登場人物

 

マスター・ツートン

自称天使の添乗員。と言いたいところだが、天使大失格のミスをしてしまい、対応に追われております。

 

北条さん

旅行中、モロッコで亡くなった男性客。

 

千代さん

北条さんの奥様。旅行中にご主人を亡くされた。軽い認知症。

 

上杉さん

北条さんの実の娘。ご主人の遺体搬送手続きのため、日本からモロッコへ向かった。その際、同行者の手配を依頼して、そこに割り当てられたのが僕だった。

 

武田さん

上杉さんの義理の姉。単独渡航を不安がった上杉さんに日本から同行した。

 

上川さん

北条さんと千代さんの友人。

 

木田さん

旅行会社の社員。今回、上杉さんへの同行を僕に依頼した。

 

富永さん

木田さんの上司。北条さんが参加していたツアーの添乗員。冷静沈着。判断も的確。頼りになる。

 

 

激しい動揺が少しおさまった後、遺体の日本到着が遅れることによって、起こり得ることを想像してみた。4人が怒るのは当然として、自分がすべき対応が必ずあるはずだ。

 

とりあえず真っ先に浮かんだのは、北条家のスケジュールだ。上杉さんは、遺体が届くその日に通夜を行うと言っていた。このままいくと、仏様なしでの通夜となってしまうが、さすがにそれははありえないだろう。この時のパリの時間が12:30。日本とパリの時差は8時間日本が進んでいるから、東京は現在夜の8:30。今、日本に連絡すれば、最悪の事態は避けられる。まずは、日本の木田さんに指示を仰ごう。

 

「単純なミスだ!」

 

まず、お説教がくるのは覚悟していた。当然だ。何を言われても仕方ない。だが、いつまでも説教ばかりが続いた。時計を見ると五分近く経っている。これは、緊急事態だった。僕のしでかしたことはともかく、今、一番必要としているのは指示なのだ。

 

「こんなことで、最後にクレームもらったらどうするんだよ!」

 

思ったよりもお買い物に時間をかけているお客様たちも、もうすぐ帰ってくる。その後は、搭乗も始まる。日本のご家族に電話するとして、残された時間はわずかだ。

 

僕は、自分が完全に悪いと心では思っていながら反発した。

 

「本当に申し訳ありません。でも、お言葉ですが!どうして検疫のことを前もって教えてくれなかったんですか!?エアー(飛行機)の予約の時に、検疫のことを考えてくださってもよかったじゃありませんか!?」

 

間違ってはいないが、ミスをした僕が言うべきことではない。だが、木田さんも、ある程度同じことを考えていたようで、言葉が止まった。

 

「お客様たちが戻ってくるから一度切ります。」

 

僕は、一度電話を切った。まだ、上杉さん達の姿は見えない。そのすきを見て、前日のうちに帰国しているはずの富永さんに電話してみた。あの人なら、なにか的確な指示をくれるかもしれない。

 

「富永さん、僕です。ツートンです。今、パリで・・・」

 

「あー・・・私です。いつもお世話になっております。今、たてこんでまして・・・ちょっと席を離れますから・・・。」

 

富永さんは演技した。会社にいるらしい。木田さんがそばにいるのだろう。少しすると話し始めた。

 

「木田君と喧嘩しちゃったろ?こっちはまかせておけ。」

 

さすがは富永さん。

 

「昨日、上杉さんの家族と連絡を取った。お前とマドリッドのガイドのことをよくやってくれていると、褒めてくれてたってさ。随分とお礼を言われたよ。それで、どんな感じで、どうするつもりだ。」

 

「通夜を上杉さんたちが、帰国されたその日にされるつもりらしいから、まずは日にちをずらすなり、それをなんとかしないと。僕の携帯ですぐに連絡します。今考えられる支障はそれくらいなんです。」

 

「そうだな。許されるミスではないが、ちゃんと説明して、通夜のことさえなんとかすれば大丈夫だ。まあ、検疫のことは、みんな見落としてたよ。エアフラ(エール・フランス航空のこと)の東京オフィスもな。あとからフォローはするから、そっちのお客様に集中しろ。」

 

「はい。ありがとうございます。」

 

「それと、木田君も、この一週間は本当に大変だったんだ。君の気持もわかるが、帰国してから、もう一度きちんと謝れ。」

 

そう言われて電話を切った。

 

4人が買い物を終えて帰ってきた。ニコニコ顔だ。上杉さんが近寄ってきた。

 

「はい!今回は、本当にいろいろありがとうございます。」

 

そう言ってワインを両手に持って差し出してくださった。それも、自分なら手が出ない銘柄の高級ワインだ。

 

「お店の人に一生懸命に片言英語で話してね、ようやく買えたのよ。」

 

当時の値段で1万円前後のものだ。ちょっとしたお礼にこれくらいのものを買えてしまうのが、この方たちの金銭感覚だった。経費を全部出すから、同行者をつけて欲しいというだけはある。こういった時、現金の謝礼を出す方もいらっしゃるけど、やはり物のほうが気持ちが伝わってくる。4人の笑顔のおかげで余計に感謝の気持ちが伝わってきた。いつもなら、一度お断りした後、丁寧にお礼を申し上げて受け取るところだ。

 

だが、今は違う。むしろ、お詫びを申し上げる前に先手を打たれてしまったことで、さらに罪悪感が増していく。上杉さんは、早く受け取ってとばかりにワインを僕に差し出している。

 

「あの・・・ご遺体の搬送のことなんですが・・・」

 

僕は正直にすべて話した。千代さんは、笑顔のままだ。よくわかっていない。3人の顔からは笑顔が消えた。家族でない上川さんは、他3人の顔色をうかがっている。武田さんも、しばらく固まった後、上杉さんを気にし始めた。

 

上杉さんは、じっと僕を見つめながら、何度かゆっくりと頷いて、

 

「わかりました。父が日本に着くのは1日後なんですね?」

 

「はい。そうです。・・・申し訳ありません。完全に私の確認ミスです。本当に申し訳ありません。」

 

短い沈黙の後、上杉さんが口を開いた。

 

「確かにミスなんでしょうけど、どうか気になさらないで。今までやっていただいたことを考えれば、大したことではありません。ここにきて、たった一日です。本当に気になさらないで。」

 

ヒステリックに怒られても仕方ない場面だ。まったく真逆の反応に、僕は面食らった。

 

「ありがとうございます。・・・申し訳ありません。しかし、受けたからには最後までしっかりやらないと・・・それに通夜・・・」

 

上杉さんは手をかざして僕を制した。

 

「ツートンさんは、私なら一人でできないことを、すべてやってくださったんです。感謝以外の気持ちはありません。本当よ。」

 

そして、一度下げたワインを僕の胸に押しつけた。

 

「これは、あなたのものです。どうか受け取って。」

 

信じられないくらい優しさに、僕の頭の中は、感動を飛び越してとんでもない状態になっていた。大クレームになってもおかしくはない案件だ。重ねてお礼とお詫びを申し上げようと思ったが、言葉がなかなか出ない。いや、出せなかった。なにか話したら、きっと涙声になってしまう。深々とお辞儀だけをした。

 

既に搭乗は始まり、ファイナルコールとなっていた。大半の乗客が乗り込んでおり、僕らも早く機内に入るよう促された。4人をビジネスクラスレーンに見送った後、僕は足早にエコノミークラスの席に進んだ。

 

まるで神様のような上杉さんの言葉に、感動で爆発寸前だった僕の頭の中も、だんだん思考が回復してきた。荷物を棚にあげて、シートに座り一息ついた。

 

・・・・・・・・・・・おかしい。なんか忘れている。なんだろう・・・・?

 

「あ!お通夜!」

 

思い出した僕は、実際に声をあげていた。

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次回、最終回!
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カスバ街道にて夕暮れと、その中で仕事あがりだろうか。労働者のシルエット。
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オアシスエリアのトドラ渓谷近く。女性たちが選択をしている。モロッコの田舎では、今でも川で洗濯をしているところがある。

ここから先は、モロッコでみかけた猫たち。IMG_5951
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あ、一匹犬がいた(笑)