「こんばんは。」
「あら、こんばんは。今からお食事ですか?」
「M田さん、明日の案内も楽しみにしてますよ。よろしくお願いします。」
挨拶を交わしながら、食事を終えたお客さんたちが、次々と席を立ち始めた。大半の方々がお帰りになり、その流れで僕も席を立つと、M田さんから声がかかった。
「ツートンさん、明日の打ち合わせをしましょう。」
同じタイミングで帰ろうとしていたお客さんたちが、「お先に。」と軽く挨拶して帰っていった。
僕は、M田さんの正面にかけた。
「どうしたんですか?何かお話でもあるんですか?」
打ち合わせは、チェックイン直後に終わっていた。手配に関して、重要な変更の知らせでもあるのかと、少し不安になっていた。
「いえ。ちょっと食事を一緒にしていただこうかと思って。一人でするのもなんだから(笑)」
「・・・そういうことですか。」
「そういうことです(笑)」
そうは言っても、やはり多少は仕事の話をする。ナスカから、少々離れたイカという街に2泊しながら、遊覧飛行以外の時間を、どのように有意義に使うべきか話し合った。
やがて、世間話に話が移っていく。
「最初、この仕事断ろうと思ったんです。」
突然M田さんが言った。
「どうして?」
「イカに2泊でしょ?そうすると、子供の顔を丸々一日見ない日ができてしまうの。しっかりしていると言っても、あの子、まだ10歳だし。なるべくそばにいてあげたいんです。1泊なら、その日の夜にいないだけだから。」
「ひょっとして、食事の時間をお客様に合わせなかったのは・・・」
「子供と電話で話していたんです。今日は、長い一日だったから、夕食遅かったでしょ?終わってからだと、遅くなって子供に悪いから。」
「寝ないのですか?」
「私が仕事で外泊する時は、必ず電話することになってるんですよ。娘は娘で、話したいことがたくさんあるから、眠くても待ってるんです。」
そんな会話の過程で、つい、僕は口に出してしまった。
「・・・よく産みましたね。」
「え?」
一瞬、「あ、言ってしまった・・・」と思った。
一部のお客様が言っていた「親不孝」。これについては、僕も多少は感じていた。今、M田さんは、お嬢さんと二人でとても幸せそうだ。結果的にそうなっているが、外国で、しかも一人で子供を産むということは、男性の僕では、想像できないほど大変だったのではないか。日本の家族が賛成しなかったなら、「産まない」という選択肢もあったと思う。そこが引っかかっていた。
「いや・・・外国で、一人でよく子供を産んだなって・・・。」
「ああ!(笑)私もそう思いますよ。今となっては。」
「今となっては?」
「今となっては。」
お腹に子供がいると分かった時は、大パニックになった。また、相手の彼氏とは、すでに別れていた。
妊娠を医師に告げられ、決断を迫られたものの、動揺だけが深まるばかり。
「どうしよう・・・どうしよう・・・どうしよう、どうしよう!そればかりでした。20代の恋愛って、まさに『恋は盲目』以外なにものでもないでしょ?付き合ってる時は、彼氏が大好きだったんです。私自身、若くてまともな恋愛をしたことがなかったから、余計にそうでした。」
彼氏と付き合っていたのは20歳の頃だ。まさに、男女ともに、「恋に恋するお年頃」だ。
「ところが、冷める時はあっという間なんですよね。あの年齢の恋って。結局、話し合って別れることになったんです。私が別れたかったのかな。つまり・・・」
彼女は、少し間を置いてから言った。
「妊娠は、私が望んでいたものではなかったんです。まだ彼を愛してた、それよりも数か月前なら、ものすごい幸せだったと思うんだけど・・・。」
しかし、医師にエコー(超音波画像)に写った小さな新しい命を見せられた時、考えが変わった。胸がいっぱいになった。当時、彼女はまだ21歳。
「その時、決心しました。絶対に産もうって。」
「・・・・・・・。」
「家族は、猛反対!特におばあちゃんはね・・・。勘当するとか言って、本当に連絡をくれなかったの。でもね、赤ちゃんがお腹の中で生きてるんですよ。私も、それを感じたら、中絶なんて絶対にできなかった・・・。それって、殺すってことじゃないですか。どんなに大変な思いをしたって産むほうがいい。殺すものかって。」
妊娠していれば、当然体調の変化もある。彼女は、自分が勤めていた手配会社の人間にいろいろ相談したが、当時、日本人で結婚していても、出産経験のある同僚がいなかった。そして、みんな、何よりも仕事が忙しかった。
M田さんは、藁にもすがる思いで、元カレの家に連絡を取った。彼の家には遊びに行ったことがある。家族も紹介されていて、顔見知りではあった。別れた自分が、しかも、どちらかというと別れを切り出した自分が、今更連絡を取っていいのかという葛藤はあった。
だが、人脈に乏しい異国において、それが唯一思い付いた連絡先であり、唯一頼りにできるかもしれない連絡先であり、最後の希望だった。