ナイルの悪夢① まえがきと人物紹介 : マスター・ツートンの仁義ある添乗員ブログ (livedoor.blog)

登場人物は、上の①をご覧ください

 

このホテルの寝室はコテージタイプ。レストランから部屋に帰る時は、一度外に出て敷地内を歩いていく。昼間は温かく、ショーが終わるころは涼しいくらいだったのに、夜は肌寒い。日本では考えられない寒暖の差。こんな時、自分が砂漠の中にいるということを思い知る。

ほんの少し寒さに震えながら、思川は笑いが止まらなかった。

「いいなあ・・・あんな姫扱いされたのは久しぶりだ。たまにはいいもんだ。」

声に出してクスッと笑って空を見上げると、満点の星空だった。

部屋に戻ると、急にWIFIの電波が入った。それとともに、LINEのメッセージがまとめて来た。ロビーだけで利用可能ということであったが、その近くに位置している思川の部屋は、時々気まぐれでつながった。

夫から労いのメッセージが入っていた。添乗中は、毎日メッセージをくれる。結婚して10年近くになるというのにラブラブだ。

「毎日くれなくてもいいのに。嬉しいけどね。」

ひとりごとを言いながら、「OK」という文字が入った軽めのスタンプを送った。嬉しかったが、眠くて面倒だったので、スタンプひとつで済ませた。

「日本は明け方か。どうせ夫もねてるしね・・・あ、みんな来てる!」

今度は、添乗員仲間のグループLINEに皆が来ているところを見つけた。メンバー四人のうち、他の三人は、フランス、ギリシャ、チュニジアで仕事をしていた。エジプトを含む四か国は、一時間以内の時差にあり、お互いに迷惑をかけずにコミュニケーションをとることができる。

思川も、すぐにそこに加わった。楽しい女子トーク。多少眠くても、こちらは面倒くさくなかった。

ムカつくお客さんの愚痴、毎晩自分を口説こうとしてくるドライバーが大変だという愚痴(自慢?)、彼氏が欲しいという愚痴、内容はともかく、何もかも楽しい。

「(チュニジアの)マトマタのホテルがぼろでさー、私の部屋お湯が出なかったのよ。シャワーを浴びることができなくて気持ち悪かった。さっき浴びて生き返ったよー!」

「私も、今回のツアー行程きつくて、一日終わって部屋に帰るとなにもする気起きないのよ。おかげで二日間風呂入ってないよ。今日こそ絶対に入る。」

「それわかる・・・」

「わかっちゃだめでしょ!風呂ぐらい入りなよ!今すぐ入ってこい!」

どうでもいい、くだらない、でも最高に楽しいやりとりに、思川は声を出して笑った。そうしているうちに、突然WIFI電波が入らなくなった。

女同士の話はやはり楽しかった。

「姫扱いも楽しいけどねー・・・。ガイド二人が男なら、もうひとりの添乗員は女のほうがやりやすかったな。・・・まあ、みんないい人だからいいか。」

シャワーを浴びた。砂漠の乾燥のせいで、バサバサになった髪と肌の手入れを済ませた。「美人」の自覚があり、客の前での清潔感を大切にする思川は、どんなに疲れていても、風呂には入るし、こぎれいにすることを怠らない。

ベッドに入り、夫からのLINEをもう一度開いた。スタンプに、まだ既読はついていない。シンプル過ぎる返信スタンプを、少し反省した彼女は、メッセージを付け加えた。「いつも心配してくれてありがとう。ツアーは順調です。たぶん、このまま無事に帰れると思います。」

「なんか・・・いい日だったような気がする・・・。」

リラックスした彼女は、エジプトに来て、初めて深い眠りについた。ツアーの成功を、なんとなく確信していた。

 

その頃、男三人は、まだレストランで盛り上がっていた。

思川という華が立ち去った後、わずかな間おとなしくなったが、ガイド二人と添乗員一人だ。話すことが仕事でもある彼らが、ずっと黙っていられるはずもなかった。

「あれ?ハーディーは?」

駒形が、デザートを取りに行っている間に、いつの間にか彼は席を外していた。

「あっちにいる。」

イスカンダルが、コーヒーを飲みながら遠くのほうを指差した。ハーディーは、別の日本人グループのところで愛嬌を振りまいていた。遅い飛行機で到着した彼らは、駒形たちの後に一般のショーを鑑賞して、それからディナーをとっていた。

「以前、一緒したお客さんでもいるのかな?ずいぶんと楽しそうだ。」

「いや、そうじゃなないよ。あれは大阪から来たグループだって。」

「大阪?」

「そう。あいつは大阪で日本語を学んだからね。たまには大阪弁を話したくて仕方ないんだってさ。変な奴だよ。」

ほどなくして、ハーディーは帰ってきた。

「ふー・・・。少しは楽しめたな。」

「少し?ずいぶんと楽しそうだったけど。」

「いや、大阪出発でも、あのグループは神戸と京都の人が多かった。大阪の言葉は、あまり聞けなかった。」

「だめなの?」

「僕は、大阪で日本語を学んだから。やっぱりちょっと違うよね。せっかく覚えたから、大阪の言葉も忘れたくない。」

日本語を流暢に話すだけでもすごいと思うのに、そこまでこだわるハーディーに言葉が出なかった駒形を見て、イスカンダルが笑いながら言った。

「ね?変だろ?こいつ、おかしいんだよ。」

ハーディーの表情がムキになった。

「なに言ってるんだ、イスカンダル!お前だって、変じゃないか!なんだよ、『日本メーカーのメイド・イン・チャイナは最高』って!」

「それは本当のことだよ。日本で買う電気製品には、メーカーが日本でも中国製か台湾製がたくさんある。それ以外でも、日本で買うメイド・イン・チャイナは最高だよ。中国製のいいものは、日本にたくさん行ってるよ。日本人も、それは知ってる。」

確かにそういう一面はある。

「それに比べて、エジプトのメイド・イン・チャイナはひどいんだ・・・。この前、カイロの市場で中国製の目覚まし時計を買ったんだ。すぐに使ったんだけど、朝起きたら止まってたよ。一晩でもう壊れてた。時計屋に持って行っても直せなかった。一度も鳴らないで壊れる目覚まし時計って考えられる?日本では、そんなもの見たことないよ。」

こんな感じで、話がころころ変わっていく。

イスカンダルと駒形は、一緒に仕事をしたことがあった。このツアーが始まる前から、日程表でお互いの名前を見て、これが再会ツアーであることも分かっていた。それを知っていて、ハーディーがふざけた。

「駒形さん、イスカンダルはね、あなたが添乗員でラッキーと喜んでいたんだよ。とてもお客さん思いで、ガイドに対しても優しいし協力的だと。でもね・・・」

「おいバカ、やめろよ。」

イスカンダルが止めようとした。

「でも、思川さんを空港で見たら、『俺、あの女性がいい!』って言いだしたんだ。それから毎日添乗員を交換しようってうるさいんだよ。」

イスカンダルが苦笑しながら言い訳している。

「冗談だよ!あの人きれいだったから、ついそう言っただけだよ。本気で言ったんじゃない。」

駒形は、笑ってはいたが、少し傷ついた。精一杯の強がりで

「僕は交換してもかまわないけど。」

と言ったが、

「それはだめだ。僕も思川さんがいい。」

と、冗談めかしながらハーディーに切り返されて、また傷つくはめになったのだった。

彼らは、添乗員が2人がその場にいる時は、絶対に日本語で会話をした。添乗員が理解できないアラビア語を目の前で話すことで、疑心暗鬼を生まないという点でも、徹底していた。

ずっと喋り続けるハーディー。夜11時を過ぎて、

「なあ、僕はもう眠いよ。いいかげん寝ようよ。」

と、イスカンダルが言ってくれたことでようやくお開きになった。

日程三日目にして、特別貸し切り観光を、無事に二つこなした夜。三人もまた、思川と同じように、ツアーがうまくいくことを確信していた。だから、こんなにリラックスして、夜の会議ができたのだった。

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翌日、航空機でアスワンに移動して、市内の観光を楽しんだ後、いよいよクルーズ船に乗り込んだ。

その瞬間、ガイドや添乗員の負担は、ぐっと軽くなる。船での移動には、バス移動のように渋滞がない。時間管理を細かくすることなく、寄港地の到着時間に合わせて観光をするだけだ。ナイル川沿いの観光地は、港から近く、歩いていけるところもある。思川にも心配事もなくなり、表情はだんだん明るくなっていった。

 

この時のクルーズは、特に順調だった。

ツアー客は、最高に楽しい時間を過ごして、船は最後の寄港地ルクソールに向かっていた。

そんな日の夕方、一人の男性客が、駒形に声をかけてきた。

「すみません。ちょっとお腹の調子が悪いのですが・・・」

「そうですか。私は薬を持ち合わせていないので、船のスタッフに問い合わせてみましょう。」

エジプトというお国柄、31人もお客さんがいれば、一人くらいはお腹の調子をおかしくするものだ。これくらいは、いつものことだった。

駒形は、いつも通りに対応した。いつも通りに。