逆光を利用して、十字架で太陽を隠すか隠さないくらいのところで撮ると、それなりに神秘的になる十字架の丘。宗教施設で写真を撮る時に意識すべきは光だと思う
中世には、子供の病気が治ったことで、神に感謝して十字架を立てた家族がいたという。
19世紀半ばには、重い病気から立ち直った男性が、やはり神に感謝して十字架を立てて、その噂が広まり、20ほどの十字架が立ったらしい。
19世紀後半には、帝政ロシアの支配下にあったリトアニアがポーランドとともに蜂起した際、多数の戦死者が出た。その時、ロシアは家の敷地や道路に十字架を立てることを禁止していた。そのため、多くの十字架がここに持ち寄られ、弔いと抗議を込めて立てられた。
ソ連になってからは、宗教が禁止されていたため、1961年と1975年にブルドーザーで撤去したというが、そのたびに多くの十字架がまた建てられた。信仰は譲らないという決意だった。
最初とは逆の順光で撮った写真。キリストが誰をも迎え入れている。大小多種様々な十字架が立っているのが分かる。
現在は、丘の麓の平坦な部分にも十字架が立っている。雲が浮かぶ青空といいバランス
昔の伝説やその時代に生きた人々の感謝や悲しみ、そして歴史を語るように、今も5万を超えると言われる十字架が立っている。
地平線が見えるような広大な大地の中に、日本人の感覚からすると「丘」と呼ぶには低すぎる土地の盛り上がりに無数の十字架が立つ様子は、かなり遠くからでも見渡せる。
事前に情報を与えることで、ここが「ただの聖地」ではないことを知った客たちの雰囲気は、やや真剣モードになる。伝説に基づいてではなく、リトアニア人自身の歴史に因んで聖地になった「十字架の丘」には重みがあり、深みがある。
とはいえ、なんだかんだで観光地。普通に土産屋はあるし、十字架を立てたくなった人のために、大小多種多様の十字架が売られている。丘には、キリスト教の宗派を問わずいろいろなタイプのものを見られるが、別にキリスト教徒でなくても立てることができる。僕は、お客さんのお手本となるため(?)、1本5ユーロのものを2回立てたことがある。
今回のお客さんたちは、あまり立てたいとは思っていなかったようで、サッサと丘に向かって行った。決して広大でも巨大でもないが、美と迫力を兼ね備えている十字架の丘の魅力をどうやって写真におさめるか苦心していた。
そこで、おすすめのアングルをお伝えして、完全な自由行動にした。
このツアーの訪問日は曇りだった。これはこれでよし
集合時間になった。十字架をバスに持ち込んだ方が2人いらした。
「あれ?立ててこなくていいのですか?」
「いいの。見てこれ。かわいいでしょ?せっかくだから自分へのお土産にするの。」
なるほど。大きさもデザインも、部屋のちょっとしたデザインにちょうどよさそうだ。それもまたよし。
おまけ。雪の日の十字架の丘と、そこで見られた雪の結晶。-18℃
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