今回の話は、下の四話の続きになります。未読の方は、先にお読みなることをおすすめします。その後、スピンオフの①におすすみください。

ナイルの悪夢㊿ 最後の修羅場 : マスター・ツートンの仁義ある添乗員ブログ (livedoor.blog)

ナイルの悪夢51 攻防 : マスター・ツートンの仁義ある添乗員ブログ (livedoor.blog)

ナイルの悪夢52 最終判断 : マスター・ツートンの仁義ある添乗員ブログ (livedoor.blog)

ナイルの悪夢53 無念の降機 : マスター・ツートンの仁義ある添乗員ブログ (livedoor.blog)

 

登場人物

思川葉月 ファーストクラス・トラベルの添乗員。ロンドンでの不運な延泊に巻き込まれたしまったが、その先に待っていたのが、まさかボトルで24万円のシャンパン!?「どうするのよ!?きっと緊張して味しないわ!」

 

花崎英一郎 ファーストクラス・トラベルの超大顧客で、とある大企業の社長。不運な搭乗拒否により延泊と思いきや、カジノで大当たり。「でも、すみません。為替レートを勘違いして、勝った金額を一桁勘違いしてました。いやね、ずいぶんといつまでも続くなあと思ったんですよ。」さて、本当に24万円のシャンパンを注文されるのか?

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「え?」と、一瞬戸惑ったものの、思川は、そのままのノリを続けた。

「かしこまりました。それでは、ウェイターを呼びましょうか。」

遠くにいるスタッフに、合図をして呼び寄せた。

「それで、結局どれになさいますか?」

思川は、まだ花崎の本気を分かっていない。

「さっき決めたでしょう?一番上のやつ。24万円の。」

「・・・え!?」

さすがに驚きの表情を隠せない思川。花崎は、にっこりとして動じない。

「本当に?」

「本当に。」

「この、ドン・ペリニョン・レゼルブ・・・なんとかでよろしいのですか?」

イギリスのメニューでは、外国の食べ物や飲み物は英訳されていることが多いが、高級店でワインや料理などは、原語のまま表示されていることが案外多い。特にフランス関係は、その傾向が強い。この極上シャンパンもそうだった。フランス語をたしなまない思川は、最後まで銘柄を読み切れずに、最後が「なんとか」になってしまった。

「ええ、そうです。その、ドンペリの『なんとか』でいきましょう。」

なんだかドキドキしてきた。恐る恐る思川は、オーダーした

「・・・このリストの一番上にあるドン・ペリニョンをください。1600ポンドの。」

スタッフは、ちょっと考えたような仕草を見せて、「少々お待ちください。」と言ってから、一度奥に消えた。

「さてと。どんなのが来るのか楽しみだ。あんな上物、こういうタイミングでもないと、なかなか頼めないからね。」

思川と花崎の心理状態は、少し前から完全に逆転していた。「ちょっと待ってよ。やだ・・・本当にあれが来るの?」思川は、妙な緊張感に包まれている。

やがて、スタッフが戻ってきた。

「申し訳ございません。そのワインは、本日ご用意できません。」

「おお・・・そうか。それは残念だ。」

花崎は、本当に残念そうに言った。

思川は、一瞬ほっとしたと思いきや、なんとも言えない残念な気持ちが込み上げてくるのを感じた。そんなことを感じてしまう自分に、妙な卑しさまで覚えて、もはやその複雑な心中は、説明不可能なほどであった。

リストの中の、とてつもなく高いワインを頼んでみて、「本日はご用意できません」と言われることは、それほど珍しいことではない。ありがちなことだと言ってもいいだろう。

「ただし、おすすめのシャンパンはございます。」

スタッフは続ける。

「リストにある上3つはないのですが、もし、ドン・ペリニョンをお好みでしたら、4つ目のレゼルブ・ド・ラベイ・ビンテージの93年ものがございます。」

「なんだって?」

英語を聞き取れない花崎が思川に尋ねた。

「上から4つめの、93年もののビンテージなら用意できるそうです。」

「ふーん・・・いくらなの?」

1150ポンドです。だいたい18万円くらい。」

「そうか。ならそれでいこう。これはこれで、きっと最高のシャンパンだ。」

すっかり乗り気で楽しそうな花崎を、少し上目遣いで見つめながら、「本当にいいのかなあ・・・」と、思川は、再び複雑な気持ちを抱えていた。一方で心の片隅には、間違いなく「ラッキー♪」と小躍りする自分がいる。

「あー・・・今だけは、誰にも心の中を見せたくない。」

 

そんな悩みは、この後、シャンパンを口にして、一瞬で消えてしまった。

「・・・美味しい・・・!」

ドンペリの味は、思川の複雑な悩みを鎮めて、とても純粋な感動を呼び起こした。別のツアーで、あるお客様から言われたことを思い出した。

「味の好みはあるかもしれない。しかし、酒の値段は、決して嘘はつかない。」

香りも、口当たりも、後味も、これまで自分が飲んだことがあるシャンパンからは、まったく想像できないものだった。

「うーん・・・美味しいね。」

花崎も満足気だ。

「満足いただけてるようだね。この味を表現するとしたら、どんな感じかな?」

「どうと言われましても・・・。」

「最初は、爽やかなオレンジのような香り。それが一口飲んだ途端に変化していく。気が付いたらスパイスが効いたビスケットのような風味になっていて、口の中いっぱいに広がったそれは、やがて舌の一点に集中していく。いつまでも残るこの後味は、まるで、ワインが自分の舌を抱きしめているようだ。いや、ワインが抱きしめているのは私の心か・・・なんてね。」

「・・・素敵な表現ですね。」

「なに言ってるんだよ。ワインの本なんかで、よく出てくる表現を拾っただけさ。いろいろなワインに当てはまる表現だからね。ハッタリに使うのにちょうどいいんだよ。」

言われてみればそうのだが、「言うべき人が言うと、ハッタリがハッタリに聞こえないもんだな。」と思川は思った。

 

「今日は、大変だったけど、残ってくれたのがあなたでよかったよ。」

「光栄です。」

「駒形さんも素晴らしかったけどね、彼なら、このシャンパンはなかっただろうな。」

「え・・・どうしてですか?彼も今回のトラブルでは、非常に働きました。」

「いやいや、そういうことではないんだ。こういうシャンパンを頼むときは、ある程度見栄もあるから。あなたが素敵な女性だから、見栄を張ってみたけどさ、男性の駒形さんにそれは必要ない。それに、彼の場合、うっかりこのシャンパンの感想を聞いたら、話が止まらなくなりそうだし()

「それは、確かにそうですね。」

「男同士ならね、このへんのワインを、2人で2本くらい頼めばいいのさ。そのほうが、お互い気楽にいろいろ話せる。彼も、なかなか面白い男だよね。」

花崎は、テーブルの上に置かれていたおすすめワインの写真を指差した。それでもボトルで8,000円くらいはする。シャンパンとの値段の差はともかく、駒形もきちんとした評価をされていることを感じて、思川は嬉しかった。

シャンパンに合わせたおすすめ料理を楽しみながら、時は、ゆったりと楽しく過ぎてゆく。レストラン一番のおすすめは生ガキであり、花崎がかなり強くそれを望んだが、「今日、飛行機に乗れなかった理由をお考えください。」という、思川の正し過ぎる忠告で、この日は我慢することになった。

 

翌日、空港では、無事にチェックインを終えた。体調のことでは何もチェックを受けなかった。前日の騒ぎが馬鹿馬鹿しくなるくらい順調だった。おまけに、エコノミークラスがオーバーブッキングであったため、思川の席は、ビジネスクラスにグレードアップされていた。通常は、辞退して他の乗客に譲るところだが、

「私たち2人しかいないんだから問題ないよ。せっかくだからゆっくりしなさい。」

という花崎の気軽な一言でそのまま乗ることになった。

「ビジネスクラスのことは黙っておくから、昨日のシャンパンのことも秘密にしてくれないか?君の会社の上司は恐縮するだろうし、何よりも妻のお説教が怖いんだ。ヤキモチではなくて、『見栄を張っているんじゃないわよ!』って叱られるのが嫌なんだよ。本当にその通りだからね。」

「あははは。かしこまりました。トップシークレットですね。」

「そうだ。お互いにトップシークレットだ。」

 

いよいよ搭乗だ。思川は、自分のLINEに、同情と心配と労いのメッセージが、多くの人から届いていることに気づいた。駒形からも届いている。

「みんな、私のことを、こんなにかわいそうだと思っているのか。なんか、心配をかけておいて、こんなに楽しんでいるのは申し訳ないような・・・。」

そう思って、返信を始めようとしてやめた。

「帰ってから『ただいま』って返せばいいや。昨日のことはトップシークレットだし。しばらくの間は、かわいそうだと思われたほうが、過ごしやすいだろうし。」

ビジネスクラスシートに、ゆったりと座りながら、そう思いなおして、映画を見始めた。思川にとって、不運に見舞われ続けたたエジプトツアーの締めくくりは、極上のシャンパンであった。

 

この時のことは、思川と花崎の間だけの秘密になっている。これを読んでいる人が、街のどこかで彼らとばったり会ったとしても、決してドンペリのことは言ってはいけない。そっとしておいてあげよう。彼女は、それほど頑張った。

え?ちょっといい思いをし過ぎだって?

それはそうかもしれない。そのせいだろうか、帰国当日に、彼女はノロウィルス感染が発覚している。

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この話はここで終わり。スピンオフはまだ続きます。

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