マスター・ツートンのちょっと天使な添乗員の話

自称天使の添乗員マスター・ツートンの体験記。旅先の様々な経験、人間模様などを書いていきます。

タグ:スイス

先日、スイスより帰国した。

最近のツアー。特にスイスでは、食事をある程度抜いて自由食にしてある手配が目立つ。今回は、その案内に苦労した。

コロナ禍が始まる前、スイスフランのレートは115円前後だった。それが、現在は167円前後。米ドルやユーロの高騰ぶりはよく騒がれるが、実は、スイスフランも負けずに激しい。というか一番凄まじいかもしれない。

参考までに案内しよう。最終日の夕方、ランチが重かったためか、夕食案内希望者はおらず、僕は一人で中華料理を食べに行った。酢豚、小さなサイズのチキン・コーンスープ、小さなライス、そして0.5lのビール。これで合計39.4スイスフランだ。

「まあ、スイスならそんなもんだな。物価高いし。」と、今の為替が頭から飛んでいた僕は、円換算して驚いた。たったそれだけ頼んだだけで、今の為替レートだと6,600円相当になる。コロナ禍前のレートで計算すると4,500円。それでも十分に高いが、現地事情を知る添乗員からすると「まあスイスだしこんなもん」という感じだった。

ということで、今のスイスにおける物価高は、インフレよりも為替による影響が他国と比較しても多大だ。

 

自由食時に、ただメニューを眺めながらまともに頼むと、食べきれない量が出てくる上に、毎回一万円ほど消費することになる。これはいくらなんでもグロテスクだ。

自由食時は、添乗員の案内を多くの客が期待している。だから、いろいろ工夫した。

例えば、イタリア語圏のサンモリッツでは、イタリアンレストランを選び、量が多い一皿をシェアした。四人一組になっていただき、サラダ、ピザ、パスタ、肉料理を一人一皿の計算でオーダーすると、お客さんは四品を少しずつ楽しめる。量が多い一品だと、途中で飽きてしまうが、四種類の料理となるとわりと量があっても飽きずに楽しめて、すべての皿がきれいになる。支払いは、一人一皿分を支払う計算になるから、20スイスフランほどで済む。円換算で3,300円ほどになってしまうが、イタリアンで四種類の料理を食べるとなると、割高感がけっこう薄れる。

チーズフォンデュは、フランスのシャモニーに行った時に案内した。スイスの周遊ツアーだとモンブランを見るためにシャモニーに行くので、そこを利用した。この辺りは、フランスといえどスイスと共通する料理が多いし、同じチーズフォンデュでもフランスのほうが味がまろやかで日本人向きだ(それを物足りないという人もいるけれど)。そして、わずかにスイスでたしなむより値段が安い。一人20ユーロほど(約3,100円。スイスで食べるより平均して500~1,000円ほど高い)

 

インフレは仕方ないが、円安の間は、しばらくの間このような工夫が自由食の案内では必要だろう。そうしないと、お客さんの次回の旅行に対するモチベーションが落ちてしまう可能性がある。

 

コロナ禍後の旅行現場での努力もいろいろだ。お客さんたち、なんでも添乗員にご相談ください。いつも満足できる回答が得られるとは限らないけど、自分たちで悩んで何もしないよりはましですよ。こと、食事に関しては。
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それでも食事は美味しいものを食べたいし、食べさせたい
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3月2日。東京における新たなコロナ感染者数は12,693人。前週同曜日14,567人を大幅に下回った。前週同曜日を下回ったのは三日ぶり。でも、ほとんど注目されなかったし、僕自身も盛り上がらなかった。

最近のニュースで一番驚いたのは、ロシアへの経済制裁に、スイスが加わったこと。永世中立国なのに!?どちらかに味方するということではなく、侵略行為に対するペナルティということか?

もう一つ。日本がウクライナの難民を受け入れること。「日本に知り合いや親戚がいる人から」というある程度の条件はつくとのことだが、ふだんは、あれだけ難民に塩対応の日本がと、これまたびっくり。いいことだとは思うけど。でも、どうやって来るのだろう。ポーランドから、専用機で飛んでくるのだろうか。

今、自分が生きてきた中では、考えられないほど世界が動いている。コロナ禍も含めて。こんなの、冷戦終了時以来か、或いはそれ以上か。

我がコールセンターでも、大きな動きがあった。小児接種の作業が始まった。いや、これはこれで、僕らの仕事場では、大きな動きだったんだよ。
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僕が帰国してから2週間後、春代さんは帰国された。

貴志さんは、途中で東京在住のお兄さんとジュネーブで入れ替わり。春代さんが都内在住だったから、三人それぞれにとって、それが都合よかったのだろう。(帰国のスケジュールは、保険会社に教えてもらえた。春代さんは、旅行会社を通して保険に入っていた。そういった時は、頼んでおけば保険会社からその後の状態を教えてもらえることもあった。個人情報保護法がある現在は、それが可能かは分からない)

 

さらにそれから二週間後、僕は上司の小野さんとお見舞いにいくことになった。小野さんは、そういったところは本当にマメで、絶対にさぼらない。事前に電話して病院を訪れると、長男のお嫁さんに付き添われた春代さんとお会いできた。彼女は車椅子を利用していた。ここ数日でリハビリが始まったという。

 

当然、僕のことは覚えていない。

 

「この前スイス行ったんですけどね。よく覚えてないのよー。添乗員は、若くてイケメンだったのよ。」

 

ああ、坂巻のことか。事故の前のことは覚えてるんだな。お饅頭を食べながら元気に話しまくる春代さん。そのうちにお嫁さんが、

 

「この方たちにお世話になったんですよ。」

 

と。僕らのフォローをしてくれた。春代さんは、よくわかってない感じで

 

「あら、そうでしたか。どうもありがとうございます。」

 

と、お礼を仰って、喋り疲れたのだろうか。少し静かになった。初めて春代さんを見た時、ひょっとして亡くなっているのではないかというくらい生気がなかった。それが、二日目には貴志さんの呼びかけにこたえ、三日目には、囁くようにだが言葉を発し、小さなあくびをして周りを安心させて・・・四日目にはバナナを食べた。

 

そんな様子が、頭の中に次々浮かんでくる。最後のほうは、僕も何度も挨拶したが、そのたびに穏やかに精一杯それにこたえてくれた。・・・・・・・でも、僕のことは覚えていない。子供っぽいようで恥ずかしいが、やはり少し寂しい。

 

やがて、タイミングを見計らったかのように、お嫁さんが僕に話しかけた。

 

「あの、ツートンさん。これを書かれたのはツートンさんですよね。」

 

彼女の手元には、僕が書いたレポートがあった。貴志さんが春代さんに呼びかけを行った時、僕は必死にそれを書きとめて、まとめたものを会社に送信していた。(このシリーズの④握り返してきた手 参照)

 

帰国する前に、家族の方に容態について訊かれたときに便利かと思い、貴志さんに原本を差し上げたのだった。

 

「はい。僕が書いて貴志さんに差し上げたものです。」

 

「実は、帰国後にこちらのお医者様が、回復の過程を書いたカルテがないと困っていたのです。海外から搬送されてくる患者は、いつも情報不足なんだそうです。そこでこれならありますが、ということでお見せしましたら・・・『こういうのが欲しかった。しかも下手なカルテよりもよほど詳しい。ご一緒された方は、本当に親身になってやってくださったんですね』と、感心されてました。」

 

思わぬところで思わぬものが役に立っていた。

 

「義弟からいろいろ伺っておりましたが、この件で本当にそれを実感しまして、主人と義弟からくれぐれも厚くお礼を申し上げるようにと。私ももちろん、家族全員で感謝しております。」

 

あー・・・仕事が報われるってこういうことなんだろうなあ・・・と、胸が熱くなった。

 

僕は、この件から1年もしないうちに、この旅行会社を退職した。春代さんは、僕の在職中は、その旅行会社のツアーに参加されることはなかった。回復が思わしくなかったのか、家族に止められていたのかは分からない。でも、きっと回復されて、できる範囲で旅行をされたと信じている。

 

ちなみに、加入された旅行保険では治療代の上限3000万円では、足が出てしまったそうだ。春代さんは、クレジットカードを4枚お持ちで、そのうち2枚の補償を、足りない分の補填としてあてた。重症の時、カード保険は、保険の保険くらいにしかならない。疾病と傷害の治療費だけは、なるべく高額になるように設定して海外旅行保険には入りたい。

 

旅行会社時代、前シリーズのモロッコと、今シリーズのスイスの体験をさせていただけたことは、旅行マンとしてのキャリアの中で、とても大きかった。片や保険未加入で、片やしっかりと加入。遺体搬送と重症治療の違いはあるが、保険の有無で、現地での手間がこれほど違うということを、実体験で理解できたのは有意義であった。

 

皆さんにも、2つのケースを今一度ご覧いただいて、保険についてお考えいただきたい。なにも入っていないのは論外。カード保険の方は、治療は疾病と傷害が両方ともついているかを確認されたほうがいいだろう。

 

怪我、病気などでの入院には、時によっては本当に高額な費用がかかる。支払い能力がないと、家族親族にしわ寄せがいく。そういった時に助けてくれるのが保険だ。保険は、自分のためだけでなく、家族のためでもあるのだから。

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スイス最後の風景は、ベルナーオーバーラント。ユングフラウやアイガー、メンヒの風景をたっぷりお楽しみください。

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登場人物

 

マスター・ツートン

スイスでの役割を終えて、ほっとしている熱血旅行会社員。将来の天使の添乗員。

 

春代さん

旅先で、くも膜下出血で倒れたが、見事に回復。

 

貴志さん

春代さんの次男。母親のピンチに日本から駆け付けた。

 

ノイマン先生

イケメンなスイス人医師。言葉通り全力を尽くし、春代さんの命を救った。

 

医療通訳士さん

この日になって、やっと駆けつけてくれた、凛としたハンサムレディ。最初、ちょっと怖かった。でも、通訳内容はさすが。筋金入りのプロだった。ここには書いてないけど、最後はとても優しくなった。

 

 

保険会社に問い合わせた後、僕は、帰国したい旨を貴志さんに伝えた。周囲の状況に問題がなくなってきていたので、彼も快諾してくれた。

 

翌日は、念のため、医療通訳の方とお会いするときに立ち会った。もし、飛行機の席が取れていたら、今日が帰国でもよかったくらい、もう僕のやることはなかったから、「ついで」と言ってもいいくらいのことだった。しかし、医療通訳にはいろいろ訊かれた。とても理知的な女性で素敵な方だったのだが、

 

「どうして旅行会社の方がいらっしゃるんですか?」

 

「依頼されたからです。」

 

「立ち会った時に、どんなことなさったの?」

 

「お医者様の仰ってることを、貴志さんに訳してお伝えしたり、保険会社に電話したり。貴志さん、最初は緊張してたし、国際電話は、簡単にこの電話でかけられるから。」

 

「通訳したって、どんなことですか?」

 

「手術は成功したとか。お歳を召してるから油断ならないとか。呼びかけで、春代さんに手を握るように言ってとか。」

 

なんだか、だんだん彼女の言いたいことが分かってきた。

 

「春代さんへの呼びかけは、治療の一環かもしれませんが、例えば何か重要な選択にあたるようなところでの通訳などはしてません。」

 

彼女も僕が弁解しているのが分かったらしい。その時、日本語を聞き取っていたかの如く、ノイマン先生が言った。

 

「さて、医療通訳の方もいらっしゃいましたし、レントゲン写真などをご覧いただいて、これまでの経過と、これからどうするかをお話しましょう。」

 

「ツートンさん、お聞きになってないんですか?」

 

「なにも。僕は、春代さんの前で医師に言われたことを、貴志さんにお伝えしていただけです。」

 

「ふーん」という顔になった医療通訳さん。表情からは厳しさが消えた。

 

「通訳さん。ツートンさんも、このミーティングに立ち会わせてください。私が無理矢理旅行会社に同行を依頼したんです。彼にも、報告の義務があります。私の意志ということで。ここは日本式でお願いします。」

 

通訳さんは、ノイマン先生にそのことを伝え、僕も同席することになった。

 

「さて、説明はどうしましょうか。みなさん全員が理解できる英語がいいか、それとも・・・」

 

「フランス語でお願いします。」

 

僕が提案した。

 

「ノイマン先生は母国語でお話しください。今日は、それを理解できる医療通訳の方もいらっしゃるし。いずれにしろ、医学用語については十分な理解が英語では難しいから、通訳を通すのが好ましいです。」

 

提案には、医療通訳を立てたいというのもあったが、その有難みを貴志さんにわかっていただきたいというのもあった。また、僕自身の医療用語の理解不足の不安も本当にあった。

 

説明を聞きながら、貴志さんも満足そうにうなずいている。

 

レントゲン写真を見ながら、手術時のことや、思ったよりも早い回復、帰国に関してのスケジュールについて話があった。帰国となると、まだまだ容態の回復が必要だったが、内容はすべて前向きなもので、その時の安心感をさらに高めてくれる結果となった。

 

ミーティングが終わって、僕は、すぐに通訳さんに駆け寄った。

 

「通訳が派遣されれば、僕はすぐに帰国予定だったんです。医療通訳のライセンスのことは知ってましたが、あの場合は仕方なく・・・」

 

「大丈夫よ。ツートンさんがそれを理解しているのは分かりました。今回は、止むを得ない事情があったことも分かりました。これくらいなら問題ありませんよ。私、別にあなたをいじめようとしたわけじゃないのよ。」

 

「ご理解いただいてありがとうございます。」と、言いながら、「えー?絶対に僕をいじめようとしていたでしょ?」と、思っていた。ちなみに本来、医療通訳はライセンスがないと、してはいけない。ただ、呼んですぐに来てくれるものでもないので、この程度の代行は通常は許される。今回のような状況は、なかなかないけれど。

 

全てが終わり、ホテルの最上階にあるレストランで、夕食をとった。

 

「僕ら小役人はね、時々マスコミの取材を受けるんだけどさ、けっこうマスコミはいい加減なんだよ。担当が変わる時に、全然引き継ぎってもんをしないんだよね。次々にスカタンな奴らがスカタンな質問をしにやって来る。」

 

「へー・・・〇○新聞はどうですか?」

 

「あそこは最低です。スカタンが、頭良さそうな振りをしてくる。」

 

「××新聞は?」

 

「まだマシかな。スカタンが、僕はスカタンです。教えてくださーいって感じで来るから。」

 

「△△新聞は?」

 

「あそこは、取材しないで記事を書きます。」

 

「一番まともなのは、やはり※※新聞ですかね。今時のビジネスマンは、みんな読んでますよね。」

 

どれがどの新聞社かは、想像におまかせする。マスコミが国や政治家のことをとやかく書くが、書かれるほうにしてみれば・・・ということなのだろう。

 

「ねえ、遠くに見えるあれ、石灰の採掘場ですね。日本にも四国の○○(地名は忘れた)にね、大規模な採掘場があるんです。日本が唯一、世界に誇れる資源を取れる場所です。ほんと、資源は大切にしないといけない。」

 

「今年のベイスターズは最低だ・・・。優勝メンバーがあんなに残っててなんだよ、あの状態は・・・。」

 

すべてがうまくいっているからだろう。貴志さんは、ビールで顔を真っ赤にして喋りまくった。

 

翌朝、駅まで送ってくれた貴志さん。こんな僕に深々と頭を下げてくれた。

 

僕は、ジュネーブからアムステルダム経由で帰国。アムステルダムに着くと、身も心も軽くなったのを感じた。解放感というよりは、嬉しかったのだと思う。

 

だって、モロッコの時と違う。春代さんは生きて日本に帰ることができるのだ!

 

最後に、今まで誰にも言ってない事実をここに告白しよう。帰りのアムステルダムから成田までのフライトだが、ビジネスクラスでゆっくりさせていただいた。もし、それがご褒美だとしたら、最高のご褒美だった。

 

=おわり=

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帰国後のエピソードを添えたあとがきが、次回にあります。

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ゴルナーグラート山頂にて。日没後、周辺の風景はしばらくして濃紺になる。これはこれで幻想的だ。

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クライネシャイデックの朝焼け。シルエットはブライトホルン。

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ユングフラウヨッホの展望台。雪原に出て景色を楽しむこともできる。
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インターラーケンから眺めたユングフラウ。
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場所は忘れたが、どこかの休憩所で撮影した写り込み。湖が見えて湖面が静かだったら、すぐに写り込みを探そう。きれい写真は、有名な山でなくてもお撮りいただける。













登場人物

 

マスター・ツートン

スイスで倒れたお客様の家族の渡航を助けた熱血旅行会社員。後の自称天使の添乗員。

 

春代さん

旅行先で倒れたが、見事に回復。でも、重症には変わりない。まだまだ要安静。

 

貴志さん

春代さんの次男。母親の危機に日本から駆け付けた。

 

ノイマン先生。

イケメンのジュネーブの医師。うっかりドイツ系の仮名をつけてしまったが、フランス系のスイス人。

 

保険会社の方

親切にいろいろ教えていただきました。やはり保険は大切ですね。

 

 

ジュネーブに来て4日目、水曜日。

 

またもや、朝6時1分に小野さんから電話がかかってきた。

春代さんの回復、医療通訳の派遣など、状況が改善されたのであれば、僕は帰国してもいいだろうということになった。翌日木曜日の便に空きはなかったが、金曜日には空きがあるということで、とりあえずそこで席をおさえた。「タイミングを見て、帰国のことを申し出るように」ということになった。

 

この日の午前中、春代さんは集中治療室から一般病棟へ移されることになっていた。その作業があるから、僕らの“出勤”は午後からだとノイマン先生に指示されていた。

 

貴志さんと二人で相談して、この日の午前中は自由行動にした。彼もゆっくりしたかったことであろう。だが、いきなり朝食のレストランでばったり会ってしまう。あえて、離れたところに席をとって食べていたのだが、なんだか、こちらの方をちらちら見ている。

 

気になるので声をかけた。すると、

 

「あの・・・観光行きませんか?」

 

「え?」

 

「いや、どっか連れてってくんないかなぁ・・・。母親はだいぶよくなったし、ちょっと息抜きしたいというか・・・ねえ、だめですか?」

 

そう言った彼の手にはガイドブック『地球の歩き方』があった。ニヤっとした僕を見て、

 

「いや、もし一人で来ることになったらさ、公共交通機関の乗り方くらい覚えなきゃって思って・・・、空港で買ったんです。これしかなくて。」

 

照れくさそうに言い訳している。おそらく、その理由は本当だろう。あの状況で、観光用にガイドブックを買う人なんていない。

 

「いいですよ。ご案内しましょう。」

 

昨日の春代さんの手を握って、祈るような仕草をしている彼を見たら、それくらいは案内してもいいと思った。ジュネーブは、観光地としては、大したところではないが、大きなレマン湖に面している。幸い、ホテルは町のど真ん中。移動には便利だった。

 

徒歩とタクシーを組み合わせて湖畔を案内した。午前中の日差しが気持ちよい。

 

やがて、湖を眺められるカフェに腰を下ろす。

 

「うーん・・・。きれいだなぁ・・・。母はなんでこんなきれいなところで倒れたんだろ。ねえ?」

 

貴志さんは、手元ににあるレマン湖周辺の地図を眺めていた。

 

「あれ?Evianて地名があるけど、これってミネラルウォーターのエビアン?」

 

「そうですよ。フランスでは有名な高級リゾートです。」

 

「あ、そうか。反対側はフランスか。」

 

この滞在中では初めて、スイスの日差しを浴びて空気を味わったあと、ランチを食べて午後、病院に向かった。

 

春代さんは、広々とした、陽あたりの良い病室で寛いでいた。体を起こして、外の緑を眺めていた。昨日よりも大きく目を開けている。

 

大きな部屋に、他に患者は一人。VIP待遇のようだ。

 

「ここはね。集中治療室に準じた部屋なのです。何かあっても患者を動かさないで、集中治療室並みの機器を運んでこれます。」

 

看護師が説明してくれた。

 

春代さんがこちらを見た。

 

「タカ・・・シ・・・」

 

貴志さんの名前を呼んだ。

 

「何?どうしたの、母さん!」

 

駆け寄る貴志さん。すると春代さんが、

 

「バナナを・・・食べたい・・・。」

 

僕が看護師に声をかける前に、貴志さんは、「バナナ・プリーズ!いや・・・バナーナ・プリーズ!!」と、自分で看護師にバナナを頼んだ。(なぜかバナナはそこにあった)彼女が持ってきたバナナを、すぐに自分の手に取って皮をむき、春代さんの口元に持っていった。ようやく口を動かせるようになったばかりの春代さんが、バナナを丸ごとかじれるわけないのに。

 

看護師さんも、同じことを思ったようで、クスクス笑いながら、ナイフでその場で輪切りにして皿に盛ってくれた。貴志さんは、それを小さなフォークで、丁寧に春代さんの口に運んだ。春代さんは、ゆっくりとバナナを味わっていた。

 

「おいしい?母さん、おいしいだろ?」

 

「ん・・・甘くない・・・。」

 

「あ・・・甘くないってなんだよ!バナナはバナナだよ!!」

 

貴志さんが大きな声で言った。看護師がびっくりして、何を話しているのか僕に聞いてきた。バナナが甘くなくて、文句を言ったのを、貴志さんが叱ってると伝えたら、苦笑いしながら、

 

「次は、甘いおいしいバナナを持ってきますね、春代さん。」

 

と謝っていた()

 

バナナの文句に対してムキになっている貴志さんを見て、これがいつもの親子の会話なのか。ようやくいつもの親子の会話が少しできるようになったんだと、ちょっと感動した。

 

親子水入らずで、過ごしていただこうと思い、僕は病院を出て保険会社に電話をかけた。

 

今後の手続きについて、説明を受けたかった。優しく、事務的に説明してくれた。事務的と言うと、聞こえは悪いが、この場合はとても大切なことだ。サービスの内容を正確に把握するには、感情をこめずに、事務的くらいがよい。

 

「まず、航空券は弊社で用意します。今、取ってあるお客様の元々のチケットは、破棄していただくことになるでしょう。」

 

患者の搬送を決定するのは、主治医、つまりノイマン先生だ。移動させても大丈夫だと判断できるようになったら、条件を保険会社に提示する。「まだ決定事項ではありませんが」との前提で、保険会社の方は話してくれた。

 

今回のパターンだと、まず、患者が完全に横になれる座席が条件になるという。そして医師と助手それぞれの座席、必要な医療機器を置けるスペースがあるかどうか、そしてそれらを使って作業できるするスペースがあるかどうか。乗り換えの時の空港の設備や手順に問題はないか。

 

このような条件を満たす航空会社を保険会社が探して、医師と話し合いながら、より良い条件で搬送が実現するのだという。

 

なるほど・・・つまり、ここから先は、それぞれのスペシャリストがいるわけだ。

 

ついでに、スケジュールが埋まっていた医療通訳は、この日の午後から来る予定であったが、仕事が伸びて翌日の午後から来ることになった。日本人で、医療通訳のライセンスを持つ人間が、ジュネーブに住んでおり、ようやく来てくれる。

 

これらの流れは、僕の役割が終わったことを意味していた。

 

それにしても、旅行保険てすごい。ここまでやってくれるのだ。せっかくだから、スイスから搬送されたその先のことも述べておこう。日本に到着すると、保険会社が契約している病院に搬送される。成田で待っている車も医師も、すべて保険会社が手配してくれる。その後、本人が希望すれば行きつけの病院に移れる。

 

「いやあ。まさにいたれりつくせりですね。お忙しいところ申し訳ありませんが、もう少し教えていただきたのです。」

 

春代さんは、高齢であることと、持病があったため、傷害・疾病の治療費は未制限で設定できず、3000万円までとなっていた。

 

「シャモニーからジュネーブの搬送でしょ。集中治療室の利用と・・・その後の病室もかなり・・・。それから日本への搬送もかなりかかりそうですよね。3000万でおさまるんですか?」

 

「どうでしょうかねえ・・・。」

 

「その場合はどうなるんですか?」

 

「他に入ってる保険がありましたら、それで補填することができます。」

 

「クレジットカードとか?」

 

「そうです。もし、オーバーしてしまった場合、補填の手段はこちらからご案内します。今の時点ではまだお知らせしないでください。」

 

なるほど。いろいろ便利にできている。それにしても、もし、今回のケースで保険に入っていなかったことを考えると、ゾッとする。

 

「普通の方には、支払いは難しいでしょうねえ・・・。」

 

僕は、入社してすぐの研修を思い出していた。確か、旅行保険についても習った気がする。

 

「保険は任意だけど、君たちが海外旅行に行くときは必ず入れ。入らないで渡航して、もし重症になったらむしろ死んだほうがいい。生き残ったほうが、家族が不幸になる・・・そういう状況は保険なしだとありえるから。」

 

入社当時の乱暴な教えが、この時は重く心に響いていた。同時に、4年前にお客様がモロッコで亡くなり、その遺体搬送に向かった時のことを思い出していた。

 

保険の有無による差というものを、書面でのお勉強ではなく、僕は現場で実感していた。

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ツェルマットからゴルナーグラートに列車で上がり、その下にあるローテンボーデン周辺を歩く。湖畔ではマッターホルンの他に、モンテローザなどの映り込みも見られる。




登場人物

 

マスター・ツートン

春代さんの回復を、心底喜んだ熱血旅行会社員。将来の自称天使の添乗員

 

春代さん

旅先で、くも膜下出血で倒れるが、ジュネーブの病院に入院後、劇的な回復を見せる。

 

貴志さん

春代さんの次男。重症な母親のため、日本から駆け付けた。

 

ノイマン先生

丁寧な治療とアドバイスで、僕らの絶対的な信頼を勝ち取る医師。貴志さんが男性でよかった。女性なら、間違いなく恋に落ちている。というくらいのイケメン。

 

 

小野さんは、思った通り朝6時1分に電話をかけてきた。僕は前の日の晩は、レポートを早めに仕上げて東京に送り、10時前には就寝したから、かなり疲れが取れており、結果的にいいモーニングコールだった。

 

「おお!ツートン!よかったなあ。」

 

彼は、僕のレポートを読んだうえで電話をくれていた。春代さんの回復は、部署内で共有されていたようで、雰囲気も明るかったらしい。一方で、医療通訳の手配に保険会社がとまどってることについては、

 

「まあ、バカンスシーズンは、日本のお盆みたいなものだから。」

 

と、僕と同意見であると同時に、

 

「一番観光客が多い時に、みんながバカンスってのもおかしな話だよな。」

 

と、不満を言った。なにはともあれ、「お客様第一」ということで、貴志さんが「もういい」と仰らない限り、医療通訳が派遣されるまではご一緒するようにという指示を受けた。

 

この日は、ジュネーブ滞在の3日目の火曜日。春代さんは、さらに回復した。貴志さんの手を握り返す様子が、傍から見ていても力強くなっているのが分かる。

 

「もう心配ない。」

 

誰もがそう思った夕方にはうっすら目を開けた。そして、なにか小さな声で呟いた。ノイマン先生が、何を言ったのか気にしている。

 

「どうしたの、母さん!頭が痛いって言ったの?そうだったら手を二回握って。」

 

春代さんは二回、貴志さんの手を握った。

 

「母さん、頷ける?」

 

これは、医師の許可を得ていない貴志さんのアドリブだった。でも、ノイマン先生は止めない。むしろ、できるかどうかを確かめるように、身をぐっと乗り出した。

 

春代さんは、小さく頷いた。そして小さなあくびをした。

 

ただのあくびだ。でも、それがどんなにその場にいた人たちの心を、ほぐしたことだろう。

 

ノイマンさんは、拍手で祝福した。

 

「春代さんは素晴らしい!よし!!明日、集中治療室から一般病棟に移しましょう。」

 

貴志さんは、破顔一笑でノイマンさんの方を見た後、春代さんの手を両手で握ったまま、祈るような仕草を取り、しばらくそのままでいた。きっと母の無事を、心から感謝していた。

 

周りの人間が静かに見守る中、貴志さんは手を離して立ち上がった。時計は午後の5時を回っている。

 

「今日はもう終わりですね。ツートンさん、帰って乾杯しましょう!紹介したい友人がいるんです。」

 

貴志さんには、ジュネーブ在住の友人がいた。高校と大学を通しての親友だそうだ。日系の企業の人かと思いきや、有名な国際機関のひとつだった。国連機関を含めて、ジュネーブには15以上の国際機関があるが、その中の有名どころのひとつだった。

 

「それほど大切なお友達とお会いになる時に、僕がご一緒したら邪魔なのでは?」

 

「いや、向こうも会いたがってるんですよ。そんな親切な旅行会社の人だったらいろいろ話を聞いてみたいって。」

 

忘れていたが、貴志さんたちは、首都圏でも有名な進学校を経て、一流国立大学を卒業したエリートだった。役人や国際機関の職員などが、当たり前のようにOBにいらっしゃる人たちの集まりだ。そう考えると興味がわいてきた。日本にいたら住む世界が違う人たちだったから。

 

果たしてご一緒させていただいた時間は楽しかった。テレビドラマや映画で見るエリートは、えらそうな人が、えらそうに、えらそうな会話を皮肉たっぷりに話す。

 

本物のエリートは(少なくとも彼らに限って言えば)、えらそうな話を、いい意味で普通に話す。会話のテンションで言えば、普通のサラリーマンが「あそこの部長はいい人だけど、課長はムカつくよな。一番よかったのは、受付の女の子だよな。かわいかったなあ。あ、帰りに一杯いかない?うまい焼き鳥屋みつけたんだよ。」というテンションで国際政治について話す。

 

勉強したことを、力をこめて話すのではなく、自然に話す。つまり、とても聞きやすい。僕は、必死に彼らの話を記憶した。間違いなく自分の仕事に役立つと思ったからだ。少なくとも、当時の自分の勉強ではたどり着けない内容だったから余計に楽しかった。

 

お二人が話した後は、僕にも喋らせる。話し上手な二人は、聞き上手でもあった。スイスの観光事情や周り方、そのほかの国々の観光地について、そして、なにより添乗員の仕事に興味を示した。訊かれたことには全てを話したあと、

 

「面白いですか?」

 

「面白いですねえ。現場に立ってる人の話って興味深いです。でも、やはり・・・仕事ですね。華やかで楽しそうに見えても。」

 

「そりゃそうですよ。」

 

「いや、それでも、いろいろなところに行けていいなあ・・・とは思ってしまいますね。我々一般人は。でも、あれですね。隣の芝生は青いですね。」

 

「そうですね。僕から見たら、役人や国際機関の職員なんて、やりがいの塊のような仕事で、うらやましいけど。でも、これを言ったら、『隣の芝生が青い』って言われますね()

 

「そりゃそうだ()

 

この会話の中の「隣の芝生は青い」には、「そんなに甘くない」や「そんないいことばかりではない」、という意味合いだけでなく、お互い自分たちの仕事に対して「やりがい」が含まれていたと思う。例えば、添乗員を含む旅行の仕事のやりがいは、必ずしも「いろいろなところに行ける。様々なものを見られる」というとろにとどまらない。そこだけを見られると、確かに「隣の芝生は青い」で終わる。僕らの仕事の真の面白さは、その先にある。

 

楽しい夜だった。貴志さんには、現地の友人を紹介していただけたことで、間違いなく信頼していただいてると確信した。

 

部屋に帰った僕は、日本にレポートを書いた。

 

春代さんの劇的な回復具合。次の日からは、いよいよ医療通訳が派遣されるといった報告のほか、そろそろ僕の役割が終えてきているのではないか?などの意見も添えた。

 

そして、朝六時まで寝ることを、最後に太字で書いて送信した。

 

友人と貴志さんを交えた三人の会話内容は、ここでは細かく書かない。自分の言葉に変えて、スイスのツアー時に、バスの中でのネタに使わせていただいているから、その時にでもお話ししよう。非日常の苦労で手に入れた知識なので、安売りはしたくない。

 

僕の案内でスイスを旅されたら、必ず聞ける話なので、それまでのお楽しみということで。

 

あと二話。このシリーズは続きます。

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ウェンゲンという街の同じ場所から異なる時間に撮影したユングフラウ。一枚目は夜。左上に見える光は月。iPhoneで撮影すると、実際よりも明るく写る。
二枚目は、日の出直後に赤く染まったもの。

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標高が高いスイスにもブドウ畑がある。上がレマン湖畔。下がヴァリス州。ツェルマットからローヌ谷に出て、フランス方面に進んでいくと見える。




登場人物

 

マスター・ツートン

母親を救うべく、日本から駆け付けた家族を全力でサポートしている熱血旅行会社員。後に天使の添乗員となる・・・予定。

 

春代さん

モンブランを眺める展望台で倒れる。後にくも膜下出血であることが確認され、ジュネーブの病院に搬送された。現在、集中治療室で24時間体制で療養中。

 

貴志さん

春代さんの次男。母親のピンチに日本から駆け付ける。

 

ノイマン先生

常に適格な助言をくださる医師。年齢は30台半ばくらいか。背が高く、やや細身。「お医者様」や「先生」というよりも、「ドクター」という呼び方が似合うような気がする。ここでは、今さら直すのが大変なので、ノイマン先生と呼ぶことにした。

 

 

「お母さん!聞こえる!貴志だよ!」

 

必死に貴志さんは、呼びかけを始めた。何度か呼びかけた後、一度、ノイマンさんは、貴志さんを止めた。

 

「反応は?春代さんの手に力がはいったりしてますか?」

 

「はい。握り返してきている感触が、わずかですがあります。」

 

「よし、今度は『聞こえていたら二回手を握って』と言ってみてください。」

 

貴志さんが、そうやって呼びかけた。果たして反応は・・・?病室が緊張感に包まれた。

 

「ノイマンさん、二回握りました!」

 

貴志さんは、自分で英語で答えた。ノイマン先生は、深くうなずき、「GOOD!」とつぶやいた。それからは、休み休み声をかけた。その度に反応を確かめ、ノイマンさんと貴志さんは、コミュニケーションを取った。

 

僕は、その反応をいちいちノートに書きとめていた。

 

9:08 最初のよびかけ。反応あり

9:10 医師の指示で、2回握り返すように呼び掛けて、その通りに反応あり」

 

と、いったように。

 

個人情報にうるさい現在では奇妙に感じるかもしれないが(この案件は、個人情報保護法施行の前)、このケースでは、こういった状況を会社に報告する必要があった。付き添いで社員が同行しているのに、日本にいる社員の誰も実態を把握していないのは不自然だ。

 

それに、時差などの関係で、日本の家族がスイスと連絡を取りにくい時は、会社に現地の様子を家族が問い合わせてくる。病室での滞在中、携帯電話の通話はスイスでも禁止されており、電源を切らなくてはいけなかったから、日中はこちらから連絡しない限り、日本側が僕らとコミュニケーションを取るのは難しかった。しかし、このレポートを日本に送って、部署の人間が内容を把握しておけば、日本のご家族も貴志さんの連絡を待たずに春代さんの容態を聞くことができたわけだ。

 

ランチの時間になって、一度休憩だ。病院のカフェで、僕と貴志さんは、食事を取った。

 

「母は、きっと大丈夫です。」

 

独り言のように彼は言った。そして、まずいサンドイッチを頬張り、コーヒーでそれを流し込んだ。なかなか豪快な食べ方だ。母親は、絶対に自分が助けるという、強い意志が体中にみなぎっているように見えた。

 

「時間だ。行きましょう、ツートンさん!」

 

足早に病室に向かう貴志さん。いい家族だな。彼の後姿を見ながらそう思った。

 

午後一番、病室に入ってノイマン先生の指示待ち。その時、一瞬焦る出来事があった。なんだか心電図の様子がおかしいのだ。あれ?と思って見ていると、心拍数がどんどん落ちて、止まりそうになってきている。

 

「!!!!」

 

僕は、すぐに病室の緊急ボタンを押した。男性看護師の一人がすぐに飛んできた。

 

「どうかしましたか!?」

 

「心電図と心拍数の様子が・・・」

 

説明すると、すぐに看護師は春代さんのそばに駆け寄り、軽く胸をたたきながら、

 

「マダム!マダーム!!」

 

と強く呼びかけた。するとみるみる数値が元に戻ってゆく・・・。

 

「ノイマン先生がおっしゃったのは、こういうことです。春代さんは、順調に回復していますが、ご高齢だし、何があるか分からない。だからすぐに何にでも対応できるようにここ(集中治療室)にいます。びっくりしたでしょうけど、容態が安定するまでは、たまにあることです。心配いりません。」

 

説明が終わると同時に、ノイマン先生が帰ってきた。看護師から報告を受けて、「念のため」と、僕らに言い聞かせてから一通りの数値の確認、瞳孔の様子などを見て、問題ないとしたうえで、再度、貴志さんに呼びかけをするように指示した。

 

気を取り直した貴志さんは、午前と同じように呼びかけを繰り返した。わずかだが、確実にこたえる春代さん。休み休み間隔をあけながら、何度も何度も繰り返す。ノイマン先生は、精神面も含めて貴志さんが呼びかけに慣れてくると、常時その場にいることはなくなった。

 

午後4時ちょっと前、30分ほど席を外したノイマン先生が帰ってきた。呼びかけを繰り返す貴志さんを、僕らは二人で見守った。僕は、相変わらず二人の様子をメモにとりながら、ノイマン先生に小声で質問した。

 

「手を握り返してくるというのは、春代さんには意識があるということですか?あれくらいの動きしかできなくても?」

 

「そうですね。貴志さんの言うことが聞こえてるから、言われた通りの動きができるのです。いい傾向ですよ。」

 

「へー・・・。では、目を開けて会話できるようになった時、このことを覚えてるのですか?」

 

「それはまた別の話ですね。覚えてるという人もたまにいるようですが、覚えていないのが普通です。意識があるから記憶される、というものでもないから。」

 

「お酒を飲みながら話したことを、覚えてないのと同じですか?」

 

冗談めかして訊くと、「え?」という顔をした後、ノイマン先生はクスクス笑い始めた。

 

「ちょっと違うけど・・・脳の記憶を管理する部分が、働いてないって意味では同じかな。」

 

そんな会話をしているうちに、貴志さんはこちらに顔を向けた。

 

「どうしましたか?」

 

「あの・・・母の反応がまったくなくなりました。」

 

「そうですか。」

 

午後5時手前になっていた。4時過ぎくらいから反応が鈍くなってきたという。ノイマンさんは、再び数値や瞳孔を確認した。

 

「眠っています。」

 

と、貴志さんを安心させるように言った。

 

「貴志さん、疲れたでしょう?お母さんも同じくらい疲れたんですよ。今日はもう、休ませてあげましょう。」

 

貴志さんは、大きく息をした。ため息ではない。とてもほっとしたような、前向きな呼吸だった。

 

 

僕らは、帰り道にホテル近くで、簡単な夕食を済ませようとカフェレストランに入った。

オーダーするものが来る前、お預かりしていた保険証書を手元に置いて、保険会社に電話した。せっかく同行しているのだから、貴志さんには、春代さんの看病に集中していただき、諸々の手続きは、なるべく僕が行うようにしようと、今朝決めていた。

 

気になることがひとつあった。このように、病院での治療や入院が必要なほど重症になった場合、保険で医療通訳を雇うことができる。今回も依頼していたのだが、それに対しての返答がまったくなかった。

 

「申し訳ありません。今、バカンスシーズンで稼働している通訳の数が少なくて・・・派遣できるのは2日後になります。」

 

「2日後?依頼してから4日後ですか?こちらは集中治療室に入った重症患者ですよ。」

 

「いや、本当にいないのです。旅行会社の方ですか?今回付き添いでいらっしゃってるんですよね?私たちも助かってます。」

 

「・・・・・もし、僕が帰ればサービスの提供が早まるのですか?」

 

「いや、そういうわけではありませんが・・・。」

 

いろいろ伺ってみたが、どうやら2日後には、確実に来てくれるようだ。「バカンスシーズン」というのは、日本語でいうところの「お盆」みたいなものだから、本当に人がいないのだろう。僕は、それを貴志さんに告げた。すると、

 

「うん。分かりました。2日後に来てくれるならいいでしょう。今は問題ないし。」

 

と、すぐに理解してくれた。

 

「問題ないですか?」

 

「ないですよ。今は。それにしても・・・いやあ、ツートンさんに来ていただいてよかった。」

 

「お役に立ててますか?」

 

僕は、本気で伺った。一応通訳しているが、貴志さんは医師の英語を、おそらく大半聞き取っていた。そういう状況に置かれれば、彼は自分で事を進めていける能力を持っていたと思う。

 

「英語は勉強しましたけど、今の職場では必要ないんです。そうい環境にしばらくいたことないんですよ。久しぶりの実戦が、重症患者の医療現場というのは、大変ですよ。最初のほうは、母の様子ばかりが気になって、ノイマン先生の言葉が全然耳に入ってきませんでしたし。」

 

なるほど。それは確かにそうだろう。大変な思いをされてる貴志さんには申し訳ないが、自分が役に立ててると思うと、少し嬉しかった。お互いに疲れていたので、さっさと夕食を済ませて部屋に向かった。まだ夜の8時にもなっていない。7月のスイスだから、空はまだ明るく青い。それでも眠かった。

 

「ツートンさん、明日、今日よりもよくなってたら乾杯に付き合ってください。そんな気がするんです。」

 

「ええ。もちろん!」

 

二人ともそれぞれ部屋に戻り、僕は会社あてにレポートを作成した。昼間書いた殴り書きのようなメモを清書して、医療通訳の派遣が2日後ということを添えた。順調に回復というニュアンスの文書に仕上げて、最後に太字で「明日は、朝6時まで寝ます。」と付け加えた。

 

所属長の小野さんは、なにか気になったら時差もなにもおかまいなしに電話してくる人だった。待てないのだ。以前、現地でトラブルがあった時、何度夜中に起こされたことか。つまり、僕は安眠するための予防線を張ったのだ。

 

果たして、その効果はあった。あの、待てない小野さんが翌朝電話をかけてきたのは、朝6時1分だったのだから。


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サンモリッツ近郊にあるディアボレッツァ展望台から眺めたベルニナ・アルプス。マッターホルンやユングフラウのような超有名な山はありませんが、間近に左右に広がる大パノラマを見られます。
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面白いのは、この二枚目と三枚目。展望台にはレストランあります。窓の向こうにアルプスが見えるが、実は窓に映ったもの。これは、実物よりも、写真に撮ったほうがはるかに面白い。

登場人物

 

マスター・ツートン

このブログの筆者。今回は、スイスで倒れたお客様のため、そのご家族のお供でジュネーブに来ている。天使の添乗員になる前、熱血旅行会社員時代のお話。

 

春代さん

フランスのシャモニーで倒れて、ジュネーブの病院に搬送されてきた。くも膜下出血ということが分かり、手術後は集中治療室に入った。

 

貴志さん

春代さんの次男。春代さんが重症のため、急遽日本からスイスに飛んだ。

 

小林さん

現地手配会社のスタッフ。

 

ノイマン先生

春代さんを担当したお医者様。

 

 

「手術は成功です。」

 

ノイマンさんは、話し始めた。ただし、笑顔はない。まだ手放しでは喜べない。成功したというよりも、失敗しなかったというニュアンスのように聞こえた。

 

「発見が遅れたために、かなりの手術時間を要しました。そのうえ、ご年配です。このまま回復されるとは思いますが、今の時点では、まだなんとも言えません。」

 

僕を介して貴志さんが聞いた。

 

「助かる可能性と助からない可能性はどちらが高いのですか?」

 

「全力を尽くします・・・!」

 

静かに、でも力強くノイマンさんは答えた。ここでは、たぶん大丈夫だよ、というニュアンスに聞こえた。母と、少し二人でいたいと貴志さんが言うので、僕とノイマンさんは外に出た。

 

集中治療室の外に出ると、ノイマンさんが不思議そうに尋ねてきた。

 

「あなたは、家族ではないのでしょう?」

 

「はい。私は、旅行会社の者です。浅倉さんに依頼されて来たのです。」

 

ますます不思議そうな顔をしている。うーん・・・という顔をしているので、どうかしたかと逆に尋ねてみた。

 

「いや、先ほど代理人と仰ってましたが・・・日本ではどうか知りませんが、スイスでは、このような場合家族以外の方が、病室に入ることはないんです。私たちには、患者に対して守秘義務というのがあって、病名や症状などは、一切口外してはならないのです。」

 

日本でも似たようなもんじゃないかな、と思いながら、僕が来ることになったいきさつを説明した。僕だって、来たくて来たわけじゃない。

 

やがて、貴志さんが病室から出てきた。

 

「ツートンさん、先生にちょっと聞いていただけませんか?」

 

クールに言いながら彼は質問を始めた。

 

「発見が遅れたのはなぜですか?」

 

「一番の理由は、シャモニーの病院に検査設備が整っていなかったということです。患者さんは、昏睡状態に入る前には、普通に動いていたそうです。昏睡状態に入って、すぐに検査できる状態にあったら、もう少し早く処置できたかもしれませんが、その間に搬送という作業が生じてしまった。」

 

「シャモニーの医師と・・・その、ツアーの添乗員の処置は適切だったのででしょうか?」

 

一瞬だけ、チラッと貴志さんの視線がこちらに向いた。それは僕の目よりも胸にグサッときた。単なる質問だったのだろうが、矛先がこちらに向けられたような気がした。

 

「添乗員が、春代さんをすぐに病院に連れていったから、シャモニーの医師は、異変に気付けたのです。添乗員は、お客さんのことを精一杯気遣ったと思います。シャモニーの医師も、異変を感じてからは、素早い処置をした。適切だったと思います。」

 

「母は、標高3800mの展望台で倒れたと聞いています。高山病で倒れて頭を打ったせいで、クモ膜下出血になったのですか?」

 

「その可能性もありますが、その逆に、突発的にクモ膜下出血を起こしたために、倒れたことも考えられます。今となっては、どちらか判断できません。」

 

「・・・分かりました。最後に、発見が遅れたというのは手遅れということですか?全力を尽くすというのは、助からないけれど、できることはする、という意味ですか?」

 

きわどい表現で、僕も正確に訳せたかどうか分からない。僕にとっても、ノイマンさんにとっても、英語は母国語ではないのだし・・・。ニュアンスを込めるのが難しいので、僕はそのままストレートな表現で訳した。お読みになっていてお分かりだと思うが、貴志さんの質問は、丁寧で細かい。そして、同じ内容の質問を、言葉を変えてしてくる。わずかなブレも見逃さないようにしているようだった。

 

・・・少々の沈黙が流れた。そして、ノイマンさんは、優しく頷いて、落ち着きなさいという素振りを見せた。

 

「手遅れではありません。発見が遅れたというのは、手術時間が長くなった理由のひとつとして考えてください。助かる可能性は十分にあります。今晩中に容態が急変しなければ、回復に向かうと思っています。ただ、かなりお歳を召してますから。何があるか分かりません。今夜は、交代で看護師が様子を見守ることになっています。あなたたちも、長旅で疲れたでしょう?今日は、もうホテルでお休みされたほうがよろしいですよ。」

 

最後のノイマンさんのこたえは、最初に彼が言った「回復すると思うが、まだなんとも言えない。でも、全力を尽くす」という言葉の意味を、十分に説明しているものだった。

 

納得した顔で、貴志さんが僕の方を見た。僕は頷いて、

 

「帰りましょう。何かあったら知らせてくれるはずです。貴志さんも休まないと。春代さんがよくなっても、貴志さんがお体を壊したらなんにもなりません。」

 

「そうですね・・・。ノイマン先生、よろしくお願いします。」

 

「お二人とも、明日は朝9時に来てください。ここからは、家族の方の協力が必要なんです。」

よく分からずに、はい、と返事をして僕らは病院の出口に向かった。

 

小林さんは、ずっと集中治療室の前で待っていた。僕らと出口に向かった彼女は、震えているように見えた。待たせてあったタクシーに乗ってホテルに向かった。チェックイン後、先に貴志さんには休んでもらい、僕は、小林さんと少し話をした。

 

「お疲れ様でした。案内をありがとうございます。助かりました。日本から電話した時は、いろいろキツイこと言ってすいません。もっと・・・そのベテランの声のように聞こえたもんだから・・・。」

 

「はい。声が低いせいで、電話ではよく30代に思われるんです。・・・本当に、気がきかなくてすいません。土曜日で、スタッフもあんまりオフィスにいなかったので・・・。本当にごめんなさい。ツートンさんは、何ひとつひどいこと言ってません。私が全部悪いんです。」

 

詳しく聞いてみると、彼女はまだ23歳だった。短大を卒業して、こちらへ旅行でやってきて、その時に知り合ったスイス人男性と仲良くなり、その後結婚してこちらに住んでいるのだそうだ。旅行の仕事は、まだ初めて1年経っていないという。

 

あの若さで1年経っていないとしたら、その仕事ぶりは立派なものだった。経験不足のせいで、要領が悪いのは仕方ないが、ガッツあふれる仕事ぶりだった。ずっと半泣きだった彼女もまた、今回のトラブルに振り回されながら、春代さんのために頑張ってきたのだと思うと、逆に感謝の気持ちがわいてきた。

 

「今日も遅くまで対応していただいてありがとうございます。今後もよろしくお願いいたします。」

 

こんな簡単なお礼と、深夜の割り増しチップくらいで、彼女がどれくらい報われたろうか。でも、その翌年にスイスに行ったときには、まだ彼女が同じ会社で働いていたことを知り、嬉しかったことを覚えている。

 

 

翌朝は、7時に起床。貴志さんとホテルで朝食を取って、市バスで病院に向かった。着くなり、春代さんのいる集中治療室へ向かうと、すでに、ノイマン先生と、看護師はスタンバイしていた。

 

「おはようございます。貴志さん、ツートンさん。お母さんは元気ですよ。脳波に異常なし、脈も呼吸も正常です。」

 

明るい声で、先生は言った。

 

「あとは、みんなで、お母さんをこっちに呼び戻してあげましょう。さあ、貴志さん、お母さんの手を握ってあげてください。」

 

貴志さんは、春代さんの手を優しく握った。するとノイマン先生は、もう少し強くてもいいと言った。

 

「さあ!お母さんに声をかけて、大きな声で、さあ!」

 

力強く、ノイマンさんが促した。

 

「呼びかけるって・・・文字通りの呼びかけですか?」

 

貴志さんが僕に確認してほしいと頼んできたので、僕は、ノイマン先生に確認した。

 

「そうみたいですよ。気絶してる人に声をかけて起こすようなニュアンスみたいです。」

 

「なるほど。そういうことですか。」

 

ノイマン先生が、その意図を説明したくださった。

 

「以前は、くも膜下出血などの手術後は、絶対安静がいいと言われていましたが、今の医学では違うのです。春代さんのように健康なら、話しかけて脳を活性化させるのが、回復への近道だと信じられています。さあ、声をかけましょう!」

 

「お母さん!聞こえる?お母さん!!貴志だよ!!」

 

春代さんを呼び戻すべく、貴志さんの必死の呼びかけが始まった。


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夏、冬。夜明け、昼間。ツェルマット、ゴルナーグラート。様々な季節、様々な時間帯と場所から眺めたマッターホルン特集。
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登場人物

 

マスター・ツートン

このブログの筆者。重症のお客さんが発生して、家族の依頼によりスイスに向かった。この頃は旅行会社の社員。

 

小野さん

ツートンが所属していた部署のトップ。

 

春代さん

スイスのツアー中、くも膜下出血で倒れた女性客。

 

貴志さん

春代さんの次男。

 

小林さん

現地手配会社のスタッフ。ジュネーブ滞在

 

 

夜中12時からの緊急出張の準備は多忙を極めたものだった。

 

出発本数が少なくても、秋のツアーの手配準備があるので、その作業の引き継ぎ。当時、一応主任職だった僕は、同じ部署の別の主任に、部下の作業の管理を頼んだ。

 

問題なのは、航空券だった。夜中の12時過ぎに朝出発の便が取れるのだろうか?心配されたが、そこは、担当者の高山さんの人脈がモノを言った。浅倉さんの次男は、当時関西在住だったで、お客様の負担を考えれば関空発が好ましかった。結局、午前10時関空出発のKLMオランダ航空を手配することができた。

 

関空を10時出発ということは・・・僕は羽田発7時の飛行機に乗って移動しなければいけない。また出発時間が早まった・・・。緊急連絡先となる国際携帯電話も会社に取りにいかなければいけなかった。当時、僕は東京の府中市に住んでいたが、さすがにそれは無理だった。会社近くに住んでいる同僚に頼んで取りに行ってもらい、モノレールに乗り換える浜松町で渡してもらうようにした。

 

何もかも緊急だった。総力戦だった。すべての人への連絡と引き継ぎが夜中の1時を過ぎてからだったが、土曜の夜だったにもかかわらず、連絡をつけるべき人たちには、すべて連絡がつけることができた。

 

朝、6時前だ。浜松町のモノレールの改札で、同僚の女性から国際携帯電話を受け取った。

 

「悪い!朝っぱらから大変だったね・・・。ほんとに悪い!」

 

「全然!そっちよりは全然ましよ!それより寝てないでしょう?目が真っ赤だよ。」

 

眠いなんて思う暇さえなかった。この緊急事態に協力してくれた、すべてのスタッフに感謝して、関空に到着。いよいよ浅倉さんの次男と対面だ。クモ膜下出血で倒れているのも浅倉さんなので、ここから先は、お母さんを春代さん、次男を貴志さんと呼ぶことにする。貴志さんは、40代半ばのエリート公務員だ。一流国立大学を出て順調にキャリアを積んでいるようだった。見た目に線は細かったが、日焼けしており、軟弱な感じはしなかった。僕の付添は、彼が希望したらしい。

 

「すいません。このような緊急だったので、いざとなったらどのように判断するかを相談できる人が、一人そばに欲しかったのです。」

 

かなり慎重な方だ。でも、傲慢な感じは一切ない。朝早くから東京から関空に飛んできたことを感謝してくれた。チェックインと、一通りの打ち合わせを済ませて一度解散。いい感じの人なのでホッとしていると、小野さんから電話が掛ってきた。

 

「やはりクモ膜下出血だってさ。検査が終わって、これから手術だそうだ。」

 

「これから?」

 

「うん。お前が飛行機に乗っている時に連絡があったから、もう始まっているかもしれない。いずれにしろ、ジュネーブに着く時は、もう終ってるだろう。それどころか、大勢も決まっているだろうな・・・。いいな、ツートン?ニュートラルな立場を忘れるな。希望的なことも悲観的なことも言うなよ。」

 

手術の件は、飛行機に乗る時に貴志さんに告げた。彼は、「後は祈るだけですね」と、あくまで冷静だった。嬉しいことに貴志さんの席は、ビジネスクラスにグレードアップされていた。どうやら、うちの会社からの根回しがあったようだ。僕の席はエコノミー。席に座ったら、途端に眠気が襲ってきた。なんか、心配している貴志さんには申し訳なかったが、こんな時は寝るのも仕事なのだ。

 

離陸には気づかなかった・・・。目が覚めたのは、飛んでから6時間経った後で、もうシベリアの上にいた。あー・・・機内食を食べ逃した。空腹な自分に気付く。簡単なスナックだけでももらえればと思いCAのところへ行ったら、席でお待ちくださいと言われてしまった。

 

しばらくすると、体の大きいオランダ人のおっさんが、温かい食事を持ってきた。名札を見たら、なんとチーフパーサーではないか。

 

「御社の社長から連絡がありまして。大変なことになっていると伺っております。急な出発だから、お客は航空券をノーマルチケットで買わなきゃいけない。せめてグレードアップできないかと言われまして。浅倉様の分はご準備できましたが、本日ビジネスクラスは満席となっておりまして、ツートン様の分は準備できませんでした。そこで、お隣の2席は、空けてご用意させていただきました。お疲れでしょう。先ほどはお休みでいらしたので、お食事は、取っておきました。和食は終わってしまいましたから、イタリアンしか残っておりませんが、よろしいでしょうか?」

 

僕のこの日の席は、窓側3列の通路側。言われてみれば、残りの2席は空いており、かなりゆったり座っていた。しかも、この時間に温かい食事を取れる。この親切な待遇は嬉しかった。社長からの直接の指示かどうかは分からないが、上の方々が、そんなふうに航空会社にかけあってくれたのは確かだろう。嬉しかった。

 

そして、「たまたま自分が会社の代表で来ているが、何かあったら、すぐに対応してくれるんだよな。」そう思うと前向きになれた。

 

アムステルダムでは5時間の待ち合わせだった。もっと早い飛行機もあったのだが、急な手配で席を確保できなかった。ジュネーブに着いたのは、夜の10時。手術の結果が気になる。気になってたまらない・・・。

 

税関を出て病院に向かおうとすると、オペレーターのスタッフが出迎えに来てくれていた。

 

「小林です。昨日は、いろいろ手際が悪くてすいません。」

 

僕は、びっくりした。電話の声は、大人っぽかったのに、実際に会うと、かなり若い女性だったのだ。20代前半に間違いなかった。疲れきった顔で、目を潤ませながら「アサクラ様」という看板を持って立っていた。この子が対応していたのか。電話では、その仕事ぶりを少々叱っているが、ある程度ベテランだと思っていたからこそ言った文句だった。こんな若い方なら、もう少し、細かい指示を出しながら、こちらの希望ももっと丁寧に伝えるべきだった。なにか罪悪感のようなものを感じた。

 

その後、3人でタクシーに乗って病院に向かった。彼女の話では、手術は、とりあえず終わったという。今は集中治療室にいるそうだ。この時間での面会の手筈は、小林さんが整えていてくれた。

 

夜の暗い病院。入口で担当医師のノイマンさんと待ち合わせた。本来、集中治療室には、家族しか入れないのであるが、貴志さんの希望で僕も入室することになった。

 

「ツートンさんは、家族の代理人と同じ扱いでお願いします。」

 

これ以降、病院は僕のことをそのように扱ってくれるようになった。

 

恐る恐る入室・・・。僕は一瞬凍りついた。ベッドに横になった春代さんの顔は、誰かに似ていた・・・。思いだした!・・・数年前に亡くなった僕の祖母の顔にそっくりだったのだ。生まれて初めて間近で見た、身内が亡くなった時の顔。生気のない顔ってこういうことを言うのだと、しみじみ感じたのを覚えている。

 

春代さんの顔は、生気がなかった。少なくとも僕には仏様の顔に見えた・・・。

 

でも、すぐそばにある心電図は動いている。確かに動いている。静かな病室では、ちいさな呼吸音も聞こえた。感じることができた。生きている・・・。春代さんは生きている!僕は、心からほっとした。なぜか、体に力が入るのを感じた。

 

横では、貴志さんが拳をぐっと握っているのが見えた。

 

「手術は成功です。」

 

医師のノイマンさんは、話し始めた。

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空中散歩。モンブラン観光の際、エギュ・ドゥ・ミディ展望台からイタリア側のエルブロンネルの展望台まで、水平に移動するロープウェーを楽しむことができる。ロープウェーに乗りながら、反対側のゴンドラを撮影した。

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ロープウェーからは、大きなクレバスやモンブラン山群を歩く人々も眺めることができる。

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こんな風に上から横からアルプスを眺められる機会もなかなかない。











20047月下旬某日。

その日は、当時勤めていた旅行会社で、私がいた部署のセクションの夏季納会があった。7月というと、夏本番でこれから旅行会社が忙しい季節と思われがちだが、旅行会社にもよる。

 

8月に出国する旅行者は、ハワイや東南アジアなどのリゾートに向かう個人客が多い。お盆をまたぐ時期を除くと、意外とパッケージツアーの本数は少ない。僕が勤務していたのは、パッケージツアー専門の旅行会社。しかも顧客の大半はご年配だったため、逆に7月中旬から8月に旅行する人はほとんどなく、夏は余裕があった。

 

だから皆、土日を使って最低9日間の休みを取って、海外旅行を楽しむ社員も多かった。僕に関して言えば、12日間の夏季休暇を取ったことがある。部署のメンバーが、交代で休みに入る前に、繁忙期を乗り切った労いをしようということで、夏の納会をすることになった。

 

一次会が無事終わり、二次会で盛り上がり、終電を逃した僕は、新橋の漫画喫茶に泊まった。個室でのんびりしていると、携帯電話が鳴った。番号を見ると、海外に行っている添乗員からだ。誰だろう・・・緊急だろうか。

 

「坂巻ですが・・・。」

 

坂巻は、当時入社3年目の男性社員だった。期待された若手で、語学堪能。また、大学卒業後は2年間、スイスでハイキングガイドをしていたという経歴を持っていた。この時、彼が最も得意とするスイスのツアーを添乗していた。スイスというよりもヨーロッパアルプスのツアーと言ったほうが正しい。最初の2泊は、フランスのシャモニー滞在で、モンブラン観光がメインだった。

 

「モンブランの展望台で、お客さんの一人が倒れたんです。自分で起き上がれたからなんともないとは思うのですが、病院に行きたいとか、もう帰りたいとか仰るんです・・・。」

 

「頭とか打ったの?なんで倒れたの?高度障害かな?」

 

「僕がいないところで倒れたんですよ。展望台のスタッフが知らせてくれたんです。なんかすごい音がしたっていうので・・・。」

 

「本人が言うなら、病院くらい連れていってやりなよ。保険入ってるんだろ?ホテルの近くに確か病院あったはずだしさ、診察受けて休んでもらえば、明日はよくなるかもよ。」

 

「そうですね。そのほうがお客さんも安心できますよね。」

 

坂巻が落ち着いてきたので電話を切った。倒れたとは言え、自分で起き上がって、その後は何事もなくグループと行動したお客さん。このときは、僕も、彼もなんの警戒もしていなかった。診察後、一応連絡はするようにとだけ指示し、電話を切った。久々にだらけた週末を過ごすことを、このときは何よりも楽しみにしていた。

 

翌朝、僕は自宅に帰って、ゆっくりと土曜日を過ごした。夕方はアパートの1階にある、お気に入りのイタリアンでパスタとワイン三昧♪近くの公園で楽しそうな音楽が聞こえてきたので行ってみると、夏祭りがやっていたので、ちゃっかり盆踊りに参加してしまった。一人で過ごす至福の時間。気持ちいい酔い加減。明日はどうしようか?

 

家に着いたのが夜9時頃。飲みなおそうかな・・・と思ったとき、家の電話が鳴った。

 

「坂巻です・・・。あの・・・」

 

「おおう♪どうした?元気?」

 

すっかり陽気になっていた僕は、コントで芸人がおちゃらけるノリで話していた。

 

「・・・・・・・・・・。」

 

無言の坂巻。僕は、前日の電話を思い出した。まさか昨日倒れたお客さんになにかあったんじゃ・・・。酔っていながらも、現地との時差を計算した。シャモニーは、もう昼の2時頃だった。ツアーはシャモニーを離れて、国境を越えてスイスに入っているはずだ。

 

「昨日のお客さんか?お前、もうスイスにいるんだろ?」

 

「はい・・・。結局、お客様の希望で病院に泊まったんです。今朝、ご挨拶にお伺いした時は、まだ大丈夫だったんです。それで・・・もう帰国したいとおっしゃったから・・・お客さんを残して出発して、高山さんとオペレーターに連絡して、手配を整えていたんです。」

 

高山さんは、東京本社の航空券手配部署のリーダーだ。オペレーターは、現地手配会社のことを業界用語でそう言う。

 

「それで、週末は無理だから月曜日の出発になるということで、病院に電話して、お客さんと話そうと思ったんです。そしたら・・・、その・・・眠って目を覚まさないって・・・医者が言うには、なんか・・・変な眠り方だって・・・。」

 

「病名は?けがとか?なんか聞いたのか?」

 

「教えてもらったんですが、日本語でなんて意味か分かりませんでした。」

 

「分かった。ここからはこっちでなんとかする。それから、作業の手順は間違ってないけどさ、お客さんを一人残してくるなら、必ず連絡しろ。高山さんよりも、むしろこっちが先だ。小野さん(部署のリーダー)には連絡してない?」

 

「すいません。してないです・・・。」

 

「分かった。僕からしておく。今は目の前のお客さんに集中して。このことは、引きずらないように。」

 

週末なので、オペレーターの緊急連絡先はコピーして家にあった。お客さんの名前と病院の連絡先だけ聞いて、電話を切った。ツアーの案内に支障が出たらいけないので、坂巻にはツアーの案内に集中してもらった。

 

まいった・・・大変なことになってしまった。僕は、念のため小野さんに電話して、指示を仰いだ。手順は、だいたい決まっているので、あとで報告のみすることになり、作業は僕が進めた。

 

まずは、病院に電話して、担当医師と話した。フランス人なので、英語がうまくないし、分かりにくかった。まあ、英語のひどさはお互い様だが。

 

医師の話だと、そのお客様が入っている保険会社に連絡して、たった今搬送先の病院が決まった。間もなく運ばれるという。病名を聞いたが、なんだか分からない。

 

「英語でおっしゃってますか?」

「いえ、フランス語です。」

 

「すいません。フランス語、全然だめなんです。英語でおっしゃっていただけませんか?」

 

少し待たされたが、調べてくれたようで、ようやく聞くことができた。それらしいスペルを辞書で探したらすぐに見つかった。

 

subarachnoid hemorrhage・・・・・・クモ膜下出血・・・クモ膜下出血なんですか!?」

 

「いえ、その可能性が強いのです。残念ながらシャモニーには、ここを含めてその検査をできる設備のある病院がないのです。ただ、どう見ても、普通に眠っているのとは違います。まずは検査をしないと・・・。」

 

納得した。それにしても、意識を失ってから5時間は経っており、ずいぶんと悠長に構えているようにも思えた。クモ膜下出血って、緊急を要する病気のような気がしたんだけど・・・。搬送先の病名を聞いて、一度僕は電話を切って、今度はオペレーターへ電話した。ところが、ここでは情報が交錯し、すっかり混乱していた。

 

「あ・・・すいません。ジュネーブの小林と申します。その・・・浅倉さん(お客さんの名前)のことですよね・・・。えっと・・・なんだか脊髄を痛めた可能性があるようで、今、ヘリでジュネーブに搬送されています。車の振動で、これ以上傷めないように車は避けたそうです。」

 

動揺している落ち着かない話し方で、彼女は言った。

 

は!?そんな話はまったく聞いていない。なにがどうしてそうなったんだろう?

 

「たった今、病院に電話したんですが、そんなこと一言も言ってませんでしたよ。ヘリでジュネーブのどこの病院に行くんですか?患者さんの名前はきちんと確かめたのですか?」

 

「すいません・・・。そこまでは・・・。」

 

「きちんと調べきってもいない情報で、混乱させないでください。しっかりしてください。」

 

僕は、怒って電話を切った。現地にはしっかりやってほしい。こっちは今、日本にいて情報を集めるには、そこからしかないのだ。。10分後くらいに電話があり、すでに患者は救急車に乗ってジュネーブに搬送されたということを知らされた。とりあえずほっとした。ふー・・・。今度は、こっちから病院に確認する手間が省けた。

 

とりあえず、ここで現地からの連絡待ちだ。シャモニーからジュネーブは、車で1時間半。それから検査だとすると、連絡が来るのはいつだろうか・・・。とりあえず仮眠を取ろうか。と思っていたその時だった。ふたたび電話が鳴った。ジュネーブのオペレーターからだった。シャモニーを出て、まだ30分も経っていない・・・。

 

電話の向こうで、小林さんは言いにくそうに言った。

 

「あの、検査をしてみなければなんとも言えないのですが、クモ膜下出血に、ほぼ間違いないそうです。それも、発見が遅れて危険な状態だということです。日本から家族を呼ぶようにと、救急車からジュネーブの病院に指示があり、今私どもに連絡がありました。」

 

急展開に動揺が走った。できるだけ詳しいことを聞いて、すぐに小野さんに連絡した。浅倉さんの家族には、彼が連絡することになった。

 

自分の担当ツアーで、人が亡くなるかもしれない。企画を担当するものとしては、これまで味わったことのない緊張感だった。

 

やがて、小野さんから電話があった。

 

「家族には電話した。明日から行けるのは、浅倉さんの次男だそうだ。それでな、こういう緊急事態だから、うちからも一人出して欲しいっていうんだ。自分たちだけだと不安だから・・・。費用はすべて浅倉さん持ちだ。それでな、ツートン・・・悪いけど明日、その方とジュネーブに行ってくれ。」

 

「あれ?でも、お客様は保険に入られてるでしょう?それなら必要ないんじゃ。」

 

「現地に着くまでが心配なんだろう。」

 

ちょうど日付が変わった時だった。酒がようやく抜けたかな・・・という感じだった。今から、早ければ9時間後に、ヨーロッパ方面行きの飛行機に乗れというのか。

 

「よく考えろよ、お前!こんなこと、急に指示できるやつなんて、社内に何人もいないだろ。しかもこのタイミングだ。お前には、いつかのモロッコでの経験もあるし。」

 

そうかもしれない。でも、あの時は最初から亡くなった人を迎えに行った。今度は、客の死を目前にするかもしれない仕事だった。でも、この緊急事態では、しかも、夜中のこのタイミングで現地に行けるのは、企画担当の自分しかいない・・・。

 

小野さんとの電話を切った僕は準備を始めた。酔いはすっかり醒めていた。


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エギュデュミディ展望台からのモンブラン山頂の眺め。このシリーズではアルプスの風景を紹介します。
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