マスター・ツートンのちょっと天使な添乗員の話

自称天使の添乗員マスター・ツートンの体験記。旅先の様々な経験、人間模様などを書いていきます。

October 2020

1025日。初めて国内添乗を経験した。

朝早く集合して、山梨県への日帰りバスの旅。お客様からお土産の注文を承り、数と受け取り場所を確認。5種類も品数があり、受け取り場所が3か所もあるから段取りが大変。集金も支払いもある。慣れれば大したことないのだろうけど、商品を間違えたら大変だし、午前中は、お土産ばかり気になった。

 

お昼は松茸定食。遠くからいい香りが漂ってくる。胸をときめかせて、ランチ会場に案内された。お客様38人分の松茸料理。いや、ここまでくると、「香りが漂う」というよりも「香りが充満」していた。すごい。

「添乗員さんはこちらです。」

別室に通されてみると、とても美味しそうなカレーライスが用意されていた。そうか。国内の仕事は、お客様と食べるものが違うのか。がっかり感が顔に出ていたのか、係の人のフォローが入る。

「ナポリタンスパゲティーもありますよ!」

確かにおいしそうだった。松茸ではないキノコも入っていた。

 

38人という人数を数えるのも、なかなか大変だ。時々海外ツアーでも、時々ある人数だが、これほど人数確認は苦労しない。海外にいけば、周りはみんな外国人だから(正確には日本人の僕らが外国人)、簡単に見分けがつく。ところがどっこい、日本では、特にコロナ禍の現在では、ほぼすべての観光客が日本人だ。しかも、参加者全員がマスクをされている。他のグループの人たちとの見分けなど、一日でつくものか。もちろん一応確認はする。

「えーと、私のグループのお客様でしょうか?」

「はい!」

と、自信満々でこたえておきながら、実は違うということが2回もあった。天然な方がいらっしゃるのは、海外ツアーでも国内ツアーでも同じらしい。

 

日差しが強い中、サングラスをみなさんされようものなら、一巻の終わりだ。マスクとサングラス。さらに帽子。これで集団テロリストのコスプレチームの出来上がり。もはや、なにがなんだか分からない。手掛かりは、ツアーバッジとその色のみ。海外ツアーでは、あまり気にしないバッジが、国内ツアーでは、とても大切なものだった。

 

そんな中、あっという間に1日が過ぎた。とにかくテンポが速い速い。掴んだと思った時は、帰りのバスの中だった。そんな中、最後の挨拶はきちんとした。

 

「このような状況の中、ツアーにご参加いただきまして、誠にありがとうございます。私は、今年の3月まで、海外の添乗のみをしていました。国内のツアーは、今月に初めて、まだほんの数本しかこなしていません(実は初めて。この仕事、初めてとはなかなか言いにくい)。GOTOキャンペーンが始まってから、国内旅行が再開したとはいえ、まさか、海外専門で仕事をしていた自分に声がかかるとは思いませんでした。その機会が得られたのは、皆様が、こうして旅行をしてくださってるからです。おかげで、私もこうして旅行の仕事の現場に、思っていたよりも、遥かに早く復帰することができました。これにつきまして、この場にいらっしゃる皆様はもちろん、すべての旅行をされている方々に厚くお礼申し上げます。」

 

現段階で、未熟者の国内添乗員が言うセリフではないかもしれないが、感謝だけは伝えたかった。

 

今は、栃木の那須にいる。初めての宿泊ツアー。今回は、バスガイドつきなので、それなりに落ち着いている。数をこなせば、慣れてくるのだろう。なにもせずに、思考が悪いことばかりに向かっていくよりはマシだ。

コロナの収束は、僕一人の力ではどうしようもない。でも、僕個人のコロナ禍は、工夫で和らげることができるということを、今さら知った。

 

かっこつけてばかりいないで、本音も書いておこう。国内添乗の仕事をすればするほど、勉強しようとすればするほど、海外が恋しい。海外添乗が恋しい。

 

連載中の「史上最悪の盗難」は、このツアーが終わるまでお預け。この連載は、いろいろ思い出して、これでも神経を削って書いている。とても添乗中にはできない。特に、これからの部分は。

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松茸は残念だったけど、見たものは美しかった。展望台からの富士山と忍野八海。

アップが遅れたが、1022日に、とある旅行会社のオンラインイベントの本番に臨んだ。

ネットで予約を募り、それなりに予約が入った北欧イベント。僕は、この取引先では、北欧の仕事をよくいただいていたせいか、この日に担当したのも北欧だった。お客さんの姿が、まったく見えず、ただただ話すイベントは、ふだんとは違った意味で緊張したけれど、無事、言いたいことはすべて申し上げて終えることができた。

 

来年分のツアーにお申し込みいただけた場合には、特典があるなどの説明が担当者からされるなど、来春以降のツアーをやる気満々と見せて、現時点での外務省の判断、現地の感染者数情報などもお知らせして、今の状況では行けないこともきちんと説明している。

 

そういった意味では、旅行のお誘いイベントというよりも、「その時が来たら、いつでも準備ができているよ!」という旅行会社のアピールだった。

でも、不思議だ。北欧の話を前向きにしていたら、なんだか、その時がすぐにでも来るのではないかという気持ちになってきた。そんな雰囲気は、お客様にも伝わったのかもしれない。イベントが終わってすぐに、申込者があった。「行きたい!」という気持ちは、お客様の中でも消えてはいない。少ない申し込みだったけど、それを確認した時、その場に居合わせた僕らの心は、強く打たれた。

 

とはいえ、厳しい現実は変わらない。僕の主戦場の欧州では、第二波が深刻だ。イタリアやスペインでは、再びロックダウンの可能性が囁かれ、フランスでは、コロナによる死者が、たった1日で500人を超えた。日本でも、北海道の状況が深刻になりつつある。GOTOキャンペーンなどで盛り上がる一方で、しばらく、こういう状況が続くのだろうか。

 

11月には、同じ内容のイベントが、もう一度行われる。幸い、国内添乗の仕事をある程度こなすことで、不安が募る一方で、メンタル面は、なんとか前向きに維持できそうだ。今、海外旅行ができなくても、海外に思いを馳せるのは自由だ。そんな夢を持ち続けられるようなイベントにできるよう、またトーク内容を練ろう。

 

翌朝、日曜日の朝は、とても爽やかに目が覚めた。前の晩、ガイドさんと別れる間際に、急に疲れ感じた僕は、部屋に帰って、シャワーを浴びてからすぐに眠りに落ちていた。

すっきりとした頭で、僕は帰国までのことをいろいろ考えた。なにがなんでも絶対に必要だったとはいえ、昨日手に入れたのは一種類の書類だけだ。

 

極度に疲れているときは、多少感情的になり、その場で一番強い印象のものばかりが目に入ってくる。昨日は、書類を作成した時に、最後まで待ってくれていたお客さんのシルエットと、ガイドさんをとてもよく労ってくれた一部のお客さんの姿だ。

しかし、全員が同じテンションだったわけではない。冷静な頭でよく思い出してみると、疲れた姿で、にっこり笑っただけの方もいらした。チップを差し上げたり、カップ麺を差し上げたお客様は、比較的被害が少ない方々だった。重い被害のお客様の大半、少なくともパスポート盗難に遭われた方々は、歓喜の輪には加わっていなかった。パスポートがなければ帰国はできないのだから、まだ完全に喜べないのは当然だ。僕は、気を引き締めた。まだ終わっていない。本当に大切なのはこれからだ。

 

一歩進んで、メンタル面で前向きになれたのは確かだった。しかも、この日は大快晴。プロヴァンスを観光して、一気に最終宿泊地のニースに向かう行程だったのだが、観光中は、努めて楽しく振舞うように努力した。

そんな僕の様子を見て、お客様も、いろいろためこんだものを言い易くなったのかもしれない。様々な思いを僕に伝えてきた。

 

朝の出発直前、パスポートを盗られた3名様のうち、2名が早々と集合場所に現れた。この方々は、事件後、常に同じテーブルで食事をされていた。同じようなトラブルに見舞われたというだけでなく、純粋に気が合う部分もあったのだろう。この時は、僕になにか仰りたいことがあったようで、二人お揃いでお見えになった。朝のいつもの挨拶をして、これまでのことを労ってくださった後、最初に「なにかしらの補償」を会社に求めたいと、最初に主張されていたお客様が口を開いた。

「よくやってくださってるとは思いますが、ツートンさんは、今まで恵まれ過ぎてたんじゃないですか?私も若い時に、接待旅行で添乗員のようなことをやりましたけどね、なにかトラブルがあった時は、本社や旅行会社に連絡を頻繁にとって、大騒ぎして、もっといろいろ引き出しましたよ。正直、やり方が甘いんじゃないかなあ。」

そう仰る気持ちは、よく理解できる。そういう対応をよしとする旅行会社も確かにある。有無を言わせず、お金とサービスで素早く解決する方法だ。今回の旅行会社は、比較的親切だが、そういう対応はとらない。被害の重さによって冷静に対応する。ある程度の対応は、現場に権限が与えられるが、本格的な対応は帰国後になる。ただ、これをご質問いただいた方にご理解いただくのは難しい。どうしようかなあ・・・と思っていたら、もう一人の方が、代わりにこたえてくださった。

「いや、それは違うでしょう。接待でも、相手はひとつの会社でしょう?その場合は、お客様も一枚岩だ。今回のツアー参加者は、同じツアーに参加されてるだけで、完全に他人だもの。同じ対応でみんが納得するとは限りませんよ。会社としても、そこは慎重になりますよ。ツートンさんには関係ない。」

僕が言いたいのに、言えないことを仰ってくださった。しかし、そこで終わることなく、その方が続けた。

「私が言いたいのはね、同じ会社の対応なんだけど、おたくの旅行会社の社員や役員は、こういった時には、休日とはいえ、出勤しないのですか?私が現役の時には、すぐに集合したものですがね。」

これについては、最初に質問された方が、こたえてくださった。

「今どきは、一度に数人で会話できる携帯のサービスやらなにやらありましてね、それで済ませたほうが手っ取り早いのですよ。会社へ出向く時間も省けますからね。むしろ、会社に集まらないほうが、迅速に結論を出せます。」

「そうですか。なるほど。私の頃とは時代が違うのか。」

不思議な感じだった。お二人とも、僕に物申しにいらしたのに、質問にこたえたのは、僕ではなく「物申したい二人」になってしまった。

「少々文句を言いたくて来たのだが、自分たちで解決できました。でも、私たちの気持ちもご理解ください。最後までよろしくお願いしますよ。」

お二人は、少々照れくさそうに、複雑な笑顔で僕のそばを離れていった。

 

続いて、もう一人のパスポートを紛失された男性客が、奥様に付き添われていらした。

「あの・・・ツートンさん、すみません・・・。」

「どうかされましたか?」

「・・・・・・・・・。」

「早く言いなさいよ!」

奥様がきつく促した。なにか、新たなトラブルの発生だろうか。

「仰ってください。ご心配なさらずに。」

「いえ・・・それが・・・パスポートがあったんです。」

「・・・・・・・え?」

「盗られたカバンに入れてたつもりだったのですが、初日に来てたジャケットの内ポケットに入れてたみたいなんです。このジャケットなんですけどね。今日、着てみたら胸になにか感じまして・・・パスポートでした。申し訳ありません。」

「いえ!良かったじゃないですか!申請に行く前だから、なにも問題ありませんよ。」

「ありがとうございます。・・・でも、あとのお二人には、なんだか言い難くて。」

「そうですか?」

「ええ。毎回一緒に食事してたし。こう・・・なんか絆が生まれつつあったので。」

「そんなパスポートなくした人同士の絆なんて、どうでもいいわよ、そんなダメ絆。」

奥様が、言い放った。でも、その気まずさは理解できた。

「私が、それとなくお伝えしておきましょうか?」

「いえ!そんなことを添乗員さんにしていただくわけにはいきません。自分で話します!」

そんな、たいそうなことではないと思ったが、どうしても、本人が自分で仰るというので、おまかせすることにした。パスポートの扱いに関しては、奥様がかなり腹を立てておられたようで、

「ほんっと、馬鹿な夫で申し訳ありません。あんなことがないように、これからは、私一人でツアーに参加します。もうあの人は連れてきません!」

と、男性の僕が、ちょっと傷つく決意表明をされて去っていた。

 

出発して、コルドという街を観光している時、少し自由行動をお取りした。この頃になると、すっかり気持ちを切り替えて、観光に集中されるお客様が半分くらいになっていたが、こんな時は、気持ちが回復していないお客様とのコミュニケーションを大切にする。すると、ある女性客がそれを察してか、話してくれた。

「ツートンさんも、少しは余裕が出てきたみたいだから、話そうかなあと思って。昨日までの様子だと、ちょっと言い難かったのよね。」

ブランドのコートを盗られた方の一人だ。

「お気に入りのブランドと言っても、毛皮とかじゃないから、そんな価値はないのよ。毛皮のものを買った時に、『これなら旅行にも着ていけるな。なにかあってもショックじゃないな。』と思って買ったのね。私、いつもこの時期から冬にかけて旅行するから、旅用に一着買ったの。安くても、このブランドのものは丈夫だし、体になじんでくるし、着心地よかったの。あれを着て、いろいろなところに行ったのよ。もう、思い出のひとつね。値段の問題じゃないの。すごいショック。」

涙で目が潤んでいた。

「とりあえず、気持ちだけでもお伝えしたくて。私、貴重品は自分で管理してるから、きっとなにを言われても、あのコートはバスに置いていったと思うの。だから、それについては、あなたにも会社にも責任を追及するつもりはありません。でも、せめて話だけは聞いてほしくて。こんないい日の観光の時にごめんなさい。でも、ありがとう。でも、あなたが、バスで仰ったとおりね。貴重品管理って言うけれど、失っていいものなんて、何もないわね。」

 

いろいろな思いが次々に出てきた。僕は、感じ始めていた。このツアーは、辿り着けないのかしれないなと。

 

次回。

駆け寄ってきたのは、マダムの4人組だった。そして、全員がガイドさんに向かっていった。

「おつかれさま!こんな時間まで本当にありがとう。」

「あなた、おうちはアルルなんでしょ?帰れるの?」

彼女を優しく労う声が、次々と聞かれた。ちょっと前までお客さんを悪く言っていたガイドさんの顔は、少し困惑しているように見える。僕は、その場にいたお客さんを目で数えた。18人。お帰りになったのは2人だけだった。

「なんだか、あなたたちに悪くて帰れなかったんだよ。親子が一組お帰りになりましたけどね。お母さんが高齢だから仕方ないよ。」

年配夫婦のご主人が教えてくれた。他の方々も、疲れが顔に出てはいたが、にっこりととほほ笑んでくれた。

4人組は、まだガイドさんを元気づけるように、いろいろ話しかけていた。

「あれ?あなたその顔・・・(僕をじろっと見て)ひょっとしてあの人に泣かされたの?」

「ええっ・・・・!?」←ツートンの心の叫び

「いえ、そんなこと・・・。」

「ごめんねえ、あの人も頑張ってるんだけど、フランス語できないみたいで、フランスにいるくせにさあ。あなたにご苦労けちゃったわね。」

そう言ってから、ズンズン僕に近づいてきた。

「え・・・?・・・な・・・泣かしてませんよ!!」←本気で動揺している

「分かってるわよ。冗談よ!」

マダムは、そういって僕の胸をバシッと叩いて、今度は小声で尋ねてきた。

「ねえ、こういう時って、チップあげなくていいの?」

「旅行代金に含まれてますからね。そこから払ってるから、お客様から出していただく必要はありません。今回のように、余計に働いていただいた分も、きちんと払ってますよ。」

「あんたが自腹切ってるんじゃないの?」

「それは絶対にありません。」

「あ、そう。・・・・・・・でも、差し上げてもいいのよね。」

「それは構いませんよ。」

「ありがとう。」

彼女は、サッと仲間のところに戻っていって、「差し上げていいって。」と言うと、別の方が、白い封筒をガイドさんに差し出した。彼女は驚いて、最初は遠慮した。正直、あまりスマートなチップの渡し方ではない。注目されている中で、お金と分かるものを手渡そうとしているのだから。困っているガイドさんが、僕と目を合わせてきたので、「受け取って」という合図をして、ようやく落ち着いた。

別の数人が、僕のところにやってきて尋ねてきた。

「チップあげないとだめなの?」

「会社で払ってるから必要ありません。みなさんの旅行代金に含まれてます。」

「失礼だけど、あの方たちは出過ぎなんじゃないの?チップって、相場があるって、いつか別の添乗員さんが言ってたよ。」

「相場はあります。確かに普通の観光で、『好感が持てた』とか、『若いのに一生懸命やってた』くらいの理由で、お客様から、むやみに差し上げるべきではでないと思います。でも、今回は、場合が場合ですから。盗難が原因の警察レポート作成で、しかも22人分ですよ。それもこの時間まで。このケースでは、「差し上げたい」というお客様をお止めすることはしません。ここまでくると、お客様の気持ちの問題だし、下手に止めたらガイドの収入機会を奪うことになりますから。」

「なるほどね。」

「差し上げるべきということではないですよ。」

僕は、慌てて付け加えた。

「ふだんの観光で、お客様に差し上げないように案内しているのは、相場の高騰を防ぐためでもあるのです。今回は、それには当たりません。」

「分かった、分かった。それで、受け取ってもらうにはどうすればいいかな?」

「え?」

「あの4人みたいに、封筒なんかで渡されたら受取りにくいでしょう。なんかうまいやり方ない?」

「私は、お金をこうやって折りたたみます。こちらの人は、最後お別れの時に握手しますから、その時に右手にしのばせておいて、渡すようにしています。」

僕は、自分の10ユーロ札を使って実演して見せた。

「あなた、現地の案内人とお別れする時、いつも右手にはお金持ってるの?いつもそうやって渡してるのか。いつ渡してるんだろうって思ってたけど、そうやってるのかあ・・・。」

添乗員である僕にとっては常識だが、そのお客様には、ちょっとした発見だったようだ。

「かっこいいねえ、ツートンさん。」

と、褒めたのか、からかったのか分からない言葉を僕にかけて、その方を含めた数人が、ガイドさんのところに、お札入りの握手を求めにいった。

 

そんなこんなで、いよいよ警察の外に出ようとした時、先に帰られた親子のうち、息子さんが戻ってきた。奥さんと死別して、子供は親の元を離れ、老いた母親をたまに旅行に連れていくという、孝行息子だ。今回のエピソードの④で、「私はそこまで(補償)を求めません」と、バスの中で発言された方だ。

「すみません、ツートンさん、どうしても母が心配だったので、先に連れて帰りました。」

「当然です。お気遣いなく。無事に書類も出来上がりましたし、ご心配なさらないでください。」

「ありがとうございます。それで、これらをガイドさんに差し上げたくて。」

白いレジ袋の中には、カップ麺が5つと、サトウのごはんが3つ入っていた。

「え――!!!!いいんですか?こんな貴重なものを!?」

これまで、チップに関しては、いちいち遠慮しながら受け取っていたガイドさんだが、この袋だけは、興奮しながら積極的に受け取り、最初からがっちり握りしめた。「貴重な」ものというのは、彼女にとって大袈裟な表現ではない。パリやマルセイユなどの都会はともかく、アルルやアビニョンなどでは、日本のカップ麺などは、なかなか手に入らない。あったとしても、かなり高価だ。カップヌードルなら日本で200円弱のものが、500円以上することもある。とても買う気にはなれない。しかし、どんなに外国暮らしに慣れても、母国の味は忘れないものだ。ドイツのあるガイドさんが、お客様からカップ麺をいただいて喜んでいたのを思い出す。「5ユーロのチップより、このカップ麺1つのほうが、遥かに嬉しい」と。

最初にチップを差し上げたマダムなお客様がこっそり僕に言った。

「荷物も多くなったし、タクシーでお帰りになるように言って。それくらいのチップは渡したつもりよ。」

 

こうして、ある方はチップで、ある方は日本食で、ある方は丁寧なお礼を彼女に申し上げて、きちんと感謝の気持ちを伝えたのだった。

お客様をホテルに入れた後、僕は、ガイドさんを駅前のタクシー乗り場に見送りに行った。一仕事終えてほっとしたのか、お互い無言で歩いていたが、気づくと彼女が眉間にしわを寄せて悲しそうな顔をしていた。

「あー・・・どうしよう。私、あんなにお客さんのことを悪く言っていたのに、こんなによくしてもらっちゃった・・・。」

彼女は、悪口を言うのにに向かない人なのかもしれない。対象が自分が思ったよりもいい人であったなら、「ああ、実はいい人だったんだ」で済むと思うのだが、彼女の場合は、そうもいかないようだ。「なにもそこまで」というくらいの反省をしていた。

「嫌なことがあってから、最近は、なにかあると、すぐそこに結び付けていようとしていました。私って最低。ほんと、初心に帰りましたよ。こんなにチップもらったのも初めて。」

「よかったじゃん。お金の問題じゃなくてさ、みなさん待っててくれて。心が洗われたでしょ?()

「うん。本当に。最終的には、嬉しくなしました。最初は、あんなことばかり思ってた自分が恥ずかしいだけだったけど。」

「そういえば、みなさん、タクシーで帰って欲しいって言ってたよ。」

「はい。そうします。・・・あ、もうすぐそこだから、安心してお帰りください。ツートンさんも、明日の朝早いんだし。」

本来なら、彼女がタクシーに乗り込んでから挨拶をするところだが、確かに疲れていた。翌日がオフである彼女と違って、僕には帰国まで、いつになく緊張感に包まれた残りの日程が待っている。タクシー乗り場が近づいたところで、僕は失礼させていただいた。

 

ホテルに帰ってから、彼女から電話がかかってきたのは、それから一時間後。僕が、東京の担当者にレポートを送信してすぐだった。

「着きましたか?」

「いえ、まだです。なんだか、お礼を言い足りない気がして。こんなによくしていただいたのは、ツートンさんのおかげです。ありがとうございます。最後にそれだけ言いたくて。」
「いえいえ。とんでもない。こちらこそ、本当に遅くまでありがとうございます。」

彼女の周辺に聞こえる音が、どうも変だ。どう聞いてもタクシーに乗りながらのそれではない。

「タクシー乗らなかったんですか?」

「はい。結局列車に乗りました。なんか、もったいなくなっちゃって。明日は、完全に休みだから。家族でこのお金を使って外食でもしようかと。」

「え・・・?」

「実は、今日の仕事も午前中だけの予定だったから、ランチは、家族みんなでゆっくりとる予定だったんです。それが、この緊急事態でなくなってしまって・・・。子供は、9歳と6歳なのに、『ママ大丈夫だよ!』って電話で励ましてくれたから、そのご褒美で。」

「ご主人は?」

「タクシーで帰っておいでよ、って言ってくれたのですが、さっきのことを話したら、『それはいい考えだね。じゃあ、マルセイユなんて経由しないで、手前の駅で降りて。そこまで迎えにいくから』と、言ってくれました。」

「優しいなあ。」

「そうでしょう?優しいんですよ。だからフランスに嫁入りしてしまいました。」

「いえ、ガイドさんが優しいなって。」

「私ですか!?」

「うん。僕なら、そこまで思い付かない。疲れ切って、すぐにタクシーに乗って帰る。」

「疲れてるんですけどね。今日の仕事は、家族の理解があったからこそできたんですよ。さっきのご褒美は、家族みんなのものですから。」

なんて素敵な考え方なのだろう。なんて家族思いなんだろう。彼女と同年代の日本人男性は、いったいなにをしていたのだろうか。こんな素晴らしい女性を、フランスにまで逃してしまうなんて。

 

この日の窮地は、彼女のおかげで乗り切れたのだと、あらためて実感した夜だった。

「殺す?それは穏やかじゃないですね。なぜですか?」

愚痴の会話の中でと違って、「殺したい」って文字にすると過激だ。この文章を書くときに、そのまま使うか迷った。でも、彼女の怒りを読み手に伝える表現が他に見つからなかったから、そのまま使うことにした。

「最初から、添乗員とお客さんの関係が、うまくいっていないグループだったと思うんです。添乗員に対して、お客さんたちは冷ややかだったし。それで、アビニョンを午前中に観光して、移動する前だったんですけど、短い自由行動をとって集合することにしたんです。私は、わかりやすいから市庁舎の前って言おうとしたのだけど、そうしたら、添乗員が『直接駐車場にしよう。』って提案してきたんです。」

何回か往復すれば簡単ではあるが、初めての訪問で集合する場所として、少々無理があるところだった。

「それで、やっぱり来れないお客さんがいるわけですよ。たぶん、間違えてこっちに行った人がいると思って探してみたら、思った通りいたんです。5、6人だったかな。全員私が見つけました。30人くらいの中の5、6人ですよ!?」

「見つかったなら、いいんじゃないの?」

「問題はその後なんです。添乗員が、自分が集合場所を駐車場にしたくせに、全員揃ったところで、私を怒鳴りつけたんですよ。『私は旧市街の中で集合しようとしたのに、あなたが駐車場にしろと言った!!時間をロスした!!どうしてくれるんだ!』って。」

「うそ・・・。」

「本当ですよ。最初は、まあ、この人にも立場があるし、私は、そこでお別れだったから『ちょっとくらい我慢してやるか』って思ってたんです。なんて狡い人なんだんだろうとは思っいました。しかも、いやらしいのは・・・ほんとムカついたんだけど、お客さんが全員バスに乗った後、私を他の方から見えないところに呼んでね・・・」

一度、話を止めたガイドさんは、大きく深呼吸して、怒りをため込んだように表情を変えた。

「掌返して謝ってきたんです。『ごめんね、ごめんね。お客さんの手前、私が信用を失うわけにいかないから・・・ほら、あなたはここで終わりだけど、私は日本に帰るまでお客さんと一緒だから。ほんとにごめんね。お詫びにチップ足しておくから。』って。」

「本当の話なの?」

「本当ですよ。しかも、チップ足しておくって、いくらだと思います?たったの5ユーロですよ。どケチな女添乗員ですよ。お金の問題ではないけど、自分のミスを他人になすりつけておいて、しかも散々怒鳴っておいて・・・。一言二言ではないですよ。しばらくの間叱責されて、そのうえ謝罪までさせられて・・・。」

「それは災難でしたね。同じ添乗員として謝るよ。」

「まだ話は終わってないのです。」

「お別れしたのに?」

「はい。そのあと、まさかの帰国後のクレームですよ。結局ツアーがうまくいかなかったみたいなんです。特にアビニョンでのことがアンケートに書かれていたみたいです。お客様の中にも分かっている人はいたみたいで、『添乗員は何もかもガイドのせいにした』って、何人かが書いていたらしいんですね。それに対して、あの女添乗員は、『ガイドの仕切りが悪かったのに、お客様に謝りもしない』というように言い訳したらしいです。旅行会社の人が、それを手配会社にクレームとしてあげて、私に調査が来たってわけですよ。ひどくないですか?」

「それはひどい。圧倒的にひどい。でも、弁解できたんでしょ?」

「もちろん。たったの5ユーロの追加チップのことまで全部話しましたよ。ただ、注意もされました。そういうことがあったら、すぐに報告しろって。どうしてもこちら(現地の手配会社とガイド)は、日本から仕事をもらってる立場だから弱い。先にクレームをあげておかないと、『そんなことがあったのなら、なぜ先に報告しないのか』ってことになるからと。」

「うん。そうかもね。」

「だから、二度目の時は、すぐに報告してやりました。報告というか告発というか。」

「え?二度目もあったの?」

「はい。ある意味、こっちのほうがムカつきました。なにも知らされてないのに、いきなりバスを降りてくるなり怒鳴られました。50歳くらいの男性だったかな。私、なにも知らないし、なにもやっていないんですよ?それをいきなり怒鳴られて、お客さんの前で謝れって言われて、何も知らずに謝りました。そのあと、お客さんが見当たらない時を見計らって『さっきは悪かった』って。意味がわかりませんよ。」

残念ながら、こういう話は本当にあるようで、時々現地ガイドさんから聞かされる。すべてのケースでガイドさんの言い分が正しいとも思えないが、今回の話は、彼女の仕事ぶりと内容から、おそらく事実と思われた。なにかしらのプレッシャーに負けて、上述のような行動に走ってしまう添乗員がいるのだ。会社員の間で「売る、売られる」という話が時々聞かれるように、比較的平和で、どす黒いものをあまり見ることがない旅行の現場でも、似たようなことが、稀にあるということだろう。

 

「だから、車上荒らしに遭ったグループが来るって聞いた時は、ギクッとしたんですよ。ピリピリした人が来なければいいなあって。お客さんの雰囲気はともかく、ツートンさんは落ち着いててよかったです。この人は、突然感情的になることも、なにかをなすりつけてくることもないだろうって。あれ以来、どんな添乗員が来るのか、とても気になるようになっちゃって。・・・とにかく、人前で怒鳴るって最低ですよね。」

「ガイドさん、ごめんね。」

「なにがですか?」

「さっき怒鳴っちゃって。」

「あれは人前じゃないし。私のことを言ったわけじゃないし。」

「怒ってない?」

「怒ってません()

「手配会社に告発しない?」

「しませんよ()

「本当に?」

「本当です。あ、でも、これ以上ツートンがしつこいと、告発するかも。」

「なんて告発するの?」

「しつこいって、告発します()

「じゃあ、もう言わない。・・・ねえ、その二人の添乗員の名前、覚えてる?」

「男性のほうは覚えてます。告発したくらいですから。女性は覚えてないなあ。思い出したくもないし。」

「その、男性のほうの添乗員の名前を教えてくださいよ。」

「え?それは流石にだめですよ。」

「え?いいじゃん。」

「だめです。」

「お願い。」

「しつこいって告発しますよ!」

「もし、教えてくれたらさ・・・」

「なんですか?」

「君のかわりに、そいつを殺してあげるよ。ゴルゴ・ツートンが。」

「あはは。けっこうです()

 

書類は、まだ出てこない。

 

「でもツートンさん、この仕事やってると、時々人間不信になりませんか?」

「人間不信?・・・なんで?」

「私も、なんだかんだで、ガイドの仕事やってますけどね。さっき話した添乗員のこともそうですけど、今回のお客さんたちもですよ。最初はノリがよくて楽しいグループって言ってたのに、今じゃ、時々失礼な態度を、ツートンさんにとるじゃありませんか。車上荒らしってツートンさんのせいじゃないですよ。」

「いや・・・そんな失礼な態度を取られてるとは思わないけど。」

「失礼ですよ。こういう時に、人間の本性って出ると思いませんか?」

男女問わず、若い人の中には、時々こういうことを言う人がいる。いつもは見えない負の感情が目に見えた時、「本性が出た!」というような指摘をする。この程度で「本性が出た」などと言われたら、世の中の大半は悪人になってしまう。

「さっきも、書類はなんとかなるし、どうぞお帰りくださいって、言ったでしょ?拍手はしてくれたけど、普通帰りませんよね。」

「いや、あそこは帰っていただきたかったし、帰っていただいて正解。あのあと、こんなに時間がかかるとは思わなかったし。」

「でも、盗まれたのは、あの方たちの物なんですよ。本当は、自分で手続きをすべきなんですよ。こう言ってはなんだけど、ご自身ではできないことを、私たちがやってるんですよ。やってあげてるんですよ。それを、当たり前だとは思って欲しくないなあ。」

「気持ちは分かるけど、お客さんにもストレスが溜まってるから。疲れと重なって体調を崩したら大変だよ。この場合、書類と体調管理は同じくらい大切なの。書類は、みなさんがお帰りになってもなんとかなる。でも、体調管理は、アドバイスできても、ご本人になんとかしてもらうしかないからね。もしもだよ、どなたか体調崩して、病院にでも行くことになってしまったら、また僕の仕事が増える。さすがに、これ以上はオーバーキャパだよ。そうならないためにも、みなさんには、リラックスしていただいて、早く休んで欲しいの。」

「そういうふうにも考えられるのか。」

「そう。お帰りいただいてけっこうです、と言ったのは、お客さんに気を遣ったのが半分。僕自身のためというのが半分。たぶん、ガイドさんと同じように考えているお客さんもいらっしゃるよ。それでも帰ってほしいという言い方をしたし、そういいう態度をとったからね。そこは悪く言わないでね。」

「・・・分かりました。」

 

ようやく書類ができあがった。夜の9時半を過ぎていた。聞けば、アビニョンからアルルまでの直行列車は最終を終えていた。彼女は、遠くマルセイユまで一度出てから、ふたたびアルルに向かう。地図で見るとかなりの大回りだ。

「日本と同じで、小さな町同士の行き来は不便だけど、大都市からは放射線状に交通機関が広がってるんです。」

しかし、支給される交通費は限られており、当然予算オーバー。ガイド用のチップは、観光ガイドとして時間延長されたもののほかに、警察でのレポート作成に付き添ってくれたアシスタント用のもの、そして予算オーバーした交通費を足して渡した。旅行会社の担当者からも「とにかく、ガイドさんには不満が出ないように、払うものは払ってあげてください。」というお墨付きも出ていた。なかなかそこまで出してくれる旅行会社もないので、彼女は、それには感謝してくれたようだった。それでも、小さな呟きが聞こえる。

「みんな帰っちゃったのは、納得いかないなあ・・・。」

彼女は、きっと正義感が強く、自分ものでも、他人のものでも、仕事には成果や報いがあるべきと考える人なのだろう。とてもいいガイドさんだが、こういうタイプは、とにかくいろいろ傷つきやすい。心配するくらいそれを感じた。

 

警官にお礼を言って、誘導された。お客さんをお待たせしていた入口のロビーに差し掛かった時だった。正面から「おつかれさま!」と声がした。お客様だ。

「え?お帰りくださいと言ったのに。」

呟くように言った僕の言葉に反応して、うつむきながら歩いていたガイドさんは顔をあげた。一人ではない。多くのお客さんが僕らを待ってくれていた。

 

そして、数人が駆け寄ってきたのだった。

レポート内容に問題がなかったために、そのまま正式に人数分プリントアウトしてもらうように依頼した。最初は一部だけで、必要分は自分でコピーするように言われたが、

「書面には、パスポート被害に遭った方の名前しか記載されていない。保険会社に提出する時に、原本でなくてコピーだと、正式な証拠として認められないかもしれない。」

と、理由を話して、ここは押し切った。実は、おそらくコピーでも問題はない。名前が記載されていない理由と併せて、添乗員が現認書に、それについて言及していれば大丈夫だ。ただ、一応公文書ではあるから、お客様には、それぞれ原本をお持ちになって欲しかった。そうでないと納得しないお客様もいらっしゃると予想した。僕とマッシモの分も合わせて22枚プリントアウトして、それに警察のスタンプを押すだけだからすぐに終わりそうなものなのだが、なぜかフランスという国は、この手の作業に時間がかかる。ガイドさん曰く、「それがフランス式」だそうだ。その間に、一度お客さんの前に出て説明だ。

 

「結局、みなさん共通の書類が出されることになりました。」

それから記述の内容を詳しく説明して、最後にひとつ付け加えた。

「ただ、パスポート被害者の方々の分だけ名前が記載されています。それに関係のない方々の手元に名前入りのものをお渡しするのは、「個人情報」という観点で好ましくないので、該当者以外には、その部分を修正テープで消してお渡しします。ちょっと乱暴なのですが、添乗員が盗難を証明する現認書にも、そのことを言及しておけば問題ないと思います。」

パスポート被害者の方々が、頷いていた。納得してくれたようだ。

「つきましては、その作業があるために、本日書類はお渡しできません。どういう書類の作り方をしてもらえるのか分からなかったので、皆さんにはご足労いただきましたが、ここから先は私たちだけでも問題ないので、お疲れの方々、温かいものをレストランなどでお召し上がりになりたい方は、お帰りいただいてもけっこうです。本日も、お待たせしてしまいまして申し訳ありません。そして、毎日、多大なご協力をいただきまして、本当にありがとうございます。」

そう挨拶すると、大半の方々の表情が和らいで、小さな拍手が起こった。難しい表情を崩さない方もいらしたが、どこからもヤジや文句は飛んでこなかった。

 

僕は応接に戻った。まだ書類が出てくる気配はない。その間は、ガイドさんと雑談だ。

「すいません。さっきは、大きな声を出しちゃって。・・・というか怒鳴っちゃって。」

「いえいえ。全然気にしてません。あれで泣いたんじゃなくて、警察があまりに非協力的だったら、それで悲しくなっちゃんたんです。」

「そうですか・・・。」

「ツートンさんも大変ですね。」

「ええ。グループのメンバーが全員盗難の被害者だなんてこと、ふつうありませんからね。」

「いえ、お客さんへの対応ですよ。」

「え?」

「今朝、バスで初めて皆さんとお会いして挨拶した時ですけど、『暗いなあ。雰囲気悪いなあ』って思いましたもの。」

「前もって、盗難のことを聞いてたからじゃないですか。」

「いやいや。そんなことない。トラブルのことを聞いて、ある程度は想像していたけど、それ以上でした。明らかに、いつもお迎えするグループの雰囲気とは違いました。」

「え?本当に?」

「本当ですよ。ツートンさんに対する態度もひどかったです。」

「え・・・?僕は、なにか気づいてないのかな。鈍いから。どのへんですか?」

「ショッピングセンターで買い物する時。『日用品とはいえ、ふだん買わないブランドものなどを必要以上に求めたら保険の対象外になるから気をつけてください』って説明したでしょ?」

「ええ、そりゃしますよ。」

「その時に、『このブランドは大丈夫か?』とか、『これはこの量を買っても問題ないか?』とか、しつこく聞いてきて、ツートンさんが『化粧品ならいつも買ってるくらいのブランドを、旅行中に必要な分だけ。もちろん1ケースごとしか売ってないものは、それで仕方ない。3ケースのパックが、お得だから買ったくらいでも問題ないと思います。』とか、男性が一生懸命、化粧品の説明までしてるのに・・・なんか態度悪いし、時々舌打ちしてる人もるし。こんな人たちを相手に、よく冷静に優しく接することができるなあって。さっき、泣けてきたのは、そのあたりもあるんですよ。」

「ああ・・・それくらいなら。」

「それくらい?」

「それくらいです。」

南仏は、気候がいいし景色も明るい。訪れている時のお客様のテンションは、比較的高い。いつもお会いするお客様に比べて、集団盗難という強烈なトラブルに遭った後の僕らのグループの雰囲気は、ガイドさんにとって、恐ろしく暗く、悪く映ったのだろう。それまでの経緯を知らないのだから、それは仕方ない。

前日、事故が発生した直後の車内の状態、それを確認した時のお客様の茫然とした表情。全員が被害者だったからだろうか。怒りを通り越して何も言葉が出てこなかったのだろうか。僕が言葉を発しない限り、なにも言葉が聞こえてこないバスの中。ナイフとフォークの音しか聞こえないカルカッソンヌの街中でのディナー。城塞のライトアップを眺めて、ようやく見られた僅かな笑顔。

事故が起こってからの過程を知っている僕にとって、今日の雰囲気は、前日までと比べれば遥かにマシなものだった。

「それにね、最初はノリがよくて、みなさん旅慣れた方が多くて、いい雰囲気だったんですよ。そのイメージが僕の中には残ってるんです。寧ろ、それが本来の姿だと思ってます。あんなトラブルがあったのだから、雰囲気は悪くなりますよ。対応すべきことをしたら、ある程度は元に戻るんじゃないかと思ってます。」

 

ガイドさんは、なるほどといった感じで頷いていた。

「なんか、久しぶりにまともな添乗員に当たりました。」

「まともじゃない人っているんですか?」

「いますよ。こいつ殺したいっていう添乗員もいました。」

なにか思い出したのか。温和そうなガイドさんの表情が一気に冷たくなった。

彼女が初めて見せたダークサイドだった。

「なぜ?」

これで一歩前進できると思っていた僕の胸は、強烈な何かに打ちのめされて、その衝撃が体中に響き渡った。

「今は、デモの対策で、署内に人が殆どいません。なにかあったら、私も出なくてはいけないから、このような手間のかかる書類作成は受付けられません。」

ガイドさんの通訳を聞いて、少し固まってから、聞き返した。

「本当にそんなことを言ってるのですか?」

「本当に言ってるんですよ。」

信じられないと思いながら、妥協案を出した。

「せめて、パスポートを盗られた方の分だけでもつくっていただけませんか?それがないと、大使館でパスポートを発行してもらえません。」

パスポート以外の盗難については、極論、僕が、この状況を説明した現認書を作成すれば、最悪なんとかなる。その後の審査には時間がかかるだろうけど。どうしても警察書類をご希望の方は、最終宿泊地のニースでなんとかする。この場でできる最大の妥協だった。しかし、それでも警官は

「(ため息をついて)三人分でしょう?とてもそれだけの量はできかねます。」

海外添乗員を長くしていれば、お客様のパスポートの盗難の経験くらいはする。僕の場合、オランダで経験しているが、警察に付き添った際、書類作成に要した時間は20分ほどだった。今回なら、被害に遭った現場も条件も同じだし、同じ書面で名前だけ書きかえればいいのだ。なにがそんなにだめなのか。単純に面倒くさい?事務仕事が苦手?なおも、無表情でなにかを言っている警官。

「今度は、なにを言ってるんですか?」

「あの・・・ニースに2泊するなら、そちらに行ってから手続きしたらどうかといってます。たぶん、あちらのほうが警察の人数が多いからと・・・。」

「え・・・?」

「こういうデモがある時は、盗難が多いと言ってます。多分、そこを狙われた。とても気の毒だけど、なにもしてあげられない。」

「いや、レポート一枚くらい・・・いったいどんな手間がかかるというのですか。」

時間がないというわりに、交渉には付き合ってくれる。きっと彼は、面倒なだけだ。この日は土曜日だった。日曜日も同様にデモが行われることは分かっていた。予定では、プロヴァンスを観光してからニースへの移動だ。この日とは比べ物にならないほどの「黄色いベスト軍団」と出くわすに違いない。ニースのホテル到着は夕食後だから、間違いなく20時過ぎだ。それから警察。もし、この日のように受けてくれなかったら、観光最終日のニース滞在中に警察書類をつくってもらって、それからマルセイユの領事館へ日帰り?・・・無理だ。

「ニースに泊まった後は、すぐに帰国なんです。ここはなんとかしてください。」

ガイドさんも必死に頼んでくれていた。しかし、まったくいい返事をくれない。

「ここで書類をもらえなかったら帰国できないんだ!」

つい大きな声を出してしまった。それもガイドさんに。これまでは、彼女に通訳してもらいながら、顔は警官に向けていたのに。この一言だけ、彼女に向けて言ってしまった。見る見るうちに彼女の表情が崩れていく。

「そうですよね・・・。本当、ひどいですよね。なんでこんな対応なんでしょうね。」

と、言いながら、ガイドさんはしくしく泣きだした。

 

しまった・・・しまった、しまった、しまった・・・!

やばい、やばい・・・やばい、やばい、やばいやばいやばい!!

 

「すいません。ごめんなさい!ついうまくいかないことにいら立っちゃって。別に君に対して怒鳴ったわけじゃなくて、いや、ほんとにごめん。」

おそらく15歳くらい年下の彼女の肩をさすりながら、僕は必死に謝った。女性を泣かせた時の焦りというか動揺だけは、小学生の時から変わらない。そういえばクラスメートの女の子を泣かせて必死に謝ったなあ。休み時間中に泣き止んでくれて、許してくれたと思ったら、担任が入ってきた途端に、その子と仲のいい子が「先生!ツートン君が〇〇ちゃんを泣かしました。」と告げ口されて、ものすごく怒られた。女子の団結力に完敗した嫌な思い出。あの時の動揺とそっくり同じだ。

 

でも、ガイドさんは大人だから、小学生女子のようにはならない。

「いえ・・・分かってます(嗚咽)私も、今日はいつもの観光と違って、デモもあって・・・いろいろやりくりしながらここまで来たのに・・・なんで警察は協力してくれないんだろうって。一気に疲れを感じたら涙が出てきちゃって・・・(嗚咽)ひどいですよね・・・。」

そして、ふたたび静かに泣き始めた。再びおろおろする僕。

 

やばいやばい・・・。しかし、別の角度からなにか視線を感じた。見てみると、先ほどまで冷たい反応をしていた若い警官が、動揺しているように見えた。明らかに「しまった」という顔をしていた。女性の涙に動揺するのは、万国男子の共通事項らしい。よく見ると、もう少し偉そうな年配警官がいつの間にか彼の背後に立っていた。心配そうにこちらを伺っている。

 

「チャンス!」

 

僕は、泣き声が収まってきたガイドさんの肩をさすりながら話しかけた。

「あの、ガイドさん、もう少し泣いてくれませんか?」

「え?」

顔を下に向けて泣きながら、彼女が反応した。

「警官の顔色が変わった。『やばい』って表情になってる。それと、もう一人偉そうな顔した人がやってきて、心配そうにこっちを見てるんです。」

「うわ―――ん!」

これまでにない大きな声を出して、彼女は泣きだした。「いや、それはちょっと大袈裟では・・・」逆の意味で僕は動揺した。

しかし、すぐに年配の警官がやってきた。

「話は聞きました。書類をつくりましょう。ただし、全員共通のものを一枚です。事件発生日と時間、場所、経緯、被害者はドライバーと添乗員、乗客の合計20名、盗られたものは、パスポート、財布、クレジットカード、高価な上着、カバン、キャリーバッグ、カメラなど・・・という書き方で、全員に共通するようにします。」

一気に書類をつくる流れになった。女性の涙おそるべし。

「パスポートについては、名前がないと領事館で証明にならないので入れてください。」

「分かりました。では、この後にと・・・パスポートを盗られたのは以下の3名です・・・として、この三人の名前を入れて・・・。とりあえず、これで出してみましょう。」

書類を作り始めてからは15分も経っていない。どこがそんな手間なのか。その前の交渉に45分もかかってしまったことを考えたら、本当にばかばかしかった。でも、どんな思いをしてでも、得なければいけない書類であることも確かだった。

 

「これでどうでしょう?」と、出されたサンプルが黄金色に見えたと言っても信じてもらえないだろう。しかし、少なくとも、この時の僕らには、それくらいの価値はあった。

※黄色いベスト運動

20181117日(土)から断続的に行われているフランス政府に対する抗議運動。燃料税と自動車税の引き下げ、最低賃金の引上げ、農村部の行政サービスの改善、緊縮財政政策の中止、マクロン政権の退陣などが目的とされている。抗議としてのデモパレード、バリケードの設置、暴動、速度違反自動取締装置の無力化などが、運動手段として挙げられるが、僕ら旅行者にとって一番の被害は、交通の遮断と妨害だった。高速道路の出入り口や料金所、一般道のロータリーに陣取って、移動の妨げになった。なお、運動名については、参加者が黄色のベストを着用していたことからそう呼ばれている。

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ロータリーで渋滞の原因になっていた黄色いベスト軍団。このツアー中に撮影した。 

 

黄色いベスト軍団について、アルルからポン・デュ・ガールへの移動までは、ガイドさんのアドバイスによるルートで、最低限の被害で済んでいた。だが、アビニョンに向かうまでのルートでは避けようがなく、あちこちで捕まってしまった。田舎の、観光客以外ろくに通らないような道路のロータリーごとに

多くの人が集まって、いちいち車を止めて気が済んだら通すという、こう言ってはなんだが、子供遊びの「とおせんぼ」レベルの悪戯のようなことを繰り返していた。思い出してもイライラする。

 

「ポン・デュ・ガールに立ち寄ったら、アビニョン到着は、予定の1時間遅れくらいじゃ済まないかもしれませんよ。デモの初日ですから、参加する人たちも気合入ってるでしょうし。それでもいいですか?」

 

と、現地手配会社の担当者からは言われていた。そこは僕も考えて回答した。

 

「かまいません。入れてください。」

 

この日、元々予定されていた観光で、最も面白いのがアルルの観光だった。市内観光にローマの円形闘技場の入場観光を加えて、さらに内容を充実させた。アビニョンも素晴らしい街だが、どこの入場観光も含まれておらず、街歩きだけの観光予定だった。それだと、面白さという点ではアルルには及ばない。だから、代替観光を利用して、巨大な水道橋ポン・デュ・ガールを入れることで、この日の観光に対するお客様の満足感は満たそうとした。アビニョンの観光は、仮に暗くなってからでも、ライトアップされている旧法王庁などの周辺を軽く散策すれば問題ない。・・・と踏んでいた。

 

その読み自体は間違っていなかった。が、これだけデモによる妨害に遭うとも想像できなかった。手配会社の助言は、単なる脅しではなかったというわけだ。ポン・デュ・ガールには多くの観光バスがやってきていた。ロータリーがある度に、5、6台のバスの渋滞ができる。一台につき、2、3分から10分くらいの足止めされてから通過していく。ポン・デュ・ガールから幹線までは、いくつかロータリーがあったから、その数の分だけ渋滞が発生した。

そのうち、前後のバスに比べて僕らのバスに対するデモ参加者の接し方が優しいというか、甘いことに気づいた。

「みなさんのドライバーさんは、素晴らしい方ですね。相手のテンションに合わせて、うまい具合にデモ参加者たちをかわしてます。とても上手。しかもイタリア人ですね。このバスもイタリアナンバー。こういう時は、自国のナンバーに比べると外国ナンバーのほうが甘くしてもらえます。だから、前後のバスに比べると拘束が緩いんですよ。フランス人のドライバーだったら『なんでお前はこっちに参加しないんだ!』とか言われちゃって大変なんですよ。」

 

「ガイドさんナイス!」と、僕は、心の中でつぶやいた。

こんな時に、フランスで仕事をしなければいけない外国人ドライバーにとって、きっと励みになる言葉が含まれていた。僕は、彼女が日本語で言っていることを、マッシモに英語で伝えた。お客さんも周辺を見ながら「ふーん」という顔をしていた。車内が和やかな雰囲気になった。

 

とは言っても、一瞬の話だ。いいかげん、いつになっても消えない黄色いベスト軍団に辟易してきた。日が暮れて寒くなってくると、ロータリーの真ん中で焚火などしていて、さらに雰囲気が悪くなってきたような気がした。そんな中、ようやくアビニョンに到着できたのは、予定よりも1時間半遅れの5時だった。パンフレットに書いてある通りの散策観光をこなして、モノプリ周辺で短い自由行動をとった。最後の日用品チェック、また、この日は、夕食が含まれていなかったので、部屋食用に食物をを購入された方もいらした。

 

一度ホテルに入ったのが6時半。ホテルは、旧市街の入り口にあり、しかも警察署までは歩いて2分の好立地だった。すぐにロビーに集合して警察に向かう。観光とデモでお疲れの様子のお客様だが、どなたも文句ひとつおっしゃらずに集まっていただけた。

 

今度こそ・・・今度こそ書類を発行してもらって前進しよう。今度は、ガイドさんがいるし言葉の問題もないはずだ。期待感を持って署の入り口の前に立った。ところが、警察の受付には人が見当たらない。勝手に中に入ることもできない。焦って呼び鈴を何度か鳴らすと、ようやく若い男性警官が出て来て、中に入れてもらえた。お客さんには、ロビーの長椅子にかけてお待ちいただいた。

 

僕とガイドさんだけ応接に通してもらって、事情を説明した。彼は、無表情で何度か頷いた後、僕らに告げた。

「今日は書類の発行はできません。」

翌日、どんよりとした曇り空が、少し明るくなった7時半に僕らはホテルを出た。

カルカッソンヌでは、なぜか夕食と宿泊だけの手配だった。世界遺産にもなっている城塞の中にある旧市街を、少しは見せてあげたいと、少々の葛藤を感じながら、僕は街を後にした。

出発して30分もしないうちに、空が青くなってきた。ずっと曇天続きだったから、この晴天は嬉しかった。やがてバスは、最初の道路料金所に差し掛かった。

「あ・・・これのことか。」

そこには、黄色いベストを羽織った数十人の人々が、通過しようとする車を止めて、言葉をかけていた。マッシモも窓を開けて二言、三言会話を交わして通り過ぎた。

「あの程度?それで一時間も早く出なきゃいけなかったの?」

「一か所だけ見れば、あんなもんさ。でも、一日中、それも国中であれをやるんだ。この時間(朝の八時前)は車の数が少ないから、今みたいにすぐに通れるけど・・・まあ、夕方になればわかるよ。一時間早く出発した意味が。・・・でも、ポン・デュ・ガール(ローマ時代の水道橋)にいかないといけないんだよな。」

マッシモは、最後にぼやき、ため息をついた。

 

前日の夜、東京の担当者への報告の中では、ほぼすべて、僕のリクエストが受け入れられた。警察書類の入手から帰国までの段取り、そして残りの旅行を少しでも楽しんでご満足いただくための手段をラインでまとめて、さらにそれに必要な事柄を添えて送付した。

送信時間が、土曜日の日本時間朝5時だったにも関わらず、担当者の反応は素早かった。上層部の許可が必要な金銭面以外のものは、すべて問題なしと判断してくださり、「おそらく、今ツートンさんが仰ってる以上のものをご用意できると思います。とにかくお客様に不便がないように。」という助言までいただけた。おかげで、僕は現地で思い切って、いろいろ行動できた。

 

まだ、なにも解決していない状況ではあったが、ある意味ついていた。担当者が、なにもかも上に確認するタイプではなく、「この辺りまでは、自分の判断で許可を出して事後報告でも問題ない」という決断力を持っていたこと、急に手配延長を依頼したガイドのスケジュールが空いていたことと、彼女の人柄、そして辛抱強いドライバー。車上荒らしに遭ったのは最悪であったが、どんな最悪の中にも「良」的要素はあるものだ。それらを生かして、「最悪の中の最良」を目指した。

 

前の晩に連絡を取ったガイドさんには状況を説明しておいた。アルルの街の入口で待ち合わせてから、最初でのあいさつの中で、丁寧なお見舞いの言葉をいただき、「荷物を盗られて、日用品が必要な方は、この街(アルル)のショッピングセンターと、アビニョンのモノプリで買うことができるからご安心ください。」などのお客さんの心配事を和らげてくれる案内をしてくれたので、とても助かった。

観光エリアから少し離れたレストランでランチを終えて、短い距離を、ドライブしながら、少し遠回りをして警察の前を過ぎた。

「やはりデモ対策で、署内に人がいませんね。警察書類の作成はアビニョンにしましょう。」

ガイドさんは、少し残念そうに言った。彼女の家はアルル市内だ。もし、書類をここで仕上げることができたら、当初の予定通り、アルルの市内観光だけで仕事を終えることができた。本来なら昼食後に待ち合わせのところを、昼前に待ち合わせたのも、警察に立ち寄る段取りをしたかったのだろう。

観光は、スムーズに楽しく進んだ。アルルは偉大な画家ゴッホ所縁の場所は多いし、美しい教会はあるし、闘技場をはじめとした立派なローマ遺跡もある。元々の手配では、アルルの闘技場の入場観光は、含まれていなかったが、ここを代替観光のひとつに加えて入場した。

 

いやらしい言い方に聞こえるかもしれないが、追加手配で加えた部分、特に予算を使ったところでは、きちんとそれがお客さんに伝わるようにご案内する。前日の「ペルピニャンの代替観光として」ということも、きちんとご理解いただかないといけない。この後訪れるポン・デュ・ガールについてもそうだ。

元々予定されていたペルピニャンの観光は、旧市街散策と教会の外観だけの見学で、支出なしの予定だった。トラブルがあっての代替観光とはいえ、二か所の有料入場観光を含めたことは、それが小さな金額であっても、旅行会社の誠意だ(当時の料金と為替レートで、両方合わせて一人当たり1,500円くらい)。誠意は伝えなくていけない。もちろん、その場でのお客さんの反応は、それほどでもない。寧ろ「これくらい当たり前」のような雰囲気だ。

大切なのは、今ではない。数日経ってからだ。今日、警察書類が揃ったら、大半のお客様は気持ちを切り替えて、旅行に集中できるようになるだろう。心に傷を残しながらも、気持ちが良い方向に向き始めた時、お客様はいろいろ思い出し始める。その時、特別に手配された二か所の入場観光のことも、きっと思い出される。「結局、闘技場に入れたし、ローマ時代の大きな水道橋も見られたね!」とういう具合に。些細なことでも、挽回はこういうことの積み重ねだ。当然、旅行そのものが、この後うまくいくことが必要最低条件である。

 

このツアーに限っては、思ったよりもお客さんの反応がよく、闘技場と水道橋(ポン・デュ・ガール)の観光は、とても喜んでくださった。その場だけの気持ちの切り替えの方も多かったと思うが、少しでも気持ちを前向きに明るくしたいという、案内する側の気持ちは届いたようだった。また、アルルのショッピングセンターで、化粧品や下着類、髭剃りなどの日用品を今度こそ揃えられて、ストレスも軽減されていた。とりあえず、この時点までの丁寧な対応は実りつつあったと言えるだろう。

 

アルルの観光を無事に終えて、ポン・デュ・ガールの水道橋の圧倒的な迫力に感動して、いよいよアビニョンへ向かう。ふだんなら3040分の道のりだ。だが、そこに水を差したのが、黄色いベスト軍団だった。

いつかこんなとこを、きっとまた案内する。ハルダンゲルフィヨルドで見られた見事な映り込み。
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今日は、とある旅行会社のオンライン・イベントのリハーサルだった。

旅行会社が主催するイベントを手伝いに行ったことは、何度もあるが、リハーサルなんて初めてだった。コロナ禍で実用が広まったズームを使ったものなのだけど、行ってみて納得。確かにリハーサルは必要だった。パソコンやスマートフォンでの映り方の違い、画像の見え方、動画の鮮度などチェックするべき点が多い。一時間程度の時間に収めるために、トーク内容にも様々な調整を加えなければいけない。

逆の言い方をすれば、通常の旅行イベントに比べて準備に手間をかけている分、参加される方も効率的にいろいろ学べるかもしれない。

 

22日に開催されるが、ネットとはいえ定員制でほぼ満席。欧州は、コロナの第二波の影響を受けていて、この日のテーマの北欧もそれは同様。現時点で、とても旅行できる状態ではない。それでも、旅行会社は、アピールする。「いつその時が来ても準備ができています!」と。

ただし、やみくもに旅行を勧めるだけではない。きちんと、現地の感染状況を伝えながらのアピールだ。

 

この前、国内添乗をするための研修を受けたが、実際にギャラが発生する仕事としては、3月に最後のツアーから帰国して以来、今日のリハーサルが初めてだった。北欧の画像や地図を見ながらの解説にはワクワクしたなあ。自分の居場所は、やはり海外添乗の現場なのだと、心から思った。実感した。

 

きっとその日はやってくる!

 

そんな思いをこめて本番を頑張ろう!
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クローデレン湖の空の映り込み。スマホの人は、逆さにしてみると面白い。違和感なくてびっくりです。
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ネーロイフィヨルドで見られた滝。風を受けて、天女の羽衣がなびいているように見える。
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フィヨルドエリアからオスロに向かう時に立ち寄るヴォーリングの滝。落差180mを轟音を立てて水が落ちていく。大迫力。

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