現地滞在最終日。とりあえず、できることはやった。あとは、聞こえてこないお客様の声を可能な限り拾い上げて留飲を下げるなど、できることが見つかったら、実行していくしかない。

事件があったのが金曜日。土日を挟んで月曜日になっていたため、本社のより素早い対応も期待できたため、僕は、前日のうちに担当者にメッセージを送っておいた。これまでの経過とグループの雰囲気を書いた後、以下の要望を加えた。

 

・午前中の観光の後はニースに戻ってランチ。その後は自由行動またはオプショナルツアーとなっている。パスポート紛失者の二人は、オプショナルツアーにお申し込みになっている。通常は、出発後のオプショナルツアーのキャンセルは、お客様の全額ご負担がルールだが、ここは、お見舞いを兼ねて全額返金してもよいのではないか。営業的にも、売り上げと利益率が下がるくらいで、支払いなどの実損はないし、現場にいる者の心情としては、それくらいしてあげたい。

・現地にいるうちに、会社からのお客様へのお見舞いのお手紙が欲しい。ファックスでもホテルへのメールでもかまわない。コピーしてお渡ししたい。なるべく肩書が上の方が良い。

 

朝、目を覚ますと、すでにきちんとして回答が来ていた。オプショナルツアー代金の返金は、現場ですぐにでも対応可ということだった。お見舞いの手紙に関しては、既に作業に取り掛かっているとのこと。迅速な対応に感謝した。

東京からの心配事もあった。

「現金やクレジットカードを盗られた方もいらっしゃるようだが、旅行を楽しむためのお金は、皆様十分にお持ちだったのか?添乗員が、所持金からお客様に貸していないか?」

「今回の参加者は、夫婦、親子、友人同士とすべて二人組以上のグループ。一人参加の方はいらっしゃらない。所持金やカードについては、二人揃って被害を受けたグループはないので、仲間内で対応をしている。添乗員からも伺ってみたが、そこはなんとかなっているようだ。」

既に担当者に報告済の事柄もあったが、朝、すべてを確認できたことは、僕の心理的には大きかった。

 

集合時、早速お二人にオプショナルツアー代金をお返しした。1万円ほどで大した金額ではないが、返ってきて悪く思うはずもなく、快く受け取ってくださった。

この日も天気は快晴。ニース近郊には、黄色いジャケット軍団に都合の良い運動場所がないのか、スムーズに移動出来て、無事に観光を終えた。岩山の上にあるその形状から「鷲の巣村」と呼ばれるサン・ポール・ド・ヴァンスの観光を終えて、バスに戻る前に、マルセイユ行きの専用車との待ち合わせ場所に向かった。

「お!こりゃ快適そうだ。さすがは520ユーロだな。」

お一人のお客様が、嬉しそうに言った。車は、ルノーのミニバン。僕は、車に詳しくないが、お客様に言わせると最新型らしかった。しかも、ドライバーは、品のある素敵な女性だった。

「ほお・・・!!これはラッキーだな。ドライバーさんも優しそうだ。」

もう一人のお客様も、これからのドライブが、急に楽しみになったかのように見えた。「どうやって見送ればいいか分からない」と仰ってた他のお客さんたちも、この高級車を専用車として使えることは羨ましいと思ったのか、素直に「貸し切りドライブを楽しんでくださいね!」と口々に二人を励ましていた。

ちなみに、被害者二名様とも夫婦で参加されていたが、奥様たちはオプショナルツアーに参加された。できた夫婦というのは、そういうものらしい。「私たちは、旅を楽しみます。」だそうだ。

「あ、ツートンさん!夕食ご一緒に頼みますよ。最後くらい、気持ちよく美味いものを食べたい!」

出発間際、、男性二人揃って窓を開けて、大きな声をあげながら手を振って、二人は旅立った。

この日の夕食は、ツアーに含まれておらず自由食だった。僕の場合、お客様の人数が20人くらいまでの時は、僕自身が同行する夕食手配のご希望を承る。レストランの席だけ予約して、添乗員を含めて割り勘で食事をする。ご希望されるのは、だいたいツアーの半分くらいで、一人参加や年配のご夫婦が多い。10人くらいまでなら、ほとんどのレストランの当日予約が可能だ。それ以上になると、当日手配は難しいので、おすすめレストランの紹介や予約などを承るに留まる。

最近は、スーパーで総菜を買ってきてお部屋で食事をしたり、ガイドブックなどであらかじめレストランを調べておいて、料理の写真を指差して好きなものを注文したりするなど、ツアー客も知恵をつけてきているから、希望者は少なくなってきている。この日も、この時点では希望者は0だった。

 

お見送りをした後は、少し離れたバス専用の駐車場に向かった。

「残念ね。夕食希望者が出ちゃって。夜は一人でゆっくりできるはずだったんでしょう?しかも、あの方たち、あなたが一番気を遣ってた方たちじゃない。」

突然、一人のマダムが、僕の横に並んで話し始めた。

「そんなことありませんよ。僕も食事はしますから。一人でするか、みなさんとするかの違いです。」

「あら、そう。」

「それに・・・。この場合は、『美味いものを食べたい』って言ってくれることが嬉しいです。昨日の夜までは、そんな雰囲気じゃなかったし。」

「なるほどね。・・・・・・・・・ねえ、美味いもの食べに行くの?」

「そのつもりです。あのホテルの周辺には、あまり詳しくないので、ホテルにいろいろ聞いてみますけど、観光エリアから少し外れてるし、会社員みたいな人も朝はずいぶん見かけたし、地元の人がよく行く、ちょっとしたところがあるんじゃないかなと思って。」

「あら・・・そう。」

マダムさんは、元々大きなめを、さらに見開いた。

 

バスに乗ってニースに戻った。海岸線沿いのレストランでランチをとって、オプショナルツアー組は、午後のみ雇ったニースのガイドさんの案内で、午前とは別の田舎町へ観光に向かった。自由行動を選ばれた大半の方は、僕が海岸沿いの散策に案内した後、少し離れたシャガール美術館やマチス美術館訪問を希望された方をタクシー乗り場へ案内した。後は、地図上でホテルやショッピングエリア、カフェの場所などをチェックしてあげて解散だ。

 

本当は、のんびりしたいお客様を、ちょっとしたカフェにでもご案内したいところだが、今日は、そんな時間はない。お客様たちも察してくれたのか、聞きたいことを聞いたら、すぐに自由行動に入っていった。このツアーの方々は、ご自身で動ける方たちばかりで助かった。

 

僕は、まず、マルセイユの総領事館に電話をかけた。この前は書かなかったが、事件直後の移動途中に、一度電話をいれていた。順調に進んでいれば、そろそろお二人は着いてもいい頃だ。

「いや、まだ着いてませんよ。黄色いジャケットの人たちに随分と邪魔されているはずですからね。まだまだ着かないでしょう。念のため伺いますが、ツートンさんですよね。アビニョンのガイドさんから、色々聞いてますよ。大変でしたねえ。南仏は、日本人に限らず盗難は多いのですが、こんなのは私も初めて聞きました。」

「え?ガイドさんをご存知なのですか?」

「はい。日本人がトラブルに遭った時は、彼女が、よく同行してここに来るのですよ。よくやってくださる方でねえ。ツートンさんも、あの方がガイドさんでよかったですね。」

「はい。それはもう本当に。とにかく、そちらに着きましたらよろしくお願いします。」

「ええ。今連絡いただきましたしね。明日、帰国されるんでしょ?事情はガイドさんから全部聞いてますから。最悪、そのお二人のためだけにでも、時間過ぎても受けますよ。」

「え?そこまでご存知なのですか?」

僕は、丁寧にあいさつをして電話を切った。後で、様々な添乗員仲間に聞いたが、そんな対応と会話をしてくれた大使館や領事館などないという。僕も、あまりに気さくなのでびっくりした。

 

その後、すぐにアビニョンのガイドさんに電話をした。

「今の総領事館の方、とても親切なんですよ。気さくだし。ずっとあの方ならいいのになあって思っています()。」

「それはそれで良いのだけど・・・領事とコネをお持ちなのですか?妙に親しそうだったけど。」

「まあ、何度も顔を合わせてるから、信用はありますね。コネってほどじゃありません。」

「なんだか、いろいろ対応してくれるみたい。ありがとうございます。本当に、なんて感謝したらいいか・・・。」

「あれだけのチップいただいたのだから、これくらいはやりますよ。」

「チップがなくてもやったでしょ?」

「・・・どうかな。やったかなあ・・・。でも、モチベーションは違いましたね。チップってそういうものです。翌日のランチを食べてる時にね、あの日の疲れは吹っ飛びましたもの。」

やはり、チップの威力は大きいのだ。その後、何度もお礼を言って電話を切った。

 

ホテルに戻る。会社から届いていた書類を確認した。キャリーバッグを丸ごと盗られた僕の手元には、会社への提出書類が、まったく残っていなかった。日報レポート、精算書、全体報告書・・・。アンケートはスーツケースに入れてあって無事だった。お客さんの個人情報も面倒くさがらずに身につけていた。だが、すべての書類をこれから仕上げるのは、けっこうな労力だ。ん?お客様への手紙がない。日本は、夜の九時を回っていた。僕は担当者にラインを送った。

「それが・・・。営業レベルで手紙を出そうと思ってたのだけど、作成途中で役員クラスから出すということになっちゃって・・・。そちらの朝にはお送りできると思うのですが。」

役員クラスの手紙が来るならありがたい。そこは歓迎だ。

 

その後は、書類をできるところまで進めた。今回のトラブルに関しては、帰国便に乗るまでの様子を見極めてから、帰りのフライトの中でまとめることにした。

「あとはは、パスポート盗難に遭われたご夫婦二人に、美味しいディナーを召し上がっていただいて、明日は帰国か。」

僕は、少しベッドで横になって、今回のことを思い出していた。少し気になったのは、思ったよりもお客さんから不満が噴出しないことだ。もう少し、正しいかどうかは別にして、いろいろ言われてもおかしくないのだが、ここまで協力的だと(失礼な言い方だが)、逆に不気味だった。

 

夕食の待ち合わせ時間が近づいていた。10分前にロビーに下りた。マルセイユにいらしたお二人の奥様達が、先にソファにおかけになっていた。

「ご主人たちは?」

「それが・・・まだ帰って来てないの。」

「え?」

待ち合わせの10分くらい前だろうか。僕の携帯電話が鳴った。

「ツートンさん?だめだ。まだニースの20kmくらい手前にいるんですけどね。いちいち黄色いジャケットの人たちがいて、全然進まないよ。とても時間は読めない。申し訳ないけど夕食はキャンセルで。」

「・・・わかりました。奥様に電話をかわります。」

奥様達は、僕と一緒にレストランには向かわず、彼らを待つことになった。ご主人たちは、僕と一緒するように仰ったらしいが、とてもそんな気にはなれなかったらしい。

「こんな時間まで、ずっと渋滞に巻き込まれて・・・。かわいそうよ。」

 

その時、マダムの4人組が現れた。昼間、「夕食希望者が出てきちゃって残念ね」と仰った人がリーダー格の4人組だ。

「美味いものを食べるって聞いたから来ちゃった。ご一緒していいかしら?」