警官が来てくれないとなると・・・。


パスポートを失った方がいるということは、大使館で再発行などの手続き上、警察発行の書類が必要になるから、絶対にこちらから出向かなければいけない。他の方で、被害額の小さい方は、僕が作成する現認書だけでもなんとかなるかな・・・。

いや、甘い判断はやめよう。20人全員が被害者なのだ。ここは、しっかりと段取りを組まないと、後々大変だ。パスポートの問題を除けば、本格的な手続きは帰国後になる。その際、保険会社からなにか書類を求められて、お客様の手元にそれがなかったら、仮に審査を通るとしても多大な時間を要することになる。

「後回しにしないほうがいいい。今すぐ警察に行こう。」

マッシモが提案した。

「私も、いますぐ行ったほうがいいと思います。後になるほどデモの対策で忙しくなるはずですから。」

レストランのスタッフもそう言ったので、従うことにした。レストランの駐車場で起こったことなので、店の危機管理も問いたいところだが、この場で片付く話ではないので、ここでは深入りしない。

「アドバイスありがとうございます。後で現地手配会社から連絡ありましたら、対応と報告をお願いします。」

と、含みを持たせた挨拶をして、僕はレストランを後にした。とりあえず、出すべきものを出してもらって、早く観光に戻らねば。パスポートを盗られた方は別にして、それ以外の方は、早い対応ができれば、お客様の気持ちを早く旅行に戻すことができるはずだ。少しだけでも心の傷口をふさぎたい。

 

ところが、こんな時ほど物事はうまくいかない。まず、警察では散々待たされた。マッシモに列に並んでもらって、その間に僕は、お客様全員を近くのショッピングセンターにご案内した。中には、日本からスーツケースを持参せず、車内に持ち込んだカバンやキャリーバッグが全てという方もいらした。そのような方には、最低限の着替えだけでもお求めいただかないといけない。

「明日のアルルや、アビニョンでもお店はあります。無理して購入せず、最低限必要なものだけをお求めください。なお、保険申請用にレシートは絶対に紛失しないでください。丁寧な領収書でなくても問題ありません。」

 

そうこうしながら警察に戻り、到着後1時間半経ってから、ようやく僕らの順番が回ってきた。よし、ここから・・・というところだったが、ここで言葉の問題が発生した。警官に英語を話せる人間が一人もいなかったのだ。僕も、イタリア人のマッシモもフランス語を全く話せない。マッシモと警官が、お互いのスマートフォンに入っていた翻訳アプリでやりとりを始めたが、どう見てもなにも進んでいない。

僕は、現地手配会社の日本人スタッフに連絡をして、通訳を頼んだ。添乗員としては、恥ずかしい依頼だったが、背に腹は代えられない。最近は、フランスでもよく英語が通じるようになったが、観光地であっても田舎の警察では、まだまだそういう環境にはなっていなかった。マッシモも、ドライバーとしては申し分ないが、地元のドライバーでないと、こんな時に不利が生じてしまうのかと、後々嘆いていた。

「警官の方がおっしゃるには、電話で通訳をしながらの書類作成は、時間がかかり過ぎて、今日は難しいそうです。他にも待ってる人がたくさんいるから、別の警察署でやってくれないかと言われております。」

手配会社の方が言うように、確かにやたら問い合わせの列が長い。明日、デモが始まったら、さらに対応してもらえなくなるということで混雑しているらしかった。それほど問題の多い街なのだろうか?

 

冷たくも、警官から完全に作業を拒否されて、僕らは警察を後にした。2時間もいて、なにも進んでいなかった。だいぶ遅れてしまったが、せめて観光だけは済ませないといけない。そう思ってバスに向かって歩いている時、マッシモが言った

「ツートン。もう時間が遅い。この街(ペルピニャン)の観光を飛ばそう。」

「え?だめだよ。観光は、お客様との契約だ。観光を飛ばしたら、僕らは違約金を払わないといけない。」

「そういう日本の法律は聞いたことがある。でも、緊急の場合は、代替観光で済ませることもできるんだろう?日本の添乗員から教えてもらった。」

「飛ばす理由はなんなんだ?まだ、そこまで時間的に追い込まれてはいないよ。」

「明日、俺たちの予定表では、ホテルを8時半に出発することになっている。それを7時半に出たいんだ。」

「なぜ?」

「大規模デモだ。君は欧州のデモをよく知らないかもしれないが、フランスは特にすごいんだ。高速道路の出入り口、一般道のロータリーをふさいで、何もかも巻き込む。明日は、一時間早く出ないと、大変なことになる。」

「手配会社に電話して確認する。」

「俺を信じろよ。何度もデモでひどい目に合ってる。それで、今、ペルピニャンの観光をしてからカルカッソンヌに移動して、ディナー。それからホテルチェックインとなると、到着が夜の9時半を過ぎる可能性がある。そうなったら、労働時間法の問題で、少なくとも8時半まではホテルを出られない。下手したら9時出発になる。」

「・・・そうなると・・・明日の目的地アビニョン到着も遅くなるのか。」

「そうだ。スケジュール的に警察で手続き書類を出してもらうとしたら、明日のアビニョンだ。明日の渋滞は本当に読めない。遅くなったら、アビニョンでも書類をだしてもらえなくなるかもしれないんだぞ。」

そうアドバイスされているうちに、手配会社から電話がかかってきた。

「実は、ドライバーさんと同じことを申し上げようと思ってまして・・・。」

まったく同じ内容を、まったく同じ言い方で説明されたで、断腸の思いで、僕は助言を受け入れた。

 

ペルピニャン自体は、歴史ある素晴らしいところだが、それほど華のある街ではない。だが、旅慣れた方々にとって、スペインとフランスの国境近くにある田舎町は、影の目玉というか、隠し味というか、このツアーでしか訪れることができない、興味のある訪問地に違いなかった。実際にこのことを告げると、ため息や「あー・・・」という落胆の声が聞こえてきた。

 

結果論といえば結果論だ。でも、先に観光をすべきだったと思う気持ちが、僅かにしないでもなかった。僅かだ。ほんの少しだ。「観光という契約を守る正義感」はあったが、警察での手続きができないのであれば、こんなトラブルが起きてしまった街など、早く離れたいという気持のほうが強かったかもしれない。「どこかの代替観光で取り返そう」と、僕は、何度も自分に言い聞かせた。

 

事件が起きて、4時間。不安を少しでも解消するどころか、この時点では、不満をひとつ増やしてしまった。最悪の中でも最悪の状態だった。