ナイルの悪夢① まえがきと人物紹介 : マスター・ツートンの仁義ある添乗員ブログ (livedoor.blog)

登場人物は、上の①をご覧ください。

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 ナイル川のクルーズ船。ヨーロッパで見られるリバークルーズ船に比べると、かなり船体が高い。(本文と船は関係ありません)
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暗くなると、他のクルーズ船は、夜景の一部になる。
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ナイル川クルーズに使われる客船は、ヨーロッパのリバークルーズ船に比べると、船体が高くつくられている。あちこちに橋がかかり、その下をくぐらなければならないヨーロッパの川事情と違って、橋が殆どない(あってもとてつもなく高くつくられている)ナイル川では、背の高い造りでも航行可能なのだ。そのため、デッキに上がると、遠くまでよく眺められる。

イギリスの保護国であった影響だろうか。エジプトのホテルや船では、イギリス文化の影響を時々見られる。例えば、クルーズ船では、夕方にアフターヌーンティータイムが設けられている。

夕方の四時頃、きつい日差しが柔らかくなった頃に始まるサービスには、ほとんどの乗客が顔を出した。紅茶はティーバッグだし、ケーキもそれほど特別なものではないが、船の上からナイル河畔のゆったりとした動きを眺めながら楽しむティータイムは、とても優雅に感じる。

駒形は、開始時間からある程度のツアー客を案内してからは、自分も楽しんでいた。時々客のところに足を運んで軽い案内をしたりする。

「ごらんください。緑が豊かに見えて、ちょっと遠くに目をやると砂漠が広がっていますね。古くからナイルの川沿いだけには緑地帯と農地が広がって、人々の生活を支えていました。航空写真を見ると、緑が広がっている川が一本のロープのように伸びています。文字通り命綱ですね。『エジプトはナイルの賜物』を実感できます。」

客が感心しているから、駒形は得意げだ。実は、エジプトに来るたびに案内している必殺文句だ。ガイドの姿が見えない時は、こんな風景の説明をすることもある。

「今日も楽しそうですねえ、添乗員さん。」

少し遅れて思川が現れた。

「今、すっかりお客さんの中に同化してたわよ。というかお客さんよりも楽しんでいるように見えた。ツタンカーメンのことを思い出したわ。」

「そんなことないよ。」

「ちゃんと仕事していることは分かってるけど・・・気を付けてね。」

「なにを?」

「女性のお客さんだけでなく、男性陣にも気を遣って。」

「ちゃんとやってるよ。」

「さっき、私のグループの男性のお客さんに言われたわよ。売店で買い物している時に助けを求めたのに、冷たくされたって。女性のお客さんばかりに甘いって。」

「・・・・・・・・嘘?」

「本当です。女性客のほうが数は多いから、なんとなくサービスが女性優先になるのは分かるけど、つまらないクレームはもらわないでね。」

「・・・はい。」

 

駒形にそんなつもりがないことは分かっている。ファーストクラス・トラベルの「マダムな顧客」たちは、添乗員に対して、とても甘え上手で褒め上手だ。駒形は、そんなマダムたちの甘い声と褒め言葉に、乗せられているように見えた。優しいというより、甘いのだ。

客の要望には、本当に必要なものと、我儘系がある。クルーズ船に乗ってから、マダムたちのちょっとした我儘系のご要望は、すべて駒形に行き、思川のところには一切来なかった。

「お客さんもよく見てるよなあ。確かに、私ならお断りするようなものは、みんな彼のところにいく。」

船に乗ってから、ずっと思っていた。

そのため、彼に注意を促した。お客さんが彼のところばかりに行くという嫉妬ではない。さっきの男性客が、「駒形は、女性ばかりに甘い」などとアンケートに書いてしまうと、管理職の印象が悪い。そうなると仕事が減る可能性がある。女性が多い添乗員市場で、駒形のような男性は貴重だ。

彼は、自分が楽しんでいるように見える時はあるが、案内は丁寧だ。

女性客にうまく扱われて甘いところはあるが、優しい。

いちいち喋りたがりでうるさいことがあるが、説明はうまい。

気になるところは多々あったが、添乗員としての能力は確かだった。いや、ここは彼女の気持ちを素直に書いておこう。これからも、ファースト・クラストラベルのツアーを依頼したいと思っていた。だから、つまらないクレームで、上からの評価を下げたくなかった。

 

「そういえば、さっきお腹の調子が悪いといっていた韮山さんのことだけど・・・あの男性の一人客の。」

わざわざ「男性」を強調した言い方に、思川は笑いそうになったがこらえた。

「ああ、レセプションに行って薬もらったの?」

「いや、ちょうどイスカンダルに鉢合わせて・・・いつものアドバイスをもらった。」

「まさか、あれ?」

 

レセプションで、スタッフと談笑していたイスカンダルは、韮山の話を聞くと、アドバイスを始めた。

「エジプトでお腹の調子を悪くしたら簡単ね。エジプトコーヒー(トルココーヒーと同じ)にレモンを搾って飲んでください。そして、底にたまっているコーヒーのかすまで全部食べる。日本の薬より効きますよ。エジプト人は、みんなこうやって下痢を直します。ちょっと苦いですが、日本でも言うでしょ?人生は苦いって!」

お腹の調子が悪いはずの韮山が、思わず笑いだすほどの調子のよさだった。

この案内を、よくエジプトのガイドはする。駒形も思川も、来るたびにいろいろなガイドから聞かされていたが、それを実行した客のお腹の調子は、劇的によくなっていた。科学的エビデンスは提示されたことはなかったが、「みんなよくなる」という状況的エビデンスを実際に目にしていた。

「あれ、私たちからは絶対におすすめできないよね。」

「できないねー。自分じゃ絶対にやらないし。韮山さんは実行してたよ。一生懸命コーヒーのかすを食べてた。」

「うげー・・・でも、実際にあれで回復する人多いからね。薬は飲んだの?」

「いや。飲んでない。外国で外国の薬は飲みたくないって。慎重だよね。」

ちなみに、添乗員が客にお願いされても、薬はお渡ししない。医療行為となり、法律にふれてしまうからだ。

 

たった一人の参加客が、多少お腹の調子を悪くしても、いつものことだ。当の韮山も、この時はそれほど気にせず、他の参加者とともにティータイムを楽しんでいた。

悠久のナイルの流れと、その周りの風景は、だんだん赤く染まってきた。そのまま暗くなるまでデッキで楽しむ客、一度自分の部屋に帰る客。それからディナータイム、ベリーダンスショーと、ゆったりとした時間の流れの中で、楽しい時を過ごした。

ショーが終わってから、ホールはバーラウンジとして開放された。ヨーロッパやアメリカから来た乗客、日本人、ガイドや添乗員まで、誰もがグラスを片手に飲み物と会話を楽しんでいた。

少しずつ、部屋に帰ろうとする乗客が目立ち始めた時、韮山が駒形のところにやってきた。

「さっき、ガイドさんに教えてもらった特効薬(コーヒーのかす)・・・今のところ効いてないみたいだ。さっきよりひどくなった。」

「あら、そうですか。いつもはよく効くのですが。どうしましょう。船の薬は気が進まないということでしたら・・・医者を呼びますか?」

「え?医者はいるの?」

医師がいるという情報は、前もって全参加者に知らせていたが、韮山は聞き逃していたようだ。

「いますよ。すぐにでも呼べます。そうしますか?」

「いや、もう遅いからいいや。今晩様子を見て、明日の朝ひどくなっていたら頼むよ。」

「かしこまりました。」

念のため、韮山の状態は、思川やガイドたちと共有して、駒形は部屋に戻った。

 

騒がしかった船内は、だんだん静かになっていく。最終目的地のルクソールに向けて、夜のナイル川を進んでいた。

 

深夜0時。すっかり静まり返った船内。誰もが夢の中にいるこの時間帯に、駒形の部屋の電話が鳴った。添乗員たるもの、どんな時でも電話には素早く反応するものだ。すぐに目を覚まして、受話器を取った。その瞬間、韮山のことが頭をよぎった。

「はい。駒形です。」

「早く!早く飛んできてー!!おねが――――い!!!」

叫び声は、駒形の耳を突き抜けて暗闇を引き裂いた電話の主は、韮山ではない。別の客だった。

「落ち着いてください。すぐにまいります!その声は、大平さんですか?」

「そうです!早く来て!主人が・・・主人があ!!!」

電話を切った駒形は、部屋着用の長そでTシャツを着て、短パンはそのまま。サンダルをつっかけて、2階上の大平の部屋に走った。部屋の前に行くと、別の部屋のツアー客が、大平の部屋の前に立っていた。

思川のグループの客だ。岩舟という女性で、娘と二人でツアーに参加していた。60歳とは思えない若さと美貌を誇るこの方は、地方の有力医師を夫に持つマダムだった。ネグリジェにカーディガンを羽織って、不安そうな表情で駒形に声をかけてきた。

「こちらの部屋の方に呼び出されたの?」

「・・・はい。」

「私たち、この隣の部屋なのね・・・。さっき、奥様のものすごい叫び声が聞こえてきたの。2回も・・・それで心配で・・・。」

彼女は、心配というよりも恐怖におびえた表情で、大平の部屋を振り返った。

「あの・・・ひょっとして、ご主人が亡くなったんじゃないかしら・・・。」

駒形の背中に、ゾッとする何かが走った。

「まさか・・・。」

急に高まる嫌な緊張を抑えようとしながら、大平の部屋をノックした。

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広い川幅には、何隻ものクルーズ船が同時にクルーズしている。
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水門近くで、通過の順番待ちをしていると、ボートが寄ってくる。Tシャツを持っており、クルーズ客に販売している。値段は交渉次第。