マスター・ツートンのちょっと天使な添乗員の話

自称天使の添乗員マスター・ツートンの体験記。旅先の様々な経験、人間模様などを書いていきます。

September 2020

元々の記事に追記しようと思いましたが、なるべく多くの方々の目に触れるように。

この前のN美物語㉟で、ある旅行会社で「優秀添乗員」(実際は別の呼称)が廃止になった話を書きました。その際、顔見知りの読者から、「今後は、添乗員アンケートの書き方を考える。新人で頑張ってるからと言って、甘やかさない。」との意見をいただきました。

いや、そうじゃないんです。そういう問題ではないのです。

どんなに要領が悪くても、汗を飛び散らして頑張ってる若手を見て、それを良いと思ったら、良い評価をあげてください。若手がそれで高評価を得ることは、良いことだと思います。優等生的な言い方をすれば、「一生懸命やれば誠意は伝わる」ということを、そこで学べます。みなさんのそういった温かさ、親心が添乗員を育てるのです。僕もずいぶん育てられました。

この前の日記で書いたのは、「優秀添乗員の称号の根拠」としてはどうだったのかな、ということです。
正直、僕自身はいい思いをしていたから、なくなったのは残念なんですけどね(笑)

そういうわけで、これからも若手をかわいがり、僕のようなおじさん添乗員もご贔屓ください。

連休中の日本各地の観光客数が、軒並み昨年の同時期を上回っている。

国民の中で、これまで抑え込んでいたものが爆発したのだろう。GOTOキャンペーンもあるし。旅行業界の人間としてキャンペーンを支持してきたが、正直、ここまで一気に増えたとなると、少々複雑だ。どうか、感染が広まりませんように。

 

このキャンペーンも、業者の中で格差が出て来てしまうなどの問題があるけれど、僕が気になったのは、それを医療従事者がほとんど利用できていないこと。コロナ禍の最前線に立っている彼らにとって、GOTOトラベルキャンペーンは、どういう存在なんだろう。少なくとも、感染者を減らすものではない政策に対しての憎悪はあるのだろうか。或いは、「本当は使いたい」と思っているのだろうか。

 

いずれにしろ、どんな近場でも彼らが癒せる場所があればいいなあ・・・とは思っているのだが、日本各地で「医療従事者向けキャンペーン」をしている宿泊施設がたくさんあり、これはなにかのタイミングで利用していただきたいと、心から思っている。東京ではホテルニューオータニなどがしている。

 

日本のあらゆる仕事の中で、僕の本業「海外添乗員」は、一番回復が遅い職種のひとつだろう。そして、いよいよ海外旅行市場が立ち直った時、それにご参加いただくお客様の職種で、一番最後になるのが、今の流れでは、医療従事者ではないかと思っている。海外ツアーでも、旅行会社が「医療従事者キャンペーン」を実施するかもしれない。医療の現場で働いている友人や知り合いを思うと、心からそれを願いたくなる。

 

きっと、誰も文句を言わないと思う。

登場人物

 

N美

迷い多き20代女子添乗員

 

マスター・ツートン

自称天使の添乗員だが、この時は、どちらかというと迷える子羊だった。

 

 

「優秀添乗員」の称号廃止は、少なからず、A社で仕事をする添乗員には衝撃を与えた。その称号を得ていた者にとっては、収入の減少を意味していたからだ。

 

ランクとは、違う規定で与えられたこの称号には、お客様評価に基づく根拠があり、お客様への案内でも、それを説明していた。

しかし、お客様にはご理解いただけなかったようだ。

これは、僕個人の考えだが、アンケートで記入するお客様評価は、同じ数値でも、時と場合によってニュアンスが異なる。ある程度経験も実力もある添乗員が、しっかりと仕事をこなせば、当然、高評価を得られる。まさに優秀添乗員だ。

これに対して、経験がなくて要領も得ないのだが、とにもかくにも一生懸命やってる若手添乗員にも高評価がつくことが多い。ツアー参加者には、ご年配の方が多いから、汗を飛び散らしながら頑張っているその姿を、自分の息子や娘、或いは孫に重ね合わせて、将来への期待を込めて、高評価をつけてしまうことがあるらしい。

 

同じ高評価でも、前者と後者ではまったくニュアンスが異なる。前者が「優秀添乗員」となる分には構わないが、後者がなった場合は悲劇だ。経験も実力もなく、頑張るだけが取り柄の、若くてピチピチなお坊ちゃまやお嬢様添乗員が、どんなに走り回ったって、「優秀添乗員同行」とパンフレットに記載されているツアーに参加したお客様にしてみると、

 

「いや・・・頑張ってるのは認めるけど、どこが優秀なの?」

 

となってしまう。また、添乗員が自分で名乗りにくい称号もよくない。自分で言うのもなんだが、僕もA社で優秀添乗員の称号を持っていた。当然、「優秀添乗員同行」と記載されているツアーを割り当てられるのだが、時々お客様に、出発前の挨拶電話で言われるのだ。

 

「この出発日、『優秀添乗員同行』と記載されていたから申し込んだのだけど、期待してますよ!あなた、優秀なんだよね?」

 

ここで「はい。僕は優秀です!」と言えるだろうか?いや、言えない(反語)。

僕は、相当のお調子者だから、自分から「優秀な僕にまかせなさい!」くらいのことを、時に言うことはあるけれど、一度もお会いしたことがないお客様に、しかも挨拶電話で、さすがにそれは言えない。

 

優秀添乗員廃止の背景には、こういった事情があったのではないかと僕は思っている。

この称号廃止の後、しばらくしてA社ではギャラの改定が行われたが、それまでの間、N美のギャラは「優秀添乗員手当」がなくなった分、落ちることになった。それが、わずかではあったが成績の低下につながったことは、本人も認めている。

 

「確かに、私のモチベーションは、あれで落ちましたねえ・・・。」

 

ただでさえ、「いつまで頑張ればいいのですか?」病にかかり、転職や結婚を意識しだしたN美のモチベーションを下げないようにするにはどうすればいいのか。N美だけではない。今後、若手の添乗員の面倒を見る時に、なにかの指針になるものを得るために、僕はいろいろ考えた。

日が明けてしまいました。

ブログ開設以来、一日たりとも欠かさなかった更新が途絶えてしまって無念。

 

でも、こんな時期だからこそやっておきたいことがありまして。いつか、自分のブログをまとめたものを書籍化したいと思い、でも、なかなかそんな作業もできず・・・。

 

そうこうしているうちに、ある出版社のコンテストの広告が出てましてね。応募してみました。

ふだん、ブログは考えながらも書きなぐってるだけだから、いざ、応募しようと思ったら、誤字脱字、漢字の変換間違いがあるわあるわ・・・

 

書籍化を考えたら、ブログとはある程度構成を変えないとおかしな文章になってしまうし、大変でしたよ。

 

でも、すげーやり切った感。400字詰め原稿用紙に換算して600枚の大作(笑)。送られたほうも迷惑であろう。

でも、またいつか、どこかで出してみよう。いくつになっても挑戦は楽しいし、もう少しできる気がするし。

 

あー・・・。でも、毎日更新を逃したのは心残り。こちらは、また今日からからまた頑張ります!

あぶない、あぶない。またもやギリギリ更新になってしまった。
今日は、時間がないから簡単な更新を。
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スラブ系の地域でよくある料理。丸く、もっちりしたパンの中をえぐってスープを入れてある料理。写真はパンのスープボウル。蓋をとってみると・・・
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こんな感じで、スープがたっぷり。お店によってスープの種類は違うけど、キノコ入りクリームスープが大半。この時は、グヤーシュだったかな。
あまり、扱ってるレストランは多くないけど、メニューにあったら試して欲しい。去年、ツアーで出された時は嬉しかったなあ。


この前、フェイスブックの思い出写真に、「こんなの撮れてたっけ!?」というくらい美しい写真が出て来たので、ここで紹介しよう。
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そう。こいつです。ブダペストでドナウ河ナイトクルーズを案内した時のもの。国会議事堂が、ドナウに映えている。9月の夜7時半過ぎということで、まだ暗く成り切っていない。でも、そこはお客さんたちにお伝えする。

「ライトアップした建築物は、本当に暗くなったら、コントラストが強すぎてきれいな写真になりません。これくらいが最高!」

とか言いながら、自分が撮って、みなさんにお見せして撮影を促した覚えがある。ちなみにこれ、一切加工なし。iPhoneてすごい。
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同じような時間に撮った王宮。
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そして鎖橋。ブダペストの夜景というのは、本当に素晴らしい。
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別の船とすれ違った。あちらの船は、遊覧船ではなく、宿泊するクルーズ船。この風景を楽しみながら、船上で一晩過ごすってのも贅沢だ。いつかやってみたい。
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時間がたって、空が暗くなってくる。image
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漆黒の闇に浮かぶ王宮や鎖橋。さっきの濃紺の空に浮かぶものとは、だいぶ雰囲気が違う。
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正面左手に見えるのはマーチャーシュ教会。手前から右に伸びている城塞が漁夫の砦。ブダ地区のシンボル。教会の右側には、ライトアップしていない立派な建物があるが、ヒルトンホテル。ツアーでも泊まれたら幸運だ。旧市街のど真ん中だから、散策しながらペスト地区の夜景を楽しめる。夜景の見えるお部屋に泊まれたら、それはそれは超のつく幸運。
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クルーズ終了直前の国会議事堂。往路は遠くを航行し、帰りは目の前を通る。ここまで近づいてくれれば、ライトアップの撮影もばっちりだ。
ただでさえ、その街並みの美しさで大好評なブダペスト。このナイトクルーズで、みんな大好きになる。

ああ・・・いいなあ、ブダペスト。

登場人物

 

N美

新しい生活を求めて頑張る20代女性添乗員

 

マスター・ツートン

どんな風に、転職しようとしているN美とコミュニケーションをとればいいのか悩んでいる天使の添乗員

 

 

 イワ子からの助言を受けた僕は、慎重に温かくN美を見守ることにした。N美も、僕と会う度に転職の話をしていたわけではないが、度々

 

「いつも日本にいられる仕事をしたい。」

 

と言うようになった。転職については、この頃に一度アドバイスをしている。

 

「慎重にね。それと、転職したその時点では給料下がるからね。今の給料を維持しようとしたら、添乗員に留まるしかないから、そのつもりでね。」

 

「そうですかね?」

 

飲み会で喧嘩したことを除けば、師弟関係を結んで以来、初めてN美は反抗的な顔を僕に見せた。そこには、添乗員として結果を残し続けている意地というか、一人前の社会人としてのプライドが垣間見えた。

 

ただ、僕も意地悪でそんなことを言ったわけではない。N美は、添乗員として、ある程度高いところまで上りつめた。当時、20代半ばを過ぎたばかりである彼女は、おそらく大半の大学の同級生より、いい給料をもらっていたと思う。

添乗員は、現場責任者だ。N美が主に仕事をしているA社は、「添乗員は、企画を現場で形にする立場」ということで、非常に重んじている。また、多くのお客様がよく口にする。

 

「旅行は、本当に添乗員次第。ツアーは好みで選べても、添乗員を選ぶことはできない。せっかくいいツアーを選んだつもりが、添乗員の仕切りが悪いせいで、気分最悪で帰ったこともある。そこまで言うなら、自分で旅行すればいいと言われるかもしれないが、それができないからツアーに参加しいている。大枚をはたいて参加しているのだから、添乗員に質を求めるのは我儘ではないと思っている。だから、添乗員がどんな人かわかるまでは緊張する。」

 

そんな背景あるから、ランクが7つあるうち上位3つ目まで来ると、それなりのギャラが出る。(普通の会社員と違って社会保障が薄いのも、そこには関係しているかもしれない。)そのかわり、それなりの結果が求められる。なにかツアーに問題があった時は、東京オフィスも現地の手配会社も力になってくれるが、適切な判断ができないと、それなりの責任を追及される。

 

基本、旅行中のお客様は笑顔だから、この責任の重さは実感しにくいのだが、N美はそういう環境でランク3を勝ち取り、それなりのギャラを手にしたのだ。

20代後半になったばかりのN美が転職したとして、どんな小さなものでも、現場ひとつまかされるほどの責任と仕事を与えられることはないだろう。やたら、ギャラの良い仕事は確かにある。だが、そういったものは、金融、法律、語学などの細かい知識やスキル、そして資格を持っていることを求められるが、僕が聞いた限り、N美にそういったものはなかった。

 

また、ふだん、海外にいることが多い添乗員が、日本にずっといることで、重くのしかかるのが生活費だ。添乗員生活の繁忙期だと、月に10日間くらいしか日本にいない。すると、本当に生活費がかからない。家族を養う立場であるなら話は別だが、独身であれば文字通り独身貴族だ。

 

これが、ひと月丸々日本で過ごすとなると、単純計算で食費が三倍。光熱費もそのぶんかかる。つまり、転職して日本でずっと生活する場合、添乗員時と同じ収入を得ても、生活レベルは落ちる。これが収入減で新しい生活に挑むことになると、丸っきり生活が変わってしまう。

 

減った年収は、5年、10年単位で回収することを計算して、仕事を変えればいいのだが、これを前もって考慮していなかったために、新しい生活に適応できず、(多くの場合、金銭感覚をがなおせない)簡単に添乗員に戻って来る者がけっこう多い。どうせ仕事を変えるなら、すっきり見送ってあげて、二度と添乗員に戻らずに済むようにしてあげたい。この時はそう思っていたが、なかなか難しい問題ではあった。

 

2017年は、同僚の添乗員仲間にとって、大きな出来事があった。派遣元が身売りをしたのだ。社長が、添乗員ひとりひとりに丁寧な対応をしたため、大事には至らず、全員が新しい派遣元に移籍した。元々の派遣元が、新しいところでは、ひとつの部署として扱われて契約内容も変わらなかったので、混乱もなかった。

 

ただ、僕らが愛したスカイツリーと銀座の街を眺められる、ドラマのワンシーンのようなオフィスを失うことにはなった。

 

いろいろある中で、N美の転職活動は、うまくいっていなかったが、そこは大人になっていたのだろう。添乗の仕事は、一本一本、丁寧にこなしていた。

 

そして、新しいオフィスに移ってから間もなく、N美のモチベーションを奪う出来事が起こった。A社が、「優秀添乗員制度」を廃止したのだ。 

最近、ちょっとやってることがあって、「N美物語」の更新が難しくなっている。構成はできてるんだけど、文章を書こうとすると、連載物は時間がかかるから、なかなか今は難しい。そこで、世界の風景やらなにやらで、ブログを毎日更新と言う目標を、今のところ果たしているのだけど、いよいよ今日はネタ切れか・・・と思ったら、

 

夕方になって来ましたよ。ネタが。

 

ネットのズームだけど、ある旅行会社の海外旅行イベントに参加してもらえないかと、オファーがあった。

もちろん、即、受けた。

 

安いギャラで、働いた分は、支援金から引かれてしまう。今回の条件だと、実は引かれてしまう金額のほうが大きくて損をしてしまうのだけど、業界が復活した時のことを考えたら、回収できるどころか、絶対にプラスになると思う。

 

旅行に行けなくても、旅行の話を聞きたいお客様は多いと思うし、未来の旅行を夢見る方々のために、精一杯のパフォーマンスをお見せしよう。

 

しばらく人前で話してないからなー。練習しなきゃ。

エジプトというと、ギザのミラミッドやルクソールのカルナック神殿などの広大な遺跡が売り物だが、ナイル川クルーズ時の風景もなんとも言えない。
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クルーズ船が何隻も同時に航行する。古代も帆船がこんな風に行き来していたのだろう。

エジプトの地図や航空写真を見ると、大半が砂漠。ナイル川沿いだけ緑地帯になっており、古代からそこに人口が集中している。ナイル川の水で農業を営み、物を運び栄えてきた。今もそれは変わらない。それを考えると、地図の中のナイルは、一本の命綱のように見える。隣国リビアが、エジプトの倍の面積を持ちながら、まったく川がないおかげで人口は500万。エジプトは7000万。ナイルが果たしている役割の大きさが分かる。
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このようにボートに乗った漁師がいて、家畜がいて、畑があり、image
時々遺跡もある。
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このような水門を通過するのは、楽しい体験になるだろう。
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緑地帯のすぐ背後は砂漠。ナイルの水が届く場所にだけ、生命に満ち溢れている。
ナイル川は古代遺跡ではない。今でも、エジプトの人々の生活を支えている。あ、それとも、現代のナイルの風景も古代から続く遺跡の一部なのか?

なんて思いながら、今回のエジプトには、ピラミッドもカルナック神殿もアブシンベルも載せないでおこう。遺跡は素晴らしい。でも、クルーズ中、一番目にするのはこのナイルの風景だ。
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この前帰省して、入院している母親の面会に行けた話を書いたのだけど、その病院は、また面会禁止になってしまった。どうしてかな?と思って、電話で問い合わせたら、

 

「足利市内で感染者が増えたからです。」

 

という答が最初に返ってきた。さらに詳しく言うと、隣の太田市ではクラスターが発生して、感染者が急増したらしい。足利と太田は県境を挟んで人の行き来が多く、入院患者の家族の中には太田在住の方もいらっしゃる。リスクを少しでも避けるため、再び面会禁止にしたということだった。でも、このあたりの感染者の増加が目立ち始めたのは今じゃない。どちらかというと、7月の中旬から8月だったような。

 

「実は、ツートンさんが面会された日(8/18)は、もう禁止になってたんですよ。ただ、前もって予約をされた方だけは例外で対応したんです。予約そのものは8月の頭には受けないようにしましたからね。」

 

なるほど。納得。7月の下旬に、いろいろ調整してくれた弟や病院に改めて感謝した。考え方を変えれば、それほどきっちり対応してくれる病院は安心だ。

 

携帯を嫌って持たない母とは、あまり連絡を取れないが、たまに病院が写真を撮って見せてくれる。とりあえず元気そうだから安心している。

 

旅行業は、国内ツアーがある程度動きだしている。派遣元も、海外添乗員に国内研修をさせて、仕事の準備をさせているようだ。「GOTOキャンペーン」が東京でも適用されるから、これからさらに動きを見せるのだろう。今は、支援金の金額が少ない人から優先されるので、今のところ僕はおとなしくしている。(支援金については、派遣元によってかなり条件が違うらしい)

旅行業以外の仕事の斡旋も増えてきた。社会人生活を、ほぼ旅行業一筋で生きて来た自分には、こなせそうもないものが多く、採用されるにも、年齢的に苦労しそうだ。

 

いやー。どうなることやら。とりあえず、いろいろ書くか。

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