登場人物

 

N美

彼氏の転勤で、東京での彼氏との生活がたった二か月間で終わってしまった。

 

T子

辞めることが決まってから、快進撃を続けている若手。その後、コロナが来て・・・

 

マスター・ツートン

これでも、いろいろと悩んでいる師匠です。

 

 

2019年内から年明けにかけて動きは続く。

まずN美王子は、同棲を始めて間もなく、広島への転勤が決まった。生活がようやく落ち着いてきた中での突然の知らせだった。転勤の知らせが突然なのは当たり前だが、住み始めたばかりだけに同情した。N美自身にもツアーがある。結婚を前提にした二人の生活が最優先とはいえ、主力となっていたN美の即座の離脱は、派遣元にとっては痛い。難しい問題だった。

 

T子は、結局、年を跨いでも海外添乗をしていた。ただ、ここまでくると、添乗で培った交渉能力を駆使して、マネージャーときちんと渡り合っている。

「持っている資料すべてを会社に寄付してしまったから、難しいところにはいけません!」

と、宣言した。すると、じゃあ、T子の力であれば、資料なしで行けるところへ。ということで、またもやツアーが割り当てられたということだ。

この展開には笑ってしまった。この交渉が成立(?)したのは、まず、派遣元がたくさんのツアーをもらえていて、とにかく人手不足だったということ。もうひとつは、それまでのT子の実績と功績だった。どんなにタイトなスケジュールになっても、崩れずにツアーをこなし続けて、それなりの結果を出してきた。そして、辞めることを決めてからは、さらに高いところでで安定してきていた。利害の一致もあるが、きっと派遣元からのご褒美の意味もあったと思う。

 

当初の予定から、少しずつ予定が変わってきてはいたが、決してぶれずに、二人とも前を向いて進んでいた。だが、2020年の初め、予想もしなかった不幸が、旅行業界を、いや、世界中を襲った。新型コロナウィルス。N美もT子も、他の添乗員同様にコロナ禍に巻き込まれた。

 

これについては、このブログの中のカテゴリー。「コロナの記録と記憶」のエピソード㉒~㉖の中に、二人を含めた派遣元の添乗員の様子が描かれているので、細かいことは、ここでは省く。

 

T子は、家族全員が九州に引っ越したため、同行することに決めた。僕は当初、東京で残ってアルバイトなどで稼いだほうがいいのではないかと思ったが、東京のコロナ感染状況と生活でのストレス、経済状況を考えた時、彼女の判断は、大正解だった。今は、コロナ禍の収束を待ちながら、次の目標に向けて頑張っている。

 

T子は、元々知り合いの紹介から派遣元に入ってきた。よく通る澄んだ声と、お客さんにかわいがられそうな見た目で、高いポテンシャルを感じさせた。早いうちから結果を出して、信頼を勝ち取っていたから、欧州ツアーも早めに割り当てられた。

そんな彼女に対して、僕は、急ぎ過ぎて、そして多くを求め過ぎていたのかもしれない。新卒で海外添乗員の仕事を始めた彼女には、以前述べた通り、課題を言われた通りこなしてこないなどの、いわゆる「学生気分」的な甘さがあったが、こちらから指摘すると、やがて直っていった。

一方で、経験が浅いわりには、お客さんとすぐに馴染める術を持っていたし、「勉強のしかたが分からない。何を質問していいか分からない」と言っていたわりには、現地でそれをカバーできる機転を持ち合わせていた。

そんな彼女の不運だったところは、難しいトラブルとの遭遇が多かったことだろう。経験が浅いから、解決できないのは仕方ないにしても、そんな時に限って難しいお客さんが多かった。

例えば、イタリアの青の洞窟の観光で、到着当初は波が高く、洞窟行きのボートが動いておらず、観光が中止になった。ところが、ランチを終えてからの自由行動中にボートが運航を始めていた。その日の行程を考えたら、洞窟行きは諦めなければいけなかった。しかし、時間よりも早く集合場所に現れた一部の参加者が、彼女の制止を振り切って、勝手にボートに乗ってしまい、他のお客様を長い時間お待たせすることになってしまった。当然、待たされた側は収まらない。一部の方々の我儘を、なんとしても止めなくてはいけない状況で、止められなかったために起こってしまったトラブルだった。僕も、このトラブルを聞いたときは、なんとしても止めなければいけない状況だったと、強い言葉で指導した。

 

「複数で、しかもその中に男性のお客さんがいて、怒鳴るように突進して来たら、若い女の子には止められないわよ。」

そう聞いたのは、2019年の12月、エジプトの添乗中、カイロで同じホテルに泊まっていた、他の派遣元に所属する女性添乗員からだった。同じ旅行会社でよく添乗しており、顔見知りだった僕らは、ディナー後に、ホテルバーでビールを飲みながら、少しだけ話した。彼女の派遣元の添乗員が、難しい参加客に対応しきれず、ちょっとしたトラブルになっているという話になり、そこから派生して、どんなトラブルに遭ったことがあるか、或いは聞いたことがあるかを話した。

たまたま彼女が若かった時、別の場所で似たようなことがあり、一部のお客さんを止められずに、大きなトラブルになったということだった。

「今だったら止められるわよ。おばさんになったら度胸もついたし()。でも、若い時は怖かった。興奮したおじさんなんて、恐怖以外のなにものでもなかった。今なら、たった一度の旅行だから、興奮するのもわかるしね、『まあまあ落ち着いてください』とか言えるんだけどね()

 

ちなみに、この会話の中で、僕から青の洞窟のことは話していない。でも、まるで何かを知っているかのような彼女の話しぶりだった。

「あの時は、散々取引先には文句言われたのよ。でも、派遣元の社長は、旅行会社の事情を説明してくれる一方で、『相手が感情的になっていて、身の危険を感じたら無理しないで。そのかわりそのお客さんの問題を、きちんと指摘できるようにしておいてね。守ってあげるから』ってケアしてくれたの。ケアって大切だよね。あれがなかったら、私、怖さばかりが心に残って、あの時辞めてたかもしれない。」

 

ハッとした。僕は、T子に青の洞窟の件で、厳しい「旅程保障について」の指導はしたが、心のケアはしていない。男の僕には、女性がそういった時に感じる恐怖感は、想像できなかった。仮に、あの時のT子の対応がどんなにまずかったとしても、彼女にすべきは、指導だけでなく、心のケアもあったのか・・・。その両方をすることが、指導としての正解だったのだろうか。そういえば、T子が辞めることを報告してきた時も「お客さんへの恐怖心」を理由のひとつに挙げていた。

 

それがきっかけ?確かにあの頃、彼女は一時期不調に陥った。好調に続けていた仕事に陰りが見えて、A社でのランクアップが、滞ったのもその直後だった。

僕は、とにかく彼女に前を向かせようとした。そして、その直後に「逆襲」をテーマにして、一年二期にまたがって、A社の上位10%のランク3を目標に掲げた。彼女は、それに必死にこたえようとしたが、最後のツアーでわずかに失敗して、昇格を逃した。「期待に応えられず申し訳ありません。」と言ってくる彼女に、僕は、「目標を達成させてあげられなくてごめん」と謝っている。

 

あれ以来、しばらくの間、T子は、あまり僕に近づこうとしなかった。僕から関わり合おうとすれば無視はしなかったが、コミュニティーの中での関係は、以前ほど濃密ではなくなった。成績も、それなりに優秀で大崩れはしないが、以前ほど高い所で安定しなくなった。そして、そのままグアテマラに旅立った。僕は、間違えたのか?無駄な重圧をかけ過ぎたのか?彼女にすべきは、ただ前へ進ませるよりもまず、恐怖心を拭い取って、傷をいやすことだったのか?

ここで僕が書いて思っていることは、全部僕の一方的な分析であり、思い込みだ。考え過ぎかもしれない。でも、ひとつだけ確かなことがある。

辞めることを決めてから、彼女の顔には以前のような笑顔が戻り、伸び伸びと仕事をするようになった。そして、素晴らしい結果を出し続けるようになった。プレッシャーからの解放が理由なのか、師匠としてのツートンから解放されたことが理由だったのか。

 

T子のことは、僕の中では特にナイーブなものになっていて、正直、ストーリーの中でどのように描くか苦労して、一番描写が消極的になっていた。だが、この物語の中では、絶対に必要な人物だった。

 

ちょっと前に話す機会があって、ブログを読んで「気にかけていただいたことが分かって、感謝しています」というところから、「いろいろ教えていただいたのに、半分も生かせなかった」などの反省、「『逆襲』がテーマの時は、本当にプレッシャーがきつかった。達成できなかった時、謝られた時には、それが申し訳なくて、さらにプレッシャーになった」という本音や、「一時期はね、ツートンさんのこと大っ嫌いで、『ツートン塾行きたくねー、ツートンさんに会いたくねー』って思ったこともありました!ふふふ」という超本音を口にした。

 

そして、コロナ禍が終わることを前提にしている目標があって、それについて準備していることも教えてくれた。様々なプレッシャーがきつかったと言ってはいるが、最終的には「楽しく海外添乗を終われた」と言っているあたり、乗り越えたものもたくさんあるに違いない。それには、そのうちきっと気づくことだろう。

 

エネルギーを貯めた彼女は、その時期が来たら、あっという間に九州から飛び出してくることだろう。

 

彼女が、いろいろ言ってくれたから、僕も、最後にいろいろ書いてみることにした。書いたものを読み返して思ったのは、やはりT子もかわいい弟子だった。

次回、最終回。