次になにを書こうかと考えながら、過去に別のところで書いたものを眺めていた。南米は、ツアー割り当ての事情もあり、2014年の訪問が最後になっている。正直、アメリカ大陸との大きな時差は苦手なので、助かってはいるのだが(それが遠ざかっている理由ではない)、過去に書いたものを読んでみた時、実に良い体験をさせていただいていることに気付いた。特に、ガイドさんたちには恵まれていた。

ストーリーがいくつもあり膨大な量なので、ここでは、そのガイドさんたちにスポットを当てて、現地の様子を紹介していきたい。この「ペルー紀行」は、中断を挟みながらしばらく続けていく。

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M田さんとお会いしたのは、2009年の7月。10日間のペルーのみの中身の濃いツアーだった。比較的無理のないスケジュールのツアーだったのだが、ひとつ問題があった。2日目の朝、リマに到着するのが朝の7時。それから終日観光して、ホテルに入るというものだった。

なにが大変かって、想像してみよう。東京駅に、新大阪駅に、名古屋駅に駅に朝7時に到着する。さあ、バスに乗ってどこが観光できる?

「現地でガイドが考えてくれてますよ。大丈夫。今回のガイドはは当たりです。」

出発前の打ち合わせでは、そう言われていた。

日本からの長いフライトと、朝早くの到着で、意識も体もしゃっきりしない状態で、リマ空港の税関を通ると彼女が僕らを待ってくれていた。

 

浅黒い肌。豊かで背中を半分隠すほどの長い黒髪。長身でスリムな体型。凛とした雰囲気。ものすごい美人ではなかったけど、男性からすると、目を引かれずにはいられない女性だった。俗っぽく言えば「いい女」だ。年齢はちょうど30くらいか。ガイドしては若いと聞いていたが、その通りだった。

後から聞いたのだが、彼女も僕を見た瞬間は、「当たりだ。」と思ったそうだ。残念ながら、見た目のことではない。

「最近、ツアーが多いせいか、若くて何もわかっていない、話が全然通じない子が来ることが多くて・・・。たまに年齢がいってる人が来たと思ったら、不慣れな人だったり・・・。そういう添乗員さんに限って、ちょっとうまくいかないと、ガイドへの文句がすごくて。ツートンさんを見た時は、慣れてる人が来てよかったなあと思ったんですよ。」

仕事相手としては、相思相愛だったが、最初の10分くらいは、僕の彼女への印象は、あまりよくなかった。後から「ベテランが来たと思ってほっとした」と聞くと、そういうことだったのかと理解できるが、初対面での挨拶が、あまりにフランク過ぎるたと、朝7時からの都市部の観光という、イレギュラーなものの段取りを、全てこちらに押し付けてくるような話し方には違和感を覚えた。そのため、僕は、話を始めて間もなく、ややきつめに一言返した。

「日本から来た僕よりも、そちらが情報持ってるに決まってるでしょう。段取りの提案は、まずそちらからしていただくのが筋じゃありませんか。」

「あれ?」という表情を見せたM田さんは、すぐに何かを切り替えたように、

「そうですね。まずは、みなさんをバスにご案内しましょう。」

と、言って行動を開始した。リマの空港は、出発の準備が全て整ってから、ドライバーが空港駐車場の料金を払いに行く。それからでないとバスを出せない。その間、僕はM田さんと打合せをした。

「僕自身、ペルーは二度目なんです。はっきり言ってよく知りません(お客様には、はったりで5度目と言っていた)。これまでのレポートでも、この時間に到着するフライトを使ったツアーはなくて、いろいろ調べたけれど、正直、無策です。基本的に動き方はお任せします。周り方だけ事前に教えてください。もちろん、なにかあったら、責任はこちらでお取りします。」

「わかりました。」

当然、彼女はプランを用意しており、スラスラと説明を始めた。

「海岸線をドライブするのはいいけど、このお土産屋さんは市街地から遠すぎませんか?」

「通勤ラッシュのために、かなり渋滞しますが、じゅうぶんに時間がありますから大丈夫ですよ。それに、この時間の到着ですから、みなさんも眠いですよ。ドライブは、よく眠れるいい休憩時間です。お土産屋さんも、こういう日ならいい休憩場所ですよ。」

という具合に、こちらの不安を解消するアドバイスもすぐにくれた。お客様にも、

「今日ほど、お買い物の時間を取れることはないですよ。ここは、現地の本当の名物が揃っていますから、しっかり時間をお取りします。」

と、余り過ぎている時間を、上手な物の言い方で有意義な時間に変えていた。調子のよい言葉を、お客様に簡単に受け入れてもらえたのは、彼女の話し方と頼り甲斐のある見た目が、かなり影響していたと思う。

 

お客さんの質問にもきちんと答えていた。たとえ、それがどんなに馬鹿げていた質問でもだ。

「M田さん・・・私ね、高山病かしら・・・。なんだか気分が悪いの。」

と、いうトンチンカンな物言いに対しては、

「あら、大丈夫ですか?でも、リマは標高はほとんど0mですから、高山病の心配はありませんよ。日本との時差や、長旅のお疲れだと思いますよ。慌てないでくださいね。」

と、とても優しくこたえて周辺を笑わせた。
「リマってこんな天気になるんだねえ・・・山のほうは・・・マチュピチュは晴れるのかなあ・・・」

という心配には、丁寧な説明でお客さんを安心させた。

 

ペルーは、海沿いのコスタ(リマやナスカはここに含まれる)、シェラ(ガイドブックではアンデスと紹介されていることもあり。この中でさらに細かい地域に分けられる。クスコやマチュピチュは、ここに含まれる)、そしてセルバ(アマゾン川流域のエリア)の3つの地域に分けられる。分かりやすいように、これからは、シェラをアンデス、セルバをアマゾンと書こうと思う。

日本からのツアーが訪れるのは、だいたいコスタとアンデスだ。アマゾンに関しては、行かないどころかペルーにアマゾン地域が存在することさえ知らない人が多い。実は、国土では一番広い面積(60%)を占めるている。日本人の訪問客が少ない一方で、地元民や米国からの観光客には、なかなか人気があるらしい、

この3地域は、面白いことにコスタ、アマゾンの二地域とアンデスで季節が真逆なのである。真逆と言っても、言い方が微妙に違う。現地の言葉に倣っていえば、コスタには夏と冬がある。四季もあるらしいが、ガイドさんは夏と冬で分ける人が多い。

夏は晴天続きだが、冬はフンボルト海流(寒流)が流れ入るおかげで、海上の温かい空気が飽和状態になり、霧が発生して、どんよりとした天気が続く。ただし、雨はほとんど降らない。そのおかげで、大昔に描かれた「ナスカの地上絵」が残っている。雨が降らないので、雨季、乾季とは言わない。

これに対して、アマゾンとアンデスの季節訳は、雨季と乾季である。

アマゾンでは、2つの季節の間、沼や川の水位が場所によっては4~5mも変わることがあるそうだ。

それほど極端ではないが、アンデスの季節も雨季と乾季である。ただし、標高3000mを超えるクスコをはじめとする本格的な高地と2000mほどのマチュピチュでは、はっきりとした違いがある。クスコは完全な高山性の気候だが、マチュピチュは、亜熱帯性の気候だ。生息している植物の種類も数も、同じアンデスにありながら、両者はまったく違う。

このシリーズで訪れた7月は、アンデスが乾季、コスタが冬であった。

「だから、マチュピチュもクスコも、きっと天気はいいですよ!」

M田さんが、自信を持って、みなさんを励ましていた。

 

コスタの冬は、少々やっかいな時がある。たとえば、ナスカでは雨は降らないが、毎朝、霧が発生する。ナスカ地上絵を観るセスナ機は、有視界飛行だから霧が出たら絶対に飛ばない。第一、飛んでも地上絵は見えない。霧はすぐに晴れる時もあれば、午前中いっぱい続くこともある。冬にナスカを訪れるツアーで、遊覧飛行をあきらめて帰ってくるツアーは、決して少なくないので要注意だ。

そういった意味では、このツアーは、ナスカで2泊取っており、慎重につくってあった。

同じ地球の上とは言え、日本からすれば完全な地球の裏側。たどり着くには多大な時間を要する。ようやくやってきたペルー。ナスカ、マチュピチュ、クスコ・・・お客さんの希望が膨らむ一方で、「もし見られなかったら・・・」という不安も膨らむ。そんなすべての思いを、彼女があたたかく包みこんで、時には盛り上げ、時には和らげていた。

昼食をゆっくりとって、時計は午後1時半。すべての観光は終えている。でも、まだホテルにチェックインできる時間ではない。

「私がいつも行っているスーパーにみなさんをご案内しましょう!」

この時代、現地のスーパーやデパートへの案内が流行りだしていた。特に女性客には大人気だった。しかも、ペルーの食材の種類の多さは半端ではない。総菜は、ツアーには食事がついているから、お求めになっていないが、気になる果物や飲み物などは購入されていた。

「このスーパーでは、ジャガイモは全部で4種類あって、お肉の付け合わせ、シチュー・・・料理によって使い分けるんですよ。このトマトはね・・・。」

パワフルに、そして楽しく説明しているうちに、あっと言う間に時間が過ぎた。やがて、中心部から、少し離れた中型のホテルにチェックインした。ここで、お客さんからあらためて質問がきた。これまで訪れた観光地、お土産屋さん、レストラン、そしてホテルも、周りを有刺鉄線のついた塀で囲まれており、頑丈な鉄の扉があり、その中に建物があった。そのことについてだ。

「残念ながら、リマは治安が悪いのです。安全を確保するのには、これくらいは必要なんです。」

一瞬、シンとするお客さんたち。

「脅しではありません。私も、このペルーに来る前に、いろいろなところに行きましたけど、住んでみて、リマの怖さを知りました。」

 

急に落ち着いた口調で、話し始めた。

「去年、危険な通りを夜にタクシーで通ったんです。車の中だからと安心していました。そうしたら、信号待ちしている時に、いきなり窓ガラスを割られたんです。ハンドバッグを取られそうになったので、必死に抵抗しました。・・・結局取られてしまいましたが・・・・少し落ち着いてから、右手の人差指に激痛を感じたので確かめてみたら、指の第一関節が、ありえない方向に曲がっていたんです。いや、曲がっていたように見えたんですね。」

人差し指を上げて、自分の近くにいるお客様たちに見せながら続けた。

「折られたのではなく、切られていたんです。おそらくナイフでスパっと。繋がっていたので、曲がったように見えていたですね・・・病院に行って繋げることはできたのですが・・・これはその時の傷なんです。」

 

ざわめくお客さんたち。僕もかなり驚いて、じっと見つめていたのだろう。視線に気づいたM田さんは、みなさんに見せていた右手の人差指の先を左手で隠した。