一瞬凍り付いた僕たち。

募金をされたお客様に、なんて声をかければいいのだろう。すぐに適当な言葉をみつけられずに、とりあえずフォローするため彼女のそばに歩み寄ろうとしたとき、雷鳴のような怒鳴り声が凍った空気を引き裂いた。そばを歩いていた人たちの大半が振り向くほどの怒鳴り声の主は、少女たちの募金活動を見守っていた(おそらく)保護者の一人だった。

 

その後、少女たちに短い説教(だったと思う。顔からして。イタリア語はまったく理解できないので、詳しい内容はわからない)をした後、僕らのほうに歩み寄ってきて、

 

Sorry, Ah——・・・virus, terrible, ・・・sorry. No English for me !

 

と、無茶苦茶な英語であったが、十分に誠意のこもった謝罪をしてくださった。女の子たちも、その方に促されて謝ってきた。ほっとした。もし、保護者の方が気づかずに見過ごされていたら、僕もお客さんも傷ついたに違いない。いや、この時も傷つきはしたのだが、かすり傷で済んだ。

 

「テレビかしら?学校でなにか言われたのかしらね?まあ、子供のやったことだから。」

 

そう。保護者の雷鳴と謝罪があったから、「子供のやったこと」と自分たちに言い聞かせることができた。

 

それはそれとして、現地での警戒心が高まっているという空気を感じたのは確かだった。誤解してほしくないのだが、いわゆる「コロナ差別」について語ろうとしているわけではない。

 

この日の自由行動後、夕食時にはお客様からいろいろな話を聞いた。

 

「日本語を話せる中国人とお昼に話したよ。『え?日本人は来れるのですか?中国人は、来れないのに。ずるいなあ。不公平だなあ』なんて言われちゃったよ。最近は、旅行者ではなく、在住者って言わないと、カフェなんかで冷たくされるって言ってたな。」

 

「私、イタリア10回以上来てるんだけどね、お昼に入ったピッツェリアで、初めて手をアルコール消毒されるように言われたの。東洋系の人だけが言われているのかと思ったら、入ってくる人全員がやらされてたから不満じゃないけど、びっくり。イタリアなのに。まあ、清潔感を感じられてよかったけどね。」

 

他愛もない夕食時の会話だが、後になって、ひとつひとつ拾い上げてみると、現地で危機感が高まってきていることを感じ取れる。会話している時は、言うほうも言われるほうも、それほど深くは考えていなかったけれど。

 

ツアーそのものは、順調にうまくいき、お客様は南イタリアを堪能して帰国の途についた。

帰りのフライトのチェックイン時、ナポリでの搭乗時、ミュンヘンでのシェンゲン出国時、ミュンヘンでの搭乗時、

 

2週間以内に中国を訪問しましたか?」

 

と、少なくとも4回は訊かれたが、ここまでくると慣れっこになっており、ユニークなお客さんが、「『中国に行ってません』って、なにかに書いて胸に貼っておいたら?」というくらいだった。まだ危機感はない。心の奥底にあったとしても、イタリアでの美しい旅の思い出にかき消されていた。

 

無事に羽田に到着して、笑顔でみなさんとさよならしたのが2/4

 

帰宅して、夕方のニュースを見るためにテレビをつけた。なにやら派手は報道をしていた。この日は、あのダイヤモンド・プリンセス号が横浜に帰港した翌日だった。
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