翌日、グループは、はさらに標高が高い、チチカカ湖方面へと向かった。宿泊するプーノの街は標高3800m。途中、4335mの山を越えていく。

この日のガイドはフェリペ。このペルーのツアー中、唯一の英語ガイドだった。年齢は、僕と近く、コミュニケーションを取りやすく、仕事もしやすかった。ツアーの性質上、この日のバスには医師も乗っていた。医師の同乗は、旅行会社による手配で、ツアーの売りでもあった。パンフレットにも、「クスコからプーノの移動時は医師が同乗。なにかあってもすぐに対応できる」と記載されていた。

2009年当時、日本の旅行市場でマチュピチュは既に大ブームだったが、一番の売れ筋はイグアスの滝とマチュピチュ、ナスカの地上絵を組み合わせたもので、ペルーだけの周遊ツアーは、どの出発日も満席というほどではなかった。今、大人気のウユニ塩湖は、まだそれほど一般には認知されていなかったと思う。組み込まれているツアーも今のように多くはなかった。

イグアスとペルーを組み合わせたツアーが人気だったのは、「南米は遠いから、なるべく一度の渡航で多くの観光を済ませたい」という、消費者の心を捉えたお得感だろう。ただ、実際に南米諸国はどこも国土が大きく、二か国訪問となると、航空機の移動に多くの時間を割かれて、人気のわりに満足度はいまひとつだった。

ペルー一か国のツアーは、お得感に欠けるうえ、チチカカ湖のイメージが、一般的にはイグアス滝を上回らないから、ツアーそのもののインパクトが弱く、また高地での滞在期間が長いから、健康に不安を感じて参加に二の足を踏むお客さんが多かったようで、集客には苦労したようだ。その不安を、少しでも取り除くための医師の同乗手配だったに違いない。

アンデスとコスタの間を移動する国内線移動以外に航空機での移動はなく、陸路でじっくりとペルーの魅力に迫れる周遊型のツアーは秀作だ。安心して、もっとたくさんのお客さんに参加していただきたいという、プランナーの心理が見えた。

 

「これまでの行程で、高度障害で体調を崩された方は?」

医師は英語を話さなかったから、ガイドの通訳で僕と会話する。

「特別悪くなった方はいません。3日前、クスコに到着してウルバンバに泊まった時、3人が夕食を欠席しました。そのうち1人は頭痛を訴えましたが、その後はなんともありません。」

「うん。それはよかった。今の時点で体調が悪いと、この後心配ですからね。どんどん標高が上がっていくし。」

リマからクスコに到着した時、高地へ来たことが原因と見られる症状を訴えた3人のお客さんは、とりあえず問題なく、朝の集合時間に現れた。頭痛を訴えた奥様だけは、「大丈夫かなあ・・・」と心配そうにしていた。

 

クスコから、徐々に標高を上げていくこの日の行程だったが、最初から全て上りっぱなしというわけではない。全長380kmの行程のうち、最初の90kmくらいは、3,400mのクスコより下って3,100200mくらいのところをドライブする。

「なんか、今日は大丈夫みたい!調子いいわ!」

なにかあった時に、すぐに対応できるよう、僕の背後に座っていただいた奥様は、ご機嫌だ。朝の出発前に、この日のドライブルートの案内を、お客様全員に配布していた。その情報には、各地の標高も含めて書いてあるのだが、奥様は、そういうものには全く目を通さないタイプらしい。ご主人は、目を通して把握していた。奥様が、後ろの席の方とお話している時、

「低いところを走っているのは黙っておこう。」

と、こっそり示し合わせた。それが、最初にフェリペや医師からされたアドバイスでもあった。病は気から。高度障害にはメンタルな部分も、わりと関係しているらしい。

 

フェリペは、丁寧な案内をしてくれた。

「クスコからチチカカ湖までのルートは、かつて殆ど舗装されておらず、10時間もかかりました。今では整備されて所要6時間半ほどです。道路をつくったのはフジモリさんです。そのため、フジモリロードと言われています。」

「あそこにあるのは、小学校です。かつてこのあたりは学校の数が少なく、遠すぎて通えない子供が多かったのですが、たくさんの学校が建てられて、みんな通えるようになりました。学校をつくったのはフジモリさんです。」

「途中、見られる樹木は、みんなユーカリです。この辺りは標高が高く、乾燥しているため、樹木が育たない環境でした。ユーカリは、元々ペルーにはありませんでしたが、乾燥にも高地にも強いということで、たくさん植樹されたのです。高地に緑を増やすこと、それと材木を、少しでも近場で手に入れるための政策でした。それを実行したのもフジモリさんです。」

 

お客さんの1人が質問した。

「フジモリさんの話が多いのは、私たちが日本人だからですか?」

「全て、このルートを通る時に、どの国の方にもお話いていることです。フジモリさんの功績は偉大なのです。」

はっきりと言った後、

「もちろん、彼は日系人ですから、日本からいらした皆さんにも誇りにして欲しい気持ちはあります。」

と、付け加えた。

「フジモリさんは、汚職で大統領の職を追われていますが、それでもペルーの人たちの間では人気なのですか?」

「彼は、政治家同士の争いで負けたのです。汚職ではありません。仮にそうだとしても、彼がアンデスのインフラを整えたという功績は消えません。」

この辺りは、日本との違いだと思う。日本では、政治家に限らずクリーンなイメージの人間が、なにか問題を起こすと、それまでの善行まで否定されてしまうようなところがあるが、欧州やアメリカ大陸では、「これはこれ。それはそれ」という考え方をする人が多いような気がする。日本で読んだ外国人政治家の汚職記事について、現地でそのまま言うのは控えたほうがいい。相手が支持者と思われるならなおさらだ。

この時が、質問主様が、フェリペのこたえに頷いて、それで終わった。

フジモリさんの話は、ガイドの熱量には差があるが、このルートをドライブしている時にはよく出る。また別の機会にもう少し触れたい。

 

やがて、それまで点在していた集落が一度途絶えた。バスは、坂道を上っていく。ユーカリの木が、いつの間にか視界から完全に消えた。

「ユーカリがなくなりましたね。」

「この標高になってくると、ユーカリでも育ちません。」

地図を確かめると、いつの間にか3,500mまで上がっていた。ここから先は、お客様にとっても未知の世界だ。

 

「なんか・・・少し頭が痛い。」

奥様が、右手で額に触れながらつぶやいた。