登場人物

 

マスター・ツートン

自称天使の添乗員。今思う。もし、単独添乗だったら、このピンチは乗り切れなかった。

 

秋月さん

女性の一人参加客。詰めの甘さでツートンを仕留め損った。というかそんなに添乗員をいじめてどうするんですか?

 

泉さん

秋月さんが参加しているグループの添乗員。実は名女優。しかも超腕利き添乗員。

 

現地ガイドさん

夜遅くまでおつかれさまでした!

 

 

「あなた、なに調子に乗っているの?ナイフ&フォークがあったからっていい気になってるんじゃありません!ウェストポーチがあるわけないじゃない!」

言葉の準備をしていた僕は、言い返そうとしてしまった。しかし、泉さんが、小さく手をかざして僕を止めた。そして、すぐに秋月さんのほうを振り返り、またもや優しく言った。

 

「やってもらいましょうよ。ナイフ&フォークは勘違いだったでしょう?ここでウェストポーチはないって分からせたほうが、ホテルも、今後の調査をしっかりやってくれますよ。こんな時は、徹底的にやってもらったほうがいい・・・」

 

「勝手にしなさい!」

 

泉さんの言葉を最後まで聞かずに、秋月さんは、ソファにどかっとかけて、マカオの夜景が美しい窓の外側に顔を向けた。

 

再び調査がはじまった。スーツケース、ベッドの下、クローゼット、バスルーム・・・あらゆる場所をチェックして、最後に残ったのがセフティーボックスだった。ここになかったら、残念ながら(と、言っていいものか)、本人が本当に失くしたということだ。そして、また面倒な対応に追われることになる。

 

「セフティーボックス?調べたってむだよ。私、使わない人だもの。見てもいないわ。」

 

ところがだ。セフティーボックスが閉まっていた。暗証番号式のセフティーボックスは、前の宿泊客がチェックアウトするときに、開けておくのがルールだ。万が一閉めて出ていった場合は、メイドか、次に泊まった客など気付いた人間がフロントに報告すると、権利を持ったスタッフが開けに来る。

 

マネージャーの言うことを通訳して、ガイドが秋月さんに伝えた。

 

「知らないわよ!最初から閉まってたわよ。そんな粗探ししてもむだよ!ないわよ。ないない!!」

 

また、だんだん興奮してきた。しかしこの時、秋月さんは矛盾したことを言った。セフティーボックスは、使わない、見てもいないと言ったのに、最初から閉まっていたとも言った。なぜ、見てもいないセフティーボックスが閉まっているのを知っているのか?会話の流れの中での単なる言い間違いか?

 

僕は、マネージャーに会話の流れを伝えた。彼との会話は英語だ。

 

「お客様がお部屋に入った時に、セフティーボックスが閉まっていることは、時々あります。クリーニング中にメイドが気付かなければ、フロントにも報告されませんから。」

 

「ここで、今開けることはできないのですか?」

 

「秋月さんの許可があればできなくもないですが、基本的には、チェックアウト後に開けるのが原則です。」

 

「え?本人のものでないかもしれないのに、開けるとしても許可が必要なのですか?」

 

「はい。ご宿泊いただいてる間は、お部屋のものは、お客様のものですから。」

 

うーん・・・。しかし、僕は開けたかった。泉さんは、僕らの会話をじっくり聞いている。秋月さんの位置からは、会話を聞きとるには、少し、距離があった。

 

「僕が、責任を取ります。秋月さんに許可をいただいたら開けてください。」

 

「分かりました。」

 

「何をこそこそ話してるの?終わったらさっさと出て行きなさい!」

 

秋月さんが不機嫌に言った。お客様に出ていけと言われたら、通常は出ていく。でも、僕らにとっては、これが真実にたどり着けるかもしれない最後のチャンスだった。

 

「念のため、セフティーボックスを開けてもよろしいでしょうか?」

 

「どうぞどうぞ!・・・でも、何もないわよ。あなた、そういった言葉が、どれほど私を傷つけてるか分かってる?・・・まあいいわ。さっさと開けなさい。」

 

マネージャーが、セフティーボックスを開けるための機器を取りにいった。暗証番号式のセフティーボックスを開けるには、暗唱番号を入力する以外は、機器を使用して磁気を発生させて開けるしか方法がない。その使用が許されているのは、ホテル内の限られた責任者だけだ。

 

マネージャーが機器を持って部屋に戻ってきた。本体を手に持ち、パイプの先をセフティーボックスに当てて、機械を作動させた。ヴ――――ン・・・と振動音がしたあと、「カチャン」という音とともに、セフティーボックスの扉がゆっくり開いた。

 

複雑だった。ポーチが出て来ても、出てこなくても嬉しくないような気がした。

 

白い帯状のようなものが見える。腹巻き?・・・・・・・真ん中にふくらみがある・・・・・ウェストポーチ?・・・・服の下につけるタイプのウェストポーチ・・・・!!

自然と足が出た。セフティーボックスに近づいて詳しく確認しようとした。

 

ガシッ!っとガイドが僕の肩をつかみ、耳元でささやいた。

 

「先に触ったらだめです。」

 

近寄って目視で確認するだけのつもりだったのだが、彼から見ると、僕は冷静さを失っているように見えたようだ。

 

ガイドが声をあげた。

 

「秋月さん!中を確認してください!!」

 

「なーによ!!私は、何も入れてないわよ!!」

 

「いいから確認してください!お願いします。なにか入ってるんです!お客様が確認しないと、ホテルの人も触れません!お願いします!!」

 

「しょうがないわねー・・・。」

 

スタッフ全員の目がセフティーボックスと、面倒くさそうに歩く秋月さんに注がれる。そして、中を見た瞬間、彼女は、

 

「・・・あ・・・あ・・・あったわー!泉さん・・・ごめんなさい・・・。え・・・?なんで・・・なんでえ・・・?ごめんなさい・・・泉さん・・・」

 

両手で口を覆って、彼女は、泣き顔になった。いや、きっと嘘泣きだろう。そして、泉さんのほうに駆け寄っていった。さっきまで鋭い目つきだった泉さんは、秋月さんに泣きつかれた途端に、そのテンションに合わせながら、やはり泣き顔になった。様子を気ににしていたから演技だとわかったが、なにも知らずに見たならば、絶対に演技とは思えない名演技。大袈裟な表現ではなく、アカデミー賞ものだ。

 

「うそよ!絶対うそ!そんなことあるわけない!もう一度確認してください!!前に泊まってた人のものでしょ!?秋月さんにそんなことあるわけない!」

 

という、まるで、どこかのサスペンスドラマの台本に書かれているようねセリフを言いこなし、本物の女優顔負けの演技をしている。それも、嗚咽(の振り)している秋月さんのテンションに合わせて。「どんな時でもあなたの味方」という姿勢を、秋月さんの前では崩さない。

 

僕は、そのシーンを傍で見ながら考えていた。最初、秋月さんは、「ウェストポーチがなくなった!」と、助けを求めてきたのだ。それが前の部屋どころか、なんでこんなところにあるのか。最初の問い合わせはなんだったのだろう。銀製品を隠した嫌がらせは説明がつく。僕の態度がなにかしら気に入らなかった、或いは、百歩譲って接客態度に問題があったか。でも、ウェストポーチの件は、まったく動機が思いつかない。考えれば考えるほどイライラした。

 

ガイドが「大丈夫ですか?」と、僕の肩をたたいてきた。「うん。ありがとう」とこたえたが、イライラは止まらない。

 

秋月さんは、まだ、泉さんに泣きついていた。「本当、本当に知らないの。覚えていないのよ。なんで・・・なんであそこにあったのかしら?」

 

そんなわけがない。前の部屋で投げ出したウェストポーチが、この部屋にあるわけがない。大切なウェストポーチを、訳もわからずセフティーボックスに入れるはずがない。何もかもあり得なかった。

 

なおもシラをきる秋月。よくも・・・よくもぬけぬけと・・・。

 

見るに堪えられなかった僕は、彼女の死角に入り大きく息を吸い込もうとした。が、うまくできない。怒りで呼吸が震えて、うまく吸い込めない。小さな呼吸を何度か繰り返して、ようやく深く大きく息を吸い込んだ。これ以上吸い込めないところまで吸い込んで、ゆっくり吐き出す。

 

大きな呼吸は、息と一緒に多少の怒りも吐き出したようだ。体の力がぬけていくのが分かる。

 

ふと、両手の平に痛みを感じた。僕は、知らないうちにグッと両手を握りしめたいたらしい。少しのびた爪が、手の平に食い込んで、大きな跡を残していた。