登場人物

 

N美

このシリーズの主人公。怒涛の猛特訓に堪えて、いっぱしの添乗員になった。仕事ができるようになってからの彼女しか知らない人間は、この当時のN美を知って驚くであろう。

 

マスター・ツートン

このブログの筆者でN美の師匠。あれから7年も経つのかと思うと感慨深い。

 

マネージャー

派遣元の敏腕営業マン

 

営業くん

マネージャーの後輩の営業マン

 

Y子さん

同じ派遣元のベテラン添乗員。優秀な頭脳と多彩な知識を併せ持つ。訪問国数は100を超える。

 

 

東北で「足湯ボランティア」として活躍したN美は、東京に帰ってきて、少ししてから初めての添乗を経験した。行先はトルコ。優秀な日本語堪能なトルコ人ガイドの同行が保証されている、新人に向いているツアーだ。しかし、惨敗に終わる。

 

トルコのガイドは、流暢な日本語を話すだけでなくホスピタリティーにも優れている人が多く、日本の添乗員のような動きをする。つまり、新人が添乗員としての動きを学ぶのに適している。ガイドがついているだけではない。ホテルもいい。お客さんの好みにもよるが、食事も安定している。

 

そんな添乗員に優しいトルコばかりを割り当てられたのに、すべて惨敗に終わった。それ以外にも、中国本土の都市巡り、シルクロードツアーなど、日本語ガイドが同行するツアーばかりもらえたのに、すべて大のつく失敗に終わり、まったく結果を出せずに2011年を終えた。

 

N美を教えるようになる前、彼女のアンケート結果(各ツアーのお客様評価の平均点)を見せてもらったが、それはそれは悲惨なものだった。新人とはいえ、普通、こんな結果を3回続けたら、当分仕事はもらえない。この業界は、そのあたり厳しいから「向いてないよ」の一言で解雇だってありえた。

 

当時のことをよく知るマネージャーが、いつか酒の席で教えてくれた。

 

「N美はついてたんだよ。あの時は、震災後の自粛ムードが終わって、どの旅行会社もツアーが一気に増えたんだ。もう出せる添乗員がいないって断ろうとしても、『新人でもいいですから。多少のことには目をつぶりますから』って具合で頼まれたからね。あんな成績でも、N美に仕事をまわすことができたんだよ。」

 

震災やテロの自粛モードの後には、必ず極端な需要が発生するのも海外パッケージツアーの特徴だ。世の中の動きであっという間にお客さんがいなくなったと思いきや、ある時期から殺到する。この業界で、「V字回復」というものを何度経験しただろう。(あくまで添乗員の現場の話)

 

余っていたはずの添乗員が、今度は足りなくなる。そんな中、「本当は、もう少しトレーニングを重ねてから・・・」と思っている添乗員に、本来の能力を上回った内容の仕事がいってしまうこともある。経験が浅いうちは、「こなせるか、こなせないかギリギリのラインで、且つ、多分こなせる」ものを割り当て続けるのがセオリーだが、この場合そうもいかない。

 

「それでも・・・それでもね、N美には、簡単なのをあげたんだ。できなかったから。すぐにクビにはしないよ。採用した責任もあるし、彼女は新卒だったからね。」

 

2011年の忘年会で、僕は一度N美に会っている。派遣元の先輩Y子さんが紹介してくれたのだ。

 

「こちらN美さん。私が今、若手で一番期待してる子です。」

 

Y子さんが覚えてるかどうか分からないが、そのように紹介された。ちなみに、N美はまったくこのことを覚えていないそうだ。僕もそれ以外は、まったく印象にない。

 

年が明けてからも、時々N美にはツアーを割り当てられたが、全く結果が出なかった。添乗員が足りない状況が続くとはいえ、さすがに取引先も見逃してくれなくなってきた。

 

そして5月。中国のツアーで決定的なコメントを、お客様に記入されてしまう。

 

「添乗員がいる意味が全くなかった。」

 

取引先はC社。派遣元にとっては、主要取引先のひとつだ。そのツアーがきっかけとなり、

 

「N美さんには、もう少し成長してから弊社の仕事をお願いしたいと思います。」

 

というコメントを公式にもらってしまった。実質の出入り禁止だった。お客さんのコメントも、C社からの知らせも、N美の心に重くのしかかった。

 

震災時に失った売り上げを取り返し、さらに少しでも上乗せをしたいマネージャーは、もう一人の営業くんに相談した。

 

「なんとかどこかに押し込めないかな?」

 

「もう無理です!取引先からの信用を完全に失います。」

 

こうして、N美はしばらくの間、添乗の仕事を失うことになった。

 

C社からの出入り禁止は、当時の派遣元では、仕事の幅がかなり狭まることを意味していた。他社ツアーの商品で、N美が行けるようなコースは、あるにはあったが、そこは、後から入ってきた本当の新人に割り当てられた。ステップアップする時、きちんとそこについていけないと、また一からやり直しということはない。そこで踏ん張らないと退場となる。

 

追い詰められたN美は、とりあえず派遣元から紹介された、ある旅行会社の電話オペレーターのアルバイトをしていた。そして、いよいよ本格的に辞めようかと思い始めた。兼ねてからの親からのプレッシャーもあった。

 

「そんな仕事がないなら、他に探せば?」

 

という意見は最もだった。

 

ある日、電話オペレーターのアルバイトの帰り、たまたまその日に一緒していたY子さんに相談した。

 

「辞めようと思うんです。C社から出入り禁止も食らっちゃったし。」

 

すると、Y子さんからは意外な言葉が返ってきた。

 

「え?そんなことで辞めるの?出入り禁止ってC社だけでしょ?そんなことで?」

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N美が当初行きまくったトルコのエフェソス遺跡より。上からケルススの図書館、円形劇場、一番下は・・・なんだったかなあ・・・