2021年1月12日。僕にとっては、大衝撃的なニュースがメディアを駆け巡った。

「年内に一定水準の人口免疫や集団免疫を達成できないと予想する」

2020年大晦日に初の千人超え、その後間もなく二千人超え、首都圏に始まり、次々と拡大されていく緊急事態宣言。まったくいいことがない。その中でも、このWHOの発言は、特に衝撃的だった。

 

まだ1月だ。それも、半分も過ぎていない。あと1年、この状態が続く可能性が強いと思った時、僕の心の一部に、ヒビが入る音が聞こえた。WHOは組織の性質上、純粋に感染に関することだけコメントして、それに影響される政治や文化活動などについては、触れないことが多い。

しかし、これを扱うテレビニュースやネットのコメントでは、オリンピックの開催について上記のニュースを結びつけるものが多かった。

 

オリンピック開催については、困難だと思いながら、僕の中には願望がある。いや、あったというべきか。

開催されるということは、日本と諸外国の間で、人の往来が発生するということだ。「そんなところにまで到達できるのか?」と懐疑的ではあったが、それが可能になれば、海外添乗再開の道筋が見えるような気がした。だが、選手を含めた関係者のワクチン接種優先くらいの策しか表に出てこない。それでも願望が消えないのだ。心の中では、それ以上の絶望感を感じている自覚があるのに、自分をだましている。

「夢を見るのもいいかげんにしろ」と思う方もいるだろう。しかし、愛すべき本業を失い、いつ再開されるかもわからずに時を過ごしていると、僅かなものにでも大きな希望をかけてしまうものだ。これまで似たような状況の人を見て、「現実を見ていない愚か者」と、心の中で蔑んだことがあったが、今ならわかる。どうしても、気持ち的に捨てられないものがある。

 

しかし、このまま2022年になるまでは待てない。これまでは、国からの支援金をいただきながら、いつ海外旅行が再開されてもいいように、短期的に収入を得られるものを見つけてきた。これからは、ある程度長期にわたって収入を得られる仕事を見つけなければいけない。添乗の仕事に戻ると決めているとはいえ、常に懐が気になる状態では、気分的にも滅入ってしまう。見つかるかなあ・・・。それでも生き残らないといけない。

 

コロナを気にし過ぎなのか、最近、変なことが多い。

ある朝起きて、倦怠感を感じるような気がして熱を計ったら、実際は平熱よりも低かった。「逆コロナかよ!」と、自分で突っ込んでしまった。

ある時、自分がコロナだったらどうしようと、カフェでコーヒーをいただいきながら心配していたら、「うわー、今日はコーヒーの香りがよく感じるなあ、美味しいなあ。ん?美味しいってことは、コロナじゃないか。」と、自分で突っ込んでしまった。

ある日、味も香りもなにも感じず、「やばい・・・やばい、やばいやばい!」と焦ったら夢だった。動揺して目覚めた自分に「夢かよー!」と突っ込んでしまった。

 

ちゃんと対策はしている。接触している人間は限られており、彼らの中にも発熱などの体調異変を訴えている人はいない。検査も受けた。今のところ、コロナでない確率は高い。

 

体だけでなく、自分の心も管理しなければ。「心のコロナ」にも気を付けよう。