今考えてみると甘かった。あれほど大きなトラブルがあって以来、ようやく全員帰国の目途が立ったことでホッとしていた。作業的なものに関して言えば、すべきことは全て行った。だが、それでお客様の被害が消えるわけではないし、完全に心の傷が癒されるわけでもなかった。

今ならそう考えられるのに、当時は、まったくそう思えなかった。甘いというよりも、未熟だったのかもしれない。作業を終えて、比較的、旅行を楽しまれてるように見えた4人と食事をご一緒できることで、「通常のツアー」のフィナーレモードに僕の心理は変化していた。だから、グラスのワインを二杯も空けていたのだろう。

そんな状態だから、いきなり突っ込んできたお客様の心理を、正確に測ることもできなかったし、あろうことか僕が感じていた動揺は、苛立ちに近いものだった。

お客様は、畳みかけてきた。

「さっきの約款のことだけじゃなくてね、もうひとつ言っておきたいことがあるの。」

「・・・はい、なんでしょうか?」

リラックスモードに入っていた僕は、懸命に頭を戦闘モードに切り替えようとしていた。

「このツアーって華がないじゃない?」

「華?」

「そう、華よ。例えば・・・サグラダファミリアとか。あと、ドイツの、ほら、バイエルンのノイシュバン・シュタイン城みたいな絶対的な華。」

「ああ・・・そういうことですか。まあ、確かにありませんね。売りはありましたが。」

「なにが売りだったの?」

「プロヴァンスの田舎町が、メインにはなっていました。地名がパンフレットのタイトルにもなっていましたし、ゴルドの街の写真も載ってますから。地味ですが、そこが目玉で華ですかね。」

「なるほど。じゃあ、プロヴァンスでもいいわ。あの時、(ペルピニャン観光の中止を決定した時)がっかりしたけど、ツートンさんが言った理由には納得したのよ。でも、後々考えたの。もし、あそこで残されていた観光が、ペルピニャンではなくて、プロヴァンスだったら観光を飛ばした?ゴルドを飛ばせた?サグラダ・ファミリアだったら、やはりあきらめるように、私たちのことを説得したのかしら?」

実に鋭い指摘だった。ここは、慎重に説明しなければいけない。僕の心の中で、苛立ちという名の動揺が、緊張に変わってきた。

「痛いところをつかれたと思ってない?」

「痛いというか・・・正直、説明しにくいところを突かれたなあとは思っています。」

思わず本音が出た。お客様は、ゆっくりと小さく頷いた。

「返答によっては、弁護士に相談させていただこうと思って。私、以前、旅行に納得できないことがあってね、実際に弁護士に相談したことがあります。友人に弁護士がいてね、気軽に相談できるの。裁判になる前に旅行会社が折れたけどね。」

「ツートンさん、今のは本当よ。」

別の方が教えてくれた。その方に軽く目配せして話を続けた。

「どうしても納得できない。他の方たちは、ペルピニャンなら別にいいみたいなこと仰ってたけど、私にとっては、このツアーの中で最高の華だったのよ。考えれば考えるほど、ペルピニャンだから軽く飛ばされたような気がしてならないの。」

だんだんと語気が強まってくる。僕の心理も「弁護士」という言葉に、一瞬さらに緊張が高まった。

 

しかし、だんだんと頭が冷えてきた。お客様本人にその自覚があるかどうかは別にして、どちらかというとこの方は、訴える材料を探しているよりも、納得できる理由の提示を求めているような気がした。

「旅行に関する訴えなんて、よほどのことがない限り、親しい弁護士や友達の弁護士なら、訴えをやめさせようとしますよ。返ってくるお金よりも弁護士費用のほうが上回ってしまうことが大半ですから。ただ、旅行会社の対応があまりに不誠実だと、損を覚悟で正義感だけで訴える人も稀にいるみたいですね。だから、きちんとした正当な理由があるなら、顧客にとって面白くないものでも、きちんと説明したほうがいいですよ。そうすれば、相手の弁護士さんが止めてくれる確率が高いです。」

いつだか、会社経営者で顧問弁護士を雇っていらっしゃる方がツアーに参加されていた時、伺ったお言葉だ。

「でも、町の弁護士さんだと商売だから受けてしまうかもね。あと、顧問弁護士とある程度の主従関係を築いてる経営者も、止めても聞かずに訴える可能性はあるかな・・・。面子の問題だけで。」

この女性客は、「友人に弁護士がいる」と言った。前述のアドバイスをあてにすれば、筋を通った話をすれば、訴訟までは行かない可能性が強いと思った。というよりも、(今にしてみれば)常識的にそこまでいく話でもなかった。

 

僕は、頭の中で話を組み立て始めた。やましいことがあった訳ではない。ただし、「ペルピニャンを軽く見たか?」と言われれば、答え方によっては、そう受け取られかねない心配もあった。

別のお客様が、ご馳走してくださるということで注文してくださった3杯目のグラスワインをテーブルの端にどけて、かわりにガス入りのミネラルウォーターをグッと一口飲んだ。そして、慎重に言葉を選びながら、僕は説明を始めた。