この日は日曜日だった。手配会社の人たちにとっては休日だから、緊急時でもなければ電話するのはタブーだ。しかし、僕が抱えていた不安は、間違いなく緊急事案に相当した。

 

「確かに、明日の月曜日もこのデモは実施されるようです。」

外出中だったのか、電話の向こうからは雑踏の音が聞こえた。デモに関しては、多くの添乗員から問い合わせが来ているとのことだった。

「ご存知のとおり、車上荒らしがありまして、パスポート被害が二件あったのですが・・・。」

「あれ?三件ではありませんでしたか?」

「ひとつは出てきたんですよ。なぜかお客さんのカバンの中から()

「それはよかった!」

「ええ。でも、お二人は明日マルセイユの総領事館に行かないといけないのですが・・・。どうなんでしょうか。」

「うーん・・・。どうやって行こうとお考えなのですか?」

「ご本人たちは、列車で行こうと考えてるようなんです。二人のうち、一人はけっこう旅慣れてる様子なのですが・・・。ただ、なんか気が進まなくて。ふだんならともかく、こんな時です。どう思われますか?」

「正直、危険でしょうね。」

「やはり・・・。具体的に、どんなふうに危険ですかね。お客様に説明するときに参考にしたいのです。だいたいわかりますけど。」

「おそらく、ニースでもマルセイユでも駅前にデモ隊がいるでしょう。運動が激し過ぎれば、駅が閉鎖される可能性があります。そうなったら列車運行にも影響が出てきます。」

「え?そこまでなる可能性は低いでしょう?」

「高くはありません。でも、明後日は帰国便に乗るのでしょう?明日を逃してしまったら帰れません。確率の問題ではなく、リスクは避けるべきですよ。」

「なるほど。確かに。」

「それと、無事にマルセイユに着いたとして、駅から総領事館までは近くないのです。5kmほどはあります。。こんな時だからタクシーも期待できません。タクシードライバーの多くもデモに参加している可能性があります。もし、つかまえることができたとしても、どれくらいかかるかわかりません。」

「それは厄介ですね。」

「非常に厄介です。歩くにしても、デモ隊と何度も出くわしながら歩き続けるのは危険です。絶対にスリやひったくりが紛れていますから。」

そうだ・・・。僕らは、そのデモ騒ぎに紛れた連中にバスを荒らされたのだ。

「わかりました。そうなると・・・専用車の手配が好ましいということですね。」

「そういうことになりますね。」

「手配お願いできますか?」

「え!?今からですか?」

午後4時をまわったところだった。11月下旬に入った南仏の太陽は、西の地平線の近くにあった。

「お願いします。他に、どこに依頼しろというのですか?」

「ホテルで貸し切りタクシーを頼むとか。」

「タクシーは、捕まらないのでしょ?お願いしますよ。」

「今からの手配だと、多少高くつくかもしれませんが、よろしいですか?」

「高くつく中で、安いほうでお願いします。ちなみに、概算でけっこうですからいくらくらいでしょう。ドライバーさんのチップ込みで。」

「ニースとマルセイユの往復でしょう?手元にタリフもなにもないからなあ・・・。650ユーロ(当時のレートで8万円くらい)でしょうかねえ。」

「わかりました。」

「手配できるかどうかわかりませんよ。こんな急な手配。しかも今日は日曜日です。取引先のバス会社も、緊急連絡時以外は休みですし。」

「おっしゃる通りです。そして、これは緊急事態です。なんとかお願いします!」

 

僕らのバスは、何度目かの黄色いジャケット軍団の渋滞をぬけて、高速道路のサービスエリアに着いた。太陽は沈んで、空は濃紺になっていた。僕は、トイレをお済ませになったパスポート被害者二人に声をかけて早速説明を始めようとした

「あれ?もう一人いないうちに説明を始めちゃっていいの?」

片方の男性客が言い出した。パスポートが見つかった方は、まだお仲間に「告白」なさっていなかったようだ。

すぐに帰ってきた「パスポート紛失未遂」のお客様を呼び止めて、事情を説明するとすぐに、お二人のところに飛んで行って、真実の告白をされた。

「おお!よかったじゃないですか!」

「仲間が減って残念です。」

と、祝福してもらっていたが、その方がその場を立ち去ると、お二人は冗談交じりに「裏切者め」と言っていた。

 

それから、ニースからマルセイユを列車で移動する危険性を説明申し上げた。二人とも熱心に聞いてくださった後、顔を合わせて頷き、僕に問いかけた。

「話は、とても納得できました。しかし、この距離を専用車だと、かなりのコストがかかるのではないですか?」

「はい。今、概算でだいたい650ユーロくらいだと聞いています。」

「それは、旅行会社で払ってくれるのですか?我々が払うのですか?」

「・・・お客様です。」

「だとしたら、あなたが仰ってることは、素直に聞き入れられないなあ。私に言わせれば、矛盾な正論ですよ。」

 

納得いただけないと思ってはいた。でも、ここは踏ん張りどころだった。