リマの空港に着いた。航空機から降りて、ターミナルに入った途端に、低地で海沿いのほどよく湿った空気が、体中を満たしていくのを感じた。

「おー・・・酸素が体を満たしていくー・・・。」

と、心の中で呟いていた。僕の場合、高地に行ったと実感するのは、上がった時よりも低地に下りてきた時だ。体に空気が入ってくるのを感じるし、なにより足が軽い。

高地で体調不良を起こしたことはないし、仕事に支障が出たこともない。前回、フクヨカさんを飛行機に乗せる時に大変な思いをしたが、あんなことは稀だ。高地特有の空気の乾燥も、上にいる時はそれほど気にならない。だが、下りてきた時の快感は感じるのだ。

自覚されているかどうか分からないが、お客様の足取りも軽い。顔色もいい。

 

「ツートンさあん!!戻ってこれたんですね!よかったあ・・・今日は来れないと思いましたよ!」

僕らは、M田さんと再会した。お客さんたちも、笑顔で彼女との再会を喜んだ。

リマには1泊しただけだし、M田さんとも一日一緒にいただけなのに、なぜか「帰ってきたんだな」という気持ちになった。

「高山病が・・・」、「デモ、暴動が・・・」など、様々なことを、お客さんがM田さんに話していた。おそらく、けっこう旅慣れたお客さんでも、初めて経験することが多かったアンデスでの滞在だった。伝えたいことがたくさんあるのだろう。M田さんは、天使の笑顔で彼らの話をを包みこむように聞いていた。

その隣には、3人の日本人ガイドの姿があった。そのうち一人は、以前、一緒に仕事をしたことのある男性ガイドで、僕のほうに近寄ってきた。

「お久しぶりです。あの、同じ飛行機に、他に日本人のグループは乗っていませんでしたか?」

心配そうな顔をして、あとの2人のガイドもこちらへ来た。

「いえ、見ませんでした・・・。」

ふと、プーノの街を抜ける時のことを思い出した。上の道へぬけてすぐ、下のメインストリートで、デモの影響で渋滞に巻き込まれていた10台ほどの大型バスが見えた。確か3台は日本人グループのものであると、フェリペは言っていた。僕は、そのことを彼らに告げた。

「あの状態から、上の道に戻って空港に向かっても、おそらく飛行機には間に合わなかったと思います。僕らが搭乗したら、すぐに飛びましたから・・・。」

「そうですか・・・。」

「プーノから情報は入っていないのですか?」

「それが・・・日本人グループだけでなく、プーノに滞在していたグループ全てが巻き込まれてしまったわけですよ。プーノのオフィスは、てんてこまいで、なかなか電話がつながらないし、たまに繋がっても、情報が混乱していて・・・添乗員さんたちも、誰もリマに連絡してくれなくて・・・」

「航空会社からは、『乗れたグループはあるらしいが、どのグループかは分からない。』だから、ほら・・・わたしらだけでなく、いろんな国のガイドがいるでしょう?」

本当だ。確かにいろいろな国のガイドがいる。その中で、実際にグループと対面できたのは、M田さんとあと一人、アメリカ人グループのガイドだった。

僕らは、本当にラッキーだったのだ。宿泊していたホテルの立地、フェリペという優秀なガイド、道悪でもスムーズに走れる中型バスを利用していたこと・・・今回のピンチの中にあって、それを切り抜けるための、あらゆる条件が奇跡的に揃っていた。

 

M田さん以外のガイド3人は、担当グループが、まだプーノにいることが分かったことで、それぞれのオフィスに連絡を始めた。3つのグループのうち、2つはこの日のうちに500km近く離れたナスカまで移動して、翌日に地上絵の遊覧飛行済ませて、その日のうちに帰国という強行スケジュールになっていた。この飛行機に乗っていないということは、かなり深刻な問題だった。

 

「さあ、行きましょう。」

厳しい表情で自分のグループを待つガイドたちの前を通り過ぎて、僕らはそっと空港を出た。騒ぎがおさまった頃、フクヨカさんに歩み寄った。

「体調は、本当にもうなんともありませんか?」

「はい・・・。飛行機の中で、だいぶ楽になってはいたんです。降りたらもうすっきり。なんだったんでしょうね()

彼女は、すっかり回復していた。続いて奥様のところに行った。

「うーん・・・。まだ足がフラフラしてるような感じです。調子悪いみたい・・・。」

「なに言ってるんだ、お前!すっかり良くなってるじゃないか。飛行機乗る前は、ふらふらしてくせに。今は、スタスタ歩いてるぞ。」

ご主人が突っ込みを入れた。僕もそう思っていた。あれだけ気分の悪い時間帯が続いたのだから、弱気になるのは分かる。でも、高地ではふらふらしながら、ゆっくりとしか歩けなかった奥様は、みんなと同じペースで歩いていた。それをご主人から指摘され、

「あらやだ私ったら()

と照れ笑い。その後、声も大きくなり、急に元気になった。まさに、「病は気から」の典型だった。

 

「うーん。このグループいいですよ。私もついてる。」

「なにか、いいことあったのですか?」

「みなさんが、今、ここにいるってことは、私にとっても幸運なんですよ。今日、プーノから来るグループがたくさんあるはずなのに、数えるほどしかリマに来ていないんです。夕方に着いてからイカへの移動なんて、大変ですからね。私もお客様も。」

バスにお客さんを案内しながら、M田さんはしみじみと言った。そして、

「このグループのお客さんは、よくお話聞いてくださいますからね。案内しがいがありますよ。今日は何を話そうかなあ。」

と、笑顔になった。彼女がガイドであることも、僕らにとって、またラッキーだった。