マスター・ツートンのちょっと天使な添乗員の話

自称天使の添乗員マスター・ツートンの体験記。旅先の様々な経験、人間模様などを書いていきます。

タグ:コロナ

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杉原さんの執務室。残っていた写真などを元に再現したもの。家具や調度品は、その時代のものではあるが、本人が使っていたものではない。机の上のものは、すべてレプリカ。
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カウナスの駅にある記念レリーフ。彼は領事館を出て、列車でカウナスを出発する直前まで、ここでビザを発給し続けたという事実が記載されている。

杉原記念館の見学では、まず最初に20分弱の動画をお客さんに見ていただく。それから展示物の見学だ。以前と内容が少し変わったというから、僕も動画を見ようとしたのだが、

「あなたはこっちよ。」

とガイドに止められた。この日のカウナスのガイドは、前日のヴィリニュスとは別の人が手配されていた。

添乗員は、お客さんが動画を見ている間に展示物の案内をガイドから受ける。カウナスは、基本英語ガイドなので、ガイドの案内を添乗員が通訳しないといけない。その時間を省くために前もって情報を得る。

「展示が変わってから一回来ているから大丈夫ですよ。動画を見たいです。」

「また変わったの。先に見ておかないと大変よ。」

その通りだった。元々殆ど日本人しか来なかった杉原記念館は、コロナ禍にあってかなり財政困難に陥った。杉原さんの生まれ故郷である岐阜県からの寄付と旅行会社のクラウドファンディング(僕も寄付した)で乗り切ったものの、日本人観光客数回復が思わしくなく、他国の人々にもターゲットを広げた展示内容に改装されたとのことだった。

今までは、極端に言うと「ある日の朝、この家の前に助けを求めて長い列をつくっていたユダヤ人たちと、それを助けた杉原さん」の話だけをすればよかったのだが、僕ら添乗員がこの展示をご理解いただく案内をするには、今以上に当時の時代背景を勉強しておかなくてはならないだろう。

「これから初めてここを訪れる添乗員は大変だろうなあ。」

と思いながら、ガイドの説明つき下見を終えた。

まだ動画は続いていたので、僕はオフィスに案内されてエスプレッソをごちそうになった。この日に現場にいたスタッフは1人だけ。かつては10人いたが、コロナ禍で3人にまで減らされている。

「そういえば・・・」

僕は、コーヒーカップを片手に、若い女性スタッフに話しかけた。

「マリウスさんがコロナでお亡くなりになったそうですね。いつも親切にしてくださったのに・・・残念です。」

クールそうな彼女は、僅かに表情を切なさそうに変えた。

「はい。お亡くなりになりました。とても日本を好きでいらしたのに・・・残念です。」

ガイドも含めて、3人の間に沈黙が流れた。

「でも、マリウスが亡くなったのは、コロナが原因ではありませんよ。」

「え?」

クールな表情に戻った彼女が「なにそれ?」という感じで言うので、僕はずっこけそうになった。

「違うんですか?」

「元々心臓が弱かったんです。太っていたからお医者様には注意するように言われていたらしいけど、残念ながら発作が起きて・・・」

「コロナが原因で心臓に負担が来たのではなくて?」

「いえ。亡くなったのは2019年ですから。コロナの前です。」

「え・・・」

先ほどとは違う妙な沈黙が流れた。

「誰から聞いたの?」

ガイドが椅子のひじかけに頬杖をついて、少し呆れたようにしている。

「ヴィリニュスのガイドです。リーナさん。」

「ああ・・・。まあ、ここ数年はいろいろあったしね。どこかで記憶が混乱したのでしょう。彼女、少し思い込みが激しいところもあるし。」

最後の「思い込みが激しい」が、一番の本音のように聞こえた。それにしたって激し過ぎだろう。

「なんか、がっかりされていませんか?」

いきなりスタッフに指摘されて僕は動揺した。認めたくはないが、おそらく当たっていた。

「原因がなんであれ、亡くなられたことは残念です。それは変わりません。そうでしょう?」

「ええ。それはもちろん。」

「あなたのように、悲しんでくださる方がいて、マリウスも幸せです。ありがとうございます。」

彼女は、僕をたしなめながら慰めてくれていたのだろうか。

でも、そうだ。大切なのは、熱心に仕事をされていた彼が亡くなって、とても残念だということだ。コロナが原因かどうかではない。仮に「心臓発作で亡くなった」と最初から聞いていたとしても、きっと悲しんだ。ただ、やはりコロナと心臓発作ではショックの度合いが違う・・・いやいやいやそんなことを言ってはいけない!心から冥福を祈ろう。

 

マリウスのことは、記念館に向かうバスの中でお客さんにも話しており、僕自身の悲しみを共有していただいていた。放っておくのもなんだから、死因がコロナではなかったということを、みなさんにお伝えすると笑い声に混じって「えー!」という声があちこちから上がった。

「死因に関係なく、亡くなったことが悲しい」と話すと、「それはそうだ」と落ち着きはしたが、まあ、そういう反応になるよな。

なにはともあれ、心からご冥福をお祈りいたします。

(文中仮名。記事のタイトルで内容を予想していたかもしれませんが、僕の動揺に少しでも共感いただけたら幸いです)
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ヴィリニュスの旧市街も歩いていて楽しい。写真はぺるくーなすの家。赤レンガでつくられた美しい建築物。ハンザ商人の館として建てられたが、19世紀の改装中に、このあたりの土着の雷神ペルクーナスの像が発見されたため、その名で呼ばれるようになった。

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ヴィリニュスの聖ペテロパウロ教会の内部。17世紀の建築。内部の白亜の壁は2000体の漆喰彫刻で埋め尽くされている。イタリアから呼んだ彫刻家が、200人のリトアニア人を使って完成させた。地味なイメージがあるバルト三国だが、派手に目を引く見どころは少なくない。ここはその典型。入った瞬間、その美しさに圧倒される。写真撮影には1ユーロの寄付が必要。


リトアニアの首都ヴィリニュスの観光の合間に30分ほどの自由行動をとった。お客さんがそれぞれに散っていくと、僕もガイドは休憩をとった。二度ほど一緒に仕事をしていたことがある人で、お互いを覚えていた。カフェでコーヒーを飲みながら、近況を報告しあった。

「明日は、カウナスに行きます。」

「杉原さんのところにも?」

「もちろん。あそこに体格のいい男性がいるでしょ?いつもお客さんにいろいろ親切にしてくれる人。あの人に会えるのが楽しみです。」

「ああ・・・でも、残念だけど、あの人、亡くなりましたよ。」

「・・・え?」

「コロナ禍に入ってすぐに亡くなりました。」

「コロナで?」

「ええ。」

「それは・・・また・・・。」

「はい。本当に残念です。」

その男性スタッフとは、杉原記念館で働いていたスタッフだ。

杉原千畝がリトアニアに滞在していた時の領事館および住居として使っていた建築物を改装した日本人には有名な観光施設であり資料館だ。

彼とはお互いの連絡先を交換したこともないし、何度か仕事で会ったことがある程度で、友人同士というわけでもない。

でも、お会いする度に、常に「久しぶり!」と、お互いに固い握手を交わしていたし、それなりに親近感は持っていた。会うのが、とても楽しみな方だった

僕の周りでは。コロナ禍において感染した人はいたが、皆、軽症で済んだ。知人で亡くなった人は一人もいない。少なくとも知らされてはいない。顔見知りで亡くなったのは、彼が初めてだった。そのためだろうか。この時、僕は大きな喪失感におそわれた。

「本当にコロナはひどかった。たくさんの大切な物を奪っていったわ。」

「そうですね。」

「ツートンさんは何をしていたのですか?添乗員の仕事はなかったでしょ?」

「はい。日本国内の添乗を少しと、コロナワクチンの仕事を。」

「ワクチンの仕事?人に注射していたのですか?」

「まさか。コールセンターでの予約受付です。」

「医師の資格でもお持ちかと思いました。・・・でも、役に立ちませんでしたね。ワクチンは。」

「え?」

「まったく役に立ちませんでしたよ。ツートンさんは何回打ちましたか?私は三回です。それでも、コロナに罹りました。杉原記念館の彼もそう。三回打ったのに、罹って亡くなったのよ?」

「いや、それは・・・」

ワクチンは罹患を防ぐよりも罹患後の重症化を防ぐもの。そして効能は100パーセントではない。そしてデータのとり方にもよるけれど効果があるというほうが優勢・・・という言葉を僕は飲み込んだ。急に険しい表情になった彼女の耳に、それが入っていかないのは明らかだった。

「副反応で亡くなった人がいるくらいよ。あのワクチンで助かった人よりも死んだ人のほうが多いんだから。本当に税金の無駄遣いだったわ。」

びっくりした。これまでの彼女の印象は、赤い服が似合う華やかな雰囲気、話し方はおだやかで上品な女性だったのだが、そのイメージが全て打ち消された。たとえ、これが本性の一部だったとしても、仕事中に、滅多に会わない他人の前でさらけ出すタイプではなかったと思う。

未だ残っているコロナ禍のストレスが彼女をそうしているのだろうか。

「時間だわ。行きましょう。」

お客さんたちの前に戻ると、いつもの彼女に戻ったので安心した。

この日の観光は、とてもタイトだったが、なんとか無事に終えた。そして翌日、僕らはカウナスに向かった。
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大聖堂のそばにある鐘楼。かつて城壁の一部だった。下部を見ると窓が少なく、城壁の見張り塔であった姿を想像できる。よく見ると、上部分は後から付け足されたものであることが分かる。
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聖オノス(アンナ)教会。16世紀に初めに建てられた赤レンガのゴシック建築。石材が豊かでないリトアニアには、このような教会が多い。その中でも、これは群を抜いた美しさを誇る。ナポレオンがロシア遠征途中で見た時は、「持ち帰りたい」と言ったとか。
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大学内にある礼拝堂と夜明けの門。門の中には、街と旅人を守る礼拝堂がある。長きに渡る時代を経て、立派な教会がたくさんあるということは、地域が栄えていた証拠でもある。だから、旧市街の街並みには見どころが多く美しく、ただ町を歩いていても楽しい。

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湖水地方での宿泊初日。ディナーの後、誰から言い出すともなく、湖畔にあるホテルの庭園にみなさんが集まっていた。晴れた日の夕方の風景を涼みながら楽しみたかったのか、それとも食事中に話し足りなかったのか。

ひょっとしたら、単純に部屋に帰りたくなかったのかもしれない。この日は、とても暑かった。ホテルそのものは、高級ではあったが、クーラーがついておらず、扇風機で暑さを凌がなければならなかった(湖水地方では、わりと一般的)。

もしそうであたとしても・・・まあ、そのおかげで夕景の中の素敵なひとときを楽しめたのだから、不幸中の幸いと言えなくもない。
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ディナー後の湖水地方の風景。湖から吹いてくるやわらかく涼しい風に当たりながら話ははずんだ。

あちこちに話が飛ぶ中で、僕が海外添乗休業中にワクチンコールセンターで働いていたと話したからだろうか。コロナワクチンの話になった。

ツアー参加者には年配の方が多く、彼らの大半は56回接種されていたが、中にはこんな方もいた。

「私は頑張って受けて3回で終わり。副反応がけっこうあったから。」

「副反応がひどかったのに3回も受けたのですか?」

思わず聞いてしまった。コールセンターでは、副反応がひどかったという市民から次回接種の問い合わせがあった時は、医師と相談してから予約するようにお話していた。時には、医師からコールセンターに連絡が来て、「この方から問い合わせが来ても受けないで欲しい」と頼まれたこともあった。

「もちろんお医者さんには相談しましたよ。」

その方は、僕が考えていることを見透かしたように言った。

2回目までは同じのを打つようになっていたでしょ?3回目は別のワクチンをお医者様からすすめられたの。言われた通りにしたら大丈夫だったわ。」

「副反応は?」

2回目ほどじゃないけどあったわ。でも、だいぶ軽かった。」

「副反応が、ある程度あると分かっていても打ちたかったんですか?」

「打たなかったら海外旅行いけないじゃない。」

なるほどと思った。2023429日に水際が撤廃されて以来、ワクチン接種の有無は海外渡航可否に関係はなくなったが、このツアーの発売当初は、コロナワクチンの3回接種、または陰性証明書の提出が必須条件だった。

聞けば、この方は2回目まで接種した後、副反応が怖かったので、それ以降は打たないでいたそうだ。かかりつけ医師もそう奨めていた。ところが、いざ海外旅行に行くとなった時、それが条件になっていたので、慌てて医師に相談したそうだ。

結果、3回目は2回目までと別のワクチンを打つことができたので、そのようにしたという。たまたま医師が、コロナワクチンを扱っていたので、問診も慎重に行って接種した。

「でも、陰性証明書の提出でもよかったんですよ。その選択はなかったんですか?」

「自由行動を潰してまで現地で検査なんて受けたくなかったし、それに、お医者さんも『海外行くなら打ったほうがいい』って仰ってたし。」

そうか。最終的には全てが医師の判断だったのだ。少し安心した。考えてみれば、56回打っていてもおかしくない年齢なのに3回接種で終わっているということは、健康に留意していると言える。医師も3回目を接種することで、海外旅行中の感染リスクを下げようとしたのだろう。

「わかります、それー!」

と話に入ってきたのは、ツアーの中では比較的若いお母さんだ。ツアーには娘さんと参加していた。この二人は、ワクチンを一回も接種していなかった。

「接種した皆さんには申し訳ないけれど、私たちは、なんかワクチンを信じられなくて、打ってなかったんです。海外旅行の条件になっていた時、じゃあ打とうと思ったら、3回接種するには期間が足りなくて、しまったと思いました。なら打たなくていいやって。0回も2回も扱い一緒なんだもの。」

「え?そんな理由で『信じられないワクチン』を打ったり打たなかったりするんですか?」

またもや思わず言ってしまった。お客さんに対して失礼な発言だった。

「やだー、もうごめんなさい。」

お母さんが、少し顔を赤らめた。

「その程度の認識と信念てことですよね。恥ずかしいこと言っちゃったわ。でも、よかったです。水際が撤廃されて。」

「本当ですね。接種の有無より面倒な手続きがなくなったのが一番!」

と言ったのは、たった3人しかいなかった男性参加者の一人だ。

こういう方々もいらっしゃるということだ。それ以外の参加者は、送られてきた接種券の回数分を打っていた。

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友人の紹介で訪れたロンドンのパブ。
最終日。お客さんの案内が終わった後、ロンドンで現地在住の友人と会って、この話をすると、旅行のためにワクチンを打った人に共感していた。

「私もそうだし、周りでも多いよ。旅行のためにワクチンを打った人。」

寧ろ当然という言い方だった。

「最後に意識したのは旅行だったけどね。イギリスは、ロックダウンもその後の行動制限もかなり厳しかった。ワクチンを打たないと何もできないというのはあったよ。だから打たざるを得なかったというのが本音かな。国民の事情は、日本よりも深刻だったかもしれない。日本は制限解除は遅かったけど、制限そのものは緩かったもんねー。」

イギリスでも、行動制限解除後は、ある程度感染の波があり、騒がれなくても国民は認識していたらしい。そのため、56回打った年配者はいるという。

「私は3回だけ。高齢者でないと、それ以上のオファーがないの。ツートン君はどう?ワクチンが添乗に関係なかったら、打った?」

しばし考えたが、たぶん打った。ワクチンのコールセンターで働いていると、どうしてもそちらのほうに思考が傾く。

添乗員でもなく、ワクチン事業にも従事していなかったらどうだったろう。それでもたぶん、打ったかな。3回まではね。実際は4回接種している。

水際対策は、思ったよりも、ワクチンの接種率を上げていると思ったエピソードだった。
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アクリル板がなくなった近所のスーパー。すっきり。
昨日、自宅近くのスーパーに行ったら、妙な開放感を感じて「なんだ?」と思ったのだが、すぐに原因が分かった。今回行った北欧ツアーの前にあったアクリル板が撤去されてていた。

「そうなんですよー。となくなったんですよ。最初はなんだか恥ずかしくて。」

客が少ない時間に訪れたせいか、レジの女性はいろいろお話してくれた。

「あんな板があるだけで、ずいぶんと違うものなんですね。お客様の顔がよく見えるし、店内の様子も遠くまで分かるし。こちらからよく見えるってことは、お客様から自分のことも相手からよく見えるんだと思ったら、なんだか恥ずかしくて。分かりません?」

それまでは、何も思っていなかったけど、言われた途端に恥ずかしくなるから不思議だ。

「でも、これが元の姿なんですよね。普通というか。三年間もアクリル板を立てていたから、それが当たり前になっちゃったけど。」

確かに。そして元の姿になっているのはスーパーだけではない。十日間も日本を離れて帰国すると、街中でのマスク着用率もずいぶんと低くなっているのがよく分かる(暑さのせいもあるのだろうけど)。


一方で、帰国報告に訪れた取引先では、海外添乗員に向けたアナウンスが、盛んに行われていた。

「現地でお客さんや、添乗員でコロナにかかってしまった人がいます。ご自身はもちろん、お客さんの体調管理を徹底してください。移動のバスの中では、マスク着用を協力してもらってください。」

オフィスでは、添乗員のマスク着用は義務付けられている。

 

一見、相反する見えるこれらの動き。認識にかなりギャップがあるような気もする。でも、ちょっと考えてみると、コロナ禍前に季節性インフルエンザが流行った時の動きと似ている。

あの時もそうだった。手洗い、うがいが推奨されていた。日常生活のマスク着用を要請まではいなかくても、推奨くらいはされていた。

 

そう考えた時、今は「コロナに気をつけて」という言い方はやめて、以前のように「体調に気をつけて」という注意喚起のほうが正しく聞こえると思った。日本でコロナは五類になり、世界ではとっくに脅威の対象から外れている。

しかし、だからといってコロナになっていいわけではない。現地で体調を崩して病院に行き、コロナだと発覚したら、直近の航空機には搭乗できない。念のために言うと、季節性インフルエンザも同様だ。搭乗前に発覚したら航空機には乗れない。密室である機内に、簡単に伝染するウイルス性の病気にかかっている人は入れない。これは、コロナ禍の遥か前からそうだった。(ついでに言うと、発熱や下痢の症状がある人も搭乗できない。乾燥した機内で脱水症状の恐れがあるからだ。)

旅行会社の人たちが、添乗員とお客さんの体調管理に神経を尖らせるのは、そこが理由だ。季節性インフルエンザの時は、流行する時期が分かっている冬の時期だけ注意喚起だけすればよかったが、季節を問わずに波がやってくるコロナは、現状ではそうもいかない。それが命の脅威かどうかは別にして、ウイルス性の病気は、航空機を利用する海外旅行にとってはタブーなのだ。

旅行期間における体調管理の重要性は、コロナ禍前後に変わりなしだ。


ちなみに、ツアーで感染者が出たからと言って、それ以降のツアーが中止になったわけではない。そこも季節性インフルエンザの警戒時期の状況とよく似ている。コロナは、注意すべき病気ではあるが、脅威ではないことが、こういうところで実感できる。

そんなこんなで、対照的な様子の一般社会と旅行会社内を見て、日常が戻ってきたんだなあと感じた帰国翌日であった。

 

ところで、唯一変わったと感じるものがある。ヨーロッパの国々でのマスク事情だ。コロナ禍前は、観光中のマスク着用はタブーだった。あちらでは、本当に病気にでもならない限りマスクをしない。国によっては、テロ防止を兼ねてマスク着用を禁止しているところもある。実際、コロナ禍前のヨーロッパでは、かなり怪訝な目で見られたものだ。

今は、していても何も言われないし、「しなくてもいいのに」と言われることはあっても、それに批判の目が向けられることはない。マスクを好む人にとっては、旅をしやすくなったかもしれない。
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「あれ?そう言えば今日は来ていないな。」59日。気付いた僕は、LINEを開いて、あるアカウントを追った。

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東京都-新型コロナ対策パーソナルサポート。

 

コロナ禍が始まって少ししてから始まった、東京都が作成した公式コロナ情報アカウント。そこで毎日チェックしていたのが、都内のPCR検査陽性者数だった。国内添乗中だろうが、海外にいる時だろうが、チェックしなかったことは一度もない。

それが、9日は来ない。「どうしたんだろ」と思いながら僕は、8日分を見直した。そして、納得した。
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「五類移行に伴い、日々のコロナに対する発表は終了」とあった。

「そうか。終わったのか。」と思いながら、僕は胸の奥から、何か重いものが取り除かれたような気持ちになった。「もう気にしなくていいんだ」とでも言おうか。

 

「こんな数字をずっと気にしていたのか?」と嘲り笑う人もいるだろう。

だが、かつての僕には無視できないものだった。第一波がおさまって、すぐに人々が社会の日常化を期待した時、実は、多少なりとも海外旅行業が動き出しそうになった時があった。活発になりかけた欧州の旅行業界に合わせるかのようだった。

デルタ株が収まり、陽性者数が極端に減った時もそうだった。僕の取引先は、ツアー販売の準備を始めていた。だが、2021年暮れから猛威を振るったオミクロン株に、その先の動きを阻まれた。(流石にこの時のショックは大きく、多くの人が業界を離れた)

業界の人々が、どれほどこの数字を意識していたかは分からない。だが、その動向は、まちがいなく反映れていた。僕が、たまに出演を依頼されていたオンラインの旅行イベントも、陽性者数の増減で、ある程度開催のタイミングを計っていたと思う。

旅行の仕事だけではない。ワクチンコールセンターの勤務中もそうだった。陽性者数が増加傾向にある時は、やたら電話の数が増える。それまで静かだったコールセンター内が、急に戦場のようになった。それによって、シフトの変更をスタッフにお願いしたこともある。

もちろん、この数字だけで全てを読んでいたわけではないが、大きなひとつの指標になっていたことは確かだった。

 

その数字の発表がなくなった。そして気付いた。今の僕には、もはや必要ないものだと。

先に挙げた理由で、日々のチェックは必要だったが、それとは別に不要な一喜一憂をしていた自分に気付いた。

その数字に呪われていた自分に気付いた。世界の動向からして、日本でも、ちょっとやそっとの陽性者増で社会の動きが止まることは、もはやない。頭では分かっているのに、陽性者が増えると、また「自分の仕事が止まってしまうかもしれない恐怖」に襲われていた。

多少の増加傾向にある今、コールセンターの電話は増えているらしい。でも、今、それを気にする立場に僕はいない。

そうなのだ。僕は、この数字に憑りつかれていた。呪われていた。身体はコロナに感染したことがなくても、心は感染していたのだ。

「前を向かなければ」と、やたら自分に言い聞かせていたのも、本当は気にする必要のない数字から、余計ものを連想していたからだろう。

 

自分が「呪縛に合っている」と初めて気づくのは、それから解き放たれた時だと今、実感している。

「もう気にしなくていいんだ」とようやく思えた。

陽性者増で、ツアーが中止になることはないし、そんな夢を見ることも、もうないだろう(と願いたい)。
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コロナがいよいよ五類になった。国内で初の感染者が出てから三年三か月。長いトンネルを抜けようとしている。

ニュースでは、「五類になり、なにが変わるのか?」を盛んにやっている。

僕ら添乗員にとっては、なにが変わるのか?

空港での作業が変わる。例えば、受付時に行っていたツアー参加者の検温が今後は実施されなくなる。(既に実施していない旅行会社もあったが、これからは実施する会社がなくなる)

添乗員のマスク着用も義務でなくなる旅行会社が大半だ。

まあ、その程度だ。あまり変わらない。少なくとも僕にとっては、水際完全撤廃のほうが、よほどインパクトがあった。

あとは気分の問題かなあ。二類の病気が身近になくなるという気分的なものは小さくないと思う。

 

ただし、コロナそのものは、これからも罹るべき病気でないことは確かだ。

五類になっても罹患すれば隔離義務はある。季節性インフルエンザの感染が認められたら、隔離義務があるのと同じだ。航空機の搭乗も拒否される。つまり、すぐに出発が控えた添乗にも行けなくなり、迷惑がかかる。「五類になっても大して変わらない」というのは、そういう負の面も含んでいる。

症状が軽くなり、かつてほど死ぬ病気ではないということで五類になり、世間一般の警戒度も下がってはいるが、感染者が増加傾向の今、僕らの警戒度はそれほど変わらない。罹ったら仕事をできなくなるのだから。

 

水際撤廃には歓喜した。二類から五類に変わることに、ホッとしてはいる。

でも、油断できない状態が終わったわけではない。公共交通機関内でのマスク着用などの基本的警戒は続けていく。
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5月にはクロアチア添乗も控えている。体調管理はしっかりとしなければ。
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ブログ更新通知で朝早くから起こしてしまった方々。申し訳ない。でも、朝から騒がずにはいられない。(この記事を書いているのは28日の夜だけど)

2023429日。いよいよ日本入国の水際対策が撤廃される(ただし一部の国々を対象として継続)。

大型連休中の混乱を避けるための前倒しということで、そのあたり「最初から連休前にそうすればよかったんだ」と文句を言っている旅行業界関係者もいるが、そこはまあ許してあげよう。現場での手間が省けることが一番だ。(でも、ワクチン接種三回未満の人が現地で受けるはずだったPCR検査のキャンセル作業は、かなりの手間だろうから文句を言いたい気持ちは分かる)

2020年2月頃からコロナ禍が本格化しだして、2月中旬から3月にかけて欧米、アジア諸国が次々と国境を閉じていき、日本も4月には鎖国状態に。そこから先、時々緩和を試みるものの、しばしばやってくるコロナの波のため、再び厳格化の繰り返し。

20223月から徐々に始まった緩和は、待機期間なし、日本到着72時間前に受けたPCR検査の陰性などをを条件としたものから、同年9月にはワクチンをブースター接種していれば、陰性証明書の提示は不要というところまで来た。
そして、10月には1日あたりの入国者数上限の撤廃。現在に至る。(現地在住の日本人や外国人には、この流れが一部あてはまらない場合もある)

 

長かったなあ。かつては、入国後の隔離期間が14日間もあったことなんてみんな覚えているだろうか。(20204月~2022年1月まで)

諸外国に比べて、極端に長く続いた水際対策は、果たして日本の感染状況をどれほど助けたのか。今は、その検証よりも、海外旅行がかつての「通常通り」になることを喜びたい。

 

なお、ビジットジャパンは今後も推奨される。あれには検疫だけでなく、税関申告の簡易化も含められている。

また、現時点で、僕が知っている旅行会社は全て、現時点でのワクチン接種証明書の所持を、万が一に備えて全ての顧客に案内している。
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ノルウェーのフィヨルド遊覧船乗り場入口にあるソーシャルディスタンスを意識したペイント。コロナ禍前はなかった。パンデミックの名残を感じさせるもの。そのうち消されるのだろうか。
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まだ調整段階ではあるらしいが、58日にコロナが二類から五類になるのに合わせて、日本の入国規制が撤廃される可能性が高い。

五類になったら、法的な水際措置が可能かどうか気になっていたのだが、特例をつくらずに消滅することになりそうだ。

20226月に外国人の受け入れを23か月ぶりに再開し、同9月にはワクチン接種者に限ってPCR検査の陰性証明が不要となった。

10月には入国上限者数の撤廃と世界中の国々のコロナに限った危険度が1に下がった。

その後、MysosVisit Japan webといった検疫を事前に済ませるファストトラックが始まり、今に至る。

この辺りは、また後程書こうと思うが、それらがすべて撤廃される方向で動いている。

 

それに合わせて、国際便の運航状態がかつての状態に戻る、あるいは近づくだろうと言われている。

つまり、よりツアーを作りやすくなる。燃油などの問題はあるが、席数が増えれば航空運賃も下がるかもしれない(ここだけには希望的観測と多大な願望が絡む)。

 

とにかく、海外旅行業において、真のコロナ禍後に向けた大きな一歩になる。43日時点での情報だ。後々思い出せるよう、日にちを記しておこう。
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先月、父の命日に帰国できなかったので、昨日1日に帰省して墓参りしてきた。ついでに彼岸も兼ねて。

往きに浅草で時間が余ったので、浅草寺を散歩したが失敗した。見事な大混雑。そりゃそうだ。絶好の天気と気温、周辺には桜が咲き乱れているのだから。
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いやもう、人、人だった浅草寺とその周辺
それでも根性を出してお参りするまでは辿り着いた。

コロナワクチンに携わってきた期間が長かったせいだろうか。どれくらいの人がマスクをしているのか妙に気になってしまった。今のところ「マスク着用の自由」を活用しているのは、やはり外国人観光客ばかりだ。

「混雑は平気なのにマスクに異常にこだわる状態」は、外国人にしてみると奇妙に見えるかもしれないな。

 

ところで参拝の段取りは、寺と神社では違い、浅草寺は寺だから合掌して一礼後、軽く一礼が正しいのだけど、けっこう手をパンパン叩いてる人たちがいた。間違えているのは、だいたい日本人。

外国人は、ガイドさんに教わっていたり、ガイドブックを読みながら参拝方法を勉強したりしているので、ほぼ正しく参拝していた。なんだか滑稽で笑ってしまった。

外国人、特に欧米の人たちは宗教に関してそれなりに教育さ受けているせいか、宗教施設でのマナーはしっかりしていると感心することがある。ここは日本人も見習うべきではあると思う。

 

地元で墓参りした後は散歩。あちこちで桜がきれいだった。今年も桜を楽しめてよかった。
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足利と門前仲町で、それぞれきれいだった。
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331日。ワクチンコールセンターの業務を終えた。

コールセンターは、そのまま存続するものの事業としてのピークは過ぎたこと、また、スタッフが順調にスキルを向上させているため、リーダーの引継ぎが可能であることをふまえて、派遣元の上司と相談したうえで判断した。

これからは、海外添乗と、今忙しい国内添乗、そして海外添乗に復帰する人たちに対する研修などをしていく。

まだ、コロナが原因での規制が行われる確率は0ではないし、ウクライナ情勢の影響もあるし(寧ろこちらが心配)、コールセンターの仕事から完全に離れるというのは、リスクが低いとは言えない。

ずっとコロナ禍を心配しなければいけない職場環境にいたので、気持ちの切り替えが難しく、半ば自分に言い聞かせながら前に進んでいた部分はあったが、既に何度か出た海外添乗のおかげで、現地の人々やお客さんから勇気や確信をもらった。

リスクを感じても、今は前に踏み出せる。

 

コールセンターの仕事をして本当に良かった。顔を知らない一般市民の受付を繰り返すことは、コロナ禍を肌で実感できた。それに戸惑う人々、電話が混雑する中で予約を取れないでいる弱者を助けるようにして、予約をとって差し上げる人たち。すべてをひっくるめて、コロナ禍でありパンデミックだった。

 

「だった」と過去形にして前に進む。今まで添乗から帰ってきたら、一度コロナ禍に頭の中を戻していたけれど、これからは、すべてを「コロナ禍後」に切り替えていく。
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