登場人物

 

マスター・ツートン

自称天使の添乗員。お客様の体調管理も大切な仕事です。

 

社長様

ジャガイモは大好きですが、やはりお米はありがたいですね。自分でつくる分には、「サッポロ一番」もごちそうです。

 

 

添乗員は、お客様の体調をいつも気にしています。とはいえ、そこはなかなわかりにくいもの。気づいたときには高熱など、かなり悪化していることも少なくありません。難しい中で、管理の目安となるのが食事です。私の場合、毎回大量に残してる方がいらしたら声をかけることにしています。

 

「いや、毎回のことなんだけど、こっちの食事は合わなくて。日本からいろいろ持ってきて、部屋で食べてます。」

 

くらいのことを仰ってくだされば安心なのですが、単に食欲不振だと心配になります。

 

社長様は、リヒテンシュタインに宿泊された後、食欲が落ちていました。もっというと、ジャガイモはたっぷり召し上がるのですが、それ以外は、ほとんど手をつけない状態になっていたのです。

 

「胃が疲れてきた。ジャガイモだけなら食べられるのだけど、今日はそれ以外受け付けそうにない。」

 

チューリヒのホテルに入られた後、初めて社長様は弱音を吐かれました。

 

「夕食は、キャンセルしたいんだけどいいかな?キートンさんは、渡してあるお金でなんか食べてきていいよ。」

 

「社長様はどうされるんですか?」

 

「一食くらい平気だよ。カップラーメンあるし。ほら、これ。大好物のサッポロ一番。今日は出かけるのも億劫だからこれでいいよ。」

 

「日本食のお店があるから、お弁当でも買ってきましょうか?」

 

「え?そんなことできるの?」

 

「できますよ。種類はそんなに選べないと思いますが。」

 

「いいねえ、ぜひお願いします!」

 

こういうところは、貸し切り旅行の便利なところですね。無理に食事に出なくてかまわないというところです。みなさんも専用旅行になった時は、これくらいの我儘はいいと思いますよ。ただし、予約をしている場合は別です。仮にお金を払っていても、予約の当日キャンセルは、店における添乗員の信用を落とします。

 

さて、社長様の様子はなんとなく予想できたので、調べてあった、弁当対応してくれる日本食屋へ足を運びました。お弁当は、焼き肉弁当、サケ弁当、ハンバーグ弁当の三種類があり、サンプルの写真を見せていただきましたが、どれも美味しそうでありません。「買う人いるのかなあ」と、不安になった私は、社長様に電話しました。

 

「それは仕方ないよ。外国でうまい日本食なんて、そうそうあるわけない。なんにしても米が食べたいから買ってきて。」

 

「種類はどうされますか?焼肉、鮭、ハンバーグです。」

 

「その中だったら焼肉かな。」

 

焼肉弁当の見た目は、サンプル写真同様に美味しそうではありません。私は、ハンバーグ弁当を買いました。この中だったらハンバーグが見た目一番であったし、社長様が、焼き肉弁当を気に入られなかった時、別のものをお選びいただけるようにしたほうが良いと思ったのです。

 

お部屋までお弁当をお持ちになると、社長様は満面の笑みでした。しかし、焼き肉弁当をお見せになると、一瞬、笑顔が消えました。

 

「・・・・・・・。」←え・・・?これ?という顔をされている社長様

 

「・・・・・・・。」←やっぱりな、と思ってるツートン

 

「ツートンさん、あなたのそれは?」

 

「ハンバーグ弁当です。よかったらご覧ください。」

 

「・・・・・・・。」←あれー、こっちのほうが美味そうじゃんという顔の社長様

 

「・・・・・・・。」←ハンバーグ弁当を取られるな、と思っているツートン

 

「ハンバーグ弁当に代えていい?」

 

「いいですよ、どうぞ。」←ちょっと悔しい。

 

こんな時の予想は当たるものですね。社長様がお選びになれるように二種類買ってきたのに、いざ取られてしまうと悔しいという、自分という人間の小ささも思い知りました()

ふだんの私なら「焼肉弁当はまずそうだったから、ハンバーグ弁当をふたつ買いました。」という対応をとったと思うのですが、なぜかこの時はしなかったのです。

 

自分の部屋に入ってから食べた焼肉弁当は、やはりまずかったです。見た目よりはだいぶマシでしたが。そのあと、口直しに、外でビーフの赤ワイン煮を食べに行ったなんてことは社長様には絶対内緒です。

 

次の日、ホテルのロビーでマリアさんの車を待つ時、社長様に申し上げました。

 

「昨日の、お弁当・・・・まずかったですね。」

 

(笑いながら)まずかったねえ。」

 

「どうもすみません。」

 

「いや、そんなことはない。とにかく米だからね。ありがたかったよ。昨日は、とてつもなく美味しいステーキよりも、まずくていいから米を食べたかったんだ。だから、ありがたかったよ。いや、本当にね。全部残さず食べたんだよ。胃も軽くなったし。なんていうか、こっちでの日本食は薬みたいなものだね。胃袋にも心にも。」

 

ありがたいお言葉です。このあたりの男気が社長様の人間的魅力でもあるのでしょう。

 

マリアさんの車に乗り込む時、社長様は仰いました。

 

「今日は、最後だからスイス料理の美味しいものを食べに行こう。日本に帰ってからも、一回くらい食事に行こいうよ。昨日の弁当よりは美味しいもの食べられるよ()

 

と、笑い声とともに、私たちは最後の観光に出かけたのでした。

 

帰国して数日後、担当の方に報告でお会いした時に聞いたところでは、この旅行で特に嬉しかったサービスのひとつに、このお弁当を挙げられたそうです。胃袋がほっとしたのだとか。つまり、社長様のあのときのお礼のお言葉は、決して社交辞令ではなかったのです。

 

なにが最高のサービスになるのか、わからないものです。