ナイルの悪夢① まえがきと人物紹介 : マスター・ツートンの仁義ある添乗員ブログ (livedoor.blog)

これまでの登場人物は、上の①をご覧ください。後から登場した人々も、その都度アップデートしています。

 

新たな登場人物

花崎 英一郎(はなざき えいいちろう) 男性の一人参加客。60代後半。ファーストクラス・トラベルの超大顧客

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ディナーに入る前、思川が、自ら担当しているグループの、客5人に声をかけて、なにやら話していた。

「無事なのは、あの5人だけなんだよ。これから体調を崩されたら大変だから、十分に注意してくださいって、お願いしたの。ランチの時もそうしたんだどね、このディナーも5人だけで同じテーブルを囲んで欲しいと提案したのよ。」

客が席につき、オーダーしたドリンクがサービスされるのを見届けると、思川は、話していたことを説明し始めた。

「ふーん。病気がうつらないように、5人テーブルに隔離したってことか。あ、口が悪くてごめん。」

自分が担当している15人の客が、全員下痢か嘔吐の症状に見舞われた駒形は、少し僻むような言い方をした。

「そんな言い方しないでよ。そっちは全滅したと言っても、ほとんど快復しているじゃない。最後のご夫婦だって、落ち着いてきたみたいだし。こっちは、あの5人が、これから体調を崩したら、このあと地獄よ!?明日はロンドンまで、明後日はそこから成田に飛ぶんだから。症状が伝染しているように見えるから、気を付けていただかないと。・・・まあ、そう見えるだけで、伝染の根拠はないんだけどね。」

「まあ、そうだね・・・。真面目な話、5人に説明する時の言葉選びが大変だったろ?他のお客をばい菌扱いしているようなもんだしね、ある意味。」

「そうなんだよ、そこよー・・・。変に5人が警戒しちゃってさ、他の方にそれが分かっちゃうと大変だからね。あくまで念のためってことで・・・。あくまでと言うか、本当に念のためだなんだけど・・・。」

眉間に皺を寄せながら、苦しそうにしている思川が言うことに頷きながら、駒形は、客たちのテーブルに目を移して、ふと気づいた。

「あれ?あの方。花崎さんだっけ?無事な5人のうちの1人だよね。他の4人と別のテーブルに座ってるよ。」

「うん。そうなのよ。他の4人が全員女性でしょ?ランチもディナーも一緒だと、女性たちに気を遣わせてしまうからって。敢えて別のテーブルに行ったの。そのほうが本人も気楽なんだって。一緒するように説得したんだけどなあ。」

「なるほどね。でも、花崎様がそう考えるのも分かるよ。あの4人は、二人組が二組のはずなのに、四人組に見えるくらい仲良くなったしね。男1人ではその場にいにくいと思う。」

「うん、確かに。」

「あの花崎様だけどさ、ファーストクラス・トラベルのお客様って、みなさんオーラをお持ちだけど、あの方は、別格な何かを感じるよね。そういえば、花崎英一郎って、確か大企業の社長と同姓同名じゃん。名は体を表すって、ああいうのを言うのかな?」

「何言ってるのよ、あの方は・・・」

駒形は、この時、初めて花崎の詳細を知らされた。

「え!?本物なの?あの一部上場企業の社長さん?」

「そうよ。言ってなかったっけ?」

「言ってない。頼むよ。・・・あの人の名前が、このツアーの名簿にあるのか・・・。」

駒形は、しげしげとツアー名簿を眺めた。

「花崎英一郎の名前って、テレビとネットと新聞以外で初めて見た。」

まるで、憧れの女優にようやく会えたような物言いをする駒形に、苦笑しながら思川は言った。

「それだけ見てれば十分だよ。でも、知らせていなかったのは悪かった。ごめん。」

ファーストクラス・トラベルには、時々この手の参加者がいるから、それ自体は、駒形にとっても意外ではなかったし、彼自身も財界の有名人を何度か案内した経験はあった。だが、今までは、そういった客がいる時は、事前の打ち合わせで知らされるのが常だった。大物がいる時は、それなりの心の準備が必要だ。今回のように、いきなり発覚するとびっくりする。

別に、大物を特別扱いをするわけではない。支払った料金に見合ったサービスを、他の客同様にするだけだ。花崎に限らず、他の大物客も、だいたいそれで納得する。そうでなかったら、ツアーには参加できない。

セレブ客は、よくドラマなどで、強烈な我儘に描かれるが、実際には、そのようなことは、あまりなく、添乗員にも他の客にも協力的なことが多い。特に、花崎のように有名人になると、自分が企業の顔であることを自覚しているから、言動は、非常に紳士的だ。逆に言うと、なにか不満があっても、現場では言わないことが多い。

旅行会社にしてみると、それが怖い。花崎だけでなく、このツアーの参加者は、様々な意味で、社会的に高い地位にいる者が多い。そういった人たちは、一般の人々に比べて、横繋がりの広い人脈を持っている。もし、ツアー中に旅行会社が問題を起こして解決できなければ、その悪評が彼らの旅行仲間の人脈に広がることがあり得る。

すると、彼らのお仲間も、その悪評を情報の一つとして捉え、旅行会社の利用を控える可能性があるのだ。実際、ファーストクラス・トラベルは、そういう負の連鎖だと思われる、大きな売り上げ減少をという苦い経験をしたことがあった。
この現象は、花崎だけでなく、ファーストクラス・トラベルの顧客全員で起こり得るものであった。だからこそ、ファーストクラス・トラベルは、手間も予算も惜しまずに、出来ることはすべて行った。他の旅行会社なら、まずできないと思われるこれまでの対応は、決して綺麗事だけではない。

その中でも、特に影響が大きそうな花崎の無事は、この時まで、多くの患者の対応に苦しんだ思川の中で、せめてもの心の支えになりつつあった。

 

ウェイターが、グラスの赤ワインを二杯、思川たちのところに持ってきた。

「頼んでませんよ。」

駒形が断ると、やはりグラスの赤ワインを持って花崎が近づいてきた。

「思川さん、本当にありがとう。駒形君もよくやってくれた。こんな対応をしてくれる添乗員も旅行会社も他にはないよ。2人のおかげで、最後まで旅を楽しめた。本当にありがとう!」
そうして、グラスを掲げて、まわりに拍手を促すような仕草を見せた。
添乗員二人は、合わせてグラスを掲げ、客たちに向かって、軽くお辞儀した。
次の日、ロンドンに着いてからは、ランチもディナーもフリーだ。これが、グループ全体で楽しむ最後の食事だった。
大顧客の花崎が、最後のディナーの雰囲気をよくしてくれたことに感謝するとともに、何人かの客が、決して乗り気で拍手していないことを、思川も駒形も見逃さなかった。

やがて、デザートが出てきた。エジプト風フランス料理のコースも、間もなく終わりだ。
クリーム・ブリュレのアイスクリーム添えを、ゆっくり味わいながら、十分にタイミングを計って、駒形は、思川に打ち明けた。
「ディナー後なんだけど、渡良瀬様から話があると言われている。この後、彼の部屋に行かないといけない。」
思川の表情と態度が、急に変わった。それは、不愉快極まりなさを、これ以上ないほど表していた。
「なんで?なんであなたなの?あの方、私のグループのお客様だよ?」
「分からない。一応確認したけど、僕と話したいんだって。あとで、内容は報告する。」
「別にいいよ。あんな方の報告なんて。」
不機嫌になった思川を見ながら、先に報告しておいてよかったと思った。大切なのは、渡良瀬と話した後だ。事後報告なら、思川は、今以上に気分を害して、報告をろくに聞いてくれないだろう。今は、いくらでも機嫌を損ねてくれてかまわない。
駒形は、そのまま無言でデザートを味わいながら、思川が少し落ち着くのを待った。
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