「君の変な予感が当たっちゃったね。まいったよ。」

「は?」

2020年3月中旬のある日、栃木県足利市の実家で電話を受けた僕は、営業担当にいきなり言われてたじろいだ。

「いつか、なんだか嫌な予感がするって言ってたろ?こんなことを予想したわじゃなかったんだろうけど。」

話は2019年11月上旬に遡る。

「年度内は、これからずっと繁忙期だから。(2020年の)2月、3月に遊びに行こうなんて、今年は考えないでくれ。頼むよ。」

添乗部署のマネージャーに、じっと目を見ながらお願いされた。一般的に海外添乗員の仕事が忙しいのは、5~7月、9~10月と年末年始、そしてお盆だ。それ以外の時期は、前もって申請すればわりと長期の休暇取得が可能で、毎年長い海外旅行を楽しむ者もいる。

僕に関して言えば、ここ数年、プライベートの海外旅行はしていなかったものの、昨年の2月にたっぷりヨルダンの旅行をプライベートで楽しみ、遊びの旅行の味をしっかりと思い出してしまっていたから、「今年はそうはいかないよ」とくぎを刺されたのであった。

オフィスで、たまたま顔を合わせた後輩添乗員たちがぼやいている。

「最近、休みがとりにくい。」

「なんで、こんな短いスパンで出なきゃいけないの?体がつらい。ブラック企業みたい。」

「十分な準備ができないから、仕事の質が心配だ。」

確かに、このところの忙しさは尋常ではなかった。海外旅行業界全体がこれほど景気がよくなったのは、ここ2年くらいだが、うちの派遣会社の営業は実に優秀で、抜群の駆け引きと人脈を利用して、こなせないくらいの仕事をとってきてくれていた。各旅行会社のツアーが少ないときでさえ、「え?こんなにもらえたの?」というくらいツアーがあった


周りから見ると、もう少し仕事量をおさえても・・・と思ったかもしれない。
だが、そこまでして仕事を獲得したのには理由があった。

彼は、2001年の「9.11」、2008年の「リーマンショック」、2011年の「東日本大震災」をすべて、この業界で経験していた。

数々の旅行会社や派遣会社がその度に潰れて、数多の人材がこの業界から去った。そんな中、抜群の営業力で生き残ってきた彼は、海外旅行業が「究極の平和産業」ということを、言葉の上っ面だけでなく心底から心得ていた。さすがに働き方改革の影響で、なんでもかんでもではなくなってきたが、

「稼げるときに稼ぐ。稼げない時に備えて。添乗員はよく言えばプロフェッショナルな仕事だけど、悪く言えば派遣。通常の会社員のような社会保障がないからね。」

という信条を持ち、ぶれることなく突き進んでいた。添乗員のギャラは固定月給ではなく、本数をこなした分だけ支払われるギャラ制だ。このため、仕事がきつくても、労働が反映された給料明細を見たとたんに文句を言わなくなる者もおり、それが彼の仕事と信念により確信を持たせていた。よくも悪くもではあったが、なんだかんだでうまくいっていた。もちろん、きれいごとだけでなく、営業マンとしての売り上げも関係していただろうが、それぞれの利害が一致していたのである。

そんなとき、彼と飲んだことがあり、なんとなく言ってしまったことがある。

「このまま、ずっとうまくはずがない。なんかあるような気がする。」

「・・・・・・なにか心当たりあるの?」

「いや。なんとなく。今までだってそうだった。震災もリーマンもいきなり来たじゃん。今みたいにうまくいってる時に。」

「確かに。」

「だから・・・・・・・仕事があるとつい受けちゃう。受けちゃうというか、望むところなんだけど。ま、今年は遊びでヨルダン行けたけどね。たまには、自分で旅行するのも大事だね。お客さんが旅先で求めてる気持ちを理解できるよ。初心に帰れる。」

「うん。・・・・でもさ、確かに嫌な予感するよね。気にしすぎかもしれないけど。ツートンの気持ち、わかるよ。」

「そう?まあ、目の前の仕事をこなすだけだけどね。」

「そうだね。同じようなことがあっても、俺たちに予防はできないからね。せいぜい稼いで備えるくらいだね(笑)」

この飲み会のあと、僕はスペインツアーへ出かけた。
このスぺインツアー中の11月17日に、初めてのコロナ症例が、中国で見られたらしい。ただし、発見前のため、今の呼び方はしていない。それどころか日本のメディアにはほとんど登場すらしていない。発見されていなければ発表もされないのだから当然だ。

12月に入り、僕は旧ユーゴスラビアのツアーを二本とフランスの短いツアーをこなした。ローシーズンだったから、混雑もなく、充実した案内ができた。年末前には、4月以降の新年度ツアーの催行が続々決まり、多くのリクエストをいただいて、春から9月のスケジュールが例年よりも早く埋まってきていた。

この頃、原因不明の肺炎が武漢で報告されたらしいが、発表はされておらず、世間に情報は出回っていない。

31日、大晦日に僕は年滅年始のツアーでモロッコに出かけた。

中国では、30日に「原因不明の肺炎の治療の改善に関する緊急通知」がインターネットで出回り、31日に最初に認知された発生場所などが特定された。

31日夜に、エミレーツ航空で出発した僕らのグループは、元旦の昼過ぎにカサブランカに到着して、その後、順調に行程をこなしていった。ツアー中、しばらくの間テレビはつけなかったから、原因不明の肺炎についての報道についてはわからない。

帰国前日の7日夜、あるお客さんから部屋に電話がかかってきた。この方は、英語を理解できた。英語放送を視聴して、僕に教えてくれたのだった。

「なんか、中国で新種のウイルスが出てきて大変らしいですね。」

すぐにテレビをつけた。OUTBREAKという単語が聞こえて

「うわー、流行っちゃってるのか。中国近いし、日本に入ってくるかもな。」

これが、僕が記憶しているコロナ報道の最初だ。まだ、一切の危機感を持っていなかった。「日本に入ってくるかもな」という独り言には、わずかな恐怖感さえもこめられていなかった。