを受けるのか。

 

「あいつねぇ・・・毎晩誘ってくるんですよー。いっつも部屋に来い、部屋に来いって・・・。女の子がそういうの断るのに、どれくらいエネルギー使ってるか分かってるんですかねー?・・・。笑顔も限界ですよ。」

 

女性添乗員は、男性のそれに比べて、いろいろ大変らしい。イタリア、フランス、スペインなどのラテン系の国や、アラブ諸国では、ガイドやドライバーからよく口説かれるらしい。とりあえず口説く人、本気で口説く人様々なのだが、下手に相手のプライドを傷つけてしまったため、ガイドやドライバーの態度や対応が悪くなり、仕事に支障が出てしまい、ツアーが散々になったなんて話をたまに耳にする。

 

セクハラに堪えながらなんていうのは、もってのほかだが、ツアーに支障が出て、お客さんにしわ寄せがいってしまうことを考えると、相手が傷つかないように断る、または口説かれていることに気付かないふりをするなどして、難局を乗り越えるのが一般的らしい。これより以前は、左手の薬指に指輪をするなどの対策をしていたらしいが、全員が結婚しているはずもなく、やがて敵もそれに気付いた。

 

特にイスラム系の国では大変だ。イスラム教の男は、通常、自分の奥さん以外の女性に接する機会さえあまりない。自分の奥さん以外の女性を知らない男どもがたくさんいる(それも別に悪いことではないが)。

 

一言でいえば、他人の女性の存在が常に刺激的なのだ。同じ口説きでも、ラテン系ヨーロッパのようにスマートでない。部屋に呼び出していきなり電気を消したり、あるいは無理矢理部屋に押しかけたり、部屋に呼び出すが、ノックしなくてもドアを開けられるように少しドアを開けておき、自分は全裸でベッドで待つ、という悪質なのもいるらしい。

ちなみに、これらの話は全て、実際に女性添乗員から聞いた話だ。が、この手の話は、食事時や酒の席で、ネタとしても使われるから、おそらく、会話のマウントをとるために少し内容を大袈裟にして話されているのもあるだろう。あまり、深刻そうに話してない時は、特にそんな気がする。

 

それに、稀にであるが、口説かれた相手とうまくいって、本気の恋愛になったり、結婚したりする場合もあるので、すべてが悪いとは言えない。

 

だが、彼女に関しては、かなりのストレスだったようだ。

 

「あー・・・むかつく。ほんっとにむかつく。こんなストレスいやいやいやいやーーーー!!!」

 

急に彼女が大きな声を出したので、他の客の視線がこちらに集中した。欧米系の観光客が多い。怪訝そうな顔をしている。彼らは、酒を飲み過ぎて醜態をさらすということを極端に嫌う。“宴席で”という言葉は、通じにくい。嫌だなあ・・・と思っていると、中年夫婦の婦人がこちらに来て、

 

「ちゃんと!面倒みなさいよ!!」

 

と厳しく僕に指摘した。後ろでは、夫がにやにやしながら、

 

「ちゃんと、面倒みるんだよ♪」

 

と、ちゃかしている。

 

少し腹が立った。まるで痴話げんかで、僕がいじめて泣かせているように見えたのかもしれない。

 

でも、放ってもおけない。単純に飲み過ぎたのか、それとも酒にはそんなに強くないのか、首筋まで真赤だ。

 

彼女は、きっと優秀な添乗員に違いなかった。モロッコにきているのだから。今でこそすっかり人気国になり、ツアーの本数もずいぶんと増えて、ノウハウも浸透したから、それほど経験のない添乗員でもモロッコは行けるようになった。

 

それぞれの旅行会社の考え方にもよるが、モロッコは、当時、どちらかというと、やや難しい国に含まれていた。今ほど情報がなかったし、ガイドも、基本的に英語ガイド。観光時は、常に添乗員の通訳が必要となる。

 

彼女は、そういった国をまかされるまでになった優秀な人材なのだ。前述のような理由で、イスラム圏は、女性添乗員が強いストレスを感じてしまう可能性がある地域でもある。だが、添乗員の8割は女性ということで、マンパワーの問題上、割り当てざるを得ない。だから、時に彼女のように、ストレスがドカン!ときてしまう人がいる。

 

「仕事のパートナーならさ・・・それらしくさ・・・なんで毎晩飲むのお?ムスリムのくせに・・・あたしだって、勉強必要なの!わかるでしょお?」

 

だんだんひどくなってくる。こんなときどうすればいいのだろう・・・。

 

======

ふと、元カノのことを思い出した。付き合っていたころ、こんなことがあった。仕事場のストレスを話し続けている彼女に僕は、「こうすれば、ああすれば・・・」と解決策を助言していた。すると突然だまり、

 

「そんなこと私だって分かってる!」

 

激しく怒り出した。

 

「私だって、働いてるの!それくらい言われなくたって分かる。私はね、大変なの!!わかる?すっごい大変なの。分かるでしょう?どうして大変だねって言ってくれないの?ねえ!?」

 

そして続けた。

 

「あなたは前向きに励ましてくれるから嬉しいけど・・・わかってよ。一緒に落ち込んで欲しい時もあるんだよ。それはまいったねえ・・・大変だねえって、一緒に落ち込んでよ!」

 

そう言って元カノは泣いた。当時、僕は、一緒に上手に落ち込んであげるのがとても下手だった。おそらく、それが分かれる原因にもなっていた。

 

「大変だったね。」

 

と、その時、僕は一言だけ言った。正確には、ほかに何も言えなかった。

 

元カノは、顔をあげて、

 

「そうなの・・・。大変なのぉ・・・・。」

 

とだけ言い、泣いた。しばらく泣いた後、笑顔をつくってありがとうと言ってくれた。

 

=====

 

今、目の前の女性添乗員は、ほぼ泥酔状態だが、あのときの元カノの姿とだぶった。僕は、彼女のほうに体を寄せて「大変だね」と言ってみた。みるみるうちに表情がくずれ、彼女は泣きだした。シクシクずっと泣いている。

 

さきほど、僕のところに茶化しにきた男性が、こちらを見て頷いている。親指をビシッと立てて、GOOD JOB !とでも言うかのように。

 

そして気づいた。この「大変だね」戦法は、自分が相手に思い入れがないと、相当面倒くさい。女性同士はよくみんなで泣いてる一人の子を慰めてあげられるなあ、と不思議に思った。そう思ったら、急に早く部屋に帰りたくなった。

 

少し落ち着いたのを見計らい、部屋に送っていった。不安定だったので、ベッドのそばまで連れて行き、座らせた。目が潤んでいる。上目づかいで、

 

「ありがとうございますぅ・・・。」

 

と言われて、一瞬、邪な心が芽生えかけた・・・かもしれない。でも、あれだけ酒臭いと、残念ながらその先はなかった。今晩、彼女に“悪い虫”はつかないだろう。あの酒臭さが強力な“殺虫剤”になるはずだ。

 

部屋に帰ると、疲れがどっと出た。本当、一人で寛ぐといいうことには、無縁の旅だった・・・。

 

次の日の朝6時に、部屋の電話が鳴った。モーニングコールは6時半のはず。すでに起きていたが、なんだろうと思い、電話を取った。

 

「おはようございます。岩崎です。」

 

「イワサキさん・・・?」

 

「昨日、バーでいっしょだった添乗員です。昨晩はありがとうございました。ちゃんと起きられました?朝早いって聞いたから・・・。」

 

そう言えば、お互いに自己紹介してなかった。でも、どうして僕の部屋番号を?

 

「フロントで聞きました。私たち以外で日本人てあなたたちしかいないみたいで・・・」

 

なるほど。お礼を言って、電話を切った。朝食を済ませて、タクシー確保のため、早めに降りると、日本人女性に挨拶された。会釈だけすると、

 

「昨日はありがとうございました。本当にすいませんでした。」

 

と、言って近寄ってきた。

 

・・・・・・・えーーーー!?あの女性!?

 

昨日と全然違う。髪はきちんと整えられてサラサラ。白いシャツからは細い首がスッと伸びて、化粧もきれい。・・・・・・・・・・・・・・けっこう好みだった。昨夜は、けっこうもったいないことをしてしまったのか・・・。いや、正直に書こう。失敗したと思った・・・。うーむ。わざわざ挨拶に来てくれるなんて、これがつらい時の「大変だね」効果なのだろうか。

 

「帰国してからも飲みに行きませんか?」

 

思わぬことを言われ、そうですね、と平静を装ってこたえたが、内心は思わぬ出会いに浮かれていた。そこへお客さんたちと宮川さんが来た。なぜか軽く動揺しながら仕事開始だ。チェックアウトの手続き。荷物を運んで、タクシーに乗せた。二台に分乗。僕、上杉さん、千代さんが同乗。もう一台が宮川さん、武田さん、上川さん。いよいよ帰国だ。タクシーが走り始めて、僕は、助手席から彼女に手を振った。彼女も手を振っている。ホテルが見えなくなった頃、僕は気づいた。

 

「あ・・・彼女の連絡先聞いてないや。」

 

チェックアウトのゴタゴタで大事なことを忘れていた。時すでに遅し。

 

上杉さんが、後の席から話しかけてきた。

 

「誰?あの人。」

 

「日本の添乗員です。昨夜、いっしょにコーヒー飲みました。」

 

「お酒を飲んだの?」

 

「・・・コーヒーです。」

 

「うふふふ。別にいいのに・・・。」

 

次に千代さんが、身を乗り出して聞いてきた。

 

「あなた、あの人の連絡先は聞いた?」

 

「・・・はい?」

 

「あなた、独身でしょう?ちゃんと自分から言わなきゃだめよ、女に言わせたらだめ。」

 

振り向くと、千代さん・・・今は、「こっちの世界」にいる。正気だ。

 

上杉さんがあきれて言った。

 

「こう言う時は、正気なことが多いのよ。まったくねぇ・・・たまにわざとやってるんじゃないかと思うわ。」

 

こう言って笑った。

 

千代さんの気をそらすため、僕は前を向いた。顔が紅潮しているのが、自分でもわかったので、車の窓を大きく少し開けて冷まそうとした。千代さんが「きゃっ」とかわいらしく言ってのけぞった。

 

冷たい風が僕の顔を冷やす。モロッコの朝は、空気のひんやり具合が気持ちいい。だんだんと体の力がぬけていくのがわかった。

 

まだ、太陽は昇りきっていない。町は、うっすら赤くそまってきたところだ。タクシーは、まっすぐな道を空港に向かっていった。

 

無事な帰国を確信していたこのとき、自分が大きなミスを犯していたことを、まだ僕は気づいていない。

 

念のため書いておくが、この後岩崎さんと会うことは、二度となかった。

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今回の風景は、首都ラバトにあるハッサンモスク。前回ご覧いただいたハッサン二世とは違うハッサン。僕は朝訪れることが多く、ご覧の通り建物が赤く見える。一度虹が出てた時は感動したなあ。隣にあるムハマンド五世廟のライトアップなどもどうぞ。

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最後の写真は、霊廟の内部。スマホだと、どうしても画像が荒くなってしまいますが、きれいな装飾がしつらえられています。




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