登場人物

 

マスター・ツートン

自称天使の添乗員。今は完全に追い込まれている。でも、ここからの僕は冷静でタフでいられた。その気質が、添乗員という仕事に向いているのだと思っている。

 

秋月さん

女性の一人参加客。ツートンとは、別のグループのお客様。今考えてみると、こういう事態になって彼女もまた追い込まれていた。追い込んだのも彼女自身だけど。当時は、ただただあの怖い視線にびびってましたが。

 

泉さん

秋月さんがいらっしゃるグループの添乗員。抜群の行動力と正義感。この時は疲れ気味。彼女が活躍するのはもう少し後。

 

片岡さん

旅行会社のGM。今回はコーディネーターで現地にいらした。発言は常にニュートラル。何事も決めつけずに、疑問点を解消してから分析をして、行動する。

 

小石川さん

片岡さんの部下。現地にはもう一人のコーディネーターとしていらした。この話の中では急ぎ過ぎているように見えるが、ふだんはかなりの切れ者。

 

 

スタッフの視線は僕に注がれていた。少し、沈黙があった後、片岡さんが口を開いた。

 

「僕は、まだ話を完全に把握していないんだ。これまでと質問が重複したらごめんね。君は、商品の内容を知っていたね。箱の中身をどうして知っていたの?」

 

「秋月さんから依頼を受けたあと、お店に商品のケアが作業されている様子を見にいきました。箱を見て商品の中が判断できるようにです。念のため、食器を入れる箱もその場で確認しました。」

 

「うむ・・・。たとえ、商品と箱を見たとしても、少しの時間だろう?それもたった一度だけで、後から商品を判別できる?」

 

「できます。」

 

僕は、大学を卒業してすぐに、宝石の卸売会社に勤めていたことがあった。その時、取引先の小売店の展示販売会を手伝ったとき、専門ではないが、銀器の扱いや磨き方、運ぶ時の梱包を教わったことがある。素人に毛が生えた程度だが、箱の形でどんな形の食器が入ってるくらいか判別できるくらいの知識はあったので、それをお話した。

 

「あの・・・僕は、商品を引き継ぐ前にも、箱の中に物が入ってることを確認しています。泉さんに渡すときも、内容の説明をしました。急いでいたけど、梱包も彼女に見せています。」

 

「それがね・・・ツートンさん・・・。確かに商品の説明をしてもらったわ。梱包も見せてくれた・・・。でも、私、急いでたし・・・ツートンさんのこと信用してたし、まさかこんなことになるなんて思わなかったから、自分ではよく見てないの。渡す前にも確認してなくて・・・。」

 

「何も覚えてないの?一番上にのってたチョコレートステッキーの束も?ナイフ&フォークが入ってた、このケースも?」

 

申し訳なさそうに、泉さんは首を振った。

 

ふだんなら、おそらく問題にならない、わずかな確認の怠り。禍は、こんな時に起こる。だが、間違いなく僕は確認した。ここでひるんだら、余計に疑いの目が向けられる。僕は、自分の持っている現場の対処知識をすべてをその場の人間に話した。

 

「私を疑ってもいいですが、秋月さんご自身がお持ちになっていることもありえます。ホテルのセキュリティーを利用することはだめなんですか?盗難や紛失扱いなら、ルールとして、物を失くした本人の部屋もチェックしなければいけないはずです。そういったケースで物が出てくる場合、8割以上の確率で本人が持っています。ご存じでしょう?これを利用しましょうよ。」

 

一流ホテルなら、セキュリティ作業は専門会社に委託されていることが多い。ホテルの廊下、レストランなど公共の場所には、防犯カメラが取り付けられている。それを管理しているのは、ホテルが契約しているセキュリティー会社だ。だいたいがシステムだけでなく、警備員も派遣されてきている。

 

盗難や紛失ががあった場合、物が失くなった場所と時間の可能性をもとに、宿泊客が行動したと思われる場所に設置されている防犯カメラの記録を追っていく。後でチェックしてみると、レストランやバーで会話に夢中になっている時に、足元のカバンを取られていく様子や、スリが宿泊客に当たって財布らしきものを抜き取る瞬間などがおさまっていることもある。

 

それだけで犯人を捕まえることは困難だが、一度犯行がカメラに収められた犯人は、ホテルスタッフにも顔が割れるので、同じ場所で再び犯行をおかすと捕まることが多い。ただし、どこの国でもこの手の犯行は現行犯でないと逮捕はできないようで、常習犯がホテルに入ろうものなら、ホテルスタッフの緊張感はぐっと高まる。犯人も空気を察して、なにもせずにホテルから出ていくこともあるらしい。常に、隙がある時だけを狙っているのだ。

 

何もカメラに写っていない場合は、本人の紛失の可能性が高い。セキュリティーは、盗難と合わせて両方のケースで考え、宿泊客が行動した場所に該当物がないかどうかを、今度は実際に訪れてチェックする。この作業には、物を失くした本人が宿泊している客室のチェックも含まれる。プライベートエリアである客室には、当然防犯カメラはない。だから、許可を得て本人立ち会いのもとにチェックが行われる。ポイントは、「宿泊客の許可を得て」というところだ。つまり、許可がなかったらチェックできない。強制でなくて、あくまで任意だ。僕らが立場上、お客様にこれをご案内するときは、「ご協力ください」と、お願いするしかない。

 

盗難での犯人探しはともかく、紛失したものが出てくることは稀だ。動揺しているお客様の記憶も疑わしい。失くした場所がホテルの中とも限らない。出てくる時に限って、だいたい本人が勘違いしてお持ちになっている。実に人騒がせだ。

 

「いえ、実は・・・」

 

現地ガイドが口を挟んだ。

 

「セキュリティーは、ホテル側から提案があって、秋月さんにもご案内したんです。ですが・・・拒否されました。」

 

「拒否?」

 

「いや・・・ツートンさん、それが日本人的感覚だよ。」

 

今度は片岡さんがこたえた。

 

「本当に盗まれたと思っているなら、自分の部屋をセキュリティーチェックなんてさせたくないだろう。そういうものさ。それに・・・さっきホテル側が用意したセキュリティーは男性だったんだよ。」

 

部屋をセキュリティーチェックするということは、衣類などが入っている自分の荷物もすべてチェックされるということだ。女性のお部屋に男性の警備員をあてるとは、ホテルの配慮が少々欠けていた。

 

「他にすべきことは全部したんだ。ウェストポーチに関してだって、秋月さんが最初に入った部屋に泊まっているイギリス人にお願いまでして、チェックしてもらった。ホテルの各階に備え付けの防犯ビデオも、前の部屋、そして今泊まってる部屋の廊下に写っているものの分析をしている。しかも、秋月さんが、そのデータを全部よこせって言ってるんだ。」

 

次の日に帰国だったから、防犯カメラのチェックは急いで行われていた。

 

「ホテルスタッフへの聞き込みも終わったし・・・」

 

小石川さんがため息をついた。

 

「あとは警察ですか?」

 

僕が、質問した。

 

「それが、なぜか警察への問い合わせは拒否してるんだよねぇ・・・。」

 

「え?」

 

「そんな面倒なことはいやだって・・・。」

 

確かに警察は面倒だ。街中のスリのような盗難と違い、ホテル内の盗難であれば、間違いなく捜査が発生する。下手したら、翌日の帰国にも支障がでるかもしれない。正直、こちらとしても警察はやっかいだ。だが、それなりのお値段がする銀製品や高額な現金が行方不明になったのであれば、これはホテルを通して警察を呼んでもいいレベルだった。こちらとしては、最高レベルのお客様へのご協力であったが、それさえも拒否されたのである。

 

秋月さんがツアーを終えてホテルに帰ってきたのが9時くらい。このミーティングが、10時15分くらい。僕が、自分の部屋で待機していた時間帯に、できる対応はすべて実行されていた。

 

ふたたび長い沈黙だ。こういう時、僕のような派遣の人間はつらい。自分の思ったことを、思い切って言えない。僕はこの時、ウェストポーチはともかく、ナイフ&フォークは秋月さん本人が持っている確率が高いと思っていた。なんとかして、彼女の部屋にセキュリティーが入る機会をつくりたい・・・その方法を考えていた。

 

「私・・・もう一回説得に行ってきます。」

 

口ぐちに「無理だ。」、「やめましょう」と皆が言うのを振り切って、泉さんは立ち上がり、秋月さんのところへ向かった。やがて、小石川さんの携帯電話が鳴った。泉さんからだ。彼女は、携帯を盗聴器代わりに使おうとしていたらしい。胸のポケットあたりに携帯をしまっているようだった。二人の会話がわずかに聞こえるらしく、小石川さんがじっと聞いている。

 

「うーん・・・会話の内容はよく聞こえないけど・・・秋月さんの口調がかなり激しいですね・・・説得は無理だな。」

 

ほどなくして、泉さんは肩を落として戻ってきた。

 

ふたたび、沈黙・・・。空気が重い。重いが、おそらくそこにいる全員が思っていた。

 

「秋月さんは、おそらく何も盗まれていない。」

 

だが、確信がないから誰も口に出さない。

どうすれば、秋月さんにセキュリティーチェックを受けていただくことができるのか。一番の近道と思われるものが、既に僕の頭の中にはあった。おそらく、他のスタッフも気づいていたはずだった。だが、誰の口からも発せられない。

 

やがて、僕と片岡さんの目が合った。

 

「やっぱり秋月さんは怪しすぎる・・・。」