ある年の10月。派遣元から送られたきたツアーリストの中身をチェックしながら、僕は感心していた。バルセロナから入り、サグラダ・ファミリア教会なしの、簡単な車窓観光のみで、すぐに地中海沿岸を走る高速道路に入る。国境を越えてフランスに入り、小さな街を二か所見学して、ラングドック地方に泊まる。それからプロヴァンス地方を見学してアビニョン宿泊を経由して、最後はコート・ダ・ジュールに入りニースに二泊して旅を終える。なかなか通好みの旅行だった。コースとしては、とても良い。一昔前なら、マニア好みの旅行会社でしか売れなかったツアーが、今では、大手の旅行会社が仕入れに物を言わせて、安価で出して飛ぶように売れていた。南欧のこの手のツアーは、南欧によく行く添乗員が奪い合ってなかなか来ないのだけど、よほど売れたのだろうか。運よく僕にも回ってきた。

 

こんなグループがあった。

この素敵なツアーは、11月中旬出発ということもあり、20万円以下の超お買い得価格だった。安価なツアーが悪いということはないが、この価格帯のツアー参加者には、初めての海外旅行をお値段だけで選ばれて、さっぱりなにもお分かりになってなかったり、やたらにせこい方がいらしゃったりすることが多い。しかし、この時は、まったくそのようなことはなかった。やはり、コース内容のせいかもしれない。いつものツアーとは雰囲気が違った。

「ふだんは、〇〇旅行社とか、この会社の、ひとつ上のブランドで旅行してるんだけど、このコースがあまりに素敵でつい来ちゃった!」

「そうそう。回り方がいいですよねー。行程に無理もないし。」

よくパンフレットをご覧になっている方が多かった。やはり旅慣れた方々が多い。

 

こんなレストランにも、時には行くのだ。

フランスに入ってからの最初の食事は、フランス国内では有名なステーキチェーンだった。分かりやすく言うとファミレスだ。雰囲気もお料理のグレードも、デニーズ、ロイヤルホスト、ジョナサン、フォルクス、ステーキ宮。どこをご想像いただいても当てはまる。

「なんで旅行中にファミレスなのよ。」

いつもは、もうちょっといいツアーにご参加されているらしいマダムが、ステーキを切りながら何か仰っている。文句のわりに、食は進んでいるようだった。

「お前がこのツアーを選んだんじゃないか。俺は、いつものブランドで行こうとしたのに。それにけっこう美味いよこれ。お前もなんだかんだで食べてるし。」

ご主人が、マダムをたしなめた。夫婦喧嘩ほどの言い合いではない。じゃれ合いだ。

「この値段なんだから、こんなもんさ。ねえ?」

・・・しまった。思わず反応したら目が合ってしまった。こういう時に同意を求められるのは、とても困る。「はい、安いですからね。このツアーは。」なんて言えるわけない。

「でも、このチェーン店のステーキは、けっこう美味しいですね。」

などと、適当なことを言ってごまかす。本当は、最後に言いたい「値段のわりに」というフレーズは、意識して省く。

「そうよー。奥様、これは美味しいわよ。」

ご年配の女性二人組がマダムに突っ込みを入れた。お二人ともご主人を亡くされていて、最近は、いつも二人で、年に5回も欧州の格安ツアーに参加されるという。なかなかの旅道楽だ。

「食事って、けっこうお金かかるのよ。」

お二人は、時々、パリやロンドンの一週間滞在で、飛行機とホテルだけ予約して、食事は全て自分で手配する旅行もしているそうだ。そのため、ちょっといいレストランで何度か食事をして、あっという間にお金が飛んでいくという経験もされている。旅の予算は食事次第ということを、よくご存じの方だ。

ツアーの食事について、「この値段(高い安いに関わらず)なら」と言う時は、お客様によって微妙にニュアンスが違う。ただ、漠然とツアーの値段だけを見ておっしゃってることが大半だが、今の二人組のように、自分の個人旅行に重ね合わせて、鋭い分析をされる方もいらっしゃる。

 

ドライバーが、ステーキをたいらげると席を立った。まだ、食事を始めて30分ほどしか経っていない。

「マッシモ(ドライバーの名前)、デザートは?」

「いらない。太る。今日は、この後が長いから、すぐに出発できるように準備しておく。」

名前の通り、イタリア人のドライバーだ。イタリア人ぽくない、テキパキとした仕事ぶりとストイックな雰囲気が印象的だった。今回は、フランスとスペインのツアーだが、なぜかイタリア人のドライバーが来た。

ドライバーのクリーム・ブリュレがテーブルの上に残されている。

「それ、もし余ってたらいただいてもいいですか?」

30代前半くらいだろうか。食べるのが大好きそうな女性が、お伺いを立ててきた。「どうぞ。」と軽く返すと、喜んで自分の席にお持ちになった。

「あんた、そんなに食べてどうするの!?いい加減にしなさい!」

「まだ最初なのに『いいかげんにしろ』はないでしょう。これくらいはいいの。」

母娘のバトルが華々しく始まり、グループは笑いに包まれた。

 

女性が、2つめのクリームブリュレに手をつけた時、マッシモが、スタスタと真顔で戻ってきた。なにか怒っているようにも見える。

「まだ、時間いいだろ?いくらこの後長いからって。」

「それは問題ない。」

「デザートなら彼女にあげちゃったけど・・・。」

近くのテーブルでは、女性がデザートスプーンを手に持って、口に入れたまま固まっていた。そんな彼女をマッシモはチラッと見て言った。

「それも問題ない。」

僕が、「それはお客様のものだそうです」とお伝えすると、彼女は、安心して嬉しそうにデザートを食べ続けた。

しかし、マッシモは真顔のままだ。そして、僕に顔を近づけてこっそり言った。

「誰かがバスを開けた。」

「え?」

グループの和やかな雰囲気の中でリラックスしていた僕は、彼の深刻な言葉をすぐには理解できなかった。マッシモは、僕に席を立つよう促し、グループから離れたところで、今度は少し強く言った。

「誰かがバスを開けたんだ!」

一気に頭が切り替わる。バスのドアが、こじ開けられたということだろうが、僕も「こじ開けた」という英語が浮かんでこない。

「誰かが、ドアの鍵を壊して、バスの中に入ったということ?」

「そうだ!」

すぐにバスに駆けつけた。

「俺のバッグがなくなっている。お客さんの荷物もなくなっているかもしれない。君の荷物はどうだ?」

僕は、すぐに自分の座席を確認した。すると、ふだん持ち歩いているキャリーバッグがなくなっていた。

「やられた・・・。すぐにお客さんを呼んで来る。バスから離れないでくれ。頼む。」

レストランでは、お客さんが飲み物の支払いを終えたところだった。とてもいい雰囲気に水を差したくないが、そんな場合ではない。

「みなさん!お知らせがあります。落ち着いてお聞きください。この食事中に、私たちのバスが、車上荒らしにあいました。」

「シャジョーアラシ??」

耳慣れない言葉だから、訳が分からないのは無理がなかった。僕は、自分を落ち着かせて言い直した。

「この食事中、何者かが、私たちのバスをこじ開けて、盗難を働いたようです。マッシモと私のカバンやキャリーバッグが盗られています。みなさんも、すぐにバスの中をご確認ください。すぐにです!」

「えー!?」と慌ててバスに駆けつける方、「前方の席じゃないから大丈夫だろう。」と、楽観的な方、反応はそれぞれだった。

僕は、その間にレストランのスタッフに事情を話して、警察に通報するように頼んだ。話終えてバスに戻ると、大騒ぎになっているかと思いきや、意外にも静かだった。マイクを手にした時、一斉に注がれた視線を感じた。良くない雰囲気だ。僕は、被害が最小限であることを、心から願った。

「お急ぎご確認いただいてありがとうございます。それで、なにかしら盗られたものがある方はいらっしゃいますか?」

祈り虚しく、大半の方の手が上がった。「やはり・・・」

「申し訳ありません。それでは、全く被害がない方は?」

どなたも、誰も手を上げない。さすがに僕も動揺した。

「え?全員が被害者ですか?社内後方まで歩いてまいります。他の方の手前、自分だけ無傷なのは申し訳なくて言い難いという方は、合図でもいいからお知らせください。」

しかし、やはりどなたも反応されない。最後、無言で立ちすくんだ僕を、マッシモもお客さんたちもじっと見つめたいた。

 

2日目。昼食中の車上荒らしの被害あり。ツアー参加者20名。被害者20名と案内人2人。

 

こんなことが本当にあった。