コロナ禍は、僕らから仕事だけでなく、様々なものを奪い、拘束した。

3月の途中から次々にツアーがなくなり、4月には、海外添乗どころか、日本を出ることさえできなくなった。派遣元も、ツアーが少ない時は、ベテラン添乗員を講師に仕立てあげて講習、研修などをするものなのだが、この時期は、何をしても「密」に当てはまるため、まったく身動きを取れない。

 

僕は、3月上旬に実父が亡くなったために、実家に戻って葬儀を終えた後帰京して、今度は下旬に実母の体調不良が原因で再び帰省した。この頃になると、都道府県を跨いだ移動はタブー視されるようになったため、地元で冷ややかな目で見られないよう、二か月近くは実家で過ごしていた。

 

いきなり収入を失い、突然生活を変えざるを得なかったた者もいる。家業を10年支えて、ようやく添乗員に戻ったK奈は、不安に煽られて派遣元を離れることになった。あの涙声での報告は忘れることはできない。離脱は、一時的なものだと信じている。きっと連れ戻したい。

 

それぞれが身動きできない状態で、N美と王子も苦しい状況だった。王子が転勤した当時は、世間一般が「ステイホーム」が叫ばれた自粛期間の真っ最中。先に広島に行った王子も、世間がそんな状態では新居探しなどできない。N美は、実家に一時身を寄せることも考えたが、接触する人間を減らすためには、親にさえ会うのも憚られた。不経済ではあったが、東京のマンションで、しばらくの間一人で過ごすことになった。コンビニのアルバイトや、クラウドワークスで、僅かに稼いで貯えがの減少を防いでいたということだ。

 

どの業界で働いてるかによって感覚は違うかもしれないが、僕ら添乗員にとっては、あまりに急な世界の変化だった。ちょっと前までは、普通に世界を飛び回っていた。それが、たった二週間ほどで国内の都道府県を跨ぐのはおろか、近所への外出にさえ気を遣わなければならなくなった。

王子の転勤の後、忙しい派遣元を助けながら、結婚前に稼いでおこうとしたN美の計画はもろくも崩れた。ならば、すぐにでも広島に行きたいのに、それさえ許される状況ではない彼女の苦悩はいかほどだったか。

 

異常だった。マスクの着用を推奨されているのにどこに行っても見当たらない。除菌シートが手に入らない。トイレットペーパーもない。発酵食品が免疫力を高めるとテレビで言われた途端に、納豆とヨーグルトがスーパーの棚から消えた。お好み焼きの元やホットケーキミックスも姿を消した。

 

そんな状態が収まりを見せた頃、緊急事態宣言が終わり、都内の感染確認者数は、一時的に一桁台にまで落ち着いた。

 

5月下旬、母親の状態が落ち着いて、僕は帰京した。そして、6月に入ってから、会えなくてもずっと連絡を取り合っていた仲間たちと、それぞれ久しぶりに会った。もちろんN美とも会った。3月にオフィスを訪れて以来の再会だから、本当に久しぶりだった。大袈裟な表現ではなく、永遠に会っていなかったような気分だった。

 

戦友のB美や、3月にトルコに行くはずが、当日の搭乗拒否のためにひどい目にあったとる子さん、運よくコロナの影響を全く受けずに業界を去ったイワ子。リーダー格のY子さん。みんな変わらず元気だった。

N美は、相変わらずすっとこどっこいなところはあったが、本格的に結婚が決まって、だいぶ大人な雰囲気になっていた。そういえばマネージャーが言っていた。

「大丈夫だよ。いざ、結婚となると、女性はしっかりやってくれるもんなんだって。N美もそうなるよ。」

 

そのN美は、珍しくきちんと挨拶をして、王子の待つ広島に旅立った。しばらくして、ラインで王子と籍を入れたとの報告があった。とても幸せそうな笑顔で二人とも写っていた。T子は既に鹿児島にいる。ツートン塾の一、二番弟子は、遥か遠くに行ってしまった。かわいがっていたイワ子も、もうこの業界にはいない。

 

弟子二人と、イワ子がいないのは寂しいが、強がりでなく、「もう戻って来るなよ。」という気持もある。4、5年もこの仕事を続けたら、辞める時は疲れていても、後から楽しい思い出がたくさん湧いて出てくる。それを思い出して、再度、たとえそれが小銭稼ぎであっても、この仕事を始めてしまったら、なかなか元には戻れなくなってしまうだろう。地球の端から端まで飛び回るこの仕事の面白さは、一度離れてみるとよくわかる。実は、中毒性の強い仕事だ。だから、きちんと目標のある三人は、それに向かっていこうとしたら、簡単に戻ってきてはだめだ。

 

イワ子とT子は、きちんと送り出したから、N美のことも送り出しておこう。

本当によく頑張った。今まで一度も逃げることなく、弟子の中で、君は一番タフだった。君が一度も逃げなかったから、僕も他の人からなにか教えを乞われても、逃げずにいられた。

 

そして、結婚おめでとう。

 


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今回でN美物語は終了です。

当初は、添乗員として独り立ちしたところで終わりにしようと思いましたが、その後、T子のことなどで、N美のほうから助言をもらったことも時にはあり、成長した後も書きたくなったこと、また、海外添乗の幕切れが、コロナ禍が理由いうのも、この時ならではと思い、最後まで書きました。

 

最後までお付き合いいただいてありがとうございます。

 

今シリーズは、業界の身内の人々にもご覧いただいていたようですが、一部の人たちが尊敬して止まない(?)N美添乗員の始まりは、あんなだったのです。誰もが、あそこまで歯を食い縛って頑張れるとは思いませんが、やる気があって、丁寧に少しずつ様々なことを身につけて行けば、添乗員というのは、誰にでもできるようになる仕事だと思います。困った時は、人に、それも自分よりも現場に詳しい先輩添乗員に頼る勇気を持ちましょう。多少、面倒くさがられてもね。

 

次のシリーズは、バリっと緊張感あふれる旅行の現場に戻ります。また、N美物語では書けなかったマダムやジェントルマンな弟子たちの頑張りを描くことも構想してますから、どうぞお付き合いください。