今年の3月。現時点で最後の添乗から帰ってすぐ、僕は父親を亡くした(本編㉒参照)。

その後、母親も体調を崩して入院した。

 

僕は東京で暮らしていて、実家は栃木だ。母は退院できるまで回復しているが、世間がこんな状態だし、今はどこよりも病院が安心だから、そのまま入院させてもらっている。療養型というのは、そういうところがありがたい。最近は、予約制で面会も可能になった。

 

父の新盆と母のお見舞い。ふだんなら絶対に帰省するところだ。でも、今回はさすがに中止すべきか悩んだ。

 

我が家は、昔からお盆という行事を、とても大切にしてきた。社会人になってからは、僕の仕事の都合もあって大目に見てくれていたが、さすがに実の父親の新盆に行けないのは心苦しい。母の見舞いに行けないのも、とてつもなく親不孝な気がした。でも、今は歴史的事態だ。

 

そんなことを考えていた7月下旬。母親が入院していた病院から連絡が来た。

 

「ご予約いただいたお母さまの面会の件なのですが。」

 

「僕は、東京に住んでる兄のほうです。弟が予約したのだと思いますが。」

 

「ええ。そうです。弟さんから聞いてないのですか?それならこちらから直接お話しします。面会をされるなら、その二週間前からこちらに帰省されて、検温などの体調管理をなさってください。その間に問題なければ、面会にいらしていただいてけっこうです。」

 

「え?いいんですか?」

 

「今、こちらが申し上げたことを守ってくだされば。それにお父様の新盆でしょう?帰省するべきなんじゃないですか?」(父はこの病院で亡くなった)

 

母親が入院してからしばらく、着替えを持って行ったり取りに行ったりした時、きちんと消毒などして病院側が言うことに、ことごとく協力していたため、思った以上にスタッフたちと良好な関係を結べていたらしい。気を遣って面会に来れないならかわいそうだということで、電話をくれたようだ。もちろん、コロナ禍の中で譲れない条件はあるから、それは絶対に守らなければいけない。

 

4月にこちらに帰ってきた時よりも、僕自身神経質になっている。スーパーは、朝の開店直後か夜の10時過ぎに行く。人がほとんどいない時間帯を狙う。日中は家にいる。実家には風呂、トイレ、キッチンが一階の東西に別々にあり、他の家族とは完全に隔離生活している。夕方、陽が沈む前、誰もいなくなった近くの山を歩く。ヒグラシの鳴き声が響く山の中を歩くのが唯一の楽しみだ。

 

自分自身のことをウィルス扱いしてるようで、ちょっと悲しい時もあるが、優しい提案をしてくれた病院には感謝したいと思った。お盆までは長いけど。

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日が暮れる前の山頂にある神社。ヒグラシの鳴き声とあわせて怖い。人がいないからもっと怖い。でも、行くたびにお参りしてます。打倒コロナ!と。