マスター・ツートンの仁義ある添乗員ブログ

自称天使の添乗員マスター・ツートンの体験記。旅先の様々な経験、人間模様などを書いていきます。

カテゴリ: N美物語

コロナ禍は、僕らから仕事だけでなく、様々なものを奪い、拘束した。

3月の途中から次々にツアーがなくなり、4月には、海外添乗どころか、日本を出ることさえできなくなった。派遣元も、ツアーが少ない時は、ベテラン添乗員を講師に仕立てあげて講習、研修などをするものなのだが、この時期は、何をしても「密」に当てはまるため、まったく身動きを取れない。

 

僕は、3月上旬に実父が亡くなったために、実家に戻って葬儀を終えた後帰京して、今度は下旬に実母の体調不良が原因で再び帰省した。この頃になると、都道府県を跨いだ移動はタブー視されるようになったため、地元で冷ややかな目で見られないよう、二か月近くは実家で過ごしていた。

 

いきなり収入を失い、突然生活を変えざるを得なかったた者もいる。家業を10年支えて、ようやく添乗員に戻ったK奈は、不安に煽られて派遣元を離れることになった。あの涙声での報告は忘れることはできない。離脱は、一時的なものだと信じている。きっと連れ戻したい。

 

それぞれが身動きできない状態で、N美と王子も苦しい状況だった。王子が転勤した当時は、世間一般が「ステイホーム」が叫ばれた自粛期間の真っ最中。先に広島に行った王子も、世間がそんな状態では新居探しなどできない。N美は、実家に一時身を寄せることも考えたが、接触する人間を減らすためには、親にさえ会うのも憚られた。不経済ではあったが、東京のマンションで、しばらくの間一人で過ごすことになった。コンビニのアルバイトや、クラウドワークスで、僅かに稼いで貯えがの減少を防いでいたということだ。

 

どの業界で働いてるかによって感覚は違うかもしれないが、僕ら添乗員にとっては、あまりに急な世界の変化だった。ちょっと前までは、普通に世界を飛び回っていた。それが、たった二週間ほどで国内の都道府県を跨ぐのはおろか、近所への外出にさえ気を遣わなければならなくなった。

王子の転勤の後、忙しい派遣元を助けながら、結婚前に稼いでおこうとしたN美の計画はもろくも崩れた。ならば、すぐにでも広島に行きたいのに、それさえ許される状況ではない彼女の苦悩はいかほどだったか。

 

異常だった。マスクの着用を推奨されているのにどこに行っても見当たらない。除菌シートが手に入らない。トイレットペーパーもない。発酵食品が免疫力を高めるとテレビで言われた途端に、納豆とヨーグルトがスーパーの棚から消えた。お好み焼きの元やホットケーキミックスも姿を消した。

 

そんな状態が収まりを見せた頃、緊急事態宣言が終わり、都内の感染確認者数は、一時的に一桁台にまで落ち着いた。

 

5月下旬、母親の状態が落ち着いて、僕は帰京した。そして、6月に入ってから、会えなくてもずっと連絡を取り合っていた仲間たちと、それぞれ久しぶりに会った。もちろんN美とも会った。3月にオフィスを訪れて以来の再会だから、本当に久しぶりだった。大袈裟な表現ではなく、永遠に会っていなかったような気分だった。

 

戦友のB美や、3月にトルコに行くはずが、当日の搭乗拒否のためにひどい目にあったとる子さん、運よくコロナの影響を全く受けずに業界を去ったイワ子。リーダー格のY子さん。みんな変わらず元気だった。

N美は、相変わらずすっとこどっこいなところはあったが、本格的に結婚が決まって、だいぶ大人な雰囲気になっていた。そういえばマネージャーが言っていた。

「大丈夫だよ。いざ、結婚となると、女性はしっかりやってくれるもんなんだって。N美もそうなるよ。」

 

そのN美は、珍しくきちんと挨拶をして、王子の待つ広島に旅立った。しばらくして、ラインで王子と籍を入れたとの報告があった。とても幸せそうな笑顔で二人とも写っていた。T子は既に鹿児島にいる。ツートン塾の一、二番弟子は、遥か遠くに行ってしまった。かわいがっていたイワ子も、もうこの業界にはいない。

 

弟子二人と、イワ子がいないのは寂しいが、強がりでなく、「もう戻って来るなよ。」という気持もある。4、5年もこの仕事を続けたら、辞める時は疲れていても、後から楽しい思い出がたくさん湧いて出てくる。それを思い出して、再度、たとえそれが小銭稼ぎであっても、この仕事を始めてしまったら、なかなか元には戻れなくなってしまうだろう。地球の端から端まで飛び回るこの仕事の面白さは、一度離れてみるとよくわかる。実は、中毒性の強い仕事だ。だから、きちんと目標のある三人は、それに向かっていこうとしたら、簡単に戻ってきてはだめだ。

 

イワ子とT子は、きちんと送り出したから、N美のことも送り出しておこう。

本当によく頑張った。今まで一度も逃げることなく、弟子の中で、君は一番タフだった。君が一度も逃げなかったから、僕も他の人からなにか教えを乞われても、逃げずにいられた。

 

そして、結婚おめでとう。

 


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今回でN美物語は終了です。

当初は、添乗員として独り立ちしたところで終わりにしようと思いましたが、その後、T子のことなどで、N美のほうから助言をもらったことも時にはあり、成長した後も書きたくなったこと、また、海外添乗の幕切れが、コロナ禍が理由いうのも、この時ならではと思い、最後まで書きました。

 

最後までお付き合いいただいてありがとうございます。

 

今シリーズは、業界の身内の人々にもご覧いただいていたようですが、一部の人たちが尊敬して止まない(?)N美添乗員の始まりは、あんなだったのです。誰もが、あそこまで歯を食い縛って頑張れるとは思いませんが、やる気があって、丁寧に少しずつ様々なことを身につけて行けば、添乗員というのは、誰にでもできるようになる仕事だと思います。困った時は、人に、それも自分よりも現場に詳しい先輩添乗員に頼る勇気を持ちましょう。多少、面倒くさがられてもね。

 

次のシリーズは、バリっと緊張感あふれる旅行の現場に戻ります。また、N美物語では書けなかったマダムやジェントルマンな弟子たちの頑張りを描くことも構想してますから、どうぞお付き合いください。

 

登場人物

 

N美

彼氏の転勤で、東京での彼氏との生活がたった二か月間で終わってしまった。

 

T子

辞めることが決まってから、快進撃を続けている若手。その後、コロナが来て・・・

 

マスター・ツートン

これでも、いろいろと悩んでいる師匠です。

 

 

2019年内から年明けにかけて動きは続く。

まずN美王子は、同棲を始めて間もなく、広島への転勤が決まった。生活がようやく落ち着いてきた中での突然の知らせだった。転勤の知らせが突然なのは当たり前だが、住み始めたばかりだけに同情した。N美自身にもツアーがある。結婚を前提にした二人の生活が最優先とはいえ、主力となっていたN美の即座の離脱は、派遣元にとっては痛い。難しい問題だった。

 

T子は、結局、年を跨いでも海外添乗をしていた。ただ、ここまでくると、添乗で培った交渉能力を駆使して、マネージャーときちんと渡り合っている。

「持っている資料すべてを会社に寄付してしまったから、難しいところにはいけません!」

と、宣言した。すると、じゃあ、T子の力であれば、資料なしで行けるところへ。ということで、またもやツアーが割り当てられたということだ。

この展開には笑ってしまった。この交渉が成立(?)したのは、まず、派遣元がたくさんのツアーをもらえていて、とにかく人手不足だったということ。もうひとつは、それまでのT子の実績と功績だった。どんなにタイトなスケジュールになっても、崩れずにツアーをこなし続けて、それなりの結果を出してきた。そして、辞めることを決めてからは、さらに高いところでで安定してきていた。利害の一致もあるが、きっと派遣元からのご褒美の意味もあったと思う。

 

当初の予定から、少しずつ予定が変わってきてはいたが、決してぶれずに、二人とも前を向いて進んでいた。だが、2020年の初め、予想もしなかった不幸が、旅行業界を、いや、世界中を襲った。新型コロナウィルス。N美もT子も、他の添乗員同様にコロナ禍に巻き込まれた。

 

これについては、このブログの中のカテゴリー。「コロナの記録と記憶」のエピソード㉒~㉖の中に、二人を含めた派遣元の添乗員の様子が描かれているので、細かいことは、ここでは省く。

 

T子は、家族全員が九州に引っ越したため、同行することに決めた。僕は当初、東京で残ってアルバイトなどで稼いだほうがいいのではないかと思ったが、東京のコロナ感染状況と生活でのストレス、経済状況を考えた時、彼女の判断は、大正解だった。今は、コロナ禍の収束を待ちながら、次の目標に向けて頑張っている。

 

T子は、元々知り合いの紹介から派遣元に入ってきた。よく通る澄んだ声と、お客さんにかわいがられそうな見た目で、高いポテンシャルを感じさせた。早いうちから結果を出して、信頼を勝ち取っていたから、欧州ツアーも早めに割り当てられた。

そんな彼女に対して、僕は、急ぎ過ぎて、そして多くを求め過ぎていたのかもしれない。新卒で海外添乗員の仕事を始めた彼女には、以前述べた通り、課題を言われた通りこなしてこないなどの、いわゆる「学生気分」的な甘さがあったが、こちらから指摘すると、やがて直っていった。

一方で、経験が浅いわりには、お客さんとすぐに馴染める術を持っていたし、「勉強のしかたが分からない。何を質問していいか分からない」と言っていたわりには、現地でそれをカバーできる機転を持ち合わせていた。

そんな彼女の不運だったところは、難しいトラブルとの遭遇が多かったことだろう。経験が浅いから、解決できないのは仕方ないにしても、そんな時に限って難しいお客さんが多かった。

例えば、イタリアの青の洞窟の観光で、到着当初は波が高く、洞窟行きのボートが動いておらず、観光が中止になった。ところが、ランチを終えてからの自由行動中にボートが運航を始めていた。その日の行程を考えたら、洞窟行きは諦めなければいけなかった。しかし、時間よりも早く集合場所に現れた一部の参加者が、彼女の制止を振り切って、勝手にボートに乗ってしまい、他のお客様を長い時間お待たせすることになってしまった。当然、待たされた側は収まらない。一部の方々の我儘を、なんとしても止めなくてはいけない状況で、止められなかったために起こってしまったトラブルだった。僕も、このトラブルを聞いたときは、なんとしても止めなければいけない状況だったと、強い言葉で指導した。

 

「複数で、しかもその中に男性のお客さんがいて、怒鳴るように突進して来たら、若い女の子には止められないわよ。」

そう聞いたのは、2019年の12月、エジプトの添乗中、カイロで同じホテルに泊まっていた、他の派遣元に所属する女性添乗員からだった。同じ旅行会社でよく添乗しており、顔見知りだった僕らは、ディナー後に、ホテルバーでビールを飲みながら、少しだけ話した。彼女の派遣元の添乗員が、難しい参加客に対応しきれず、ちょっとしたトラブルになっているという話になり、そこから派生して、どんなトラブルに遭ったことがあるか、或いは聞いたことがあるかを話した。

たまたま彼女が若かった時、別の場所で似たようなことがあり、一部のお客さんを止められずに、大きなトラブルになったということだった。

「今だったら止められるわよ。おばさんになったら度胸もついたし()。でも、若い時は怖かった。興奮したおじさんなんて、恐怖以外のなにものでもなかった。今なら、たった一度の旅行だから、興奮するのもわかるしね、『まあまあ落ち着いてください』とか言えるんだけどね()

 

ちなみに、この会話の中で、僕から青の洞窟のことは話していない。でも、まるで何かを知っているかのような彼女の話しぶりだった。

「あの時は、散々取引先には文句言われたのよ。でも、派遣元の社長は、旅行会社の事情を説明してくれる一方で、『相手が感情的になっていて、身の危険を感じたら無理しないで。そのかわりそのお客さんの問題を、きちんと指摘できるようにしておいてね。守ってあげるから』ってケアしてくれたの。ケアって大切だよね。あれがなかったら、私、怖さばかりが心に残って、あの時辞めてたかもしれない。」

 

ハッとした。僕は、T子に青の洞窟の件で、厳しい「旅程保障について」の指導はしたが、心のケアはしていない。男の僕には、女性がそういった時に感じる恐怖感は、想像できなかった。仮に、あの時のT子の対応がどんなにまずかったとしても、彼女にすべきは、指導だけでなく、心のケアもあったのか・・・。その両方をすることが、指導としての正解だったのだろうか。そういえば、T子が辞めることを報告してきた時も「お客さんへの恐怖心」を理由のひとつに挙げていた。

 

それがきっかけ?確かにあの頃、彼女は一時期不調に陥った。好調に続けていた仕事に陰りが見えて、A社でのランクアップが、滞ったのもその直後だった。

僕は、とにかく彼女に前を向かせようとした。そして、その直後に「逆襲」をテーマにして、一年二期にまたがって、A社の上位10%のランク3を目標に掲げた。彼女は、それに必死にこたえようとしたが、最後のツアーでわずかに失敗して、昇格を逃した。「期待に応えられず申し訳ありません。」と言ってくる彼女に、僕は、「目標を達成させてあげられなくてごめん」と謝っている。

 

あれ以来、しばらくの間、T子は、あまり僕に近づこうとしなかった。僕から関わり合おうとすれば無視はしなかったが、コミュニティーの中での関係は、以前ほど濃密ではなくなった。成績も、それなりに優秀で大崩れはしないが、以前ほど高い所で安定しなくなった。そして、そのままグアテマラに旅立った。僕は、間違えたのか?無駄な重圧をかけ過ぎたのか?彼女にすべきは、ただ前へ進ませるよりもまず、恐怖心を拭い取って、傷をいやすことだったのか?

ここで僕が書いて思っていることは、全部僕の一方的な分析であり、思い込みだ。考え過ぎかもしれない。でも、ひとつだけ確かなことがある。

辞めることを決めてから、彼女の顔には以前のような笑顔が戻り、伸び伸びと仕事をするようになった。そして、素晴らしい結果を出し続けるようになった。プレッシャーからの解放が理由なのか、師匠としてのツートンから解放されたことが理由だったのか。

 

T子のことは、僕の中では特にナイーブなものになっていて、正直、ストーリーの中でどのように描くか苦労して、一番描写が消極的になっていた。だが、この物語の中では、絶対に必要な人物だった。

 

ちょっと前に話す機会があって、ブログを読んで「気にかけていただいたことが分かって、感謝しています」というところから、「いろいろ教えていただいたのに、半分も生かせなかった」などの反省、「『逆襲』がテーマの時は、本当にプレッシャーがきつかった。達成できなかった時、謝られた時には、それが申し訳なくて、さらにプレッシャーになった」という本音や、「一時期はね、ツートンさんのこと大っ嫌いで、『ツートン塾行きたくねー、ツートンさんに会いたくねー』って思ったこともありました!ふふふ」という超本音を口にした。

 

そして、コロナ禍が終わることを前提にしている目標があって、それについて準備していることも教えてくれた。様々なプレッシャーがきつかったと言ってはいるが、最終的には「楽しく海外添乗を終われた」と言っているあたり、乗り越えたものもたくさんあるに違いない。それには、そのうちきっと気づくことだろう。

 

エネルギーを貯めた彼女は、その時期が来たら、あっという間に九州から飛び出してくることだろう。

 

彼女が、いろいろ言ってくれたから、僕も、最後にいろいろ書いてみることにした。書いたものを読み返して思ったのは、やはりT子もかわいい弟子だった。

次回、最終回。

登場人物

 

N美

彼氏との新居が決まった、お年頃女子。

 

イワ子

転職先が決まった。最初の戸惑いを考えると、決まるまで早かったと思う。

 

T子

短期的な目標を持ち、モチベーションを高めることで、添乗員であることを延長した。いいことだと思う。つらいイメージでなく、仕事を変える時は、少しでも良いイメージで移っていったほうがいい。前職でのメンタルは、次にも影響するからね。

 

ベル凛

言葉もはっきりしているが、それを上回る行動力を持つ。ドイツに渡ってすぐにコロナ禍が始まったが、めげずにしっかりと生活をしている。この話を書く前に出演許可のラインをしたが、元気だった。

 

マスター・ツートン

次々とかわいい後輩たちが辞める中で、20代当時の自分を思い出しながら、自らを納得させている。彼女たちを見送ろうとしながら、ツートン塾に入ってきた、マダムたちのモチベーションや、ずっと添乗員として頑張ってる仲間の大切さを身に染みて感じていた。

 

 

「辞めることは決めています。ツアーも11月頭までいただいて、その後は外してもらっています。新しい職場はまだ決まってません。」

10月上旬に連絡した時は、そんなこたえだった。当初は10月末で辞めると聞いていたが、なかなか転職先は決まらないようだった。「決まる気配があるのかな。」と想像もしてもみたが、そういうことでもないらしい。

 

T子も10月までと決めていた添乗を、11月に入っても続けていた。事情があって、グアテマラ行きが年明けに延びた彼女に、誘惑上手のマネージャーが巧みに働きかけた。スペイン語を学びたい彼女に対して、

「スペイン語圏のツアーがあるよ。行くでしょう?」

などと、甘いことを囁き続けた。甘い言葉に滅法弱いT子は、これを断れない。

「もうキリがないので、これを最後にします!」

と、度々言っていたが、本当にキリがなかった。ある意味、マネージャーもダメ元でツアーをまわしていたのだが、これほど多くのダメ元が罷り通り続けるのはそうそうあるまいと思うほど、T子はツアーを受け入れていた。

一見、ダラダラして辞めきれないようにも見えたが、T子は、この時のこの状態を冷静に分析している。

「派遣元は人手不足。私は、グアテマラ行きの前に少しでもお金を貯めておきたい。利害の一致に気づいたんです。だから、素直になって、もう少しだけ続けたいと思います。」

彼女は、そう言いつつ、結果を出しながら仕事を続けた。本人に自覚があるかどうかは分からないが、物事を複数の角度から見つめて、常に正しい判断をできるようになってはいた。以前の彼女は、メンタルの甘さもあったが、物事には正解が一つしかないと思い込むようなところがあり、それが頑固な態度をつくり、他人の意見を遠ざけていた。N美に比べて、育成に苦労した原因でもあったが、だいぶ大人になっていた。

 

N美は、いよいよ、彼氏との新居が決まった。住み慣れた門前仲町を離れるのかあ・・・と感慨深げだったが、実際は二年も住んでないし、引っ越し先は隣の清澄白河だったから、はっきり言って大袈裟だった。とはいえ、N美王子ときちんと歩み続けて、二人で住むことが正式に決まったことについては、僕も感慨深かった。二人とも30歳を超えていたし、付き合って10か月での同棲は順調と言えた。

 

2019年には、もうひとつ動きがあった。三人と年齢が近い、もう一人の女性で、ベル凛という添乗員が派遣元にいた。ストーリーの絡み上、今までこの連載には登場しなかったが、T子やイワ子とは仲が良く、N美ともそれなりに関わり合いがあった。彼女もまた、ドイツで暮らすという新しい道を選び、この年の夏の終わりに派遣元を去っていった。

 

次々と、現場で活躍していた若手たちが、次の道へ歩み始めようとしていた。

 

そして、11月半ばになろうとした時だった。

「内定出ました!」

と、イワ子から連絡があった。本人がどう感じていたかはともかく、「さすがだ。早いなあ」と感心した。でたらめな就職活動ならすぐに決まるが、きちんとした活動を経て、しかも、自分にとってのタイミングだけが動機で始まった転職活動としては、2か月半での内定獲得は、スピーディと言えた。仕事は旅行ではなかったが、来日した外国人を相手にするもので、添乗以外でも海外経験が豊富な彼女に向いていそうものだった。

「最終的に決めたのは、面接してくださった方が、素敵だったから。こんな女性になりたいなって思ったんです。」

それもまたイワ子らしかった。

 

数日後、お祝いを兼ねて、数人で飲みに行ったが、添乗員同士のやり取りとしては、それが最後となった。そして、彼女は最後の添乗に出た。10月末から内定が出なかったために、「もう一本だけ行けます!」を続けていたが、それも終わり。紅茶を買ってきてくれるように頼んだが、お互いのスケジュールが合わず、オフィスで、添乗員の資料置き場から引き取ることになったのだが、そこにあったメッセージが振るっていた。

「天使のツートンさん!今まで本当にありがとうございました。」

僕にとっての大切な戦友が、またひとり、派遣元からいなくなった。

 

いくつか、ストーリーに盛り込めなかったエピソードがあるから紹介しておこう。

「最初に辞めるってマネージャーに言った時、『年末年始のB社のケニヤだけど、外しちゃっていいのかな?』って揺さぶられました。一瞬、迷いましたけど()

仕事場としては楽しいケニヤで、しかも高額商品で良質な手配が売りのB社の仕事には、心が揺れたらしい()。マネージャーの甘い言葉での揺さぶりか、それまでの彼女の功績に対するご褒美のつもりでそう言ったのかは分からない。しかし、イワ子がグッとこらえてケニヤを捨てた。

 

最後の添乗は、イギリス&フランスだった。昨年、12月に入ってからは、エールフランス航空や地下鉄のストライキなどで、フランスのツアーは大変だった。イワ子のツアーも、帰国便がストライキによる欠航になったのだが、運がいいことにあっさり代替便が見つかった。「私、本当に大きなトラブルに出くわしたことがないんです。」と言っていたが、最後までその強運は持ち合わせていた。

 

11月中頃に内定が出たが、もし、決まらなかったとしても、12月頭に帰ってくるイギリス&フランスのツアーで終わりにしようと決めていた。

「ズルズルいかないように決めてました。12月に入ったら転職市場も止まるし、一度活動をやめて、実は南極に遊びに行こうかと思ってました。(転職先が)決まっちゃっいましたけど()

 

「今の職場の大半は、私より年下なんです。お姉さんなんですよ、私が!()前の派遣元では、ほとんどの人が私より年上だったのに。みんな優しかったなあ。チヤホヤされていたのかなあ。懐かしいなあ()

 

「憧れていた上司?面接の時はそうですね。今ではそうでもありませんよ。上司って、こんなものかなって()

 

今回の話を書くときに、本人からいろいろ聞いたことも含まれており、掲載許可を得ている。

 

この物語の中において、主人公のN美とイワ子には共通点がある(僕だけが思ってることかもしれないけれど)。

ひとつは、添乗においては、なにがあっても帰国まであきらめなかったというところ。

そして、もうひとつは結婚と出産の願望。それを望んでいた時、猛烈なアタックをしてくれる人が、それぞれの前に現れて、二人ともそれを受け入れた。

ともに、最初は、まったく意識しない相手だったようだが、相手に熱心に思いを伝えられたことで、その時、自分を一番大切にしてくれる人の思いを受け入れたのだった。

 

2人には、本当に幸せになって欲しい。

 

この物語は、あと少しだけ続く。

登場人物

 

N美

彼氏と一緒に住むおうち探しと添乗に忙しい。今回の出番はちょっとだけ。早く一緒に住んじまえ。

 

イワ子

転職活動を始めた年ごろ女子。仕事を変えると決めてからのスピードは、N美やT子に比べると、圧倒的に早かった。

 

マスター・ツートン

この頃は、かわいい後輩たちが、次々に派遣元を離れていきそうで寂しかった。

 

高山さん

僕が派遣元に入った当初、お世話になった同僚。

 

Y子さん

優れた頭脳を持つベテラン実力派添乗員。常に鋭い指摘をする一方で優しい。かつて、不調が原因で、ツートン塾への入塾を希望して、現在に至る。

 

 

イワ子から転職活動開始をしているとカミングアウトをされたのは、8月頃だった。

前年に妊娠したチバ子、T子、一時的に転職活動を止めているとはいえN美。この頃、中堅に差し掛かろうとしている若手たちが一斉に動き始めていた。(あ、チバ子はすでにベテランだった)

女性が多い添乗員の派遣元では、時々こういうことが起こる。僕自身、所属してから似たような状態を、それまでに二度見たことがあった。最初は、所属してから二年くらいの時。まだ30代半ばの時だった。

「みんな、いろいろ考える年齢なんだよ。」

高山さんという当時の同僚が、飲み会の時に、ぽつりと言った言葉が忘れられない。彼女もまた、その後すぐに結婚して派遣元を去った。

「結婚したら、少しは旦那のそばにいないとね。子供も、自分の体に気を遣って、いろいろ気を付けないと、なかなかできないと思うし。この年齢だから。」

そうかと思うと、懇意にしていた取引先に転職した人もいた。正社員、あるいは契約社員として、派遣添乗員よりも社会保障がしっかりところへと移っていった。年齢的に考えるにもいろいろあった。

 

イワ子も、その例には漏れなかったようで、転職を考えた。ただ、当時のラインなどのやりとりでは、「特にやりたいことはないのだけど、転職が可能な年齢のうちに、会社員をやりたい」と言っている。実は、この記事を書く時にもインタビューしたが、当時と比べて、回答に全くブレはなかった。彼女は当時のことをよく記憶していた。

 

「イワ子は、ずっと添乗員をやるような子ではないよ。できるようになったら、すぐに外に視線を向けて、さっさと次にステップアップしていく。あなたなんかとはレベルが違うんだから。」

と、いつかY子さんから、きつい一言をいただいたことがあった。言い方にはかなりムカついたが、僕自身も、そんな気はしていた。そういった意味では、イワ子の行動は必然だった。

 

ただ、やりたいことがない転職活動というのは難しい。

「転職リミットは必ずある。今しないとタイミングを逃す。正社員になって産休育休のある環境が欲しい」という理由だけを言われただけでは、転職サイトの面接官も、アドバイスのしようがない。しかも、イワ子の添乗員としてのギャラは、同年代の大半の社会人よりは上だったはずだ。

「面接、どうだった?」

「今の給料を見せた瞬間に、『年収、かなり落ちますよ。』言われました。」

カミングアウトから少しして、オフィスで会う機会があった。その時にランチを一緒して、転職活動の進行状況を、聞かせてもらった。「年収がかなり落ちる」と言われた時の様子を説明するイワ子の表情は、それを彼女に告げた面接官の、言いづらいこと言ったという感情が乗り移っているかのようだった。

「転職ってそんなもんだ。分かってたろ?」

「はい。調べて、それは分かってました。」

 

イワ子は、特に添乗員を辞めたいから転職を希望していたわけではない。あくまでも、タイミングの問題だった。今を逃してはいけないという危機感だった。

「せっかくいい待遇を手に入れたのに・・・。そこまで転職したかったのかな。」

と、辞めることが決まってからマネージャーが、残念がる気持ちを丸出しにしながら話していた。正直、僕も最初はそう思っていた。面接官もきっとそう思っていたに違いない。とはいえ、

「旅行業界がこのままの状態で、今の待遇が、これ以上よくなるとも思えないし、このまま続くかも怪しい。」

という彼女の考えも、最もだった。僕らと違う。20代の彼女がこの先働く期間は、僕らよりも遥かに長い。それなりに、会社員を続けながら、「自分が一番勝てる場所はここだ」と思って、添乗員に落ち着いた僕とは違う。彼女にとって、添乗員は社会に出て初めての仕事でもあった。自分の能力を信じて進んでいきたい、いろいろ試したいという気持は、僕が20代の時もあった。

 

「収入が一時的に落ちるのは仕方ない。なにか特別な資格があるわけでもないのだから。それよりも、5年、10年のスパンで考えて、今落ちた分(の収入)を回収できるかどうかだろう。」

「・・・そうですよね。私もそう考えるしかないと思います。」

「なにがやりたいかは、まだ思い付かないの?」

「それがなかなか。」

「旅行業界は嫌なの?」

「旅行かあ・・・。」

「今の君のスキルを一番生かせるのは、絶対に旅行だよ。現地を知っているしね。」

「うーん・・・。」

「オペレーター(現地の地上手配をする会社)は?」

「あまり興味ありません。」

 

転職を考えていて、やりたいことがないのであれば、まずは自分のスキルが生かせそうなものを探すのが一番だ。その後が条件だ。

「旅行会社がピンと来なくて、オペレーターも興味なしかあ。・・・じゃ、せめてB to BB to Cのどちらかくらいのイメージはある?」

「私は、B to Cのイメージかなあ。」

「なるほど。じゃあ、オペレーターは消えたね。スキルを生かす意味で旅行はとっておくとして、他に添乗員のスキルを生かせそうなものは?イワ子さんは、かなり英語できそうだし、日本人を海外に案内することだけでなく、外国人を日本国内で案内することもできそうだよね。」

イワ子は小さく頷いた。

「日本人を案内したい?外国人を案内したい?さっきのB to BCかを考えても、スキルを生かせそうな仕事はたくさんありそうだよ。そこから先は、うまく言えないけど、深く調べれば副産物で他業種でもみつかるかもしれない。」

「なるほど。」

 

僕は、自分が登録している転職サイトに出てきた、ある大学の旅行部の求人票を彼女に送った。僕自身は、まったく転職などするつもりはないのだが、自分にはどんなものが該当して薦められるのか興味があったから、登録だけはしていた。

「これ、面白そう。これなら旅行でも興味はあります!」

実際に応募して、面接したかどうかは知らない。少しでも、彼女の転職に役立ったことを祈りたい。

この後、イワ子とは、簡単な連絡はとりあったが、細かいやりとりは、しばらくしなかった。僕自身の添乗のスケジュールがタイトだったし、その合間には、W杯ラグビーの観戦に命をかけていた。

 

T子は、退職に向けて添乗をこなしていた。

N美は、その後も王子とのお付き合いがうまくいき、お互いの実家に挨拶して、結婚を前提に同棲を始めようとしていたが、なかなか新居が決まらなかった。

ある日、お互いの家の近くでお好み焼きを屋で楽しんでいる時、

「ツートンさんのマンションいいですよね。引っ越してください。私たちが入りますから。」

「生意気な。10年早い。いや、下手したら一生早い。」

まるで新婚のようにテンションが高い彼女は、幸せ気分いっぱいで、とても良いのだが、いつにもましてうるさかった。

また、彼女は、しばらく添乗を続けることにしていた。

「二人で住み始めるし、将来お金がかかることを考えたら、今の私では、添乗が一番稼げるから。気持ち的には、いつ辞めても未練はないのですけどね。」

「それはとてもいいけど、辞めるタイミングは難しくなるな」・・・なんてことは言わなかった。彼らも大人だし、貯えた後の潮時は、自分で判断するだろう。

 

「それよりも、知ってますか?ツートンさんが大好きなイワ子さんが辞めるの決まったらしいですよ。」

 

「お!決まったのかな。連絡してみよう。」

登場人物

 

N美

彼氏とラブラブなツートンの一番弟子。ツートン塾の中では、T子の良いおねえさん。

 

T子

揺れる20代女子。ついに添乗を離れる決心をする。

 

イワ子

こちらも揺れて、動き出した20代女子。

マスター・ツートン

N美とT子の師匠で、イワ子の先輩。このブログの筆者。

 

 

N美のことが心配だったのは、ほんの一瞬。新たに加わってきたマダムたちの仕事ぶりも安定し始めて、ツートン塾は、静かに安定した2019年の春を過ごしていた。

だが、その中でT子の様子に異変を感じた。仕事は安定している。グアテマラに行く直前のように、死んだ目をしているわけでもない。でも、なにか、かつてあったような「情熱」が感じられない。そっとしておこうと思ったが、時々行うツートン塾のミーティングでも、ネガティブな発言が目立つようになった。

彼女は、時々添乗を辞めたら、あれをやりたい、これをやりたいと色々語ったが、なんだかどれも僕には、ピンと来ないものだった。辞めたいだけ?今の状況から逃げたいだけなのではないか?本人に直接言いはしなかったが、どうしても肯定的にはなれなかった。

 

「ふーん。まあ、T子もグアテマラから帰ってきて、彼女なりにいろいろ考えてるんだと思いますよ。私、今度彼女と、ほとんど同じ動きをするツアーに行くんです。ホテルが同じところもあるから、いろいろ話してみますよ。」

N美に相談してみると、とても協力的な返事をしてくれた。この頃になると、T子だけでなく、他の若手添乗員についても、仕事に対してどのように考えているかなどを、彼女に相談をすることが増えていた。30歳になって大人になったということだろうか。

そして、お互いに時間が合った時、T子について電話で話したのだが、N美が話すT子についての内容は、僕が本人から聞いたものと、それほど差がないように感じた。

「それでツートンさん、『T子は、ただ添乗を辞めたいだけなのでは?』って言ってたでしょう?結局、ただ辞めたいだけですね、彼女は()

「やはりそうなのか?」

「いや、でも、いろいろ考えてるのは本当ですよ。転職だって時期は限られてるでしょうし。思った通りのことを本格的にできる最後の時期でもあるし。正しいとか間違ってるとかでなく、いろいろ考えたい時期なんですよ。年齢的に。」

 

N美が、最後に付け加えた「年齢的に」は、彼女が言うから現実味があった。N美王子に出会う前、うまくはいかなったが、添乗の合間に転職活動や、お相手探しの活動を彼女は必死にやっていた。いつかのイワ子の言葉を借りれば、年齢的なことを考えての行動だった。

僕もそうだ。旅行会社時代、習い事で受けていた芝居や声優のレッスンにはまって、どうしても一度本格的にやりたくて、役者の世界に足を踏み入れた。当然甘い世界ではないから、挫折することにはなったが、やはり、「挑戦するならこれが時期的に最後」という思いがあった。

 

「ツートンさんの言うことは正しいですよ。でも、今のT子は、T子なりに考えてるから、否定ばかりしないほうがいいですよ。正しいとか間違ってるとかの話じゃないから。オジサンの感覚だけで、何もかも言い続けてると痛い目にあいますよ。」

随分失礼な言い方に聞こえるかもしれないが、僕とN美の信頼関係において、この時は、これが適切なアドバイスだった。確かに、僕自身が若い時に、かなり年上の先輩から「果たして、先輩のその経験が、今の自分に当てはまるのか」という、全然ピンと来ないアドバイスをもらったことがある。そのような先輩とは、意識して距離をつくるようになり、必要最低限の会話しかしなくなった。

そういう経験をしている自分自身が、同じ状況をつくってしまったら愚か以外なにものでもない。極端に言えば、嫌われるのは構わない。だが、仕事上でなにも話してくれなくなる状況は作ってはいけない。

 

T子に関しては、添乗以外については、あまり踏み込んだ話をしなくなった。ツアーをきっちりこなすが、時々お客さんに細かい点を指摘される状態が続いた。モチベーションが上がらないから、なかなか修正できない。僕にも本人にも、どうにもできない流れだった。

 

そして、5月のある日、彼女に用事があってラインを送ってみると、T子から「私からもお話したいことがあります」と返信があった。話してみると、「私、添乗を辞めようと思います。」と、ついに打ち明けられたのだった。

 

残念という気持ちと、守ってあげられなかったという気持ちと、仕方ないなという気持ちと、もう少し踏ん張って欲しかったという気持ちと・・・いろいろ複雑だった。

いつ頃辞めるか、マネージャーに知らせるタイミングなどを話して、残りの仕事をしっかりできるように励ました。そして、電話の向こうでT子は、少し涙ぐんだ

 

「本当に、最初から目をかけていただいたのに・・・。ご期待に応えられなくてすみません。私・・・お客さんがこわくなっちゃって・・・。」

「T子。泣くな!」

「はい!」

「ウソ泣きはやめろ。」

「・・・え?・・・はい。・・・えへへへ()ウソ泣きじゃないですよー!()

そうなのだ、彼女は、時々涙ぐむように見せて、大半はウソ泣きだった。だって、本当に涙が出てると思ったら、あっという間に止まって、笑っているんだもの。涙が出るウソ泣きって、本当にあるのだということは、彼女から学んだ。ただ、タイミングと演技は、いまひとつだったかな。

 

冗談はともかく、僕はT子にアドバイスした。

「仮にまたグアテマラに行くとしても、ギリギリまで添乗をしておいたほうがいい。そこらのアルバイトを一か月分を、添乗なら8日間か10日間のツアーを1回こなせば稼げる。空いた日は、スペイン語の勉強などの準備にあてられる。」

 

T子は、そのまましばらくの間、海外添乗を続けることになった。そして、それまで以上の素晴らしい成績を続けざまに獲得した。

「すごいな。T子さん、本当にこのまま辞めてしまうの?」

「とりあえず、10月いっぱいということでマネージャーと話しました。それと、今頑張れるのは10月で終わりっていう区切りができたから。丁寧に仕事ができてるのです。」

彼女と出会ってから、5年が過ぎていた。指導を始めたのが、あの時の僕でなく、少しは成長した今の僕だったら、もう少し力になってあげられただろうか。マインドの作り方、モチベーションの上げ方など、もう少しなんとかなったのではないか。T子に関しては、本当に悔いが残る。ちょっとしたきっかけで、仕事の質をあっという間に上げることができるのだから。また、戻ってきてくれないかな、と本気で思っている。

 

動きは他にもあった。あるラインのやり取りの中で、イワ子の反応に違和感があったので、思い切って聞いてみた。

「イワ子さん、まさか辞めるの?」

「今すぐという話ではありませんが、転職準備中というところでしょうか。」

 

次回。

登場人物

 

N美

立派な添乗員で、大人な30歳になったツートンの一番弟子。

 

マスター・ツートン

いろいろ思い出した2019年。N美も、一人前どころかベテランになり、嬉しくもあり寂しい。

 

 

20代後半で旅行会社に入って数か月してのことだ。

僕は、繁忙期に会社にやってくる派遣添乗員に書類渡しや、問題のないツアーの報告受けなどをしていた。その中に、30代中半ばの女性添乗員がいた。まだ、取引を初めて間もなかったようだが、主に僕がいた部署のツアーを担当して、評判は上々だった。

 

半年ほど経ってからだろうか。その添乗員が、アンケートでお客様からご意見をいただいた。クレームというほどのものではない。「こうしていただいたほうが分かりやすい」というご意見だった。ツアーそのものは、うまくいったようだったし、その意見について彼女は、レポートをまとめてきていたから、該当するお客様のアンケート2枚のコピーとそのレポートを直属の所属長に持っていくだけで、特に僕からはなにも追及せずにお帰りいただいた。

しかし、所属長の反応は僕と違った。他の参加者のアンケートも、ご意見をいただいたアンケートも全てじっくりと目を通して、それから彼女のレポートをアンケートに照らし合わせた。

「ツートンくん、この添乗員さん、帰っちゃった?」

「はい、先ほど。なにかありましたか?」

「(腕を組みながら)うーん・・・。まあ、いいか。気のせいかもしれないし。」

 

ところが気のせいではなかった。翌月、その方は、次に与えられたツアーでも、似たような事柄を指摘されてしまった。しかも、ご意見がクレームに進化していた。そして、またもやしっかりとしたレポートを作ってきた。違和感を覚えた僕は、その場で所属長に報告して、彼は添乗員への聞き込みを行い、僕は、そこに立ち会った。聞き込みは、一見穏やかに行われて、所属長は「おつかれまでした。またお願いします。」と、笑顔で彼女を送り出した。

その後、彼の態度は一変した。

「ツートンくん、添乗員は、ああなったら終わりだよ。彼女はあれ以上伸びないよ。分かる?」

「いえ。」

「アンケートとレポート照らしわせてごらん。ご理解いただけなかった部分を、全部お客さんのせいにしている。一回目は百歩譲っていいとして、二回目でこれはまずいよ。レポートの見た目はしっかりしてるけどね。中身はどうしようもない。」

 

所属長は、ツアーの割り当てをしていた担当者のところに行き、彼女の出入り禁止を提案した。

「事が大きくなる前に使用をやめたほうがいい。」

「この程度で出入り禁止にしたら、使える添乗員がいなくなってしまいますよ。」

少しやりとりがあった後、次回は別の部署のツアーに行かせることで落ち着いた。

 

そして、その次のツアーでは、お客様の怒りがグループ全体で爆発してしまった。

その部署のトップは、とにかくエキセントリックで、「あの人の性格は、一日に四季がある」というほどだった。添乗員のレポートと保身の言い訳が、そのトップの逆鱗に触れて、超大型台風並みの嵐が、隣の部署ではおこっていた。最終的には、派遣元の担当者まで呼び出されて、今なら完全にパワハラで訴えられるであろうテンションで怒られていた。

「ふざけるな!これだけお客さんが、みんな同じことをクレームで挙げてるのに、あなたには一切責任はないっていうのか!このレポートでも『説明した』って書いてあるけど、聞いてもらえてなかったら、案内したとは言えないんだよ。この程度のクレーム、現場で回収してこい!」

僕は、たまたまDM作成の打ち合わせで、自分の所属長のそばにおり、隣の大嵐の様子を伺っていた。

 

「文章(レポート)ってこわいから気をつけなよ。口頭での報告なら、意見を変えなくても、相手の顔を伺いながら言い方を変えられる。でも、文章は相手が一度目を通してしまったら、どうやったって印象を変えることはできない。後々どんな言い方をしても、『じゃ、ここに書いてあるのはなに?』ということになってしまう。」

「少し、彼女に同情しますね。」

「なんで?」

「ずいぶんとタイトなスケジュールで大変だったみたいだし・・・。」

「三回連続で同じようなことを言われてしまったらアウトだよ。多忙とかは関係ない。」

「そうですか・・・。」

「まあ、最終的には彼女の人間性だね。」

「そこまで言わなくても・・・。」

傍で仕事をしていた女性の同僚が反論するかのように反応した。

「いやいや。あれは人間性。『忙しくて、疲れてて気が回らなかった。気付かなかった』とかならまだいい。でも、そこでまったく自分に責任がないと主張するっておかしいと思わないか?あっちのリーダーも、私も、『こう言ったのに理解してもらえなかった』という状況報告の後に『こうすべきだったのかもしれない』とか言ってくれたらさ、まだ『次回頑張ってね』で許せるけど、なにもかもお客さんの理解力不足のせいにしてるっておかしいだろ。最終的には、自分で責任を取れない人なのさ。それが彼女の人間性。元々そういう人間だったとは言わないけどさ。そうなっちゃったんだよね。」

彼は話し続けた。

「プロ添(派遣添乗員のこと。添乗だけで食べてるからそう言われる)は、難しいよ。旅行会社に勤務してれば、一定期間で同僚や上司にも会える。その中で、いろいろな話を聞きながら、添乗のやり方やスキルアップなども可能だ。他人と関わって意見を交換しながら精神面のケアもできる。プロ添の場合は、定期的に会社の仲間と会うわけでもなし。スキルアップも、メンタルケアも全部自分でしないといけない。よほど自己管理ができている人でないと、長い間続けるのは難しい。・・・彼女の場合、書類作成はうまいけど、自己管理は、そろそろ限界じゃないかな。」

 

「プロ添は、向いてる人なら、本当にプロフェッショナルな仕事をするようになる。でも、心が弱い人がやってるとね。知らないうちに保身ばかりに走るようになる。普通の会社員のように、守ってくれる組織や上司がいないから、ある程度は仕方ない。それでも、それが強くなり過ぎたら終わり。どこかで気づいて気持ちを修正しないとね。彼女が書いたレポートの内容、よく覚えておいてね。」

 

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あれから10年以上経ち、僕はプロ添になっていた。自分が書いた反省文をチェックして気づいた。この時の僕は、あの時の彼女そのものだった。文章の中に、状況の分析があっても、そこに僕自身の責任を追及したものは全くない。すべての原因がお客さんになっていた。

「まずい・・・」

一度、書き上げた文章を、僕は何度も直した。ところが、いくら修正しても反省文にならない。なにかに憑りつかれたかのように、保身的な要素がまったく抜けない。呪縛?呪い?違う。そんなものでなく、完全に僕のメンタルの問題だった。あの時の所属長の言葉が聞こえてくるようだった。

 

「これが君の人間性だよ。」

 

元々の反省文を直し続けてもだめだと気づいた僕は、PCの画面から、文章そのものを消去した。そして、新たに文章を書き始めた。担当者から渡されていたアンケートのコメントに即して、丁寧に書くように努めた。

「ここで、お客さんにご理解いただけなかったのは、・・・この部分の説明不足。分かりにくいところだったから、何度もお客さんにご理解いただくように丁寧にご案内すべきでした。」

「ここのお部屋に対する不備や不満について。単純に変更するだけでなく、もっとお話を聞いて差し上げて、気持ちで寄り添うべきでした。お詫びだけでなく、移動いただく時にご協力いただいたお礼もきちんと申し上げるべきでした。」

 

そうすべき対応や、反省点を書きながら、頭の片隅でもう一人の自分の声がする。

 

「なに書いてるんだ。お前は、その通りに現場でやってたじゃないか。」

自分を正当化する言葉は、自分で打ち消すしかない。

「違う。やっても相手に伝わってなかったら意味がない。お客さんも、自分に非があると感じていたら、アンケートには書かない。仕事で『やった』と『できた』は違う。天と地ほどの差がある。」

 

頭の中で、二人の自分が、ずっと戦っていた。

「お前、本当にそんなこと思ってるのか?」

「思っていなかったけど、今は思っている。いや、そう思えるように意識を変えている。」

 

自分で書いている一言一言が胸を突き刺すどころか、切腹しているような気分だった。たかだか反省レポート一枚に、心の切腹を何度したことだろう。どちらかと言えば、この時点での本音では、自分に嘘をついていた反省文だった。その「本音」が、お客様にとっては不誠実になっていたという理屈だけを理解して書いた反省文だった。

 

やがて、文章を書き終えた僕は、マグカップでぬるくなっていたコーヒーに氷を入れて飲み干した。真冬だったのに、カラカラに喉が渇いていた。落ち着いてから、反省文を読み返した。

 

心の切腹を何度も繰り返しながら書き終えた反省文は・・・なんてことはない。普通の反省文だった。こんな内容の文章を書くのに、いったいどれだけのエネルギーを使ったというのか。

僕は病んでいた。プロ添という仕事をする中で、会社員の時のように、誰からも仕事内容に干渉を受けることがない環境で、自らを過信し、ツアー内容や、お客さんの反応さえ、自分の思い通りにいかないと、すぐにイライラするようになっていた。たった一枚の反省文を仕上げたことで、僕は、自分の愚かさを痛感するに至ったのだ。

深夜に反省文をメールで送った僕は、翌朝10時半くらいに、取引先の担当者に電話した。

「あー!ツートンさあん!文章いただきました。早速ありがとうございます。あれで、上司を説得できました。やっぱり分かってくださってたんですね。」

「え?いや、普通の反省文ですけど。」

「はい。とても普通な反省文です。素晴らしい。」

「素晴らしい?」

「あの手の反省文て、添乗員さんが自分を正当化ばかりして、ちっとも反省してる文章になってないことが多いんですよ。あんた反省してんの!?みたいな。上司が、ツートンさんのことを『そういう状態になってるに違いない!』っていうから、私は『絶対に違う!』って言い張ってたんです。いいですよー。全然、自分のこと正当化してないですもん。よかったあ。上司も、『これなら様子を見よう』って言ってくれました。これからもよろしくお願いします。あ、営業くんには内緒ですよ。こんなものを、勝手に書かせたことがばれたら怒られちゃう()

 

どこの企画担当者も、似たような悩みを抱えることはあるものなのだと実感した。そして、反省文を書く機会を与えてくれた担当者には、心から感謝した。

 

なお、自分のマインドが狂っているのを自覚したからと言って、直ちに全てなんとかなったわけではない。なにかあったら、現場で思い通りにならないと、すぐにイライラする癖は、なかなか直らなかった。「おっと・・・いけない、なにイライラしてるんだ」と、何度自分に言い聞かせたことか。マネージャーの言葉にも、すぐに耳を傾けたわけではない。「おっと。ここはきちんと話を聞いてコミュニケーション取らないと。」と、何度思い直したことか。正面から向き合ったマネージャーは、業界でも指折りの営業マンだった。

 

一度傲慢になった僕の人間性は、ひょっとしたら一生直らないのかもしれない。今でも、その自覚はある。でも、あの反省文は、今でも僕の心の中で大きな存在になっており、いざという時にブレーキをかけてくれる。

 

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N美は・・・あの日、お客様のアンケートを軽んじて、僕の助言にも耳を傾けようとしなかった彼女は、大丈夫なのだろうか。「歩くのが早い」という指摘を受けながら、軽く流すようなN美は、かつての僕や女性添乗員の姿に重なって、とても心配していた。そういう状態になってしまっていたとして、努力して行きついた自分のスタイルの中にある、間違った一面に向き合うことはできるのだろうか。

その後、2か月くらいお互いのスケジュールが合わず、顔を合わせる機会がなかったが、N美の結果はチェックしていた。心配していたようなことは起きずに、落ち着いた好結果を残していた。

 

「杞憂だったかな・・・。」僕は、一人で勝手にほっとしていた。

 

そのうち、N美から連絡があった。

「今晩、お好み焼き食べに行きませんか?」

僕と、N美の家の中間地点には、お好み焼き屋があり、たまにそこで飲み食いしていた。

「ごめん。今晩は予定がある。」

「じゃあ、その前にミスドに行きましょう。私、御馳走しますよ!」

「おお。珍しいな。ごちそうさま。」

まるで「高級寿司を奢ります」くらいの勢いで、ミスドを提案されて、一か月半ぶりに僕らは会った。最近のツアーの様子を報告しながら、N美が言った。

 

「あの、この前、『歩くのが早いってアンケートに書かれるな』って、私、言われたでしょ?」

「うん。」

「あれね・・・あれ、私、本当に歩くの早かったみたいです()

照れくさそうに、笑いながらそう言った後、N美はさらに笑った。彼女の仕事も精神面も、その後、決して大崩れすることはなかった。あのミーティングの後、N美は、すぐに自分を見つめ直せたようだ。

 

素直な彼女の人間性は健在で、僕のように傲慢な自惚れ屋になる心配はなかったらしい。そして、僕が彼女に言った通り、「歩くのが早い」とアンケートに書かれたツアーは、その後なかった。

N美は、僕が思ったよりも遥かに成長していた。この時、僕がN美に教えるべきことはもうないということを実感したのだった。

 

それにして思う。なにも思っていない時に、大きなトラブルに巻き込まれたり、とてつもないクレームをいただいたりするものだが、その反面、心配している時に限って、何も起こらないものだ。

登場人物

 

N美

ツートンの一番弟子。ちょっとだけ心配な状態です。今回は出番なし。

 

マスター・ツートン

今日は、ここで語ります。たまには、語らせてください。みなさんが聞きたくなくても語ります。あ、今日だけで終わらなかった。明日も語ります。

 

マネージャー

おかしな方向に行こうとしているツートンの目を覚まそうと、盛んにアドバイスを送ってくれた。

 

 

N美が、最後に頷いてくれたことで、僕は、もうひとつ彼女に聞かせようとしていた話を控えた。本人の気持ちがこちらに向いていない時に、何か言い聞かせようとしても逆効果だから、ここはグッとこらえた。

結果的に、N美には、その話を聞かせないままでいる。いや、聞かせないで済んでいるといったほうが正しいかもしれない。或いは、飲んだ時にサラッと話したことはあるかしれないが、僕の記憶にはない。

今回の連載は、一般の旅行者には少々退屈な話になているかもしれない。その一方で、添乗員の方々にはよく読んでいただいてるようなので、せっかくだから書いておこう。自称天使の添乗員の黒歴史を。

 

僕が、最初に勤務した旅行会社は、添乗員業務に非常に重きを置いている会社だった。「添乗員は、何事もなくお客様を連れて帰国すればそれで良し」とする旅行会社が大半を占める時代にあって、珍しい存在だった。

添乗員の査定には、お客様が記入されるアンケートの添乗員評価が少なからず関係している。大半の旅行会社のアンケートでは、添乗員についての評価は「添乗員はいかがでしたか?」という一項目だ。それに対して、この旅行会社では、「添乗員のサービスはいかかでしたか?」と「添乗員の知識はいかがでしたか?」と二つの項目があった。つまり、お客様の情けだけで、添乗員が、高く評価され過ぎないようになっていた。(それでも優しい評価やコメントが多かったが)

そのうち、査定になぜか「旅行代金に対する満足度」も加えられた。これに対しては、外部の派遣元はおろか、社内でも反発があった。「『旅行代金に対する満足度』は、旅行会社の企画の問題。それを添乗員の査定に加えるのはおかしい。」という意見は最もだった。それも「旅行の総合評価」ではなく、「旅行代金に対する満足度」だから、なおさらハードルが高かった。

 

しかし、ここは創業者であった当時の社長が譲らずに、他者の意見を一蹴した。

「アンケートを分析すると、添乗員の評価に比べて、旅の総合評価や、旅行代金に対する満足度が極端に低い。これほどまでに差があるのは、添乗員が、自分の評価ばかりを上げようとして、現地で見せるべきものを、きちんと見せていないからだ。何かあったら、全部会社のせいにして、お客さんをなだめることを怠り、一緒になって会社批判をしながら参加客に共感するフリをして、会社を悪者にしているんだよ。うちのツアーは、そんなひどいか?そんなことはない。企画担当者は、添乗員に何がツアーのポイントなのかをきちんと伝えろ。添乗に行く人間は、きちんと担当者にそれを聞いて頭にいれておかなきゃだめだ。派遣?同じように査定の対象にする。そうしなければ、社員と同じモチベーションで打ち合わせを本気でやってくれないよ。なんでも会社のせいにするぞ!」

これはこれで一理あった。社内でも外部でも、なんでも内勤のせいだと主張する添乗員は、確かにいたし。

所属長の指示で、添乗員データを調べてみたが、確かに添乗員評価と、満足度数値には差があった。さらに細かく見てみると、添乗員評価ばかりが高く、極端に満足度が低い添乗員は決まっていた。また、全般的に、外部の派遣添乗員は、満足度の数値が社員添乗員に比べて低かった。社長は、誰かにこれを調べさせていたのだろう。とてもではないが、直感だけで辿り着けるところではない。

それでも、果たしてこれで「旅行代金に対する満足度」が上がるのか疑問に思ってる社員は多かった。だが、上がったのだ。それも劇的に。創業者の見事な読みだった。とはいえ、それまではしていなかった、新たな努力を、現場の添乗員がしていたことも間違いなかった。

 

そういった厳しい環境で添乗の仕事をしていた僕にとって、派遣になってからの取引先の仕事は簡単だった。アンケートの添乗員評価は一項目だし、ツアーの構造も複雑なものは少ない。企画をやっていた僕は、打合せで、ツアーのどこにお金を使っているかや、盛り上げるポイントなども把握できたから、つまずくことなくツアーをこなすことができた。マネージャーも、この頃は、僕の派遣元加入を大歓迎だったし、完全に有頂天になっていた。

だが、こんな状態がいつまでも続く訳がない。慢心は、その気がなくても、お客様からは、上から目線と受け取られて、不快感を与えた。・・・いや。実際に見下していたのだろう。そして、それは接客態度に現れて、簡単に見破られるようになった。

それまで絶対になかった添乗員評価2(5段階で)を、ツアーの中で一人か二人、必ずいただくようになった。

 

「最近は、多人数のツアーが多いからな。一人か二人くらいは、僕と合わないお客様がいらしても仕方ない。」

 

今ならナーバスになる、お客様の言葉やアンケートのコメントにも、無関心になっていた。そんな僕の異変にマネージャーは気づいた。

「なんで、ここで2をつけるお客さんがいるんだよ!他で良くても、たったひとつの数字とコメントで台無しじゃないか!こんなつまらない評価をされないように、丁寧に仕事しろよ!」

「ツートン君、これ、チバ子のアンケート。よく見て。君も、前はずっとこんなアンケートばかりだったよ。また、こういうの取ってきてよ。全参加者が、同じように、君のこともツアーのことも褒めちぎってる結果を取って来て。前は、いつもそんなだったよ。」

 

マネージャーは、僕の目を覚まそうと一生懸命にやってくれていた。でも、僕は彼の誠意に気付けなかった。彼の必死のアドバイスを軽く流していた。派遣元は、僕が勤務していた旅行会社の取引先だった。僕と同郷のマネージャーは、旅行会社の実績を踏まえて、派遣元としては最高の待遇で僕を迎えてくれた。そんな彼に、僕はひどい態度を取っていた。ずっと、自分が仕事を与えている立場であった、悪い意味で偉そうな旅行会社社側のような態度を取り続けていた。

やがて、そのマネージャーも僕に何も言わなくなった。もし、あのままなら干されてもおかしくない状況にまで陥っていた。

 

そんな時、帰国してツアーの報告時、ある取引先の女性担当者から言われた。

「すみません、ツートンさん。あの、今日上司から言われたんですけど、最近のツートンさん、全般の数値は悪くないけど、必ずひとつのツアーで、一人か二人から、以前ならいただかないような、きついご指摘を、アンケートでされていると言われまして・・・。それで、大きな問題を起こす前に、一時的に添乗を控えていただくようにしたほうがいいんじゃないかと指示れたんです。・・・でも、私は、そうは思わないんです。ツートンさん、この部署の仕事多いでしょう?リクエストしてるの私なんです。それで、上司を説得するために、・・・本当に心外だと思うのですが・・・反省文を書いていただけませんか?それで上司を説得できると思うのです。お手数おかけしちゃいますけど、お願いします。ほんと、たまたまそういう状態になってるだけだと思うんです。それで、上司を説得できますから。どうかお願いします!・・・あ!これは、私とツートンさんだけのやり取りです。私に直接文章を送ってください。派遣元は通していただかなくてけっこうです。御社の担当者・・・営業くんにも迷惑かけたくないし。」

 

この担当者は、僕のことをとても贔屓にしてくれていたから、反省文を書くことにした。自分のためという意識は全くなく、彼女の顔を立てるためだけに書こうと思った。

家に帰り、PCを開けてスムーズに文章を打った。送る前に内容を確認しようと文章をチェックしてみると、なにか違和感を感じた。

「あれ・・・?おかしいな。なんだろう?」

違和感の原因は、すぐにわかった。内容がまったく反省文になっていないのだ。それどころか、保身に走った醜い文章は、どこかで読んだことがあるような内容だった。

 

「あ・・・!?」

 

僕は、旅行会社時代のある出来事を思い出した。

登場人物

 

N美

ほんの少し過信気味になっている、気が付いたら30歳になっていた女子。

 

マスター・ツートン

N美への最後の指導を試みる師匠で、このブログの筆者。

 

マダム関西

ツートンが、最初に勤務した旅行会社で大変お世話になった大顧客。故人。

 

 

今考えてみると、

「君が感じてることはともかく、『歩くのが早すぎる』って5人も書いているんだから、それは無視するな。次のツアーでは、絶対に同じことを書かれるな。あとはまかせる。」

と、言えば済む話だった。ただ、徒歩のスピードに関しては、僕自身、忘れられないクレームをいただいた経験があり、ついこだわってしまった。

 

話は90年代後半。僕が、添乗を初めて2年少々の時に遡る。まだ20台だった。

9月に「フランス周遊13日間」の旅を終えて成田空港に帰っ来て、伊丹にお帰りになるお客様を羽田空港までお送りした。当時、その旅行会社では、地方から東京のツアーに参加されたお客様がいらした場合、帰りの国内線が羽田発の時は、成田から羽田までご案内するのが規則だった。

この時、それに該当したお客様は70代半ばの女性客一人。羽田に到着してチェックインを済ませ、手荷物検査場まで案内して会社へ戻ろうとした時、呼び止められた。

「ツートンさん、お忙しいでしょうけど、少し時間くださらない。お別れする前にお話したいの。お昼でも食べましょうよ。」

その方は、とてもいいお客さんで、ツアー中もとても良くしていただいた。お誘いいただけたのは光栄だったから、ためらいなくご一緒した。

 

最初は、お昼を食べながら談笑していたのだが、食後のコーヒーを飲んでいる時に、思わぬ告白が待っていた。

「ツートンさんにはとても感謝しているんです。楽しい旅でした。でも・・・言うか言うまいか迷ったのだけど・・・楽しいのと同じくらい辛かったです。」

「辛かった?」

「はい、ツートンさん、歩くのが早すぎて。ついていくのが精いっぱい・・・いえ、ついて行けない時ももありました。いつも必死でした。」

「・・・申し訳ありません。」

「ごめんなさい。最後にこんなこと言って。でも、私たち年寄り(本人の表現)にとって、人の歩く早さについていけないって、本当につらいことなんです。ツアーって団体旅行でしょう?ついていけないと、自分のせいでスケジュールに遅れが出てしまうのではないかとか、他の参加者が私の遅さにイライラしてるんじゃないかとか、とにかく自分が迷惑をかけてるのではないかと、そんなことばかり気になってしまって、景色も何も見えなくなってしまうのです。旅行に参加すべきでなかったのではないかと、本気で思ってしまうんですよ。」

それから、そのお客様は一度話すのを止めた。でも、僕から視線は一切そらさず、ずっと見つめていた。僕と二人きりで話すタイミングを計り、勇気を持って話を切り出し、そして自分の発言からは逃げないで責任を取る。そんな大人の態度が見えた。

 

僕の態度を確認するかのような仕草を見せてから、その方は再び話し始めた。

「ツアー中に言ってしまったら、我儘に聞こえるかもしれないし、グループの雰囲気を壊してしまうかもしれない。一生懸命やっているあなたの仕事のリズムを崩してしまうかもしれない。それを思ったら、二人きりになった時に言うしかないって思ったのです。気分を害されたら申し訳ありません。」

「いえ、逆にお客様に、そのようなことを言わせてしまいまして申し訳ありません。」

「私は、こういう形で言いたいことを言いました。ツートンさんの言い分もあると思います。いろいろ仰っていただいてけっこうです。」

「いや、そんなことは・・・。」

「いえいえ、あるはずです。」

「ええ・・・それでは・・・。まず、いろいろ気づかずに申し訳ありません。」

「いえいえ。他には。」

「実は、今までも『歩くのが早い』というご指摘を、ツアー中にいただいたことはあるのです。会社でも、そうならないように気を付けるように教えられています。ただ、今回のツアーの中で、お客様がそこまでストレスを感じてるだなんて、まったく感じ取れませんでした。・・・恥ずかしいです・・・。その・・・お客様がグループから大きく遅れて歩いてることなんてなかったから・・・。」

「それは、必死について行っていましたからね。」

「はい、それは分かりました。・・・それで、今までのツアーでも、ひょっとしたら・・・ご指摘いただかなかっただけで、そういうストレスを抱えてた方はいらっしゃったのかなあ・・・と、いろいろなことを思い出してまして。」

お客様は、大きく頷いた。

「そのようにお考えていただけるなら、お話してよかったです。まだ私も旅行させてもらえるかな。」

「え?それはもちろん。」

「ありがとうございます。でもね、徒歩観光についていけなくなって、旅行をやめる人って多いんですよ。私の姉もそうでした。他の方の目を考えたら、ゆっくり歩いてなんて言い難いものですよ。そうなったら、自分から旅行をあきらめるしかないの。『今後のご参加はお受けいたしかねます』なんて言われたら死にたくなっちゃうから、その前にね。」

「肝に銘じます。」

「ところでさっき、『歩くのが早い』と、ツアー中に言われることがあるって仰ってましたわよね?」

「ええ。毎回ではないのですが、時々・・・。」

「その方たち、よく言えますねえ。ブラックリストとか、要注意人物になってしまうとか、考えないのかしら。」

「その程度で要注意人物にはならないですよ。」

 

その時は大袈裟な考えであると思ったが、当時の旅行業界を考えると、お客様が、そのような心配をされる気持ちは分からないでもない。当時の業界においては、今ほどシルバーマーケットは発達していなかった。年齢が75歳を超える方がツアーに参加される場合、海外旅行しても問題ないだろうという、医師が発行した診断書の提出を参加条件に挙げる旅行会社がたくさんあった時代だ。僕が勤務していた旅行会社は、日本でも真っ先にそんなことを廃止したところだった。

 

「あと、好きなことを言っていいと仰ったので申し上げますが・・・旅行が終わる前に、『少しゆっくり歩いて』くらいは仰ってください。お客様の脚なら、私が、ほんの少しゆっくり歩くだけで問題なかったと思います。帰国されてからご指摘いただいても、なにもさせていただくことはできません。お話を聞くだけになってしまいます。」

反論に聞こえたのかもしれない。笑顔を見せ始めていたお客様の顔が、頷きながらも真顔になった。

「こちらの事情ではあるのですが、今回のフランスツアーは、パリ以外の観光地では、皆英語ガイドが手配されていました。添乗員は通訳しなければいけません。そうなると、英語の聞き取りに集中してしまって、他のことには気が回っていなかったと思います。私も、これからは配慮しようと思っておりますが、今回のツアーの中で、特にどこで歩くのが早かったかと言われると、まったく思い付かないのです。」

お客様の表情に変化が見られた。急に納得いった様子で、何度も相槌をうっている。

「会社に帰ってからは、このことは報告しますし、同僚たちにも話します。私も気を付けます。しかし、きっと、同じような状況で同じことが、起こってしまうと思うんです・・・。ただ、そういうお客様の要望を受け入れるのがうちの旅行会社のはずなので、どうか旅行中にご助言くださると助かります。」

「そうね。その通りですね。」

「言い訳ばかりで、誠に申し訳ありません。」

「いえ、今のはとても良い言い訳でした。するべき言い訳ってあると思いますよ。団体を案内しながら、いつもの自分の生活とは違う早さで歩いて、しかも通訳ですものね。確かに大変ですよ。私も、旅行中に言ってあげるべきでした。旅行中に、そういう指摘をしても大丈夫だということも分かったし。よかったです。とても貴重な会話でした。実は、もう次のアフリカのツアー申し込んでるのよ。これで心置きなく行けます。本当に、些細なことですけど、さっきみたいなことが原因で、旅行を止めてしまおうかと考えることもあるのです。それは分かってくださいね。」

「はい。ありがとうございます。」

 

お客様は、支払いを済ませ、ゲートに向かう準備をし始めた。

「ツートンさん、アンケートには、ばっちり良く書いておいたから安心してね()

「え?それは・・・」

「私、こういうことは、きちんと本人に言って、アンケートには書かないようにしてるのよ。関西のお客さんてそういう方が多いらしいわよ。」

「そうなんですか?」

「いつかベテランの添乗員さんが言ってたわ。『関東は、なにも言わないけど書く。関西はズケズケ言うけど、書かない』って。」

「・・・考えたこともなかったです。」

「ツートンさんは、どっちがいいですか?」

「なにも仰らずに、なにも書かずに、旅行にたくさん来てくれる方が最高です()

「それはそうよね()。あ、歩くのが早いって意見は、きっと書かれてると思うわ。みなさんおっしゃってたから。心の準備はしておいたほうがいいわよ。」

 

お説教のしかたも丁寧で、去り際も素敵な方だった。お客様の話は大阪弁だったが、とても文章では再現できないのでご了承いただきたい。名前をつけるのを忘れてしまったので、マダム関西とでもしておこう。この方の仰る通り、僕やツアーの評価とは別に「歩くのをもう少しゆっくり」というご意見は、けっこうな数でアンケートに書かれていた。

これがきっかけで、特にご年配のお客様から、歩く早さを指摘されたら、ちょっとしたクレームだと思いながら修正するように心がけている。「歩く」のは、ツアー中の日々の行為だから、すぐに修正しないと大変なご不満をお客様が抱えることになってしまう。それに気付いたのが、この時の会話だった。

 

なお、マダム関西との関係は良好になり、その後、何度も私が行くツアーにご参加いただいた。僕が退職してからも、年賀状で連絡を取り合い、大阪でお会いしたことも何度かある。6年前に80台半ばでお亡くなりになるまで、交流は続いた。

 

ちなみに、アンケートについて「関東は何も言わないけど書く。関西はズケズケ言うけど書かない」というのは、時々添乗員同士の会話でも出てくるが、僕自身はあまり感じていない。散々いろいろ文句を言って、散々いろいろ書いた関西のお客さんを見たことあるし、結局は個人差だと思う。

 

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僕は、N美にしつこく言い続けた。

「歩くのが早いと指摘されるのは、クレームだ。徒歩についていけなかったら、周りの景色もなにも楽しめないぞ。今回、これだけ書かれたんだから、次は絶対に書かれるな。」

N美は、根負けしたように、でも、もう勘弁してくれという感じで頷いた。

「分かりました。」

 

登場人物

 

N美

恋にのって驀進中。添乗では、最後の壁に突進中。乗り越えるか、ぶち破るか?

 

マスター・ツートン

かつての頭ごなしの指導は通じない。一人前になったN美への指導は、初期より遥かに難しい。これを乗り切ることは、自分にとっても大きな成長につながる、という気持でN美に接していたこの頃。

 

 

元々の派遣元が吸収合併されてから、僕は、添乗に出ていない時は、若手添乗員の教育やカウンセリングをするようになっていた。

自分のコミュニティー以外の添乗員ともよく話すようになった。レポートを読んで、報告を聞いて、お客様アンケートの事前開封が認められている取引先のそれらをチェックして、添乗員たちと対話する。

興味深いことに、と言ったら失礼かもしれないが、こんな時に添乗員それぞれの個性が現れる。大別すると以下のようになる。

1.  アンケート内容のみを基に、うまくいったと思う部分と反省点を分析して述べる者。

2.  現場でのお客様の反応と、アンケート内容を照らし合わせながら分析して、うまくいったと思う部分と反省点を述べる者。

3.  現場でのお客様の反応のみで、うまくいったと思う部分と反省点を述べる者。

 

上記のうち、理想は2だ。一流添乗員と言われている人たちは、意識しないでこれをやっていると思う。

1に当たる添乗員は、冷静なタイプが多い。現場でお客様がどんなに喜ばれても、調子に乗らず、手を抜かずに仕事をやり続ける。悪く言うと、その場での笑顔を信じないタイプだ。良く言うと慎重。また、仕事を精力的に行うものの、お客様とは一定以上の距離を置き、必要以上に仲良くならない。

育成に一番やっかいなのが、3のタイプだ。アンケートを極端に嫌い、ろくに読まない者もいる。読んでも内容を気にしない。たまたま熟読してみたら、現場での反応とアンケート内容のあまりの差に動揺して、「人間不信になりそう」などと言うことがある。

 

これらの差は、完全に個人の性格の差だ。年齢を重ねて、3から1、2のタイプに辿り着くかというと、そうでもない。

海外旅行における添乗員とお客様の関係をよく考えると、僕個人としては、3のタイプは考えられない。「添乗員は、行程とお客様の要望を照らし合わせながら最善の案内をする」というのが、この世界の常識だが、ここではそれよりも一歩踏み込んで述べたい。

 

なぜ、現場でのお客様の反応とアンケート内容には、差異が生じてしまうのだろう。それは、お客様の立場が弱いからだと、僕は思っている。どんなに我儘で強情で怖いお客様が、現場でどんなことを仰っても、大抵の場合、結局は旅行会社から指示を受けて、権限を与えられている添乗員が決定権を持つ。お客様の大半は、これを理解されている。だから、多くのお客様は添乗員の言うことに耳を傾けてくださるし、なにか確認するときも丁寧な言葉で話しかけてくださる。

もうひとつ。お客様はなぜツアーに参加されているのだろう。「ふだんは個人旅行いているのだけど、ここはツアーでないと難しいと思ったから」という方もいらっしゃるが、これは少数派。多くの方々は、言葉や現地の交通機関などを使いこなす自信がなく、自分たちだけでは、旅行できないからツアーに参加されている。つまり、自分ではできないことをやってもらっていると思っていらっしゃり、現場にいる添乗員には、常に感謝の気持ちを持っている。

そういった方々が、現場で添乗員にはっきりと物を申すには、相当の勇気が必要だということは予想できる。自分では、なにもできないと思っている人たちにとって、添乗員は、唯一頼りにできる存在だ。自分がその場で添乗員に文句を言って嫌われてしまったら、旅行が楽しくなくなってしまうという恐怖感さえお持ちの方もいらっしゃる。

添乗員は、一人で複数のお客様を統率しながら、全員に気配りをしながら接客するという仕事であるから、大変であることには違いない。でも、海外ツアー参加者も、様々な種類の客という立場の中で、一番心配事が多く、お気を使われている「お客様」だということを忘れてはいけないと思っている。

そんなお客様が、アンケートに書かれるご不満は、心底怒っているものだ。現場での反応も大切だが、アンケートに記入されている不満には、正面から向き合わなければならない。

 

2019年の3月。ある旅行会社の「バルト三国」のツアーからN美が帰ってきた。数字そのものは、それほど悪くはなかった。アンケートは5段階評価。お客様人数は32。添乗員評価で5を付けた方が26人。432をつけられた方がそれぞれ2人ずつだった。が、お客様のアンケートのコメント内容が、ここ最近のN美のツアーでは、考えられないほどよくなかった。

ちょうどN美が別件で出社したので、時間をつくってもらい、このツアーについて話し合った。

「最近では珍しい結果だな。」

「すみません。」

あまり悪びれた様子はないが、それは構わない。悪びれるほど最悪な結果でもない。問題は、修正点を分かっているかどうかだ。

32人で26人が5っていうのは好結果だよ。8割以上が5なんだから。普通、ここまでよければ、23をつける方なんていらっしゃらないのに、今回は4人もいる。しかも22人どうして、こんなふうになっちゃったのかな?」

N美は、自分で分析した理由を話し始めた。実に最もげな反省点だったが、その内容が、まったくアンケートに記入されていたものを踏まえていなかった。これも珍しいことだった。N美は、元々アンケートをよく読む添乗員だ。かつて、鳴かず飛ばずだった頃は、時に人格を否定されるようなことまで書かれて、C社を出入り禁止にまでなった。そこから僕に弟子入りして、泣きながらトレーニングを続けて這い上がったわけだが、その過程で、現場での反応とアンケートの内容を照らし合わせて、「お客様の真の笑顔と怒り」を学んでいたはずだった。

語り続けるN美を、僕は一度止めた。

「今言ったことは、それで正しいとして・・・『歩くのが早すぎる』ってコメントがあるけど。」

「ありましたね。でも、それは今回は、そんな問題じゃないと思いますよ。」

「・・・いや、問題でしょ。」

「すみません。問題ないわけじゃないけど、さっき私が言ったことのほうが反省点としては大きいと思います。私が現場にいたんですよ。ツートンさんよりも、そばにいた私のほうがお客さんのことを見えてますよ。」

「・・・分かった。それはそれで信じる。でも、アンケートに書かれていることを無視するな。アンケートに書かれる意見や文句は、お客さんが心の底からそう思っていることだ。」

「そうですかねえ・・・。」

おかしい。アンケートチェックでは、タイプ2であるN美が、この時は3になっていた。

「N美。念のため聞くけど、『歩くのが早い』って、何人のお客さんが書かれていたか覚えてるか?」

「2人だったかな。」

「いや、5人なんだ。」

「え?そんなに書かれてたんですか?」

「ちょっと意外だな」くらいの反応だ。ここまで来ても、N美は悪びれていなかった。

 

まずい・・・。N美とこれまで接してきた中で、僕はこれまでにはない焦りを感じていた。

N美が実力をつけてきた過程で、いくつかあった欠点のひとつに、自信の無さがあった。だがそれは、しばしば「謙虚さ」に繋がっており、良い方面に働くこともあった。これまで足りなかった自信を身につけたこの頃、自分では気付きにくい「過信」が欠点になる可能性が浮上していた。ある意味、一番やっかいな問題だ。

 

そういった心構えと同時に、基本的なこととして、N美は添乗員の早い徒歩についていけない、ご年配のお客様の苦悩を、この時忘れていた。

 

次回。

登場人物

 

N美

嬉しそうに彼氏を紹介してくれた。まるでお父さんにでも会わせるかのように。

 

N美王子

N美への真っ直ぐな愛を語ってくれた。三人でカウンターに座りながら、彼が真ん中にいて、僕に語っていたのだけど、背後のN美に、間接的にプロポーズしているようだった。愛だね、愛。

 

マスター・ツートン

二人のピンク色のオーラに、すっかりやられてしまったN美の師匠で、このブログの筆者。

 

2019年1月26日です!」

この物語の終盤を書き始める際、N美に取材した時に、いつ頃から王子と付き合い始めたか聞いたときの返事だ。「いつ頃」と聞いたのに、実に細かく答えてくれた。というかよく覚えていた。N美、いや、二人にとって、よほど大切な日になったようだ。

素敵な彼氏ができて、精神的に落ち着いて、彼女の心にはゆとりができたのだろう。言動や仕事ぶりには余裕が感じられるようになった。一方で、「海外添乗は、いつ辞めてもいい」と、時々口にするようにもなった。女性添乗員の多くは、恋人ができるとそうなる傾向がある。付き合い始めだから当然でもあった。相手の男性も、付き合ってる女性が、海外ばかりに出ているというのは正直心配ではあるし、N美もそのニュアンスで、言っていたと思う。以前よく言っていた「いつまで頑張ればいいですか?」は、言わなくなった。

 

2018年秋頃の勢いはなくなっていたが、N美の成績は相変わらず高いレベルで推移していた。これには、間違いなく王子の存在が精神的な要因になっていた。N美は自分が幸せな状態であれば、他人をも幸せにするために動けるタイプだったというわけだ。

 

そんなN美、王子、僕の三人のスケジュールが合って、正式に紹介してもらえたのは、かなり暖かくなってからだった。5月の後半くらいだったか。交際の報告が3月初旬くらいだから2か月半が経過していた。

驚いたのは、王子のN美への惚れっぷりだ。バーに行った時、いつもの調子で、僕はN美をいじった。飲みに行ったときのいつものパターンだ。すると、王子が突然真面目な顔で、

「それは、N美に対して失礼ですよ。」

と、指摘してきたのだ。一般的に見れば、彼氏の前では、少々失礼だったかもしれない。だが、いつものノリだったし、N美も「いつもこんな感じから。」と、王子をなだめようとした。だが、彼は止まらない。

「N美は、いい子なんです。一緒に旅行行ったとき、僕が英語分からなくて、おどおどしてた時、スラスラっと話して、何もかもやってくれたんです。」

「そんな大した英語じゃ・・・」というN美を遮り、

「僕にとってはペラペラだよ。それに、時々添乗先からワインを買ってきてくれるんですけど、ふだん、僕が飲むものと比べたら美味しくて美味しくて・・・いろいろ教えてくれるんです。僕は、海外のことをよく分からないから、N美が詳しく教えてくれて、本当に勉強になります。」

「そうだね。彼女はA社のランク3で、かなり実力はあるほうだから。」

「知ってます!」

「知ってた?・・・あ・・・そう?」

「仕事に取り組む姿勢についても、いろいろ話してくれて、さすがだと感心させらるんです。」

え?そうなの?そこはN美から直接聞いたことがない。今度直接聞こうと思ったが未だに聞けていない。それにしても、この、のろけっぷりは凄まじかった。王子の気迫に気圧されながらN美を見ると、ちょっと恥ずかしそうに、でも、まんざらでもない様子でニコニコしている。まさに恋する女だった。

 

やはり、ここ最近のN美の好調は、愛が理由だったのだ。だとしたら・・・彼女が添乗を続ける期間はそう長くないと、僕は予感した。

 

ところが、添乗員の仕事は難しい。自信と誇りを持って仕事をしていても、思わぬ落とし穴がある。本当の一人前になる時、誰もが通る道でもあった。好調なN美も、そこにわずかな間だがはまっていく。

 

次回。添乗員として最後の指導。

 

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