マスター・ツートンの仁義ある添乗員ブログ

自称天使の添乗員マスター・ツートンの体験記。旅先の様々な経験、人間模様などを書いていきます。

カテゴリ: マカオ・サスペンス

結論から言うと、秋月さんは、この旅行会社でブラックリスト扱いになりませんでした。

 

みなさん驚いたと思いますが、彼女は、この旅行会社では、それまで国内旅行ばかりに参加されていて、まったく問題なかったそうです。今回の騒動を海外旅行担当から国内旅行担当へ報告がされた時は、「そんな問題を起こしそうな気配は、今まで一度もなかった。」と驚かれたとか。

 

それを考慮したうえで、今回のトラブルの吟味です。

ロビーで激昂しましたが、多少目立っただけで他のお客様へご迷惑をおかけしたわけではない。自分の部屋で自分の持ち物がなくなったことを、他のお客様にお話してはいましたが、すべて出てきたことも話している。そして、スタッフたちには、現地ガイドも含めて、全員に謝罪しており、帰国後も、営業担当者にお詫びの電話があったとか。それにより、十分反省されたとみなされたようです。

 

もし、その旅行会社に初参加でこのトラブルなら、出入り禁止になったと思いますが、顧客としての実績がものを言った訳ですね。

 

さすがに海外旅行への参加は、その後、旅行会社も慎重に取り扱ったようで、最初は、理由をつけて丁重にお断りしていたそうですが、国内旅行で、再び何度か実績を積まれてからは、普通に海外旅行ツアーにもご参加いただいてるそうです。

 

こうなると、添乗員に問題はなかったのか?ということになるのですが、今回は幸いなことに社員が同行して成り行きを見ていたし、僕は僕で、その取引先では順調に実績を重ねていたし、そのため、なにかしら言及されることもなかったと聞いています。。

 

マカオで、僕と一緒に現場にいた片岡さんや小石川さんは、「それでいいのかなあ」と思われたようですが、結局、「添乗員と秋月さんは相性が悪かった」ということで、片付いてしまったとか。

 

この手のトラブルとしては珍しく、双方ともに処分なしということになりました。

 

僕のことは片岡さんと小石川さんが守ってくださり、秋月さんのことは営業担当者が守ったというわけです。

 

これが、もしドラマなどだったら、最初に「ハケン」が悪者扱いされて、最後はなにかがきっかけで大逆転。と、なりますが、現実は、この手のトラブルでは、旅行会社は添乗員をよく守ってくれます。現場で命をかけて戦っている添乗員を、旅行会社は粗末にしません。かといって、どんな信じられないことをされたお客様でも、その方をただ悪者扱いするわけではなく、これもまたよく吟味されます。旅行の現場は、本当、お客様とよく向き合います。僕が仕事をいただいてる旅行会社は、そんなところばかりです。

 

今回の秋月さんの件は、それらを一般の皆さんにお見せできるいい例だったと思います。

 

ブラックリストというものは、確かに存在します。でも、そんな簡単に入るものではありません。

集合時間を守る、暴力を振るわない、やたら怒鳴らない、叫ばない。他のお客様に迷惑をかけない読者のみなさんは、きっと大丈夫。問題ありません。

 

なにかあっても、きっと天使の添乗員が守ってくれます。

 

さて、明日からは新しいシリーズが始まります。

登場人物

 

マスター・ツートン

自称天使の添乗員。とりあえず生き延びました。

 

泉さん

今回、なんとかなったのは、あなたのおかげです。

 

秋月さん

泉さんのグループにいらした、女性の一人参加客。

 

片岡さん、小石川さん

旅行会社の社員。今回は、コーディネーターとして現地入り。守っていただいてありがとうございます。

 

その他添乗員たち

「品格あるハケン」のプロフェッショナル

 

 

予想もしていなかったお詫びの言葉。
あの、恐ろしい目つきは表情から消えて、一見、心からお詫びをおっしゃってるように見える。しかし、素直受け入れられるはずがない。

 

それでも僕は、接客する立場の添乗員として、

 

「いえ。もう済んだことですから。どうかお気をつけてご帰国ください。」

 

と挨拶して、作業が忙しいふりをしてその場を離れた。振り向くと、まだこちらを見ていたので、もう一度会釈をして、作業に戻り、それからは仕事に没頭しているふりをした。

 

少しすると、添乗員たちが、僕のところに来た。

 

「ねえねえ!今の人だよね!?昨日のすごかった人!!」

 

秋月さんがいる方向を見ないようにしていたのであるが、どうやら、この場からは立ち去られたようだ。前日、ツアーデスク近くで激しく怒っていたから、秋月さんは、すっかり有名人になっていた。事の顛末を知らない添乗員は、気になってしかたないのだ。

 

「早く、先に作業を済ませて!話しはあとで。」

 

小石川さんに声をかけられて、皆自分の仕事に戻った。

 

「結局、謝ってきたね。」

 

彼は僕に声をかけた。

 

「はい。さすがに、びっくりしましたけど。泉さんの言うとおりになりました。片岡さんと小石川さんのところには?」

 

「君の前に僕らのところには来た。丁寧に謝ってたよ。」

 

僕らの会話に気付いた片岡さんも、近づいてきて会話に加わった。

 

「秋月さん?謝ってきたね。まあ・・・泉さんの言ったことがいい薬になったんだろう。常識的に考えればそうするよ。」

 

そんなもんかなあ・・・。

 

作業を終えてから、僕は泉さんと立ち話をして、遅れて朝食へ向かった。ビュッフェスタイルの朝食。オープンキッチンでオムレツでもつくってもらって、ゆっくり食べようと、テーブルに座ろうとしたとき、

 

「あっちに、いい席を取ったの。いっしょに食べようよ!」

 

と、別の添乗員に誘われた。このシリーズには、初登場だが、今回の仕事中、最も言葉を交わした添乗員の一人だった。

 

彼女の導くテーブルに向かうと、そこには、泉さんを除く7人の添乗員も僕を待っていたのである。そうだった。事の顛末を話す約束をしていたのだった。

 

「あれ?泉さんは??」

 

「彼女は、先に食べ終わった。出発まで一人でゆっくりしたいんだって。あの人、昨日まで大変だったからねー・・・」

 

「いや、一番大変だったのは、僕・・・」

 

「まあ!まあ!まあ!!」と、皆に背中をバシバシ叩かれて、僕は言葉を止められてしまった。

 

「固いこと言いっこなしだよ。あの方がどんなだったか好奇心はあるけどさ、私たちが心配してたのも本当だよ。結局なんとかなったんでしょ?ね、私たちを安心させて!」

 

どう見ても、好奇心しか見えない態度と表情だった。昨日、すでに話を終えている北さんたちまで、悪のりしていた。8人の添乗員、キラキラ輝く16個の瞳を前に、僕は話を始めた。話が進むにつれ、彼女たちの顔から次第に笑顔が消えて行き、最後は真剣そのものになった。話し終えた後、少しの間静まりかえり、

 

「それは大変だったね・・・。怖かっただろうし、腹も立つわ・・・。」

 

という第一声とともに議論が始まった。

対応の流れ、過去に自分が案内した客に似たようなタイプはいないか・・・時々話が脱線して、それぞれのトラブル自慢話になり、また元に戻るという典型的な添乗員トーク。居酒屋でこんな話をしていたら、永遠に終わらないのだが、この日は帰国。みんな集合を気にしてチラチラ時計を見始めた。

 

「でも、台数口の仕事でよかったわね。添乗員が複数いなかったら、絶対に解決できなかっかた思う。社員が現場に来てるのもよかったね。責任者が現場ですぐに対応するのと、帰国後じゃ全然違うよ。」

何人かが頷いた。別の添乗員が発言する。

 

「まあ、そういうことね。でも、事はもっと単純だね。秋月さんは、ツートンさんと仲良くしたかっただけよ。ツートンさんと話す機会がたくさんあったら、こうはならなかったと思う。・・・たとえば、台数口でなくて、単独のグループだったら、きっと大丈夫だった。あるいは、台数口でも、自分の添乗員がツートンさんだったら、おそらく問題なかったわよ。甘えたかったのよ。お話したかったのよ。そう思わない?」

 

「なるほど・・・」誰かが同意した。

 

「だいたいね、ナイフ&フォークだってツートンさんを引き出す口実よ。あまりに幼稚なやり方だけどね。」

 

確かに幼稚だった。「ナイフ&フォークがない!」と、ただ言われただけのほうが、よほど僕らも緊張したろう。わざわざケースだけを持ってきて、しかも、それにチョコレートステッキを入れて人のせいにするなんて・・・逆に自分が疑われるとは思わなかったのだろうか・・・。

 

「ツートンさん、深く考えすぎ!相手は、単純で子供っぽいだけの方だって割り切ったほうがね、辻褄があうわよ、きっと。最初のウェストポーチの時にね、あなたが冷静に対処しないで、『あなたのために、僕ちゃん頑張っちゃいまーす!』みたいなパフォーマンスを見せれば、彼女も胸がキュンとしちゃって、それだけで満足したかもよ。それがたとえフリりでもね。」

 

別の添乗員がいたずらっぽく言った。

 

「ねえ・・・でも、もし、こっちが向こうの嘘を見破れなかったらどうなったかしら?」

 

「それは・・・ねえ・・・きっと、部屋に呼び出されて二人きりになったわよ。『どうしてくれるの?あなた、本当は持ってるんでしょう?こっち来て、ねえ・・・』とか言って迫ってきたんじゃない?」

 

キャ――――――ッ!!

 

テーブルが、核爆発を起こした。女性ばかりでこんなノリになると、ろくなことがない。ウェイターさんに、「他にお客様がいらっしゃるから、もう少し静かにお願いします」と、注意されてしまった。

 

皆で「すいません」と、謝り、結論は、「ツートンさんが女心を分からずに、普通に扱ったから悪い。嘘でも一瞬でも特別扱いすべきだった」と、いうことで決着がついた。終わったことだからどうでもいいのだが、彼女たちが口々に言ったそれは、本当に解決策のひとつであったのか、今でも気になっている。

 

そのうち、一人の添乗員が席を立った。

 

「わたくし、そろそろ失礼いたします。皆様、また日本でお会いいたしましょう。」

 

「(4、5人一緒に)ごきげんよう。」

 

と挨拶を交わすと、各自席を立ち始めた。この旅行会社の一部のお客様には、本当に「ごきげんよう」の類の言葉を使われる方がいらっしゃり、それをもじった、最後のおふざけだった。

 

それから、皆、一気に仕事モードに切り替わる。凛としたハンサムレディーたち。

前日に、泉さんの秋月さんに対する対応で、添乗員としての格の違いを見せつけられた僕は、自分の未熟さを強く感じながら、派遣添乗員への見方を大きく変えていた。

 

旅行会社に勤めていたサラリーマン時代、派遣添乗員は、僕にとっていわゆる「ハケン」で、アルバイトの延長のようなイメージだった。だが、このツアーで一緒に仕事をした9人の添乗員は、世間一般でイメージされる「ハケン」などではなく、プロフェッショナルだった。

 

折しも今、テレビドラマで「ハケンの品格」というドラマをやっている。篠原涼子演ずる大前さんは、決して偶像ではない。あのように、仕事に高い意識を持ったプロフェッショナルが、派遣添乗員にいることを思い知ったのがこの時だった。

 

ぼくは、今回のトラブルで何もできていない。会社の名前を背負った旅行会社の社員と、「品格あるハケン」というプロフェッショナルに助けてもらっただけだ。

 

いよいよ帰国。マカオから香港までは2便に100人ずつ別れてフェリーで行く。日本への帰国便の時間によって、それは分けられた。泉さん(秋月さんはここにいる)のグループは先発。僕は後発。

 

港では、片岡さんと小石川さん、現地ガイドがスーツケースの扱いに不備がないように、忙しく動き回っていた。そんな中、僕は二人に秋月さんの様子をうかがった。

 

「丁寧に挨拶して、まるで何もなかったかのように帰って行ったよ(笑)」

 

「あきれるよなあ・・・ひょっとして大物気質かもな(笑)」

 

終わってしまえば、たった半日の間での出来事だった。その時は、訳がわからず恐怖感さえ感じたが、今となっては、大したことではなかったのかな・・・という気持ちもする。でも、それは、結果的に、誰も真の被害者にならずに帰国できたからだろう。

 

帰りの名古屋行きの便で、隣に座った高井さんが言った。

 

「本当、なんでもなくてよかったね。」

 

「うん・・・・。」

 

と深くうなずいた時、あの時の秋月さんの目つきを思い出したのを覚えている。・・・いやあ、やっぱり怖かったよ。

 

=おわり=

登場人物

 

マスター・ツートン

自称天使の添乗員で、このブログの筆者。最後、遅くなってしまったけど、落ち着いた夜を過ごせてほっとしている。

 

泉さん

ある意味、ツートンのせいでトラブルに巻き込まれた女性添乗員。経験年数と実力が比例している一流のやり手。いや、今回はすごかった。

 

片岡さん、小石川さん

コーディネーターとして、東京からやってきた旅行会社の社員。いろいろお世話になりました。泉さんを含めて三人がいなかったら、自分はどうなっていたか。想像しただけでも恐ろしい。

 

秋月さん

泉さんが担当していたグループの女性一人参加客。今回の悪役ヒロイン。

 

 

レストランに入ると、既に泉さんもテーブルに加わっていた。僕がそこに加わり、まずは、祝杯(?)をあげた。そこから、慰労会のはずが、結局回の内容は、すべて秋月さんのことだった。

 

「本当に許せないよ。」と、片岡さん。

 

「僕は、悪いことをしてしまった・・・。ホテルのポーターに謝らなきゃ・・・本当に申し訳ない・・・。最悪だ。」

 

と言ったのは小石川さんだ。個人的に、またポーターを呼び出し、かなりきつい口調で詰問してしまったという。無実なポーターを犯人だと思い込んで責め立ててしまったことを、心から後悔していた。お客様を信じ過ぎてしまったがために犯してしまった罪的行為。ポーターさんは、確かに気の毒だったが、小石川さんも、ある意味被害者だった。

 

「私の対応を弁護士に相談するらしいですよ(笑)」僕が、呆れた口調で言った。

 

「そんな弁護士、私がライセンスを取り上げてやる!」片岡さんがテンポよく返してきた。そして続けた。

 

「全然、お詫びの言葉がないよ・・・なんなんだ、あの人は。ちょっと異常だ。帰国したら、顧客履歴を細かく調べてみよう。」

 

サラダを食べながら、白ワインをぐっと飲んで泉さんが口を開いた。

 

「秋月さん、明日三人にお詫びに来ると思います。」

 

???なぜ???三人とも反応した。

 

「三人が部屋から出た後、私、脅したんです。こういった場合、ホテル側から名誉棄損で旅行会社が訴えられるかもしれないとか、ポーターが万が一、こういったことで解雇されたら、新しい就職口を探すのが難しいとか・・・ホテルが旅行会社を訴えてきたら、まだいいけど、秋月さん個人を訴えてきたら、今回は、私たちもかばいようがないとか・・・謝りたいと言ったから、三人を部屋に呼んだのに、なんであんなことを言ったのかも問い質しました。ツートンさんなんか坊や扱いだもん。ひどいよ。」

 

「それで・・・どうだった、彼女の反応は?」

 

「今度は、本当に泣いていました。さすがにまずいと思ったみたい。」

 

「泉さんは、いつも秋月さんの味方を装ってましたね。さすがだなあ・・・。」

 

僕が感心して言うと、

 

「そりゃそうよ。一人で追い詰められたら、人間て開き直れるじゃない。でもね、仲間が一人でもいたら、絶対に依存する部分が出てくるのよ。頼りにしている人が『もうだめだ、かばいきれない!』ってなったら、一人で追い詰められている時みたいに、心の準備ができてないでしょ?そうなったら、かばうような態度をとりながらこっちに引き寄せればいい。今回は大変だったけどね。」

 

そして、ワインをもう一口飲んで付け加えた。

 

「でも、最近嫌なことが続いててね。今日も途中で、『帰国したら添乗員やめる』って思っちゃいました。あ、今は大丈夫ですよ。」

 

泉さんは、爽やかな顔をして、童顔に見えたが、実は、僕よりも年上だった。20台前半で添乗員になった彼女は、この仕事を20年ほど続けていた超ベテランだった。つまり、ちょっと前まで旅行会社の社員で、年間数回の添乗にしか出ておらず、専任添乗員としては日の浅かった僕とは、経験値に雲泥の差があった。この時点では役者が違ったというわけだ。

 

とてもそうは見えなかったが、秋月さんとは同学年だったそうだ。同世代の同性だから、心理状態などは、男性三人よりも、よりよく見えたかもしれない。

 

「ナイフ&フォークは、完全に嫌がらせね・・・。ウェストポーチは、ひょっとしたら、本当に行方不明になったのかも。でも、出てきてしまった。私たちにずいぶんといろいろ言ってしまったから、あるとは言えないで、セフティーボックスに隠しちゃった。・・・・・・まあ、最初から隠したか、出てきちゃったから隠したのかは分からないけど、まさか、セフティーボックスを開けられるとは思わなかったんじゃないかなあ。」

 

「でも、単なる嘘というよりは、虚言癖っぽい。事件が起こった後は、目つきもおかしかったし、普通じゃなかたったよ。」

 

僕は、嫌な気分を思い出しながら、吐き出すように言った。

 

「ツートンさんは、唯一の男性添乗員だからね。あなたと仲良くしたかったんだよ。デスクで他の人がいても、あなたにしか話しかけなかったんでしょう?ツートンさんが担当するまでは、ツアーデスクに一度も来てないのに、あなたが入ってから何度も来たんでしょう?一目瞭然じゃん。単純な話だよ。」

 

「・・・そうなの?・・・でも、最初から嫌がらせというか・・・いじめられていたような気がするけど。それも悪意を持って。」

 

「そうだよ。いじめてたんだよ。だから仲良くしたかったんだなあって分からない?ツートンさんて案外ニブチンだねえ・・・やっぱ坊やかも()

 

「女性のそういうところは分かりません。そんなモテたことないから。」

 

「いや、モテるんじゃない?ああいう・・・なんていうかゲテモノ系というか。」

 

「・・・・・・・・・。さっき、うちの北たちにも、似たようなこと言われた。」

 

「なに?ゲテモノ系に人気あるって言われたの?」

 

「いや、そうは言わなかった。なんか『そういう系統』って言ってたな。」

 

泉さんは、なにかがツボに入ったかのように笑い出した。

 

「そうそう!そういう系統!()

 

片岡さんも立川さんも笑った。初めてテーブルが笑いに包まれた。小石川さんの顔も、少し明るくなった。事件の解決だけでなく、みんな精神的にも回復してきていることを意味する笑顔だった。

 

「そうだね。ツートンさんが、気を利かせて話を聞いてあげてれば、よかったのかもね。ツートンさんが悪いね。僕も秋月さんと同じ歳だから分かるよ。」

 

なんと、小石川さんも泉さん、秋月さんとは同級生だった。

 

その後、いろいろなことを話し、気づくと深夜2時近かった。疲れが急に感じられて、席を立とうとしていた時、泉さんが呟いた。

 

「あの人、ツアーの中で年齢が圧倒的に若いでしょう?しかも一人参加だから、私が一番の話相手だったの。自分のご主人と子供の話ばかり・・・。悪い人とは思わなかったんだけどなあ・・・。」

 

「それも嘘なんじゃないか?」小石川さんが言った。

 

「あれだけの嘘を言える人だからね。どこまで本当なんだか。泉さんが聞いていたのは、架空の主人と子供の話かもしれないよ。」

 

静まり返るテーブル・・・。最後は片岡さんが締めた。

 

「まだ、帰国という大仕事が残ってる。秋月さんのことは、調べればすぐに分かるよ。勝手な想像はしないほうがいい。とりあえず解決したのだし、明日のことだけ考えよう。」

 

そうだな・・・とにかく、誰も罪を着せられないで済んだんだ・・・。それでいいよな・・・。そう思いながら、僕は自分の部屋に向かった。部屋に入って、ベッドに倒れこむと、そのまま眠ってしまったようだ。気が付くと朝だった・・・。

 

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最終日、添乗員の集合は朝8時だった。200人以上のお客様がスムーズに出発できるように、添乗員は早めに集まり作業に入る。前日遅かったこともあり、集合時間ギリギリに行くと、僕以外のスタッフはもう揃っていた。前日の事件については、もう皆知っていたようで、僕には、多くの労いの言葉がかけられた。

 

作業が始まった。ポーターたちが運んでくれたスーツケースを、グループごとに分けてゆく。やがて、お客様たちが、次々と現れて、ロビーには挨拶の言葉が飛び交い始めた。

 

小石川さんが誰かに頭を下げている。昨日、盗難の疑いをかけてしまったポーターだ。ガイドさんに通訳を頼んで、自ら謝罪を申し出たらしい。誠実に何度も頭を下げていた。彼がやったことはよくないが、そもそもあんなことをさせたのは誰なのだろうと思うと、前日の怒りがまたこみあげてきた。

 

ふと、誰かの視線を感じる。三人の添乗員が僕のほうを見ているのに気づいた。彼女たちは、僕に合図をするかのように、心配そうな顔で視線を左側に移した。僕もそれに合わせて視線をその先に移すと、そこには秋月さんが立っていた。昨日の目つきの悪さは消えていた。

 

僕のほうに歩み寄ってきた。近くにいるスタッフたちから気づき始めた。俄かに高まる緊張感。秋月さんは立ち止まると、

 

「昨日は悪かったわ。ごめんなさい。本当に申し訳ありませんでした。」

 

と、僕に向かって深々と頭を下げたのだった。まったく予想していなかった彼女の謝罪。

 

作業中の者も、接客中の者も、スタッフの誰もが自分の動きを止めてこちらを見ている。朝、忙しく動き始めたロビーで、そこだけ一瞬、時が止まったかのようだった。

登場人物

 

マスター・ツートン

自称天使の添乗員。このブログの筆者。今は、壊れかけた心を修復中。

 

秋月さん

画策したものが、すべて暴かれてしまったツアー参加者。そりゃね、ばれますよ。火曜サスペンスみたいな、プロ級のトリックを期待された方、すみません。最後までお客様でいようとする根性は見上げたもの・・・と申し上げておきます。悔しいけど。

 

泉さん

秋月さんに振り回されてるように見せかけて、実は全てを把握して、彼女を詰めた女性添乗員。いやあ、敵に回したくない。

 

片岡さん、小石川さん

コーディネーターとして現地入りした旅行会社の社員。構成の都合上、あまり書かれていないが、秋月さんとの話し合いの途中、僕に矛先が向かないように、必死にトークの内容を工夫してくださっていた。今でも、とても感謝しています。

 

北さん、高井さん、甲元さん

ツートンと同じ派遣元の添乗員。飲み会という名のお喋り会をよく開いている。添乗員は常に人前に出る仕事のためか、皆、いつも小ぎれいにしている。添乗員の腕も一級品。はっきり言って素敵な女性たち。

 

 

話を続けている秋月さんと泉さんに、「外に出ています。」と言い残して、僕は、ガイド、ホテルスタッフとともに部屋から出た。セキュリティーとマネージャーには、丁重にお礼とお詫びを申し上げてお帰りいただいた。。

 

携帯電話で、秋月さんの部屋からナイフ&フォークもウェストポーチも出てきたことを報告された片岡さんと小石川さんは、さすがに驚いて、すぐに部屋の前に飛んできた。時計は、11時半を回ったところ。もう深夜だった。ガイドさんが、短く鋭く片岡さんに尋ねた。

 

「警察は?呼びますか?」

 

「いや、いい。」

 

「わかりました。それでは私たちはこれで。」

 

ガイドさんたちは、僕らに丁寧にあいさつをして、ここでお帰りになった。

 

当たり前だが、この場合、秋月さんには、そのままお客様としてお帰りいただく。今後どうするかは帰国後に旅行会社が決める。僕の容疑が晴れた時点で、旅行会社としては解決しているし、ひとたび警察など呼んでしまったら、それこそ時間がかかって仕方ない。これはこれで終了だ。

 

ただ、今回は旅行会社とお客様の間のトラブルに、ホテルをも巻き込んでいたのは問題だった。セキュリティーの立ち合いはまだしも、秋月さんが(全て自分で持っていたくせに)、「防犯カメラのデータをすべてよこしなさい」という、とんでもない注文を出して、ホテル側がその作業に手をつけてしまっていた。ガイドさんたちが、わざわざ警察のことを口に出したのは、「今回、秋月さんがやったことはそれくらいひどいこと」というニュアンスを、僕らに伝えたかったのだろう。

 

ホテルの廊下で泉さんが出てくるのを待つ間、僕は事の経緯を、二人に細かく報告した。ふだん、温厚で冷静沈着な片岡さんの表情が変わった。

 

「許せないなあ!」

 

10分ほど経ってからだろうか。しばらくすると、また小石川さんの携帯が鳴った。すでに、三人とも部屋の前にいることを告げると、泉さんがすぐに部屋から出てきた。

 

「秋月さんがお詫びしたいそうです。三人ともお部屋に入ってください。」

 

僕らは、部屋に入って秋月さんと対面した。10分ちょっと前まで泣きじゃくっていたわりには(どうせウソ泣きだけど)だいぶ落ち着いた様子でいた。僕ら4人をジロッと見渡した後、ベッドのそばにあるソファに腰かけた。「あれ?・・・この人、お詫びしたいんじゃないの?」と不思議に思っていると、

 

「今回はどうも。もし、帰国後なにかありましたら、なんなりとおっしゃってください。弁護士が対応いたします。」

 

まったくお詫びとは思えない言葉が飛び出した。ソファに腰かけて、足を組み、先ほどまではかけていなかった眼鏡をかけて、私たちを見上げながら話を続けた。

 

「今回のケースを最初から思い出してみましょうよ。私は、ノースモーキングルームを希望いたしました。でも、当てられたのはスモーキング。気分が悪くなるのは当然ですよね。おたくの海外旅行に参加させていただいたのは初めてだけど・・・ちょっと失望しましたわ。この程度なのね。最初の気分で、もう、わけわからなくなってしまったわ。」

 

この時、初めて知ったのだが、秋月さんは、この旅行会社の国内部門では上顧客だったらしいが、海外は初めてのご参加ということだった。それにしても、お詫びの態度など欠片もない。それでも片岡さんは、誠実に対応した。

 

「誠に申し訳ありません。こちらの土地柄と申しますか、ノースモーキングルームに入っても、タバコをすってしまう方がいらっしゃるらしいのです。それどころか、ホテル・スタッフも宿泊客から言われると、灰皿を持ってきてしまうこともあるようで・・・今回のように割り当てがうまくいかなくなる時もございます。そのようなことがあった時は、できるだけ速やかに対応させていただくことにしております。」

 

「分かりました。それともうひとつ。(僕を指差して)そこの坊や(ツートン)ですけど、結果的に(なくなったものは)すべて出てきましたが、最初の対応は許せません。私よりもホテルを信じました。私がおたくで年間いくら遣ってると思うの?人を間抜け扱いして・・・許せません。彼の言動も会社の対応とみなします。これについては、先ほどのこととは別に、弁護士と相談して連絡させていただきます。旅行の楽しみを邪魔されました。大変な精神的苦痛です。」

 

全て、秋月さんが自分でで隠したものなのに、知らないうちに「なくなったもの」になっている。それでも、片岡さんは、誠実な対応を崩さない。

 

「かしこまりました。帰国してから、上にもそのように伝えます。今日は、もう遅いのでお休みください。」

 

「念のため、私の営業担当の名前を申し上げておきます。○○さんです。」

 

その後、挨拶をして泉さんを残して部屋に出た。彼女だけは、秋月さんとまだ話があると言って残った。

 

時計は12時近かったが、片岡さんが軽く何か食べようということで、階下に下りることになったが、僕は、同僚の添乗員の部屋に先に寄ると告げた。

 

こんな遅くなってしまたから、一応部屋に帰って電話してみると、まだ三人で飲みながらおしゃべりをしていた。「早くおいでよー!」と、いう言葉に誘われて、僕は急いで北さんの部屋に向かい、ドアをノックした。

 

お酒は軽めで、おしゃべりがメインだったようだ。三人は、部屋の中で裸足になって寛いでいた。僕は、よほど疲れた顔をしていたのだろう。「待ってましたー!」と、熱烈歓迎の言葉を発した後の彼女たちは、とても優しかった。

 

まだ、なにも話してないのに、北さんは「大変だったね」と言って、優しく肩をなでてくれた。椅子に座ると、高井さんは、「はい!」と缶ビールすぐに手渡してくれた。甲元さんは、「大丈夫?おつかれだね」と言って、肩をポンポンと叩いてくれた。

 

疲れてる時の、この手のスキンシップはメンタルケアに最適だ。急に心がふわっと解放されたような気持ちになる。先ほどの悔しい気持ちと混ざり合い、少し目頭が熱くなった。

 

こういったときは、まずトラブル経過を仲間に報告する。添乗員は、一人で一つの現場を管理する。だから何かあっても、トラブルを乗り切る経験は共有できない。問題がおこったら、それを自分の胸の内にしまっておいてはいけない。体験は共有できなくても、ノウハウは共有しなければならない。

 

事の経過を話し、議論する。そして、自分たちが体験したトラブルを引き合いに出して、また議論だ。お酒が入ると、単なる愚痴大会になってしまい、誰が一番大変なトラブルに巻き込まれたかを自慢し合うようなこともあるが、今回は、僕が巻き込まれたトラブルが、俄かには信じられないほど強烈な内容で、しかも直後ということもあり、常に会話の中心に僕がいることになった。

 

気が付くと、12時半近い。片岡さんたちがロビー階のレストランで待っているに違いない。彼女たちにお礼を言って、僕は部屋を出ようとした。すると、北さんが言った。

 

「ツートン君、タフだね。私だったら、今頃話を聞いてもらいながら号泣だよ。社員の人に気遣う余裕なんて、きっとないな・・・。強いね。」

 

「そうか?男はこの手のトラブルでは、なかなか泣かないと思うよ。片岡さんたちのところにはいかないと。今回は、ずいぶんと守ってもらったからね。」

 

「それもそうか。それにしてもねー。モテるってつらいね。トラブルおこした女性って、きっとツートン君のこと、好きだったね。」

 

「は?なにそれ。」

 

「今は分からないけど、最初はそうだったと思うよ。君が思いにこたえてあげないから悪いんだよ()

 

急にからかいモードだ。

 

「僕って、そんなにモテそう?」

 

「いや、全然。悪いけど全然。でも、そういう系統にはモテそうな気がする。」

 

「そういう系統・・・」

 

「そういう系統」のところでスイッチが入ったらしく、三人は爆笑している。

 

最後に、「明日、最後だからがんばろーねー!」という、三人に見送られて僕は、ホテルのレストランに向かった。今回泊まったようなマカオのカジノつき高級ホテルではは、カジノが営業している限り、レストランも開いているから、かなり夜遅くなっても食事できる。

 

さて、片岡さんと小石川さんにお礼を言わなきゃ。

登場人物

 

マスター・ツートン

自称天使の添乗員。今思う。もし、単独添乗だったら、このピンチは乗り切れなかった。

 

秋月さん

女性の一人参加客。詰めの甘さでツートンを仕留め損った。というかそんなに添乗員をいじめてどうするんですか?

 

泉さん

秋月さんが参加しているグループの添乗員。実は名女優。しかも超腕利き添乗員。

 

現地ガイドさん

夜遅くまでおつかれさまでした!

 

 

「あなた、なに調子に乗っているの?ナイフ&フォークがあったからっていい気になってるんじゃありません!ウェストポーチがあるわけないじゃない!」

言葉の準備をしていた僕は、言い返そうとしてしまった。しかし、泉さんが、小さく手をかざして僕を止めた。そして、すぐに秋月さんのほうを振り返り、またもや優しく言った。

 

「やってもらいましょうよ。ナイフ&フォークは勘違いだったでしょう?ここでウェストポーチはないって分からせたほうが、ホテルも、今後の調査をしっかりやってくれますよ。こんな時は、徹底的にやってもらったほうがいい・・・」

 

「勝手にしなさい!」

 

泉さんの言葉を最後まで聞かずに、秋月さんは、ソファにどかっとかけて、マカオの夜景が美しい窓の外側に顔を向けた。

 

再び調査がはじまった。スーツケース、ベッドの下、クローゼット、バスルーム・・・あらゆる場所をチェックして、最後に残ったのがセフティーボックスだった。ここになかったら、残念ながら(と、言っていいものか)、本人が本当に失くしたということだ。そして、また面倒な対応に追われることになる。

 

「セフティーボックス?調べたってむだよ。私、使わない人だもの。見てもいないわ。」

 

ところがだ。セフティーボックスが閉まっていた。暗証番号式のセフティーボックスは、前の宿泊客がチェックアウトするときに、開けておくのがルールだ。万が一閉めて出ていった場合は、メイドか、次に泊まった客など気付いた人間がフロントに報告すると、権利を持ったスタッフが開けに来る。

 

マネージャーの言うことを通訳して、ガイドが秋月さんに伝えた。

 

「知らないわよ!最初から閉まってたわよ。そんな粗探ししてもむだよ!ないわよ。ないない!!」

 

また、だんだん興奮してきた。しかしこの時、秋月さんは矛盾したことを言った。セフティーボックスは、使わない、見てもいないと言ったのに、最初から閉まっていたとも言った。なぜ、見てもいないセフティーボックスが閉まっているのを知っているのか?会話の流れの中での単なる言い間違いか?

 

僕は、マネージャーに会話の流れを伝えた。彼との会話は英語だ。

 

「お客様がお部屋に入った時に、セフティーボックスが閉まっていることは、時々あります。クリーニング中にメイドが気付かなければ、フロントにも報告されませんから。」

 

「ここで、今開けることはできないのですか?」

 

「秋月さんの許可があればできなくもないですが、基本的には、チェックアウト後に開けるのが原則です。」

 

「え?本人のものでないかもしれないのに、開けるとしても許可が必要なのですか?」

 

「はい。ご宿泊いただいてる間は、お部屋のものは、お客様のものですから。」

 

うーん・・・。しかし、僕は開けたかった。泉さんは、僕らの会話をじっくり聞いている。秋月さんの位置からは、会話を聞きとるには、少し、距離があった。

 

「僕が、責任を取ります。秋月さんに許可をいただいたら開けてください。」

 

「分かりました。」

 

「何をこそこそ話してるの?終わったらさっさと出て行きなさい!」

 

秋月さんが不機嫌に言った。お客様に出ていけと言われたら、通常は出ていく。でも、僕らにとっては、これが真実にたどり着けるかもしれない最後のチャンスだった。

 

「念のため、セフティーボックスを開けてもよろしいでしょうか?」

 

「どうぞどうぞ!・・・でも、何もないわよ。あなた、そういった言葉が、どれほど私を傷つけてるか分かってる?・・・まあいいわ。さっさと開けなさい。」

 

マネージャーが、セフティーボックスを開けるための機器を取りにいった。暗証番号式のセフティーボックスを開けるには、暗唱番号を入力する以外は、機器を使用して磁気を発生させて開けるしか方法がない。その使用が許されているのは、ホテル内の限られた責任者だけだ。

 

マネージャーが機器を持って部屋に戻ってきた。本体を手に持ち、パイプの先をセフティーボックスに当てて、機械を作動させた。ヴ――――ン・・・と振動音がしたあと、「カチャン」という音とともに、セフティーボックスの扉がゆっくり開いた。

 

複雑だった。ポーチが出て来ても、出てこなくても嬉しくないような気がした。

 

白い帯状のようなものが見える。腹巻き?・・・・・・・真ん中にふくらみがある・・・・・ウェストポーチ?・・・・服の下につけるタイプのウェストポーチ・・・・!!

自然と足が出た。セフティーボックスに近づいて詳しく確認しようとした。

 

ガシッ!っとガイドが僕の肩をつかみ、耳元でささやいた。

 

「先に触ったらだめです。」

 

近寄って目視で確認するだけのつもりだったのだが、彼から見ると、僕は冷静さを失っているように見えたようだ。

 

ガイドが声をあげた。

 

「秋月さん!中を確認してください!!」

 

「なーによ!!私は、何も入れてないわよ!!」

 

「いいから確認してください!お願いします。なにか入ってるんです!お客様が確認しないと、ホテルの人も触れません!お願いします!!」

 

「しょうがないわねー・・・。」

 

スタッフ全員の目がセフティーボックスと、面倒くさそうに歩く秋月さんに注がれる。そして、中を見た瞬間、彼女は、

 

「・・・あ・・・あ・・・あったわー!泉さん・・・ごめんなさい・・・。え・・・?なんで・・・なんでえ・・・?ごめんなさい・・・泉さん・・・」

 

両手で口を覆って、彼女は、泣き顔になった。いや、きっと嘘泣きだろう。そして、泉さんのほうに駆け寄っていった。さっきまで鋭い目つきだった泉さんは、秋月さんに泣きつかれた途端に、そのテンションに合わせながら、やはり泣き顔になった。様子を気ににしていたから演技だとわかったが、なにも知らずに見たならば、絶対に演技とは思えない名演技。大袈裟な表現ではなく、アカデミー賞ものだ。

 

「うそよ!絶対うそ!そんなことあるわけない!もう一度確認してください!!前に泊まってた人のものでしょ!?秋月さんにそんなことあるわけない!」

 

という、まるで、どこかのサスペンスドラマの台本に書かれているようねセリフを言いこなし、本物の女優顔負けの演技をしている。それも、嗚咽(の振り)している秋月さんのテンションに合わせて。「どんな時でもあなたの味方」という姿勢を、秋月さんの前では崩さない。

 

僕は、そのシーンを傍で見ながら考えていた。最初、秋月さんは、「ウェストポーチがなくなった!」と、助けを求めてきたのだ。それが前の部屋どころか、なんでこんなところにあるのか。最初の問い合わせはなんだったのだろう。銀製品を隠した嫌がらせは説明がつく。僕の態度がなにかしら気に入らなかった、或いは、百歩譲って接客態度に問題があったか。でも、ウェストポーチの件は、まったく動機が思いつかない。考えれば考えるほどイライラした。

 

ガイドが「大丈夫ですか?」と、僕の肩をたたいてきた。「うん。ありがとう」とこたえたが、イライラは止まらない。

 

秋月さんは、まだ、泉さんに泣きついていた。「本当、本当に知らないの。覚えていないのよ。なんで・・・なんであそこにあったのかしら?」

 

そんなわけがない。前の部屋で投げ出したウェストポーチが、この部屋にあるわけがない。大切なウェストポーチを、訳もわからずセフティーボックスに入れるはずがない。何もかもあり得なかった。

 

なおもシラをきる秋月。よくも・・・よくもぬけぬけと・・・。

 

見るに堪えられなかった僕は、彼女の死角に入り大きく息を吸い込もうとした。が、うまくできない。怒りで呼吸が震えて、うまく吸い込めない。小さな呼吸を何度か繰り返して、ようやく深く大きく息を吸い込んだ。これ以上吸い込めないところまで吸い込んで、ゆっくり吐き出す。

 

大きな呼吸は、息と一緒に多少の怒りも吐き出したようだ。体の力がぬけていくのが分かる。

 

ふと、両手の平に痛みを感じた。僕は、知らないうちにグッと両手を握りしめたいたらしい。少しのびた爪が、手の平に食い込んで、大きな跡を残していた。

 

登場人物

 

マスター・ツートン

自称天使の添乗員。今は、ただただ堪えています。耐えるのが最大任務。

 

秋月さん

泉さん担当グループのお客様。今回の悪役ヒロイン。ただ、この時の態度と演技を、文章で読み返してみると、引くに引けなくなっちゃった感も見えてくる。いずれにしろ悪質。

 

泉さん

秋月さんがいらっしゃるグループの添乗員。秋月さんとの会話で、なにかを掴んだのだろうか。ここに来て、ものすごい瞬発力を見せる。

 

片岡さん、小石川さん

旅行会社から、大型ツアーのコーディネーターとして現地に来た旅行会社の社員。気になることを確認して盤石の態勢・・・のつもり。

 

 

それぞれの作業を確認して、それぞれの現場に向かおうと、エレベーターに乗ろうとした時のことだ。なぜか秋月さんが下りてきて、エレベーター前でバッタリ会ってしまった。この遅い時間に、しかもこんなタイミングで会うなんて・・・。事が起こってから、この方とはとことんタイミングが悪かった。

 

他の者には目もくれず、泉さんに声をかけた。

 

「今、電話をかけたところよ。なんだかイライラしちゃってしょうがないから、一緒に飲んでもらおうと思ったの。ちょっと付き合ってよ。」

 

「はい。」

 

ガイドBさんは、同行せずに離れた。僕は、秋月さんに会釈だけをしてガイド二人と自分の部屋へ向かい、部屋の前で客室サービスマネージャーとセキュリティーを待った。

 

「部屋に入って、待っててもいんですよ。」

 

ガイドAが、僕に声をかけた。

 

「待ってます。先に入ったことで、なにか隠したとか細工したと思われるのは嫌なので。」

 

セキュリティーチェックを行うと言っても、警察の捜査とは違って部屋の出入りは自由だ。中をいじったってかまわない。見てほしくない場所や物があったら、拒否だってできる。それでは意味がないように思われるかもしれないが、宿泊客の意志で、何を見せなかったかは記録される。後々、警察を呼ぶまでに至った場合に参考にするためだ。やましいところがないのであれば、そのままセキュリティーに入ってもらって、彼らの思うままに調べてもらうのが一番だ。

 

5分ほどすると、セキュリティーとマネージャーがやってきた。マネージャーも調査には必ず同席する。ホテルがきちんと雇っているセキュリティーを連れてきているという証明と、万が一のトラブル発生にそなえてだ。

 

しかし、ここで僕にとっての、誤算が発生した。さきほど、最初にホテル側が用意して、秋月さんに断られたセキュリティーは男性だと聞いていたが、今度は女性だったのだ。しかも若い。

 

セキュリティーチェックは、部屋の隅から隅まではもちろん、宿泊者本人の荷物の内部にまで及ぶ。スーツケースには、ツアー中に身につけた下着なども入っている。ホテルのランドリーサービス用のビニール袋に入れているが、正直、あまり整理されてない。というよりもぐちゃぐちゃ・・・。前述のとおり、チェックは希望すれば拒否できるのだが、今回は、自分が、形式上とはいえ「盗難の容疑者」になっているから、そんなことをしたら、チェックの意味がなくなってしまう。

 

「このあと、秋月さんの部屋をチェックするかもしれないので、女性を依頼した」というガイドの気の利かせ方は素晴らしいが、一言相談してほしかった。

 

チェックが始まった。一か所ずつ、慎重な作業が進んでいく。私物をさわる時には、チェックされて問題ないかどうか、事前に問われる。その度に、僕は「問題なし」と答えた。テーブルの下、ベッドの下、デスクの足元・・・このチェックというのは、単に盗難という観点からでなく、紛失という要素も含む。宿泊者が、なにか落とし物をしたとして、それを見逃しやすい、気づきにくいところまでチェックが及ぶ。物の紛失に関しては、宿泊客の勘違いも予想範囲に含むということだ。

 

やがて、スーツケースの順番がきた。鍵を開けて、彼女に中を見せた。もそもそ中をいじっていると思ったら、洗濯物の袋に手が入った。

 

「うわっ・・・!」

 

僕は、思わず声をあげた。恥ずかしいというよりも、申し訳なかった。女性はおそらく20代後半か、30そこそこ。そんな若い女性が、自分が脱いだパンツが、ぐちゃぐちゃに入っている袋を調べているのだ。

 

「なにか、まずいことでもありますか?」

 

ガイドが、確認を兼ねて僕に問いかけた。

 

「いや・・・その・・・彼女に悪くて(苦笑)。あれ、僕が昨日、一昨日に脱いだ下着なんです。あとで、きちんと手を洗えって伝えてください。」

 

ガイドが「あー・・・」と苦笑しながらそれをセキュリティーに伝えると、彼女は、表情ひとつ変えず、

 

No Problem. It is my job.

 

とこたえた。筋金入りのプロであったことが、せめてもの救いだった。最後にセフティーボックスのチェック。暗証番号式のセフティーボックスだったので、暗証番号だけは見られたくないということで、僕が自分で開けて、それから中を確認してもらった。

 

無難に調査を終えて、僕は、その場で小石川さんに報告してカフェに戻った。片岡さんも、小石川さんもほっとした表情だ。

 

「よかった・・・。」

 

「当たり前です。」

 

僕は、少しムッとした。ほっとするってことは、少しは疑われてていたのだと思ったのだ。今考えてみると、こちら側に、一切やましいことがなくなったことへの安堵だったのだろう。

 

僕と、ガイドさん二人はテーブルの席についた。そして、今度はいれたてのコーヒーを飲んだ。とりあえず一息だ。

 

だが、勝負はこれからだ。まだ、泉さんが戻ってこない。時計は11時を回ろうとしていた。誰も何も話さなくなり、少し経ってから小石川さんの携帯が鳴った。泉さんからだ。

 

「もしもし。うん・・・・・・・・うん、ツートンさんのセキュリティーチェックは終わった。うん。なんの問題もない。」

 

ここで、一瞬、会話が途切れた。泉さんは、秋月さんと話しているようだ。少しして、

 

「ん?え!?・・・あ、そう!分かった。それじゃあまたあとで。うん。ツートンさんもだね?分かった。」

 

疲れが出てきていた小石川さんの顔が引き締まった。

 

「秋月さんが、セキュリティーチェックを受けることを了承したそうです。」

 

「え!?」全員の視線が小石川さんに集中した。

 

「ツートンさんがセキュリティーチェックを済ませたから、秋月さんもご協力ください、ということで泉さんが説得したようです。それで、ツートンさんにも来てほしいと言ってるらしい。」

 

「え・・・?私のことをあんなに毛嫌いしておいて??泉さんの勝手な判断じゃないんですか?」

 

「いや、『ツートンさんにも来て欲しいそうです』って言っていた。秋月さんの希望だよ。・・・でも、そんな強気だってことは、やはり自作自演ではないのかな・・・。」

 

小石川さんは、少し弱気になった。

 

セキュリティースタッフと、マネージャーは、すでにスタンバイしていた。僕と現地ガイド1人を含めた4人が、先に部屋の前で待っていると、秋月さんと泉さんがやってきた。ぶつぶつなにか言っている秋月さんを、泉さんがなだめていた。

 

僕が目に入ると、秋月さんは真っ直ぐこちらに向かってきた。いつ見ても、普通の人の目つきではない。或いは、これまでの関わり合いのせいで、余計にそのように見えていたのかもしれない。

 

「聞いたでしょ?ナイフ&フォークがなくなっちゃったの。あのオレンジ色のケースだけよ、紙袋に入ってたのは!」

 

そんなはずはない。確かにナイフ&フォークはあった!オレンジ色のケースにナイフ&フォークが入っていて、ケースの口はテープで止められていた。だが、今、この場でそれを主張をしてはいけない。くだらない言い合いになるだけだ。

 

多額の現金が入ったウェストポーチを失くされたのは秋月さん本人だ。ブランド品のナイフ&フォークにしたって、僕が失くしたわけではない。大人になれば、多少の理不尽な話に巻き込まれることはあるだろう。だが、こんなことは初めてだった。

 

「あなたたちもすっきりしたいでしょう!?チェックして気が済むなら、チェックすればいいわ。この場に立ち会って自分の目で確かめなさい。」

 

腸が煮えくりかえるようなことを言われ、その場にいた全員が部屋に入った。僕が、最初に驚いたのは、彼女が泊まっていたその部屋だった。他の客よりも1ランク上のデラックスルームだったのだ。後で聞いたのだが、最初の部屋がスモーキングルームだったことで、かなり、ホテルにも添乗員にも文句を言って、部屋のグレードアップを求めたらしい。

 

秋月さんは、部屋に入るなり僕らに凄んだ。

 

「これでなんともなかったら、ただじゃおかないわよ!帰国したら、専属の弁護士に相談してやるから。分かってるわね!」

 

ドア近くから順々にチェックが始まった。入口の近いところからチェックして、セフティーボックスは最後というマニュアルがあるようだ。秋月さんの部屋は、スーツケースの荷台が入口近くにあったため、チェックを始めてすぐにその順番がやってきた。

 

スーツケースが開けられるなり、僕は、それに背を向けた。どんな状況であれ、直接自分がチェックするわけでもないのに、女性の荷物の中を凝視するのは無礼だと思ったのだ。しかし、秋月さんは、

 

「ちゃんと見なさいよ、荷物の中を!!触るのは女性だけよ。でも、作業は目で確かめなさい!!ツートンさんも、ガイドさんもホテルの方も!!」

 

かなり興奮状態になった。あまりの激しさに、日本語を理解できないセキュリティー・スタッフは、手を止めて、秋月さんが何を言っているのか僕らに確認して、それから再び作業を始めた。スーツケースの中は、すでに整理されており、銀製品も箱にいれたまま、きれいに収められていた。セキュリティーは、荷物を乱さないように、慎重に行われた。

 

奥では、泉さんと秋月さんが話している。泉さんは、なかなかの女優だ。秋月さんの厳しい口調で、その言いなりになっているように見せかけて、大事なところでは譲らず、やわらかく主張し、うまく秋月さんをコントロールしていた。二人の間には、奇妙な信頼関係が成り立っているように見えた。いや、泉さんの言動が成り立たせていたというのが正しいだろう。だから、セキュリティーにまでたどり着くことができたのだろう。

 

会話に耳を傾けながら、僕はスーツケースの中に神経を集中させた。やがて、セキュリティースタッフが、細長い、小さな箱を手にした。少しの間それを眺め、見守っていた他の3人に声をかけた。僕は、一目で分かった。間違いない・・・ナイフ&フォークのケースだ!

 

「すみません。確認していただきたいものがあるのですが・・・。」

 

僕は、部屋に入ってから初めて口を開いた。

 

「なに言ってるのよ。そっちがここに持ってきなさい!!」

 

言葉が荒くなった秋月さんに、すかさず泉さんが声をかけた。

 

「こういったときは、物が出たその場で確認していただくんです。どうかご協力ください。よろしくお願いいたします。」

 

と、言って、そのあと頭をさげた。

 

「しかたないわねぇ・・・。」

 

いかにも面倒くさそうに秋月さんは立ち上がり、スーツケースのところに来て、スタッフから、その箱を受け取った。手に取り、少しの間呆然としていた(いや、呆然としたフリをしていた)。

そして、それを持ったまま振り返り、泉さんのところに走った。

 

「ごめんなさい・・・泉さん・・・私ね、荷物の整理をしていて、かなりイライラしてたみたい・・・。全然覚えてないの・・・ナイフ&フォークは、ほら、小さいから・・・あの時、頭にきてて・・・それだけはポーンと中に入れちゃったみたい・・・本当にごめんなさい。」

 

「大丈夫ですよ。心配しないでください。間違いは誰にでもありますから。出てきてよかったですね。」

 

泉さんは、うつむく秋月さんの肩を優しくさすりながら、優しく言った。優しくしながら、顔を僕のほうに向けて、その言い方とはまったく逆の冷静な表情でゆっくりと頷いた。「思ったとおりね。」とでも言うかのように。

 

その間、秋月さんは、僕とは一切目を合わせなかった。もちろんお詫びの言葉などない。

 

ナイフ&フォークは、元々紙製の箱におさめられており、それが厚紙のケースに入れられて、口は短いテープで止められていた。

 

かなりぴったりとしたケースで、中から出そうと意識しなかったら、絶対に出せない。誰が出したのか?本人しかいなかった。そして、ケースから出されたナイフ&フォークの箱は、それはきれいにスーツケースに収められていた。衝動的にポンと入れたような状態ではない。

 

おまけのチョコレートステッキが、秋月さんが座っていたソファの前にある小さなテーブルに、バラバラになって置かれていた。僕が、泉さんに引き継ぐ時、チョコレートは束ねらていた。ケースには、チョコレートスティックが二本だけ入れたあった。つまり、ナイフ&フォークが盗まれたというトラブルは、すべて秋月さんの自作自演だったのだ。恐ろしいお客様がいたものだ・・・。いや、ここまで来たら、もうお客様とは言えない。

 

セキュリティー・チェックがどういうものかは、泉さんから聞いていたはずだ。スーツケースを開けることは、分かっていたはずである。それなのに、なぜ、チェックを了承したのだろう。強気に出ればスーツケースを開けないと思ったのか?あるいは、僕が、チェックを受けたことで追い詰められて、自分も受けざるを得ない状況に陥り、見つかるのが分かっていながら、開けさせて、いざ、見つかったら大袈裟に驚いて、わざとでないことを装ったのか?

 

「念のため、中を確認します。」

 

と、泉さんは、一言断って箱の中を確かめた。僕から商品を渡された時は確認しなかったが、今度は、慎重だった。後からまた中が違うなどと、文句をつけられてはいけない。

 

「うん!仰ってたブランドですね!よかった!!」

 

心から安心したような仕草を見せた。「あるじゃん!」なんていう感情は欠片も見せなかった。

 

一息つくと、今度はたたみかけた。

 

「他のどこかで買ったナイフ&フォークってことはないですか?」

 

「え・・・?」 一瞬、虚をつかれたような様子を見せる秋月さん。泉さんは、優しい口調ながら攻め手を緩めない。

 

「まあ、他で買ったかどうかはともかくとして・・・もし、記憶があやふやだったら、明日、ホテルのお店に確かめにいきましょう。このブランドなら、売れた商品のチェックくらいはしてると思います。手入れしたものをお部屋にお持ちになるって言ってくれたくらいですもの。」

 

「・・・・・大丈夫よ。そんなことしなくて大丈夫、うん、大丈夫よ。」

 

秋月さんの白い顔は紅潮し、目は潤んできた。明らかに動揺していた。そして、これについての言い訳は、一切できなくなった。おみごとだ。泉さんの口調と態度は、常に秋月さんの味方だった。ずっと、彼女をいたわるような接し方をしていた。

 

ここの会話も、あとで文字にして眺めてみると、完璧な詰将棋なのだが、その場にいて、声だけ聞いていたら、とてもそうは思えないものだった。まさに、ベテラン添乗員の魔力だった。

 

この時、僕はウェストポーチのことも調べたかった。ナイフ&フォークほど確信はなかったが、ウェストポーチも本人が持っている可能性が高いと思っていた。明日は帰国だ。調べるチャンスは今しかない。だが、秋月さんは、僕の言うことには応じないだろう。すべては泉さんと秋月さんの話し合い次第だった。

 

その泉さんは、気づくと、秋月さんの死角に移動していた。こちらを真顔で僕を見つめている。そして、小さく頷いた。なにかを確信しているようだ。そして、再び秋月さんに声をかけた。

 

「一応、ウェストポーチのことも探してもらいましょうよ。」

 

そして、再び僕のほうを見て、相槌を求めるような頷き方をした。もはや秋月さんだけはない。僕も、泉さんが敷いたレールの上を歩いていた。まるで、操られているかのように僕は相槌をうった。

 

しばらくおとなしくしていた秋月さんは、相槌をうった僕を見ると、ふたたび爆発した。

「あなた、なに調子に乗っているの?ナイフ&フォークがあったからっていい気になってるんじゃありません!ここにウェストポーチがあるわけないじゃない!」


登場人物

 

マスター・ツートン

自称天使の添乗員。でも少し、今はお腹の中が黒くなりかけてる。

 

秋月さん

女性の一人参加客。果たして彼女の言うことはどこまでが事実なのか。強気な姿勢は崩されない。

 

泉さん

予想もできない展開に、奇抜すぎる意見もおっしゃったが落ち着いてきた。彼女の活躍は次回以降。

 

片岡さん

石橋を叩いて叩いて確信を得て、いよいよ行動を指揮。

 

小石川さん

「秋月さんの挑戦」という言葉どおり、彼女の自作自演の疑いを、最初に口にした。片岡さんが、明らかになってきたものから分析するのに対し、彼は、最初に何通りかの予想を立てて、様々な要因がなにに当てはまるのかを考えていた。回転は早い。

 

 

「やっぱり秋月さんは怪しすぎる。」

 

僕だけでなく、全員が片岡さんの方を向いた。誰もが、その発言に同意していた。

 

「最初のウェストポーチから、ツートンさんに付き纏ってる印象があるし・・・『ホテルに対して強く出ろ』というのも、理不尽な話だ。ツートンさんを表に出さないようにしたら、今度は銀製品がひとつがなくなってしまった。これだって、一番商品に関わっていたのはツートンさんだ。全部ツートンさん絡みだ。それに、ウェストポーチ紛失と、ブランド品の盗難。こんな短い間に、特定の人間が、これだけ被害に遭うだけでも不自然なのに、その陰にいつもツートンさんがいるなんて・・・おかしい・・・嫌がらせの可能性が高い。」

 

そうだ。そのとおりだ。他のみんなも、頷いていた。

だが、セキュリティーチェックだけは、本人の同意を受けないとできない。

 

この時、ようやく僕の提案を言える雰囲気になった。僕の部屋のセキュリティーチェックを、最初にすべきということだ。

 

「私の部屋のセキュリティーチェックは?話の流れでいくと、するべきなんじゃないですか?泉さんは、私から商品を引き継いだ時に、内容の確認をしていないのでしょう?それならなおのこと・・・」

 

「もちろん、ホテル側からその話はあったよ。でも、今後のうちと御社、それとツートンさん個人とのお付き合いを考えたら、積極的にこちらからその話はできないよ。今までのお付き合いで、あなたがそんな馬鹿げたことをするわけないと分かっている。商品パッケージの説明もよどみなかったしね。それに、セキュリティーチェックをするかどうかは、あくまで任意だ。・・・嫌だろう?」

 

今は、そんなこと言ってる場合では・・・と言おうとした瞬間、静かな空気を引き裂くように泉さんが、激しい口調で言った。

 

「秋月さんを追いこんでやりましょう!ツートンさんの部屋をチェックしてもらったことにして、あとは『形式としてだけでいいからチェックさせてください』と提案したら!」

 

「そういった嘘はだめだ。」

 

小石川さんが冷静にたしなめた。

 

泉さんは、うつむいた。ふだんは、こんなことを言う人ではないだろう。疲れと焦りが、少し、彼女の判断力を鈍らせていたのかもしれない。

 

「今回は、最悪、日本に帰ってから、裁判沙汰・・・とまで行かなくてもJATAが介入してくることも考えられる。こちらが圧倒的に不利になるような行為は避けるべきだ。こちらが強気に出るような行動でも、根本にお客様に対して不誠実さがあってはいけない。でも、片岡さん、ナイフ&フォークはね、なんだか我々に対する挑発というか、挑戦というか・・・悪意を感じられずにはいられません。」

 

「うん・・・。」

 

片岡さんは、頷いて小さなため息をついた。

 

ちなみに、JATAとは、正式名称「社団法人日本旅行業協会」。問題があったケースで参加客がクレームをつけて、旅行社と折り合いがつかない場合、ここに調停してもらうことがある。お客様が、直接ここに相談してもかまわない。一般客にすれば、消費者クレームセンターと裁判所を兼ねたようなところだ。旅行社は、そこでの解釈と判断には必ず従わなければならない。この業界では権威ある存在である。

 

以前、多くの旅行会社が適当な対応をしていた時は、それを許さずにビシビシ指導していた。だが、最近の業界はかなり誠実になってきているし、コンプライアンスやらなにやら大変なので、そこまで行く前にだいたい解決してしまう。ツアー参加客が納得いかずに問い合わせても、内容によっては軽くあしらわれる。

 

つまり、JATAは決して消費者の味方というわけではない。あくまで旅行業法の味方だ。ここでこじれると、裁判になる可能性がある(最初から裁判に走る消費者もいらっしゃるけど)

 

「この件でJATAは避けたいなあ・・・。第三者に都合よく物を言えるのは、このケースではお客様だ・・・。」

 

ふたたび沈黙・・・。

 

「いいですよ。私の部屋のセキュリティーチェックをしましょうよ。」

 

やっと再び僕が話す機会がやってきた。みんなの視線が、一斉にこちらに向けられ、気合が入った。

 

「チェックが嫌だなんて言ってる場合じゃないでしょう。私のプライドなんかに気を遣ってくださらなくて結構です。と、申しますかね・・・今となっては、自分には何もないということを証明するのがプライドですよ。」

 

皆の表情が、少し前向きになったような気がした。

 

「帰国後のことを考えても、私の部屋のチェックは、してもらったほうがいいです。秋月さんの拒否はともかく、私の拒否にはJATAも疑問を持つでしょう。疑問を打ち消すような説得ある理由も思いつきません。こちらの疑惑は、すべて現場で晴らしておくべきです。」

 

秋月さんが、実際に盗難にあっているかどうかはともかく、それよりも先に僕の潔白を証明するのが先だ。それだけで、ずいぶんと話が有利になる。

 

「それに、わずかな可能性ですが、私の部屋ナイフ&フォークが落ちている可能性もあります。それならそれで、土下座してでも謝罪します。」

「落ちてないでしょう?(笑)」

 

片岡さんが思わず笑った。みんなも釣られて笑顔を見せた。

 

「でも、そういった可能性も含めて行われるのがセキュリティーチェックでしょ?まあ・・・きっと秋月さんご本人がお持ちでしょうけどね。」

 

「ツートンさんは、この中でも、特に秋月さんが持ってるのを確信してるみたいだね。君の部屋に商品を置いている時に、誰かが部屋に入って持っていたことも考えられるんだよ。そうは思わないか?その場合、君の商品の確認ミスということになってしまうけれど。」

 

片岡さんが慎重に聞いてきた。

 

「商品は、間違いなく確認しました。チョコレートステッキがケースに入っていたなんてありえません。それに、仮に私の部屋に誰か入って盗んだとして、なんで一番安価なナイフ&フォークだけ持っていくんですか。他に高価な銀器が3つもあるのに。それがおかしいですよ。」

 

「確かに・・・。」

 

まだ、何も解決していなかった。しかし、僕の決心は、少し場の雰囲気を明るくしたような気がした。きっと、みんな待っていたのだ。僕が自分の部屋をセキュリティーチェックしてくれと言うのを。言ってくれればよかったのに。取引先同士の気遣いが、ほんの少し決断を遅くした。

 

「よし、私と小石川君はここで待機。ガイドAさんは、ツートンさんとセキュリティーチェックの依頼をして、部屋に向かってください。終わったら連絡するように。泉さんは、もう一度秋月さんと話すように。ガイドBさんも一緒に行ってください。この場合、一人より二人のほうがいい。」

 

片岡さんがテキパキ指示を出し始めた。

 

「秋月さんは、クレーマー的要素もある。ツートンさんのホテルに対する態度、泉さんが商品の確認を怠ったところとか、ほんのわずかな隙をついてきている。ここから先、みんな一切隙を見せないように。」

 

行動の時が来た。時計は夜の10時半をまわったところだった

登場人物

 

マスター・ツートン

自称天使の添乗員。今は完全に追い込まれている。でも、ここからの僕は冷静でタフでいられた。その気質が、添乗員という仕事に向いているのだと思っている。

 

秋月さん

女性の一人参加客。ツートンとは、別のグループのお客様。今考えてみると、こういう事態になって彼女もまた追い込まれていた。追い込んだのも彼女自身だけど。当時は、ただただあの怖い視線にびびってましたが。

 

泉さん

秋月さんがいらっしゃるグループの添乗員。抜群の行動力と正義感。この時は疲れ気味。彼女が活躍するのはもう少し後。

 

片岡さん

旅行会社のGM。今回はコーディネーターで現地にいらした。発言は常にニュートラル。何事も決めつけずに、疑問点を解消してから分析をして、行動する。

 

小石川さん

片岡さんの部下。現地にはもう一人のコーディネーターとしていらした。この話の中では急ぎ過ぎているように見えるが、ふだんはかなりの切れ者。

 

 

スタッフの視線は僕に注がれていた。少し、沈黙があった後、片岡さんが口を開いた。

 

「僕は、まだ話を完全に把握していないんだ。これまでと質問が重複したらごめんね。君は、商品の内容を知っていたね。箱の中身をどうして知っていたの?」

 

「秋月さんから依頼を受けたあと、お店に商品のケアが作業されている様子を見にいきました。箱を見て商品の中が判断できるようにです。念のため、食器を入れる箱もその場で確認しました。」

 

「うむ・・・。たとえ、商品と箱を見たとしても、少しの時間だろう?それもたった一度だけで、後から商品を判別できる?」

 

「できます。」

 

僕は、大学を卒業してすぐに、宝石の卸売会社に勤めていたことがあった。その時、取引先の小売店の展示販売会を手伝ったとき、専門ではないが、銀器の扱いや磨き方、運ぶ時の梱包を教わったことがある。素人に毛が生えた程度だが、箱の形でどんな形の食器が入ってるくらいか判別できるくらいの知識はあったので、それをお話した。

 

「あの・・・僕は、商品を引き継ぐ前にも、箱の中に物が入ってることを確認しています。泉さんに渡すときも、内容の説明をしました。急いでいたけど、梱包も彼女に見せています。」

 

「それがね・・・ツートンさん・・・。確かに商品の説明をしてもらったわ。梱包も見せてくれた・・・。でも、私、急いでたし・・・ツートンさんのこと信用してたし、まさかこんなことになるなんて思わなかったから、自分ではよく見てないの。渡す前にも確認してなくて・・・。」

 

「何も覚えてないの?一番上にのってたチョコレートステッキーの束も?ナイフ&フォークが入ってた、このケースも?」

 

申し訳なさそうに、泉さんは首を振った。

 

ふだんなら、おそらく問題にならない、わずかな確認の怠り。禍は、こんな時に起こる。だが、間違いなく僕は確認した。ここでひるんだら、余計に疑いの目が向けられる。僕は、自分の持っている現場の対処知識をすべてをその場の人間に話した。

 

「私を疑ってもいいですが、秋月さんご自身がお持ちになっていることもありえます。ホテルのセキュリティーを利用することはだめなんですか?盗難や紛失扱いなら、ルールとして、物を失くした本人の部屋もチェックしなければいけないはずです。そういったケースで物が出てくる場合、8割以上の確率で本人が持っています。ご存じでしょう?これを利用しましょうよ。」

 

一流ホテルなら、セキュリティ作業は専門会社に委託されていることが多い。ホテルの廊下、レストランなど公共の場所には、防犯カメラが取り付けられている。それを管理しているのは、ホテルが契約しているセキュリティー会社だ。だいたいがシステムだけでなく、警備員も派遣されてきている。

 

盗難や紛失ががあった場合、物が失くなった場所と時間の可能性をもとに、宿泊客が行動したと思われる場所に設置されている防犯カメラの記録を追っていく。後でチェックしてみると、レストランやバーで会話に夢中になっている時に、足元のカバンを取られていく様子や、スリが宿泊客に当たって財布らしきものを抜き取る瞬間などがおさまっていることもある。

 

それだけで犯人を捕まえることは困難だが、一度犯行がカメラに収められた犯人は、ホテルスタッフにも顔が割れるので、同じ場所で再び犯行をおかすと捕まることが多い。ただし、どこの国でもこの手の犯行は現行犯でないと逮捕はできないようで、常習犯がホテルに入ろうものなら、ホテルスタッフの緊張感はぐっと高まる。犯人も空気を察して、なにもせずにホテルから出ていくこともあるらしい。常に、隙がある時だけを狙っているのだ。

 

何もカメラに写っていない場合は、本人の紛失の可能性が高い。セキュリティーは、盗難と合わせて両方のケースで考え、宿泊客が行動した場所に該当物がないかどうかを、今度は実際に訪れてチェックする。この作業には、物を失くした本人が宿泊している客室のチェックも含まれる。プライベートエリアである客室には、当然防犯カメラはない。だから、許可を得て本人立ち会いのもとにチェックが行われる。ポイントは、「宿泊客の許可を得て」というところだ。つまり、許可がなかったらチェックできない。強制でなくて、あくまで任意だ。僕らが立場上、お客様にこれをご案内するときは、「ご協力ください」と、お願いするしかない。

 

盗難での犯人探しはともかく、紛失したものが出てくることは稀だ。動揺しているお客様の記憶も疑わしい。失くした場所がホテルの中とも限らない。出てくる時に限って、だいたい本人が勘違いしてお持ちになっている。実に人騒がせだ。

 

「いえ、実は・・・」

 

現地ガイドが口を挟んだ。

 

「セキュリティーは、ホテル側から提案があって、秋月さんにもご案内したんです。ですが・・・拒否されました。」

 

「拒否?」

 

「いや・・・ツートンさん、それが日本人的感覚だよ。」

 

今度は片岡さんがこたえた。

 

「本当に盗まれたと思っているなら、自分の部屋をセキュリティーチェックなんてさせたくないだろう。そういうものさ。それに・・・さっきホテル側が用意したセキュリティーは男性だったんだよ。」

 

部屋をセキュリティーチェックするということは、衣類などが入っている自分の荷物もすべてチェックされるということだ。女性のお部屋に男性の警備員をあてるとは、ホテルの配慮が少々欠けていた。

 

「他にすべきことは全部したんだ。ウェストポーチに関してだって、秋月さんが最初に入った部屋に泊まっているイギリス人にお願いまでして、チェックしてもらった。ホテルの各階に備え付けの防犯ビデオも、前の部屋、そして今泊まってる部屋の廊下に写っているものの分析をしている。しかも、秋月さんが、そのデータを全部よこせって言ってるんだ。」

 

次の日に帰国だったから、防犯カメラのチェックは急いで行われていた。

 

「ホテルスタッフへの聞き込みも終わったし・・・」

 

小石川さんがため息をついた。

 

「あとは警察ですか?」

 

僕が、質問した。

 

「それが、なぜか警察への問い合わせは拒否してるんだよねぇ・・・。」

 

「え?」

 

「そんな面倒なことはいやだって・・・。」

 

確かに警察は面倒だ。街中のスリのような盗難と違い、ホテル内の盗難であれば、間違いなく捜査が発生する。下手したら、翌日の帰国にも支障がでるかもしれない。正直、こちらとしても警察はやっかいだ。だが、それなりのお値段がする銀製品や高額な現金が行方不明になったのであれば、これはホテルを通して警察を呼んでもいいレベルだった。こちらとしては、最高レベルのお客様へのご協力であったが、それさえも拒否されたのである。

 

秋月さんがツアーを終えてホテルに帰ってきたのが9時くらい。このミーティングが、10時15分くらい。僕が、自分の部屋で待機していた時間帯に、できる対応はすべて実行されていた。

 

ふたたび長い沈黙だ。こういう時、僕のような派遣の人間はつらい。自分の思ったことを、思い切って言えない。僕はこの時、ウェストポーチはともかく、ナイフ&フォークは秋月さん本人が持っている確率が高いと思っていた。なんとかして、彼女の部屋にセキュリティーが入る機会をつくりたい・・・その方法を考えていた。

 

「私・・・もう一回説得に行ってきます。」

 

口ぐちに「無理だ。」、「やめましょう」と皆が言うのを振り切って、泉さんは立ち上がり、秋月さんのところへ向かった。やがて、小石川さんの携帯電話が鳴った。泉さんからだ。彼女は、携帯を盗聴器代わりに使おうとしていたらしい。胸のポケットあたりに携帯をしまっているようだった。二人の会話がわずかに聞こえるらしく、小石川さんがじっと聞いている。

 

「うーん・・・会話の内容はよく聞こえないけど・・・秋月さんの口調がかなり激しいですね・・・説得は無理だな。」

 

ほどなくして、泉さんは肩を落として戻ってきた。

 

ふたたび、沈黙・・・。空気が重い。重いが、おそらくそこにいる全員が思っていた。

 

「秋月さんは、おそらく何も盗まれていない。」

 

だが、確信がないから誰も口に出さない。

どうすれば、秋月さんにセキュリティーチェックを受けていただくことができるのか。一番の近道と思われるものが、既に僕の頭の中にはあった。おそらく、他のスタッフも気づいていたはずだった。だが、誰の口からも発せられない。

 

やがて、僕と片岡さんの目が合った。

 

「やっぱり秋月さんは怪しすぎる・・・。」

登場人物

 

マスター・ツートン

自称天使の添乗員で、このブログの作者。今は、追い込まれて弱ってます。

 

秋月さん

女性の一人参加客。鋭い目つきと、高圧的な態度で、ツートンを追い込んでいる。最初はそんな方に見えなかったのに。

 

泉さん

秋月さんが属しているグループの添乗員。まさかの展開に振り回されて、彼女も追い込まれている。

 

片岡さん、小石川さん

旅行会社の管理職。大型台数口ツアーのコーディネーターとして現地にいる。年内最後の大型ツアーが、こんなことになるなんて・・・。

 

 

エレベーターのドアが閉まると、僕は動揺をおさえるため、大きく深呼吸をして自分の部屋に品物を取りに行った。4つの箱と、ナイフ&フォークののケース。そして、おまけのチョコレートの束。部屋のセフティーボックスと、スーツケースにカギをかけて入れておいたものを取り出し、品物をすべて確認してから大きな紙袋に詰めなおした。それからロビー階に下りて、泉さんに商品の中身を説明し、引き継いだ。

 

その後、オプショナルツアー参加者が、ディナーを取るレストランに向かった。この日の夜に割り当てられたのは、添乗というよりも手配確認の仕事だ。手配ミスがあった時の対応をまかされた。

 

詳しく言うと、マカオ入りしてからオプショナルツアーの参加を決められたお客様がたくさんいらした。大きな予約の時は、レストランが急な人数変更を把握していないこともある。今回も、そのあたりの細かい伝達ミスがあったため、テーブルの調整をレストランにお願いした。その後、メニューの確認をして、ビールやワインなどの飲み物を添乗員がスムーズに案内できるように、注文の多そうなものをリストアップするなどの作業を行った。

 

やがて、次々とグループが到着した。150人のお客様が短時間に一気にいらっしゃる。渋滞しないように、添乗員とお客様をスムーズに誘導した。半分くらいのグループを誘導し終えた頃、携帯電話が鳴った。小石川さんからだ。

 

「もう、半分くらいは来た?」

 

「ええ。もうピークは過ぎました。あとは比較的小さなグループだから問題ないと思います。」

 

「そう。じゃあ、戻ってきてください。泉さんのグループが、そろそろ着くと思うんです。また、秋月さんと君が顔を合わせて、現場でおかしなことになっても嫌だし・・・。」

 

「かしこまりました。」

 

僕は、ホテルに戻った。ホテル内のカフェでは、片岡さん、小石川さんと現地手配会社のスタッフ3人とホテルのマネージャーが、ホテルスタッフに、秋月さんの部屋と持ち物について事情聴取をしているところだった。秋月さんが最初に入った部屋のクリーニングを担当したメイドの聴取が終わって、ポーターの順番が来た。緊張している。当然だ。小石川さんは、マカオ人ガイドの通訳を通して質問を始めた。

 

「荷物を運ぶ時、トイレに何かあるのを見ませんでしたか?」

 

「明かりがついていましたが、それ以外は覚えていません。」

 

「本当に?」

 

「明かりがついていたのが、チラッと見えただけです。」

 

「チラッと?なんであえて、チラッと言うかなあ・・・。あやしい。」

 

「今のは通訳しないで!」

 

片岡さんがガイドを止めた。

 

「小石川君、落ち着いて。明かりがついていたのを覚えているくらい、不思議じゃないよ。それに、チラッと見たというのは、ガイドの通訳だよ。細かいニュアンスがきちんと伝わってるかどうか・・・。自分の勘だけで、犯人を決めつけて追いこんではだめだよ。」

 

「(溜息)・・・すみません。」

 

これが、サービス業のつらいところだ。特に今回の旅行会社は、業界でも高尚なお客様を集めることで知られていた。そのためだろうか、一般の視点から見ると、古すぎるのではないかと思ってしまうくらい、顧客を大事にする接客を僕らは求められた。お客様への礼儀に対しては、他の旅行社と比べても圧倒的に厳しい規律があった。たとえ、ほぼ間違いがなくても、本当に確信が持てるまでは、お客様を疑ってはいけなかった。あるいは、確信を持っていても、時と場合によっては、お客様を信じる振舞いをしなければいけない時があった。

だから、このような時、顧客に罪がないことを祈るばかり、自然と顧客以外の人間に疑いの気持ちが向いてしまうことがあるのだった。

 

一通り、事情聴取が終わった後、今度は僕に質問が及んだ。

 

「ツートンさん、どうして昨日の盗難の報告が今日なの?せめて、朝一番で言ってくれてれば・・・」

 

「いえ、私は、今日の夕方にツアーデスクで伺ったんです。そもそも秋月さんは、私のグループのお客様ではありません。」

 

「え?そうなの!?・・・え?じゃあ、秋月さんが君に相談して、あの怒りに達するまではたったの一時間ちょっとか。・・・ん?でも、それじゃあ・・・事が起こってから、お知らせいただくまで半日以上かかってるってこと?変だな。」

 

「そうなんですよ・・・。私も、どうしてああいう風になるのか・・・正直、分かりません。」

 

「ん―――・・・。」

 

夜9時。オプショナルツアーに出かけたお客様たちが、夕食を終えてお帰りになる時間になった。スタッフおよび、居残りの添乗員はお出迎えしなければいけない。

 

「ツートンさん。あなたは、部屋で待機しててください。秋月さんと顔を合わせて、変なことになったら面倒だ。自分のグループのお客さんには会いたいだろうけど・・・、堪えてください。」

 

「かしこまりました。」

 

悔しかったが、今の状態では従うほかなかった。

 

部屋で待機して、夜の10時前くらいになった。暇だったから、報告書は大体仕上がり、精算もほぼ終えた。

 

なんだか、とても疲れた日だった。

もう寝ようかな・・・そう思っていた時、また部屋の電話が鳴った。

 

「や!北だけど、元気?今ね、高山さんと甲元さんが、私の部屋にいるの。一緒に飲もうよー!」

 

三人とも、僕が所属している添乗派遣事務所から派遣された、いわば同僚だ。僕が旅行会社に勤務している頃から、三人のことは知っていた。いわゆる頼りになる実力派添乗員たちだった。

 

添乗員は、ふだん一人一人が孤独に仕事をしており、外国で一日の仕事を終えた後、同僚と飲みにいく楽しみなんて滅多にない。だから、今回のような機会は大切だ。特に女性添乗員は、ここぞとばかりに集まろうとする。同じ派遣会社の人間であるなら、絶対に仲間外れにしない。

この日も本当は、女同士だけで飲んだ方が楽しいに決まってるのに、たった一人の男性である僕に気を遣って誘ってくれたのだ。あまり、この手の飲み会には参加しないのだけど、この日は、少し弱っていて、少し誰かと話したかった。

 

「じゃあ、行こうかな。」

 

ありがたく、お誘いを受けて部屋を出ようとした瞬間、今度は携帯電話が鳴った。こちらは小石川さんだ。嫌な予感がした。

 

「すみません、ツートンさん。もう一回話を聞きたいのだけど、いいかな?」

 

北さんの部屋に電話して、行けない旨を伝えて、僕は言われた場所に向かった。「終わったら、来ればいいよ。私たちは、きっと飲んでるから。」という優しい言葉を心の支えにして。

 

先ほどと同じホテル内のカフェ。夜も深まり疲れがたまってきていたのだろう。集まっている人々の表情は、疲れ切っていた。現地ガイド二人、片岡さん、小石川さん、そして泉さんがいた。

 

5人が囲むテーブルの真ん中では、ろうそくが明るくともり、それぞれにコーヒーが出されていたが、誰ひとり手をつけた様子はなかった。やがて、大きなため息とともに、片岡さんが他のメンバーを見まわして、僕に問いかけた。

 

「ツートンさん、店から預かった銀製品だけど、泉さんに手渡すまでの経緯を話してくれない?」

 

僕は、簡単に一通り説明した。

 

「うん・・・。分かった。ところで、ナイフ&フォークは、どんなケースに入っていたか覚えてる?」

 

「白い箱に詰められて、それがオレンジ色のケースに入ってました。」

 

「それは、これ?」片岡さんは、オレンジの厚紙ケースを出した。

 

「ええ・・・こんな感じでしたかね。大きさはピッタリではないかもしれないけど、こんなもんですね。」

 

「うむ・・・。これに見覚えはあるかな?」

 

今度は、おまけに店員がつけたチョコレートステッキを出してきた。

 

「これは、店員がおまけにくれたチョコレートですよ。リボンで束ねて、商品の一番上にのせてありました。」

 

一同が、顔を見合せている。怪訝に思った僕は、いったいなにを話しているのか分からず、逆に質問した。こたえてくれたのは、泉さんだった。

 

「あの、さっき私が部屋に呼び出されてね・・・。買ったはずのナイフ&フォークが入っていないって言われたの。それで、この(オレンジ色の)ケースを私の前に突き出してきて・・・このケースには、このチョコレートステッキが2本入っていただけだって・・・。」

 

沈黙・・・。空気が重かった。

 

そんなはずはない。僕は、確かに商品を確認した。ナイフ&フォークが入った白いケースが、間違いなくオレンジ色のケースに入っていた。あれは、チョコレートステッキなどではない。チョコレートは、間違いなく赤いリボンで束ねられていた。

 

頭の中で記憶を手繰り寄せる自分・・・。そうしながら僕は、今の自分が置かれた状況を、ようやく理解した。僕は、ナイフ&フォークを盗ったかもしれない容疑者の一人になっていたのだ。僕が、今ここでされているのは質問などではなく、尋問なのだ。

登場人物

 

マスター・ツートン

10のグループが一同に集う特別ツアーの中で、唯一の男性添乗員として奮闘中。でも、このツアーでは防戦一方。今回は、名古屋発着のツアーを担当。

 

秋月さん

女性の一人参加客。ツートンのグループではなく、他の添乗員が担当するグループにいらしたのだが、なぜかツートンと絡むことになる。

 

泉さん

秋月さんがいらしゃるグループを担当していた女性添乗員。

 

片岡さん、立川さん

今回の台数口ツアーを仕切るコーディネーター。旅行会社の社員。有能。

 

 

「そんな大金を失くしたことをお気づきになるのに、そんなにお時間がかかったのですか?」

 

フロントの女性は、驚き顔で言った。そのとおりだ。言われると思った。しかし、秋月さんは、僕の横にいらっしゃる。話を進めないわけにはいかない。

 

「まず、遺失物でウェストポーチがあるかどうか調べてください。もし、なかったら、最初に秋月さんが入られた部屋の中を確認したいのですが、もう別の方が入っていますか?それと、昨日、今日と部屋をクリーニングをした担当者は分かりますか?あと、昨日部屋を移る時に荷物を運んでくれたポーターも誰だか教えていただきたいのです。それらしきものを見たかどうかだけでも聞きたいのです。」

 

彼女は、システムをさわりながら、確認してこたえた。

 

「前のお部屋には、すでに別のお客様がお入りになっています。イギリスの方です。その方に、何かお部屋にないかどうかをご確認いただくことはできますが、お二人に、直接部屋をご覧いただくことはご案内いたしかねます。」

 

「ホテルスタッフの方に、直接お部屋に出向いていただくことは?」

 

「可能です。それと、メイドやポーターの名前は、すぐにこの場ではお伝えできません。シフトは客室担当のマネージャーが把握しておりますが、私どもでは把握しておりません。それに、シフトの都合で、昨日担当したものが、今、ホテル内にいるとは限りません。まずは、マネージャーとお話いただくことになりますが、それでもよろしいでしょうか?」

 

「それでけっこうです。私たちのツアーデスクで控えているので、よろしくお願いします。」

 

「かしこまりした。少々お待ちください。」

 

とても親切な対応だった。半日以上前に失くした現金なんて、普通、前にいた部屋を確認して、「ありません」で終わりだ。ここでは、マネージャーが話を聞いてくれるというのだから、ホテルの対応に感心してしまった。そして、たとえお金が戻らなくても、秋月さんはにはご納得いただけるだろうと思った。僕は、ツアーデスクに向かって歩きながら、秋月さんに段取りを説明した。時間が経過してしまったにもかかわらず、きちんと対応してくれるホテルのことも申し上げた。この時点では、秋月さんは、深くうなずき、納得している様子だった。そして、

 

「このこと、誰にも言わないでね・・・。恥ずかしいから。」

 

と、本当に恥ずかしそうに仰った。その様子を見て、「できる限り助けてあげよう」と思った。

 

ところが、俄かに、秋月さんの態度が急変したのだ!

 

「やっぱりおかしいわ・・・。あなた、私を疑ってるでしょう?私がウェストポーチを失くしたと思ってるでしょう!?どう考えてもポーターがおかしいって、私が言ってるのに・・・」

「え?」

 

彼女の急変に僕は反応できなかった。

 

「そう考えるのが普通でしょう?本人がそう言ってるのよ!どうしてホテルに対してもっと強気に出ないのよ!悪いのはあっちじゃない!」

 

そう言い放ち、僕を鋭い眼差しで睨んだ。予想できない話の飛び方に、僕はまったく言葉を返せない。ウェストポーチを投げ出して、どこにあるか分からなくなってしまったのは、秋月さんご自身だ。すぐにお気付づきになったならともかく、これだけ時間が経過した後で、いきなりポーターのせいにして、しかも呼び出すなんて考えられない。マネージャーが出てきて話を聞いてくれるだけでも、ありがたいというところだ。そこから先は、「交渉」という名の「お願い」をするのが筋だ。

 

「絶対に私を疑っている・・・。あなた、だめだわ。泉さんのほうが話が早いわね。泉さんを呼んで!」

 

これまで、僕と泉さんの接点はほとんどなかった。正直、顔と名前が一致していたかどうかさえあやしい。確認してみると、この時彼女は、ホテル内で行われていたカジノ教室に希望者を案内していた。添乗員同士の携帯を利用して電話をかけて事情を説明し、秋月さんと替わった。

 

僕を睨みながら、携帯電話で泉さんと話す秋月さん。電話を切ると、すぐに泉さんがやってきた。秋月さんは、時々僕のほうを睨みながら、淡々と泉さんに何かを伝えていた。やがて、ホテルの客室サービス担当の責任者と副責任者がやってきて、泉さんが通訳して、4人で話し始めた。

 

何を聞かれてもいいように、僕は、ツアーデスクに控えていた。秋月さんは、僕のほうに、しばしば蔑むような視線を送っている。

 

このツアーには、添乗員のほかに、企画担当とコーディネーターを兼ねて旅行会社海外旅行部門のGMと、その下の管理職の方が司令塔と手配の調整役で現地にいらしていた。彼らは10ものグループの動きを把握しながら、10人の添乗員のサポートもしてくださり、とても助かっていた。二人とも男性だった。そのGMの片岡さんとサブの小石川さんが、泉さんたちの様子を心配して、ツアーデスクに近づいてきた。

 

「あれはなに?」

 

「誰にも言わないでほい」という秋月さんの言葉を思い出し、彼女に気付かれないよう、二人には、僕と違うタイミングで席を外すようお願いし、三人になったところで、事の成り行きを説明した。話が終わると、いくつか質問があり、それに答えると、

 

「うん。ツートンさんの対応は間違えていませんね。ちょっとした行き違いでしょう。このあとは、私たちにまかせてください。」

 

そして、三人別々にツアーデスクに戻った。やがて、秋月さんとホテル側の話し合いが終わり、片岡さんたちが、何も知らないふりをして、秋月さんと泉さんに歩み寄った。すると、

 

「遅いわよ!あなたたち!!」

 

なんと急に怒りだした。

 

「責任者の方々でしょ!?ここでもめてたら『どうかしましたか?』くらい声かけなさいよ!それに、そこに(僕を指差して)事情を知っている人がいるのよ。なんで、誰が何を知ってるか確かめないの?あのね、ホテルで客が盗難にあったのよ!わかってる?ここにいる関係者は、この時点で、全員何があったか知らなければいけないの!(僕に向かって)あなた!誰にも何も伝えてないでしょう?なんなのよ!!自分のミスを隠してるんじゃないわよ!」

 

その場が凍てついた。まわりには、他のお客様もいたので、よけいに僕らは気を遣うことになった。そして、誰もが秋月さんの真意をはかりかね、困惑していた。

 

ここが修羅場の入口であった。

 

片岡さんと小石川さんにたっぷり文句を言ったあと、夕方からのオプショナルツアーに参加予定が入っていた秋月さんは、泉さんから、「時間がなくなる」と言われて、不機嫌なまま、エレベーターのほうに向かっていった。

 

一度、対応は中断だ。添乗員もスタッフも、それぞれの持ち場について、準備をしようとしていた時、泉さんが、僕に駆け寄ってきた。

 

「ごめんね、ツートンさん。預かってる品物、持ってきてくれない?私が受けとって、持っていくように秋月さんから言われたの。私、フロントに用事があって、ちょっと、あなたの部屋に行く時間がないの。」

 

「分かった。持ってくる。」

 

「あのね、ツートンさん。誰もあなたが不適切な対応したなんて思ってないからね。安心してね。」

 

「ありがとう。」

 

僕は自分の部屋へ急いだ。

 

ところがだ。驚いたことに、エレベーターの前に秋月さんがいるではないか!僕らの前を去って、5分は経っている。待ち伏せされていたのだろうか。僕は、軽く会釈した。エレベーターのドアが2つ開いたので、僕は、自分に近いほうに乗り込むと、わざわざ彼女は、自分から遠いほうの、僕が乗り込んだほうのエレベーターに乗ってきた。視線を感じたので、そーっと彼女のほうに目を向けると、やはりこちらを睨んでいる。

 

上がっていくエレベーターの中で、彼女は、先ほどとは同じ人間とは思えないくらい低い声で言った。

 

「よーくーも、疑ってくれたわね。このままじゃ済まさないわよ。」

 

「私は・・・」

 

「あなたの言い訳を聞くつもりはないわ。」

 

それを言った瞬間、僕の部屋のフロアに着いた。お互いに無言になったが、エレベーターを降りる時、会釈をした。秋月さんはお客様だ。このような状況になっても、視線を合わせず、挨拶もしないでエレベーターをおりるわけにはいかない。

顔を上げたその先には・・・さらに視線が鋭くなった秋月さんと目が合った。

 

ぞっとするような視線だった。普通でない。怖かった。訳が分からないから余計に恐怖を感じた。

 

エレベーターのドアが完全に閉まるまで、彼女はじっと、僕を睨んでいた。

 

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