登場人物

 

N美

本編の主人公。お話にならない状態から、いっぱしの添乗員になった努力家。一方で、「よかったらブログにコメントしてもいいよ」と言ったみたら、第一話からそれをして、しかも自分で拍手を連打するほどお調子者の一面も持つ。一面というか、そういう性格。

 

マスター・ツートン

お話しにならなかったN美と、とことん向き合って、いっぱしの添乗員になるお手伝いをした、鬼軍曹の鬼教官。本当は、「自分が育てた」と言いたいのだが、とりあえず謙虚でいます。このシリーズの中では、文字通りマスターです。

 

 

僕が、N美を教えるようになったのは、2012年の12月だった。

 

派遣元に入ったのが、2011年4月。大学を卒業して新卒で入ってきたのは知っていた。そこから僕と出会うまでのことは、ほとんど知らない。

 

広島に引っ越した彼女にLINE電話で連絡をしてみた。事前に「N美物語」を書きたいのだけどと断りを入れて、インタビューにも応じてくれるということだったが、当時の給料明細をとっておいてあり、そこに記載されたツアー内容も把握しており、丁寧にこたえてくれた。さすが添乗員。準備がいい。

 

「派遣元に入ったのは、2011年の4月ですね。初添乗は8月です。T社のトルコです。」

 

所属から初添乗まで4か月?ずいぶんと長い。派遣元にもよるが、普通は、所属してから二週間ほど社内研修を行い、それから旅程管理主任者(添乗員の資格)の筆記試験を受けて、実地研修(※)を行って、それからはすぐに添乗に出る。普通なら二か月くらいで添乗に出る。もっと早い人もいるかもしれない。

 

「それは、震災のせいで仕事がなかったから・・・。」

 

そうか。2011年は震災があった時だ。ツアーがすべてなくなったわけではないが、僕らの取引先は、ベテラン、またはそれに準ずる添乗員をツアーに割り当てるように要求してきた。なにかあった時に適切な対応をとれるようにという理由だった。当然、若手や新人には仕事が回らない。

 

これが、派遣添乗員の怖さだ。現在のコロナ禍でもそうだが、それまで仕事をどんなにきっちりこなしていても、ツアーがなければ収入がなくなる。この時も、有望な新人や若手が何人辞めていったことか。派遣元としても、「生活できない」と言われてしまったら止めようがない。

 

N美は残った。彼女は都内で両親と暮らしていたから、生活はなんとかなった。

 

「研修を終えてから、同期全員が社長に言われましたよ。『悪いけど、当分の間は仕事ないから。しばらくは自宅待機となります。もちろん、アルバイトなどはしていただいてけっこうです。』みたいな感じだったかな。」

 

その間、なにをしていたかよく覚えていないという。適当にアルバイトをしたり、ニートをしていたりしたらしい。この辺りは、派遣会社のぬるいところでもあった。この派遣元は、希望者にアルバイトを紹介するなど、それなりの努力や気遣いはしていたが、ふだんなら行わない研修やレポートを課することはなかった。もっとも、こういう有事時は、小さな派遣会社は、生き残るだけでも必死で、そこまで面倒を見られないという実情もあったろう。

 

「よく覚えてるのはね。ボランティアです。」

 

「なんのボランティア?」

 

「東北に行ってきました。」

 

「え?震災ボランティア行ったの?」

 

この時、僕の7年前の彼女を見る目が変わった。当時、初めて会話をしたときのN美の印象は、「学生気分が抜けていない、典型的なゆとり女子」だったからだ。まさか、ボランティアをするために震災の現場まで足を運ぶ行動力があるとは。

 

「それで?なにをやったの?」

 

「足湯を提供する癒し係です。」

 

「・・・・・・・・。」←一瞬思考が止まっているツートン

 

N美には、「N美ワールド」という独特な語彙、世界がある。まわりの人が理解しがたい表現を発して、惑わせたり笑わせたりしてくれる。自分が第三者として聞いてる時は、かなり笑えるのだが、彼女と会話している当事者になると、かなりムカつくこともある。

 

「で?なんなのそれ?」

 

「私が行ったのは6月なんですけど、その頃になると仮設住宅ができあがってたんですね。そこに入ったお祖母ちゃんたちの話相手をするように言われました。」

 

「足湯は?」

 

「洗面器やバケツにお湯を入れて持っていくんです。それに足をつけてもらうんですね。さすりながら、話相手をするんです。まさに癒し。」

 

「へー・・・瓦礫なんかはもうなかったの?」

 

「まだたくさんありましたよ。でも、そういうのは男性がやるんです。他にもいろいろ仕事はあったようですが、私が割り当てられたのは、『足湯の癒し係』という班です。」

 

これだけ聞いたら、他にまかせられる仕事がない人がやってる仕事みたいに聞こえるが、「東日本大震災 ボランティア 足湯」で検索してみたら「足湯ボランティア」という言葉が出てきた。正式なボランティア作業の一環のようだ。

 

N美は、被災地できちんとしたボランティア活動をしていたのだ。震災に苦しんだ人々の心に寄り添いながら。

 

「1週間だけですけどね()

 

最後はきちんと、つけてくれなくてもよいオチまでつけてくれた。

 

ところで、ツアーの多くはご年配の方々だ。特に女性が多い。一週間、ひたすら足湯で癒し作業を続けた彼女に、この活動はプラスになったのだろうか。

 

結論から言うと、さっぱり役に立たなかった。

 

 

※実地研修は、先輩添乗員についてサブ添乗員として同行するのが大半です。僕が所属していた旅行会社では、研修旅行というものがありました。筆記試験を通った後、実地研修を行わないと、添乗員ライセンスは発行されません。

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イスタンブールのブルーモスク。僕が教えた当初は、トルコばかり行っていた
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