マスター・ツートンのちょっと天使な添乗員の話

自称天使の添乗員マスター・ツートンの体験記。旅先の様々な経験、人間模様などを書いていきます。

August 2020

登場人物

 

N美

自分が、これまでしてきたことを、まだ信じ切れていない。どれほどの実力を蓄えたかを実感できずにいる若手添乗員。

 

マスター・ツートン

この頃から、しばらくの間は、わりと思った通りに物事が思い通りに進んだ、マスター(教官)であり、自称天使の添乗員

 

フランスのトレーニングは、しっかりとやった。バス移動が長いフランスは、参加者がバスの中で時間を持て余してしまうことが多く、そこを楽しませるのが、添乗員の腕の見せ所だ。

 

簡単に言えば、バスの中で、いかにネタ(もちろんフランスにまつわる)を上手に話すかが勝負どころだ。観光案内は、それほど難しくない。勉強は必要だが、見た目に華やかなものが多く、基本的な説明だけで十分に満足できるし、細かい説明が必要な観光施設ではガイドがつく。

 

だが、観光地をつなぐバス移動中は、ガイドがつかない。これまでN美は、初心者用のツアーで、移動中にガイドさんがつかないツアーを経験していたが、今度のD社は派遣元にとってメイン取引先のひとつ。きちんとしたトーク技術が必要だ。

 

車内案内までガイドがしてくれるトルコなど、スルーガイド付きツアーばかりを担当してきたN美にとっては、キャリアアップするための大事なツアーだった。派遣元での信頼を得るという意味では、「優秀添乗員」がかかったトルコツアーよりも重要だったかもしれない。

 

僕は、フランスツアーのトレーニング前に、ネタを3つ完成させてくるよう宿題を出した。だいぶ苦労したようだが、きちんと完成させたネタを、順調に披露してくれたので安心したのを覚えている。残りのネタは、僕が提供した。

 

当時のN美には、漢字に弱いという大きな欠点があったが、それは同時に読書が苦手であることも意味していた。たまに、バスの中で、本をそのまま読む添乗員がいるらしいが、僕は、N美に限っては、それを禁じた。あまりひどい漢字の読み間違えは、お客様からの信用を落とす。

 

その分、トークは鍛えた。読書が苦手だから、前もって資料を貸しても「難しい」と読んでもらえないことがあった。僕にしてみれば、資料というよりも読み物程度のものでも、そう言われた。

そのうち、最初は読めなくても、前もって内容を説明してから読ませると頭に入ることが分かった。また、読むのではなく、聞くだけなら、読み物以上の内容でも頭に入ることも分かった。僕は、ネタをを用いたトークの手本を、N美のiPhoneに録音させて、その内容を徹底的に話せるように訓練した。

 

今でも、N美のiPhoneには、僕が提供したバスネタが、僕の生声トークで録音されている。(派遣元を移籍する時には、他に一切もらさず消去する約束だったが、移籍する前に嫁に行ってしまった。)

 

一度、頭に入ると言葉がポンポン出てくるようにはなっていた。N美を教え始めたときに掲げていたテーマのひとつ「脳と口をつなげる」作業は、成功しつつあった。

 

D社のフランスツアーでは、そこそこの結果を出した。とびぬけた結果ではなかったが、参加者は満足していた。

 

そして、満を持してトルコだ。ちなみに、このトルコの前は、なんのトレーニングもしなかった。無理をすれば、スケジュールを合わせることができたが、僕自身も忙しかったし、繁忙期の中、他にレクチャーを必要としている人がたくさんいた。この時は、マネージャーからの依頼もあり、それを優先したのだった。

 

というよりも、そろそろN美も、ひとりで勝負すべき時が来ていた。しかも、散々行っているトルコだ。慣れているだけでなく、現地事情も十分に把握していた。これまでどおりの結果を出せば、確実に「優秀添乗員」になれる。

 

少し不安そうにしている彼女を突き放しながら、「絶対に目標を達成しろよ」と、励ましと言う名のプレッシャーをかけて送り出した。自分ができるようになったことを自覚させるのも、トレーニングの一環だ。

 

思っていたとおり、N美は数値をクリアした。たまたまA社での報告日がN美と一緒だった僕は、結果が出たその場で祝福した。

 

「おめでとう。」

 

「・・・いやー・・・プレッシャーでした。こんなのもう嫌だ。もっと気楽に仕事をしたいです。」

 

「こら。弟子がそんなこと言うな。」

 

「すみません。・・・でも、毎回このプレッシャーはつらいです。」

 

「達成感はまったくない?」

 

「・・・今は特に実感ありません。」

 

「でも、ギャラは上がるよ。」

 

「え?」

 

優秀添乗員には利点がある。パンフレットに「この出発日には、優秀添乗員が同行」と表記してある仕事をもらえれば、優秀添乗員手当が出るしくみになっていた。

 

派遣元の給与体系にもいろいろある。日当や時給から派遣手数料を引くのは当たり前だが、その割合は会社によって違う。そのほかの手当については、半分差し引いたり、せこい派遣元だと三分の二を取ってしまうところもある。僕らの派遣元は、そのあたりは良心的で、日当、時給以外の手当については、すべてそのまま添乗員に支給された。N美のこの時のランクであれば、一日1500円が支給される。

 

「もし、優秀添乗員の8日間ツアーが、月に二本入ったとして・・・1,500円×8日間×2本だと・・・24,000円、毎月今のギャラにプラスになるよ。仮に10日間のツアーが二本入ったら、プラス30,000円だよ。これって大きくないか?」

 

「・・・大きい。すごい。」

 

まだ、添乗員ランキングが低く、基本的なギャラが安いN美にとって、この手当は大きかった。

 

「達成感出てきた?プレッシャーに打ち勝った結果がこれだからね。胸を張れよ。」

 

「はい。・・・・なんか急に達成感が出てきました!」

 

文字通り、現金な発言をしたN美だったが、これを機会に、いつもびびりながらだった仕事が、より前向きなものに変わっていった。金銭的なご褒美はモチベーションを高める。まずは、最初の覚醒だった。

 

次回、覚醒その2の前夜。
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ヘルシンキで見かけた、ある集合住宅での蔦の紅葉。2019年9月の頭頃
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ペトラ遺跡は、ヨルダンのツアーで必ず訪れる。わりと忙しいツアーでも、ここでは二泊するし、最近特有のウルトラ弾丸ツアーでも丸一日は時間を費やす。

旅行会社のパンフレットや、ガイドブックなどでもお馴染みだし、ふだんは扱いの小さいワディ・ラムの砂漠や死海をたっぷり紹介できたから、ペトラは、なにもしなくてもいいなあ・・・と思ったのだが、あまり紹介されてない部分もあるから、そういったところの写真を中心に紹介していこうと思う。
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まずは、一番の有名どころエル・カズネ。壁一面に神殿のような彫刻が広がる。これ自体、加工した石を組みわせたものではなく、すべて壁を彫ったものというから驚き。インディ・ジョーンズの最後の聖戦では、この中に聖杯があるという設定になっている。
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順番は前後するが、エル・カズネにたどり着く前に、シークと言われる谷間を歩いていく。最初は、岩の谷は低く空も広いが、
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だんだんと岩が高く、通路が狭くなってくる。ここもインディ・ジョーンズの中に登場する。この写真ではわかりにくいが、この辺りの岩場には、細かい線がたくさん入っている。風や雨で浸食されたもので、1000年に1㎝の割合で広がっているそうだ。このシークも、そうして出来上がっていったという。
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これは、古代の舗装が残っているところ。
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これは、ナバタイ王国(ペトラの古代名)時代につくられた上水道。ここに水道管をはめこんで、エルカズネまで通していた。水は、シーク入り口の前にある川から引っ張っていたらしい。
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谷を歩いている途中左手に見られるレリーフ。隊商が描かれている。服装、サンダルの描写が細かい。左側にはラクダの足と胴体が見える。人間の身長は、2メートル弱くらいで彫られているから、レリーフとしては、けっこう大きい。

シークの長さは1.2km。馬車のサービスもあるが、上記の他にも観るべきもがたくさんあるので、ぜひ歩いていただきたい。また、歩いたほうが、エル・カズネが見えてきた時の感動が大きい。
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みんな立ち止まって、写真撮ってるから、いまいちロマンに欠けるけど、このアングルは素晴らしい。この場合、人がいるおかげで谷や遺跡の規模は、わかりやすいかな。

こんなところを歩きながらシークを抜けると、エル・カズネがある。そこまでは、わりと狭まった谷を歩いていくのだが、そこを過ぎると一気に景色が開けて
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こんな感じになる。ラクダのような形の岩。ローマ時代の遺跡、貴族の方々のお墓など、様々なものが見えてくる。
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開けた風景の中に、ずっと広がる遺跡群。広大なペトラの遺跡の多くは、このような大規模な墓群が占める。
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そこを通り抜けると、石の階段が始まる。登りが嫌な人はロバのサービスがあるが、料金交渉が面倒だし、自分のペースで景色を眺めたいので、ここは歩く。なお、ガイドをつけた場合、案内してくれるのは、この階段の手前まで。
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景色は、なかなか開けている。階段も急ではないから歩きやすい。
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登り始めてから少しすると、右手にパノラマが広がる。先ほどの巨大な墓群を見渡せる。最初のシークから、ここまで、常に360°どこを見ても遺跡が広がっている。遺跡はパノラマになっていたり、目の前にあったり、景色は変化に富んでいる。それこそ、インディ・ジョーンズの主人公のような気分を満喫できる。僕は、遺跡好きだけど、遺跡好きでなくても、ここの徒歩観光は楽しめるだろう。
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また、ここの風景は、常に360°というのがポイントだ。歩きながら、たまには振り返ってみよう。旅と人生は、たまに振り返ってみたほうが、いろいろ楽しめる。なんてね(笑)
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たまに見られる、美しい岩の模様。
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そうこうしているうちに、本日の最終目的地、エド・ディルが見えてきた。
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エル・カズネと似ているが、こちらは山の上にある。
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さらに上に行き、エド・ディルを眺める。この時期は、小さな雲が早く上空を通り過ぎるから、時々影ができて印象が少しずつ変わる。
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エド・ディルだけでない。周辺は、見事な岩山の世界。エド・ディル正面までは皆来るが、そこから上は5分で行けるのに、ほとんどの人が来ない。静かに岩山を眺めたい方は、ぜひ、少しだけ頑張ってみよう。
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帰り道は、陽が陰る。空とのコントラストが強くなり、行きとは印象が変わる。
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帰り道では、墓群に近づいてみよう。装飾の細かいところが見えて面白い。
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基本的に墓には入れる。中から写真を撮っても絵になる。ここでは、誰がどんなカメラを使っても名カメラマン。
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墓の前に、ロバに乗った案内人がいる。遺跡の落書きなども防止しているらしい。それにしても絵になる。あとでばれて、チップを請求された。
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墓群の前ではしゃぐ観光客。気持ちはわかるよ。僕も、添乗の時と違って、子供のようにはしゃいだし。
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帰りは、少しだけ時間があったので、岩山の上に登り、エル・カズネを上から眺めた。ここは、上る時危険なので、あまりお勧めしない。案内人が連れてってくれるが、くれぐれも無理はしないように。ちょっと陰って残念。ここはやはり午前中が美しい。
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すべての観光を終えて、再びシークをぬけて外に出た。谷底にあるペトラの日没は早い。空は濃紺だが、辺りは薄暗くなっていた。

以上、たっぷりペトラのご案内終了。この日の歩行距離は10km。景色が素晴らしいからあっという間だ。

ここは個人でも歩けるけれど、チケット売り場でガイドを手配できるから、雇ってみるといい。ラクダの岩くらいまで、片道の案内のみで、だいたい日本円に換算して7000円くらい。英語を聞き取れなくても道案内として、聞き取れる方は、説明があったほうが面白さ倍増だ。エド・ディルまではガイドは来ない。帰りは、自分たちでだけで歩くことになるから、自分の感性で歩きたい人も、説明を聞いた後、帰りにゆっくり楽しめばいい。

なお、ごらんのとおりの大規模遺跡だから、入場料は高い。50ヨルダンディナールで、今のレートで7,500円くらいだ。ちょっとしたテーマパークよりも大きな規模だから、納得といえば納得。なお、これで紹介した以外にも歩くべきところも、見るべきものもたくさんある。そういった方のために、二日券と三日券も用意されている。二日券は55ディナール、三日券は60ディナールだから、連日訪れた時の割引率はすさまじい。

ツアーで行く場合、それは難しいが、個人でいく場合はありかもしれない。

マチュピチュがあれだけ流行ってるなら、こっちももう少し人気が出てもいいと思うんだけど、どうもあそこまでブームにならないんだよねえ。やはり、中東だからかな。いいところなのにねえ。

ちなみに遺跡はBC1くらいのものが多い。

質問ある方はご遠慮なくどうぞ。

登場人物

 

N美

やっとチャンスを掴みつつある、20代前半若手添乗員。「自分は褒められて伸びる」と、叱られるのを嫌がる甘ったれな部分があるが、そこは容赦しない。

 

マスター・ツートン

文中は、コミカルに書き上げているが、このチャンスを逃したら、二度とN美に浮上のチャンスは来ないだろうと、かなり緊張感をもって彼女を見守りつつ、マネージャーとやり取りしていた。

 

マネージャー

年に数回、「こいつは今が旬!」と思ったら、結果が出そうなツアーを与えて、自信を持たせようとする。影の育て上手。結果が出そうなツアーというのは、人によって違う。その人が、自分では得意だと思ってるツアーだとは限らない。チャンスは平等。

 

 

「ツートンくん、もらえたよ。」

 

それから数日後、マネージャーは、N美のために、A社にお願いしてツアーを取ってきた。さすがだ。この辺りは本当に早い。前回のトレーニングから3日後くらいだったと思う。

 

この日、僕は別件でオフィスを訪れていた。N美は、ある取引先で打ち合わせをした後にやってきて、たまたま顔を合わせることになった。

 

「おいN美!ちょっとこっち来い!」

 

いつも、特に女性添乗員には優しい口調で話しかけるマネージャーが、ちょっと乱暴な口調でN美を呼んだ。と、いうか、なぜかN美にはいつもこんな感じで話しかけていた。

 

「お前のために、いいツアーを取ってきた。」

 

マネージャーは得意げにツアーを見せた。N美がA社では安定した成績を残しているトルコ8日間だ。N美は、「また?」という顔をしながらも、お礼を言った。

 

「ありがとうございます。」

 

「なぜこのツアーか分かるか?」

 

「わかりません。なぜですか?」

 

「しょうがないなあ。ツートン君、教えてあげて。」

 

56月にA社で行ったトルコの結果が良かったんだよ。9月までにあと一回A社のツアーに行って、その結果次第では、『優秀添乗員』になれるんだ。」

 

「え・・・私がですか?」

 

「そうだよ。この数値を出せば、そこに届く。」

 

マネージャーが、その数値を見せながら(わりと高い水準)、叱咤激励という感じで強く語りかけた。

 

「お前、絶対にクリアしろよ!このツアーをもらうために、俺がどれくらい苦労したと思ってる?いったいどれくらいの血と汗と涙を流したと思ってる?」

 

実際は、全然そんなもの流していない。有能な彼のことだから、きっとかるーく取ってきた。でも、ここはマネージャーの乗りに合わせる。

 

「そうだよ。僕だって、いったいどれくらいお前に時間を費やしてると思ってるんだよ。去年なんて、完全休養日が年間40日だよ。分かってる?これで君が、『優秀添乗員』になれなかったら、僕は過労死だ。そうなったら全部君のせいだ。」

 

「ちょっと・・・それは勘弁してよ・・・。」

 

マネージャーが、苦笑しながら、決まり悪そうにしている。正直、彼への嫌味も、冗談交じりに少し含んでいた。40日の直接原因は、彼の僕への仕事の振り方が原因だからだ。N美はそんな冗談に気づく余裕はなく、

 

「えー・・・そんなプレッシャーを与えられても・・・」

 

と、大きくため息をついた。

 

「私、褒められて伸びるタイプなんです。プレッシャーにも弱いし。のびのびやらせてもらって、気が付いたら『優秀添乗員』になってたくらいがいいんですよ。」

 

「だめだ!」

 

僕とマネージャーが、まったく同じセリフを同じタイミングでハモった後、僕が続けた。

 

「こういうのは、意識して、狙って取らないとだめだ。ツアーから帰ってきて、結果が出てみたら、思ったよりも評価がよかったというのとは違う。」

 

意識して狙わせるのには、当然理由があった。気が付いていたら取れていた称号と、狙って取った称号では、それを得た時の達成感が全然違う。添乗員という仕事は、一本一本のツアーがまったく別物だ。ツアーが終わるごとに短期的な達成感を味わうことはできる。だが、一般の会社員が感じるような長期的な達成感を感じられる機会は少ない。時間をかけながら、小さなプレッシャーと常に戦いながら得られる長期的な達成感は、一度は味わっておくべきだ。

 

マネージャーもそれを分かっていた。だからこそ、達成できる可能性のあるツアーを与えて、そのうえでプレッシャーをかけた。無理な目標は与えない。本人がどう思うかは別として、こちら側から見て、できるかできないかギリギリのライン、どちらかというと達成できそうなものを与えて、ある程度強いプレッシャーを与える。「ある程度強いプレッシャー」というのが、達成感を強く感じさせるコツでもある。

 

仮に達成できなかったとしても、「その悔しさは、きっとバネになる。」という指導をする。

 

それに、そもそもN美はプレッシャーに弱いタイプではない。すぐ泣くが、たくさんの人間が行き来するあのオフィスで、トークのトレーニングを1年半やり続けるタフさを持ち合わせている。ツアーの結果も、きつく指導したあとのほうが、確実によかった。むしろ、ほめると油断してこけた。褒められると伸びるのではなく、伸び切ったゴムのようになってしまい、だらしなかった。

 

いずれにしろ、トルコのツアーまでは時間があった。その前に他社のフランスが控えている。

 

「どうしろっていうんですか、ツートンさあん!この後フランスなのに、その次のトルコが気になって仕方ありませんよお!」

 

「それでいいんだよ。」

 

「え?」

 

「N美、いつまでツアー決まってるの?」

 

この時期は、添乗員が常時不足している状態で、どの旅行会社も早めにツアーをくれたために、スケジュールがかなり前から決まっていた。

 

「この次がD社のフランスで、その次が『勝負のトルコ』・・・で、続いてまたD社のフランス、そしてD社のドイツ・ロマンチック街道か。うん。」

 

「N美、この中で、一番ガイドがついてなくて大変そうなのはどれ?」

 

「ドイツです。」

 

「一番楽なのは?一番現地を知ってるのは?」

 

「トルコです。」

 

「よし。じゃあ、まずはこの後のフランスに全力で集中しろ。帰ってきたら、すぐにフランスの知識と資料をまとめておけ。一回トルコに行った後、また同じツアーだろ?資料を整理しておくと、二度目は楽だよ。それが済んだら、ドイツに手をつけろ。一番大変なドイツの勉強を、ある程度進めておいて、で、トルコの資料は、打合せの時と出発直前に開いて、軽く整理するくらいでいい。そうすればトルコから帰った後、ドイツを短期間で一からやる、なんてことにならずに済むよ。

 

トルコでプレッシャーかかるとはいえ、慣れてるところなんだから。そこに気を取られ過ぎないで、ほかもしっかり勉強しろよ。」

 

目をぱちくりしているN美。

 

「わかった?」

 

「早すぎて、複雑すぎてわかりませんでした()

 

「やっぱり?()・・・でも、そろそろ、そういった要領も身につけろよ。もうすぐ『優秀添乗員』になるんだから。」

 

「優秀添乗員」という言葉が出ると、戸惑いながらうつむくN美。まだ、本当の自信をつけていないから、仕方なかった。

 

でも、覚醒の日は近かった。次回、覚醒その1

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この時期、N美はクリスマスシーズンのフランスによく行っていた。この時期の欧州はどこもきれいだけど、やはりパリは別格。ギャラリー・ラファイエット、ガルニエなど、デコレーションのセンスが抜群。
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登場人物

 

N美

腐りかけていたメンタルを取り戻して、淡々と仕事をこなしている。

 

S美

N美の妹弟子になった。社会的常識などではN美を上回る。とても女性らしい女性。

 

マスター・ツートン

上記二人の師匠。二人が真の結果を出すために、自分も修行中。

 

マネージャー

感情的な物言いがたまに見られる。でも、仕事の判断は冷静。

 

 

一年間、僕とN美の二人だけで行ってきたトレーニングは、2014年の1月からS美を加えた3人で行うことになった。

 

この当時、まだそういう言い方はしていなかったが、僕は、派遣元内で「ツートン塾」というものを営んでいる。元々、派遣添乗員に、一般会社員にあるような教育制度がないのが気になっていた。僕がいた旅行会社では、きちんとした研修をした後、若手は添乗から帰ってくるたびに、先輩や所属長から指導を受けた。途中からは添乗課ができて、添乗員教育専門の管理職ができたほど、教育を大切にしていた。

 

派遣元でも、教育制度ができつつあった。だが、教育係は一人だ。いくら規模が小さい派遣元とはいえ、所属添乗員は100人以上いる。1人で100人の面倒を見るのは無理だ。普通の会社のように、「なにかあったらこの人に聞けば」といった人間関係は構築できないか?と考えていた。

 

ヒントになったのは、実は、漫画だった。実写映画にもなった「3月のライオン」という将棋界を舞台にした作品の中で、気の合うベテランと若手が集まった「研究会」というものがあり、そこに目を付けた。

 

孤独に仕事をして、現場での責任は、基本的には自分が全て負う。なにかあっても、すぐに相談できる人間が傍にいるわけではない。

 

職種としては何もかも異なっているが、そういう共通点はあり、「研究会」というシステムを、添乗員同士のコミュニティーづくりに生かせると、僕は考えた。まず、3人の関係を、オフィス内だけに限らず、お互いが添乗中でも連絡しやすい雰囲気を作っていった。S美はこれから1年少々で海外添乗員を辞めてしまう(詳しくはあとで語る)が、それからも、少しずつメンバーは増えて、現在では僕を含めて15人になった。(もっとも今は、コロナ禍で有名無実化しているが・・・)

 

2014年の1月に話を戻そう。S美は、年齢がN美よりも一回り以上上なこともあり、落ち着いた態度でトレーニングをこなした。外見も話し方も、とても女性らしく、その様子をN美が参考にしていることもあった。ある程度年齢がいくと、照れというものが生まれて、また、こちらの指摘に対しても「自分を守る」ような発言で言い返してくる人が多いが、S美は、とても謙虚な人柄で、こちらが求めることを、常に、素直にこなそうとした。また、N美のトーク力を見習っていた。

 

N美はここ1年、再集合と翌日の案内は、必ずトレーニングの中で続けてきた。努力の甲斐あって、その部分だけは、一流添乗員並みにできるようになっていた。

 

みんな添乗のスケジュールがあるし、三人揃ってトレーニングできたのは数回だ。でも、教えられる側が二人というのはよかったかもしれない。自分がトークの練習をしながら、休んでいる時は、他人のそれを見ることができる。自分ができているところ、できていないところを、他人のトレーニングを見学することで、僕の指摘以上に感じていたはずだ。

 

実際、二人とも、コツコツ成果を積み重ねていった。S美は、ツアーがうまくいってる時はいいが、現場での融通性で劣り、判断のスピード感に欠けるところはあったものの、誠実に仕事をこなして結果を出していった。マネージャーが、「なんで今まで結果が出なかったのかな?」とつぶやいたくらいだった。

 

N美は、前年下期に失敗したA社のツアーを三月くらいまで外して、比較的結果が出やすいツアーを任された。幸運なことに、新人全員に易しいツアーを割り当てても、それでも簡単なツアーが残ったので、彼女にあげることができたのだ(当然S美にも割り当てられた)。基本は、固まっていたから、そういったツアーは、問題なくこなすことができた。

 

4月になり、様子を見ながら、S美にはC社の、N美にはA社のツアーが割り当てられた。

 

この辺りは、2013年と違って、淡々とした作業だった。S美は、元々ある程度のレベルにいたから、ツアーから帰ってくるごとに「修正」を繰り返す程度。もちろん、課題は与えたが、僕が彼女に教えたのは、どちらかというと要領だった。

 

N美は、まだまだな部分があったから、一対一のトレーニングの時には、厳しく当たることもあったが、それなりにツアーをこなしていた。

 

そんな中、先に劇的な展開を迎えたのはN美だった。5月、6月とA社のトルコツアーを、かなりの高評価で帰ってきたのだ。僕は、ふと思い出した。A社は、半期ごとに添乗員のランク見直しをしているが、それとは別に「優秀添乗員」の選定を行っていた。ランクの見直しは、毎年1~6月、7~12月で行われていた。それに対して、優秀添乗員の選定は4~9月、10~3月の結果で行われていた。条件は、上記の期間内に3回以上の添乗に出て、さらに平均数値をクリアすることだ。

 

つまり、5、6月に好結果を出していたN美には、7~9月の間に一本ツアーに出て、そこで結果を出せば、 A社優秀添乗員の「称号」を手に入れられる可能性があった。

 

2013年末に、N美に腹を立てて以来、事務的にしか接してこなかったマネージャーは、これをどう思うか。試しに言ってみた。

 

「ねえ、マネージャーさん」

 

「なに?」

 

「N美だけど、5、6月のトルコで、いい結果だったよ。」

 

「うん・・・。それで?なに?」

 

なんだか、あまり興味がなさそうだ。

 

「いや、だから、9月までにもう一本入ってさ。そこで結果が出れば『優秀添乗員』になれるかもよ。」

 

「え!?そんなに・・・・?」

 

急に反応した彼は、N美の結果をモニターに出してチェックした。

 

A社だけじゃないよ。今期は、猛烈に評価がいいってわけではないけど、前よりは安定している。その中で、特にA社がいいんだけどね。」

 

「・・・・・・・・ふーん。ほんとだ。」

 

果たして動いくれるだろうか。取引先からもらったツアーリストを眺めている。

 

「行けそうなツアーが、あるにはあるね・・・。でも、これらは別の若手にあげたいな・・・。うーん。(A社と話して)お願いしてみるかな・・・。」

 

きつく突き放しても、結果が出始めると、ふたたびチャンスを与えるのがマネージャーだった。N美が、僕とトレーニングを始めて一年半。初めて大きなチャンスをつかもうとしていた。

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明け方のモンサンミッシェル。N美にもこんな美しい明け方がくるか?
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本日、東京は曇り空。強い日差しが陰って過ごしやすい気もするけれど、蒸し暑い・・・。

なんか、涼しい景色はないかと探してみました。ということで、今日は虹のある風景をお送りします。過去に掲載したものと重複しているものもありますが、ご了承ください。
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まずはイギリスのロンドンより。2014年7月。入道雲が空をかすめていったと思ったら、虹が出ていた。手前に見えるのは、かの有名なウェンブリースタジアム
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2014年5月。ノルウェーにて。ベルゲンからグドヴァンゲンに向かう途中。バスのドライバーが止まってくれた。午前中、ここでは低い位置に虹が出る。
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アイスランドのスコゥガフォス。2015年9月。風向きで水飛沫が飛ぶ方向が変わった途端、うっすらと虹が現れたと思うと、みるみる太い橋になった。美しい橋が川面から生えてきたようだった。
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虹はすぐに消える。少しすると、滝の上部に別の虹が出現した。北欧で見る虹は、いつも近い。目の前に現れる。
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ノルウェーのヴォーリングの滝にて。写真ではわかりにくいが、100m以上の展望台の上から、カメラを滝つぼに向けている。虹が真下に見える珍しいシーンだった。
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2016年10月。モロッコのラバトにて。朝の観光時、雨が上がったと思ったら、ハッサンの塔の背後に、長い虹が現れた。
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最後はビクトリアの滝。2020年2月。水量の多いこの時期は、あちこちに虹が出る。三枚目は特にお気に入り。そのまま虹の上を歩いて、滝つぼまで歩いていける橋のよう。
ここでは、時間帯と水飛沫の量によっては、目の前に真ん丸の虹が現れることもある。

登場人物

 

N美

もがいてもがいて、ようやく精神的に立ち直ろうとしている2013年の師走。

 

マスター・ツートン

壁に当たって、もがこうとして、なんとか糸口を見つけたい2013年の師走。

 

マネージャー

ツートンの年間完全休養日を見て、ちょっと焦った2013年の師走

 

営業くん

N美にしっかりとお説教をした2013年の師走

 

S美さん

N美へのスパルタ教育を目の当たりにしながら、ツートン弟子入りを志願した2013年の師走

 

 

201312月のある日。N美との約束の時間にオフィスを訪れると、珍しく彼女が先にいた。N美は、日本にいるときは、旅行会社のアルバイトをしてから、トレーニングに来ることが多く、そのために、約束の時間ギリギリになることが多かった。収入を確保するための大切な手段だから、多少遅れることがあっても、連絡さえあれば、そこは認めていた。

 

それが、珍しく時間よりも前にいる。それも、なんだかしょんぼりした様子だ。いつも会う時には、はちきれんばかりの丸顔で、そんな大きな声で言わなくてもいいくらいの大きな声で、挨拶してくるのに、この日は小声だった。

 

「女の子は、笑顔がかわいいって言うけど、こいつの場合は、しょんぼりしてたほうがかわいいかも。」などと思いながら、僕は優しく話しかけた。

 

「おつかれさま。どうした?」

 

たぶん、後にも先にもN美にこんなに優しく話しかけたのは、この時だけだ。一年間、師匠として向かい合い、多少の情も出て来ていた。

 

「すみません。ランク5に上がれませんでした。」

 

「なんだと!?」

 

優しさは、一瞬で消えて怒りに変わった。だが、僕の顔を見て、さらに委縮するN美の姿が目に入ったので、お説教は思い留まった。どうやらマネージャーと営業くんに、前もってたっぷり説教されたらしい。

 

「あんなに、自分のためだけに研修してもらってなにやってるんだ!ここでつまずいたやつなんて初めてだ!」

 

というのがマネージャーのお言葉。

 

「ツートンさんが、どれくらい、自分の時間を割いたと思う?あの人が、今年、完全休養したのは年間40日だけなんだぞ!悪いと思わないのか!?」

 

と言ったのは、営業くん。そのほか、どれも正しいことばかり。二人ともよく言ってくれたなあと感心していたが、ひとつ、引っかかる言葉があった。

 

「完全休養が40日?なにそれ?」

 

「いや、営業くんさんが、そう言ってましたよ。」

 

「マネージャーさん、完全休養40日ってなに?」

 

マネージャーは、余計なことを言いやがってというニュアンスで、じろっとN美を睨んだ後、決まり悪そうに言った。

 

「・・・・・ごめん。」

 

この時、海外旅行業界は、極端な円高で、どこも好景気に沸いていた。マネージャーが開拓に力を注いでいたA社は、さらなる販売促進のため、積極的に旅行イベントを開催して、各派遣元にイベント用に人員派遣を依頼しており、そこに僕もずいぶんと駆り出されていた。そのほか、ツアーごとに打ち合わせと報告もある。そのうえでN美のトレーニングだ。

 

「確かに、あまり休んでないかも。」

 

僕は、ようやく自分の状況を理解した。N美のトレーニングは、一回2~3時間。ツアーの打ち合わせは半日、報告は1時間程度。旅行イベントも長くて半日だから、それほど拘束されてる気はしなかったから、特に気にしていなかった。ちなみに、完全休養の40日間は、旅行に行ったり、日帰りで遊びに行ったりで、それこそ家にいない日々だった。つまり、体力面でも問題なかった。本業の添乗には支障がなかったし、悪い意味での疲労感もない。

 

「でも、さすがにこれはまずい。これからは旅行イベントには入れないようにする。ツートン君は、なんでも受けてくれるから、つい頼みすぎちゃった。ほんとごめん。」

 

無理矢理頼まれたわけでもない。お金になるし、当時府中に住んでいた僕は、旅行イベントに出ることで、都心に出て様々な用事を済ませていた。むしろ、府中から都心の交通費が支給されるから、ラッキーくらいに思っていた。

 

「いやー、頑張ってたんだね、僕は()」とか冗談を言いながら、今度はN美と向かい合った。

 

「もし、本当に申し訳ないと思ったら、そうだね。これからは、自分のためだけでなく、僕のためにも頑張ってみるってどう?そういうのって大切だと思うよ。」

 

「・・・・・はい。」

 

N美が、本当に力をつけるのは、もう少し先なのだが、この2013年の末は、ちょっとしたきっかけになった。この時、多少の彼女の気持ちに変化がでたのは間違いなかった。また、これまでのN美のトレーニングの様子を見て、「私もやりたい」と名乗りをあげる女性が現れたのだ。S美さん。

 

師弟関係が三人になったことで、コミュニティーになった。S美さんは、だいぶN美よりも年上だったが、後輩ができたことでトレーニングにも、初期のように力が入り始めた。

 

いよいよ「ツートン塾がはじまろうとしていた。」

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モスクワ 赤の広場周辺
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登場人物

 

N美

一生懸命に頑張り過ぎたかもしれないが、態度が悪いのはだめ。なにもかもうまくいかない時は、ひとちひとつ心で整理しよう。

 

マスター・ツートン

教えられてる側が壁にあたってる時は、教えてる側も壁に当たっています。

 

マネージャー

彼女の成長に希望を持ち始めていたから、この時の怒りは相当なものでした。

 

営業くん

なかなか紳士な態度の営業マン。声はいい。判断もいい。N美のことを、正しく叱っていました。

 

 

2013年の後半のN美は、数値だけで言ったら、前半を大幅に下回った。

これは、割り当てられたツアーのレベルが、上がったことも影響していた。これまで、スルーガイドと言って現地に到着してから帰国まで日本語ガイドが同行してくれるツアーの量は減り、観光案内を自分で行うヨーロッパのツアーが増えていった。たまにスルーガイドのツアーをもらえても、A社のツアーだから、初期のスルーガイドツアーよりも難易度は高い。

 

ツアーの本数も増えた。それまでは、月に1本のペースだったが、それが1.5本(ふた月で3本)になった。難易度とペースが上がったことで、N美は、常に集中力を保てなくなった。一人前になる直前の若手に時々見られる現象なのだが、あるツアーで良い結果が出ると、その次が必ずよくないというパターンが続いたのだ。

 

お客さんのアンケートは、数値が全てではない。だが、お客さんのコメントの中には、「これを書かれたら好ましくない」というものがあり、当時のN美の結果には、それが散見された。ひとことで言うと「顔に出る」とか「態度が冷たかった」とか。

 

極端に悪い結果を持ち帰ることはなくなったが、安定感に欠けた。僕は常時ツアーに出ていたが、N美が月一しかツアーに出ていない時は、いくらでもトレーニングのスケジュール調整ができた。だが、N美の添乗日数が月に数日増えただけで、調整が難しくなり、月に2、3回でできていたトレーニングが、多くて2回に減ってきていた。

 

回数が減ると、こちらが気づける部分も減る。トレーニングで出来るアドバイスも限られてくる。でも、彼女のこの頃の不安定さは、トレーニングの回数減だけが理由とは思えなかった。この時期のN美の様子をよく教えてくれたのは、社長でもマネージャーでも、教育係のS子さんでもなく、営業くんだった。

 

「もう結果の通りです。一回いい結果を出したら、次は悪くてもいいと思ってるような態度をとることがあるんです。上達してるんででしょうけど、ムラがありますよね。マネージャーも、使いにくいと思いますよ。」

 

彼の意見を基にして、ある日のトレーニングでは、意識改革を図ろうとした。

 

「とりあえず、良かったり悪かったりはだめ。いい結果を続ける努力をして。」

 

「・・・・・・毎回ですか?」

 

N美は、気が重そうに眉間にしわを寄せて嫌な顔をした。

 

「毎回は・・・疲れますよ・・・。」

 

「N美さん、よく話を聞いて。」

 

あからさまに不機嫌な顔を見せるN美に対して、僕は、カッとする気持ちを、一生懸命抑えて説明した。

 

「この部屋の電気だけど、あそのスイッチを入れるとつく。ほら・・・(電源のところに行ってスイッチを入れたり切ったりした)スイッチを入れれば必ずつく。」

 

「はい。」

 

「必ずつくから安心して蛍光灯を買える。つくかつかないか分からない商品だったら、誰も買わない。」

 

「・・・・はい。」

 

「N美は、つくかつかないか分からない蛍光灯だ。人は、必ずつくものしか買わないよ。『ついたりつかなかったりする蛍光灯』と『つかない蛍光灯』は同じ。誰も買わない。」

 

「電気と人間は違います。」

 

「そう。違う。蛍光灯は、すぐに取り換えればいい。でも、君が『前のツアーが良かったから、今回はいいや』と思って、添乗したらどうなる?その時のお客さんには、その時だけの旅行だよ?君みたいに、前回も次もないんだよ。わかる?」

 

「・・・・・・でも、毎回は無理です――。」

 

気のないだらっとした返事をして、彼女は、子供っぽくうつむいた。内勤スタッフのデスクの雰囲気が変わった。頭に血が上りそうになった僕は、たまらず休憩をとった。N美がトイレに向かったのを、目で追いながら確かめたマネージャーが、僕に言った。

 

「ツートン君。いつまでこれをやるの?奴は、自分のことを分かってない。もう半年だよ?ツートン君が休日を潰してまで、しかも自分のためだけに来てもらってるってことを分かってないんだよ、あいつは。ここまでやってもらっていて、あんな態度を平気でとれるんだから・・・添乗に向いてないんだよ。・・・・それに・・・、」

 

話の途中でN美が戻ってきた。

 

「今のN美には、何を言っても駄目だね。今日はこれで終わりにしよう。とりあえず、さっき僕が言ったことをよく考えてきて。」

 

拗ねながら、子供っぽい反抗的な態度だった彼女の表情が、急に「え?」という焦りに変わった。これが、その当時のN美の特徴でもあった。思ったことを、なんでも口にした。発した言葉で、まわりがどう反応して、その後どうなっていくかなど考えられない。。

 

前後関係を分かってないのは、添乗業務でも同じだった。トークも、現場での作業も覚えてきた。だが、ひとつひとつの作業の意味について答えられても、それらが添乗業務の中で、どのようにつながっているかを説明できるほどは、分かっていなかった。

 

つなげて考えられれば、その日の動きも、ツアー全体の動きもトータルで見られるから、力の入れどころも抜きどころも分かってくる。ひとつひとつの作業を、ただただ夢中でこなしているのであれば、当然疲れ果ててくる。まず、肉体が疲れて、次は心が疲弊する。実際の視野は足元しか見えなくなり、心の視野はぼやけてくる。そして、周りの人間への態度も無礼で粗野になってゆく。

 

N美のメンタルが、この流れの中にあることを、おそらくマネージャーも分かっていた。だからこそ許せなかった。現場での添乗員は、そういった中でも、メンタルを保ちながら丁寧に仕事をこなしていかなければいけない。

 

この後、僕はN美のトレーニングスケジュールの調整を、僕のほうからするのを一時的にやめた。彼女が、僕のことを必要としないのであれば、この時は、それはそれでいいと思った。見捨てるというニュアンスもなくはないが、この精神状態だけは、周りがなだめても励ましても、自分で乗り越えなくてはいけない。そうしなければ、僕の言うことなど頭に入ってこない。少なくとも、そうなるまでは、僕は不要なはずだとも思った。

 

だが、すぐにN美のほうからスケジュールを組みたいと連絡が来た。このあたりは、僕との会話の中で、どれほど失礼な態度をとったか分かっていないからできる芸当だったと思う。「見捨てられたらやばい」という意識が見えても、反省は見えなかった。

 

自分に足りない部分があるのは分かっていた。僕の言ったことを大切なことであるとも、理解もしている。でも、どうしていいかは分からない。一番混乱しているぐちゃぐちゃだった時。

 

まわりの人間から見ると、特に、そういったことを乗り越えた先輩たちから見ると、実は、それほど難しくないところでもがいている。でも、当人にとっては、おそろしく大変だった時期だろう。

 

12月になった。いくつかの取引先で仕事をいただいていたN美が、一番気にしていたのはN社の査定だった。上期は、最下層のランク7から6に上がっていた。この時の目標は、もうひとつ5に上げるのが目標だった。

 

だが、N美の成績のムラがそこに影響した。調子の悪い時が、A社のツアーにことごとく当たってしまった。通常、765のランクアップは、簡単にできる。ここでつまずく者は、ほとんどいない。当時の派遣元では、誰もつまずかなかったこの過程。N美はこの時、ランク5への昇格を、本当に僅かなポイントで逃してしまった。


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冬のエルミタージュ美術館。入口付近と展示品の一部
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2009年に中国を訪れて、あるSNSに載せたものを、こちらに転載します。

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この前行った中国のツアーなんだけど、ほとんどの場所で英語が通じないので、正直、困った。ガイドに頼らなければ、なにもできないこともしばしば。でも、いざとなればなんとかなるもんである。日本人と中国人は、意外と筆談で話せる。


夜、お客さんが僕の部屋に「エアコンの調子が悪い」と、電話をかけてきた。ガイドは、外出中。しかたなく僕がフロントに出向いた。英語で言っても通じない。そこで奥の手。メモ用紙に部屋番号を書いて、その横に「空調」と書いた。そして、×のジェスチャー。果たして通じて、エアコンは無事、修理されたのであった(単なるリモコンの電池切れだけど)。

当たり前だが、中国は、どこに行っても漢字にあふれている。発音できなくても、理解できるものが多いから面白い。以下、その例。左側が中国語。

購物中心→ショッピングセンター

洗浴中心→サウナ

游客中心→ツーリストインフォメーション(またはセンター)

収銀台→(スーパーなどの)レジ

足球→サッカー(足球を、そのままサッカーと発音する)

超市→スーパーマーケット



日本人として、思わず笑ってしまったもの。

手紙→トイレットペーパー

文→手紙

愛人→愛妻

情人→愛人

沐浴液→バスジェル、バスフォーム


番外編

麦当労→マクドナルド

一背得基→ケンタッキー

ちなみに、東京ディズニーランドで「ビッグサンダーマウンテン」のことは、「巨雷山」と言う。


うーん・・・中国語って面白い。


写真は九塞溝(本文の内容とは関係ありません)
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20163月。クロアチアのドブロヴニクが、スターウォーズの撮影地になった。

この時、僕は三月にクロアチアを二回訪れた。最初が撮影中の時。「お客様は、これはこれでいい思い出」と割り切ったくださったが、案内する側としては、歴史的モニュメントはおろか、街全体が「スターウォーズ風」になっており、それこそ地球でないところを案内しているようで、なんかつらかった。

 

以下、撮影中と通常の風景を、それぞれ並べながらご覧いただこう。

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下が通常の街並み。どこが違うか分かりますよね。

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これはまったく同じ場所。僕の場合は、この場所をよく知ってるから、余計に複雑だったのかも。初めてここにいらしたお客さんは、それほど違和感なかったみたい。

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完全なスターウォーズ風窓

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もし、写真を持ってる人がいたら比べてみて!これがドミニカ修道院の入り口だなんて、誰が信じられますかね(笑)

・・・・なんか笑っちゃうでしょ?初日には、立ち入り禁止エリアが夕方からできて大変だった。それもメインストリート。僕は、スターウォーズの大ファンだから、一生懸命お客さんに説明して協力したけど、あの時のお客さんたちは、本当に満足してくださったんだろうか?

あれだけ協力したのに、映画の評価が散々だったのは残念だった。あ、エピソード8ね。

惑星カントニカのカント・バイトという都市という設定で登場します。 

この時の様子は、「スターウォーズ ドブロヴニク」で検索すると、より詳しいものが出てきます。


それではみなさん、フォースとともにあらんことを。


登場人物

 

N美

2013年。一番もがいた時期に入る前。でも、もがき方さえ知らなかった時期を考えたら、成長したともいえる。

 

マスター・ツートン

N美の師匠でこのブログの筆者。弟子が壁に当たっていた時、僕もまた壁に当たっていた。

 

 

「ツートンさんみたいに、誰もができるわけではありません!」

 

こんな反抗的な言葉が、そのうちきっと出てくるだろうとは思ったが、まさか、このタイミングだとは思わなかった。N美は、しっかりと課題をこなしていたし、僕は「できてる」部分を分かっているつもりでいた。いくらやってもできない状態というのとは違った。

 

どちらかというと、精神的な壁にぶつかったというか、感情的な問題のような気がした。こんな状態でも、彼女はトレーニングを続けたのだが、どうも集中していない感じでだったので、この日は早めに切り上げた。

 

これまで、N美のトレーニングにまったく口出しをしなかった、教育係のS子さんが、初めて提案してきた。

 

「どうしたんでしょうね、N美さん。でも、今日は早く上がって正解ですよ。理屈とかじゃなくて、ああなったらだめですから。機会を見て、よく話を聞いてあげてください。」

 

次回までに、気持ちを切り替えてくれて欲しいと願った。

 

それから2週間ほどして、次のトレーニングの日が来た。この日は、マネージャーからN美への嬉しいお知らせがあった。

 

A社でのランクがひとつ上がったから。」

 

A社は、アンケート数値を基に、添乗員をランク付けしている。ランクは7段階あり、半年ごとに見直される。通常、ランクはの昇格降格はひとつずつだが、不祥事を起こせば一気に下がることもあるし、優秀な添乗員は、派遣元からの申請があれば飛び級もある。

 

N美は、ロシアでちょっと評価を落としたが、他の評価がよかったため、一番下のランク7から6に上がったのだった。

 

「よかったな!N美!!おまえ頑張ったからな。本当は一生ランク7だと思ったのに。」

 

社長が、からかうようにして褒めた。正直、ランク7から6への昇格は、意識しなくてもできる。ランク7が2期も3期も続いたら、普通はツアーをもらえない。それでも、特訓を初めて半年。初めてN美が出した目に見える結果には違いなかった。

 

前回、不機嫌で集中力に欠けた彼女は、同じネタを流暢に話した。指摘しておいた乱暴な表現や言葉遣いも修正されていた。いい感じだ。・・・と、思っていたら、彼女は話すのをやめて、ぶつぶつ言っている。

 

「どうしたの?」

 

「いや、最初にツートンさんに教えてもらった言い方と違うなあって。」

 

「問題ないよ。そのまま続けて。」

 

「・・・・・。」

 

「大丈夫だよ。そのまま続けて。とてもいいよ。この前、いちいち止めたのは、表現や言い方が、あまりに子供っぽいとことがあったから。どうしても、それではだめだというところを指摘しただけ。」

 

「・・・・私には、どこがそこなのか分かりません。」

 

「だから、僕が指摘してるんだよ。今日は、よく練習してきたね。この前の欠点が全部修正されてる。僕が、なにも言わない限りは問題ないから、そういう時は、どんどん進めていいよ。まったく僕と同じである必要はない。」

 

「・・・・・・難しいです。どこまで自分のやり方でいいのか。」

 

「N美は、高校で吹奏楽部だったんだよね。楽器はなんだったの?」

 

「はい。クラリネットをやってました。一応コンサート・マスターやってました。」

 

N美は当時、二十代前半。この頃は、学生時代になにかやり遂げたかどうかが物を言う。受験で「達成感」を味わっていない彼女にとって、ブラスバンドの経験は、おそらく大きかった。だから、厳しいトレーニングにもついてこれた。

 

「コンマスだったら、きっと上手だったんだね。後輩の指導とかもした?」

 

「はい、しました。」

 

「その時にさ、吹き方教えるでしょ。最初は、細かく、コツをいろいろ教える。それで、後輩たちが上達して演奏できるようになった時、どうだった?君とまったく同じ吹き方をしている人はいた?」

 

「・・・いないです。そういうことですか。」

 

「そういうこと。内容に関しては、文句ないよ。そこは、表現が僕と同じでなくても構わない。」

 

やっと納得した様子で頷いている。

 

「細かい言葉遣いに口を出すところは、もう少し我慢してほしい。普通は、就職活動や新人研修で、正しい敬語なんかを学ぶんだけど、君はそれをしてないから、ある意味仕方ない。そこも意識してのトレーニングだよ。内容は、きちんと勉強したことを話してくれてるから、問題ない。このトレーニングの意図は、勉強した内容を話しながら頭に入れること、それと、きちんとした言葉遣いで話せるようになること。」

 

「わかりました。・・・・・・でも、私の話し方、そんなに変ですか?」

 

「時々ね。そうだね・・・・。クラリネットで言えば、きれいな音は出せるのに、楽器の持ち方を知らない、みたいな()

 

「ありえません()

 

「そう。ありえないの。君が外国人なら、とてもうまい日本語なんだけど、N美は日本人だよね?たぶん。」

 

「日本人ですー()
 

二人でぶつかった精神的な壁は、こうやって乗り越えていった。N美が、僕に話さずに、自分で乗り越えた壁もたくさんあったに違いない。そのうち、ここのコメントに現れるかもしれない。

 

だが、どんなことをしても、結果が出ない時は出ない。2013年の下期は、彼女が一番伸び悩んだ時期だった

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四月中旬のサンクトペテルブルク。ネヴァ川沿いの風景。白く見えるのは解けた氷。小さな流氷。この時期だからこそ見られる景色。
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