マスター・ツートンの仁義ある添乗員ブログ

自称天使の添乗員マスター・ツートンの体験記。旅先の様々な経験、人間模様などを書いていきます。

August 2020

登場人物

 

N美

2015年。これから絶頂時期を迎えます。

 

T子

2015年、初々しく頑張ります。

 

マスター・ツートン

二人の師匠で、このブログの筆者。今日は、これまでのお話を少しおさらいしてます。

 

マネージャー

この頃は、時々彼女の言動にむかつきながらも、本気でN美を育成していた。

 

営業くん

マネージャーと、もう一人の

 

 

「N美はついてたよなあ。本当に。」

 

彼女が一人前になってからしばらくし経った2017年の春くらいだろうか。マネージャーが、しみじみ言ったことがある。確かに、些細なことから大きなところまで恵まれていた。また、時には彼女の決断が、その幸運をいかしていた。

 

まず、もう添乗員を辞めようと思った時に、大先輩のY子さんに「そんなことで辞めるのか?」と言ってもらえたこと。そして思い留まったこと。Y子さんの真意はともかく、この時に辞めてしまっていたら、今の彼女はない。

 

次に忘年会への出席。ほとんど仕事をしていないN美を、たとえ人数合わせとはいえ、会に呼ぶ営業くんも営業くんだが、なんだかんだで来てしまうN美もN美だ。しかも、そこで、どんなに適当であっても「ツートンに、添乗を教えてもらえ!」と、社長が言い放ったことで、僕の弟子になったこと。

 

ひとつひとつは小さな出来事だが、「N美の成長」という点で考えると、すべて一本の線上で繋がっている。不思議なものだ。そして、線はまだまだ伸びて行く。

 

N美が、優秀添乗員の称号が見えてくる前の話だ。まだ添乗日数が少なく、収入をアルバイトに頼っている頃、彼女のアルバイト先の旅行会社で、社長(支店長?)からこんな話があったという。

 

「N美さん、これから先どうするの?うちでもっと働けば?」

 

早い話が社員登用の話だった。「ああ、そうか。そっちで認めてもらえたなら、それがいいのかもな。」と、僕は素直に思った。おめでとうという気持ちさえあった。ところが、

 

「私は、どうしても添乗員でやっていきたいから、お断りました。」

 

「え――!?なんで!!??」

 

と、僕以上に驚いたのがマネージャーだった。居酒屋でビールをこぼしそうになりながら、

 

「なんで断ったの?だって・・・あいつが添乗員にそこまで向いてるとは、とうてい思えないよ。そんないい話断っちゃったの?」

 

「いや、添乗員をやりたいらしいよ。どうしても。」

 

二人でビールを飲みながら「もったいないなー、あいつ馬鹿だよなー」などと言っていたが、添乗員にこだわってくれて、僕らも悪い気はしない。というか、ちょっと嬉しかった。N美が優秀添乗員に届きそうになった時、マネージャーが素早く動いたのも、このような背景があったからかもしれない。

 

さらに線は伸びる。

 

最後、ようやく一人前になる前に、やたらトルコのツアーが続いたのも幸いした。トルコは、新人育成のための、様々な要素が揃っている。値段のわりにホテルと食事がいい。お客さんの大半もそれほど旅慣れてる方が多いわけではない。添乗員の案内が響き、有難がってくださる方が多い。

 

難しい点もある。徒歩観光が多く、中にはあまり足場がよくないところもある。モスクではスカーフを用意していただかないといけない。そのほか、事前に案内すべき注意事項が多い。

そして、ガイドとの人間関係の作り方が、時として難しいこともある。大半が心優しいガイドだけど、気難しいのもいる。トルコツアーでは、絨毯、トルコ石、革製品などの高額のお土産屋さんに案内される。ガイドも、現地の手配会社も、お客さんがある程度そこで買い物をされることを計算に入れて、そのためにツアー料金が安い。

 

売り上げは、ツアーごとでなく、ある程度まとめて見ているようだから、義務感に駆られて、買いたくもないものを買っていただくことはないのだが、ガイドにとっては、給料も関係してくるので、あまり無下にするわけにもいかない。

 

物は悪くない。というか内容に関しては、どれもいいので興味ある人にはおすすめだ。だから観光の一環として案内する分には楽しめると思う。僕は、事前にそのことをお客さんにお話してから、ガイドにみなさんを会わせている。

 

「とりあえず、それぞれのお店で、説明だけは聞いてあげてください。その後は、おまかせしますが、あまりに早くみなさんがバスにお帰りになってしまいますと、ガイドの顔が潰れてしまいます。その点は、みなさんの感覚でけっこうですから、ご配慮お願いいたします。

 

なにかお買い物をされたいときは、どんどんしていただいて結構です。物自体はとてもいいので、興味ある方にはおすすめです。その際、料金交渉が発生しますが、まわりに他人がいると、お金のことは話しにくいですから、周りに集まって注目などはなさらず、そっとしてあげてください。」

 

など案内しておくと、だいたい問題ない。ただ、当時のN美のような若い女性が、これを案内するのは、説得力、貫禄という点で困難なことがある。彼女も苦労している。

 

「絨毯の工房見学が終わった途端に、一人参加のおじさん(男性客のことだけど、身内の会話だからご了承ください)が、さっさとバスに戻ったら、全員、それに続いちゃったんです。売り場には10分もいませんでした。ガイドが不機嫌になっちゃって・・・『みなさん、どうして何も見ないんですか?』って、マイクで言うんですよ!」

 

これはつらい。完全にガイドとお客さんの板挟みだ。事前に、お客様にある程度根回ししていないと、いや、していてもこんなピンチに陥ることはある。

 

「それでね、お客さんも言い返すんですよ。『買いたいものがなかった。』って、そうしたらガイドがますます怒って『見てもないのに、どうしてわかるんですか!?』って凄むんですよ。バスの中でマイクを使って全員にですよ!私、どうしたらいいんですか!?」

 

その後、彼女なりに一生懸命ガイドをなだめ、お客さんのフォローをしたそうだ。そのうちにガイドは気を取り直し、なんとか旅は成立したという。

 

トルコは、添乗員の仕事先としては易しいほうに入る。だが、その中で難しいツアーで起こるような、しかし、手に負えないほどではない問題が、時々発生するのがミソだ。だから、添乗員の育成には向いているし、新人が行ってもお客様は旅行に満足できる。

 

「N美は、物事を飲み込んでからはいい仕事をするが、飲み込みそのものは遅い。そういうタイプは、同じツアーに何度もいくことで、うまくいく時といかなかった時を比べて、修正点、対処法を学んでいく。それから、いろいろなところに行かせると、急に伸びる。」

 

これは、マネージャーが言っていたことを、そのまま書かせていただいた。

 

だが、2015年に二度、トルコではテロがあり、客足が遠のいてしまう。数少ないツアーは、「お客さんが不安がらないようにベテランをあててほしい」と、取引先から要望が出されて、新人育成のツアーとしては、使えなくなってしまった。そうなるまで、N美が最後のトルコに行ってから半年もかからなかった。まさに強運の持ち主。

 

さらに幸運の線は伸びてゆく。取引先のA社が「若手育成プロジェクト」を推進したのだ。ここ一年で、ある程度の成績を出した若手添乗員を何人か選抜して、優先的にツアーを与えながら育てる方針を明らかにした。我が派遣元からも何人か選ばれたが、そこにN美もはいったのだ。

 

これには、後からT子も加えられた。2015年。ふたりは好調の波に乗っていくことになる。
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サントリーニ島のフィラにて。葡萄酒色のエーゲ海を眼下に会話を楽しむ韓国人カップル。新婚旅行だそうだ。N美たちにも、コロナ収束後、こんな時間が訪れることを願う。後方のシルエットは、火山島のパレア・カメニ島。


登場人物

 

N美

成長してお姉さんになりました。

 

T子

新進気鋭の期待の新人。焦らず、ゆっくり育てていきましょう。

 

チバ子

派遣元内屈指の腕前の添乗員。なぜかツートン塾に入り、しかも勝手に燃えていた。

 

マスター・ツートン

今日はね。まったく目論見がはずれた、どうしようもない師匠です。

 

 

ツートン塾のトレーニングの様子を、ずっと、前から気にしている一流添乗員がいた。チバ子だ。当時の派遣元では随一の実績を上げて、マネージャーからの信頼も厚かった。僕から見た彼女の長所は、いい意味での完璧主義と勤勉さだった。

 

一年前から、N美やS美がトレーニングをしている時、タイミングが合ってその場にいる時は、見学しながら時々深く頷いていた。年齢は、ぼくよりもだいぶ下だったが、仲良くしてもらっていたので、

 

「よかったら入る?」

 

と誘ってみたら、「いいんですか?」と入ってきた。N美へのしごきを見て、「いろいろ学びたいけど、あれは嫌だ」という人が大半の中、それを厭わずに入ってきた。

ただ、僕がチバ子に求めるものは、彼女が考えていたものとは違った。ツートン塾というコミュニティーの中で、彼女には、学ぶことよりも教える側の立場を期待していた。第一、僕が彼女に教えられることなどない。こちらが教えてほしいくらいだ。

 

僕とチバ子は、添乗という仕事に対する哲学が、わりと似ていると思っていた。だからこそ、あのN美の特訓を、じっと見つめていることができたのだろう。また、初期のN美に対しても「世間知らず」、「態度が生意気」、「口のきき方を知らない」など、アンチが多い中で、「すっごい努力をしている。そこがかわいい。」という評価を一貫して崩さなかった。

 

N美とT子の二度目の合同トレーニングに、早速チバ子は見学という形で参加した。

 

今回のテーマは、絵画の説明。課題は、ファン・アイク兄弟の「神秘の子羊」にした。

ベルギーの都市ゲントの、聖バーフ教会に所蔵されている名画。我が派遣元で、欧州添乗に出たら一度はお目にかかる作品だ。

 

最近は、経費削減なのだろうか、この絵画の観光にガイドさんがつかないことが多い。添乗員の中には、前もって簡単な資料を配って、自由に見学していただく者もいる。確かに添乗員の仕事は、旅程管理といって、「旅行者の安全と旅行の円滑な実施を確保すること」であり、そこにガイドは含まれていないが、パンフレットにしっかりうたってあるものくらいは案内したい。

 

前向きな言い方をするならば、これを案内できたら、むちゃくちゃかっこいい!資料は十分にあるから、その気になれば可能だ。実際、多くの添乗員がやっている。僕の弟子なら、絶対にできるようになってほしい。N美、T子には、それぞれ事前に資料を渡して、案内を仕上げてくるように指示しておいた。

 

N美は、そこそこ仕上げてくるだろう。うまくできている部分は、T子にとって参考になる。現場経験がないT子には、難しいかもしれない。実際、マネージャーからは「いきなりそんなことをやるの?」と、疑問を持たれた。

 

しかし、ある程度はできるであろうと、予想していた。T子は、つい最近まで大学生だった。大学で学ぶ中で、ゼミや少人数授業で、人前でのレポート発表やディベートなどの経験があるはずだから、資料さえ渡しておけば、仕上げてくると思っていた。それが、観光ガイドに適したものでなくても、きちんと話すことで、N美に刺激を与える。

それらを見て、チバ子がなにかアドバイスを与える。たまには僕以外の、他の先輩からアドバイスがあってもよい。

 

という、シナリオを描いていた。ところが、思わぬ方向に話が進んでいく。

 

最初にT子にやらせたのだが、全然だめだった。うまくできないというよりも、まったく勉強も準備もした様子がなかった。マネージャーが、ちらりとこちらに向けた顔には、「そら見たことか」と書いてある。課題へのアプローチが難しかったのか、思ったよりも、人前で話すことに慣れていなかったのか。この時は、正直期待外れだった。いや、僕が期待しすぎたのだろう。

 

チバ子は、優しく笑顔でT子を励ました。まだ、始めたばかりだから仕方ないとばかりに。

 

さて、続くN美の番だったのだが、これがまた、ある程度はできると思ったが、想像よりもはるか上のレベルで、完璧にこなした。資料を確認しながらであるが、これならお客さんは、皆聞き入るであろうという話し方と内容だった。

 

途中で、その場にいたマネージャーもS子さんも顔をあげて見入ったくらいだ。

 

一番反応したのが、チバ子だった。それまで笑顔で優しく見守っていたのに、急に険しい表情になった。

 

「S子さんから、前もらった資料がよかったんです。」

 

その資料と勉強の過程を説明するN美。得意げというわけでもなく、当たり前のようにしている。以前のように「ほめてください!」という甘ったれな一言もない。T子という妹分ができて、いろいろ自覚が出てきたのだろうか。

 

「N美さん、その資料コピーさせて。」

 

チバ子は、N美に頼んで資料を貸してもらって、コピーを始めた。厳しい顔で「燃えてきたあ!」と周りに聞こえる声でつぶやいた。

 

「チバ子、なにかN美にアドバイスしてあげてよ。」

 

と、僕が頼むと、

 

「とんでもない!私よりもN美さんのほうが全然上です。恥ずかしくてできません!」

 

と、厳しい口調で返ってきた。この時のことは、N美もよく覚えていた。

 

「あのとき、チバ子さんが急に顔色が変わって、動き出したのはよく覚えてます。」

 

この日、一番刺激を受けたのは、それを一番必要としないチバ子だった。別の面で見れば、これがチバ子が一流でいられる理由で、優れたものを見れば、「こういうふうに案内したい」という気持ちを、永遠に失わなかった。そういった意味では、彼女こそ真のプロフェッショナルだった。

 

N美の成長、チバ子のプロフェッショナルな一面、T子に過度な期待をしている自分・・・。2015年の春は、また様々なものが見えてきた。
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ゲントの夜景。ブルージュに宿泊することは多いが、ゲント宿泊は珍しい。いつもなら二時間程度で移動してしまうゲントの街で一夜を過ごすことで、撮れた、わりと貴重な写真。旧市街の規模は、ブルージュよりもやや小さく、歩きやすい。
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一番絶望的だと思われた茨城のお二人がお見えになった時は、驚いた。この方たちは、常磐線を利用してきたという。

 

「リムジンバスが動いてなかったから、鉄道で来たの。少し遅れてたけど動いていたのよ。」

 

その後、取手で降りて、タクシーを拾い、空港までたどり着いたという。主要駅で、一番成田空港に距離的に近そうで、確実にタクシーが拾えそうなのが取手だと思って実行したところ、いつもよりは時間がかかったが、空港に着けたというわけだ。

 

これで分かるのは、成田空港と東京を東西で結ぶ高速道路や鉄道は機能していなかったが、東京をかすめることなく北から成田空港に入ってくるルートは、ある程度動いていたということだった。

 

他の添乗員と話しても、北関東からいらしたお客様は、運と判断にもよるが、なんとかなった方がいらっしゃったらしい。

 

あとの36名様は、絶望的な状況となっていた。どの方に電話しても、「車が、一時間で5kmも進んでいない」ということなので、僕は、この日乗れなかった場合のことを説明して、お客様の意志を確認した。

 

「私たちのツアーは、今日、コペンハーゲンに直行便で宿泊して、明日、市内を観光した後、空路でノルウェーのベルゲンに向かいます。もし、お客様の便を、明日に振り替えることができたなら、コペンハーゲンで合流可能です。振替をご希望されますか?なお、旅行をとりやめた場合は、キャンセル料が100%かかりますから、お客様への返金は一切ありません。基本的には、合流されることをお勧めします。一番の見どころのフィヨルドには行けますから。

 

はい。予定の便は、ほぼ定刻で出発してしまうのです。お客様が空港にいらっしゃれない理由は天候で、それは航空会社と旅行会社には免責事項なのです。ですから、キャンセルされた場合は、全額お客様負担になります。振替ができたとして、それも航空会社の温情です。」

 

実際は、大変な状況にあるお客様をいたわる言葉をかけているし、この文章よりも丁寧な言い方をしてはいるが、案内内容は事務的だ。実際にお客様に実損が生じるかどうかの瀬戸際だから、そこは実際に問題になってる部分をきちんと説明して、冷静に選択していただかないといけない。

 

今回は、全員、合流されることを選択された。それが確定した時点で、航空会社のカウンターに向かった。本来は、先に東京本社に連絡するのが筋なのだが、対応を追われているツアーは、これだけではなく、オフィスは多忙を極めているはずなので、チェックイン作業をほとんど終えて落ち着きつつあった、スカンジナビア航空のカウンターに向かった。

 

「振替は可能だと思いますが、こちらに向かっている途中であれば、まずは空港に必ずいらしてください。それが条件になります。」

 

当日、空港に来る意志のあった方から、優先的に振り替えられるとのことだった。僕は、再度、3組のお客様に、電話でそれを伝えて、本社への連絡を空港スタッフにまかせて、空港にたどり着けた15名様と出発した。

翌日、6名様とは、コペンハーゲン空港で無事に合流した。

前日は、それぞれ夕方の34時に成田空港に着き、スカンジナビア航空のカウンターに行くと、翌日便の搭乗券をその日のうちに渡されてホッとしたそうだ。

 

千葉からいらした方は、午前6時前に出て午後3時頃に到着。市原からいらした方は午前5時半に出て、午後3時20分に到着。品川からいらした方は、午前6時半に出て午後4時前の到着だった。ふだんなら301時間半の道のりを9~10時間半かけて、ようやくたどり着けたのだった。

 

その後、成田から出るほうの高速道路は回復したため、千葉方面に自宅がある4人は、一度帰宅された。品川からいらしたお二人は、空港ホテルに泊まろうとしたが、どこも満室。自宅に帰ろうにも鉄道は復旧しておらず、かといって、また品川までタクシーを利用する気にもなれず、空港の建物の中に、そのまま泊まったそうだ。

 

余談だが、成田空港到着便は、次々と順調にやってくる。しかし、鉄道もリムジンバスもしばらく動いていなかったため、到着客は動けずにどんどんたまっていく。その場にいた人の言葉を借りれば、「栓が詰まった流し」状態だったという。

 

今回のケースで見るべきは、「ふだん、関東地方には来ないような勢力の台風」という言葉に、人によってどれだけ反応して準備ができたかだと思う。道路の冠水や倒木など、関東の台風ではあまり見られない、災害級の被害も目立ったが、そこまで想像できなくても、ある程度の対策を立てた人は、普通に旅行できたが、しなかった人は乗り遅れた。

 

教訓。空路移動が翌日に控えている時は、天気予報は要チェック。台風、雪の時は前泊必須。いざ、災害級に天気が荒れた時、空港から近い、遠いは関係なくなる。鉄道も道路も機能していないのだから。今回、1日遅れでツアーに参加されたお客様36名様は、ツアー全体の参加者の中で、最も空港から自宅が近い3組であった。

 

なお、合流後のツアーは、大変盛り上がった楽しいものとなった。

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北欧一番の見どころは、ノルウェーのフィヨルドだが、一番楽しい都会は間違いなくストックホルム
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ガムラスタンと言われる旧市街は、重厚感はあるし、華やかだし、そのわりに小さくて歩きやすい。
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街の一角にあるルーン文字の石板。古代に書かれたものが、近代の家の建築材料になったようだ。ハリーポッターの魔法学校でも、教えていたような気がする。
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街の外側に出るとすぐにある、王立庭園。基本的に、この国では公園の芝生に入ってもかまわない。木陰と光のコントラストが美しい。
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庭園には、春から秋にかけて、手入れをされた花が咲いている。
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年間を通して、太陽が乏しい北欧の建物の窓は、少しでも陽の光を窓の中にいれようとしているためか、とても大きい。数多くの大きい窓が、こんな模様をつくることもある。
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登場人物

 

N美

やっと、どこに行ってもまかせられる添乗員になりましたね。でも、まだまだこれからですよ。

 

S美

ここで辞めてしまったのは残念だけど、このスキルは、次の仕事でも生きますよ!

T子
ツートン塾に新たに加入。このブログでは、シリーズ「コロナの記録と記憶㉔」で、すでに登場済み。

 

マスター・ツートン

自分の添乗も忙しかったけど、人の面倒を見るとね、自分の問題点もいろいろ見えて勉強になりました。

 

 

S美は、僕らのコミュニティーに参加して、一年少々で海外添乗員としての仕事をやめた。最後まで、とても高いモチベーションで仕事に臨んでくれていた。

 

最初は、既婚者で家庭を大事にしながら、また扶養控除の枠を出ない範囲で働きたいということだったから、それほど高い意識を持っているとは思っていなかったのだが、着々と実力をつけて成長の階段を上っていた。

 

だが、僕からは見えない問題があった。ある日、告白された。

 

「実は、ちょっと前から、添乗に出る度に胃腸の調子を崩すんです。」

 

帰国するたびに苦しむ姿を、ご主人も見かねて声をかけたらしい。「辞めたほうがいいのでは?」と。実際に日本で休んでいると問題ないのだから、仕事でのストレスが原因であることは間違いなかった。また、夫婦で出産も意識していた。そうなると体調の悪化は無視できない。

 

不安事項がひとつなら、それを克服できたかもしれない。でも、ふたつ重なって、そこに出産が絡むと、なにも言えない。

 

「女性の多くは通る道だからね。別にツートンくんのせいじゃないよ。S美もよく頑張ったと思うよ。それに、君が教えるべき人は、ほかにもたくさんいるだろう。」

 

派遣添乗員ではよくあることと言わんばかりに、マネージャーは軽くアドバイスしてくれた。

個人的に、S美の離脱はとても残念だったが、後に嬉しいできごとがあった。まず、添乗員をやめてから、わりと早い時期に子供ができた。そして、高い英語力を持つS美は、海外を案内する機会はなくなってしまったけど、国内で外国人の仕事をするインバウンドのメンバーの一人として、同じ派遣元に所属することになった。

 

そう考えると、N美はタフだった。空気は読めなかったし、言葉も選ばず偉そうだったが、どんなトレーニングにも、どんなお説教にも堪えた。あれだけきついことを言われたら、もう来ないかもしれないな、と、スタッフで話していてもサボることなくトレーニングに現れた。

 

ツートン塾の中で、僕の指導にとことんついてきてくれたのは、四人しかいない。その中でも、一番長きに渡って付き合っているのが、N美だ。

 

そんなN美にも後輩ができた。僕は、府中に住んでいた時の飲み友達から、T子を紹介されていた。当時、大学生だった彼女は、添乗員になることを希望していた。できたら、一度は海外だけを取り扱っている旅行会社へ就職したほうがいいとすすめたが、思ったように内定がとれず、結局、添乗員の派遣元に入ろうとした。彼女が決めたのは、国内添乗を最初にこなして、その後海外添乗に出るという会社だったので、

 

「国内の経験は必要ない。国内と海外は、全然仕事が別物だから。海外をやりたければ、最初から海外に行けるところに行け。というか、うちに来い。」

 

と言って引っ張ってきた。N美やS美は、自分から僕のところにやってきたが、T子は、半ば僕から強引に「ツートン塾」に引っ張ったわけだ。僕にも思惑があった。マネージャーは常々

 

「新卒は、派遣添乗員では育ちにくい」

 

と言っていた。だが、きちんと教育すれば、他の職種と同じように、育つ人間は育つということを、自分の中で証明したかった。また、N美に続いてT子を育てられれば、僕個人にとっても大きな自信になることも分かっていた。

 

この時点で、N美とT子のレベルは当然違った。が、僕はある日、二人のトレーニングを一緒に行った。二時間という枠の中で、それぞれ一時間ずつ使い、お互いの実演を見学させる方法をとった。T子は、初期のN美よりも、きっと上手にできる確信があったから、それがN美にとっていい刺激になることを期待した。また、T子には、もはや、技術的にはかなり高いN美の「プロの添乗員のトーク」を見て、そこを目指して欲しいと思った。

 

T子とは、これ以前に、既にマンツーマンでトレーニングをしていたから、この時は、すらすらと課題をこなした。T子も、N美のきはきしたトーク案内には舌を巻いていたが、この時点で刺激を受けていたのは、間違いなくN美だ。

 

この日のトレーニングの後、家が遠いT子は帰宅して、僕はN美と飲みに行った。

 

「T子。始めたばかりなのに上手だね。すぐに君なんか抜いちゃうかもよ。」

 

「はい・・・。そうかもしれませんね。確かに上手でしたね。」

 

かなりビビッていたN美。とりあえず狙い通りだ。でも、この後は、時々だけどお姉さんらしい、先輩な態度を見せるようになっていく。

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パリ。クリスマスシーズンのシャンゼリーゼ
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13階からの階段の上がり下がりは、周りにいらしたお客さんも気になったようで、聞かれた本人は、何人にも言い聞かせていた。僕が聞いていただけでも、13階から1階を2往復はしていた。

 

そんな時、同じA社の添乗員が、かなり遅れてやってきた。

 

「前泊されなかったんですか?」

 

「それがしたんですよ。でも、空港行きの幹線に入る前に、大きな倒木が2本もあって・・・。その撤去に、えらい時間がかかったんです。とても人間の手に負えるものではなかったし、作業車はなかなか来ないし。いらいらしましたよ。」

 

ホテルの部屋を出た時間は、僕よりも彼女のほうが早かった。空港から15分くらいの距離なのに、2時間以上かかってしまったという。早めにいらしたお客さんの対応は、空港のスタッフに依頼していたが、まだ、ほとんどのお客様来れていなかったので、ほっとしていた。

 

時計は9時半を回ろうとしていた。未明の豪雨がおさまり、7時半には晴れ間が出て、9時には既に青空が広がっていた成田空港周辺。受付場所から外を眺めると、アスファルトはすでに乾いていた。この様子だけを見たら、台風の影響がまだ残っているなど考えにくかったが、鉄道も高速道路も、通常通りの機能からは程遠い状態だった。

 

それとは別に、朝の到着便は、次々に成田空港に到着していた。空には、鉄道や道路のような復旧作業は必要ない。天気さえ回復すれば、飛行機は飛んでこれたのだ。集合場所近くにあった出発便の案内モニター。僕らが目にしたのは、びっしり詰まった出発予定便の横に、上から下までずらりと並ぶ「定刻」の二文字だった。

 

勢力は強大だったが、規模が小さい台風が、あっと言う間に通り過ぎていった時特有の現象といえたかもしれない。航空機は来ているのに、多くのお客さんがたどり着けないという、非常に珍しいことが起きていた。

 

この事態に、航空会社の対応は分かれた。例えば、ポーランド航空利用は10時出発の予定を、早々と13時に変更した。この航空会社は、日本からの便が毎日出ないため、翌日への振り替えができない。他社に振り替えるにしても、台風が相手だから、どこも似たような状態で、多人数の調整は難しい。そこで、あえて出発時間を遅らせて、少しでも多くのお客さんを助けようとしたようだ。

 

僕が利用するスカンジナビア航空は、定刻出発の姿勢を崩さなかった。この場合、時間までにお客さんが、空港に着けなかった場合、最悪キャンセル料全額の旅行中止も考えられた。天候不順は、旅行会社にとっても航空会社にとっても免責だ。しかも今回、僕は再三に渡って、お客様たちに前泊をおすすめしている。

 

このツアーの集合時間は9時10分。フライトの出発は1110分。9時30分を過ぎて、いらしてないのが8人。全員、前泊をされなかったお客様だ。そのうち6人とは連絡がとれた。千葉市と市原市から向かっているお客さんたちは、マイカー移動で動きが取れない。品川からいらしたお二人は、電車がとんでもないことになっているのでタクシーに乗り込んだが、やはり高速道路に入ってから身動きがとれない。茨城からいらした年配女性の二人組は、携帯電話をお持ちでなく、連絡さえ取れない。

 

ここまでかな、と思った時だった。「すみません!」と、大きな声で大汗をかきながら、女性の二人組が走ってきた。なんと、茨城のご自宅からいらしたお二人だった。

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ノルウェー。フィヨルドエリアにあるツヴィンネの滝


明け方、信じられないほどの勢いだった台風は、6時くらいになると、多少は落ち着いてきたように見えた。いや、まだまだ強い嵐だった。最初に目の当たりにした様子が凄まじすぎたので、落ち着いてきたように見えただけだった。

 

それでも、建物は揺れなくなってきたので、僕は、シャトルバスの運行情報を聞こうと思い、シャワーを浴びて早々とロビー階へ下りた。

 

だが、その様子に驚愕する。正面入口近くからフロントデスク手前5mくらいまで水浸しなのだ。

 

「入口の下から、風と雨が吹き込んでしまいまして。いくら掃除してもこのようになってしまうのです。」

 

フロントでは、眠そうな顔した夫婦がチェックアウトをしようとしていた。

 

「あ、どこかの添乗員さん?昨日はすごかったですね。」

 

「どうされたんですか?」

 

「うちの部屋は、外側の窓になにか当たって割れちゃったみたいで、内側の雨戸みたいなのがあるでしょ?そのあと強風でそれが内側に飛ばされちゃったのよ!」

 

「え!?」

 

ホテルは満室だったから、空いてる小会議室にベッドを入れてあてがわれ、そこにお泊まりになったそうだ。

 

「ホテルは、精一杯対応してくれたから満足です。お見舞いで、宿泊料無料ですって(笑)いやあ、でも『避難』することになるとは思わなかったわ。」

 

奥様の陽気な話し方に、フロントの女性はほっとしているようだった。

 

ホテルからのシャトルバスは、5時半から6時半のものはキャンセル。朝7時が始発となった。タクシーも呼べないとのこと。ホテルから空港に行く際、少しだけ幹線に入る。それが唯一の道なのだが、封鎖されており7時にならないと開かないということだった。

 

「前に出なかった分は増便します。この時間帯は、一気に二台出ますからご安心ください。」

 

7時になると、先ほどまでの天気はどこへやら。晴れ間が出た。僕は、なんとか7時のバスに乗って、いつもよりかなり時間をかけて、空港へたどり着いた。

 

閑散とした空港。7時半頃に到着すると、いつもなら準備が始まっているスカンジナビア航空のカウンターには、誰もスタッフがいなかった。僕は、とりあえずツアー受付の準備をして、20分遅れで開いたスカンジナビア航空のカウンターで、自分の分のチェックインを済ませて、お客様を待った。

 

だが、だいたい集合時間の1時間くらい前からお見えになるお客様は、こんな状態だからなのか、なかなかいらっしゃらない。最初お見えになったのは、前日にお台場から移動してきた母娘だった。

 

「あー。疲れた。長椅子に横になっても眠れませんね。でも、これで旅に行けるわ!」

 

この後、前泊されていたお客様が次々に到着した。受付の度に「大冒険からの生還話」だ。

 

「空港から20分くらいの、いつものところに泊まったんですよ。バスは出たんだけど、街路樹が倒れてたり、道路が冠水してたり、おまけに渋滞でなかなか進まなくて。ここまで1時間半くらいかかりましたよ。」

 

これは、60歳くらいのご夫婦のお話。

 

「空港すぐ近くのホテルに泊まったんです。朝から停電になっちゃって、13階に泊まってたので、エレベーターも止まってて、一度フロントに下りたんですよ。そうしたら、『スーツケースは階段でお運びください』なんて言われちゃって・・・。また13階まで歩いて上がって、そのあとまた13階から、全部荷物もって下りましたよ。」

 

13階からですか?一往復半、歩いて上がり下がりしたんですか?」

 

「そうよ!」

 

ちなみに、これを成し遂げたのは、70歳少々の女性の友人同士だった。人間、やればできるもんだ。

 

そんなこんなの話を伺いながら、「たぶん、全員たどり着けることはないだろうな」と、僕は悟っていた。


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ノルウェーのフィヨルド沿いのホテルより。このとき、まだまだ北欧は遠かったでございます。

登場人物

 

N美

一皮むけて一人前に。これからしっかり稼げよ。

 

マスター・ツートン

どんな生意気で無礼なやつでも、育ってくれたら嬉しい。嬉しいけどムカつきます。嬉しさとムカつきが両立するのを知ったのも、この頃だった。

 

マネージャー

N美の変化をかぎ取って、一気に彼女のスケジュールを変更。N美が一人前扱いされるきっかけをつくった。

 

社長

なんだかんだでね。仕事ができるようになったら、その人のことを好きになります。そりゃそうだ。経営者だもん。

 

S子さん

厳しい指導者です。ボソッという一言も怖いです。

 

 

涙のトレーニングから数日後、もう一度、僕はN美とオフィスで会った。その後に行く、フランスのツアーのレクチャーのためだった。N美のレクチャー前の準備は、いつもいい加減だったが、この日は、必要な各地の地図コピーや資料が、きれいに揃っていた。

 

「今日は、きちんとできてるな。」

 

「そりゃそうですよ。ずっと前、ちゃんと準備してなかったら、すっごい怒ったじゃないですか。もーのすごい怒られたもん!やりますよ。そりゃ。」

 

腹式呼吸で話すN美の大声は、オフィスの中で響き渡った。前回のお説教に対する復讐かと思えるくらいの大きな声。相変わらず無礼な態度だ。僕は、いい意味でも悪い意味でも、これに慣れつつあった。だから、平然とやり返す。

 

「そうだよなー。あの時も怒ったもんなあ。この前のネパールの件でも散々怒ったけど。」

 

急にN美の顔が曇った。

 

「あれは、本当に反省しています。もう絶対にしません。」

 

このブログには、かねてからの知り合いの読者もたくさんいる。前回、N美が添乗員のハートを手に入れた話を書いたが、それを読まれたうち、なんと4人から

 

「おめでとうございます。よく彼女の成長を待てましたね。ツートンさん、辛抱強いですね。」

 

という趣旨のメッセージをいただいた。「N美さん、よかったですね。」というものはなかった。このシリーズの文中における、N美のことごとく失礼な言動がその原因だと思われる。文章で、彼女の、愛嬌ある(あるかな?)キャラをすべて伝えるのは難しい。だから、余計にN美の「無礼さ」が際立つのであろう。ちなみに、実際にN美が急成長した時も、派遣元でよく言われたのは、

 

「ツートンさん、すごいね。よく頑張ったね。辛抱したね。」

 

だった。最初は黙認していたN美は、そのうち反発した。

 

「頑張ったのは、私ですよ!」

 

そう。その通りだ。よく頑張った。でも、辛抱したのは僕だ。・・・と、自分で書いたこのブログを読み返して、我ながら強く実感している。

 

ここは、その後のN美の頑張りについて書いておこう。前回の涙が全てとは言わないが、その直後のD社のロシア、A社のトルコと、これまでにない結果を出した。

 

「数値もいいんだけどね。一番は、お客さんからのコメントだよ。褒め言葉が変わってきた。」

 

確かに、それまでは、「明るい、優しい、声が大きくて聞きやすい」ばかりで、それ以外誉め言葉がないんだろなあ、というものが大半を占めていた。しかし、この頃からは、具体的な彼女の行動が記されるようになった。それは、お客様のツボを心得た行動をしていることになる。それこそが成長の証だった。

 

「アサイン(添乗スケジュール)を、少し変えてみようかな。」

 

2015年の年明け、マネージャーが、2月以降の彼女のスケージュールを再考して、そこから先は、ヨーロッパが仕事場の中心となっていった。もちろん、今度は成績が崩れない。自分の持っている力を、フルに発揮して、その実力を証明していた。

 

「ようやく来たな。」

 

と、僕は満足していた。どんな仕事でも、或いはスポーツでも習い事でもそうだ。努力すれば実力はつく。でも、それが結果に繋がるまでにかかる時間には、かなり個人差がある。場合によっては、結果が出ないで終わってしまうこともある。

 

N美は、やたらと時間がかかってしまったが、結果を出せた幸運な人間だった。

 

ネパールの一件以来、彼女に対して冷たかった社長の評価は一変した。驚いたのはある日、N美がオフィスに現れた時、

 

「おお!N美ちゃん!最近、頑張ってるね。おつかれさま!」

 

と挨拶したことだ。これまで社長は、N美のことは苗字で呼びつけだった。それがなんと名前で「N美ちゃん」だ。これには驚いた。そして、それを聞いたS子さんが、社長に背を向けたまま「気持ち悪っ」とつぶやくのを僕は見逃さなかった。

 

まだまだ未熟な部分はあるが、N美が一人前の添乗員として、扱われ始めたのがこの頃だった。

 

年が明けて、N美が活躍を始めて、派遣元でも多少動きがあった。

 

N美の後に加わったS美は、事情があって海外添乗員をやめた。これについては次回に書こう。

現ツートン塾では、N美の次に古くからいるT子(コロナの記録と記憶㉔ 父の葬儀とコロナ情勢に登場済み)、派遣元屈指の実力派であるにも関わらず、わざわざツートン塾に加わったCHIBA子、派遣元に入ったと思いきや、メキメキ頭角を現したIWA子などが、N美や僕の存在に絡んでくる。

 

一番下っ端で、甘えん坊将軍だったN美の立場も、だんだんと変化していく。
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冬のスイス。ローヌ渓谷のシオン近辺のドライブより


2019年は、秋に強い台風が、関東地方に2つもやってきて、大変なことになった。

 

僕は、そのうち、9/9にやってきた台風15号が千葉に上陸した日に出発した。

記憶では、規模こそ小さいが、その強さは関東に上陸したものの中では最強クラスと言われていた。

 

取引先は、いつものA社。この会社は、対応が実に素早く、融通性がある。強い台風は、雨が降る前から強い風が吹く。その風で電車が止まる可能性を感じた僕は、打合せ翌日で出発二日前の朝に前泊ホテルを取って、企画担当者に許可を得るべく電話をした。この時期は、パッケージツアーのピーク。もたもたしていたら、どこも満室になってしまうと考えた。

 

担当者は、この日のうちに、添乗員に前泊するように指示を出そうとしていたらしい。むしろ、連絡する手間が省けたと喜ばれた。

 

残りはお客様だ。前日の打ち合わせで、前泊しないとおっしゃっていたお客様に電話をした。21名様のうち、12名様は、当日ご自宅からいらっしゃると仰っていた。この6組12名様の電話番号は、心配だったから、会社の許可を得て控えてきた。

 

この時は、みなさんご自宅からと仰っていたが、その中のご夫婦1組からは、出発前日となった翌日の午前中に電話があった。「空港近辺のホテルは満室だったから、成田駅近くのホテルをとった」と。もう一組、ある母娘からは夕方になって、

 

「成田空港周辺のホテルはとれなかったので、お台場にとりました。」

 

と、連絡があった。

 

「お台場!?出発は羽田でなくて成田ですよ。」

 

「存じております。これでも自宅(中央線の国立)よりは近いのです。朝一で、リムジンバスで成田に向かいます。」

 

果たして、暴風雨の中、バスが出るのか心配になったが、ご本人なりに手は打ったつもりなのだろう。残りの茨城方面の女性友人同士1組、品川にお住まいの女性友人同士1組、千葉で空港から50km圏内にお住まいのご夫婦2組は、再三のおすすめにも関わらず、結局ご自宅からとなった。特に千葉のご夫婦2組は

 

「こんな近くで空港ホテルに泊まるのは馬鹿げてて。車で行くから、電車が止まっても大丈夫。」

 

と、かなり楽観的だった。

 

台風中心部の勢力は、かなりのものだったが、規模は小さかったためか、前日の夜までは全くそんな気配はなかった。僕は、念のため、早めにホテルに入って天気予報を確認した。間違いなく、成田周辺を中心部が通っていく。風速は秒速40mとかなりすごそうだ。当然、ネットでも同じ情報だった。

 

心配だったのは、お台場にいらした母娘だ。心配なのでもう一度電話した。少しでも空港近くに移動して欲しいと思ったのだ。

 

「あ、ツートンさん!何度もお電話いただいてすみません。私たち、今成田空港にいるんです。」

 

「え?ホテル取れたんですか?」

 

「それが取れなくて。でもね、お台場のホテルから出るはずの成田空港行きのバスが、今日のうちに運航中止になっちゃったの。ホテルの人も、今晩のうちに行ってしまったほうがいいっていうから来ちゃったわ。」

 

「そうですか。賢明ですね。それでお泊りは?」

 

「もう、空港の中で野宿します。空港の警備員さんが、それでもいいって。」

 

「わかりました。風邪ひかないようにお気をつけて。」

 

この母娘の瞬発力は見事だった。こういう行動力は、本当に助かる。

さあ、とりあえず、すべきことは全てした。僕は、ベッドに入って出発の朝に備えた。

 

明け方4時過ぎ。僕は建物の揺れで目が覚めた。

 

「・・・地震?」

 

でも、揺れ方が少しおかしい。その後、ドーン!となにかが窓を大きく叩いた。このホテルでは、カーテンのかわりに雨戸のようなものが、窓の内側にあった。それを開けてみると、窓の外は、今まで見たことないような猛烈な嵐だった。さっき窓を叩いたのは、暴風だった。それだけでなかった。風はホテルの建物も揺らしていた。地震ではなかったのだ。

 

暴風は雨の向きも操っていた。右から左に降らせていたと思うと、突然向きを変えて、窓にぶつけた。すごいを通り越して、もはや恐怖さえ感じた。まだ、時間的には二時間ほど眠れたはずなのに、暴風雨による音と揺れで、もはや眠りにつくことはできなかった。
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コペンハーゲンの美しい街並み。ニューハウン

登場人物

 

N美

順調に成長しながら、久々に問題を起こしてしょぼくれている若手添乗員。

 

マスター・ツートン

N美の起こした問題を、きちんとN美が理解すれば成長すると信じて、お説教している。N美の師匠で、このブログの筆者。

 

マネージャー

N美の起こした問題で、A社に平謝りの敏腕営業マン

 

S子さん

派遣元の教育係

 

 

A社で「優秀添乗員」の資格を得たN美であったが、必ずしも派遣元での評価が上がったわけではなかった。対象となったツアーが、すべてトルコというのがその理由だった。派遣元全体の教育係であるS子さんは、

 

「行先がトルコで、しかもみんな同じツアーなんだから当たり前だよ。問題なのは、これからだからね。」

 

と、得意げになっているN美にをたしなめたらしい。

 

それが正論なんだろうけど、N美の場合は、これまでが長かったのだから、少しくらいは達成感を味わわせてあげても・・・と思ったものだった。

 

S子さんは、とても優秀な添乗員で、派遣元内全体の教育係に任命されて内勤となった。かなり勤勉で、旅行先のことだけでなく、心理学的なものまで読み漁り、お客様のお気持ちをも勉強していた。

 

この頃、N美に言われたことがある。

 

「S子さんは、ものすごい勉強してますよ。勉強したことを基本にして、いろいろなケースを当てはめて教えてくれるんです。ツートンさんは、そんなに勉強してるって感じはしませんよね。自分の経験と感性で教えてるって感じで。」

 

N美には、そう思えたのだろう。それにしても、この頃のN美の発言には、時々腹が立ったが、今思い出しても腹が立つ発言だ。実力派添乗員になった今のN美が、それをいうならともかく、この頃の彼女は、成長が著しくのろい問題児だった。どの面下げて、教えてもらってる人の評論を目の前でするのだ。

 

それはともかく、つまり、N美はS子さんのことを信頼していた。だから「いい気になるな」発言は、かなり心理的に効いてしまっていた。効いてしまっていたというのは、僕から見ると、はっきり言って逆効果だった。優秀添乗員になれたことで、N美には、心理的に勢いをつけさせて、その後のツアーに臨んでほしかった。勢いって大切だ。それさえあれば、現場では、それまで思い付かなったことを急に思い付くこともあるし、行動力も出てくる。

 

しかし、その勢いを削がれてしまった彼女の添乗は、悪い意味でおとなしくなってしまった。以前に比べれば安定した仕事をしてはいたが、この当時の彼女の能力と持っている技術を考えれば、もっとブレイクしてもいいはずだった。特に、判断力については一番成長が遅れており、トラブルが起こった時の対処が心配された。

 

トラブル対処能力は、必ずしも経験に比例しない。業界のシステム、旅行会社での打ち合わせ時に言われた要望、お客様の要望、これらが頭の中でまとめられているかどうかによる。これができてれば、たとえ新人でも、トラブルは大きくなりにくい。逆にそれができてなくて、ベテランのくせにトラブルをまとめらない添乗員もたくさんいる。

 

そんな心配を抱えながらも、N美は、前年の末に逃したA社でのランクアップを果たして、この年の6月にランク6から5に上がり、12月の査定では4に上がることが、ほぼ確実になっていた。

 

僕の中では葛藤が生まれていた。「こんなものかな」というものと「まだ実力を出し切ってない。そして実力を出し切るためには、もうひとつ足りない」という気持ちがぶつかっていた。

 

そんな時、トラブルは起こった。国はネパール。取引先はA社。

当初の予定では、カドマンズでオプショナルツアーの遊覧飛行があり、終わってからホテルでお待ちのお客さんと合流して、ナガルコットという街のホテルに向かい、ヒマラヤの夕日をご覧いただく予定だった。

 

ところが実際は、天候の問題だろうか。遊覧飛行の催行が遅くなり、ホテルでの合流時間がずいぶんと遅れてしまった。オプショナルに参加されないお客様は、約束の時間にロビーに集合しながら、状況も理由かも知らされず、長時間待たされた。

 

この時、ガイドはオプショナルツアーに同行して、添乗員のN美はホテルに待機していたから、途中でガイドに電話して、お客様に状況説明だけでもすればよかったのだが、それを怠ったため、待たされたお客様たちは、すっかり機嫌を損ねてしまった。

 

これくらいなら後で挽回できたかもしれないが、こんな時に限っていろいろ続く。いつもひどいカドマンズの交通渋滞が、この日はさらにひどいものとなった。ガイドが提案する。

 

「このままでは、おそらく夕日に間に合わない。天気も今一つだから、ナガルコットでは見られないかもしれない。途中、停まれるところでバスを停めて、そこで夕日を見よう。」

 

旅行会社のパンフレットで謳っていたのは、ヒマラヤに沈む夕日だ。そして、夕日が落ちた後に広がる紫色のパノラマだ。だが、ガイドが提案したところで見られるのは、「単なる夕日」だった。とりあえずそこで時間をとってからホテルに到着すると、すっかり暗くなっていた。お客様の中には、「こんなこともある」と割り切っていた方もいたようだ。グループの雰囲気によっては、このまま終わってしまう可能性のある事例だった。

 

だが、一人の女性客が声をあげた。

 

「真っ暗じゃないの・・・。なにも見えないじゃない。夕日、さっき見られたわよね。まっすぐここに来たら、見られたんじゃないの?日没に間に合わなかったとしても、その後のパノラマは見られたんじゃないの?契約違反でしょ?これって契約違反よ。」

 

同調するお客様は、他にも出てきた。ガイドもN美も、これに対して適切な説明をすることができず、大きなクレームとして日本に持ち帰ることになった。

 

これは、旅行業法・約款の旅程保証に関わってくる。天災地変などの免責事由以外で、契約書面に記載された航空会社やホテルなどのオーバーブックによる変更や、旅行サービスの中止などがその対象となり、旅行業社が消費者に対して変更補償金という名のペナルティーを支払うことになる。金額は、旅行代金によって左右される。また、それがパンフレットのタイトルか、サブタイトルか、行程表の中だけの表記なのかによっても、支払い金額は変わってくる。

 

今回は、夕日を見られはしたものの、パンフレットに記載してある内容とはかけ離れていたし、そのまま車を走らせれば、日没後、暗くなる前にパノラマを眺められる可能性があったこともあり、ガイドと添乗員が責任を負うことになった。当然のことだ。

 

マネージャーやS子さんからは、これについて、旅行業法の説明や、取引先に対してどれほど迷惑をかけたかという説教があったらしい。が、N美は、この時点では、事の大きさを完全には認識できていなかったようだった。

 

「マネージャーや、A社の人たちに迷惑かけたのは理解できたの?」

 

「・・・・はい、わかりました。でも・・・」

 

「でも、なに?」

 

「私には難しかったです。(自分よりも現地を知ってる)ガイドさんが、ああやって提案してきたら、受けるしかないと思ったんです。・・・どうしていいか分からなかった。」

 

「日本語話せる人が、日本の旅行業法を知ってとは限らないからね。そこは添乗員が、ガイドに説明してフォローしないと。」

 

「それで分かってくれなかったら?」

 

「現地の手配会社に連絡して大騒ぎする。手配会社は、旅行業法を知ってるよ。日本人スタッフもいたうだろうからね。」

 

「うーん・・・。」

 

「よし、わかった。実践トレーニングしよう。僕はお客さん役。君は添乗員という設定ね。僕が君に詰め寄るから、お客さんだと思って対応して。」

 

「・・・・はい。」

 

なにが始まるのかといった感じでN美はきょとんとしている。

 

「N美さん、あんなところで止まらないで、そのままホテルに向かえばよかったのに。そのままいけば、少しくらい景色を見られたんじゃないの?」

 

「あ・・・・え?」

 

「お客さんのつもりで対応しろと言っている。」

 

「あ・・・はい。・・・夕日を見ていただくには、そこしかもう思い付かなくて。」

 

「ヒマラヤ見えないじゃん。あんな夕日、日本だって見られるよ。天気悪いっていいながら、今は悪くないじゃん。あそこで止まらなければ、あんなに長い時間取らなければ、日没後でも景色はあったんじゃないの?どうしてトライしてくれなかったの?」

 

「その・・・ガイドさんが・・・」

 

「僕はあなたに聞いてるんだ!」

 

「ここだったら、確実に見られると思って・・・」

 

「(パンフレットの写真を取り出しながら)僕が見たかったのはこれなの。天気が悪かったなら仕方ない。遊覧飛行で、ホテル到着が遅れたのも仕方ない。渋滞も仕方ない。それでも頑張って欲しかった。あんな夕日を見るためにここに来たんじゃない。こんな暗かったら、パノラマでもなんでもない。ここにいる意味がない。どうして頑張ってくれなかったんだよ。」

 

「あの・・・それは。」

 

言葉が出ないのは当然だ。そこを、さらに追い込む。ここから先が、お客さんの本心だ。

 

「あなたは、たまに仕事で来るから、そういう判断になるんだろうね。でもね、僕にとってネパール旅行は、一生の間で、この一度だけなんだよ。」

 

困惑していたN美の顔が、ハッとなにかに気づいたように変わった。

 

「旅行はこれからもするよ。でも、無限にお金があるわけじゃないし、他にも行きたいところはある。僕は、ここに二度と来れないんだよ。一生で、ここにいられるのは、今だけなんだよ。」

 

N美の表情が見る見るうちに崩れてきた。

 

「僕はあなたにように、自分の力で海外旅行には来られないから。こうやってツアーに参加して連れてきてもらうしかないんだ。もし、自分で動けたら、絶対にあんなところに止まらない。まっすぐここへ来た。それならあきらめがつくよ。あなたは、自分の旅行でもあんなところに止まるのか?止まらないだろ!?どうして最後まであきらめずに頑張ってくれなかったんだ。」

 

N美は目を真っ赤にしてうつむいた。僕は、彼女が顔を上げるのを待ってから言った。

 

「僕は、もう二度とここには来られない。」

 

「・・・・・。」

 

「一生に一度の旅行をどうしてくれるの?ねえ!どうしてくれるの?」

 

「それは・・・。」

 

「返して。」

 

「・・・え?」

 

「返してよ。一生に一度の旅行を返して。こんな暗くなってからここに到着したのは、あなたの責任だんだから。旅行を返せ!!」

 

「すいません・・・。」

 

N美は、ぽろぽろ涙を流しながら、声を絞り出すように言った。

 

「ごめんなさい。本当にごめんなさい。」

 

涙は、大粒に変わっていた。僕は、お客様からマスター・ツートンに戻った。

 

「今の『ごめんなさい』は誰に言ったの?僕?」

 

彼女は、顔を上げて激しく首を振ってこたえた。

 

「お客さんです・・・。お客さんです!!」

 

そしてまた、うつむいて咽び泣いた。

 

「今日はこれで終わり。来週にもう一度約束があったな。続きはその時にやろう。」

 

主要な部分だけをここに書いているが、この時のN美とのやりとりは、1時間半に及んだ。夕方から始まったトレーニングの間に、他の内勤者と添乗員は帰宅して、オフィスには僕、N美、マネージャーしか残っていなかった。

 

僕は、泣いているN美をそのままにして、オフィスを後にして、最寄りの駅に着いてから、マネージャーにLINEを送った。N美の様子を聞きたかった。

 

「さっきまでずっと泣いてたけど、今も泣きながら、いろいろ準備してる。今日の泣き方は、今までと、ちょっと違うね。さっきのは、本当にいい薬になったんじゃないかな。」

 

添乗員に必要な要素はふたつ。ひとつは、お客様に与える安心感。今まで、ひたすら案内トークを極めてきたN美は、それだけで添乗をやってきた。もうひとつ必要なのは、エンターテイメント性。なにがなんでも、お客様を楽しませてやろうという気持ちだ。添乗員にとって安心感が守りの気持ちであれば、エンタテイメント性は攻めの気持ちだ。このふたつがあってこそ、添乗員のハートが出来上がる。

 

この頃は滅多になくなっていたが、かつてN美はトレーニング中によく涙を流した。そして、それらは全て、未熟な自分への悔し涙だった。だが、この日の涙は、初めてN美がお客様の気持ちに寄り添って流した涙ということで、これまでとは違っていた。

 

マネージャーからのLINEで僕は確信した。この日、N美は、添乗員として真のハートを、ようやく手に入れた。
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イタリアのドロミテ街道より。写真は、本文とは関係ありません。
ドロミテ
ドロミテ2

出発当日の天気が、ツアーに大きな影響を与えることがある。今回は、降雪と台風の影響を受けたパターンを紹介していきたい。最初に、このシリーズで申し上げたいことをお伝えすると、「天気予報があやしかったら、迷わず前泊」ということだ。

 

 

2016年1月。僕は、真冬のポーランドのツアーを割り当てられた。お客様の人数は36名。観光シーズンとしては、ベストとは真逆の条件であったが、とにかく他の出発日に比べて圧倒的に安いということで、これだけのお客様にお集まりいただけたようだ。

 

36名様のお客様にお電話するだけでも大変だ。しかも、出発日は雪の予報だった。東京の交通は、雪に極端に弱い。そのうえ、この時利用したポーランド航空は、午前中の早い時間に出発だった。

 

僕自身、それまで雪の被害に遭ったことはなかったが、それで苦労した添乗員の話は聞いたことがあったので、電話でのあいさつとご案内が終わった後、雪に関しての注意と、できたら前泊するようにお勧めした。

 

新潟、長野、大阪など遠方からいらっしゃるお客様は、「最初からそのつもりだった」ということなので問題なし。

 

成田空港から近い千葉、東京都心の方々は、前日の天気予報次第で前泊、または予定よりも早く出るとのこと。一人、江戸川にお住まいなのに前泊するという方もいらっしゃり、ここも問題なし。

 

問題は、東京西部にお住まいの方々だった。立川の方が4名、八王子の方が2名いらした。しかも全員中央線沿いにお住まいだった。以前、僕が府中に住んでいた時、悪天候時に京王線、小田急線が動いていても、中央線だけ徐行だったり止まったりしたのを見ていたので、強く前泊をすすめたのだが、全員、

 

「まあ、大丈夫でしょう。いざとなったら考えます。」

 

とのんびり答えるだけだった。危機管理というか、気質というか、こういった時の反応は、お客様によって千差万別だ。これも個性なのだろう。心配だった僕は、6名様の電話番号を、旅行会社から許可をとって持ち帰り、いざ、当日朝からの降雪が、現実的になった前日にもう一度電話をかけた。

 

八王子のご夫婦は、前泊しようと思いなおしていたが、空港ホテルが取れずに断念し、当日自宅から出発しようとしていた。僕は、

 

「空港でだめなら成田市内、そこがだめなら乗り換えなしで行ける近いところに宿泊してください。遠くても千葉までくればホテルはありますから。そこまでくれば、当日たどり着けないことはないと思います。」

 

そうして前泊されることになった。立川の4名様は、とうとう動かなかった。

 

いよいよ出発当日。僕は、江東区の自宅を、当初の予定よりも1時間以上早く、5時に出た。予報では6時頃から降雪とのことだったが、マンションを出ると、すでにアスファルトは雪で白くなっていた。

 

「ここで、この雪だと立川のほうは・・・。」

 

都心と多摩地区での雪の降り方の違いは、知っていた。心配しながら空港に向かう。車窓を眺めながら、さらに心配が募った。雪が降っても千葉に入ると、ふだんなら雨に変わることが多く、雪でも積もらないことが大半なのだが、この日は、どんどん景色が白銀に変わっていった。

 

予定通りに空港に着いたものの、前泊を知らされていたお客様以外は、大半が遅れてきた。

 

立川の4人のうち1組の方からは、集合時間を過ぎて、予定の出発時間の1時間前に、ようやく空港事務所に連絡があった。4人は、それぞれ夫婦と女性の友人同士の2組。お互いは知り合いではなかったが、同じ電車に乗っていたようだ。

 

「今、まだ新宿なんです。間に合いますか?」

 

この天候で、まだ新宿?出発まで一時間しかないのに?常識的に考えれば絶望的だ。電話を替わった僕は、お客さんとお話しした。

 

「もし、間に合わなかったら、明日に振り替えられる?前、友達からそんな話を聞いたんだけど。」

 

「難しいと思います。ポーランド航空は、週二便しか飛んでないのです。明日は飛ばないし・・・」

 

「こんな天気でも?それを理由に、他の航空会社に振り替えられないの?」

 

「天候は、航空会社の責任ではありませんし・・・。それに、同じ条件で他の方々はいらっしゃってるんですよ。そこを考えると・・・。」

 

「・・・・・あー・・・。前泊すればよかったあ。どうすればいいかしら?」

 

泣きついてくるお客さんに「少々、このまま電話を切らずにお待ちください」と伝えて、僕はポーランド航空のカウンターに向かった。するとどうだ。出発まで一時間を切ったところなのに、チェックインを終えていない乗客がけっこういる。

 

「こんな天気で、空港に遅く到着された方が多いんですよ。それに、上空で到着のフライトも待たされたようで、さっき成田に着いたばかりなんです。」

 

「え?じゃあ、今新宿に着いたお客さんが方がいらっしゃるのですが、間に合いますかね?」

 

「・・・・・・・・・・・・ひょっとしたら。いらっしゃらなければ、可能性は0です。」

 

僕は、それをそのままお客様にお伝えした。

 

「飛行機も遅れてますから、とりあえずいらしてください。いらっしゃらなければ、可能性は0です。」

 

もう一組の夫婦からは、成田空港行きの電車に乗ってから連絡があった。パニックになりながら、「とりあえず行く!」と、テンション高く声を張り上げていた。それでも、雪の中の電車だから、いつもよりも運転速度は遅いし、間に合う保証などなかった。

 

結局、4人は奇跡的に間に合った。搭乗が始まった時に、空港スタッフから「たった今チェックインを終えてゲートに向かった」との連絡があり、大変劇的に、僕は4人とお会いできたのだった。

 

「あんなに熱心に、何度も電話をくれたのに、言うことを聞かなくて本当に申し訳ない。」

 

4人は、とてもいい方で、何度も僕に頭を下げた。間に合えば問題ない。旅行できるのだから、よかった。

 

「でも、4人もこんなことになってるし、腹が立ってるでしょう?」

 

「立ってません。僕は天使ですから。」←本当に言った。

 

ほんと、天気が悪かったら、なにがあるか分からない。もし、フライトが遅れなかったら、4人の旅行は完全になくなっていた。天候に関しては、時々温情はあるが、基本的に航空会社の免責事項だから、なにも責任を取らなくても文句は言えない。天気予報があやしい時は、自分が使っている路線が、悪天候に、どの程度強いかどうかを確認することも大切だろう。

 

みなさんもお気をつけてください。

 

なお、天使の笑顔を見せながら、「もし、4人が来れなかったら、36人が32人になって、少しは楽になったのになあ・・・。」なんて、ほんの少し思っていたのは、絶対に内緒だ。

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後々ポーランドのことは、ゆっくり紹介するつもりだけど、とりあえずここでは少しだけ。
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悪名高きアウシュビッツ。展示と説明は、わりと淡々としており、正面から歴史と向かい合うことができる。ここは逃げずに人間と歴史というものを学びたい。当時のドイツ人が、ある程度環境を考えてつくっており、並木があるなど、ぱっと見は、均整がとれている印象だ。
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アウシュビッツの施設と街路樹、街路樹は、当時から植えられているもの。
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ヴロツワフの街の広場。お国柄か、一月半ばなのにクリスマスツリーが置かれていた。
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この街には、身長10cmほどの妖精があちこちにいる。ATMの残高を見て、しょぼくれている妖精
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酔っぱらっている妖精
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イタリアンレストランの前で、お腹いっぱい食べて倒れている妖精59DA5ED5-7224-46DC-822C-8FB55B3E6423
ベスパに乗っている妖精
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教授?な妖精
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火事を消そうとしている妖精

などなど。他にもたくさんいるから探してみるといい。ツアーに参加すると、ある程度はガイドが教えてくれる。あちこちにいーっぱいいるから。


 

 

 

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