マスター・ツートンのちょっと天使な添乗員の話

自称天使の添乗員マスター・ツートンの体験記。旅先の様々な経験、人間模様などを書いていきます。

タグ:海外旅行

http://mastertwotone2020.livedoor.blog/archives/14390127.html

(これまでの登場人物は、こちらでご覧ください。)
例によって間隔がかなり空いてしまったので、過去5話分の話を添付しておきます。

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9月の終わり。杏奈が添乗の現場に戻って三か月が経とうとしていた。それは、愛がアラスカに帰る時期でもあった。

オーロラ観光シーズンに合わせて戻るのだ。毎年アラスカに行く前は、仲良くしている添乗員たちと個別に会って行くのだが、この時は、奇跡的にみんなで集まれる日があることが分かり、一斉に声をかけた。

一番かわいがっている後輩の雪輪元子、親しい先輩の福居優佳、若手の頃、よく面倒を見てくれた柳原和美、そして震災の時に親しくなった木崎杏奈。男性は、元から仲が良い高松洋平、尊敬する巴匡人が顔を揃えた。場所はいつものイタリアンだ。

「この時期にこれだけ集まれるってすごいな。」

洋平が、信じられないという表情で感心していた。

「みんな愛ちゃんのことが大好きだからね。」

和美は、知り合いの若い娘を自慢するように言った。

「なに?その近所のおばちゃんみたいなノリ。」

匡人はいつも通り口が悪い。

「相変わらず無礼者ですね。」

匡人の口の悪さに優佳が突っ込みを入れた。

「まあまあ。大丈夫よ。私、本当におばちゃんだから。」

「そういう問題じゃないです!」

正義感の強い優佳は譲らない。

「『そういう問題じゃない!』じゃなくてさ。おばちゃんじゃないってことを否定しないとフォローにならないよ。」

匡人が優佳を茶化した。

「むかつくー。まじむかつく。」

優佳が、ムキになると洋平が笑った。

「でも、巴さんと福居が一緒に飲むようになるとはね。」

心底意外そうに洋平が言うと、優佳は赤面した。

「ちょっとだけ大人になったんだよ。お互いにね。」

匡人はすました顔で言った。

「しかも二人だけで飲みに行ったんでしょ?ほんと、大人になったよなー。」

「え?二人で飲みに行ったんですか?」

「いついつ?なんで?」

愛と杏奈が興味津々そうに聞いてきた。優佳と匡人のサシ飲みは、かつての不仲を知るものにとっては、それほど意外だった。

「震災から一か月くらい経ってからかな。飲みのテーマは木崎。」

匡人は白ワインが入ったグラスを口に運びながら淡々とこたえた。

「え?わたし?」

今度は杏奈が赤面した。

「そう。君を添乗現場に連れ戻す作戦を立てていた。な?」

そう言って相槌を求めると、優佳は無言で頷いた。そして、杏奈を見つめて、しみじみと言った。

「よく戻って来たよねえ。」

「ほんとだな。福居が居酒屋に行って、説得まで行かなかったと聞いた時は、さすがに諦めた。」

「ご心配おかけしました。」

杏奈は、照れくさそうに頭を下げた。隣に座っていた元子が微笑みながら、杏奈の肩を撫でた。

しばし、沈黙が流れた。なんとなく会話が止まったのもあるが、何人かは、杏奈がドルフィンを離れたきっかけが震災だということを思い出し、それからのことを思い出していた。

「あの時は、こんな普通にアラスカに帰れるなんて思ってもみなかった。」

みんなが黙って飲んで食べていると、愛が呟いた。

「あの時って?」

ぼーっとしていた和美が聞いた。

「ああ、すみません。震災の時です。」

「ああ・・・確かにそうね。」

ふと思い出してしまった。他の皆より、年齢が高い和美と同年代の添乗員仲間は、震災を境にかなり業界を去った。杉戸や旅行会社は、震災直後にツアーが激減した時、それまでのアンケートや顧客からの評判を根拠にツアーを割り当てた。そこに入れなかったベテラン添乗員は、プライドを傷つけられて「長年頑張ってきたのに・・・」と、不満を漏らしながら辞めていった。「この辺りが潮時」と引退した仲間も少なくない。

ツアーを順調にもらっていた和美は、彼らと同じ種類の苦楽を共にすることができなかった。「よかったわね」と言ってくれた者もいるが、「なぜ柳原だけ」と、嫉妬の感情丸出しにされて、関係が壊れてしまった仲間もいる。

業界全体が不安定な状態で、自分の発言がどこから漏れて、どのように捉えられるか分からないから、誰にも相談もできなかった。だから優佳や匡人たちとの関わり合いは、和美の心の支えだった。

「アラスカに帰るってかっこいいな。」

少し沈んだ表情になった彼女を見て、雰囲気を変えようと匡人が愛に話を振った。

「日本に来るときは帰るって言わないの?」

洋平が乗った。そういえば、愛は日本に来るときもアラスカに行く時も「帰る」という。いったどちらなのだろう。

「どっちなんですか?」

元子が本気で不思議そうに聞いた。

「私が帰るところは、自分の仕事があるところ。だから、アラスカにも日本にも帰るの。」

「おおー・・・。」

皆が感心して頷いた。「愛なら日本にいても、ずっと添乗の仕事があるはずなのに」ということは、あえて誰も突っ込まなかった。

「愛さん、アラスカの仕事って楽しいですか?」

元子が興味深げにしている。

「楽しいよ。正確には、アラスカだけでなくイエローストーンとか国立公園のツアーもやるけどね。元子もその気になった?」

愛は、時々、他の添乗員をアメリカガイドの仕事に誘う。出入りが激しいガイドの仕事は、いつも人が足りない。横田基地騒動の時に一緒にいた仲間のうち、確実に二人は戻って来ないことが分かっている。この数か月の間に、能力を伸ばした元子は、本気で欲しい人材だった。

元子も愛の生活にには少し憧れていた。添乗員だけでなく、同じ場所に滞在しながら季節の移ろいを感じつつ仕事をするガイドの仕事も、また魅力的だった。それらを同時にこなしている愛には、本当に憧れていた。

「だめ。絶対だめ。少なくとも今年はだめ。」

「わ!おつかれさまです!」

テーブルのそばに、まるで気配を消していたかのように杉戸が立っていたので皆びっくりした。ふだんは動じない匡人や優佳まで目を丸くしている。杉戸は、クールな表情の中に「してやったり」の雰囲気を漂わせながら、空いている席についた。

「和泉。雪輪を連れていっちゃだめだよ。」

「え?いや・・・」

計画を見破られた愛は、汗をかきながら動揺している。みんなは面白半分に眺めていた。杉戸の口調はコミカルにも聞こえるが、態度は毅然としているように見える。

「今年は特に絶対だめ。これから忙しくなる時に、二人も取られてなるものか。」

「二人?和泉が連れて行こうとしているのは、雪輪だけですよ。」

優佳がすぐに突っ込んだ。

「もう一人は和泉本人だよ。こっちにしてみれば、連れて行かれるようなもんだ。」

「あ、なるほどね。」

優佳が愛に視線を送ると、気まずそうにしていた。毎年、愛の渡米時期については、本人とドルフィン側の話し合いで揉めるのだが、今年も例年通りだったようだ。

「今日は遅かったですね。なにかトラブルですか?」

洋平が話題を変えたが、実際、杉戸の登場は遅かった。添乗員たちの集まりに呼ばれたら、いつも早くから来るのに。

「夕方になってから急な来客があってさ。話を聞いていた。」

「急な来客ですか。」

「大橋だよ。挨拶に来た。」

「大橋?来客ってあいつは客扱いなんですか?」

少々不機嫌そうに匡人が言った。

「うん。既にドルフィンの登録からは外してあるしね。」

「ふーん・・・。」

まったく興味のなさそうな素振りをしている匡人。

「もう許してあげたら?」

「そうですよ。もう終わったことだし。」

和美と優佳が、お願いをするように言った。

「とっくに許しているよ。」

とてもそうは思えない匡人の態度を見て、みんな「どこが」と思った。

「巴が許すとかどうかは別にして、彼もようやく立ち直ったみたいだ。とりあえずよかったよ。」

「立ち直れたの?おおー。それはよかった。だよね。でなきゃ挨拶に来れませんよね。」

匡人の表情が明るくなった。その言葉に皮肉は込められていないように思われた。

「巴さん、本当に許しているんですか?」

「そう言っただろ。」

「うそー!私だったら絶対に許せないけど。」

「できない若手が苦しむ気持ちを理解できるようになったのね。」

洋平、優佳、和美が容赦なく突っ込む様子を見て、愛と元子は手を叩いて喜んでいた。杏奈は、笑いながらも、匡人が大橋を許したのであれば、それを信じられなかった。同じことがあったなら、きっと自分は許せないからだ。
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長くなったので、後半をつくります。次回こそ最終回。
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さて、いろいろあってだいぶ間が空いてしまったけれど、久しぶりにブログ再開。

「クロアチアとスロベニアのすすめ」最終回は、アドリア海沿岸からお送りします。

まずはイストラ半島。スケジュールの余裕がないと訪れないこの半島には、魅力あるところがたくさん。
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中世の港町がそのまま残っているロヴィニ。海岸沿いに建つその姿は優美そのもの。街の中の散策も、楽しい。街中は、外観から感じられるほどの急な坂道は少ない。
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最上部の教会の塔には上がることができる。ご覧の通りの眺め。
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同じイストラ半島内プーラの街にある円形競技場。外壁の高さは30m。ヴェローナやアルルのそれを上回る。楕円形の直径は132mと105m。総合的な規模で見ても、この手の競技場では世界第六位。こんな小さな町に、こんな大きな競技場があるのだから驚く。
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半島から、その入り口になっているオパティアに戻る。ベネチア色が濃いアドリア海沿岸において、数少ないオーストリアの影響が色濃い地域。街並みのマリアテレジアカラーと言われる黄色の建物が目立つ。クロアチアの貴婦人と言われるリゾートの街には、長さ12キロにわたる遊歩道があり、「フランツ・ヨゼフの小道」と言われている。写真はそのワンシーン。
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南へ向けてドライブする時は、右手に素晴らしい車窓を楽しめる。最近は、内陸の高速道路が発達したおかげで、ずっと海岸線をドライブする機会はなくなったが、それでも、これほど長く海岸線の風景を楽しめるドライブをできる国はない。
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休憩をとる場所によっては、こんな風景を楽しめることがある。とてもきれいなグラデーション。
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昼間の日差しに疲れたら、ホテルで休んで夜に出かけよう。石灰石でできた街並みは、優しい明るさで遥か彼方まで照らして、怖さを感じさせないし、夜の灯りに照らされた街並みは、昼間とは違う美しさがある。写真は、スプリットの旧市街。
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ちょっとおまけ。スプリットにて気持ちよさそうな猫。
さて、さらにドライブを続けて南下する。
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同じ地中海沿岸地域でも、アドリア海沿岸は水には恵まれている。ドライブしながら時々海に流れ込む川を見かける。イタリア、ギリシャ、スペインなどでは、これほど頻繁に川を見かけることはない。時々、その水を生かした農場を見かける。写真はボスニア・ヘルツェゴヴィナとの国境手前。沿岸随一の果汁園。
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柿と塩田で有名なストンの城壁。山一帯を囲んだそれは、中国の「万里の長城」に例えられる。規模はだいぶ小さいけれど。
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そしてドブロヴニク。クロアチア観光の象徴。まずスルジ山に上がってその全景を眺めるのが今の観光だが、
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内戦でロープウェーが破壊されて復興するまでは、この角度から街を眺めるのが一般的だった。
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ここの城壁歩きは外せない。中世から近世にかけて、外敵から街を守るために、富の多くを費やした城壁は、現在、見事な遊歩道になっている。今となっては、入場料がかなり高額になってしまったが、それでも歩くべきだと思う。海も、街並みの眺めもこんなに楽しめるのだから。
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街歩きは簡単だ。人の多くはプラッツァ大通りとその周辺に集中しているが、
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ちょっと外れるとご覧の通り。でも、この階段はきついかな・・・
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階段がないところでも、こんな静かなところはたくさんあるから、いろいろ歩いてみよう。迷子になっても小さな町だから、すぐになんとかできる。
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遊覧船に乗るのも忘れずに。ドブロヴニクの観光は、上から街を眺めて、街を歩き、海から城壁を眺めたら完成だ。30分程度で、いろいろな角度から見せてくれる。

最後にアドリア海のグルメを少々ご紹介。
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イチジクのアイスクリーム。街歩きの合間に最高です。イチジクのわずかな酸味とアイスクリームの相性が最高。トロギールにて。
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ドブロヴニクの有名レストラン・アルセナルにて。ランプステーキ。
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スプリットにて。マグロのステーキ。マグロ通の人たちには有名なクロアチアマグロを使ったステーキ。マグロには火を通すのはタブーとか一部で言われているけれど、表面を焙るようにして、うまく仕上げていた。
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イカのフリット、小エビのグリルとスズキのグリル。ドブロヴニクのレストラン・ルジャーにて。

三回に分けてご覧いただいたスロベニアとクロアチアの魅力。いかがだっただろうか?それぞれまったく違う魅力を持つこれらの地域。これらをたった10日間ほどで楽しめるのだからお得なものだ。(8日間のツアーもあるが、ちょっと忙しい)
文化的には、オーストリアの支配下だったところとベネチアの支配下だったところに別れているから、そこがまた訪問する街々の多彩な見どころを演出している。

写真がないために今回は掲載できないものをいくつかあった。スマホでは、その規模を収められないために、撮影することがないポストイナの鍾乳洞などは、その魅力を伝えられなくて残念だ。ある意味、一番印象的な見どころであるからなおさらだ。

それでも、まだ旅行していない人たちが、クロアチアとスロベニアが訪れるべきところであると思ってくだされば嬉しいなと思っている。
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朝の光線で余計に美しさが際立つネーロイフィヨルド沿い。その時の気分だけできれいに見えたわけではない。後から写真で見ても、最高に美しい。
「こんなことがあるのかな?」たった3時間の睡眠で目を覚ましたあと、劇的に変わったネットの天気予報を見て僕は驚いた。

ホテル周辺は薄い曇りだ。目の前に広がる風景は、フィヨルドを含めてクリアで、とりあえず美しいとはいえる。

一方、遊覧クルーズで通るグドヴァンゲンからフロムの間は、見事な晴天になっていた。雨雲レーダーを確かめても、まるで誰かが雲を吹き飛ばしているかのように、そこだけ雨雲がかからないようになっていた。

7時。ホテルを出発。女性添乗員のグループ客が、声をかけてきた。

「あれ?そっちは時間通りに出発できるの?」

「はい、お先に失礼します。」

「え?でも、私たちのほうが先にホテルに着いたのに・・・」

朝一番で忙しいのは本当だが、声を振り切るようにバスに乗り込む。やましさはないが、どこか気まずい。

「どういうこと?」

背後に座っているお客さんが、声をかけてきた。他にも、その「からくり」を知りたがっている人がいたので、説明した。まず、ノルウェーにおけるバスドライバーの規制について。僕らが出発できるのは、決して不正ではないこと。また、この日の運転時間が短いため、ドライバーへの負担は軽く、安全は確保できていると添乗員の僕が判断したこと。

もうひとつのグループは、添乗員がこの日のトラブルを手配会社に連絡して、そこからバス会社に連絡がいったのだが、そこの社長がストップをかけたとのことだった。法律上可能でも、会社上部が許さないことはある。

こちらは、ドライバーがまだ自分の会社に報告していないとのことだった。

「君たちをグドヴァンゲンまで送ってからするよ。」

と言っていた。ちなみに、それぞれのグループで別のバス会社を使っていたので、僕らは巻き沿いを食らわずに済んだと言うわけだ。

「女性添乗員さんのバス会社のほうが安全第一で慎重だってこと?」

一通り説明を終えてから、女性のお客さんが、個人的に意地悪な質問を無意識にしてきた。他意がなくても、嫌な質問は嫌なものだ。とりあえず、個人的な質問には個人的にこたえる。

「そうとは限りません。」

僕らのグループと女性添乗員のグループでは、観光後のルートが別だった。僕らが一時間半ほどで行けるベルゲンが目的地なのに対して、彼女たちは、倍以上ドライブ時間のかかるオスロに戻る。ドライバーはの負担という点で条件は大きく違った。

「そういうことなのね。」

そういうことなのだ。バス会社の判断がそこを基準にしたとは限らないが、この推測は丸っ外れではないだろう。

それに安全は「第一」ではない。それ以前の前提だ。お客さんを楽しませるために、多少の無理をすることは、添乗員も旅行会社もある。だが、安全を脅かす判断は絶対にしない。「前提」を崩してはならない。少し、暗い雰囲気になったので、僕は軽く言った。

「大丈夫ですよ。この時期なら列車も遊覧船も、まだ空いています。あの程度の人数なら、どこかで吸収できるでしょう。」

今時、それらの空き状況はネットですぐに分かる。僕は、それを確かめたうえでの発言だった。すべてが決まるまでは、添乗員もお客さんたちも不安だろう。でも、きっとハイライトのフィヨルドを楽しめるに違いない。

 

晴れ間が出たと思ったら、今度は雨が降り出した。でも、心配はない。手元のスマホにある情報通りだ。この予報サイトは、直近のものはよく当たる。氷河谷が続くフィヨルドエリアは、谷ごとに天気が変わることがある。

「この雨は計算の内です。止みますよ。」

僕の軽口にお客さんたちが笑っている。そして、グドヴァンゲンに着く直前、見事に晴れ間が広がった。たくさんの滝が、谷底の川に落ちている。

僕らが観光を終える午後1時まで、このあたり一帯の降水確率は0%になっていた。

「またもや奇跡!」と、僕は心の中で叫んだ。この日の景色を一番喜んだのは、きっと僕だろう。一週間前から続いていたよくない予報を覆す大逆転劇だ。

気分が盛り上がっているから、美しく見えたのかもしれないと思ったが、今、確かめてみるとやはりこの時の風景は最高だった。朝一番の光線もよかったのだろう。あの場では勢いで「これまでの添乗生活では、最高のフィヨルドの景色」と言ってしまったが、結果的に事実だったと思う。

 

興奮状態が少しずつ落ち着いてきて、お客さんたちが次々話しかけてくる。

「昨日はさ、山道に入って、最初はずっと不安だったんだよ。グーグルマップの示すほうと、最初はずっと逆に行ってからさ、遭難するかと思っちゃったよ。」

知っている。風景を楽しみながら、時々不安そうにスマホを覗いている人が何人かいた。

僕より少し年下の女性客は面白いことを言った。

「昨日はうまかったですね、ツートンさん。」

「なにがですか?」

「ドライバーさんのことをかばったり、風景のことをお話したり、私たちをなだめてくださって。『誰も悪くありませんよ、怒っても仕方ありませんよー』って言われているみたいでした。あははは。」

間違いなくそういうニュアンスで話していた。でも、面と向かって言われると恥ずかしい。

「褒めているんですよ。みなさんを『怒らせないように』していました。『怒られないように』していたら、少しイラッとしたかも。分かります?」

「・・・なんとなく。」

「『怒られないように』はお客さんへの媚びと保身。『怒らせないように』はリーダーシップです。」

深い。でも、そのニュアンスは、とてもよく分かる。

「わかりますよね?もし、ちょっとでもツートンさんやドライバーさんに文句を言ったら、その後引き摺っちゃうもん。この景色見ながら添乗員さんに話しかけにくくなっちゃう。それってむちゃきついですよ!あー、よかった。何も言わなくて。あははは。」

みんな美しいものを見て、気分的にどこか解放されたのか。昨日から今日にかけての話を、少しずつ僕にしてきた。次から次へと素晴らしい風景が現れるので、すぐにそちらに行ってしまう状態だったが。

彼らとの会話の中で、あのトラブルの中にあって、きちんとコミュニケーションを全員で取れていたんだなあと、とにかくホッとした。

 

フロムの港に着くと、女性添乗員のグループが、後から現れた。船や列車のスケジュールの調整がついたらしい。お互いに笑顔で挨拶を交わした。前日、苦労を労いあった韓国人グループの添乗員も遠くから声をかけてきて、大きく手を振っていた。

昨日の大事故渋滞に巻き込まれている時、僕らと関わった人たちの中に、不幸になった人はいないようだった。

 

ツアーには、絶対に外してはならないポイントがある。大きなトラブルがあっても、死ぬ気で踏ん張らないといけない時がある。そういったところで堪えることができたなら、一気に流れを引き寄せられて、そのツアーはうまくいく。この二日間は、まさにそのポイントだった。

実際、その後ツアーは問題なく進み、みなさんは満面の笑顔で帰国された。
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風の影響を受けて、薄手の布のようにふわっとした滝。古い言い方だが、天女の羽衣のよう。ほんと古いな。
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山の部分。縦になっている白い線は全て滝。短いものでも200メートル以上はある
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岩山、わずかに残る雪とそれが溶け出して落ちる滝、新緑。やはり五月のフィヨルドは美しい。
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規模の大きい滝には、時々近づいてくれる。
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空の色を写し出したフィヨルド。
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新緑と雪山に、小さな集落が加わると、こんな風景になる。
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無事にフロムに到着。これが今回利用したポンコツ船。漁船を改造したようにも見える。今回は、二十人少々の僕ら以外は四人しか乗っておらず、貸し切り状態。かなり快適だった。名前だけは美しく、レディー・エリザベス号。
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以前、ここでベルゲンのブリッケン地区そばからから出ている遊覧飛行の話を書いた。

http://mastertwotone2020.livedoor.blog/archives/6620994.html

嬉しそうに風景のことばかり書いていて、肝心の乗り場情報が記載されていなかった。この時は、まだまだ書く内容が未熟であったな。今でも未熟かな。

https://seaplanes.no/flightseeing/

で、運行はここでしている。スカンジナビアン・シープレーンズ(SCANDINAVIAN SEPLANES)。今のところ、オプショナルツアーも含めて、日本の旅行会社が主催しているパッケージで扱っているものはない。でも、かなりおすすめな内容なので、ベルゲン滞在時には検討して欲しい。

 

ただ、ずいぶんと高額だから手を出しにくいのも確か(50分のフライトで5万円ほど)。

そこで、お金を遣わずに空からフィヨルドの風景を楽しむ方法を紹介しよう。

と、言ってもベルゲンから他の都市に空路で移動する時の話。ノルウェー第二の都市であるベルゲンには国際空港がある。ただ、人口が20万人少々と比較的小さな都市の空港ないせいか、大型ジェット機はほぼない。こと、北欧内の移動となると、ご覧のようにプロペラ機が多い。
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今回、実際に利用したヘルシンキ行きのフライト。
ふだんなら、お客さんが嫌がるタイプの飛行機だが、今回は別。天気が良いことが前提ではあるけれど、この日のヘルシンキまでの移動は最高の景色を楽しめることを紹介しておいたから、みなさんワクワクしていた。

機体を見ればわかるが、プロペラ機の場合は、翼が窓の上にあるため、どの席に座っても、ある程度風景を楽しめる。小さな機体には、窓側と隣の通路側のみ。しかも飛行中の高度は低いから、ますます遊覧飛行のような要素が強くなる。
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飛び立ってすぐ。複雑に入り組んだ入江が見えてくる。断崖絶壁ではないが、これもすべてフィヨルド。その海岸線の総計が28000kmもあり、地球の半周以上の長さのも納得だ。
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東へ進むうちに、雪山が見えてくる。フィヨルドは、地理的には海の一部。雪を被った岩壁が、海面まで落ちている様子を機内から眺められる。本当は、もっと迫力ある風景もあったのだが、本当に美しいところは、ただただ眺めていた。
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機体は、ノルウェーとの国境を越えてスウェーデンへ。綿菓子のような雲が広がっていた。
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スウェーデンからボスニア湾に出た。フィンランドとの間にある海の上にはたくさんの島がある。それにしても、なんという海の色か。暗いバルト海のイメージなど微塵もない。
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ふと視界を上げてみる。窓の傷がじゃまだが、不思議な風景が広がっていた。正面の白んでいる部分は水平線だ。そこを境に上は空、下は海だ。まったく同じ色の世界が上下に広がっている。雲がひとつでもあったら成立しない幻想的な風景。
やがて、ヘルシンキに到着する。

そんなわけで、ベルゲン⇔ヘルシンキのフライトは、素晴らしい遊覧空路だ。取れるものなら、ぜひ窓側の席を確保しよう。
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コロナがいよいよ五類になった。国内で初の感染者が出てから三年三か月。長いトンネルを抜けようとしている。

ニュースでは、「五類になり、なにが変わるのか?」を盛んにやっている。

僕ら添乗員にとっては、なにが変わるのか?

空港での作業が変わる。例えば、受付時に行っていたツアー参加者の検温が今後は実施されなくなる。(既に実施していない旅行会社もあったが、これからは実施する会社がなくなる)

添乗員のマスク着用も義務でなくなる旅行会社が大半だ。

まあ、その程度だ。あまり変わらない。少なくとも僕にとっては、水際完全撤廃のほうが、よほどインパクトがあった。

あとは気分の問題かなあ。二類の病気が身近になくなるという気分的なものは小さくないと思う。

 

ただし、コロナそのものは、これからも罹るべき病気でないことは確かだ。

五類になっても罹患すれば隔離義務はある。季節性インフルエンザの感染が認められたら、隔離義務があるのと同じだ。航空機の搭乗も拒否される。つまり、すぐに出発が控えた添乗にも行けなくなり、迷惑がかかる。「五類になっても大して変わらない」というのは、そういう負の面も含んでいる。

症状が軽くなり、かつてほど死ぬ病気ではないということで五類になり、世間一般の警戒度も下がってはいるが、感染者が増加傾向の今、僕らの警戒度はそれほど変わらない。罹ったら仕事をできなくなるのだから。

 

水際撤廃には歓喜した。二類から五類に変わることに、ホッとしてはいる。

でも、油断できない状態が終わったわけではない。公共交通機関内でのマスク着用などの基本的警戒は続けていく。
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5月にはクロアチア添乗も控えている。体調管理はしっかりとしなければ。
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23日に帰国して、ずいぶんと久しぶりにブログを書く。
添乗中に少し書いてやろうと思ったが、案外余裕がなく、できないものだ。こんな駄文であっても文章を書くって、それなりにエネルギーを使うということを改めて知った。

改めて知ったことといえば、今は、本当に日本にやってくる外国人が多いのだなあと思った。見よ!この人の多さを。
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手荷物検査場から伸びた列は、出発フロアの端まで続き、そこからさらにとぐろを巻いていた。空間をめいいっぱい使って列をつくる様子は、ディズニーランドのアトラクション待ちのような風景だった。
ただし、日本人は半分もいない。外国人が多かった。すぐ後ろにいたアメリカ人の年配夫婦に声をかけると、楽しそうに言った。

「桜を見に来たのさ。」

なるほど。この日は4月14日。この日に帰国ということは、訪問地に恵まれれば桜が見頃の時期だったに違いない。日本の桜の噂は、ここまで世界広まっているわけだ。前は、4月の空港など、たいした混雑などなかったのに。
飛行機の中も、やたら外国人が多い。以前の日本路線なんて、日本のツアーがなかったらガラガラだったのに。CAさんも言っていた。

「お客様は戻ってきたんです。おかげで私たちも仕事があります。でも、日本人は少ないですねえ。」

コロナ禍から三年少し。本格的に動き始めた空港の風景は、ずいぶんと変わってしまった。

海外旅行されるみなさん。最近の空港はお客さんが多いだけでなく、マンパワー不足で大変です。集合時間やチェックイン時間を意識して、コロナ禍前に比べて早く空港に行くようにしましょう。
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搭乗時間に間に合わないことを覚悟したが、40分ほどでセキュリティーに辿り着いた。こういうところ、日本は早くていいね!
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居酒屋のメンバーからの杏奈への風当たりは、思ったほどではなかった。

平日勤務の暇を与えられて皆と会わない間、反感を持っている者には、卓也が「震災後の事情」をよく説明しておいたのがよかった。「もし、震災がなかったら、木崎は元々ここにはいなかった。」という言葉には説得力があった。

一度だけ、業務中のホールで、スタッフの誰かとすれ違いざまに「裏切り者」と言われた。忙しい時で誰だか分からなかったが、それ以外には何もなかったので、何も探らず、自分の胸にしまっておくことにした。店長から言われたことを考えれば、この程度は仕方ないとも思った。

ある平日の夜、卓也から電話がかかってきた。

「今日は、想定外に混んじゃってさ。悪いけど今から入ってくれ。」

「は?私、店長からはもう来るなくらいに言われているんだけど。」

「店長も頭が冷えてきているから大丈夫だよ。ちゃんと許可は取った。今は混雑という現実のほうが大事だよ。」

なるほど。

「忙しいから切るぞ。今すぐ来い。」

「いいのかな・・・」と思いながら、恐る恐る店に行くと、見事な歓迎ぶりだった。

「待ってたよ!」と、ホールに入った途端に言われた時は、涙が出そうになった。

「もうみんな何も思ってないよ。あと少し、一緒に頑張ろう。卓也も頼りにしてるよ。」

凜が、妙に機嫌が良い。添乗からの復帰後、仲良くしながらも、常にギクシャクしたものをちらつかせていたのに。しかも、またもや卓也を下の名前で呼びつけだ。その理由は、別の同僚から休憩時間に聞いて分かった。

「あの子、佐野さんと同棲するんだって。結婚を前提に。」

「へー・・・。」

「一緒に住んでみて、お互い問題がなくて、佐野さんが正社員になったらゴールインだって。私が言ったって言わないでね。」

「分かった。」

誰にも言わなかったが、他にこのことを伝えてきたスタッフが二人もいた。いずれも「私が言ったって言わないでね」という口止めつきだ。どうせバレたって大した害はないが、こんな時の女性は、本当に信用できない。いや、凜のことだから皆に知って欲しくて、すぐ誰かに言いそうなスタッフを選んだのかもしれない。

なんにしろ、自分が幸福な人間は、他人の幸福も祝福するものだ。

そういう意味では、凜も杏奈の添乗復帰を祝福して、批判をかわしてくれていたのかもしれない。だとしたらありがたい。

週末は、チーフ業務の引継ぎを、別のスタッフに行った。ホールの仕切りをまかせられる人間を一人増やさないといけないから。それには店長も立ち合った。

「教え方うまいなあ。ほんと、残ってもらえないのが残念だ。」という店長の心理など知るべくもなく、仕事をテキパキとこなしていく。

残り少ない居酒屋での日々は、淡々と過ぎていった。

空いている時間は、ドルフィンのオフィスで過ごした。彼女には、復帰早々二か月の間に四本ものツアーが与えられて、その準備に追われていた。ブランクのわりに、かなりきついスケジュールだ。

本城は、そのスケジュールを「思いやり」だと言い、杉戸は「期待の現れ」と言い、杏奈は「騙された」と主張した。

「最初は優しいアサインにしてくれると言ったのに。しかも、行きたいと言っていた南米のツアーも取られちゃったし・・・。」

「まあまあ。そのうちにあげるから。」

こう言いながら、杉戸はなかなかツアーをくれない。というより、都合よくそうそうツアーがあるわけがない。

「それより準備は大丈夫なの?」

優佳が心配して声をかけた。彼女は師匠らしく、杏奈のリカバリートレーニングを手伝っていた。

この前、自分に訪問経験がある観光地のレクチャーをスラスラ同僚にやってのけた杏奈だが、いざ復帰となると、専門用語や現場での段取りを忘れていることが多く、リハビリのように案内内容を確認していた。

「居酒屋でいろいろ覚え過ぎて、添乗のことなんて忘れちゃったんだよね。」

別件でオフィスに来ていた和泉愛が茶化した。

「そうかなあ・・・」

「また飲みたいなあ、木崎さんがつくったドラキュラの宴。」

「まだ少しお店に行きますからぜひ。」

「和泉、杏奈のお店に行ったことあるの?」

「元子に連れて行ってもらいました。」

「そうなんだ。ところでなに?ドラキュラの?」

「『ドラキュラの宴』。レッドアイがそういう名前でメニューに載っているんです。」

「なにそれ?」

アルコールが苦手な優佳は、酒のメニューを見なかったため、一人で行った時は気付かなかった。

「いちいちお酒にそんな名前がついているの?」

「カクテル系だけです。テキーラサンライズは『カリブ海の夜明け』、カルピスサワーが『初恋の味』、あと・・・」

「ちょっと!もういいよ。そんな名前でオーダーするお客さんいるの?」

「いますよ。店長が趣味で考えたうちの店舗オリジナルのメニュー名です。ちゃんと注釈がついているから、ほとんどのお客さんが、そっちを見てオーダーしますけどね。でも、たまに店員を試すかのように、メニューを正確に言ってくる人がいるので油断ならないんです。だから私は全部覚えました。」

「木崎さんすごーい!」

愛が楽しそうに拍手した。

「ちょっと和泉、あまり調子に乗せないでよ。」

たしなめられて、愛は舌をペロッと出した。

「杏奈、そのメニューを全部忘れていいから、早く添乗のことを思い出して。そのメニューを脳から削除しないと、新しいものがなにも入っていかないよ。」

愛が「あはは」と笑いながら頷いた。杏奈は、作業に集中し始めた。

居酒屋から添乗への移行期は、彼女のこれまでの社会人生活の中で、一番多忙な時期だった。体も脳もきつかった。死ぬほどきつかったが、とても楽しくもあった。

 

次回、最終回。
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少し前、洋平は匡人と二人で飲んだ。順調な仕事量の回復を喜びながら、震災直後にドルフィンを去って行った者のことを匡人は気にしていた。

「あいつらも被災者みたいなものだよな。自分の意志ではなく、生活を変えなければいけなかったんだから。」

最初、洋平は違和感を感じた。郡山で原発の影響におびえながら暮らしている実家の家族や、津波の被害に襲われた東北の知り合い、そして大橋のことを考えたら、被災者という言葉を軽々しく使って欲しくなかった。

「あ、ごめん。高松の実家や知り合いからしたら、被災なんて言葉は全然当てはまらないよな。」

洋平の気持ちに感づいたのか、すぐに匡人は少し気まずそうに言った。

「でも、辞めたやつらの大半は、震災さえなければ添乗をしていたはずで、そういう意味では、被災者と言えなくもないと思うんだよ。家も失ってない。家族も失っていない。命も失っていない。でも、仕事は失った。」

生ハムを口に運び、赤ワインを流し込むように飲んだ。

「説得しても、生活できないなんて言われると何も言えなかった。」

匡人は、一部の熱心で優秀な若手の面倒をよく見ていた。その多くが業界を去らざるを得なかった状態を憂いている。

「まあ、みんな就職が決まったようだし。中には、『結果的にこのほうがよかった』なんて寂しいことを言うのもいるんだけどさ。」

苦笑しながら洋平を見ると、頷きながら笑っていた。後輩へのやや強すぎるくらいの思い入れを自覚している匡人を見て、「なんだ。分かっているのか」とでも言いたげだ。

「でも、花山なんて被災者の部類に入ると思うんだよなあ。」

「誰ですっけ、花山って?」

「一年くらい前にドルフィンに入って来た女性知らない?どこか大手でSEやっていたとか。できる女だった。」

「ああ、ほとんど関わったことないけど覚えてます。彼女どうしたんですか?」

SEでどこかに採用されたとさ。今は状況悪くないから戻って来いよって誘ったんだけど、新しいプロジェクトのメンバーに入って、サブチーフとかになったから無理だって。」

「優秀な人はどこに行っても優秀ってことですかね。」

意外かもしれないが、技術職や研究職から添乗員になった者は実在する。パソコンや図面ばかりと睨み合っていて嫌になり、人と触れ合う仕事がしたくて添乗の現場にやってくる。優れた頭脳の持ち主が多く、一時的でなく長く仕事を続ける者が多い。給料よりも、自分に向いている仕事をしたいということだろうか。

「花山さんの場合、それでよかったんじゃないですか?」

「かもしれないけど、かなり後悔はしていたよ。こんなに早く回復するなら、ドルフィンに残っていればよかったって。」

「ふーん・・・。」

「添乗員の仕事って、中毒性があるだろ。手間のわりに大した給料をもらっているわけじゃない。でも、はまっちゃうと抜けられなくなる。花山はそういうタイプだった。たった一年だけど仕事をものにしていたしな。添乗員に戻れないことを本当に後悔していたと思う。僕には分かる。」

「自分と同じ匂いがしました?」

「僕たちと同じにおいがした。僕や高松、福居とか和泉とか。柳原さんとか。」

冷やかすように言った洋平に、匡人は真顔で返した。

「僕も若手全員を引き留めようとしたわけじゃない。添乗員を続けるべきだと思ったやつらにだけ声をかけた。だからさ、自分の意志でなく仕事を変えて、戻って来られない人たちは被災者みたいなものだと思う。実際、人生が変わっちゃったわけだし。」

向き不向きが激しく、離職率が著しく高い添乗員の仕事。だから、向いているだけでなく、やる気がある添乗員に目をかけていた。花山とのやり取りは知らないが、木崎杏奈を可愛がっていたのを、洋平は思い出した。彼の言葉から、この場合の被災者のニュアンスを洋平は嗅ぎ取った。

 

「木崎、戻って来れて良かったんだよ。」

複雑な表情をしている杏奈に、洋平が力強く言った。

「震災のおかげで添乗員を辞めた人は、ドルフィンにたくさんいる。でも、戻って来れたのはお前一人だ。一度添乗を離れて、戻りたくても戻れないんだよ。新しい職場で仕事を始めてしまうとな。」

優佳が深く頷きながら続いた。

「そうね。居酒屋の店長さんが怒るのは仕方ないね。期待されていたんだろうし。でもね、私たちにもあなたは必要だよ。必要なところに戻ってくるんだから。決まったことなんだから、胸を張んなよ。」

力強い励ましだ。

「そうだ。震災で人生を変わりそうになった生活を元通りに引き戻したんだ。お前はラッキーだ。被災者にならずに済んだんだ。もう迷うなよ。」

優佳と洋平に言い聞かせられると、杏奈は目を潤ませて頷いだ。

「ほれ。契約書。これからも期待しているよ。」

杉戸から書面を受け取ると、涙交じりの声で「ありがとうございます。」と声を出した。

杏奈は、優しい表情で温かい言葉をかけてくるドルフィンのメンバーに、居酒屋の店長や卓也、凜を重ねていた。期待通りに戻ってきた自分と、期待を裏切って去ろうとしている自分の行動の重さをあらためて感じていた。そして

「もう絶対に迷わない。」

と、心の中で誓った。
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「あれ?・・・杏奈じゃん。また遊びに来たの?」

帰国翌日だった優佳は、杏奈に歩み寄った。数日前に遊びに来たことは、誰かから聞いたらしい。

「優佳さん、お久しぶりです。あの・・・」

「こいつ、またうちで働くんだぞ。出戻りだよ出戻り。」

杏奈が優佳に挨拶と報告をしようとしたところで、本城が割って入った。しかも「出戻り」という嫌味な言葉つきで。面白い冗談のつもりらしい。彼は、時々経営者とは思えないような、だが、ある意味創業者でワンマン経営者によくある下品な言動をする。

杏奈は、本城に殺意を覚えながら、優佳が彼を撃退してくれると思っていた。だが、彼女の視線は杏奈に集中していた。

「なにそれ。戻るって聞いてない。」

何かに裏切られたような顔をしている。杏奈は「しまった」と思った。優佳は、杏奈にとって添乗の師匠であり、ドルフィンに派遣登録して初研修から辞める時まで、何もかも相談してきた大先輩だ。今回の復帰の件も真っ先に知らせるべきだった。いや、真っ先に知らせようとしたのだ。それを本城のオヤジが・・・。

「違うんです!最初に報告しようとしたんです!でも、居酒屋もあったし、すぐに辞めさせてもらえなかったら、こっち来れないし、店長にはお世話になって、それで今月いっぱいは週末だけ働くことになって・・・それで、ドルフィンで正式に許可が出たらすぐにメールしようと思ってて・・・でも、そしたら」

顔を真っ赤に、しどろもどろでマシンガンのように話す彼女を見て、優佳の機嫌はすぐに直った。やはり杏奈はかわいい。

「よしよし。杉戸さんたちと話したら、すぐに連絡してくれるつもりだったのね。それをあのオヤジが割り込んできてね。最低よね。」

いくら親しいとはいえ、社長のことを本人の前でオヤジ呼ばわりだ。ドルフィンと契約した者たちは最初、添乗員と社長の距離感に誰もが驚く。

もちろん、本城はこんなことでは怒らない。「はいはい。」と笑いながら自分のデスクに戻るだけだ。

優佳は、「おかえり」と言いながら、優しく杏奈をハグした。優しく抱きしめようとはしているが、身長は杏奈のほうが10センチ以上高いので、優佳が抱きついているように見える。

「おかえり。よかったね。元に戻れて。」

体は抱きついているが、言葉では抱きしめていた。

「はい。でも、いろいろな人に迷惑かけちゃったから・・・。」

「そんなこと、とりあえず今はいいよ。あなたが戻ってきたのが大事。」

「はい。ありがとうございます。」

少し落ち着いてきて、杏奈と親しい人たちが、周りに集まってきた。いろいろ聞かれる中で、一度杉戸たちに報告したことを、杏奈は再度話すことになった。

「添乗をまたできるのは、嬉しいんですけど・・・店長たちには申し訳なくて。店を辞めたら、遊びにも来るなとか言われるし・・・。これでよかったのかなあって、時々思っちゃうんです。」

「お店から見たら、我儘で勝手だったと思うよ。それは仕方ないと思うけど。」

「・・・はい。」

「納得していないの?」

「いえ、納得していないというか・・・悪いというか、『添乗員に戻れてよかったね』と言われると、どうしても居酒屋のことを思い出しちゃって。」

「そうか。そこは自分で消化していくしかないね。実際、迷惑かけちゃったんだし。」

「はい。」

「そんなもの、早く吹っ切れよ。お前は戻れてよかったんだ。」

普段は陽気な口調の洋平が力強く言ったので、皆が一斉に注目した

「木崎、お前は皆が言っている『戻れてよかったね』を、もっと素直に聞き取ったほうがいい。素直にというか正確にというか。」

「どういうこと?」

言葉を返してきたのは優佳だったが、洋平は、杏奈から目をそらさずに言った。

「震災に人生を変えられずに済んだってことだよ。」

皆んな真顔になった。実家が郡山にある洋平が言うから余計に重みがあったのだろう。
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実は、店長が職場の雰囲気が悪くなることを心配しているというのは、卓也の優しい嘘だった。

期待を裏切られた店長の頭の中は、苛立ちに支配されていた。また、本部から別に提案されていた人事案があったのに、杏奈をごり押しした結果、こんなことになってしまい、会社の中での気まずさもあった。

言い換えれば、杏奈の「裏切り」は、それほどショックだった。

震災による環境の変化の影響などは理解できたが、それで気持ちを抑えることはできなかった彼を救ったのが卓也だった。

「冷静になって考えてください。平日はいいけど今の店は、週末杏奈がいなかったらまわりません。せめて役割を引き継ぐ時間をください。」

「社会的責任を分からせるだけなら、平日の勤務を減らすだけでも十分です。」

「社会人としては無責任かもしれないけど、震災のことを考えれば、許容範囲だとも考えられます。」

沸点に達していた店長の頭は、だんだんと冷えてきた。冷静になっていくとともに、「佐野も成長したな」と思っていた。店長にこれだけ物を言うとは。多少のミスがあっても、本部が言う通り、時期を待ち、彼を正社員登用に取り立てるべきだったのだろうか。

「君でもよかったかもなあ・・・。」

「え?」

「いや、それで佐野君はどうしたいの?こういうことになって、木崎さんは、ここで仲間とうまくやっていけるのか?そこをなんとかできるなら、まかせるよ。」

「はい。なんとかできると思います。彼女がずっとここで働くとは、俺だけでなく他のメンバーも思っていなかったと思いますから。店長が思っているほど荒れないと思います。」

卓也は一礼して、オフィスを後にした。最後の言葉は、店長にとっては厳しい現実だった。確かに、海外を飛び回っていた彼女が、居酒屋で落ち着くとは、心の底では思っていなかったかもしれないことに気付いた。

冷静になって涌いてきたのは、貴重な人材を逃した、ただひたすら残念な気持ちであった。「俺にはここしかない」というマインドで働く佐野卓也という人材の大切さに気付くのは、もう少し後のことだ。

 

平日の勤務がなくなった杏奈は、翌日、早くもドルフィンのおオフィスを訪れた。

「来月から出られます。」

「契約とはいえ社員だろ?そんなあっさり了承してもらえたのか?」

あれから数日のうちにドルフィンのオフィスに来たから、杉戸たちは驚いている。

「あっさりというか、だいぶ怒られましたけど・・・。最初、クビになったかと思いました。」

「クビ?おいおい、そりゃ穏やかじゃねーな。」

冗談か本気か分からない本城の言い方に、一度吹き出してから杏奈は、店長や卓也とのやりとりを全て話した。

「木崎が悪い。」

「うん。木崎が悪い。」

「店長かわいそだなあ・・・。」

みんな容赦ない。

「ひどーい。せっかく戻ってきたのに。」

「うん。それはよかった。おかえり。」

確実に居酒屋を辞めることを確信した杉戸は、すぐにフォローを入れた。

「杉戸さん、どっちなんですか!?」

「居酒屋と店長はかわいそう。俺たちは嬉しい。ドルフィンにとっては、素晴らしいことだ。ばんばんツアー入れちゃうよ。」

「・・・ありがとうございます。」

やっと決心して、居酒屋を辞めて添乗員に戻ることになったのに、今は居酒屋のことが気になる。誠に中途半端だ。

「おつかれさまでーす。」

洋平と優佳がオフィスに入ってきた。
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