マスター・ツートンのちょっと天使な添乗員の話

自称天使の添乗員マスター・ツートンの体験記。旅先の様々な経験、人間模様などを書いていきます。

September 2020

登場人物

 

N美

惜しかったなあ。本当に惜しかったなあ。うっすらと涙を流すくらい悔しかったよなあ。そして、涙の後はロマンスだよな。

 

マネージャー

めずらしく、N美を全面的に庇った。彼にそう言わせるくらい、この時のN美は頑張ったのだ。

 

チバ子

おめでとうございます。またいつか、添乗の現場に戻っておいで!

 

T子

え?グアテマラ?お前さん、いつの間に!

 

マスター・ツートン

N美物語も、あと数話。勝手に感慨にふけっている、中年休業添乗員。それでも自称天使です。

 

 

N美は、ツアーそのものは無事にこなした。お客様たちも存分に旅行を楽しまれたようだった。

 

だが、最終日に致命的なミスを犯してしまった。帰りの機内でお客様にご記入いただくアンケートをお渡しできなかったのだ。通常、アンケートは最終日に、最後の飛行機に乗る直前などにお渡しして記入したいただき、日本到着直前に回収する。しかし、この日、N美は肝心なアンケートを、スーツケースに入れっぱなしにしたまま、現地の空港で預けてしまった。

当然、機内でお渡しすることはできず、日本到着後にスーツケースから出してすぐに渡し、帰宅してから郵送していただくことになった。

 

結論から言うと、この時点でかなり厳しい状況となった。お客様が書かれるアンケートには、大きく分けて3種類ある。

 

1.  旅行に満足されて、その理由が事細かに書かれているもの。

2.  多少の評論も含めて、ご本人が感じた違和感、不満、ご意見などが書かれているもの。

3.  適当に、5段階評価にチェックだけを入れているもの。

 

1と2については、本当に参考になる。旅行の企画や添乗員のサービスの在り方について、的確な意見(良いものも悪いものも)がよく見られるし、反省だけでなく、自信の源になるものもここに多い。間違いなく、添乗員が育つ要因になっているし、ツアー改善にも役立っている。

大半は3つめのタイプだ。3のタイプのアンケートは、5段階評価で、だいたい高いところにチェックが入っている。「旅行を楽しめました。文句はありません。さっさと書いて、機内では寝て、映画を楽しみます。」みたいなところだろうか。

念のため申し上げるが、どのタイプでも、アンケートは提出していただければありがたい。たとえ、それが問題点やクレームであっても、企画担当者に現場での様子を報告できる。3のタイプの方も、満足しているかそうでないかが数値で分かるから、その点では安心できる。

アンケートを提出されず、現場でも何もおっしゃらず、帰国後になにか仰るパターンが一番怖い。添乗員にとって、その問題点が自分に関わりないことでも、ツアー中に把握できなかったことにはショックを覚える。

だから、僕は、必ずお客様にアンケートの提出を促す。良い悪いだけの問題ではないのだ。もちろん良い内容に越したことはないが、すべてを把握しておきたい気持ちが一番強い。そして、全員分を回収するには、日本に到着するフライトの中でないと難しい。タイプ1と2の方々は、アンケートに思い入れがある方なので郵送してくれることが多い。タイプ3の方々の多くは、思い入れなど皆無で、郵送してくださらない確率が高い。

いやらしい言い方だが、添乗員の成長のために必要なのがタイプ1と2だとしたら、添乗員がポイントを稼げるのがタイプ3なのだ。N美は、しっかりと仕事をしながら、そのポイントゲッターを失ったのだった。

 

このツアーでも、全アンケートの回収は叶わず、郵送されなかったものが多かった。ツアー全体の評価としては、悪くないどころか、むしろ高評価だったが、それほど人数が多くないツアーで、比較的厳しいアンケートが届くという現実が、彼女のランクアップを阻んでしまった。

 

これで、圧倒的に規定数値が届かないというのであれば仕方ない。しかし、足りないのは本当にわずかだった。

昇格の条件は、アンケートで5段階評価のうち、5の割合、そして4と5を合計した割合が、それぞれ規定以上であることだった。このうち、4と5を合わせた割合は条件を満たした。5の割合がわずかに・・・はっきり言うと、人数であと一人足りなかった。半年間、250人以上のお客様を案内した中でのたった一人だ。

 

「もったいないなあ・・・。」

 

集計が確定したデータを、マネージャーのデスクで見た僕は、うなだれた。最後のツアーできちんとアンケートを配布していれば、おそらくクリアできた内容だったのだ。

がっかりしている僕を、マネージャーは少しの間そっとしてくれた後、その場にいないN美を庇うように話し始めた。

「今シーズンのN美は、数字以上によくやったと思うよ。少なくとも、これまででは最高だった。俺はほめてあげたい。最後のアンケートの配布ミスは馬鹿げてるから叱るけどさ。全体的な数字と、仕事の内容は、手放しでほめてあげようと思う。」

「まあ・・・確かに。よかったね。」

「ランク1と2は、なるのも難しいけど、それをキープするのも大変だからね。中には、それをキープするために仕事がおかしくなる人もいるし、キープできずに落ちて、そのショックで能力を発揮できなくなってしまう人もいる。俺の考えなんだけどね、N美は、もし上がってもランク2でいられ続けるのは、難しかったんじゃないかな。将来的には分からないよ。今は、難しかったと思う。とりあえず、最高の結果を残したってことでいいじゃん。ほめてあげなよ。」

 

マネージャーの言ったことは最もだった。ランクアップを逃したとはいえ、N美の今期の成績は、これまでの水準を大幅に上回っていた。残念がる前に、まずは褒めてあげなければいけなかった。それなのに、僕は、N美と会った時に思わず言ってしまった。

「惜しかったなあ・・・。もったいないなあ・・・。」

N美は、少しがっかりしたような顔を見せた後、うつむいて、そして顔を上げた。

「マネージャーには、『アンケート配布のミスなんかしやがって』って叱られました。でも、今までの中で最高だったって、褒められもしましたよ。」

「確かに、全体的にはとてもよかったな。」

「それで、言われました。『今のままだと、もし上がってもキープは難しい。また実力をつけて挑戦すればいい』って。」

「そうだね。」

「でも、私、また取れるのかなあ。今期みたいな添乗、またできるのかなあ・・・。」

「・・・N美?」

「・・・もし、キープできなくても、すぐに落ちるとしても、一度はランク2に上がりたかったなあ。せっかくここまで来たのに。・・・ツートンさん、ごめんなさい。期待に応えられなくて。」

彼女の目には、うっすら涙が浮かんでいた。そうだ。一番悔しかったのは、N美なのだ。こんな時に限って、気が利いた労いの言葉が見つからない。でも、この時は、「来期は頑張ろう」と言うよりも、今期の頑張りをほめてあげたい気持ちでいた。

 

2018年と2019年は、派遣元の中で、特に僕の周りでは、様々な動きがあった。

派遣元でも1、2を争う実力派のチバ子は、妊娠が発覚して添乗の現場を去った。

T子は、英語の他にスペイン語を身につけたいということで、グアテマラに旅立った。これについては、次回、少し書きたいと思う。

 

僕はまだ気づいていないが、N美にも変化があった。10月の中旬、オフィスに顔を出すと、これまでほどんど関わり合いがなかった内勤の男性から、「もしよかったら」と、小さく畳んだメモを渡された。広げてみると、そこには彼の連絡先が書かれていた。

 

次回。

登場人物

 

N美

夢のランク2までもう少し。そうなれば、ビリギャルと肩を並べられる。

 

マスター・ツートン

N美が、ここまでやるようになるとは。頑張れ。あと少しだ。

 

 

添乗員という仕事は、うまくいっていると、リズムよく淡々とこなせるようになる。日程や観光事情に問題が発生したことを伝えれられても、動揺せずにスーッと進むべき道が目の前に見えてくる。こんな時は、お客さんにも恵まれる。大袈裟かもしれないが、世の中の何もかもが自分の味方になったかのような気分になる。

N美にも、そんな時期があった。2016年にランク3に上がる直前がそうだった。その後、一度モチベーションが落ちたが、調子を戻した2018の秋は実に乗っていた。僕も彼女も忙しく、会える時間は限られていたが、ランク2昇進がかかっていたこともあり、この時期は、よくラインで連絡を取っていたが、彼女から返ってくる言葉ひとつひとつに自信が感じられた。

 

この頃になると、ツートン塾には、スピンオフで紹介した以外の新メンバーも続々入ってきて、14人ほどのグループになっていた。派遣元の9割は女性添乗員だから、コミュニティも女性ばかりだったが、男性も二人加わった。

時には会ってミーティングすることもあったが、この時期は、全員が多忙で、大半がラインのやりとりで済まされた。常に個別のやりとりだったから、その中で、それぞれの特徴や長所、短所が見えてきた。

 

塾のメンバーは、N美とT子を除くと、全員が30歳以上で、大半は50歳以上。僕より年上の人たちだ。そして、海外添乗員になる以前、なにかしらキャリアを積んだ経験があった。そのうえで、年下の人間からでも学ぼうとコミュニティーに入ってきた前向きな人たちだ。

そのため、たまにするミーティングやラインなどでの内容も、若い二人に比べると大人だった。ただし、良くも悪くもだ。

終わったツアーの印象などを聞くと、うまくいかなかったこと、或いは、うまくいかなかったと思うことを挙げて、対処すべきだった方法を話して、それで終わろうとする傾向があった。添乗員になりたての頃、そういう教育を受けてきたのだろうか。とりあえず、反省点と対処法さえ述べれば解放されるであろうというような態度と流れだった。

違和感を持った僕は、ある時、それぞれに聞いてみた。

 

「ツアーでうまくできたところはどこですか?なにを喜んでもらえましたか?」

そう言われてスムーズに答えられたメンバーは、いなかった。中には、「それが分かれば苦労しない」くらいの表情をした人たちもいた。大人たちの研修で、一番苦労しているのが、ここである。

 

どんなに成功したツアーでも必ず反省点はある。それを先に挙げるのはいいが、うまくいったところが分からないのは問題だ。それを理解しているのが「うまくいった感触」だからだ。なにを喜んでいただけたか分かっていない添乗員は、一度成功した仕事と全く同じツアーに行きながらも、なぜか悪い結果で帰ってくることがある。

「なぜうまくいったか」を理解するのは、「なぜ失敗したか」を理解するのと同じくらい大切だ。

「なぜお客様が喜んでいるか」を知ることは「なぜお客様が怒っているか」を知ることと同じくらい重要だ。「失敗しない」と「成功する」は、別物なのだ。

 

これについては、後々機会があったら語ろうと思うが、N美は、「どこがうまくいったか」を分析するのはうまかった。逆に失敗したツアーで、反省すべき点を指摘している時に、「ここはうまくいったんですよ!」と、図々しく主張するところがあったくらいだ。

こんな感じで少々認識が甘く、お客さんの不満そうな顔を見逃すところがあったから、時に散々な評価で帰ってくることもあったが、このシーズンは、その前向き思考が功を奏していた。

 

これまでにない高水準で数々のツアーをこなして、いよいよA社の仕事としてはシーズン最後のツアーを迎えた。すでに、ランク2への昇格基準を満たしている。それこそ、最後は失敗さえしなければ問題なかった。

 

最後のツアーの出発前は、たまたまオフィスで会える機会があった。励ましたのをよく覚えている。

「いつも通りの添乗してこい。でも、最後は目標を、ちゃんと狙う意識で達成してね。」

「あー・・・プレッシャーです。でも、ここまで来たら頑張ります。」

彼女をこれほど頼もしく送り出したことはなかった。N美も高いモチベーションを示して出かけていった。

 

やがて帰国した。N美は惜しくも、本当に惜しくも、ランク2への昇格を逃したのだった。

お彼岸から実家に帰っていた。

3月に父親が亡くなり、初盆、初彼岸ととりあえず供養に尽くすことができているかな。。

 

ついでに、と言ったらなんだが、8月末に気分転換で会った友人二人が、故郷に来ることになり、この前の土日は、僕が案内した。徒歩と自転車。

前もって、ある程度観光の下調べをして、添乗員張りの説明をした。足利には、歴史的モニュメントはたくさんあるが、いまひとつビジュアルの華に欠ける。そこを補うための説明だった。

 今回は、遊びでの案内だけど。いや、やはり観光案内はいいね。

 

足利学校や鑁阿寺(ばんなじ)の案内はもちろん、地元の人しか行かないようなところまで足を運んだ。

「ここは機神山山頂古墳。全長36mのわりと大きなもの。時代は5世紀。足利には、全部で古墳が10か所以上ある。」

「へー。」

「ここは八雲神社。足利市内には八雲神社がいくつもあるけど、森高千里の『渡良瀬橋』に出てくるのはここ。しかも起源は9世紀。」

「へー。」

「この公園は、元々駅だった。足利西駅だったから、西駅公園と呼ばれていた。今は名称かわったらしい。」

「へー。」

二人とも付き合いいいから、いちいち「へー。」と言ってくれた。付き合いいいよな。

食事もツートン家御用達の蕎麦屋「第一立花」、市内有数の老舗「銀釜」などにご案内。楽しんでいただけたようでよかった。観光客がネットで調べないと、知らないようなところも行ったりして、なんだか楽しかったな。

オヤジ三人で、自転車をシャコシャコこいでいる様子は、地元のひとたちには、どのように見えただろうか()

 

当分海外はだめだろうから、需要が出てきたら国内の仕事をするのもいいのかな。二人を駅まで送って別れた後は、久しぶりに心地よい疲れを感じた。

 

二人には、有難く感じて欲しいね。天使の添乗員がタダでガイドしたのだから。なんてね()

 

今日の夕方に帰京した。
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足利学校。以前と比べてはるかに復元と整備が進み、見やすくなっていた。
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鑁阿寺の南門。この寺の起源は12世紀に遡る
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縁結びで有名な織姫神社。夜、ライトアップされた様子は、街中からでも見える。欧州の城を思い出す。
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土日の天気はいまいちだったのだが、夕方になると、西の空からなにかを祝福するように光線が出た。観光万歳か?
ちなみに、ゲストの二人はGOTOキャンペーン利用だった。故郷にお金を落としてくれてどうもありがとう。

イギリスの特にロンドンには、魅力的な日本料理が多い。
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まずこちら。カフェラテ?カプチーノ?いやいや。これは味噌汁だ。きちんとダシをとった味噌汁の上に、ひじょうにクリーミーな朧豆腐を浮かべている。カップを口に近づけるまでは、コーヒーの類だと思ってる人も多く、面食らう日本人が多い。
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同じレストランで食べたお寿司の盛り合わせ。真ん中に深い穴があり、お寿司は皿の縁に盛り付けられている。穴には、ドライアイスと水を入れて、雲に浮かぶお寿司を演出している。なお、ここの寿司は、出された時点で味付けされており、醤油を用いないようおすすめされる。上記2つの料理は、サウスケンジントンのYASHIN OCEAN HOUSEでサービスされたもの。
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こちらは、テムズ川に面するALBERT EMBANKMENT通りにあるPARK INNホテルの日本食レストランより。牛肉でシャリを巻いているお寿司。ガリの左にあるのはワサビ。イギリスに限らず、欧州ではワサビは別盛り。寿司の上には、肉の味を深めるソースがちょこんと乗っている。
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これが断面。海苔が内側に入っている。その内側にも具材が入ってたんだけど、カニと、あとなんだったかなあ。忘れてしまった。外側の肉との相性が抜群だった。シャリは、きちんとした酢飯だ。

これらのレストランの特徴は、何人かいる料理人の中に、必ず日本人がいて、シェフ、またはスーシェフであること。そして、レストランのトップはイギリス人であること。純粋な日本料理かと言われると頷きかねるが、これらは、僕ら日本人が食べてもとても美味しい。

ロンドンのガイドの話では、わりと腕のいい日本人の料理人でも、日本式を頑なに貫き通した日本食レストラン経営は、100%失敗するそうだ。本当に日本料理を好きなイギリス人が、本当の日本食をイギリス人好みに変えたものを扱っているレストランが、成功するという。ロンドンで流行っている日本食レストランのオーナーは、みんなイギリス人という話もある。

日本人が、日本人の口に合うフランス料理やイタリア料理を好むように、欧州の人たちにとっても、自分たちの口に合う日本料理があるということなのだろう。

そういえば僕らも、自国で食べる外国料理と、本場で食べるその国の料理では、なんとなく楽しみ方が違うような気がする。

登場人物

 

N美

勢いにのって頑張る2108年の秋。

 

イワ子

欧州添乗を始めたばかりの2018年。さらに飛躍しよとしていた2018の秋。

 

マスター・ツートン

新しいオフィスは、景色がないなあ。銀座が恋しいなあと、毎日思っていた2018の秋

 

 

どの程度本気だったかは分からないが、N美はランク2に向かって動き始めた。7月から12月までのツアーが評価対象にされる中、11月に入る頃になっても勢いは衰えず、「ひょっとしたら・・・」とマネージャーも思い始めたようだった。それを裏付けるように、一部N美のスケジュールに変更があった。

 

「よし!天が味方についた。」

この時は、そんな気分でいた。一時的に不調だった僕自身の添乗の調子も元に戻り、充実した秋を過ごしていた。この時は、T子も調子を上げて、いよいよランク3まであと一息というところまで来ており、みんな、それぞれの努力がそれぞれの形になろうとしていた。

 

そんな秋のある日、賑やかだったオフィスの添乗員エリアから、次々と人が消えて、最後は僕とイワ子だけになった。相談しやすいタイミングを待っていたのか、僕が座っていた席の前にイワ子がかけた。

「すいません。今度フランスのツアーに行くのですが、パリからモンサンミッシェルまで5時間半から6時間もドライブがあるでしょう?ここのドライブが長くて・・・。お客さんを退屈させないような、バスの中で話すネタはありませんか?フランス初めてで、観光地の勉強だけで精一杯で、そっちまで手が回らなくて。」

「あるけど。ひとつもネタを持ってないの?」

「いえ、4つくらいはなんとか仕入れてるんですけど。」

 

基本的には、4つネタがあれば6時間以内のドライブはなんとかなる。ひとつのネタで30分話すとして、4つ話せば約2時間。それ以上話すと、逆にお客さんが疲れてしまうことがあるし、残りの時間は静かな車内でお過ごしいただくか、音楽をかけてゆっくり車窓を楽しんでいただくくらいでもよい。

「4つネタがあれば・・・」と、僕は言いかけた。が、ふと思い留まった。

 

時々、N美やT子にアドバイスしていたことを思い出した。

「長いバス移動中に、ネタを3つ話そうと思ったら、実際は6つくらいないとだめだ。同じコースで同じ場所に行くのでも、グループによって雰囲気もノリも違う。6つの中から3つを選ぶくらいでないとだめ。例えば、食事中にアルコールをほとんど注文されないグループに、ワインやビールの話をしたって聞いてもらえないだろ?もちろん、最初から6つとは言わない。3つ必要なところでは、最初は死ぬ気で3つ用意して。そのかわり、同じところに行くようになったら、必ず前回仕入れられなかったネタを話せるようにするんだ。」

 

イワ子に、その話をしたかどうかは記憶にない。でも、彼女のことだから、自分でその域に達した可能性はあった。彼女の場合、南米に何度も行って、マチュピチュ、ナスカの地上絵、イグアスの滝など、訪れる度に様々なガイドの案内を耳にしていた。だから、観光案内において、情報量の多さがいかに有利であるかを学んでいたはずだ。

 

「えーと。だとしたら急ぎだよね?N美やT子には、僕が話したことを録音させてたけど。あ、イワ子さんにも録音させたことがあったね。」

「ありがとうございます。でも、それだとかなりお時間いただくことになっちゃうから。こんな話をすればいいよ、くらいのもので結構です。あとは自分でまとめてみます。」

リクエスト通り、4つほどネタのタイトルを紹介して簡単な概要を説明した。彼女からは、

「この話は、どの切り口から入ればよいですか?」

という質問をもらっただけ。あとは、自分でなんとかすると言って、さっさと帰って行った。

 

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後日、N美にこのことを話した。N美が一人暮らしをしている場所は、僕が住んでいるところからわりと近く、たまに待ち合わせて近況報告やお茶をしたことがあった。

「頭いいですからね。イワ子さん。」

「そう思う?」

「思います。レクチャーの時なんて、教えた瞬間に、私よりなにもかも知ってるような感じになります。」

「教える前から、君より知ってるんじゃないの?」

「うるさいです。」

 

ちなみに、待ち合わせる場所は、だいたいミスタードーナツだった。N美が、ど貧乏だった頃、飲みに行くときは、ほとんど僕がごちそうしていたが、彼女が稼げるようになったこの頃も、まだその悪習が残っていた。そのため、安く、ちょっとオーダーするだけでも問題ないミスタードーナツは、恰好の場所だった。なによりN美は、あの安いドーナツを高級カフェのケーキのように美味しそうに食べてくれた。彼女が、弟子としても女性としても、一番かわいく見えたのは、ミスタードーナツにいる時だったかもしれない。

 

「でも、彼女がそこまでやるのは、能力だけではないと思いますよ。」

「なに?」

「きっと、ガイドがいない状態が心配なんですよ。この前聞いてびっくりしたんだけど、彼女、欧州添乗を始めたばっかりなんですね。そりゃ不安ですよ。」

「分かるの?」

「分かりますよ。だって今までは、お客さんに何を聞かれても答えてくれるガイドが、いつもそばにいたんですよ。彼女にとって、案内ってそのイメージだと思いますよ。イワ子さんが、いろいろなものを調べてまとめてるって、そこに近づこうとしてるんですよ。ガイドがろくについてない欧州添乗って最初は恐怖ですからねー。私もそうでした。」

N美も、さんざんトルコを添乗してから欧州添乗を始めたから、気持ちが分かるのだろう。添乗員としては、誰もが通る道でもある。

「ツートンさんは、理屈が分かってても、その時の恐怖と苦労をもう忘れてるんですよ。これだから人間、年を取ると・・・。」

「今日のドーナツ代、お前のおごりね。」

「嘘です、師匠。申し訳ありません。」

「N美はどうなの?同じ場所に行って、トークの幅は広がった?」

「・・・・・・。」

「なに?広がってないの?」

「私の場合、いろいろなことを覚えようとすると、逆になにも覚えられないというか・・・。」

「うん。それで?」

「ここではネタが4つ必要だなあって思ったら、その4つを徹底的にやります。例えば、お酒を飲まない人が大半の時でも、ワインの産地に行ったときには、ブドウ畑や収穫について話すと聞いてもらえるんですよね。それと、ワインならワインというテーマを決めて、知識を付け足すってやり方をすると、忘れないで覚えていられることが分かったんです。ひとつのネタの中で話の幅を広げて、聞いてもらえる部分を話すようにしてます。これがN美流です。」

「・・・ほお!」

「私が、物分かりが悪かった時に、ツートンさんが何度も言い方を変えて、私が分かるまで説明してくれたじゃないですか。私もどうやったら、みなさんにわかってもらえるか、考えるようになって。その成果ですかね。」

「そうか。」

「トークって、必ずしも、持ちネタの多さだけじゃないな。話し方、聞かせ方が大切だなって。だから、私は、少ないネタで、聞かせ方で勝負しようって思いました。」

「かっこいいこと言うようになったね。」

「ツートンさんが言ったんですよ。『勝てるところで勝負しろ』って。」

 

確かに言った。前回も書いたが、N美のガイディングにおける技術は、高いものがあるが、そういう考え方が根底にあるから上達したのだな、と納得した。

 

「ツートンさん、イワ子さんを、あまりいじめちゃだめですよ。」

「いじめる?」

「彼女に、『できる子だなあ』みたいな態度とってるじゃありませんか。あれ、彼女にとって、きっとプレッシャーだし、嫌だと思いますよ。」

「同じできる女として、気持ちが分かるの?()

「真面目な話ですよ!今は、まだ大丈夫だけど、これからもイワ子さんと仲良くしたかったら、考えたほうがいいですよ。彼女が、やりにくくならないように。バスネタをたくさん仕入れようとしてるのも、ツートンさんが言ってる理屈じゃないと思いますよ。結果的にそうなってるだけで。必死なだけですよ。」

「・・・わかった。」

 

みんな、それぞれのやり方で、お客さんの満足に辿り着いているのだなあと、改めて気づかされたドーナツタイムだった。N美は、いつもよりだいぶ小難しいことを考えて口にしたせいか、甘いドーナツを2つ、ペロリと平らげていた。

 

登場人物

 

マダム西園寺

これからでございます。私、海外にはばたくのです。師匠、どうかよろしくお願いします。

 

マスター・ツートン

そこまでしていただかなくても、きちんと面倒見ますって。

 

 

西園寺さんは、かつてお嬢さんと一緒に、僕のツアーに参加されたことがあった。クロアチアとスロヴェニアの旅だった。それがきっかけで海外添乗員になったわけではない。元々同じ派遣元に所属してはいた。僕の添乗スタイルを気に入ってくれたらしく、近づいてきてくれたようだ。

吸収合併されて、私たちのところから去っていった社長からは「あの人はきちんとやってくれるようになる」と言われていたが、マネージャーの評価は、「悪くない。」だった。

 

本人は、悪くないどころか、かなり自分を厳しく評価していて、「なんとか今のパッとしない状態を打開したい」という気持ちが、会話の節々から読み取れた。いろいろ心配事がある中で、まず、一番心配だったのが、僕がきちんとコーチをするかどうかだったらしい。別に若くなくても、ぽっちゃりしていなくても面倒は見ると言ったのに、いちいち「よろしくお願いします」と、大袈裟に頼まれた覚えがある。

 

ただ、お互いにタイトなスケジュールが入っていたし、なかなか時間が合わなかった。T子の時もそうだった。彼女も早いうちから、基本的なものを身に着けたから、さっさと実践に出ていってしまった。なかなかN美の時のように、ゆっくり時間を取ることは難しかった。

 

そんな時、西園寺さんから飲みに誘われた。

「吉祥寺にいい店があるんです。」

「吉祥寺?西園寺さんの家とは真逆なんじゃ?」

「娘がアルバイトしてるんですよ。」

「あー・・・。この前ツアーに一緒されてたお嬢様。」

「あれは次女。今度は長女です。」

 

そして、いよいよ当日、西園寺家の令嬢がお仕事をされている吉祥寺のお店に向かった。下のお嬢さんは、ふわっとしたお嬢様タイプだったが、上のお嬢様はベリーショートのボーイッシュ。とても素敵なハンサムガールだった。

「いつも母がお世話になっております。」

と、礼儀正しい。お店はイタリアンのダイニングバーで、ワインも料理もとても美味。添乗の話もしたが、あまり細かいことは覚えていない。ただ、「なにかコツは?」といったようなニュアンスでいろいろ聞かれて、違和感を感じた記憶はある。でもまあ、楽しい時間を過ごした。

 

そして最後、僕はミスをした。ワインを飲み過ぎたせいか、先にトイレに行ってしまったのだ。大学時代に、モテモテの先輩から教えてもらった掟を破ってしまった。

「女の子と二人で食事をした時には、全部終わるまでトイレに行ってはだめだ。絶対にテーブルに女性を一人にするな。」

その掟を破った代償は大きかった。西園寺さんが、すでに支払いを終えていたのだ。相手がトイレに行ってる間に支払いを済ませるのは、スマートなジェントルマン、あるいはスマートなジェントルマンを志す男子の手口。マダム西園寺は、ゆったりとした雰囲気を醸し出すマダムなだけではなく、ジェントルマンなおもてなしを心得たスーパーマダムだったのだ。

 

「こういうのは困ります。僕が払います。」

「いえ、これから教えていただくのですから、これくらいは当然です。」

「いや、そういうわけには・・・」

と、いうところで、僕はカウンターの内側で、心配そうにこちらを見つめるお嬢様の姿が目に入った。そうだ、そういうことだったのだ。ここでマダムの申し出をお断りしたら、お嬢様の前で恥をかかせてしまうことになるのだ。マダム西園寺おそるべし。ここまで計算していたのか?

 

・・・完敗だった。

 

その後、じっとこちらを見つめるマダム西園寺。・・・まさか・・・僕をお持ち帰りする気か・・・と思ったが、当然それは、僕の自意識過剰で、「よろしくお願いします」の一言で帰してもらえた。

 

冗談はともかく、西園寺さんの意気込みを感じた夜だった。

 

 

※勢いで②を書いてしまいましたが、③があるかどうか不明です。

登場人物

 

N美

立ち直った20台女子。今後どうなる?

 

イワ子

真面目な質問からは、逃げずに誠実に的確にこたえてくれるツートンの大後輩であり、戦友。

 

マスター・ツートン

N美にさらなる可能性を感じている彼女の師匠であり、自称天使の添乗員

 

 

N美の2018シーズン下期は、優秀添乗員廃止ショックから立ち直り、絶好調だった。ある日、マネージャーに出してもらったN美の成績データを見て驚いた。先輩をめいいっぱい利用しているだけあって、久しぶりに抜群の成績を連発し、平均値は過去最高レベルだった。

 

僕は、あることを思い付き、N美に連絡を入れた。

「N美、ランク2を目指そう。」

ランク3は、A社における添乗で、とりあえず行きついた場所ではある。地道に努力すれば誰でもそこまでは行けると言われてはいるが、実際に辿りつけるのは上位10%くらいだ。また、たどり着いても、すぐに落ちてしまう人もたくさんいる。保持できれば完全な実力派だ。N美は、このランクをもう二年も守っていた。

 

その上のランク1、2は、完全な別世界で、添乗員としては、努力だけでなくセンスも求められた。昇進する際の数値条件が、格段に厳しくなる。派遣元によっては、ここまで昇格する添乗員が0でも珍しくないのだが、うちの派遣元には5人いた。イワ子、チバ子、B美、とる子(後者二人は「コロナの記録と記憶㉕」に登場)、そして僕。いずれも僕が戦友として尊敬する添乗員ばかりだ。申し訳ないが、ここにN美が仲間入りするには、ちょっと違和感があったが、いつかは彼女が、単なる弟子ではなく戦友になることを夢見ている自分もいた。

 

「え?ランク2ですか?・・・プレッシャーだな。それに、私には無理だと思いますけど・・・。」

そう思うのも無理はない。だが、本当に狙える場所にいるのも事実だった。久しぶりに、本当の緊張感を味わいながら仕事をするチャンスでもあった。

 

このN美が置かれた状況を、僕はマネージャーに報告した。ランク2を狙うために、難しいツアーはかまわないが、スケジュール的に無理のある仕事の割り当てが生じないようにしたかった。繁忙期に、ある程度無理なスケジュールになってしまうのは仕方ないが、ランクアップのような明確な成果が見えたときは、その中で最低限の(甘やかさない程度だが)配慮をマネージャーはしてくれることがあった。彼は、N美の成績をじっと眺めながらつぶやいた。

 

「あいつ、今期はこんなに頑張ってるのかあ・・・。でもなあ・・・N美がランク2になったら、どうなのかなあ。ランク2の品位が落ちる気が・・・」

「お・・・おい!なに言ってるんだよ!」

 

慌てて突っ込んでみたものの、マネージャーがこんなことを呟いた気持ちは、理解できた。

N美は、信頼に値する実績は残していたものの、それを打ち消すような言動が、度々あった。同年代同士でも年上相手でも、おかまいなしに、ことごどく失礼な発言や行動をすることがあった。ドラマや漫画の世界なら、破天荒や型破り、天然などの表現で済まされるが、現実の世界では許されないものもいくつかあった。

 

また、人に言ってしまったら恥ずかしい失敗談を、平気で口にした。一番記憶に残っているのが、「熊の鼓動事件だ。」

ある、欧州ツアーの観光中、N美が英語ガイドの通訳をするシーンがあった。そこでガイドが、「ここは、熊野古道のようなものです。」と案内した。英語ならおそらく「It is like Kumanokodo.」とか言ったのだろう。N美の最低限の名誉のために言うと、さすがに熊野古道のことは知っていた。しかし、その時ガイドが言った「Kumanokodo」の発音に熊野古道が結びつかずに、

「えーと・・・なんだか熊の鼓動に関係あるようです。」

とかなんとか言ってしまったのだ。当然、お客様からは突っ込みが入る。

「違うわよ、N美さん!彼は熊野古道のことを言ってるのよ!()

お客様たちは、大爆笑だったらしい。

 

この話を、ネタとして笑い話でするならともかく、N美は、心から反省しているように話した。この場合、それが許せなかった。普通、こういう失敗は隠す。海外専門添乗員とはいえ、熊野古道は日本にある世界遺産の中でも、かなり有名な部類に入る。すぐに浮かんでこなかったのは、旅行のプロとして恥ずかしい。技術的なものでも経験値の問題でもない。常識の問題だ。

 

そんなことが、時々ある度に、腹立たしくて、腹立たしくて、腹立たしくて、腹立たしくて、腹立たしくてどうしようもない時があった。

なぜ、そこまで腹立たしかったのかというと、僕が、あほで間抜けでないN美の一面を知っていたからだ。

 

いつか、フランドル絵画「神秘の子羊」のガイディングをオフィス内で実演させた時、周りを驚かせるくらい完璧にこなした。あのプライドが高く、滅多に他人に触発されないチバ子がそれを見て、「燃えてきた」と、直ちに資料集めをして、次に行くベネルクスのツアーに備え始めたくらいだった。(エピソード㉔チバ子参照)

 

2016年の秋に、僕がスペインに行った時は、N美のツアーとほぼ同じ行程で動いた。N美本人は、この割り当てを「緊張する」と嫌がっていたので、なるべく彼女の視界に入らないように、でも、たまにタイミングが合った時に、彼女の案内を陰ながら見守っていた。こっそりと、控えめな昭和の女風に。星飛馬の姉の星明子のように。そりゃもうこっそりと。果たして、彼女は立派に案内していた。トークは完璧。お客様を退屈させることなく、きちんと惹きつけていた。

 

一度だけ、N美の友人に紹介されたことがあった。似たような声が大きいのが来たら、N美と二人で核爆発がおきると思ったが、極めてまともな友人だった。礼儀正しいし、常識的だし。N美も、その友人と話す時は、普通なのだ。

 

え?N美に二面性がある?そんなことはない。彼女には、表と裏などは存在しない。圧倒的に表だけだ。ただ、いくつかスイッチがあって、押すべきスイッチを時々間違えてる気がした。

そんなN美に時々腹を立てながらも、派遣元の皆は慣れてきつつあった。

「あれはあれでかわいいと思うわよ。」

「彼女の個性だよ、あれは。それに仕事はうまくいってるんだろ?問題ない。」

「結果が出てればいいよ。」

派遣元の中で、彼女に親い人から、僕の先輩格までみんなそうこたえるようになっていた。(影で何を言われているかは分からないが。)

 

そんなわけがない。それで許されるわけがない。そんなことを考えていた時、たまたまオフィスにイワ子がいた。彼女にも聞いてみた。今考えてみると、無神経で残酷な質問だった。N美は、イワ子にとっては先輩だ。僕は、先輩の評価を後輩にさせたのだ。

「N美のこと、どう思う?たまにある問題言動。突飛な発言と言うか・・・。」

「かわいらしくていいじゃないですか。」

にこやかにこたえるイワ子に、僕はもう一度、少し強い口調で尋ねた。

「本当にそう思う?彼女、あと2年もしたら30歳になるんだけど。」

イワ子は、僕と目を合わせて、少し間を置いてから真剣にこたえてくれた。

「私が初めて知り合った時と比べたら、かなり変わりましたよ。大人になったと思います。でも、今のまま30歳になったらまずいかなあ・・・。」

 

正直に、誠実にこたえてくれたイワ子に、心から感謝した。そして、後輩の彼女から見ると「かなり変わった」印象があることも分かった。そうか。N美は、変わったからランク3まで来られたのか。考えてみたら、僕自身、彼女の成長を度々感じていた。そうなのだ。変わっているのだ。そうだとしたら、これからもまだ変われるかもしれない。


「ありえるな。ランク2は。」

 

僕は、確信を持った。

登場人物

 

マダム西園寺

たぶん、50歳くらいにこの業界の扉を叩いたマダムな添乗員。ただし、国内添乗員に経験あり

 

マダム綾小路

西園寺さんと同様、素敵なマダムになってから、添乗員になった。国内添乗員の経験あり。

 

マスター・ツートン

ツートン塾に好みの若い女性を集めてハーレムを作るなんて、考えるわけないでしょ!天使の添乗員なんですから!

 

 

2017年。僕らの派遣元が吸収合併される直前、オフィスで西園寺さんに声をかけられた。

「すみません。ツートン塾って、どうすれば入れるんですか?」

「え?」

一瞬、なにを言わてれるか、わからなかった。

「入りたければいつでも。」

「試験とかないのですか?あと、若くなくても入れるのですか?」

「若くなくても?・・・・・入れますよ。」

「そうなんですか。でも、若い人しかいないから、私たちじゃだめだと思ってました。」

「そんなことないですよ。ベテランのチバ子やY子さんも入ってますよ。」

「え?そうなんですか?なんであの人たちが?」

「チバ子は、とにかく勉強熱心なんです。Y子さんは、ちょっとスランプ気味だったときに、相談を受けたんだけど、たまたま僕のカウンセリングがはまっちゃって。コミュニティーに、僕以外の誰かアドバイスできる人がいたほうがいいと思ったから、そのままいてもらってます。」

「はあ・・・。」

「入りますか?」

「はい!よろしくお願いします。」

 

それから数日後、今度は綾小路さんに声をかけられた。

「すみません、ツートン塾って、どうしたら入れるのですか?」

「この前、西園寺さんからも同じこと聞かれたけど、入りたいと言ってくれれば入れますよ。・・・そういえば、西園寺さんが『私たち』って言ってたけど、綾小路さんのことですか。」

「他にも興味ある人いますよ。九条さん、持明院さん、北大路さん、花山院さん・・・。みんなでツートンさんを呼んでレクチャーしてもらおうって話してたんです。」

「へー・・・。そんな大したものでもないですが。」

「でも、噂がありまして。若くてぽっちゃりした女性しか入れないとか。」

「は?」

「だって、お弟子さんたちが、みんな若くてぽっちゃりしてるから。好みの女性ばかりを集めてるのかと。」

 

びっくりした。そんな噂があったのか!?ぽっちゃりした二人というのは、N美とT子のことに間違いない。確かに、二人とも素敵な女性かもしれないが、そんな気はまったくなかった。そうか。若い女性ばかりを集めると、ハーレムを作ろうとしていると思われてしまうのか。

 

「断じて、そんなことはありません。誰でも入れます。入りますか?」

「はい!」

 

かくして、ツートン塾に新たにマダムな二人が加わった。彼女たちのようなマダムな添乗員は、きちんと派遣元の戦力として活躍している。ご主人の扶養内で働いている人もいれば、新たなキャリアを積むために燃える人もいる。彼女たちは、N美がこのシリーズの中で言っていた「あんな女性になりたい」という人たちだ。どちらかと言うと、優雅に働くイメージだった彼女たちが、ツートン塾に入りたいと申し出たのは意外だったが、そういった向上心を持つ人が、派遣元にいて、N美たちを注目してくれていたのは嬉しかった。

 

ところで、念のため、マネージャーに聞いてみた。僕が、若い好みの女性ばかりを集めようとしている噂があるのかと。

「どうすればツートン塾に入れるのか?って聞かれたことはあるよ。でも、その噂は初めて聞いた。へー・・・。そういうのが目的だったとは知らなかった。へー!そうなんだ()。別にいいんじゃないか?俺は止めない。」

 

どうやらマダムな方々の間だけでの噂らしい。よかった。

 

※スピンオフ①とありますが、②があるかは決めていません。

※マダムなみなさんの苗字が貴族名になってますが、ノリでやっただけで、特にそういう方々ではありません。また、家号と支族がごっちゃになってますが、見逃してください。

登場人物

 

N美

転職活動はうまくいってない模様。一方で、添乗とは自分なりに向き合っていることが分かってきた。

 

マスター・ツートン

これからいろいろ起こる2018。ほんと、動き出す時は、いきなり動くのね。

 

 

N美は、収入が安定してきたせいか、「空港と派遣元のオフィスまで、家から近いほうがいい。」ということで、都心で一人暮らしを始めていた。この頃から、こっそりと自分なりに転職活動や婚活もしていたらしい。婚活はともかく、転職活動はなんとなく、僕が気づいた。資料を貸したり、添乗での質問にこたえるために予定を聞いたとき、

「その日は、9時から11時まで予定が入ってます。」

など、やたら細かい予定が多かったのだ。最近の彼女とのコミュニケーションで予想した時、「転職相談所にもで行ってるのではないか?」と、予想したら、やはりその通りだった。

 

だが、ここでも書いた通り、添乗員の転職活動は苦労する。転職相談所は、わりときつい現実をつきつけられるところで、「自分ができると思っていることと、相手が世間で通用すると思っている本人のスキルの差異」を思い知らされる。少なくとも、「こんないい仕事ありますよ。どうですか?」というところではない。N美の場合は、特に、これまでのキャリアを生かして、なにかをやりたいということでもなかったから、余計に難しかった。

 

添乗に関してはよくやってはいたが、前回のような理由があったので、「もう少し自分でやってみろ。」と、きつく突き放してみた。彼女は「はい。」と、少し不安そうにうなずき、それからしばらくは、自分一人で添乗の準備をして、結果を出し続けた。僕の助けは一切借りずに(他の人からは借りたかもしれない)。

 

そして、一か月半くらい経った頃、僕のところにやってきて、まるで、なにもなかったかのように。

「すみません。ここ、ちょっと助けてください。」

 

一か月半ぶりだったから、別にそのまま教えてあげてもよかったのだが、あえて突っ込んだ。

「ひとりでやれって、言ったろ?」

「たまにはいいじゃないですか。それと、私はイワ子さんとは違います。」

「え?」

「イワ子さんとは、きっと本を読むスピードが違います。私のほうが全然遅い。私の場合、まったく知識がなしで本を読むと、すっごい理解に時間がかかるんです。ツアーはたくさんあるのに、とてもスケジュール分こなせません。」

「なるほど。」

「いつか、ポーランドに行ったとき、ツートンさんが本を貸してくれたじゃありませんか。『ヴィトルト・ピレツキは二度死ぬ』って本。あれ、行く前は全然頭に入らなかったんです。でも、帰りの飛行機の中で読んだら、すいすい読めて頭に入ったんです。もっと出発前にいろいろ話を聞いておけばよかったあ、って後悔したんですよ。」

「そういうものかもね。」

「そうですよ。ツートンさんみたいに、なんでも読めちゃう人って少ないんですよ。みんな、そんなオタクじゃないんです。」

「N美。お前、破門。」

「あ、すみません。」

「悪かったな、オタクで。今日の質問にもこたえない。」

「うそです!すみません!!()

 

確かにN美の学習は、典型的な耳型だった。聞いたことはすぐに口にできるタイプだ。イタリアのサン・ジミニャーノという地名も、文字を追うと呂律が回らなかったが、こちらが口頭で教えるとすぐに発音できた。(これ、本当の話)。このタイプは、テレビなどで知識や教養を深める。しかし、テレビの説明や解説は表面をさらったものばかりだから、どうしても深さと言う点で、読書を重ねる目型には及ばない。

 

だが、N美のこの方法は、周辺の印象はともかく、自分の欠点を補うための知恵でもあった。僕は考えた。これはこれでプロ意識なのかと。いや、やはり甘やかしすぎなのなかあと。

 

「本も読むようにしますから。質問がある時は教えてください。お願いします。」

ということで、結果的には折れた。

その後、実際に、少しは本を読む量が増えたようだ。成績も、優秀添乗員廃止ショックから立ち直り、徐々に元通りになっていく。

登場人物

 

N美

悩み多き、実力派20代女性添乗員

 

イワ子

同じく、悩み多き超実力派20代女性添乗員

 

K奈

一度、添乗員をあきらめながら、10年ぶりに復帰して、一流の仕事をこなす実力派女性添乗員

 

マスター・ツートン

もはや、N美を弟子として指導する時期は終えている。転職や結婚に向かうなら、それでもいい。でも、この仕事をしている限りは、みんなから信頼されて愛されて欲しい。

 

 

派遣元が吸収合併されて間もない頃だ。新しいオフィスの添乗員エリアのテーブルで、イワ子がじっと何かを眺めていた。近くに行って覗いてみると、ドイツのローテンブルクの地図だった。

 

「どうしたの?」

「いえ、初めてローテンブルク行くのだけど、どうやって歩けば(案内すれば)いいのか考えてて。」

「旅行会社は?」

A社です。」

「ホテルは、分かってるの?」

「いえ。まだです。」

A社のそのツアーの場合は、必ず一度ホテルに入ってからの観光となるからね。出発地点のホテルが分からないのに、地図を見てても仕方ないよ。」

 

僕は、アドバイスを始めた。

 

A社が使ういくつかのホテルのうち、ここなら城壁のすぐそばでしょ?ガルゲン門から城壁に上がって、左に進んでいく。レーダー門を過ぎて、最初の階段で下りると、プレーンラインだから、まずここで写真を撮る。それからマルクト広場に抜ける。ヤコブ教会まで行けば、ホテルまでは一本道で帰れるから、自由行動にしても大丈夫だよ。

こっちのプレーンラインそばのホテルなら、プレーンラインを写真に撮ってから、さっき教えたところから城壁に上がる。時間があったらガルゲン門まで、なかったらレーダー門で下りてマルクト広場に向かう。ヨーロッパで、城壁を歩ける機会ってあまりないから、案内すると喜んでもらえるよ。特に、プレーンラインからガルゲン門までの城壁の上は、旧市街が一番きれいに見えるところだから。小さな街だから、同じ場所を行ったり来たりするよりも、ある程度いろいろなことろを通っていろいろなものを見せたほうが、お客様も得した印象を持つよ。」

 

イワ子は、大きな目でじっと地図を見ながら、僕の説明に聞き入った。この説明で費やした時間は10分ほど。

 

「歴史や観光地の説明は、自分で勉強したほうが効率いいこともあるけど、行ったことがない街の歩き方は、知ってる人に聞いたほうが全然早いよ。今の僕の説明が10分。あのまま一人で考えてたら、1時間くらいかかったと思うよ。これから欧州の添乗がたくさん入ってくると、そのあたりの時間を削ることを考えないと体力持たないからね。オフィスにいるときに、知らないことは、知ってそうな人にどんどん聞いちゃいなよ。」

 

「なるほど・・・。確かにそうですね。」

 

イワ子は、添乗を始めて2年少々だったが、抜群の成績をおさめており、取引先からの信頼も厚かった。だが、不思議なことに欧州添乗は、2年近くになるまで割り当てられずにいた。普通の添乗員なら、半年かそこらで始めるのに。通常は、簡単な欧州ツアーを、ある程度数をこなしてから

南米が割り当てられるが、なぜか彼女は、先に南米添乗を徹底的にこなしながらキャリアを積んだ。理由は、本人も知らされていない。

 

出発前の注意事項や案内については、欧州より南米のほうが、はるかに複雑で難しい。ベテラン添乗員なら(もちろん国にもよるが)、欧州添乗のほうが簡単だと思っている人もいる。だが、すべての観光地やバス移動中にガイドがつく南米に対して、欧州ツアーはガイドがついていないものが多い。それに慣れるまでが、欧州添乗は大変だ。

 

僕がイワ子にこのアドバイスをしたとき、彼女の欧州添乗経験は、まだ2、3回だったと思う。自身で観光案内をした経験は、かなり乏しかったはずだ。悩むのは理解できた。

 

「慣れるまで、欧州添乗の準備は大変だと思う。現地に着いてしまえばガイドがなんとかしてくれる南米とは違う。分からないことは、ラインでもなんでもいい。全部、自分でやろうと思ってると、タイトなスケジュールをこなせないで潰れてしまうよ。気軽になんでも聞いてきていいよ。問題に気づくのは、現地に着いてからということもあるけど、それでもかまわない。不安はなるべく取り除くこと。」

 

イワ子は、それに大きく頷いて、以来、心配事は躊躇なく相談してくるようになった。もっとも、彼女は優秀だったから、頻繁に質問してきたのは最初だけで、そのうちに、質問のラインは殆どなくなった。要領を掴んだのだろう。

 

同じことは、それほど経験がない若手添乗員にレクチャーするたびに言っていたのだが、実際に質問してきたのは、イワ子の他にはK奈(コロナの記録と記憶㉒に登場)、そしてN美くらいのものだった。

 

なんでも聞いてくれればいいのになあ、と思っていたのに何も来ないから、一度だけ、T子に、なぜ質問してこないのか聞いたことがある。返ってきたこたえは、

 

「現地のなにを質問していいか分からないんです。いざ、お客様の案内を始めてからこれを聞いておけばよかったなって、気づくことはあるんですけど。遅いんですよ、気づくのが。」

 

だった。そうか。そういうこともあるのか。T子の場合は、機転が利くところがあるから、なにかあっても、その場で切り抜けてこられたのだろう。機転が利かない人はどうしてるのだろう。

質問をしてくる三人のうち、イワ子とK奈の質問内容は、確かに秀逸だった。誰でも思い付く質問ではないものも多かった。質問するにも能力があるのだなあと、実感したのを覚えている。

 

二人と違い、N美は、「忙しい時に、なにか負担になりそうになったら、なんでも聞いて来い」と言ったら、本当になんでも聞いてきた。この場合の「なんでも」は、本当になんでもだ。一度、資料に目を通して分からないものは、すべて他人に聞くような時期があった。ひところ、あまりにもそれが目に余ったので、Y子さんに、僕が怒られたことがある。

 

「あんたが、甘やかすから、何も自分でやらなくなったし、何も調べなくなった。」

 

そういうつもりもなかったのだが、確かにそう思われても仕方ない状態になっていた。

 

難しかったのは、そこで、N美がきちんと結果を残していたことだ。自分でなにもかもしっかり準備して、結果が今ひとつであったなら、「大丈夫。あなたはいつかきっと報われる。努力を続けてね」と、慰めとも誉めともとれる言葉をかけられる。その状態が続いても、内勤の人たちからは好感を持たれ続けるが、最終的に数字を上げないと、人柄は認められても、添乗員としての評価は得られない。

 

N美のように、「なんでもかんでも甘えやがって」と思われると、内勤スタッフの心証は悪くなるが、結果を出し続けることで、「なんだかんだでツアーをまとめてくる」という印象を与えられる。最終的に評価は得られるのは、なんだかんだでこちらなのだ。N美は、無意識にこの状況を利用していたのかもしれない。無意識というのは、そういう悪知恵が働くタイプではないのだ。

 

だが、イワ子、K奈と比べて、その取り組みの甘さは、ランクで現れた。イワ子はA社のランクで一番上の1、K奈も派遣元に加入してわずかの間に、飛び級を利用して電光石火のスピードで、N美と同じランク3まで上げていた。コロナ禍がなかったら、さらに上になっていただろう。

 

イワ子は、「能力がある。そつなく、完璧にツアーを仕上げてくる。」と評価されていたが、本人はこの評価を嫌った。

「私は、できる限り精一杯準備をして、納得するまで仕事をしてるだけです。現場では、ただただ走り回ってるだけなんです。要領も技術もそんなもの、なにもありません。仕事は好きだけど。」

 

K奈は、以前に別のところにも書いたが、一度添乗員という仕事をしていながら、家業の都合で10年間旅行の仕事を離れた。その後、この業界に戻ってきた。そのため、とてつもなくモチベーションが高い。準備も濃密だ。

「戻れてよかった!この仕事大好き。もう最高っすよ!」

と、そこだけパアッと花々でも咲き始めるかのような勢いで話していた。

 

二人に共通していたのは、強烈なプロ意識と、仕事が好きであるということを自覚していたことだ。

 

N美は・・・N美はどうだったのだろう?あれほどまでにこだわった添乗という仕事に対して、かつてほどの愛はあったのだろうか。

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