ニースから、すぐにイタリアとの国境を越えた。螺旋状の道路を走り、丘に上がっていく。

すっかり地中海を見下ろすほど高いところまで上ったと思ったら、視野から消えた。ここからは、内陸をドライブして、ミラノまで向かう。この日の朝は、黄色いジャケット軍団に悩まされることもなかった。

旅の最後に、最高に美しい朝の地中海を見られて、バスの中は、余韻に浸る空気で溢れていた。すぐに手紙の内容を説明するのは憚かられた。しばらくの間は、静かで感動に包まれた空気を、そのままにしておきたかった。

朝早い出発のせいもあったのだろう。地中海が見えなくなると、ほとんどのお客様が目を閉じた。車内のあちこちで会話が始まり、いつものバスの雰囲気に戻ったのは、出発して1時間半ほどたってからだろうか。僕は、ようやく説明を始めた。

 

まずは、きちんとした挨拶から始めて、そこから本題に移った。

特別保険について。グループ全体が特別な被害を受けた時などに、特別に適用されるものであること。それこそ滅多に適用されるものでないこと。これを利用するということは、会社としては最大限の誠意と対応であるということ。

「今回の場合、旅行会社も被害者ですから、賠償ではなく、その特別保険を用いての補償ということになります。これは、みなさんが加入している海外旅行保険とは関係ないものですから、それはそれで申請していただくことができます。」

「二重申請にはならないのですか?」

お客様から質問が来た。

「なりません。特別保険のほうは、あくまでお客様のために旅行会社が申請するものです。皆様個人が申請する海外旅行保険とは別ものです。」

「それだと参加者が得をするというか・・・儲かっちゃうこともあるってことですか?」

「理屈で言えばあり得るのかもしれませんが、実際にはまずないでしょう。例えば、ブランドもののコートや財布が、購入した時と同じ金額で補償さることはまずありません。この場合の特別保険は、実損額と通常保険の被害評価額の差額を少しでも埋めるものとして、適用されるとお考えください。」

ここまでは、みなさん静かにお話を聞いてくださっている。

「これにつきましては、帰国後に、会社から皆様に、個別に連絡をさせていただきます。保険に申請するための書類記入もしていただくことになるでしょう。当然、被害によって金額が異なりますから、具体的なことは申し上げられません。実際に連絡、その後の審査を考えると、補償がおりるまでは時間がかかります。そこはご了承ください。」

時間がかかるというところで、大半の方が、軽くため息をついた。

「念のため説明しますと、特別保険と皆様独自の保険の手続きは同時に進められます。審査後、両方足した金額に納得いかなければ、さらに別の保険で申請することができます。具体的な例えでいうと、特別保険+独自の海外旅行保険で足りなかった金額を、クレジットカードの海外保険で申請することが可能です。もちろん、その際は最初の保険でおりた金額をきちんと報告することになります。審査がありますから、そこはきっちりとなさってください。」

「そんなことができるのですか?」

「申請はいくらでもできるのです。ただし、保険が実際にどこまで確実におりるかは、わかりません。申請のやり方に迷いがありましたら、それこそ旅行会社にお問い合わせください。」

満足かどうかはともかく、説明内容には納得はしてくださったようだ。そして、いよいよ2万円の話に移ろうとした時、先にそのことを質問された。

「さっき、先に2万円をいただけるとのことでしたが、特別保険の審査結果から、それは引かれるのですよね。」

「いや、それは違います。あれは、お見舞い金です。補償とは一切関係ありません。」

「さっきも言いましたけど、私、もう少し早く仰っていただいていたら、この2万円でもっといい化粧品買えたのです。保険で確実におりるように、いつもなら使わない安いの買ってしまいました。」

「ですから、お求めいただいた安いのは、保険で申請されてください。この2万円で、いつものものをご購入いただければいいと思います。これから行くミラノの空港でも、帰国してからでも、どちらでもけっこうですよ。」

「被害額が、人によって全然違うのに、一律2万円の補償っておかしくありませんか?」

別の女性客が言った。一部のお客様も頷いている。僕は、「ん?」と違和感を覚えながらすぐにこたえた。

「いや、ですから、これは補償ではなくてお見舞いだから・・・。」

「どちらでも同じです!一律2万円はおかしいです。私なんて、そんなもんじゃ、全然足りません。」

賠償を含む補償と見舞いは、全く違うものだ。そこは、誤解がないように、旅行会社側も文面上で、明確に言葉を使い分ける。だが、ケースによって、時には、その違いが伝わりにくいこともある。今回は、まさにそのケースだった。いろいろ意見はあるかもしれないが、この場合、見舞金は一律であっても、おかしくはない。

 

一部の方々の頭の中では、完全に「補償」と「見舞い」が混ざり合っていた。

難しいものだ。お客様が一番反応したのは、旅行会社がお伝えしたい「特別保険」についてではなく、「一律2万円のお見舞い金」だったのだから。