登場人物

 

N美

立ち直った20台女子。今後どうなる?

 

イワ子

真面目な質問からは、逃げずに誠実に的確にこたえてくれるツートンの大後輩であり、戦友。

 

マスター・ツートン

N美にさらなる可能性を感じている彼女の師匠であり、自称天使の添乗員

 

 

N美の2018シーズン下期は、優秀添乗員廃止ショックから立ち直り、絶好調だった。ある日、マネージャーに出してもらったN美の成績データを見て驚いた。先輩をめいいっぱい利用しているだけあって、久しぶりに抜群の成績を連発し、平均値は過去最高レベルだった。

 

僕は、あることを思い付き、N美に連絡を入れた。

「N美、ランク2を目指そう。」

ランク3は、A社における添乗で、とりあえず行きついた場所ではある。地道に努力すれば誰でもそこまでは行けると言われてはいるが、実際に辿りつけるのは上位10%くらいだ。また、たどり着いても、すぐに落ちてしまう人もたくさんいる。保持できれば完全な実力派だ。N美は、このランクをもう二年も守っていた。

 

その上のランク1、2は、完全な別世界で、添乗員としては、努力だけでなくセンスも求められた。昇進する際の数値条件が、格段に厳しくなる。派遣元によっては、ここまで昇格する添乗員が0でも珍しくないのだが、うちの派遣元には5人いた。イワ子、チバ子、B美、とる子(後者二人は「コロナの記録と記憶㉕」に登場)、そして僕。いずれも僕が戦友として尊敬する添乗員ばかりだ。申し訳ないが、ここにN美が仲間入りするには、ちょっと違和感があったが、いつかは彼女が、単なる弟子ではなく戦友になることを夢見ている自分もいた。

 

「え?ランク2ですか?・・・プレッシャーだな。それに、私には無理だと思いますけど・・・。」

そう思うのも無理はない。だが、本当に狙える場所にいるのも事実だった。久しぶりに、本当の緊張感を味わいながら仕事をするチャンスでもあった。

 

このN美が置かれた状況を、僕はマネージャーに報告した。ランク2を狙うために、難しいツアーはかまわないが、スケジュール的に無理のある仕事の割り当てが生じないようにしたかった。繁忙期に、ある程度無理なスケジュールになってしまうのは仕方ないが、ランクアップのような明確な成果が見えたときは、その中で最低限の(甘やかさない程度だが)配慮をマネージャーはしてくれることがあった。彼は、N美の成績をじっと眺めながらつぶやいた。

 

「あいつ、今期はこんなに頑張ってるのかあ・・・。でもなあ・・・N美がランク2になったら、どうなのかなあ。ランク2の品位が落ちる気が・・・」

「お・・・おい!なに言ってるんだよ!」

 

慌てて突っ込んでみたものの、マネージャーがこんなことを呟いた気持ちは、理解できた。

N美は、信頼に値する実績は残していたものの、それを打ち消すような言動が、度々あった。同年代同士でも年上相手でも、おかまいなしに、ことごどく失礼な発言や行動をすることがあった。ドラマや漫画の世界なら、破天荒や型破り、天然などの表現で済まされるが、現実の世界では許されないものもいくつかあった。

 

また、人に言ってしまったら恥ずかしい失敗談を、平気で口にした。一番記憶に残っているのが、「熊の鼓動事件だ。」

ある、欧州ツアーの観光中、N美が英語ガイドの通訳をするシーンがあった。そこでガイドが、「ここは、熊野古道のようなものです。」と案内した。英語ならおそらく「It is like Kumanokodo.」とか言ったのだろう。N美の最低限の名誉のために言うと、さすがに熊野古道のことは知っていた。しかし、その時ガイドが言った「Kumanokodo」の発音に熊野古道が結びつかずに、

「えーと・・・なんだか熊の鼓動に関係あるようです。」

とかなんとか言ってしまったのだ。当然、お客様からは突っ込みが入る。

「違うわよ、N美さん!彼は熊野古道のことを言ってるのよ!()

お客様たちは、大爆笑だったらしい。

 

この話を、ネタとして笑い話でするならともかく、N美は、心から反省しているように話した。この場合、それが許せなかった。普通、こういう失敗は隠す。海外専門添乗員とはいえ、熊野古道は日本にある世界遺産の中でも、かなり有名な部類に入る。すぐに浮かんでこなかったのは、旅行のプロとして恥ずかしい。技術的なものでも経験値の問題でもない。常識の問題だ。

 

そんなことが、時々ある度に、腹立たしくて、腹立たしくて、腹立たしくて、腹立たしくて、腹立たしくてどうしようもない時があった。

なぜ、そこまで腹立たしかったのかというと、僕が、あほで間抜けでないN美の一面を知っていたからだ。

 

いつか、フランドル絵画「神秘の子羊」のガイディングをオフィス内で実演させた時、周りを驚かせるくらい完璧にこなした。あのプライドが高く、滅多に他人に触発されないチバ子がそれを見て、「燃えてきた」と、直ちに資料集めをして、次に行くベネルクスのツアーに備え始めたくらいだった。(エピソード㉔チバ子参照)

 

2016年の秋に、僕がスペインに行った時は、N美のツアーとほぼ同じ行程で動いた。N美本人は、この割り当てを「緊張する」と嫌がっていたので、なるべく彼女の視界に入らないように、でも、たまにタイミングが合った時に、彼女の案内を陰ながら見守っていた。こっそりと、控えめな昭和の女風に。星飛馬の姉の星明子のように。そりゃもうこっそりと。果たして、彼女は立派に案内していた。トークは完璧。お客様を退屈させることなく、きちんと惹きつけていた。

 

一度だけ、N美の友人に紹介されたことがあった。似たような声が大きいのが来たら、N美と二人で核爆発がおきると思ったが、極めてまともな友人だった。礼儀正しいし、常識的だし。N美も、その友人と話す時は、普通なのだ。

 

え?N美に二面性がある?そんなことはない。彼女には、表と裏などは存在しない。圧倒的に表だけだ。ただ、いくつかスイッチがあって、押すべきスイッチを時々間違えてる気がした。

そんなN美に時々腹を立てながらも、派遣元の皆は慣れてきつつあった。

「あれはあれでかわいいと思うわよ。」

「彼女の個性だよ、あれは。それに仕事はうまくいってるんだろ?問題ない。」

「結果が出てればいいよ。」

派遣元の中で、彼女に親い人から、僕の先輩格までみんなそうこたえるようになっていた。(影で何を言われているかは分からないが。)

 

そんなわけがない。それで許されるわけがない。そんなことを考えていた時、たまたまオフィスにイワ子がいた。彼女にも聞いてみた。今考えてみると、無神経で残酷な質問だった。N美は、イワ子にとっては先輩だ。僕は、先輩の評価を後輩にさせたのだ。

「N美のこと、どう思う?たまにある問題言動。突飛な発言と言うか・・・。」

「かわいらしくていいじゃないですか。」

にこやかにこたえるイワ子に、僕はもう一度、少し強い口調で尋ねた。

「本当にそう思う?彼女、あと2年もしたら30歳になるんだけど。」

イワ子は、僕と目を合わせて、少し間を置いてから真剣にこたえてくれた。

「私が初めて知り合った時と比べたら、かなり変わりましたよ。大人になったと思います。でも、今のまま30歳になったらまずいかなあ・・・。」

 

正直に、誠実にこたえてくれたイワ子に、心から感謝した。そして、後輩の彼女から見ると「かなり変わった」印象があることも分かった。そうか。N美は、変わったからランク3まで来られたのか。考えてみたら、僕自身、彼女の成長を度々感じていた。そうなのだ。変わっているのだ。そうだとしたら、これからもまだ変われるかもしれない。


「ありえるな。ランク2は。」

 

僕は、確信を持った。