香港で途中下船した乗客に感染が発覚してしまったため、横浜に到着してからも全乗客乗員が下船を許されなかった大型クルーズ船、ダイヤモンドプリンセス号のニュースは、2月のメディアを席巻した。日本人が、少なくとも僕が、初めてコロナというものに真剣に向き合ったのは、この時だった。

すぐに下船させてもらえないというのは当然だと思った。だが、そのあと検査に要する長い時間とその間の乗客のストレス、増えていく感染確認者数。コロナという暗い影が、だんだん自分の心の中で大きくなっていくのがわかった。
すでに、日本でも感染者は出ていた。初めて確認されたのが1/16。続いて24、25、26日と連続した。いずれも武漢への渡航者だった。その後も、ちらほら増えている。だが、マスクの品薄や海外ツアー客のキャンセルが微増するなどの変化はあったものの、イタリアでの様子を考えると、日本人はそれほどナーバスになっていなかったと思う。それまでの国内のコロナ情報に比べて、ダイヤモンドプリンセスの報道は圧倒的なインパクトだった。

帰国翌日、僕はイタリアツアーの報告と次のドイツ&オーストリアツアーの打合せのために、取引先に向かった。「コースも食事も文句なし。おまけに添乗員も大好評でした(←本当に言った)」というかなり調子に乗った報告をしたあと、次ツアー打合せのための資料を取りに行った。

人数は15人。二週間前に確認した時は21人だった。

「減りましたね。あっち(欧州)にいたほうが安心なような気がするけど。」

「うーん。やっぱり空港が怖い人が多いみたいですね。あと、本人が行きたいと思ってても家族に止められることが多いみたい。大学生とか。」

なるほど。しかし、今考えてみると、「欧州のほうが安全」という考え方は、現在タブー視されているコロナ疎開と同じだ。都会の人が離島に行ってほっとしている一方で、地元の人が迷惑そうな顔をしていたのを思い出す。そう考えると生活のためとはいえ、申し訳なかったな。せめてもう少し遠慮した態度で旅行してればよかったかな・・・。今考えてみるとだが。

ところで、イタリアと比べるとドイツ、オーストリアでの外国人観光客への警戒度はかなり緩かった。いろいろ聞かれたのは最初の空港くらいだ。1/25に中国では、すべての海外団体ツアーが禁止された。その当時旅行中だった中国人グループは、このドイツ・オーストリアツアーが出発した頃にはほぼすべて帰国しており、欧州の観光地で中国人を見かけることはなくなっていた。その影響があったかもしれない。

2/8に出発したツアーは、最終宿泊地のウィーンの前にハルシュタットという湖畔の美しい街に立ち寄った。街の散策をお楽しみいただいて、頃合いを見て自由行動をおとりした。その時間を利用して、僕は、たまに立ち寄る土産屋つきのカフェに入った。最近は、冬でも観光客が多いハルシュタットだが、この日は、とても空いている。

「今日は人が少ないですね。」

「ここ最近は、いつもこんな感じよ。NO CHINA, NO BUISINESSね。」

女性スタッフの方はそうこたえた後、力なく笑った。「騒がしい中国人グループは大嫌い!」とよく言っていたのだが、実際に来なくなってみると、静けさの有難みよりもビジネスの打撃のほうが、はるかに大きかったようだ。